2010年02月06日
近況(専業主夫の一日)

真鴨です。鮭が溯ってくる近所の小川です。橋の上から撮りました。

こんな川です
息子、頭不調でニートしてる。それで朝食・昼食は息子、自分で作ること多い。と言っても朝はチャーハン、もしくはトーストとベーコンエッグ。昼は焼きソバ程度。ラーメン・そば・うどん等は沸騰したお湯を扱かい危険なので僕が作る。近所のス−パーのファミリー・レストランに行って済ますこともしばしばある。
スーパーでの買い物もしばしば息子にメモを渡して買いに行かせる。でも昨年の夏、驚くべきことをやってくれた。買い物かごを持ったまま店の冷蔵ケースからジュースを取り出し、その場で飲んでしまった。きっと店の人たち、目を疑っただろう。信じられないものを見たと。
夕方、店から「店へ来るのはかまわないが一言、注意お願いします」との電話がきてわかった。その後もお言葉に甘えて店に行かせている。そのことを掛かりつけの精神科医に話したら「自閉の中には自分のものと他人のものが区別つかない子がいる」とのこと。ある意味良かったと思っている。重要な学習をしたので。
息子の夕食は家内が作る。僕に作らせるとロクなもの作らないと言うので。ちなみに僕はおかずは一品が基本。品数が多いのや食材を混ぜ合わせたのは食べてて気持ち悪くなる。家内と僕はそれぞれ勝手に自分の好きなものを作って食べる。茶碗洗いは主に息子で時には僕もやる。
洗濯は初め僕がコインランドリー方式で全部まとめて洗濯機にぶち込んでやっていたが、『やり方、いい加減だ。汚れが取れてない!』と家内に咎められ、すぐ家内にとって代わった。
それからトイレ、風呂、台所回りの掃除も僕がやる。僕は元来、掃除というものが大嫌いだ。それで部屋の掃除は家内がやる。自分の部屋はもちろん自分でやるが。と言ってもゴミと埃だらけだ。でもぜんぜん気にならない。
その他、夏場は芝生を刈ったり草むしりをしたり外廻りの仕事もする。冬は除雪が面倒くさい。当地は裏日本に位置するので雪が多い。また区によって降雪量けっこう差ある。僕は人間と車さえ通れればと思っているがご近所のみなさん、おそろしく丁寧に除雪する。まったく非合理的と思えるが、「うちだけ目立ってしまう」と家内が言うのでやむを得ずやっている。世間体とは縁遠い人間なのだが、、。
それから息子に毎日、小遣い帳、書かせチェックを入れる。自分で近所の郵便局に行ってATMから必要に応じてお金を引き出してくる。それから古いパソコンで日記を書かしている。日記と言っても、その日の天気、食べたもの、行ったところ程度だ。ローマ字打ちだがタッチ、非常に速い。
僕は午後からは、しばしば電車に乗り街に行く。カフェでコーヒーを飲みながら本を読んだりする。ときたま本屋さんにも行く。車で行くとガソリン代、駐車代合わせると電車で行くのと変わらない。それに電車に乗ってる方が考え事をしたり本を読んだり、ゆっくりできる。
夕食前後は気が向けばほんのちょっとテレビでニュース見る。それ以外はまったくと言っていいほど見ない。あまりにもくだらないのが多すぎる。それから適当に雑誌を読んだりネットをやったりする。小説を読んだり、音楽を聴いたりするのは夜も遅くなってからだ。時には深夜。
それから家内はもちろん、僕も息子もけっこう病院通いが多い。僕については決して病弱ではないと思うが頑丈でもない。これらにけっこう時間とられる。お金も。それから息子、病気から来る手の震えひどく歯、きちんと磨けない時がある。その時は僕が膝枕させて磨いてやる。ペットみたいだ(猫の代わりみたいなもの)。
それからひとつ気がついたことがあります。専業主婦は天国ということ。
閑話休題
今まで描いた絵、みんな未完成なので仕上げようかなと思っている(以前の記事で書いたがひどい色弱のためみんな途中でやめてしまった)。でも絵具の匂いってひどいので窓を開けなければならない。それで、もう少し、暖かくなったら始めようかなと思ってる。
2010年01月24日
ちびまる子ちゃん
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1月21〜23日掲載分
以前の記事でも書いたが僕はマンガ、子供の頃からあまり読まなかった。子供らしくなかったと思う。でも、今は新聞掲載の「ちびまる子ちゃん」が大好きだ。ほんとうに面白い。テレビでやっていたのもけっこう面白かったが。
でもテレビのとは違い、新聞掲載のは大人向けに描いているようだ。時代設定もノスタルジックで登場人物もみんなユニークなキャラだ。尚、このマンガ、配信なので他の新聞でも掲載されていると思う。
この新聞掲載のマンガ、嫌いな人もいると思う。なぜなら子供の世界を借り、世の良識とか善意とかいうものを皮肉っているからだ(念を押すが新聞掲載版の方)。或る意味、世の偽善に対する挑戦の側面もある。また、人間の本性をも突いている。この作者のことは静岡生まれぐらいしか知らない。シニカルで人間嫌いな人のような気がする。でも根は心優しい人だと思う。
これらは、もちろん僕の勝手な想像で作者はどう思って描いているかわからないが。でも、少なくとも新聞掲載版についてはそう思える。
尚、マンガで好きなのはこの「ちびまる子ちゃん」の他では「がきデカ」、「喜劇新思想体系」などのギャグ漫画で世の良識(偽善?)に鉄槌を加えた(なんか昔の過激派みたいだな)山上たつひこ氏の作品のみ。さくらももこ、そして山上両氏、底に流れるものは共通のものがある。
余談になるが山上たつひこ氏、「追憶の夜」というシリアスな長編ミステリー小説を書いている。同一人間による作品とは思われない。でも僕としてはなんの不思議もない。先日、この小説、再読した。なぜこのような秀作が話題にならなかったのか不思議だ。一方、毒にも薬にもならないようなのが話題になる。不可解だ。
まあ、小説同様、マンガも面白ければいいんだけどね。でも最低限、“毒”がないとだめだ。毒と云えばだいぶ昔、テレビのCMで 『世の中、バカが多くて疲れません?』という秀逸なのがあった。でも、ほんとうのバカどもからクレームがつき、すぐ放映中止になった。
話もどそう、、。今更でもないですが「ちびまる子ちゃん」の好きなキャラを若干、述べたいと思います(みんな好きですが)
お父さん 職業不詳だがたぶんサラリーマンと思われる。このマンガの一番好きなキャラクター。ちょっとニヒルでシニカル。とぼけていて何とも言えない味がある。まるこちゃんを突き放しているようにみえるが本当はかなりの子煩悩のよう。そして恐妻家。時には憂さ晴らしか近所のおでん屋でいつもの友人とウダをあげ酒を飲んでいる。この二人の投げ遣りな会話がおもしろい。このおでん屋の絵がすごくいい。酒、あまり飲めない僕でもフラフラ入りたくなる。
お母さん 専業主婦(僕が子供の頃はどこのうちもそうだった)。口うるさいが根は優しい。旦那をいつも邪魔者扱いしているようにみえるが本当は違う。
お爺さん 歳だからハゲている。でも、ひょうきんで枯れた雰囲気がいい。まるこのお父さんを老けさせ、ま〜るくさせたたような感じ。当然、孫のまるこに甘い。
おばあさん まる子ちゃんと同様、丸顔。もしかしたら昔、まる子ちゃんと似たような性格だったかも。すごく優しいがひょうきんなところもある。
佐々木の爺さん 存在感、薄そうにみえるが不思議な人物。なんとなく或る種の諦観をもっているようにみえる。また枯れた芸術家風だが生ける物すべてに対する愛情が所作に滲み出ている。実は僕も将来、あのような老人になれたらと思っている。でもなれそうにもない。あまりにヒネているので。
永沢君? 玉ねぎのような形の頭をしている。暗くて、ひねた嫌味な性格。こういうキャラも好きです。
野口さん 無口で暗そうでアスペ風。ちょっと天然。
クラスの先生 誠実味があり優しく、ていねい。でも今の時代だったら指導力不足の烙印、押されるかも。
2010年01月17日
近況
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行きつけのカフェ(裏側)
行きつけのカフェ、最近、禁煙席に座っている。禁煙席あるなんて・らなかった。入口付近の落ち着かない場所にある(全席の1割ぐらい)。椅子の座り心地も良くない。喫煙者優先か。そこでひとつ気がついたことがある。
喫煙席が満席の時、禁煙席に座ってタバコを吸う人をよく見かける。どういうわけか必ず女性。少しは後ろめたいのかカッコつけて吸わないのでまだ可愛げあるが。面白い?のはカップルで禁煙席に座った場合、吸うのは女。例外なく品性に欠ける顔をしている。なんでこんな女と付き合ってるのか不思議だ。
男で吸う人は見たことない。やはり男の方がまとも? 女性蔑視と叱られるかな? 尚、店の人、忙しいせいか、それともトラブルを避けるためかけっして注意しない。
それにつけても近頃の若い女性、品性に欠けるどころか下卑た顔が多い。せっかくの長い足もスタイルの良さも台無しだ。街角や店々に貼ってあるポスターの女性の顔もひどい。美人なんだろうが見てると気持ち悪くなる。
僕は男だからよくわからないが化粧の仕方のせいかな。でも、こんな女と結婚したら大変だろうな。モノに対する欲望なんかもすごいだろうし。目を離したすきに浮気するかもしれない。逆にそれほど美人とは言えないが内面の美しが表情にあらわれ魅力的な人もいる。
話変わります
このところ連日、1時間ほど雪投げです。ほんとうは人間が出入りできれば可と思っているのですが近所・町内のみなさん驚くほど几帳面にやります。日本人独特のメンタリティが表れています。で、うちもやらざるを得ません。やらないと家内に叱られます。
雪投げがいやでマンションに移り住む人もいます。尚、雪投げというのは雪の降った日だけではありません。雪の降らない日は雪山を移動させなければ次に投げる場所がなくなります。でも、結構な運動・なので汗をかき健康にもいいです。
2010年01月06日
アラブが見た十字軍(再読)
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10年ほど前に読んだ本。再読してみると初めに読んだ時は気づかなかったことが新たに認識される。
ちくま学芸文庫。文庫本のくせに1,500円と高い。著者アミン・マアルーフは1949年生まれのレバノンの著名なジャーナリスト。内乱で国を逃れ現在フランス在住。この本はフランス語で書かれている。
これまでに出版された十字軍関係の書物は数多いがほとんど西洋側からのもの。つまり侵入者からの視点で記したもの。この著は侵略された側から書いたものにかかわらず驚くほど公正、かつ客観的に描いている。尚、この書は当時のムスリムの官僚や旅行者たちの残した書物を引用する形で語られていく。
また、当然のことながら当時のムスリムは彼らを十字軍とは呼ばずフランクと呼んでいた。これは昔、イスラム軍がフランク王国(現在のフランス)に侵入したことがあることから来ている。
まず初めに8回にのぼる十字軍遠征について極簡単に記す。
・第1回十字軍、、聖地エルサレムへの巡礼がイスラムによって脅かされるに至って東ローマ帝国(ビザンチン)の依頼により時の教皇がヨーロッパのキリスト教徒にイスラムに対する軍事行動を呼びかけた。また参加者には免罪が与えられると駆り立てた。この呼びかけに応じた騎士たちがエルサレムを目指し、分裂状態にあったイスラム諸国を撃破、エルサレムを占領しエルサレム王国、その他の諸侯国を建国した。
・第2回十字軍、、しばらく間、条約により十字軍国家と、イスラム諸国双方の平衡状態が続く。その後、新たなる征服欲に駆られ、神聖ローマ帝国を中心に新たな十字軍が結成され送られる。しかし各国の思惑による内部分裂もあり、エジプトアイユーブ朝を起こした英雄サラデイン等に惨敗を屈す。
・第3回十字軍、、。サラデインによるエルサレムを奪回されたため、時の教皇による呼びかけで、イギリスも加わる。要所を占領したものの大きな成果は得られなかった。
・第4回十字軍、、。今まで同様、時の教皇の呼びかけで行われるものの、自国の利益を優先するヴェネツイアの策略により同じキリスト教の東ローマ帝国(ビザンチン)の首都コンスタンチノープルを攻め落としてしまう。代わってその地にラテン王国を建国。この後1270年の第8回十字軍が失敗するまで戦いは断続的に続く。
この戦争は100年もの長い間続いた。結果的にはアラブ側の勝利で終わるものの前半の50年間はムスリムの国々のスルタン、カリフたちのあまりの無能、臆病、洞察力のなさ、加えてムスリムの民が十字軍によって蹂躙、虐殺されているにを横目に跡目相続争い、領地の奪い合い、仔細な理由による内紛、内戦にあけくれる様にはただあきれるばかりだ。
また、フランク、アラブ双方とも私利私欲のため、或る時はフランクとアラブの連合軍、対する相手もフランクとアラブの連合軍という奇妙な会戦も行われる。そこに東ローマ帝国のビザンチンも入り乱れての戦いが繰り広げる。敵の敵は友っていうやつだ。
尚、侵入者には変わりないがフランクでも純粋に聖地エルサレム巡礼の安全のため参加したり、未知の土地への好奇心、冒険心に駆られ参加した者もいることを他書で読んだことがある。
この書の公正さを示すものとして、有力なフランクの武将の中にはアラブ語を学習し、流暢に話す者もいたことも記されており、彼らとムスリムの交流もあったことなども記している。
また高潔で信義に暑く、ムスリムからも信頼されていたフランクの或る武将の部隊が負け戦の中、包囲網を突破しようとしたところ、イスラム軍は見て見ぬふりして逃したことも記されている。
しかし、フランクのほとんどは無知で残虐無比な野蛮人として描かれている。実際、彼らフランクは攻め落とした町の住民を皆殺しにするか奴隷として売り払うことが常であった。降伏すれば命は助けると言っておきながら欺すことも平気で行った。
この書の登場人物のハイライトはやはり現在でもイスラムの英雄と呼ばれるサラディンであろう。よく知られていることだが彼は信義に厚く、いかなる人をも歓待し(フランクでさえも)、自分が戦う時は勇敢無比だが、捕虜や敗者には寛大であった。時に寛大すぎることもあり歯がゆくなるが。
しかし、間もなく彼は病死してしまい、フランクとの戦いはその後も長く続くがアラブ側に統一したジハード(聖戦)への自覚をもたらした業績は大きい。
尚、最後の第8回の十字軍遠征の少し前の十字軍より忌み嫌うべき出来事(と年代記は記している)モンゴルによる侵入について記されている。特に有名なのは当時、イスラム文化の華と呼ばれていたバグダードの陥落であろう。なにしろ全住民、80万人が虐殺された。モンゴルはアラブ各地を荒らしまわったが、幸いにして大ハーンの死去によるお決まりの跡目相続争いに加わるため引き揚げたことによりアラブは救われることになる。
尚、よく知られていることだが当時、ヨーロッパよりアラブの方がはるかに文明、文化的に優れていた。それはこの戦争をとおして数々の知識・技術がヨーロッパに伝えられたことからしてわかる。例として、紙の製造法、アルコールの蒸留法、農産物の導入。ちなみにアンズ、ナス、オレンジ、スイカなどはすべてアラブ語である。これらの知識・技術は西洋の近代化をもたらし、後のルネッサンスにも貢献した。
逆に、アラブはこの戦争で被害者として極度に西洋的なものを拒否したため後々までも近代化に乗り遅れてしまった。それは現在でも尾を引いている。教条主義的なイスラム原理主義もそうである。
尚、2009年5月4日の記事、「ローマ亡き後の地中海世界」の著者、塩野七生氏によれば十字軍は、イスラムによる地中海沿岸における数百年の長きにわたる海賊行為(殺戮、略奪、奴隷としての拉致。氏によれば奴隷の数は百万人に達するとの推定)が底に流れる要因と記していたがこの書についてどう思うか訊きたいものだ。氏、間違いなくこの有名な書を読んでいるはずだし。
2009年12月27日
近況(続き)
前記事での日に2食の中味についてです。
朝、、トースト(バターを塗る)。ベーコンエッグ(塩コショウで味付け)。サラダ(キャベツ&レタス)。ミニトマト。飲み物はコーヒー、もしくはオレンジジュース。
夕食、、ご飯、時々蕎麦(時にはラーメン)。ご飯のおかずは必ず一品(へんな食癖があり2品食べると気持ち悪くなることがある)。
おかずのローテーションはおよそ以下のとおりです。
○ 塩鮭 : 店で買ったのは甘すぎるので自分で塩漬けする(かけるのではなく漬ける)。故に一切れで充分。余ったのはお茶漬け用にする。
○ たま〜にその他の魚 : 塩サバ、サンマなど。
○ 新進の胡瓜の漬物「パリッコ」 : おかずはこれだけで美味しくいだだける。
○ 納豆 : ネギをたっぷり。学生時代、醤油漬けの納豆だけで半月、しのいだことがある。
○ その他として生鮨 : 月に2回ほど。刺身を買ってきて自分で作る。回転寿司よりはるかに安上がり(故に回転寿司はこの一年行ってない)。ネタはホッキ貝、サーモン、マグロ、白身魚あたり。
尚、大晦日には除夜の鐘の尊、熱い蕎麦を食べることになってます。元旦からはしばらくの間、損煮が続きます。
朝、、トースト(バターを塗る)。ベーコンエッグ(塩コショウで味付け)。サラダ(キャベツ&レタス)。ミニトマト。飲み物はコーヒー、もしくはオレンジジュース。
夕食、、ご飯、時々蕎麦(時にはラーメン)。ご飯のおかずは必ず一品(へんな食癖があり2品食べると気持ち悪くなることがある)。
おかずのローテーションはおよそ以下のとおりです。
○ 塩鮭 : 店で買ったのは甘すぎるので自分で塩漬けする(かけるのではなく漬ける)。故に一切れで充分。余ったのはお茶漬け用にする。
○ たま〜にその他の魚 : 塩サバ、サンマなど。
○ 新進の胡瓜の漬物「パリッコ」 : おかずはこれだけで美味しくいだだける。
○ 納豆 : ネギをたっぷり。学生時代、醤油漬けの納豆だけで半月、しのいだことがある。
○ その他として生鮨 : 月に2回ほど。刺身を買ってきて自分で作る。回転寿司よりはるかに安上がり(故に回転寿司はこの一年行ってない)。ネタはホッキ貝、サーモン、マグロ、白身魚あたり。
尚、大晦日には除夜の鐘の尊、熱い蕎麦を食べることになってます。元旦からはしばらくの間、損煮が続きます。
2009年12月25日
近況
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近所の公園
この1年でまたお腹が出てきた。痩せているくせに格好悪い。たくさん食べているわけでもないのに不思議だった。でも家内から『パンのカロリーってすごいんだよ』と言われ、ネットで調べたら驚いた。
曰く、「6枚切りの1枚は約170カロリー」。いつも4枚切りを2枚、バターをたっぷりぬって。ホットドッグの場合は4個。それだけで1,000カロリー近くなる。しかもパンが大好きなので日に2回が多かった。また、僕は体重軽いし運動量も少ない。それに若者とは違い、新陳代謝も低いので必要カロリーも違うらしい。
それで、2か月ほど前から日に2食にした。朝はパンとベーコンエッグ、サラダなど。昼は抜く。家にいたら何か食べそうなので毎日のように街に出かける。そして4時か5時ごろに夕食。以前に書いたと思うがうちは自分が喰うものは自分で作る。間食は一切しない。
結果、5キロほど減り、それをキープしている。もちろんお腹もへっこんだ。また、思いもよらない効果もあった。長年、アレルギー性鼻炎のくしゃみ、鼻水、鼻づまりに悩まされていたが劇的に良くなった。不思議だ。
尚、ウオーキングは以前の記事でも書いたが腰を痛めるのでだめ(もともと右足と右腰の調子よくない)。でも電車内ではよほどでない限り立つ。エスカレーターは使わない。これらは労働ではないので或る意味、贅沢かもしれない。
体重と云えば子供の頃からひどく痩せていて学校の身体検査で校医からいつも『栄養失調!』と言われた。食べ物の好き嫌いが激しく、しかも極端に小食だった。体重はもちろん背も伸びなかった。それに学校が大嫌いだった。集団に馴染めなかった。
話変わるが息子、頭不調なのでもう長いこと作業所には行っていない。それで朝、6時起きしなくてもいいのですごくうれしい。朝はまずゴミ出し。当地は数ヶ月前からゴミの選別、細かくなったのでちょっと面倒くさい。
年末の掃除、昨日から始めた。今日は冷蔵庫など台所廻り。明日はレンジフード。一年の油汚れがこびりついている。やるまでは億劫だがやり始めると徹底的にやる。年に一度だから出来るのだが。
2009年12月15日
きのうの世界

3月25日の記事にちょっと書いたが昨年度、直木賞を受賞した恩田睦の「きのうの世界」を読んだ。遅馳せながらだが。氏の小説は数冊しか読んでない。いずれも期待外れだった。僕の趣味に合わなかっただけかもしれないが。この本、フラフラと買ってしまった。結論からいうとムダ金、遣ってしまった。やっぱり近年の芥川賞、直木賞はおかしい。
ではなぜ買ったかというと例の“恩田ワールド”の集大成というキャッチフレーズと本のタイトル、それと装丁につられてしまった。また日本の小説ではめずらしい二人称で語る物語だったこともある。二人称小説と云えば倉橋由美子の「暗い旅」が若い頃の僕のバイブルだったし。
読み始めはほんとうにわくわくした。誘い込むようなストーリー展開と、地味ながらも情景描写、心理描写の静謐さは音楽でいえばシューマンの曲をイメージさせるものがあった。やはり受賞しただけあるなと思った。
しかし終盤あたりからおかしくなった。ストリー展開もそうだがトリックに問題がある。凶器なき殺人事件の真相は酔っぱらいが割ったビール瓶の破片が突き刺さったものとか、その破片はカラスたちが持ち去ってしまったというのにはシラけてしまった。子供の頃、読んだ推理小説の「凶器は氷のつららだった」みたいだ。
また、健全な心の持ち主と思われる主人公の若い女性が実は心身とも不健康のため突然死っていうのはあまりにも唐突で『あれ?』って感じだった。彼女はできれば最後まで生かしてほしかった。著者の意図がまったくわからない。
しかし、「誰もが一度、見ただけでは忘れてしまいそう」なほど平凡に見える中年の男(こちらが主役?)は不思議な魅力ある人物として描かれていた。しかしこの男の特異な能力にしてもそうだが氏の小説に度々、駆使されるSFちっくな設定は基本的に氏には向いていないと思う。好みの問題かもしれないが。
読後感、、毒にも薬にもならない小説。今後もう氏の小説を読むことはないだろう。ところで氏の小説のファンってどのような人なんだろう?
閑話休題
以前の英語に関する記事でちょっと偉そうなこと言いましたが僕自身について言えば流暢とは程遠く、つっかえつっかえです。日本語もそうですが。
2009年12月09日
地域猫
長崎市野良猫地域で管理…平和公園トイレ設置、毎日餌やり(2009年12月4日 読売新聞)
ふんの被害など野良猫の問題を解消しようと、長崎市松山町の平和公園周辺の一部住民と 市動物管理センターなどは3日、野良猫を地域ぐるみで管理する「地域猫」の活動を始めた。 行政と住民が一体となって同様の取り組みを行うのは、県内で初めて。
地域猫活動とは、人と猫の共生を目指し、住民が協力して野良猫の餌を定期的に与えたり、 「トイレ」を取り付けたりして、周辺に迷惑がかからないようにするほか、猫が増えないよう 去勢手術を行うこともある。
平和公園に住む野良猫約25匹に餌を与えてきた住民2人が、地域猫に詳しい市民団体 「R&G長崎の地域猫について考え、行動する会」(浦川たつのり代表)に相談。同会が 長崎市と協議した結果、公園内に、土と砂の上に好物のマタタビを置いたプランターを トイレとして6か所に設置し、毎日朝、夜の2回、餌を与えることを決めた。
初日は、同会のボランティア、住民がトイレを設置し、トレイにドライフードを置くと、 現れた約10匹は勢い良く食べていた。近くの同市岡町、主婦佐野文子さん(45)は 餌をあげながら、「きちんと管理すれば、公園の環境も良くなり、猫も気持ちよく生活 できると思う。地域で見守っていきたい」と話した。
浦川代表は「猫はトイレの場所をあまり変えない。餌も得ることで、あちこちにふんをしたり、 生ごみを荒らしたりするような被害は減るだろう。地域猫として愛される存在になってほしい」 と話した。
動物保護団体「地球生物会議アライブ」によると、本県では2007年に約1万1000頭が 殺処分され、全国で4番目に多いという。県内では、長与町・東区自治会が、昨年末から 地域猫活動を始め、ふんなどの苦情が減ったという。
ふんの被害など野良猫の問題を解消しようと、長崎市松山町の平和公園周辺の一部住民と 市動物管理センターなどは3日、野良猫を地域ぐるみで管理する「地域猫」の活動を始めた。 行政と住民が一体となって同様の取り組みを行うのは、県内で初めて。
地域猫活動とは、人と猫の共生を目指し、住民が協力して野良猫の餌を定期的に与えたり、 「トイレ」を取り付けたりして、周辺に迷惑がかからないようにするほか、猫が増えないよう 去勢手術を行うこともある。
平和公園に住む野良猫約25匹に餌を与えてきた住民2人が、地域猫に詳しい市民団体 「R&G長崎の地域猫について考え、行動する会」(浦川たつのり代表)に相談。同会が 長崎市と協議した結果、公園内に、土と砂の上に好物のマタタビを置いたプランターを トイレとして6か所に設置し、毎日朝、夜の2回、餌を与えることを決めた。
初日は、同会のボランティア、住民がトイレを設置し、トレイにドライフードを置くと、 現れた約10匹は勢い良く食べていた。近くの同市岡町、主婦佐野文子さん(45)は 餌をあげながら、「きちんと管理すれば、公園の環境も良くなり、猫も気持ちよく生活 できると思う。地域で見守っていきたい」と話した。
浦川代表は「猫はトイレの場所をあまり変えない。餌も得ることで、あちこちにふんをしたり、 生ごみを荒らしたりするような被害は減るだろう。地域猫として愛される存在になってほしい」 と話した。
動物保護団体「地球生物会議アライブ」によると、本県では2007年に約1万1000頭が 殺処分され、全国で4番目に多いという。県内では、長与町・東区自治会が、昨年末から 地域猫活動を始め、ふんなどの苦情が減ったという。
2009年11月23日
私は猫ストーカー
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猫と云えば昨日、「私は猫ストーカー」という映画を見てきた。名画座みたいなので800円。それほど期待していたわけではないがユニークな面白い作品だった。物語は取りたてて何か事が起こるわけではない。主役の女の子がひたすら猫の後をつけ、そして猫を見るだけだ。
強いて言えば主役の子のバイト先の古本屋さん夫婦のちょっとしたトラブルぐらい。しかし、古本屋さんの飼い猫がある日、行方不明になってしまう。飼い猫に生きがいを感じている奥さんは動転してしまう。でも最後のシーンで飼い猫は自由を求めての家出であることがわかる。これがこの映画の主題かと思う。
この映画、背景の東京の下町風情がいい。交通の激しい通りも一本、裏道に入ると別の日常がある。生垣、家々の鉢植えの草花。洗濯物、自転車、、、住む人たちの飾らない等身大の日常。そして、そこで暮らす気ままな猫たち。
尚、付け加えるなら映画はテレビではなく映画館で見るべきだと思う。この作品、テレビで見たら映像の美しさがわからず面白くないと思う。極言すれば猫と背景を味わう映画だ。そのためか映像も渋い色調だ。
尚、登場する猫たち、本屋さんの猫だけが俳優猫で他はみんな町の飼い猫、野良猫とのこと。
また、季節は服装からして冬の設定だと思う。やっぱり本州はいいなと思う。北海道なんて12月から3月まで雪の世界に覆われる。鬱っとおしい。雪の世界がいいなんて言っているのは若い人か実際に住んだことない人だ。僕も若い頃はなんとも感じなかったが歳と共にいやになってきた。それから北海道には野良猫なんかあまりいない。厳寒なのでノラは冬を越えられない。
蛇足だが札幌には名画座みたいのが2軒ある。どちらも個人経営だと思う。よほど映画が好きな人なのだろう。もちろん利潤が前提であろうが。従業員みたいな中年の女性は経営者の個人的な関係者だと思う。身につけているものは決して高価な物ではないと思うが細身でセンスがいい。
追記、、この映画の中でパソコンのキーボードの上を猫が踏んでいくシーンがありました。うちで飼っていたバカ猫も同じことをしました。たぶん、かまってほしいのだと思います。
この記事、加筆訂正しました
猫集会
夜になると、どこかで行われる「猫集会」。見たことある人も多いことでしょう。 うちで飼っていた“バカ猫”も夜毎、出かけるので後をつけたら廃屋のような家の裏の原っぱで参加してるの見たことあります。10匹ぐらいいたと思います。しばらく見ていましたが、みんな何も言わず、ただ、じーぃとしていました。それにしても、なぜそんなにも夜に集会を開くのでしょうか。どんな目的で、、。
ネットで調べたら、某動物病院の医師はこう述べています
『猫の集会の目的は、同じ地域の猫が集まって、お互いの顔を確認しあい、交流の安定化をはかっているのです。“顔あわせ”的な意味が大きいと考えられています。本来、猫は単独行動 をする動物ですが同じテリトリーを共有するにあたって集まると思われます。集会は穏やかな雰囲気ですすめられ、ここで顔を合わせた猫同士は、ハンティングエリア内でたまたま顔を合わせることがあっても、ケンカになることはないのです。
また、そこで何か決議がされているわけでもなく、なんとなく集まっているだけのことが多いようです。ただじーっと座っているだけなのです。また季節は問わず、基本的に夜行性の動物なので夜に集まることが多いのです。
猫集会には特にボスなどはいません。猫は基本的に単独行動をとり、上下関係などはあまりないと思います。上の方にいるのがリーダーだと思ってしまうかもしれませんが、それは人間から見た視点のようです』。
集会の目的や、そこでの会話などに何かを読みたがるのは人間側の心理で、本人たちはただボーッとしているのかもしれませんね。
ネットで調べたら、某動物病院の医師はこう述べています
『猫の集会の目的は、同じ地域の猫が集まって、お互いの顔を確認しあい、交流の安定化をはかっているのです。“顔あわせ”的な意味が大きいと考えられています。本来、猫は単独行動 をする動物ですが同じテリトリーを共有するにあたって集まると思われます。集会は穏やかな雰囲気ですすめられ、ここで顔を合わせた猫同士は、ハンティングエリア内でたまたま顔を合わせることがあっても、ケンカになることはないのです。
また、そこで何か決議がされているわけでもなく、なんとなく集まっているだけのことが多いようです。ただじーっと座っているだけなのです。また季節は問わず、基本的に夜行性の動物なので夜に集まることが多いのです。
猫集会には特にボスなどはいません。猫は基本的に単独行動をとり、上下関係などはあまりないと思います。上の方にいるのがリーダーだと思ってしまうかもしれませんが、それは人間から見た視点のようです』。
集会の目的や、そこでの会話などに何かを読みたがるのは人間側の心理で、本人たちはただボーッとしているのかもしれませんね。
2009年11月17日
落ち葉
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先日の小雨降る朝、室内から撮ったものです。
落ち葉と云えば先日、町内の広い通りの街路樹からの落ち葉を市の清掃車がバキュームみたいのを使い吸い込んでいました。どうしてそんなことしているのか作業している人に訊いたら「落ち葉が汚いって住民からのクレーム来るため」とのことです。落ち葉は汚いものなのか、それとも僕の感覚がおかしいのか?
加えて町内の人たち、みんな自宅前の歩道の落ち葉、毎日掃いてます。掃いてないのは多分うちぐらいかと思います。みんなほんとうに落ち葉、汚いと思っているのか、それとも誰かが始めたのでやむなくやっているのかわかりませんが。
次の話は落ち葉とは関係ないかもしれませんが、、
家の近くの小学校で長年、飼っていたニワトリの啼き声、この数年来聞こえなくなりました。夜明けと共に町内中に聞こえるような大きな声で「コケコッコー!」と啼いていました。
僕はその啼き声、好きだったのです。町内の人に訊いてみたら、その頃、問題になっていた鳥インフルエンザ(当市に於いては何の問題もなかったと思う)のため住民から学校に処分するよう執拗な要求があり、やむなく処分したとのことです。長年、児童が世話していたようですが子供たちにどう説明したのか気になります。
これも落ち葉の件同様、僕の感覚からいえば違和感があります。
2009年11月15日
2001年宇宙の旅
この映画みたのはもう何十年も前のことだったと思う。とにかく衝撃的だったの一言に尽きる。オープニングの猿人の眼前に屹立する巨大な石板。猿人が骨を武器として認識する。そして空高く放り投げられた骨は一瞬にして宇宙船へと変わる。
この衝撃的なシーンはリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』序章の打ち響かせるような音楽をバックに宇宙の見えざる手を啓示しているように思える。また人類の文明としての進歩(集団化)は武器で敵を殺すということから始まるということを暗示している。けだし、このことはまさに真実にある。
人類は永遠に戦い(戦争)を続けていく運命にある。これは誰にも止められない。もしかしたら人間のDNAの中には暴力に陶酔する資質みたいのがあるのかもしれない。
話を戻そう。スクリーンはその直後、青い宇宙に移行する。流れるような『美しき青きドナウ』のワルツと共に。
木星探査船ディスカバリー号のコンピュータ、「HAL9000」が面白い。このコンピューターは人間と会話ができ、宇宙船のすべてのシステムを担っている。それがいつしか思考力や感情までをも持つに至ったのだ。
コンピューターHALの反乱に気付いた乗組員がHALに聞こえないよう密閉した部屋で話し合ったがHALは読唇術で彼等の会話を読みとり、次々と乗り組み員たちを次々に罠にかけ抹殺していく。
終章では船長一人だけが生き残る。彼は光り渦巻く空間、そして別次元をくぐり抜け「赤ん坊」として転生する、、、。
尚、未だわからないのは冒頭の猿人の前に屹立する謎の石板、「モノリス」だ。人工物だから文明を暗示しているともとれる。それとも人類の歴史以前に別の文明の存在を暗示しているのか(これはあり得ないと思うが)。
尚、監督のスタンリー・キュービックは数々のユニークな傑作を作った。この作品と同じぐらい好きなのは古代ローマ帝国の「スパルタカス反乱」を描いた「スパルタカス」。製作は1968年。40年前にあのような映画を作ったことは驚異に値する。感動的な傑作だ。
その他、面白かった作品
☆ ベトナム戦争での人間の狂気を描いた「フルメタル・ジャケット」
☆ カルト的なエロチズムを描いた「アイズ・ワイド・シャット」
☆ 暴力とセックス。それと絡めて自由とは?を問うた「時計仕掛けのオレンジ」
☆ スティーブン・キングのホラー小説を基にした「シャイニング」
2009年11月08日
ブラックホール
『Wikipedia』などより編集
ブラックホールとは
ブラックホールは重力が強く光さえも抜け出せない時空の領域のことを指す。大質量の恒星が超新星爆発した後、自己重力によって極限まで収縮することによって生成したり巨大なガス雲が収縮することで生成すると考えられている。
質量が太陽の約8倍よりも重い星の場合は巨星に進化した後も中心部で核融合によって次々に重い元素ができ、最終的に鉄からなる中心核が作られる。鉄の原子核は結合エネルギーが最も大きいため、これ以上の核融合反応は起こらず星の中心部は熱源を失って重力収縮する。
収縮が進むと鉄の原子核同士が重なり始め、陽子と電子が結合して中性子になって、やがては星の中心部がほとんど中性子だけからなる核となる。この段階では核全体が中性子の圧力によって支えられるようになるため、重力収縮によって核に降り積もる物質は激しく跳ね返されて衝撃波が発生し、一気に吹き飛ばされる。これが超新星爆発である。
超新星爆発の後には中性子からなる核が中性子星として残される。残った中性子星が光やX線を激しく放出するパルサーとなる場合もある。
質量が太陽の約30倍以上ある星の場合には自己重力が中性子の核の縮退圧を凌駕するため、超新星爆発の後も核が収縮(重力崩壊)を続ける。この段階ではもはや星の収縮を押しとどめるものは何も無いため、重力崩壊はどこまでも進む。こうして極限まで収縮した天体がブラックホールである。
ちなみに太陽質量ぐらいのブラックホールの平均密度は、1立方cmに200億トンという非常な高密度である。もし地球をブラックホールにしようとすれば、地 球の半径を9ミリ以下にまで縮めなければならない。
ブラックホールの発見
21世紀初頭現在、ブラックホール自体を直接観測することはまだ成功していないが周囲の物質の運動やブラックホールに吸い込まれていく物質が出すX線や宇宙ジェットから、その存在が信じられている。
ブラックホールの周囲には非常に強い重力場が作られるため、ある半径より内側では脱出速度が光速を超え、光ですら外に出てくることが出来ない。ブラックホールそれ自体は不可視だが、ブラックホールが物質を吸い込む際に放出するX線やガンマ線などによって観測が可能である。
ブラックホールの中心には密度、重力が無限大である特異点がある。そこでは時空の性質を記述するアインシュタインの一般相対性理論が成り立たないため、特異点の性質その他を従来の物理学を用いて議論することはできない。
ブラックホールの理論的可能性についてはニュートン力学の時代に先駆的な着想があった。1796年にフランスの政治家・数学者ピエール=シモン・ラプラスは、アイザック・ニュートンの万有引力の理論を極限まで推し進めて、「物質が十分に集積すれば、その重力は光の速度でも抜け出せないほどになるに違いない」と予測した。また1784年にイギリスのジョン・ミッチェルも同様の論文を発表している。
現代的なブラックホール理論はアルベルト・アインシュタインの一般相対性理論が発表された直後の1916年に、理論の骨子であるアインシュタイン方程式をカール・シュヴァルツシルトが特殊解として導いたことから始まった。

上の図は天の川を背景として太陽質量の10倍のブラックホールを600km離れた場所から見た場合のシミュレーション写真である。ブラックホールは光がブラックホールに落ちていくために真っ暗に見えるが、その周囲は光が捻じ曲げられて背景の星が集まって見える。
1990年代になると銀河中心部から放出される電波の観測や我々の銀河系の中心近くの恒星の運動の長期にわたる追跡観測が行われ、これによって数多くの銀河の中心部に太陽質量の数百万倍から数十億倍という大質量のブラックホールが存在することが確認されている。このことから、宇宙に無数に存在する銀河の大部分の中心核には超巨大ブラックホールがあると考えられている。
銀河系の中心部にあるブラックホールいて座Aは太陽の370万倍の質量を持った巨大な存在である。1995年には、M106 銀河の中心に太陽質量の3,600万倍の質量のブラックホールがあることが確認された。同様にして21世紀初頭までに多くの銀河の中心部に106-8太陽質量の超大質量ブラックホールの存在が確認されている。
閑話休題
だいぶ前のことになるが題名もそのもの、「ブラックホール」というSF映画を見たことがある。前宣伝のわりには、ちょっと期待外れだった。こういう映画って作るの難しいと思う。目の付けどころは良かったのだが。
終盤で宇宙船がブラックホールに突入し、吸い込まれていく。宇宙船、消滅してしまうのではと思いけりゃ、別次元の宇宙?に紛れ込むという、ちょっと荒唐無稽なストーリーだった。
ブラックホールとは
ブラックホールは重力が強く光さえも抜け出せない時空の領域のことを指す。大質量の恒星が超新星爆発した後、自己重力によって極限まで収縮することによって生成したり巨大なガス雲が収縮することで生成すると考えられている。
質量が太陽の約8倍よりも重い星の場合は巨星に進化した後も中心部で核融合によって次々に重い元素ができ、最終的に鉄からなる中心核が作られる。鉄の原子核は結合エネルギーが最も大きいため、これ以上の核融合反応は起こらず星の中心部は熱源を失って重力収縮する。
収縮が進むと鉄の原子核同士が重なり始め、陽子と電子が結合して中性子になって、やがては星の中心部がほとんど中性子だけからなる核となる。この段階では核全体が中性子の圧力によって支えられるようになるため、重力収縮によって核に降り積もる物質は激しく跳ね返されて衝撃波が発生し、一気に吹き飛ばされる。これが超新星爆発である。
超新星爆発の後には中性子からなる核が中性子星として残される。残った中性子星が光やX線を激しく放出するパルサーとなる場合もある。
質量が太陽の約30倍以上ある星の場合には自己重力が中性子の核の縮退圧を凌駕するため、超新星爆発の後も核が収縮(重力崩壊)を続ける。この段階ではもはや星の収縮を押しとどめるものは何も無いため、重力崩壊はどこまでも進む。こうして極限まで収縮した天体がブラックホールである。
ちなみに太陽質量ぐらいのブラックホールの平均密度は、1立方cmに200億トンという非常な高密度である。もし地球をブラックホールにしようとすれば、地 球の半径を9ミリ以下にまで縮めなければならない。
ブラックホールの発見
21世紀初頭現在、ブラックホール自体を直接観測することはまだ成功していないが周囲の物質の運動やブラックホールに吸い込まれていく物質が出すX線や宇宙ジェットから、その存在が信じられている。
ブラックホールの周囲には非常に強い重力場が作られるため、ある半径より内側では脱出速度が光速を超え、光ですら外に出てくることが出来ない。ブラックホールそれ自体は不可視だが、ブラックホールが物質を吸い込む際に放出するX線やガンマ線などによって観測が可能である。
ブラックホールの中心には密度、重力が無限大である特異点がある。そこでは時空の性質を記述するアインシュタインの一般相対性理論が成り立たないため、特異点の性質その他を従来の物理学を用いて議論することはできない。
ブラックホールの理論的可能性についてはニュートン力学の時代に先駆的な着想があった。1796年にフランスの政治家・数学者ピエール=シモン・ラプラスは、アイザック・ニュートンの万有引力の理論を極限まで推し進めて、「物質が十分に集積すれば、その重力は光の速度でも抜け出せないほどになるに違いない」と予測した。また1784年にイギリスのジョン・ミッチェルも同様の論文を発表している。
現代的なブラックホール理論はアルベルト・アインシュタインの一般相対性理論が発表された直後の1916年に、理論の骨子であるアインシュタイン方程式をカール・シュヴァルツシルトが特殊解として導いたことから始まった。

上の図は天の川を背景として太陽質量の10倍のブラックホールを600km離れた場所から見た場合のシミュレーション写真である。ブラックホールは光がブラックホールに落ちていくために真っ暗に見えるが、その周囲は光が捻じ曲げられて背景の星が集まって見える。
1990年代になると銀河中心部から放出される電波の観測や我々の銀河系の中心近くの恒星の運動の長期にわたる追跡観測が行われ、これによって数多くの銀河の中心部に太陽質量の数百万倍から数十億倍という大質量のブラックホールが存在することが確認されている。このことから、宇宙に無数に存在する銀河の大部分の中心核には超巨大ブラックホールがあると考えられている。
銀河系の中心部にあるブラックホールいて座Aは太陽の370万倍の質量を持った巨大な存在である。1995年には、M106 銀河の中心に太陽質量の3,600万倍の質量のブラックホールがあることが確認された。同様にして21世紀初頭までに多くの銀河の中心部に106-8太陽質量の超大質量ブラックホールの存在が確認されている。
閑話休題
だいぶ前のことになるが題名もそのもの、「ブラックホール」というSF映画を見たことがある。前宣伝のわりには、ちょっと期待外れだった。こういう映画って作るの難しいと思う。目の付けどころは良かったのだが。
終盤で宇宙船がブラックホールに突入し、吸い込まれていく。宇宙船、消滅してしまうのではと思いけりゃ、別次元の宇宙?に紛れ込むという、ちょっと荒唐無稽なストーリーだった。
2009年11月01日
鮭(その2)
10月6日の記事、「鮭」のその後です。先日、見たら鮭の死骸、2匹ありました。一匹は川面に浮かび、一匹は川底に沈んでいました。死骸の写真は載せません。鮭と言えども死骸を載せるのは趣味よくないし鮭に対する冒涜にもなるので。
でもさんざん食べているので、そのような立派なこと言う資格はないんですけどね。まあ欧米人の「牛や豚を殺すのはいいけど、イルカやクジラを殺してはいけない」と言う理屈?に通ずるものがあるかもしれません。その代わり、その時の川の写真を載せます。こんな川です。
それから「鮭を獲ったら罰せられます」(ふりがな付きで)っていう掲示板がありました。
ok.jpg)
鮭の生態について、、
秋になると鮭は産卵のため自分が生まれた川へ戻ってきます。鮭は自分の生まれた川の水の中に溶けているわずかな物質の匂いをかぎわけ、生まれた川に戻ってくると言われています。
川の上流に遡った鮭はそこで交尾し産卵します。そして傷でボロボロになった鮭は4年の生を終えるのです。その後、川でかえった稚魚は翌年の雪解けとともに川を下り、一気に海に入ります。
日本からカナダやアラスカ海域を経由し、再び日本に戻るまで4年という歳月をかけ、ざっと4000〜7000kmももの大航海をするのです。やがて鮭は生まれた川の近くまで地球の磁気や海流の向きなどを頼りにやってきます。
ところで鮭が川と海の両方に棲むことができるのはなぜでしょうか? その理由は、海水中では体内に入った塩分をエラから汲み出し、体液の塩分濃度が上がることを防ぎます。一方、川に入ると今度は腎臓から水をどんどん排出して体液濃度の調節をはかることができるからなのだそうです。
でもさんざん食べているので、そのような立派なこと言う資格はないんですけどね。まあ欧米人の「牛や豚を殺すのはいいけど、イルカやクジラを殺してはいけない」と言う理屈?に通ずるものがあるかもしれません。その代わり、その時の川の写真を載せます。こんな川です。
それから「鮭を獲ったら罰せられます」(ふりがな付きで)っていう掲示板がありました。
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鮭の生態について、、
秋になると鮭は産卵のため自分が生まれた川へ戻ってきます。鮭は自分の生まれた川の水の中に溶けているわずかな物質の匂いをかぎわけ、生まれた川に戻ってくると言われています。
川の上流に遡った鮭はそこで交尾し産卵します。そして傷でボロボロになった鮭は4年の生を終えるのです。その後、川でかえった稚魚は翌年の雪解けとともに川を下り、一気に海に入ります。
日本からカナダやアラスカ海域を経由し、再び日本に戻るまで4年という歳月をかけ、ざっと4000〜7000kmももの大航海をするのです。やがて鮭は生まれた川の近くまで地球の磁気や海流の向きなどを頼りにやってきます。
ところで鮭が川と海の両方に棲むことができるのはなぜでしょうか? その理由は、海水中では体内に入った塩分をエラから汲み出し、体液の塩分濃度が上がることを防ぎます。一方、川に入ると今度は腎臓から水をどんどん排出して体液濃度の調節をはかることができるからなのだそうです。
2009年10月25日
ギリシャ愛と詩の島(再読)

川政祥子氏のこの本を読んだのと「ギリシャを巡る」という写真紀行誌が今回のギリシャ旅行でレスボス島へ行くきっかけになった。発行は2004年。読んだのは4年前ぐらいだと思う。その時は単に面白い本との認識しかなかった。それにどちらかと云えば女性向けの本と思っていた。装丁もそうだったし。尚、副題として「12人が語るギリシャ案内」とあるがこれは誤解を受ける。「12人の人たちの物語」だと思う。
再読してみたらこんなにも哀しくも美しい物語とは思わなかった。たぶん実際に行ったせいもあると思う。物語風の随筆とも言えるがそれ以上に一つの小さな叙事詩とも言える。また彼女自身による挿絵も繊細かつ素朴で味わい深い。
地味な本だが現代の物質文明と距離を置いた気高くとも人間的な精神が読み取れる(著者が最後にこの島を訪れた以後、今はそれなりに変化してると思うが)。
現代日本人が忘れていた(現代ギリシャ人もまた?)家族の絆、愛憎、歴史が美しい文章で綴られている。
著者は20歳のころ、サッポーの詩に魅せられ、どのような島なのかと思いを馳せ行った。それが第二の故郷、いやほんとうの故郷になったとのこと。著者の故郷、四国の街は都市開発で原型を留めていないほど変わってしまったが30年経ってもこの島は何も変わっていないと記している。
著者の川政さん、日本でギリシャ語を勉強したとのこと。それだけギリシャのこの島への思い入れがあったのであろう。それにギリシャ語は”It’s Greek to me”(まったくわからない)という言い廻しがあるぐらい難しい言語だ。その難しさはアラビア語と並び称する人もいるぐらいだ。
この島のカフェの主人が『日本人ってみんなギリシャ語がうまいんだね』と言う場面がある。30年の間に著者は何度もこの島を訪れている。主人は同じ人物だと気づかなかったのだ。それだけこの島を訪れる日本人(東洋人)は少ないのだろう。そういえば僕が訪れた時も東洋人とおぼしき人には一度も遇わなかった。
この島も他の島同様、古来いろいろな国から支配された悲惨な歴史を持つ。海賊の略奪、トルコによる支配と独立戦争時での虐殺。そしてナチスの侵攻。貧しかった頃のギリシャの男たちはアメリカなどに出稼ぎに行った。中には成功を収めた者も多いという。
水商売でたくましく生きる女たち。そして男たちの頑固なまでの矜持。この島に住む人々の飾らない生き方には共卒を覚える。モリボスのホテルに30年間も働いていた聾唖の少女が実は聾唖ではなかったのではというミステリー風の話も興味をそそられた。
誇り高い船乗りの美青年がやがて老い、自分の部屋での死に際に船に乗っていた時の帽子を持ってきてくれと妻に頼んだ場面だ。顔には微他みが浮かんでいた。人間のあるべき死に方を考えさせられた。
また、若いころは奔放で当時、女性にはめずらしいインテリで詩人でもあるアパートの女主人がやがて年老い死を迎える哀しくも美しい姿にも共卒を覚えた。なんとなく女性詩人サッポーを彷彿させる。
この本の終章あたりに哀しいエピソードもある。必死にこの島へ密入国しようとした飢えたイラクかアフガンと思える少年の話だ。この島の女性の少年への・しい心遣いにはほんとうに心打たれた。
尚、蛇足だが著者は言っている。女性が海外一人旅する際、盗難や身の危険を防ぐためには「人を見る目」が大切だと。
私事だがモリボスの町を歩いていたらボロバイクの初老のオッサンに呼び止められ『日本人か?横浜、神戸、、、』と話しかけられた。残念ながら僕はギリシャ語わからない。それでもオッサンは懐かしそうに一生懸命話しかけてきた。きっと若いころから船に乗って世界中の港に行ってきたのだろう。
この本、もう本屋さんには置いていないと思う。図書館あたりにあるかもしれない。この島、サントリーニやミコノスのようなきらびやかさとは無縁なので人によってはがっかりさせられると思う。
できればもう一度、この島を訪れたいと思う。行きそびれた隣のヒオス島も。
・
2009年10月14日
ロッホ・ローモンド
By yon bonnie banks,
And by yon bonnie braes,
Where the sun shines bright on Loch Lomond,
Where me and my true love
Were ever want to gae,
On the bonnie, bonnie banks of Loch Lomond.
Oh! ye'll tak the high road and
I'll tak the low road,
And I'll be in Scotland afore ye;
But me and my true love
Will never meet again
On the bonnie, bonnie banks of Loch Lomond.
'Twas then that we parted
In yon shady glen,
On the steep, steep side of Ben Lomond,
Where in purple hue
The Highland hills we view,
And the moon coming out in the gloaming.
Oh! ye'll tak the high road and
I'll tak the low road,
And I'll be in Scotland afore ye;
But me and my true love
Will never meet again
On the bonnie, bonnie banks of Loch Lomond.
The wee birdie sang
And the wild flowers spring,
And in sunshine the waters are sleeping,
But the broken heart it kens
Nae second Spring again,
Tho' the waeful may cease frae their greeting.
Oh! ye'll tak the high road and
I'll tak the low road,
And I'll be in Scotland afore ye;
But me and my true love
Will never meet again
On the bonnie, bonnie banks of Loch Lomond.
あの美しい岸辺、
あの美しい丘、
ロッホ・ローモンド(湖)に日が照るところ、
恋人とふたり、
いつもかよった、
美しい美しいロッホ・ローモンド(湖)の岸辺。
おお、君は高い道を行け、
ぼくは低い道を行く。
スコットランドにはぼくが先に着く;
だけど、恋人には二度と会えない、
美しい美しいロッホ・ローモンド(湖)の岸辺で。
ぼくたちが別れたのはあのときだった、
あの谷の陰で、
けわしいけわしいベン・ローモンド(山)の中腹で。
ハイランドの山々が
むらさきにかすみ、
薄明かりの中に月が出ていた。
おお、君は高い道を行け、
ぼくは低い道を行く。
スコットランドにはぼくが先に着く;
だけど、恋人には二度と会えない、
美しい美しいロッホ・ローモンド(湖)の岸辺で。
小鳥が歌い、
野の花が咲いていた、
陽光の中に湖水が眠っている。
だが、傷心の心で、
来年の春を見ることは出来ない。
苦悩する身でことばも交わせない。
おお、君は高い道を行け、
ぼくは低い道を行く。
スコットランドにはぼくが先に着く;
だけど、恋人には二度と会えない、
美しい美しいロッホ・ローモンド(湖)
作詞者、作曲者ともに不明のバラードです。この歌の歌詞には、いろいろな説がありますが1745年のスコットランドとイングランド間のジャコバイトの乱にまつわる、以下の逸話にちなむものとする説が有力です。
当時のカトリックとプロテスタントの争いは凄まじく、スコットランドのカトリック勢力ジャコバイトは、カトリック王の後継者であるボニー・チャーリーを立て、反乱します。
1746年に始まった戦いの最後は悲惨な結末でした。イングランド側はジャコバイトの負傷兵を皆殺しにし、捕虜になった4、000人以上が処刑されたと云われます。
「君は高い道を行き、僕は低い道を行く 君より先に、スコットランドの土となろう」、、、捕えられ、処刑を前に故郷で彼の無事を待つ恋人への想いを歌にしたものです。
低い道を進んでスコットランドに先に着く『僕』というのは、この「処刑された兵士」の魂のことで、彼は死者の通る地下の道を進んでスコットランドに帰るというものです。
戦いに敗れたスコットランドの兵士の悲しみを歌ったこの歌は、スコットランドの愛国心を呼び覚ますものとして、今も多くのスコットランド人に愛されています。
2009年10月11日
グラーグ57
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「チャイルド44」の続編。
前編の「チャイルド44」と違い、推理的要素が薄まり、その代わりアクション映画みたい要素が濃くなったのは僕の趣向とはちょっと合わないが面白いことは紛れもない。
「グラーグ57」とはシベリアの極寒の地、グラークの「第五十七強制労働収容所」を意味する。
物語は教会爆破の場面から始まる。共産主義と宗教は相容れない。多くの宗教関係者が投獄され拷問の末、処刑される。そう言えば誰かが言っていた。共産主義は壮大な実験だったと。一党独裁でなければ成立しない。故に「自由」とは相反する。
尚、ネットで調べたらスターリン体制下で反革命の罪状で処刑された者は78万人(ゴルバチョフ元大統領の公表では)。もしくは生きては帰ってこれないと言われた強制収容所行きの憂き目に遭った者は数百万に昇るという。またこの頃の農業政策の失敗で農民の餓死者は一般的に推定、500万〜700万と言われている。
僕が中学の頃、社会科の先生は口を開けば「コルホーズ」、「ソホーズ」と言って膨大な数の餓死者を出した集団農業体制を賛美していた。その時、この先生に反発を感じたのを憶えている。もちろん尊敬できるはおろか好きな先生など一人もいなかった。その頃から物事を斜に見るひねくれた者だった。
話を戻そう、、。それが突然、フルシチョフがスターリンの死後、彼の恐怖政治を批判したことにより、スターリン時代に密告や裏切りをした者に対しての復讐が始まる。裏切ったり密告していた者が復讐のターゲットにされ恐怖に怯える。立場が逆転したのだ。
主人公のレオも無実かもしれない数知れないほど多くの者を逮捕し、処刑台に送った過去をもつ人間だ。 当然の因果応報で彼は徹底的に人々から糾弾される。国家はおろか信じていた者にも、さらには子供達にも。(後にはフルシチョフ自身、スターリン批判が周囲の反発をも呼び起こすのを恐れ、トーンダウンしたようだが)。
国家保安省の捜査官(俗に言う秘密警察)だった彼は過去にある教会の司祭を国家に対する反逆の罪に貶めるため策謀し、無抵抗の司祭を顎の骨が砕けるほどの暴行の末、逮捕し、彼の妻ともに強制収容所送りにしたことがある。しかし司祭の妻は体制逆転により釈放され、自分たちの逮捕、処刑に関わった秘密警察官や密告者を殺戮する組織のリーダーとなって復讐のためにレオの前に現れる。
彼女によってレオに突きつけられた要求は過酷なものだった。それでも愛する家族を救うため彼は極寒の生き地獄のような収容所に囚人になりすまし潜入する。自らが逮捕した司祭を奪還するためだ。
しかし彼は過去の身分が発覚し、囚人たちから執拗なまでの過酷な私刑を受ける。だが孤立無援ながらも凄まじい戦いを経て司祭奪還に成功する。
その際、「チャイルド44」から唯一、心を許せる同僚で一緒に潜入した捜査官は残虐にも殺されてしまう。こんな展開、あり?と思った。殺されたようでいて、ほんとうは生きていたのではと思ったぐらいだ。このあたり、どうやら著者は並みの作家とは違うようだ。尚、この小説、映画化されるようだがこのあたりの展開どうなるのだろう。
だが司祭の奪還に成功しモスクワに戻ってきた彼を待っていたのは裏切りでしかなかった。絶望の淵に立たされながらも彼は自分を憎悪する娘を追い、反ソビエトの動乱が渦巻くハンガリーの首都ブタベストへ赴く。
尚、ハンガリー動乱のブタベスト市民の死者は17,000人。20万人が難民となって亡命したと云われてる。その後、物語は二転三転し、登場人物たちの策謀や謀略には裏の裏があり、、、以上がこの小説の輪郭だ。
尚、下巻の解説によればレオを主人公とする本シリーズは次の作品で三部作として完結するとのこと。楽しみだ。
ところでイギリスって国は多くのミステリー作家を輩出している。例えばアガサ・クリスティ、コナン・ドイル、チャンドラーなど挙げればきりがない。また現在、世界的に注目されている新進ミステリー作家も多い。この国の風土、文化、歴史などと関係あるのだろうか。
また音楽の世界でも保守的と言われるこの国からビートルズ、ローリング・ストーンズ、ピンク・フロイドなどの革新的なミュージシャンを数多く輩出している。
また民謡にもお馴染みのものも多い。「グリーン・スリーブス」、「アニーローリ」、「故郷の空」、「ロッホ・ローモンド」、「スカボロー・フェア」、「埴生の宿」、「昔の友」(日本名:蛍の光)等々。僕が特に好きなのは「ロッホ・ローモンド」、「グリーン・スリーブス」、「スカボロー・フェア」。
この記事については若干、加筆訂正しました。
チャイルド44
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すごい作家のデビューである。彼に比べると並みの推理・サスペンス作家など・ではない。イギリスの若干29歳。ケンブリッジ大学の英文科を主席で卒業。このデビュー作で英国CWA賞最優秀スリラー賞を受賞した。
単なる推理・サスペンスものではなく極限に置かれた人間の壮大なドラマでもある。尚、この作品はソビエトに実在した大量殺人事件に着想を得て書いたものとのこと。
この小説、世界的ベストセラーになっている。僕は以前、記したよう天の邪鬼なのでベストセラー本は嫌いだがこの本は別だ。それだけすごい作品だ。尚、どういうわけかロシアでは発禁処分のこと。
この本、上下2巻だが上巻は買わなかった。理由は立ち読みしていたら大飢饉のため猫に食べさせる物がなくなりミミズを食べさせる?、、また飢えのため猫を食べる?、、 なんかそんな場面が目に飛び込んできたからだ。下巻には僕の苦手な「ミミズ」や「猫食い」みたいなのはないようなので買った。
舞台はスターリン体制下の共産主義時代。体制に他しでも疑いを持つことは絶対にゆるされない。いったん、スパイの嫌疑がかけられると、疑惑が晴れることはなく処刑の憂き目に遭う。もちろん家族も生きて帰ってくることのできない強制収容所送り。
同僚、友人、近隣の人、時には自分の家族でさえ告発してでも我が身を守らなければならない。そのような時代を背景にして書かれた作品だ。
上巻の立ち読みより、、、
物語のプロローグは第二次大戦後の大飢饉に襲われたた旧ソビエトのウクライナ地方。ネズミも食べ尽くし犬や猫までも食べられていく。大飢饉によって、ある村も飢餓に襲われる。村人たちは食べられるものは何でも食べ命を繋ごうとする。
そんな中、一人の他年の惨殺死体が発見される。容疑者として知的障害者、窃盗犯、そして国家から不要と看做された者たちが次々と逮捕され処刑されていく。腐敗した資本主義国とは属い、理想国家ソビエトでは殺人事件はあるはずがない。そのような事件の存在を認めることはソビエトという国家を否定することになる。
主人公の国家保安省のエリート捜査官レオ・デミドフは無実の容疑者であろうと命令されるまま体制に疑問を持つ者を次臓逮捕していく。
以下、下巻です、、、
左遷されたその地で他年の惨殺殺体が発見される。死体の状況はかつて彼が「事故だ」だと被害者の親を心ならずも言いくるめた他年の遺体に酷似していた。そうした中、子供たちが次臓と殺されていく。そしてどの遺体にも共通の痕跡が、、。
レオは他年他女の猟奇的な連続殺人を追っていく。しかし捜査を執拗に妨害しようとする者たちの計略により、ついには国家反逆者として妻と共に強制収容所送りとなる。収容所送りの列車(家畜専用車。もちろんトイレなんかもない)からの脱走の場面は手に汗を握るアクション映画さながらだ。
そして彼がついに犯人として逮捕した男の正体は? まさか、、、(ネタバレになるので絶対言わない)。もし上巻、読んでいたら繋がっている一本の線がくっきり見えたであろうことを思うと残念だ。想像で読み取るしかない。また犯人の殺人を犯す動機が悲しくも・なく哀れだ。人間の強さ、そして弱さというものが露(あらわ)にされる物語でもある。
尚、タイトルの「チャイルド44」というのは殺された子供たちの数です。
本の帯で「魂をゆさぶる傑作」とい形容されてるが、確かに本作はかけねなしに読み応えのある「魂をゆさぶる傑作」だ。
2009年10月06日
鮭

この2匹はたぶんオスとメスだと思います。からまるように泳いでいたので。

上の2枚は一昨日(天候:曇り)

これは昨日(天候:晴れ)
一昨日、家から歩いて数分の住宅街を流れている小川でサケが泳いでいるのを見つけた。毎年、この時期になると溯ってきます。何人もの人が見ていました。中には僕同様、写真を撮っている人もいました。最近、気が向くとデジカメ持ち歩くことあります。
躯、ボロボロのようでした。サケって大変だと思いました。子作り終えたら死あるのみです。やっぱり人間に生まれて良かったのかな。美味しいものも食べられるし。
そのかわり自己の死という恐怖を認識できる動物は人間だけらしいです。ところで生き方を教える人や本は多いですが何故か死に方を教えるのは少ないような気がします。
サケと云えば近年、スーパーで売っている甘塩の切り身、物足りなく不満です。昔のような焼いたら塩を吹くようなのがなつかしいです。
追記
前記事で「レインンボ−・マーチ」の人たちをバカにした表現になりましたが他意はありません。非常に勇気ある行動だと思います。社会に於いて人々の認識を変える働きもあるのではと思います。
それから同じく前記事の「北海道食のフェスタ」(正しい名称は「オータム・フェスタ」)、今朝の新聞によると来場者138万人だったそうです。シルバーウイークのおかげで前年より58万人増とのことです。これからも毎年、この時期、一週間ぐらいの休日があれば働く人たちや旅行業界などにもメリットがあるのではと思います。
2009年10月04日
不景気
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閉店した西武デパート
先日の当地の新聞によると北海道の有効求人倍率は0,34倍とのこと。また来年の高校卒業者の就職希望者9,561人に対する求人数は3、235人人とのこと。また中小零細企業では定年退職者の再雇用も難しいらしい。
不況はデパートの閉店にも表れている。札幌でも先日、駅前の老舗、西武デパートが閉店した。駅前には3つのデパートがあり競争が激化していた。しかも駅の構内には巨大ショッピングモールがあり、地下には大きな商店街もある。
半年ほど前にはススキノのにある松坂屋傘下?のデパートが閉店した。またホテルの競争激化で老舗ホテルの閉鎖が相次いでいる。札幌、あまりにもホテル多すぎる。にもかかわらず新規のホテル造っている。理解に苦しむ。
ところで先日、ハローワークに行ってきた。働いていないことに罪悪感をもったのと小遣い稼ぎのためだ。贅沢さえしなければ喰っていけるのだが、、。うちは普段はケチケチ生活だし。家族で外食なんて年に1回あるかどうかだ。金を遣うのは僕だけだ。家内なんか街に出かけるのは年に1〜2度だし。それも特別の用事がある時のみ。
僕が働かなくてもどうにかなるのはすべて家内のおかげだ。で家内にはまったく頭が上がらない。でもかなりの変人だ。一生、誰とも話さなくとも平気だと言っている(僕も似たような傾向あるが)。
札幌には4つぐらい大きなハローワークの支署みたいのがある。行ってみたら大きなフロアに150人ぐらいいたと思う。検索するパソコンは67台で鉛筆みたいな棒で画面をタッチして検索できる。また相談員のブースも10数席ぐらいあった。
番号札渡されパソコン空くのを待つ。制限時間30分とのことだがあっと言う間に過ぎる。でも50分ほどやったが何も言われなかった。30分ではぜんぜん時間が足りない。
カウンターで登録すると登録番号みたいのが渡され、ブースの相談員に相談できる。また自宅のパソコンからでも登録番号でログインして常勤とパート別、職種別等で検索できる。で登録してきた。
「パート」を選択し、希望職種は「マンション管理人」とした。理由はなんとなく楽そうに思えたからだ。でも相談員から冬は除雪作業もあると言われた。
適当な求人票ををプリントアウトし相談窓口にもってった。相談員が調べたところ、一名採用のところに既に10人以上申し込みがあるとのとのこと。また北海道(札幌でさえ)の就職状況の厳しさを言われた。
しかしその求人には申し込まなかった。ハローワークに行ったのは事前調査のためだ。なぜかと言うと、このところ半強制的に睡眠薬、多めに減量し始めたからだ。減量の進行に時間がかかり過ぎ、非常にもどかしくなっていた。
減量始めてからもう2年半も過ぎた。断薬にかかる時間は飲んでいた期間と量に累進的に比例することは知ってはいるが。当初、医師は長くても3年ぐらいで止めれるだろうと言っていた。でも最近は個人差もあると言うようになった。
半強制的に多めの減量始めたら当然、寝つきが悪く、眠っているのか起きているのかわからない状態になった。それに離脱症状(禁断症状)で必ず夜中に目が覚める。せっかくの決意、、働き始めたら振り出しに戻さなければならない。と云うことで申し込むのは断薬が成功してからにしようと思っている。
閑話休題
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大通り公園
先月のシルバーウイークの間、札幌の大通公園で「北海道食のフェスタ」なる催しがあった。北海道の多くの市町村から自慢の食材、料理の店が大通り公園の4丁目から8丁目まで並んだ。
一人で行ってきた。家内は行くはずもないし、息子もすべてのものに関心がない。食べたのは鉄砲汁(蟹の味噌汁)だけ。大勢の市民や観光客で盛況だった。
ちょうどその時、「レインボーマーチ」なる性的マイノリティの人たちのパレードがあった。見るのは初めてだ。どういうわけか男女共ほとんどブサメン。ハンサムな男やきれいな女性は皆無に思えた。こんなこと書いたら、「男の視点」で見ているとお叱りを受けるかな。

