2010年03月11日
So long
今日は三月も半ばにもかかわらず雪景色で
山間部にあるわが大学も、大いに冷え込んだ。
別れの季節である。
もちろん、大学においては卒業生諸君が無事に巣立ってゆくわけだが
別れがあるのは、教官と学生だけではない。
わが学部のスタッフ89名のうち、
今年は5人の先生が定年退官、1名の先生が割愛(他大学に移られること)されることになった。
割愛の先生は、それはそれで結構なことであろうが
胸を打つのは、定年退官される先生方の言葉である。
今日の教授会の最後で、大学を去られる先生方のご挨拶があった。
65歳で退官される先生方のうち、お一人は微笑みながら「どうやって生きていこうかしら」と
またお一人は、「思いもかけず、こんな老体を拾ってくれるところがありまして…」と、
あるいは、「これでやっと積年の課題であった研究室が片付けられます」と笑いをとる先生もいらしたが、
私が一番胸を打たれたのは、「私が着任したのは1972年、昭和47年のことでした」と話された先生の言葉である。
うちの大学の学部を卒業され、東京の大学でドクターまで修了され、
その後直ちに本学に着任されて37年、ずっとこの地で教育と研究に携わってこられた先生である。
昭和47年なんてあなた、私小学校一年生ですよ!
要するにうちの息子が、私ぐらいになるまでの間
この先生は、ずーっとうちの大学に勤め続けてこられたわけだ。
「思い返せば、あっという間だった」と言われる先生であるが
これまでの私の一生とほぼ同じ時間を本学で過ごしてこられた先生には
今の大学の姿は、どのように映るのだろう…。
退官される先生方にとっては、最後の教授会だったわけだが
こうやって淡々と、時間は流れ、大学は続いてゆく。
研究者、という仕事っていったい何だろうと
自分が退官するであろう二十数年後、自分は納得の行く仕事ができているのだろうかと
晴れやかな顔で、最後の教授会を終えられた
先生方の姿を見て、そう思った。
翻って学生たちも、あと二週間で卒業である。
ゼミの追いコンの日にちも決まり、最後のゼミの準備も終わった。
大学では、新年度からの体制もほぼ固まり
すでに次年度の予定が動き出している。
こういうことをあと二十数回繰り返し
最後の教授会で、退官の挨拶をするときには
私はなんと言うだろう。
満足しているだろうか、
それとも、後悔の念ばかりにさいなまれているだろうか。
それよりも、無事に退官を迎えられるのだろうか(爆)
「あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる」
(田村隆一「言葉のない世界」)
私が私の仕事を終えたとき
私は何処へ帰って行くのだろうか
研究室を片付け、傍らの住処を引き払い
小倉のマンションに帰るだろうか
それとも京都の家に戻るだろうか
それとも、全く違うどこかへ行くだろうか
誰と、何処へ?
それは一抹の寂しさを感じさせつつも
一服のユーモアを含んだ期待感をも内包している。
自分の仕事はまだ始まったばかり
四十の手習いではないが
この仕事がどのように終わりを迎えるのか
まあ今しばらく様子を見てみよう。
先のことは、それから考えても、たぶん遅くない。
案外、ずーっと大学の傍に、一人で住んでたりしてね(苦笑)。
それはそれで、縁もゆかりもないと思っていたこの土地に
初めて自分がいる必然を、感じることができるのかもしれない。

山間部にあるわが大学も、大いに冷え込んだ。
別れの季節である。
もちろん、大学においては卒業生諸君が無事に巣立ってゆくわけだが
別れがあるのは、教官と学生だけではない。
わが学部のスタッフ89名のうち、
今年は5人の先生が定年退官、1名の先生が割愛(他大学に移られること)されることになった。
割愛の先生は、それはそれで結構なことであろうが
胸を打つのは、定年退官される先生方の言葉である。
今日の教授会の最後で、大学を去られる先生方のご挨拶があった。
65歳で退官される先生方のうち、お一人は微笑みながら「どうやって生きていこうかしら」と
またお一人は、「思いもかけず、こんな老体を拾ってくれるところがありまして…」と、
あるいは、「これでやっと積年の課題であった研究室が片付けられます」と笑いをとる先生もいらしたが、
私が一番胸を打たれたのは、「私が着任したのは1972年、昭和47年のことでした」と話された先生の言葉である。
うちの大学の学部を卒業され、東京の大学でドクターまで修了され、
その後直ちに本学に着任されて37年、ずっとこの地で教育と研究に携わってこられた先生である。
昭和47年なんてあなた、私小学校一年生ですよ!
要するにうちの息子が、私ぐらいになるまでの間
この先生は、ずーっとうちの大学に勤め続けてこられたわけだ。
「思い返せば、あっという間だった」と言われる先生であるが
これまでの私の一生とほぼ同じ時間を本学で過ごしてこられた先生には
今の大学の姿は、どのように映るのだろう…。
退官される先生方にとっては、最後の教授会だったわけだが
こうやって淡々と、時間は流れ、大学は続いてゆく。
研究者、という仕事っていったい何だろうと
自分が退官するであろう二十数年後、自分は納得の行く仕事ができているのだろうかと
晴れやかな顔で、最後の教授会を終えられた
先生方の姿を見て、そう思った。
翻って学生たちも、あと二週間で卒業である。
ゼミの追いコンの日にちも決まり、最後のゼミの準備も終わった。
大学では、新年度からの体制もほぼ固まり
すでに次年度の予定が動き出している。
こういうことをあと二十数回繰り返し
最後の教授会で、退官の挨拶をするときには
私はなんと言うだろう。
満足しているだろうか、
それとも、後悔の念ばかりにさいなまれているだろうか。
それよりも、無事に退官を迎えられるのだろうか(爆)
「あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる」
(田村隆一「言葉のない世界」)
私が私の仕事を終えたとき
私は何処へ帰って行くのだろうか
研究室を片付け、傍らの住処を引き払い
小倉のマンションに帰るだろうか
それとも京都の家に戻るだろうか
それとも、全く違うどこかへ行くだろうか
誰と、何処へ?
それは一抹の寂しさを感じさせつつも
一服のユーモアを含んだ期待感をも内包している。
自分の仕事はまだ始まったばかり
四十の手習いではないが
この仕事がどのように終わりを迎えるのか
まあ今しばらく様子を見てみよう。
先のことは、それから考えても、たぶん遅くない。
案外、ずーっと大学の傍に、一人で住んでたりしてね(苦笑)。
それはそれで、縁もゆかりもないと思っていたこの土地に
初めて自分がいる必然を、感じることができるのかもしれない。

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