January 07, 2011
モノづくりは人材づくり
(毎日新聞より)
◎働乱の時代に:第1部・ものづくりの現場から/7(その1) フィリピン人に託す技◎
<働乱(どうらん)の時代に>
「どうかなこれ、できっかねえ」
フィリピンの現地法人とインターネット電話「スカイプ」で結ばれた
パソコンの画面に、自動車部品の図面が映し出される。
東京都大田区の金型開発メーカー「日進精機」。
本社に相談するのは、現地にいる責任者の中山陽太さん(36)だ。
ベテランの吉川和正さん(70)が
「材料が硬いな。量産には向かない。試作で見極めたらどうだ」と助言する。
画面の顔をのぞき込み、「すっかりフィリピン人だな」と笑った。
同社は昨年4月、人件費の安いフィリピンで人材を育成する
「金型再生事業」を本格的に始めた。
難度の高い金型を開発してきたが、受注の8割は採算割れ。
国内で新人を育てる余裕はなく、中途採用でつなぐ一方、
技術の伝承をフィリピン人従業員に託す賭けに出た。
中山さんは日本から派遣された技術者とともに、重責を担う。
01年に現地法人を設立した当初から人材育成を試みてきた。
十分な教育を受けていないスタッフには、算数の九九から手ほどきした。
結びつきを深めようとクリスマスパーティーや遠足も催した。
だが、独り立ちできるころになると皆、会社を去っていく。
「母の入院費が要る」「弟を大学に行かせたい」。
家族を支えるため、少しでも高い給与を求めて欧米や日本、
中東を渡り歩く人も多く、同社は通過点でしかない。
中山さんは
「時に怒りすら感じた。人材育成など到底無理な話だと思った」と振り返る。
事あるごとに吉川さんから聞かされた言葉が支えになった。
「先人からの英知を次につなぐのが我々の役目」
「部下は子供のようなもの。教育するのは当たり前だ。
巣立つも残るも、子供の自由」
吉川さんは「作れない金型はない」という創業者の考えに従い、
どんな注文にも応えてきた。
10年前、その吉川さんに見込まれ、金型製作のポイントをたたき込まれた。
図面通り作っても想定通り出来上がることはない。
1000分の1ミリ単位で調整、時に図面から描き換える。
ねばり強く向き合う姿勢を学んだ。
現地では、一人に教えていると、続々と周囲の労働者が集まる。
一つでも多くを吸収しようと目を輝かせる。
「教える価値はある。100人のうち残るのが1人でもいい」。
吉川さんから教わった技術をすべて伝えようと決意した。
手応えを感じたのは昨年5月。
急きょ、ある部品を作らなければならなくなった。
複数の工程が必要な難しい仕事。
現地スタッフに「最短時間で」とだけ伝え、すべてを任せた。
決して最初から答えを与えない、吉川さん流の教育法だ。
翌朝、出社して驚いた。
机の上に部品が載っていた。
海外への技術流出と日本の空洞化は止まらない。
不安になることはある。
それでも「日本ではもう、
彼らのようなひたむきな人材を探すのは難しいかもしれない」と思う。
あの日、「よくやった」と声をかけると、
スタッフははにかむような笑みを浮かべた。
その表情を見て思い出した。
吉川さんと徹夜で作業に没頭し、やり遂げた朝のことを。
とても素敵な話ですね。
その一方、日本のモノづくりの現状と、
フィリピンにおける就労の実態や彼らの仕事への意識が垣間見えます。
この話、同感だなと思ってしまうのは、僕だけ???
※許可なくリンクしないで下さい。
◎働乱の時代に:第1部・ものづくりの現場から/7(その1) フィリピン人に託す技◎
<働乱(どうらん)の時代に>
「どうかなこれ、できっかねえ」
フィリピンの現地法人とインターネット電話「スカイプ」で結ばれた
パソコンの画面に、自動車部品の図面が映し出される。
東京都大田区の金型開発メーカー「日進精機」。
本社に相談するのは、現地にいる責任者の中山陽太さん(36)だ。
ベテランの吉川和正さん(70)が
「材料が硬いな。量産には向かない。試作で見極めたらどうだ」と助言する。
画面の顔をのぞき込み、「すっかりフィリピン人だな」と笑った。
同社は昨年4月、人件費の安いフィリピンで人材を育成する
「金型再生事業」を本格的に始めた。
難度の高い金型を開発してきたが、受注の8割は採算割れ。
国内で新人を育てる余裕はなく、中途採用でつなぐ一方、
技術の伝承をフィリピン人従業員に託す賭けに出た。
中山さんは日本から派遣された技術者とともに、重責を担う。
01年に現地法人を設立した当初から人材育成を試みてきた。
十分な教育を受けていないスタッフには、算数の九九から手ほどきした。
結びつきを深めようとクリスマスパーティーや遠足も催した。
だが、独り立ちできるころになると皆、会社を去っていく。
「母の入院費が要る」「弟を大学に行かせたい」。
家族を支えるため、少しでも高い給与を求めて欧米や日本、
中東を渡り歩く人も多く、同社は通過点でしかない。
中山さんは
「時に怒りすら感じた。人材育成など到底無理な話だと思った」と振り返る。
事あるごとに吉川さんから聞かされた言葉が支えになった。
「先人からの英知を次につなぐのが我々の役目」
「部下は子供のようなもの。教育するのは当たり前だ。
巣立つも残るも、子供の自由」
吉川さんは「作れない金型はない」という創業者の考えに従い、
どんな注文にも応えてきた。
10年前、その吉川さんに見込まれ、金型製作のポイントをたたき込まれた。
図面通り作っても想定通り出来上がることはない。
1000分の1ミリ単位で調整、時に図面から描き換える。
ねばり強く向き合う姿勢を学んだ。
現地では、一人に教えていると、続々と周囲の労働者が集まる。
一つでも多くを吸収しようと目を輝かせる。
「教える価値はある。100人のうち残るのが1人でもいい」。
吉川さんから教わった技術をすべて伝えようと決意した。
手応えを感じたのは昨年5月。
急きょ、ある部品を作らなければならなくなった。
複数の工程が必要な難しい仕事。
現地スタッフに「最短時間で」とだけ伝え、すべてを任せた。
決して最初から答えを与えない、吉川さん流の教育法だ。
翌朝、出社して驚いた。
机の上に部品が載っていた。
海外への技術流出と日本の空洞化は止まらない。
不安になることはある。
それでも「日本ではもう、
彼らのようなひたむきな人材を探すのは難しいかもしれない」と思う。
あの日、「よくやった」と声をかけると、
スタッフははにかむような笑みを浮かべた。
その表情を見て思い出した。
吉川さんと徹夜で作業に没頭し、やり遂げた朝のことを。
とても素敵な話ですね。
その一方、日本のモノづくりの現状と、
フィリピンにおける就労の実態や彼らの仕事への意識が垣間見えます。
この話、同感だなと思ってしまうのは、僕だけ???
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