2008年06月19日
2007年チベット紀行
大分休んでいましたが、去年3月と9月に計40日ほど視察に行って来ました。3月は下見のような段階で、北京、成寧、青蔵鉄道でラサまで14日間の日程でした。ラサは今年の動乱まえでしたので比較的安定していました。トランジットの時間があったので、北京の天安門広場まで行きましたが、煤煙がひどく、昼でも暗く空がありませんでした。そして亜硫酸の小雨が降ってました。多分北京の人々はそのうちに肺がやられると思います。北京市内はオリンピック景気で市街地中央部の強制立ち退き貧民窟と高層ビルのコントラストが中国の経済を象徴していました。市内は自動車の渋滞が激しく、排ガスもすごく混沌としていました。アスリートたちの体が思いやられます。
2006年10月30日
黒島視察−1
八重山諸島 黒島
黒島視察からもう2ケ月になろうとしています。16日間も黒島に滞在していたのですが、何故そのように長期になったかというと、永住するには適当かどうか人間関係、環境問題も含めて体験しようと、いろいろと感じたことがあります。人間関係としては皆さん親切な方が多いですが、ご存知の通り、黒牛の牧畜で有名ですが、見渡すかぎり牧草地です。狭い土地なのですが、牧草が年に6回取れるということで、生育には問題がないとのこと、しかしそれによる不思議なことを発見しました。昆虫が少ないことです。牧草を食べるバッタは平米あたり100匹ぐらいはいるのですが、蝶やその他の昆虫がほとんど見かけないのが気になりました。西表島や他の離島には沢山いたのですが生態系の崩壊には牧草地によるものとみました。海の生態は岩礁に囲まれているので結構魚は多くみられました。
黒島視察からもう2ケ月になろうとしています。16日間も黒島に滞在していたのですが、何故そのように長期になったかというと、永住するには適当かどうか人間関係、環境問題も含めて体験しようと、いろいろと感じたことがあります。人間関係としては皆さん親切な方が多いですが、ご存知の通り、黒牛の牧畜で有名ですが、見渡すかぎり牧草地です。狭い土地なのですが、牧草が年に6回取れるということで、生育には問題がないとのこと、しかしそれによる不思議なことを発見しました。昆虫が少ないことです。牧草を食べるバッタは平米あたり100匹ぐらいはいるのですが、蝶やその他の昆虫がほとんど見かけないのが気になりました。西表島や他の離島には沢山いたのですが生態系の崩壊には牧草地によるものとみました。海の生態は岩礁に囲まれているので結構魚は多くみられました。
2006年08月23日
第3回八重山視察
8月23日
6月7日以来の投稿であるが、どうもその気にならず、ベランダの作物もトマトが10個ほど、茄子が4個ほどプランター栽培の限界を痛感した。太陽エネルギーと土壌の大きさがないと作物に活力が湧かないようである。今年は仙台でも天候不順で菜園士の畑でもトマト、茄子が全滅のようである。29日から3回めの八重山諸島であるが何故そんなに回数を行くかであるが、今回は台風シーズンの体験。北より南、暖かい南国が自分の身体にはあってるようで、空港に着くと体が喜んで肺活量が増え、活力が湧いてくるのが分かる。移住地を探そうと、栗駒、仙台、福島、千葉とさがしたが、どうも冬の寒さは苦手である。候補地は2ケ所ほど見つけたが、不動産屋にいくと住宅は東京都心と変わらない値段でびっくりしてしまう。設計図は出来ているので後は資金と自給自足のできる土地と人にめぐり会うだけである。
6月7日以来の投稿であるが、どうもその気にならず、ベランダの作物もトマトが10個ほど、茄子が4個ほどプランター栽培の限界を痛感した。太陽エネルギーと土壌の大きさがないと作物に活力が湧かないようである。今年は仙台でも天候不順で菜園士の畑でもトマト、茄子が全滅のようである。29日から3回めの八重山諸島であるが何故そんなに回数を行くかであるが、今回は台風シーズンの体験。北より南、暖かい南国が自分の身体にはあってるようで、空港に着くと体が喜んで肺活量が増え、活力が湧いてくるのが分かる。移住地を探そうと、栗駒、仙台、福島、千葉とさがしたが、どうも冬の寒さは苦手である。候補地は2ケ所ほど見つけたが、不動産屋にいくと住宅は東京都心と変わらない値段でびっくりしてしまう。設計図は出来ているので後は資金と自給自足のできる土地と人にめぐり会うだけである。
2006年06月07日
八重山諸島ー2
2006年06月01日
八重山諸島ー2
2006年05月12日
べらんだ編
2006年05月10日
ベランダ編
2006年04月27日
ベランダ編
2006年04月17日
三徳山 文殊堂
4月3日 文殊坂
三仏寺本堂から登山事務所で登山案内を受け、一人では入山禁止とのこと、バスで同乗組み5人で行くことにした。静岡からの女性2人は旅慣れているらしく夜行列車で来たらしく、山形の立石寺にも行っているらしい。(立石寺は此処よりは高度が高そうだが石段で立派に整地されているので命を落とすことはない。)この後松江、出雲大社に行くとのこと勢力的だ。もう一人は前夜三朝町の観光センターで見かけた茨城の学生さん、彼もこの後出雲に行くらしい。最後の一人は京都の美大の学生らしく画材をバックにいれ担いできたらしく、案内所でリックは良いのだが、手ぶらで入山するようにと取り上げられた。前もって情報は入れておくべきだ。鍵のかかる門(閉山中は門を閉じて入れない)をくぐり、宿入橋、かずら坂(藤カズラの蔦ではなく、桂の木の根なのか急斜面なので根が露出しカズラの様になっているので命名されたらしい。)文殊堂の岩場、くさり坂を10mぐらい登るのだが、クサリをここは頼りに3点支持でないと登れない。文殊堂の斜縁はお堂を一周できるが手すりがないので崖に吸い込まれそうになる。ここでも身体感覚を修行するのであろうが・・・。
三仏寺本堂から登山事務所で登山案内を受け、一人では入山禁止とのこと、バスで同乗組み5人で行くことにした。静岡からの女性2人は旅慣れているらしく夜行列車で来たらしく、山形の立石寺にも行っているらしい。(立石寺は此処よりは高度が高そうだが石段で立派に整地されているので命を落とすことはない。)この後松江、出雲大社に行くとのこと勢力的だ。もう一人は前夜三朝町の観光センターで見かけた茨城の学生さん、彼もこの後出雲に行くらしい。最後の一人は京都の美大の学生らしく画材をバックにいれ担いできたらしく、案内所でリックは良いのだが、手ぶらで入山するようにと取り上げられた。前もって情報は入れておくべきだ。鍵のかかる門(閉山中は門を閉じて入れない)をくぐり、宿入橋、かずら坂(藤カズラの蔦ではなく、桂の木の根なのか急斜面なので根が露出しカズラの様になっているので命名されたらしい。)文殊堂の岩場、くさり坂を10mぐらい登るのだが、クサリをここは頼りに3点支持でないと登れない。文殊堂の斜縁はお堂を一周できるが手すりがないので崖に吸い込まれそうになる。ここでも身体感覚を修行するのであろうが・・・。
2006年04月16日
三徳山
4月3日 三徳山本院、本殿周りにはまだ雪が残っているが今日が開山日になりました。今年は役行者が修験道の行場として開いてから1300年になり開闢法要が4月23日に行なわれるとのこと。修験道と言えば、山に籠もり、自分の身体が自然の中にあることへの感覚を感得し、宇宙の生命と一体になることを目的としており、宇宙の森羅万象にして、一木一草にいたるまで、すべからく此れを本尊としているようです。現代人の体には都心生活でとっくに忘れかけた遠く昔のようでもありますが、体には本来持ち合わせたもので修行すれば開花するのでしょうけれど・・・。温暖化でエコ社会でなければ地球の存続も危うくなってきている現代、農作業も生命としての自然を畏敬し一体化をはかる実践修行ともいえる。2006年04月09日
兵庫 中辻
2006年04月08日
三徳山 投入堂
4月3日 投入堂4月1日〜4日まで日本海側の兵庫、鳥取と視察に行った。目的は4月の雪と作物の状況と修験道の開祖役行者が平安末期706年開いたと言う、山岳密教の本山とも言える三徳山の投入堂である。2日に三朝町の観光センターで情報を入れたのだが雪が残って居るのでまだ開山はしていないとのことだったが、ここまで来て帰る分けにも行かず遥拝所まで行くことにした。
行ってみると住職の認可が下りその日が開山当日であった。ここは修験道だけあり(12月末から3月末まで閉山)投入堂に行くまでは、険しい道のりがあり毎年観光客が命を落とす人が多々あり、住職も完全に雪が消えないと認可はしないとのこと。中途半端に行くのは止めたほうがよい。谷底に落ちるとレスキュー隊もヘリも遺体回収には困難であるとのこと。山や社務所の北側にはまだ2mぐらいの雪が残っていて、春はこれからという気配であった。写真 投入堂
2006年03月31日
八重山諸島 紀行後記 2
3月31日 慰霊碑
八重山諸島を視察して気になったことがある。竹富島に行ったときであるが、民芸館の先の世持御嶽の近くに、戦没者の慰霊碑が建ててあった。5m×4mぐらいの緑石に各離島の戦没者名がびっしり刻まれていた。数えてはいないが、数千人はいたと思う、特に波照間島はあのような狭い島でも何百人と名が刻まれていた。同苗字が羅列していて、親戚縁者が亡くなり島全たいが滅亡したのかもしれない。このように八重山諸島でも数多くの罪もない島民が日本軍にかり出され弾除けにされ犠牲者になったのあろう・・・。西表島に強制疎開させられ400人の島民が30人しか生き残れなかったと言う話しも聞く。この慰霊碑は何故か水牛車の観光ルートにも地図にも載ってはいない。
「おーりとーり みーはいゆー](ようこそいらっしいました ありがとうございます)という訳であるが日本語とはどうしても共通性はないし語源も違い意味が分からない。やはり琉球民族が日本の戦争の犠牲者になったのは歪めない。
石垣島に本土からの移住が増え、さらにジャンボを
11年に就航しようとし観光客の増員を図ろうとしているが、島民の日本人に対しての傷はいまだ癒されてはいない。
八重山諸島を視察して気になったことがある。竹富島に行ったときであるが、民芸館の先の世持御嶽の近くに、戦没者の慰霊碑が建ててあった。5m×4mぐらいの緑石に各離島の戦没者名がびっしり刻まれていた。数えてはいないが、数千人はいたと思う、特に波照間島はあのような狭い島でも何百人と名が刻まれていた。同苗字が羅列していて、親戚縁者が亡くなり島全たいが滅亡したのかもしれない。このように八重山諸島でも数多くの罪もない島民が日本軍にかり出され弾除けにされ犠牲者になったのあろう・・・。西表島に強制疎開させられ400人の島民が30人しか生き残れなかったと言う話しも聞く。この慰霊碑は何故か水牛車の観光ルートにも地図にも載ってはいない。
「おーりとーり みーはいゆー](ようこそいらっしいました ありがとうございます)という訳であるが日本語とはどうしても共通性はないし語源も違い意味が分からない。やはり琉球民族が日本の戦争の犠牲者になったのは歪めない。
石垣島に本土からの移住が増え、さらにジャンボを
11年に就航しようとし観光客の増員を図ろうとしているが、島民の日本人に対しての傷はいまだ癒されてはいない。
2006年03月29日
ベランダ編
2006年03月24日
八重山諸島 紀行後記
八重山後記紀行後考えると、亜熱帯地帯なので日本の冬季でも暖かく作物はできる。桜の開花は12月のころ、平均温度20度ぐらい、むしろ葉物関係は最盛期である。虫もそれほどいないので頷ける。夏季は暑くて不向きであるのこと、実際往っていないからよく分からなが、木陰では30ぐらい海風があるので東京よりはしのぎやすいとのこと・・紫外線が強い。環境的には最後の大自然が残っているので、オゾンがいっぱい。企業による金目当ての乱開発がなければよいのだが(自然を残すのが一番)。月10万稼ぐのが大変のこと、やはり自給自足を根底に生活を考えることか?無人販売所で野菜が一山100円で買える、作るより安いかも。農作業は健康の為とわりきる。黒牛は沢山居るのだが乳製品は東京の倍はする。暖房費はいらない。冷房も特に要るわけででもない。開け放しが基本である。虫がたくさん居るとのこと、嫌いな人は好きになるよう努力することがあげられる。
写真・波照間島ペー浜
2006年03月23日
ベランダ編
八重山諸島 最終章
八重山諸島 石垣島

2月27日 石垣島石垣島朝10時桟橋に着く、後残り1日石垣島は殆ど見ていない。今日は素どまりである。不動産屋に行って、相場の情報を集める。市街地は坪10万、東側白保で5万安くはない。土地代込みで家を建てるとなると2000万は掛かる。借屋を借りるとなると、島民の保障人がいないとなかなか貸さないようだ。移住計画も大変である。夕方御土産屋で偶然、波照間島での同宿の彼女に出会った。酒屋で食事をしていると、島民の人が話しかけてきた。明日島ラッキョウがあるから畑に取りに来いと言うことで、フライト前にバンナ森林公園裏側の名蔵の畑に見学にいった。砂地の土壌である。一面島ラッキョウが植えられている。他に小松菜、レタス、シュンギク。島ラッキョは泡盛には欠かせないカリカリした食感はこたえられない。帰りにもてないぐらいの島ラッキョウをいただいた。感激である。東京のプランターには植えられている。








