2011年12月04日
『髪結新三』松緑の芸談、『演劇界』バックナンバー。
それで、実家に滞在中は母の遺した歌舞伎の本なんかを漁っていると、思わぬ儲けものがあり、このままここで読み耽って暮らしたいと思うが、人生まだ幕が開いてる身ではそんな訳にもいかず、2冊だけ携行。
『演劇界』昭和63年12月増刊新春特大号、『歌舞伎名せりふ事典』は興深い。
「去年の秋に引かえて 田畑もそのまま荒れ果てて 村里ともにしんしんと 人気もおのずと絶えたるは 多くの人も離散して 他国へ立ち退くものなるか 以前に替りしこの有様。 ハテ情けない世の中じゃなア」(佐倉義民伝 佐倉宗吾)・・・なんだか、この秋のわが国の有り様ではないか。
「十八役名優芸談」も載っていて、先代の尾上松緑は『髪結新三』について、「忠七の髪を梳しながらのせりふは、動きとせりふの関係が然るべきところに嵌るようにというのが厄介でどうしても動きに追われがちですが、これとても技術の問題で慣れてしまえば楽にいけると思いますし」と。こないだの菊五郎で見たが、髪結いの手慣れた手の動き、鬢付け油を指でスルスルっとしたり、櫛を手早く使ったり、を当然観客は面白く観察するわけで、そうしてセリフもリズミカルに乗っていないとつまらないので、大したもんだなあ、と思った。しかし江戸時代なら、これが、日常の再現で客にウケるだろうし、松緑の時代ならまだ何となく分かってもらえても、これからは『へえ、江戸時代の出張理容ってこんな感じなのか〜』と江戸風俗再現ショウみたいな雰囲気にならざるを得ないので、古典を損ねず継承するのは大変。
また「大家とのやりとりは、大家が大抵老練株でうまく仕向けてくれるので、梢々楽に芝居が出来ますが、弥太五郎源七の方は、それとは性質の違ったタイプの役柄ですから、相手に廻ってくれる人によっては大変気骨が折れるのです」とある。老獪な、ピンハネを狙う大家との、隙の無いやりとりの方が難しいと思えるが、幽閉してしまった白子屋の娘を取り返しに来る乗物町の親分弥太五郎との芝居に、緊張があるのか。先日は左團次で、いい緊迫感が有ったと見ていたが、役者さん同士はどうだったのか。毎日、出来は違うし、日々いろいろ反省はあるのかも。
そして「大家の小判を並べるのを見ている間は、肩の芝居が大切で、大家の芝居につれてこの方の気持ちが変化して行く、その気持ちを肩に出して行くのです。」と。これは、しょせんは小悪党の新三が金目当てに幽閉した娘の、親元との仲介役を勝手出た大家が預かった身代金を、大家が自分も分け前をもらおうとしていく嬉しげな過程と、失望していく新三の焦りとの掛け合い部分。長屋に座り小判を必死に見るくだり。観客も最ものってくるところ。新三は悪い奴だが、損させるのも不憫なような変な気持で、楽しくなる場。落語の時蕎麦のようなおかしみ。肩、と言われれば、さすが、と感心する。(63年演劇出版社刊)
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右は『歌舞伎絢爛ハンドブック』(KKベストセラーズ92年4月発行)で、小さくて電車の中でも読める軽さながら充実している、母独自の切り抜きなども挟んであって面白い。役者の解説で、妻が有名人で離婚した場合など、母が赤いボールペンで消してある。なにも赤で消さなくてもいいんではないかな、母上(笑)。まあ襲名して名が変わった場合も赤で入れてあるけどね・・・。
『演劇界』昭和63年12月増刊新春特大号、『歌舞伎名せりふ事典』は興深い。
「去年の秋に引かえて 田畑もそのまま荒れ果てて 村里ともにしんしんと 人気もおのずと絶えたるは 多くの人も離散して 他国へ立ち退くものなるか 以前に替りしこの有様。 ハテ情けない世の中じゃなア」(佐倉義民伝 佐倉宗吾)・・・なんだか、この秋のわが国の有り様ではないか。
「十八役名優芸談」も載っていて、先代の尾上松緑は『髪結新三』について、「忠七の髪を梳しながらのせりふは、動きとせりふの関係が然るべきところに嵌るようにというのが厄介でどうしても動きに追われがちですが、これとても技術の問題で慣れてしまえば楽にいけると思いますし」と。こないだの菊五郎で見たが、髪結いの手慣れた手の動き、鬢付け油を指でスルスルっとしたり、櫛を手早く使ったり、を当然観客は面白く観察するわけで、そうしてセリフもリズミカルに乗っていないとつまらないので、大したもんだなあ、と思った。しかし江戸時代なら、これが、日常の再現で客にウケるだろうし、松緑の時代ならまだ何となく分かってもらえても、これからは『へえ、江戸時代の出張理容ってこんな感じなのか〜』と江戸風俗再現ショウみたいな雰囲気にならざるを得ないので、古典を損ねず継承するのは大変。
また「大家とのやりとりは、大家が大抵老練株でうまく仕向けてくれるので、梢々楽に芝居が出来ますが、弥太五郎源七の方は、それとは性質の違ったタイプの役柄ですから、相手に廻ってくれる人によっては大変気骨が折れるのです」とある。老獪な、ピンハネを狙う大家との、隙の無いやりとりの方が難しいと思えるが、幽閉してしまった白子屋の娘を取り返しに来る乗物町の親分弥太五郎との芝居に、緊張があるのか。先日は左團次で、いい緊迫感が有ったと見ていたが、役者さん同士はどうだったのか。毎日、出来は違うし、日々いろいろ反省はあるのかも。
そして「大家の小判を並べるのを見ている間は、肩の芝居が大切で、大家の芝居につれてこの方の気持ちが変化して行く、その気持ちを肩に出して行くのです。」と。これは、しょせんは小悪党の新三が金目当てに幽閉した娘の、親元との仲介役を勝手出た大家が預かった身代金を、大家が自分も分け前をもらおうとしていく嬉しげな過程と、失望していく新三の焦りとの掛け合い部分。長屋に座り小判を必死に見るくだり。観客も最ものってくるところ。新三は悪い奴だが、損させるのも不憫なような変な気持で、楽しくなる場。落語の時蕎麦のようなおかしみ。肩、と言われれば、さすが、と感心する。(63年演劇出版社刊)
右は『歌舞伎絢爛ハンドブック』(KKベストセラーズ92年4月発行)で、小さくて電車の中でも読める軽さながら充実している、母独自の切り抜きなども挟んであって面白い。役者の解説で、妻が有名人で離婚した場合など、母が赤いボールペンで消してある。なにも赤で消さなくてもいいんではないかな、母上(笑)。まあ襲名して名が変わった場合も赤で入れてあるけどね・・・。
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この記事へのコメント
松録の芸談、東京新聞など面白く拝読。また伺います。
Posted by セイガ at 2011年12月04日 13:07
セイガさま
御丁寧にありがとうございます。またお越し下さいませ。
松緑の時代を知らないので、私は残された文章で想像するのみです・・・。
御丁寧にありがとうございます。またお越し下さいませ。
松緑の時代を知らないので、私は残された文章で想像するのみです・・・。
Posted by プチ・ニコラにボンジュール at 2011年12月05日 08:51


