August 26, 2004

みんな、教科書なんて読んでた?

「つくる会」の歴史教科書、都立の中高一貫校で採択 - asahi.com : 社会
「新しい歴史教科書をつくる会」の主導で編集された歴史教科書(中学生用・扶桑社版)が、26日に開かれた東京都教育委員会で、来春開校する都立中高一貫校の教科書として採択された。扶桑社版教科書をめぐっては「戦争を美化している」などの批判もあり、全国的にはほとんど使われていないが、都立の普通校での採択は初めて。


この“つくる会教科書”についてとやかくいうつもりはありません。特に歴史なんていうものは、どこの国でも自らに都合の良い解釈をしがちなものなのですから。それより教科書採択というものが、こんなニュースになるほど過大評価されるという事態がかなり変ではないでしょうか。また、個々の教師が教科書を選べないと言うのもどうなんでしょう。え、選ぶ技量がない? それは失礼しました。でも、同じ教科書を使う同じ学校の教師間で、授業における指導法のノウハウやタクティクスが、ほとんど共有されることはないのは、実にアンバランスではないですか。娘が小学校に入学して、その現実をまざまざと思い知りましたよ、私は。

ウヨクな先生には、どんどん“つくる会教科書”を使わせて、個性的な授業をやっていただければいいじゃないですか。しかし、日教組な先生はどの面さげて、この教科書で授業するんでしょうかね。私、聴講したいです。

子どもと言っても、中学生ともなればかなり生意気です。30年前、純朴な中学1年生だった私でさえ、先生による教え方や教える内容の違いを、自分なりに咀嚼していました。今の中高生なら「この先生、偏ってんな」ぐらい、ふつーに感じてますよ。ウチの娘もまだ8歳ですが、「せんせいのとくしょく」をすでにしっかりと感じとっているようですし。あ、「パパのとくしょく」もか・・・最近、なめられているような気がするんですよ。
 そういえば今日の新聞に「この中でおかあさんが癌の人、手を挙げて」といった校長先生の記事がありましたが、こうした先生の検定・採択はやらないんですか、文部科学省の旦那方。滅多に壊れないクルマ(但し三菱車を除く)にだって車検が法律で義務づけられているんだから、2〜3年ごとに「教師検」なんてものがあっても不思議じゃないと思うのですがねえ。実際、今、壊れている先生、多いんでしょ?

まあ、学校の先生にも同情する部分はあるんです。“教育熱心”な父母の存在がやっかいなんですよね。娘の通う公立小学校でも「塾の勉強に影響が出るから」という理由で、宿題を目一杯出す先生は子どもだけでなく、父母にも嫌われているんですって。いやですねえ。うちなんか、高い税金払っているんだから学業については学校でできるだけまかないたい、ってクチですから。その替わり、妙な人間教育や道徳教育はやらなくていいです。その教育効果は、まったく期待していませんから。

そんなことを考えていたら「週刊!木村剛」に子育てに関するトラックバック集「ジャンバラヤ」開設が紹介されていました。近頃の子育て・教育の問題は、家庭内や狭いコミュニティで悩んでいてもラチが明かないことが多いですから、ネットを利用したこうした試みは歓迎されるのではないでしょうか。少なくとも私は歓迎します。
 

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皆さんこんにちは。ジャンバラヤ「小学校」カテゴリーを担当しています、ミズタマのチ
良く聞き、良く知り、良く話そう【ジャンバラヤ ??父・母・子のためのごった煮つぶやき集??】 at September 05, 2004 23:10
この記事へのコメント
こんばんは 頑固親父と言います。

そもそも「検定」なんて時代錯誤な事自体が廃止されるべきだと思うのだが、逆に選択肢が増えると採用されない教科書が増え、良くも悪くも競争原理から排他されて、結局出版する会社が減ってしまい・・・という悪循環になってもなぁ〜と要らぬ心配をしてしまうのだが?
 ところで、「その替わり、妙な人間教育や道徳教育はやらなくていいです。」とは、具体的にどういった点を指すのでしょうか? 道徳と言われても、今の世の中、あまりピンとこなかったりしますし、人間教育というのも様々ですし・・・。別に批判という訳ではなく、この分野は家庭で行うべき分野とは思うのですが、肝心の家庭が崩壊している現状では、それもままならない事もあり、なかなか困難な世の中になってしまったと思います。
 「2〜3年ごとに「教師検」なんてものがあっても不思議じゃないと思うのですがねえ。」実際に取り入れることを協議しているようです。でも、反対に遭うだろうな〜、 学校評価制度という物が動き出しているが(全国的な動きか、いまだ不明だか)、これがちゃんと機能するなら、問題教師の排除が可能になる仕組みを取り入れて欲しい。例えば、生徒と保護者の三分の二が罷免に同意したら、教職員を罷免できるとか? 危険な仕組みではあるが、これは保護者と生徒の良心に訴えるしかない。
 BLOGの新しい動き、ジャンバラヤ −父・母・子のためのごった煮つぶやき集−などで意見をぶつけ、広く問題意識の共有を計って行く試金石になるだろうか。
※頑固親父は教科書好きでしたよ(笑)
新学期になって新しい教科書が来ると数日で読んでしまい、あとは興味持ちませんでしたが(涙)たった数日しか興味を持たせてくれないという部分に大きな問題があったような気がする。
Posted by 頑固親父 at August 27, 2004 00:34
頑固親父さん、初めまして。丁寧なコメント感謝します。
実は、こんなことを書いた私も、子どもの頃は教科書をもらってきた当日にほとんど読んでしまったクチです。勤勉だった訳ではなく、単にヒマだったからで、やっぱり新学期がはじまる頃にはあまり関心をもてなくなっていました。
そんな私は、市場競争原理が、せめて半年ぐらい興味を持続させてくれる教科書が生まれるインセンティブになってほしい、と希望しています。そのための必要条件は個々の教師が自らの教育ポリシーと社会性のバランスの中で教科書を選択できる能力を持つこと、そしてサービスを受ける側の父母が、こちらも信念と社会性のバランスの中で、その教科書を選んだ教師の力量を評価できることでしょう。全教師、全父母でなくとも、半数近くがそうなってくれると、きっと教科書は変わりますよ。難しいでしょうけどね。
さて、「妙な人間教育や道徳教育」の件ですが、たとえば子どもが殺人・傷害といった重大犯罪を犯すと、各地の学校で泥縄式に「命の大切さ」や「ネットの危険性」を教えるという風潮がその一例。気持ちはわかるのですが、「そんなことせんでよろしい!うちで先生よりうま〜くやりまんがな」という気持ちです。
また、私が子どものときは、国語教材などを通した底の浅いヒューマニズム教育もなんかも嫌でしたね。子どもは意外とそういうとこ敏感ですから、大人の偽善=学校教育の架空性をたちまち見抜いてしまうと思うのです。学級崩壊などというものの萌芽は、案外、そんなところにあるのでは・・・多分、今の教育にもっとも必要なのは徹底したリアリズムなのだと私は思うのです。
「教師検」については、(自分で言っておいてナンですが)かなり悲観的です。問題が誰が検定者となるかでしょう。生徒と父母だけじゃ、近視眼過ぎてだめな気がしますし、学識者っていうのもちょっと。客観的に、しかしリアルに教育をとらえられる人って、なかなかいないのかもしれません。
まあ、個人的には学校教育にそれほど厳格かつ過大な期待をかけてはおりません。自分自身も学校や教師の「へん」さを見ながら、それを反面教師として成長してきたという自覚がありますし、「正しい」ことばかりが存在する場というのも、社会的には不自然なのですから。
Posted by blogmaster at August 27, 2004 01:33


 
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