2012年02月07日

チャレンジ精神

近頃の国際企業は、日本の若者にあまり期待しないとみえ、新入社員を世界中から募るようになってきた。先日テレビを見ていると、国際色豊かな新入社員を前にしたユニクロの社長が、チャレンジ精神のない若者は若者ではない、とハッパをかけていた。安全第一主義で育てられた日本の若者に、チャレンジ精神が乏しいのは歴然。日本の若者がこれでは、日本企業も大変だろう。最近のニュースが伝える日本企業の凋落ぶりは、目を覆うばかり。世界のトップを独走していたあの家電メーカーが、3位4位で青息吐息。この順位さえ、外国の血を入れなければキープ出来ないのが、日本企業の現状らしい。国内では新卒が余っているというのに、欲しい人材は少ないということか。

日本を経済大国に押し上げた原動力は、戦前の過酷な環境で育った、古いタイプの日本人である。これが示唆する意味は、決して小さくない。今とは、受けた教育も環境も違ったから、生きる姿勢が違った。一番の違いは危険に対する考え方だ。人間には命より大切なものがある、と教えられ、信じてもいた。だから、仕事に命をかけるのは当然と思っていた。人命は地球より重いのが、今の共通認識だから、仕事に命をかけるのは野暮天のやること。これが今風。人命最優先だから、作業場においても、教育現場においても、遊びにおいても、家庭内においても、安全第一、危険の排除が至上命題だ。

公園の遊具で子供が怪我をすれば、その遊具は直ちに撤去され、子供の不注意や、危険を避ける能力についての反省はない。危険を躱す訓練より危険物を取り除くことに重点が置かれる。これだから、顔から先に転ぶような子が育つ。命を守るには、危険を体験し、身を守るノウハウを習得するのも大事。だが、これには殆ど無関心だ。人生のチャンスは危険の中にしかないから、危険を避けてばかりいては、チャンスは素通りするだけ。危険や危機から逃げるのではなく、立ち向かっていかなくては、進歩も発展も望めない。

チャレンジには度胸がいる。ビビッていては、出だしから負け犬だ。度胸は、どんな時代であろうと、大事な資質。その大事な度胸をどうやって身につけるかが問題。持って生まれた資質もあるが、やはり経験がものを言う。剣術で言うなら、肉を斬らして骨を斬る必殺の呼吸は、場数を踏まないと会得できない。実生活においても、数々の危険をくぐり抜けてきた者はしたたかだ。しかし、今の世の中、危険に挑戦する場所がない、環境もない。荒事は厳禁だから、今の子供たち、大ぴらに喧嘩も出来ない。危険な遊びも出来ない。安全第一主義の下、大人の目が隅々にまで光っていて、冒険心もチャレンジ精神も育てようがない。昔、子供の世界といえば、竦みあがるほどスリリングなことが多く、肝のつぶれる思いを何度も味わったものだ。

人間くらい危険を好む動物はない。伝い歩きの幼児からして、危ないことほどやりたがる。遊びにしてもスリリングな遊びほど人気が高い。損をすると分かっているのに博打にのめり込むのも、スリルが味わいたいからだろう。危険な刺激くらい全身に喝を入れてくれるものはない。人間にとってスリルは、生命力を刺激するのに、一番手軽なツールと言ってよさそうだ。欠伸の出るような安逸だけだと、心も身体も萎えて生きている実感がない。だからスリルを求めるのだろう。

敗戦後の日本人が働き蜂と言われるほど働いたのは、飢えが怖かったからだ。飢えと貧乏くらい人を駆り立てるものはない。豊かになったら、そうはいかない。満ち足りた環境で、これといって欲しいものもないのに、命がけで働けといっても無理。働くにはそれ相応の刺激が要る。貧乏人の子と、金持ちの子では、勤労への切実感がまるで違う。社会保障の充実した国と、未整備な国とでは、勤労意欲に差が出るのは当たり前の話。これが国の消長に深く関わっていることは間違いない。日本はまだ貧乏国のレッテルを貼られたわけではないが、貧乏国に転落する予兆は歴然だから、何もしないわけにはいかない。

日本の資源と言えば人しかない。少々左前になった国を立て直すのも人だ。その大事な人材が払底してきたというのは、やはり教育が不味かったとしか思えない。安全をあまりに重視しすぎて、闘争心や冒険心を育てる教育をしてこなかったとがめが、今来ているように思える。安全を守るにも、冒険心やチャレンジ精神と言った勇気がいる。暴力から身を守るには、勇気がいるのと同じことだ。昔よく聞いた、男らしい男の需要が、急速に高まってきたように思われる、最近の世相である。

Posted by 36sabue74 at 10:43  |Comments(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


 
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