2011年02月10日
なんでもこい!
このクールのアニメ。
無茶苦茶な設定の作品がある。『これはゾンビですか?』(→HP)。
主人公の男の子はゾンビで魔装少女(少女じゃないけど)。そして、同居人の女の子が3人(現段階)。通り魔に殺された主人公をゾンビにした”ネクロマンサー”、主人公から魔力を奪われてしまったので彼を魔装少女にした”魔装少女”、ネクロマンサーの力が借りたくてやってきた”吸血忍者”の美少女。
”ゾンビでその上魔装少女”とか、”吸血鬼の忍者”とか、そんなんが集まっちゃって、キャラが濃過ぎるだろうよ(苦笑)
アニメ作品に関しては、またの機会に語るとして、と。
何が言いたいかって、こういう特殊な設定というものに完璧に慣れてしまっている自分に、あらためて気付いたという話。
アニメ作品は、普通の学園ものなんてのもあるけれども、突飛な設定のものが多く見受けられる。SF、ファンタジー、ホラーのような世界観の設定がたくさん。
このクールだけでも、人型ロボット的なものを使った戦闘もあれば、かわいい女の子の姿をしたドラゴンの話や、夢の世界からやってきた少女の話、魔法少女となって悪い魔女を退治する話など、バラエティに富んだ設定がたくさん。
そんなアニメを毎クール20〜30タイトルくらい観ているわけだけれど、それも毎日のことなので、作品を観るごとに頭を切り替えているわけさ。
さっきはロボットが出てきたかと思ったら、次はゾンビで魔装少女、また別のロボットが出てきて、今度は”魔装”少女でなく”魔法”少女が戦い、普通の学園生活かと思ったら、お次はドラゴン、そして夢と現実が交錯する世界へ。みたいなことになる。
そういう生活をもう何年も続けているから、どんな設定の世界観でも、数回分を観れば慣れてその世界観に浸ることができるようになってる。違う世界観の作品を続けて観るときの頭の中の切り替えも自在。
さて、昨日、またまたテレビでたまたまやっていた映画を観た。
『ファイナル・カット』(2004)という作品。トレーラーはコチラ。
ロビン・ウィリアムズの主演で、人の一生の記憶を記録するチップについて描いたSFサスペンス。
”ゾーイ”と呼ばれるチップを脳に埋め込んで、生まれたときから死ぬまでの体験を記録することができる世界。人が死ぬと、ゾーイのデータを使って編集された映像を流す追悼上映会が開かれたりしている。
ロビン・ウィリアムズ演じるアランは、その映像を編集する仕事をしてる。
人の記憶を扱うわけだから、人には言えない秘密が隠されているわけで、そんなことからトラブルに見舞われる。当然、ゾーイ・チップの使用に反発する人々もいるし、編集者としては見たくもないような場面を見聞きすることにもなり精神的な負担は大きい。そういったドラマを扱っている作品で、SF作品というよりは人間ドラマといった感じ。サスペンス色もさほど強くない。
んで、この作品では、”パンドラ”と名づけられた装置で、ゾーイ・チップを読み込んだり編集したりするのだけれども、その”パンドラ”の外見が、木製が主体で、記憶を記録するという近未来的な技術とは一見そぐわないように見えるものだ。
”SF”とか”近未来”といわれれば、たとえば『マイノリティ・リポート』(2002)でトム・クルーズが扱ってたような目の前の空間で手を動かすことによって操作できるコンピュータ的なものとか、なんらかの金属で作られた銀色の無機的な構造物とか、そんなイメージが強いと思う。そうでなければ、SFと感じられないくらいなのかも。ちなみに、『マイノリティ・リポート』のトレーラーはコチラ。
そういう近未来の共通認識みたいなものがある前提で、あえて木製の装置を描いた点で、私はこの『ファイナル・カット』を評価したいと思う。
20XX年とか言われると、どうもあの金属的な未来を想像しがちなんだが。色味でいうと、青い寒色系。
しかし、『ファイナル・カット』は赤い暖色系の映像だった。人の記憶を扱う作品のためか、ノスタルジーというのも切り離せないし、パンドラが出てくる他は、現代の景色とほぼ変わらない様子だった。
インターネット上でこの作品に対する様々な感想を読んでいたら、この作品の未来設定に違和感を感じている人が少なくなくて、正直驚いた。ゾーイ・チップのような科学技術の発展と、今と変わらない周辺世界のあり方とにギャップを感じるということらしい。
詳しい説明がなされているわけではないので、この世界とは別の形で科学が進化したパラレルワールドだと解釈することもできるけれど。
あれは、フレドリック・ブラウンの『雷獣ヴァヴェリ』だったかな。電磁パルス攻撃後の世界みたいになっていて、すべての電気・電子機器が使えなくなっているという設定。電気を使う以前に戻って生活しなければならないんだけど、それがやけに快適だったりして…なんていう。
そんな世界観に通じるような、どこかノスタルジックで温かみのある雰囲気というのが、この『ファイナル・カット』の肝だと思うんで、美術設定は間違ってないと私は思う。
デヴィッド・クローネンバーグの『裸のランチ』(1991)を思い出したのは、ノスタルジックな雰囲気をバックに、木製の机と、昆虫と合体したタイプライターみたいな奇妙な金属的な物体との対比という部分が似てるように思えたからなんだろうな。全体的な倒錯感やグロさからすると、かけ離れた作品なんだが(苦笑)
「近未来といえばこういうもの」という固定観念って、意外と浸透しているものなのだなと思い、と同時に、アニメで無茶な設定に慣れているせいか、すんなりと作品の世界観を受け入れられる自分に、「鍛えられているな(苦笑)」と思った次第。
監督・脚本は、気鋭のオマー・ナイーム、当時弱冠26歳。ってことで、少し詰めが甘い気はするけど、けっこう面白かったよ。
無茶苦茶な設定の作品がある。『これはゾンビですか?』(→HP)。
主人公の男の子はゾンビで魔装少女(少女じゃないけど)。そして、同居人の女の子が3人(現段階)。通り魔に殺された主人公をゾンビにした”ネクロマンサー”、主人公から魔力を奪われてしまったので彼を魔装少女にした”魔装少女”、ネクロマンサーの力が借りたくてやってきた”吸血忍者”の美少女。
”ゾンビでその上魔装少女”とか、”吸血鬼の忍者”とか、そんなんが集まっちゃって、キャラが濃過ぎるだろうよ(苦笑)
アニメ作品に関しては、またの機会に語るとして、と。
何が言いたいかって、こういう特殊な設定というものに完璧に慣れてしまっている自分に、あらためて気付いたという話。
アニメ作品は、普通の学園ものなんてのもあるけれども、突飛な設定のものが多く見受けられる。SF、ファンタジー、ホラーのような世界観の設定がたくさん。
このクールだけでも、人型ロボット的なものを使った戦闘もあれば、かわいい女の子の姿をしたドラゴンの話や、夢の世界からやってきた少女の話、魔法少女となって悪い魔女を退治する話など、バラエティに富んだ設定がたくさん。
そんなアニメを毎クール20〜30タイトルくらい観ているわけだけれど、それも毎日のことなので、作品を観るごとに頭を切り替えているわけさ。
さっきはロボットが出てきたかと思ったら、次はゾンビで魔装少女、また別のロボットが出てきて、今度は”魔装”少女でなく”魔法”少女が戦い、普通の学園生活かと思ったら、お次はドラゴン、そして夢と現実が交錯する世界へ。みたいなことになる。
そういう生活をもう何年も続けているから、どんな設定の世界観でも、数回分を観れば慣れてその世界観に浸ることができるようになってる。違う世界観の作品を続けて観るときの頭の中の切り替えも自在。
さて、昨日、またまたテレビでたまたまやっていた映画を観た。
『ファイナル・カット』(2004)という作品。トレーラーはコチラ。
ロビン・ウィリアムズの主演で、人の一生の記憶を記録するチップについて描いたSFサスペンス。
”ゾーイ”と呼ばれるチップを脳に埋め込んで、生まれたときから死ぬまでの体験を記録することができる世界。人が死ぬと、ゾーイのデータを使って編集された映像を流す追悼上映会が開かれたりしている。
ロビン・ウィリアムズ演じるアランは、その映像を編集する仕事をしてる。
人の記憶を扱うわけだから、人には言えない秘密が隠されているわけで、そんなことからトラブルに見舞われる。当然、ゾーイ・チップの使用に反発する人々もいるし、編集者としては見たくもないような場面を見聞きすることにもなり精神的な負担は大きい。そういったドラマを扱っている作品で、SF作品というよりは人間ドラマといった感じ。サスペンス色もさほど強くない。
んで、この作品では、”パンドラ”と名づけられた装置で、ゾーイ・チップを読み込んだり編集したりするのだけれども、その”パンドラ”の外見が、木製が主体で、記憶を記録するという近未来的な技術とは一見そぐわないように見えるものだ。
”SF”とか”近未来”といわれれば、たとえば『マイノリティ・リポート』(2002)でトム・クルーズが扱ってたような目の前の空間で手を動かすことによって操作できるコンピュータ的なものとか、なんらかの金属で作られた銀色の無機的な構造物とか、そんなイメージが強いと思う。そうでなければ、SFと感じられないくらいなのかも。ちなみに、『マイノリティ・リポート』のトレーラーはコチラ。
そういう近未来の共通認識みたいなものがある前提で、あえて木製の装置を描いた点で、私はこの『ファイナル・カット』を評価したいと思う。
20XX年とか言われると、どうもあの金属的な未来を想像しがちなんだが。色味でいうと、青い寒色系。
しかし、『ファイナル・カット』は赤い暖色系の映像だった。人の記憶を扱う作品のためか、ノスタルジーというのも切り離せないし、パンドラが出てくる他は、現代の景色とほぼ変わらない様子だった。
インターネット上でこの作品に対する様々な感想を読んでいたら、この作品の未来設定に違和感を感じている人が少なくなくて、正直驚いた。ゾーイ・チップのような科学技術の発展と、今と変わらない周辺世界のあり方とにギャップを感じるということらしい。
詳しい説明がなされているわけではないので、この世界とは別の形で科学が進化したパラレルワールドだと解釈することもできるけれど。
あれは、フレドリック・ブラウンの『雷獣ヴァヴェリ』だったかな。電磁パルス攻撃後の世界みたいになっていて、すべての電気・電子機器が使えなくなっているという設定。電気を使う以前に戻って生活しなければならないんだけど、それがやけに快適だったりして…なんていう。
そんな世界観に通じるような、どこかノスタルジックで温かみのある雰囲気というのが、この『ファイナル・カット』の肝だと思うんで、美術設定は間違ってないと私は思う。
デヴィッド・クローネンバーグの『裸のランチ』(1991)を思い出したのは、ノスタルジックな雰囲気をバックに、木製の机と、昆虫と合体したタイプライターみたいな奇妙な金属的な物体との対比という部分が似てるように思えたからなんだろうな。全体的な倒錯感やグロさからすると、かけ離れた作品なんだが(苦笑)
「近未来といえばこういうもの」という固定観念って、意外と浸透しているものなのだなと思い、と同時に、アニメで無茶な設定に慣れているせいか、すんなりと作品の世界観を受け入れられる自分に、「鍛えられているな(苦笑)」と思った次第。
監督・脚本は、気鋭のオマー・ナイーム、当時弱冠26歳。ってことで、少し詰めが甘い気はするけど、けっこう面白かったよ。
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この記事へのコメント
『レベルE』だけは毎週欠かさず見てます♪
冨樫義博作品のファンなんです。
『ハンター×ハンター』はアニメも良かったのに、
本編連載が不定期になってしまったのが原因のひとつだと思われますが、
TV放送がストーリーの途中で終わってしまって残念でした。
冨樫義博作品のファンなんです。
『ハンター×ハンター』はアニメも良かったのに、
本編連載が不定期になってしまったのが原因のひとつだと思われますが、
TV放送がストーリーの途中で終わってしまって残念でした。
Posted by ミユウ at 2011年02月12日 00:06
ミユウ 様
『ハンター×ハンター』はなし崩し的な展開になってしまったようですね。
原作の方も、ちゃんと連載を再開してほしいという声をよく聞きます。
『レベルE』は、このクールで一番お気に入りの作品かも。
バカ王子、いいです。
『ハンター×ハンター』はなし崩し的な展開になってしまったようですね。
原作の方も、ちゃんと連載を再開してほしいという声をよく聞きます。
『レベルE』は、このクールで一番お気に入りの作品かも。
バカ王子、いいです。
Posted by nbm at 2011年02月12日 08:49

