2009年02月04日

私のトラウマ。

一般の方にとって『家庭』や『家族』はいちばん安らげる場所だと思います。

でも私の場合は全く違いました。

父は自己中心で、こどもをこき使う人でした。
気分に、ひどいむらけがあって、感情が安定しない『感情障害』でした。
自分の気分でしょっちゅう怒鳴っていました。
時には手が出る事もありました。

母には奇妙な性格傾向がありました。
『勝手に自分で思い込んでしまう』といったものです。

例えば『父と息子は仲の良いものである』と思い込んでいたそうです。
ひとたびそのように思い込むと、私が父親にわけもなく怒鳴られたり、殴られたりしていても、仲良くしてるとしか把握していなかったそうです。

また母は『他者の気持ちを思いやる能力』を持ち合わせていませんでした。

ですから、幼稚園や学校で辛いことがあったり、日々自分に起きた辛いことを相談しても、逆に怒鳴られてしまう始末でした。

更に母親には『こどもの表情から気持ちを汲み取れない』といった致命的な人格障害がありました。

そんなわけで、ずいぶん幼い頃から、母に相談することをあきらめてしまっていたようです。

ですから、私は、かなり幼い頃から、困ったことや、悩み事、辛い事があっても、自分で考えて解決しなければなりませんでした。
つまり『こども』ではいられなかったのです。

両親から、豊かな『幼児期』を与えられるどころか、奪われてしまったわけです。

私はそういった、誰しもが当たり前に過ごす『幼児期』を得られないままに、5才の頃にはすでに理性が芽生えてしまっていました。

そうでなければ、私の産まれた家庭では生きて行けなかったのです。
必然性の結果です。

相談相手として父親は論外でした。

姉も論外でした。

私の産まれた家には、事実上、親と呼べる人が居なかったし、姉も、ひどい人格異常で、私には実に嫌な存在でしかありませんでした。

家だけがあって、そこにセックスのできる男女が居て、セックスして、赤ちゃんを二人作ってしまった。

その4人が一つの家の中に居るだけ。

それが私の産まれた家でした。

そういった父親を育てた祖父も祖母も、かなり異常な人格でした。
母親の祖父であり祖母も、決して円満な性格ではありませんでした。
特に『親としての能力』に著しく欠けた人達でした。

私は産まれてすぐに孤独になりました。

心を許して甘えられる母親が居ない寂しさは痛切なものでした。

心を許していると、突然怒鳴りつけたり殴る父親や姉の存在は、大変な恐怖でした。

私は、自分の『痛切な寂しさ』や『恐怖』を『抑制』し、いつしかそれは『抑圧』されてしまいました。

これが私の『トラウマ』です。


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Posted by 阿部康晴 at 10:39  |Comments(196)TrackBack(132) | 異常だった生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月28日

『精神科医』と『カウンセラー』<精神病って?>

人に産まれた以上『完全な人』なんて一人も居ませんよね。

この世に『完全に正しい人間』なんて居ませんし『生き方の正解』なんてのもありませんもんからネ。

人間には、産道と、赤ちゃんの頭の大きさの関係があるんです。

赤ちゃんの脳が完全に完成してしまったら、産道を通れなくなっちゃいます。
出産時に母子共に確実に死んでしまいます。

これが人間の宿命です。

ですから、人間の子は、みんな『未完成の脳』の状態でこの世に産まれ出ます。

その後の環境が母親の『羊水』の中のように完全であることなど不可能です。

ですから、良いにつけ悪いにつけ、未完成な赤ちゃんの脳は、環境の影響をもろに被るわけです。

そんなわけで人間は他の生き物とは違って、自然界とはそぐわないわけです。

あるいは「完全な人間など一人も居ない」と言い切れるわけです。

『精神病』といった言葉や『精神科』といった言葉にはかなり語弊があると常々感じます。

赤ちゃんは無垢で産まれます。
ですから脳の病気さえなければ、心は健全に産まれて来ます。

でも、その環境によって、大なり小なりみんなどこか違っていて、完全ではありません。

もしも『精神病』という言葉を使うのであれば『完全に正しい人間』など絶対に居ませんから、人間は全員『精神病』です。

脳の疾患による異常を除いて考えれば、環境によって、様々な性格が出来上がるだけのことなんです。

その性格がそこそこで、人間社会で甚だしく逸脱して、多大な迷惑をかけたりしなければ問題にはならないわけです。

あるいは、その性格で、自身がひどい苦しみを覚えることがなければそれでいいわけです。

『無くて七癖』と言いますね。

つまり自分の性格の癖を把握するのはかなり困難なことです。
相当に努力しなければ、まず自覚することはありませんよね。

もしも、性格の癖で、生きることが甚だしく苦しくなってしまったり、死にたい程になってしまった場合は、その『性格の癖』を見つめ直す必要性が出て来ますよね。

そういった『性格の極端な癖』をちゃんと観てもらうのが、いわゆる『精神科』であり『精神科医』なわけです。

お医者さんは、診察をし、診断をして『病名』をつけないと治療ができませんから、その『性格の癖』を既に分類してある『病名』に振り分けます。
そして、その『病名』があてがわれるわけです。

これが社会的に言うところの『精神病』であり『精神病の患者さん』です。

ですから、言ってみれば、社会的に他者にとんでもない迷惑をかけたり、生きるのが地獄のように苦しくなってしまうような『性格の極端に困った癖』=『精神病』というわけです。

ひらたく言えば、みんなどこかハンドルの歪んだ自転車をこいで生きているようなものです。

それが乗りこなせる程度のハンドルの歪みであるか、長いことこいでたら、事故を起こしたり、事故に遭うほど危険であったり、あるいは、こぐことが不可能なほどの極端な歪みであったりといったようなことです。

でも、これも、時代背景で、全然違って来ますよね。

例えば、ナポレオンもヒトラーも織田信長も相当に残忍で『極端な癖を持った性格』でした。

自転車のハンドルはかなり歪んでいたわけです。

でも、時代背景で、戦争が終ったら、史上最悪の罪人となったり英雄視されたり、伝説の武将になっちゃうわけですもんね。

ちなみに、ひどい性格の歪みを持っておられても自覚が無い場合があります。

例えば、元赤軍派の重信房子は自身の行った残忍な行為を『正義』であると疑うことなく生涯を終え、逝ってしまうことでしょうね。
手錠をはめられたままでテレビカメラにピースサインしてましたもんねえ・・・。

そんなわけで、極端に性格が歪んでしまっている人って、案外自覚が無いんです。

ですから、まず自らを疑ったりすることはありません。
ましてや自ら『精神科』に足を運ぶなんてことは絶対にしません。

ご自身を「大丈夫かな〜?」と心配なさる方もいらっしゃいますね。

そういった方はまず間違いなく健康です(^-^)

生きるのが苦しくてたまらないから「大丈夫かな」だったら、受診をお薦めしますけどね。

そこそこに社会の中で、暮らして行けるのであれば、ことさらに問題無いわけですもんね。

あるいは、どういうわけだか、世間からクレームの嵐であるとか、警察に逮捕されまくりなんてことも無いなければ、まず間違いなく、そこそこには健康ですよね。

そういったわけで、みんな、ちょっと曲がったハンドルの自転車をどうにか上手に乗りこなして生きているわけです。

しかしそれがどうにもならない状態になったり、とても乗りこなせないような自転車であった場合は、どんな具合にハンドルが歪んでいるのか?確かめたり、その乗りこなし方を検討したり練習したりする必要がありますよね。

そういった観察をするのが『精神科』であり的確に観察して、どこがどういう具合に乗りにくいのか?を観て下さるのが『精神科医』です。

そして、その結果を受けて、より具体的に、どんな具合に自転車の調子がおかしいのかを分析して下さったり、その結果を考慮に入れて、実際に如何に乗りこなすか?といったことを一緒に考えて下さったり、あるいは、乗りこなすトレーニングに付き合って下さったり、アドバイスして下さったり、見守って下さるのが『カウンセラー』であり、現実に乗りこなす苦労から出る嘆きに耳をじっと傾けて、受け止めて下さったりするのが『カウンセリング』とも言えるかもしれません。

精神科医は、そういった厳しいトレーニングやそれにともなう嘆きの際の負担に対して、対処療法として、適切な向精神薬を処方
して下さいます。

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Posted by 阿部康晴 at 08:05  |Comments(108)TrackBack(1) | 治療の過程 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月14日

怒り憎しみがそれないように<嘆きの治療>

カウンセリングで語ったり、自助グループの被害者の方々を観ているうちに、私は自分の生い立ちがはなはだしく異常であったことをようやく認識できるようになれました。

なかなか感情が出なくて、もどかしかった、その感情が溢れ出て来ました。

どうしようもない怒りと憎しみが噴き出して来ました。

決して大袈裟ではなく、私を何十年も苦しめた、父の立場である人。母の立場である人。姉の立場である人。

直接に会ったら、私は何をしていたか解りません。

彼らは今も世間体を守って、いい人の顔でのうのうと生きています。
そして、自身『人徳者』であると思い込んでいます。

彼らによって被った被害を考えると「本当に悔しい」といった状態を通り越して「全てを世間に暴露してやりたい!」

「奴らに自分の苦しみを思い知らせてやりたい!」

そういった身体の具合がおかしくなるほどの憤怒であり憎しみが体中に充満しました。

しかし、そのまま憎しみに飲み込まれてしまったら、私の快復はそこでストップします。

憎しみに身を焦がし、その憎しみは日々増大して行きます。
結果、人生を更に喪失することになってしまいます。
そうなったら、また憎しみは膨れ上がります。

ですから、そういった憎しみや憤怒を彼らに直接ぶつけずに、自助グループや、カウンセリングで充分に吐き出しました。

嘆きは実に体力を消耗しました。
精神的にも堪え難い苦しみでした。

でも、私が治療を始めた当初の目的は、自身の快復の為です。

仇を打つ為などではありません。

これは、正論であって、現実は理屈通りに行くものではありません。
私は心のある生身の人間です。

本当に苦しかった。

かなりの高等な治療の技術ですが、過去の彼らのイメージに対して怒りや憎しみをぶつける日々でした。

心の底からの必死の嘆きの後は、ちゃんと精神安定剤を服用して休みます。

そういった治療の過程は半年以上も続きました。

本当に辛かった。

でも、嘆くことで、本当に少しずつ私はその苦しみから解放されて行きました。

父と姉とは絶縁しました。

これは、主治医の指導であり、カウンセラーのN先生の指導であり、心理分析のH先生の指導でした。

各々の方が別個に私に「お父さんのことは生涯忘れましょう」

そうおっしゃいました。

親殺しであり、親の子殺しが後を断たないのも無理は無いと感じます。

それについて私が何も申し上げるものではありません。

私自身は、幸いにも、凄まじい、怒り、憎しみに、紙一重で飲み込まれずに、嘆きで、それらをかなり浄化することに成功しました。

でも、完全ではありません。
今でも苦しみは残っています。

ただ、彼らと縁を断って、自分の行きたい未来へ向かうことが可能になりました。

トラウマが消えるわけではありません。
PTSDが消えるわけでもありません。

それらを自分の持病として、引き受けて行く決心ができるまでになれました。

ようやく過去のしがらみから抜け出すことに成功したわけです。

もし、私が子をもうけても、その子にトラウマを与えることはありません。

トラウマに支配され続けた人生ともサヨナラできました。


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Posted by 阿部康晴 at 20:30  |Comments(5)TrackBack(1) | 治療の過程 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月12日

歪んだ心の姉<父の暴言>

幼稚園の頃でしょうか。
両親は早くから外出しました。

私は、暴力や暴言を吐いて、私の心を深く傷つけることをしていた姉と留守番させられていました。

私は二階に居た姉の部屋からいちばん遠い、東側に突き出た四畳半の部屋で、炬燵に入って、自分のことをしてすこしていました。

姉が私がすごしていた四畳半の部屋に度々入って来ては頭をこづいたり、髪の毛を引っ張ったり、実に嫌な言葉をぶつけたりと、いつもの嫌がらせをするのです。

さすがに堪り兼ねた私は怒って姉の後を追うのですが、二才半の年の差は大きくて、全く追いつけませんでした。

悔しさを抱えながらも、また炬燵の部屋に戻って静かにすごしていると、姉が実に嫌なことをしに来るのです。

私は部屋の引き戸に泥棒が入らないように窓に設置する鍵を取り付けました。

姉は引き戸を力任せに揺らして、そんな鍵は簡単に外して、私の一番嫌がるようなことをしては、また逃げるといったことを繰り返しました。

本気で怒った私は、台所にあった椅子を持って姉を追いかけました。
その時点で姉に追いつくはずが無いと解っていたのですが、本当に悔しくて怒りが爆発していたんです。

姉はとっくに階段を駆け上がって、自分の部屋に逃げ込んでいました。

私は自分の怒りのやり場が無くて、その椅子で階段を力任せに何度か殴りました。

姉が階段の上から「アホや。あんた、エラい事したって解ってるか」とせせら笑いました。

私はその途端にゾッとしました。

父親が新築した家を舐めるように大事にしていたことを思い出したからです。

私は全身から力が抜けてしまいました。
その場に椅子を転がしたままで、茫然となって、炬燵の部屋に戻りました。

私は父が家に帰って来たら「いったい何をされるのだろう・・・」
「どんな目に遭わされるのだろう・・・」

本当に真っ暗な気持ちになりました。

怖くてたまりませんでした。

姉は階段に傷がついていると大騒ぎをしていました。
父親に言いつけてやると喜々とした声で騒いでいました。

そうした声がどこが関係のない世界の声のように感じました。

絶望的な気持ちで茫然としていました。

夕刻を過ぎましたが、部屋の明かりもつけずに、炬燵のテーブルの上に突っ伏したまま、何も考えられませんでした。

夜になって、両親が帰って来ました。

私は茫然としたままでした。

姉が階段をかけおりて、父を階段の所へ引っ張って行く騒ぎの声が聞こえていました。

「康晴やで!あの子がこんなことしやってん!ほら、こんなに傷がついてるやろ!あの椅子で殴りやってん!」

姉の騒ぐ声が聞こえていました。

父親が狂ったように「人殺しになる!あいつは将来人殺しになる奴や!こんな真似をする奴は絶対に人殺しになる!」

そんなふうに私が将来人殺しになると絶叫していました。

母親が私のところへすっ飛んで来ました。
私はそんな母の顔も見ませんでした。

「あんた、お父ちゃんにあやまりなあ!はやく両手をついてお父ちゃんにあやまりなあ!」

私は頭がぼうっとしていました。

母はパニックのように父の所と私の居る所を行ったり来たりしました。
「わけを言いな!あんなことをしたのには何かわけがあるねやろ!な!わけを言うて、お父ちゃんに謝りなあ!」

そんな込み入ったわけが、幼少の私に語れるはずもありません。

私は母を相手にしませんでした。
何も語らず、黙ったままでした。

父親にどれだけひどい目に遭わされるのかも、もうどうでもいいほどに茫然としていました。

それからしばらく騒ぎが続いていたようです。

私には「あいつは将来人殺しになるぞ!」といった父親の言葉だけが今も耳に残っています。

そして今、いったいどうして『人殺し』などといった発想が父の頭に浮かんだのかということが、私の心に強くひっかかっています。

人は、自分の心の中にある言葉以外は浮かんでは来ません。

いったいどうして私の父の心の中に、自分の息子が将来人殺しになるなどといった言葉が浮かんだのか。

その真実を確かめたくても、父親にはそういった暴言を吐いた記憶も、階段の傷がなぜついているのかといった記憶もありません。

奇妙なことに、当時ひどい混乱状態を見せた母親は、その父の暴言を記憶していません。


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Posted by 阿部康晴 at 21:18  |Comments(0)TrackBack(4) | 異常だった生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間違いの無い、快復への努力の為に。<快復への指針>

偽物の精神科医。
あるいは、治療経験や臨床経験の不足した精神科医が沢山おられるのが現実であることを私は多くのお医者様や、カウンセラーの方々とお会いして来て感じます。

オリンピックの選手であっても、プロ野球の監督でありコーチであっても、様々に他者を適切に成功に導く力量を持った方の元での努力は報われる可能性が高いですよね。

あるいは、登山にしても、経験の豊富な、実に適切で冷静な判断を常に下せるリーダーについて行かないと遭難してしまう危険性が高いですよね。

患者にとって、主治医であり、カウンセラーを選ぶことはそれと同じだと考えます。

私自身感じますことは、その精神科医であり、カウンセラーとお会いした後の実感。

「ああ、先生にお会いして良かった」と感じる実感。

そして長期的に見て「以前よりも自分が快復へ向かっている」といった確かな実感。

この『実感』だけが、真っ暗闇の中を、怪我をせずに、正しい方向へ導いてくれる唯一の『羅針盤』であると考えます。

こうした実感が得られない医者でありカウンセラーと付き合っていたら、努力が虚しいですし、症状は悪化します。
そして、貴重な時間とお金を無駄にします。

快復への指針は、自分の快復への実感だと感じます。

ですから、自分との対話は実に重要なものとなります。
心の奥底の本音との対話であり、自分の身体との対話でもあります。

幸いにも、私が本格的な治療を開始するきっかけとなったR先生は、実に誠実で、臨床経験も豊富な方でした。
またご自身に対しても実に厳しい方でした。

治療の現場では、私が納得するまで実に根気よくお話しをして下さいました。

あるいは治療方針の説明なども、実に丁寧でした。
そういったことがあって、腑に落ちているからこそ、厳しい治療や、苦しい症状に耐えることができたのだと思います。

また、確実に私の気付きは増えて行きました。
自身で自分の変化を実感できるようになって行きました。

そういったことはカウンセラーの先生にも全く同じことが言えたと感じています。


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Posted by 阿部康晴 at 20:30  |Comments(0)TrackBack(3) | 治療の過程 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

快復に王道はありません。<カウンセリング>

トラウマの快復は理論的にはありません。

なぜなら、それは記憶に関わる病だからです。

トラウマとは、すなわち、身体に症状を起こす程の強烈な記憶です。
私の場合はその為にトラウマとなった出来事を回想できても、その時の感情が出ませんでした。

まるで他人毎のように、あった出来事を淡々と語ることしかできなかったのです。

感情は無意識の中にしっかりと封印されてしまい、出て来ないのです。

あるいはトラウマとなった出来事自体を完全に無意識の中に封じ込めてしまって回想さえできない場合もあります。

私の場合もそういった、思い出せないトラウマが多々あるようです。

私はN先生に率直にお尋ねしました。

「トラウマやPTSDの治療法はあるのでしょうか?」
「快復の道のりに王道はありません。その方それぞれに、様々な快復の道を歩まれるだけです」

私はこのお答えを伺ってN先生を信頼する気持ちになれました。

誠実に本当のことをおっしゃる方を私は信頼するからです。
耳障りの良い事を言ってごまかすような方でしたら、N先生のカウンセリングはお断りしていたと思います。

N先生は常に私に対して誠実でした。
私もN先生に対して全てをありのままに語るように心がけていました。

そういったカウンセラーとクライエントの関係が徐々に構築されていったことは、私の快復にとって大きなプラスとなったと確信しています。


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Posted by 阿部康晴 at 20:09  |Comments(0)TrackBack(2) | 治療の過程 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いったい何の為に?<カウンセリング>

日々の生活を送る気力も湧いて来てくれない状態でした。

そんななかで車で往復1時間半の道のりを無事に運転して、行って帰ってくるなんて、ほんとうに嫌でたまりませんでした。

「いったい何の為に行くんだ?」

ほんとうにわからなくなってしまうことがままでした。

でも、出かけるんです。
とにかく出かけてみるんです。

そうやって精神科にたどり着いても、予約時間ちょうどにカウンセリングは始まりません。

他の患者さんがその持ち時間を10分オーバーすると、
3名で30分遅れるわけです。

いつも30分〜1時間以上は待合室で待つことになります。

決して健康な心理状態ではありません。
布団の中でも、うつ病の苦しみに苦しむような状態でした。

ですからそうした待ち時間は相当に長く、苦しく感じました。

滅多に無いことなのですが、予約時間通りに呼ばれることもありましたから、遅い目に出かけるというわけにも行きませんでした。

そんな苦労の末にN先生のカウンセリングを受けるわけです。

一週間分の出来事をまずお話しします。

どんな体調であったか?
どんな気分であったか?
何か異変はなかったか?
変わった出来事は無かったか?

持ち時間は45分〜60分です。

それが終ってから、ありのままの自分について語ります。
その時の実にたまらない苦しみ。
生活や暮らしの不安。
長期休職に対する不安。

更に過去にあった、実に辛かった出来事を語ります。
それらはどれだけ語ってもキリがありません。

私のあとの方に迷惑がかからないように自分の持ち時間を守って話したいといった気持ちはありました。

でも、これだけのことを45分〜60分にまとめて語ることは、うつ病を抱えていた私には至難のことでした。

それでも快復を目指して、自分の中の胆石を出すような気持ちで、痛みを感じながらも必死で語りました。

N先生は、話のキリのよいところと、時間をご覧になられて

「今日はここまでにしましょう」

とおっしゃいます。
そして次の予約日と時間を決めます。

私はそこで、もっと質問したいようなことがよくありました。
しかしN先生は、やんわりとそれをお断りになります。

もちろん治療時間の制限のことはありました。

しかし、このことが実に大切なことだと解るようになって行きました。
『すがりつき』といったことが生じがちだったのです。
つまり依存心です。
その日に全てが解決するようなら苦労はしません。
ですから次の機会にその話をするのが合理的です。

しかし依存心が強く『すがりつき』あるいは『しがみつき』の性格傾向があった私は、なかなか次の機会にといったことができなかったのです。

N先生は、そういった私のことをよくご存知でした。

更に大切なことに、N先生は、そこでカウンセリングを終了しても、私が大丈夫である。
そんなふうに私のことを信じて下さっていることに気がつきました。
それは私にとって大きな自信へとつながって行きました。

N先生の私に対する信頼は決して無闇なものではありませんでした。
毎回N先生の究極のご判断がそこにありました。

そういったN先生の態度を感じるごとに、私の中で、自分を信頼する気持ちが育まれて行きました。

思えば、私の両親はそんなふうに私を信頼してくれたことなど一度もありませんでした。

またN先生は、たとえ時間が過ぎても、私の快復にとって実に重要な話題に触れていると判断なさった時には、充分過ぎるくらいに時間をとって下さいました。

そういったことがありましたから、私はどんなに予約時間からカウンセリングの開始時間が遅れても文句を申し上げたことは一度もありませんでした。

カウンセリングを終了すると、相当にくたびれています。

ただでさえ辛い状態の時に、更に辛い話をするわけです。
話している最中はかなり集中しています。

そういった強い疲労感を感じながらも、なぜだか来る時よりも心が軽くなっているといった体験をずっとしていました。

その感覚が身体や記憶に残っていたからこそ、

「いったい何の為に行くんだ?」

と思っても、迷っても、私は必ずカウンセリングに足を運んだのだと思います。


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Posted by 阿部康晴 at 19:55  |Comments(0)TrackBack(1) | 治療の過程 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月11日

骨折に気がつかない母親。

小学校の3年生の時でした。
歩いて10分ほどの公団に暮らしていた友達の誕生パーティーに呼ばれました。

そのJ君とふざけてて、J君が私を背負い投げしました。
全く柔道の経験など無い二人でした。

私は肩から落下しました。
ひどい激痛でした。

おかしなことにその激痛が引きません。

そこのお母さんが、私の顔色が悪いことに気がついて

「早くお家に帰った方がいいよ。骨が折れているかもしれない」

で、私は歩いてお家に帰ったのです。

激痛はほんとにひどくて、歩く振動の痛みは物凄いものでした。

家にたどりついたのですが、母は私の異変に全く気がつかないのです。

母は台所で炊事をしていました。

私は、外で悪ふざけをして、身体を痛めたなんて言ったら、ひどく叱られると確信していました。

隣の真っ暗な部屋の壁にもたれて、その考えられないような激痛をじっと耐えていました。

泣いていないのに、目から涙がボロボロとこぼれ出るのが不思議でした。

「痛過ぎると涙が出るのかなあ・・・」なんて思いながらじっとこらえていました。

「あんた!何してんの、ごはんができてるねんで!」

いつものガミガミ声で母が怒鳴りました。

その声さえも辛いほどでした。

「あんた、真っ暗なとこで何やってんの!ごはんができてるていうてるに!」

母が明かりをつけました。

「何で返事をしいひんの!どっか具合でも悪いんか?」

私は肩が痛いと言いました。

そこでようやく私の異変に気がついた母でした。

私はかならず「ただいま」と言うようにしていました。

その日の「ただいま」は本当に絞り出すようにして、蚊の鳴くような「ただいま」だったかもしれません。

黙って隣の部屋に入って行くのも不審に思わなかったようです。

真っ暗闇の部屋で、静かにしていることも不審に思わなかったようです。

後の心理分析で私の母には様々な人格異常があることが解りました。
その一つに『子の表情や気持ちが汲み取れない』といった子育てには致命的な欠陥があることがありました。


整骨医院に自転車の後ろに乗せられて行きました。

鎖骨が折れていました。

奇跡的に骨が『へ』の字の状態で止まっていてくれました。

もしもそれが、下に折れたら、折れた鎖骨は真下にある肺を突き破って、私は窒息死していた可能性がかなり高かったそうです。


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Posted by 阿部康晴 at 23:29  |Comments(0)TrackBack(2) | 異常だった生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

犬だけが家族やった。

小学校6年生の時に保健所でもらってきた子犬。

しっかりと育ってくれました。

そして、あの子だけは、いつでも暖かかった。

あいつとずっと一緒に居たかった。

あいつがベランダで座った姿勢。

私はそのしっかりした背中を撫でながら一緒に誰も居ない庭を眺めていました。

あいつとずっと一緒に居たかった。

あいつと居る時がいちばん心許せる一時でした。

あの子の優しい気持ちや、暖かい背中。

学校から帰ると、ほんとうに喜んでくれた。

一緒に散歩に行きました。

死因は母がゆるんだ首輪のままで散歩に連れ出したので、首輪が抜けてしまって、行方が解らなくなっって、姉が道路の前で顔を出したり引っ込めたりしていて、そこにあの子が帰って来て姉の姿を見て道路を走って渡る時に車に跳ねられました。

私は母と姉があの子を殺したと思っています。

あの子は虫の息になって、血の小便を流しました。

あの子は私の腕の中で、私の目をじっと見つめながら逝きました。

当時感情鈍麻だった私の目から涙がこぼれて止まりませんでした。
私はこの世から空気が無くなったような息苦しい気持ちでした。

自分が生きる意味を失ったような気持ちでした。

何ヶ月もあいつのことを思い出して泣きました。

私にとって、あいつだけが私の本当の家族でした。


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Posted by 阿部康晴 at 20:07  |Comments(33)TrackBack(2) | 異常だった生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『認知行動療法』<3・自分を知ること>

私は自分の思うままに、その都度、一生懸命に考え、行動した結果として、死に至りかねない状態にまでなってしまいました。

それは35才の時でした。

つまり、その生き方は、死に至る生き方であったことが立証されてしまったわけです。

ではいったい、自分のどういったところが、死に至る原因となっていたのか?

それを知る必要があります。

また生きていて、実に苦しかったこともありました。

その原因も探る必要がありました。

その具体的な方法として、まず自分を知ることが大切です。

カウンセラーのN先生の指導の元、自分を知る方法として、A4の紙を手渡されました。

横軸は一週間です。

縦軸は24時間でした。

毎日、日々の暮らしをメモ程度にそこに書き込みます。

いつ起きて、昼寝はどれくらいしたのか?
食事はどんなふうにとったのか?
感情の乱れはいつ起きたのか?
症状はいつ起きたのか?

実に根気の必要な作業でした。

それも3年半続けました。

すると、症状がどういった原因で起きるのか?といった実に重要な因果関係がクッキリと見えました。

また、自分の暮らしの状態や、自分の感情がどういった事柄でどのように起きるのか?

自分はどのように行動する人間なのか?

そういったことが、手に取るように解りました。

私は自身が『ワーカホリック(仕事中毒・仕事依存症)』であったことが鮮明に解りました。

日記でもあることなのですが、ずっとそうした記録をつけたものをしばらく経ってから見返してみると、まるで他人のことを観察するように実に客観的に観ることができます。

また、この記録は、毎週のカウンセリングの時間短縮にも役立ちました。

N先生は、まず私が記録した用紙をご覧になって、それからカウンセリングを開始します。

すでに、どういったことがあったのか、まとまっていますから、カウンセリングは実に能率良く進むわけです。

N先生はそういった私の暮らしぶりや、キャラクターはもちろん、私の幼い頃からの交友関係、両親や姉との関係。
親戚との関係。
近所の中での関係。
影響した人物。
飼っていた動物の名前。
通った塾、学校などの名称。

とにかく私が語ることは全て記憶しておられました。

話が少しそれましたが、その用紙に自分で書き込んだことによって、自身を主観ではなく、客観的にとらえることができました。

つまり、認知できたわけです。

勝手に思い込んでいた自分の姿や印象とはまったく切り離された、ありのままの自分のことを自覚し認識できたわけです。

そうやって『認知行動療法』の基本となる、正しい『認知』に成功しました。

実に地道ですが、これが一番の近道であると私は今でも、やってよかったと確信しています。

それは私の生涯の財産となりました。
そして今でも役立っています。

主治医のおっしゃることが実によく理解できるのです。


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Posted by 阿部康晴 at 12:47  |Comments(0)TrackBack(2) | 治療の過程 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『認知行動療法』<2・『自動思考』『合理思考』>

人それぞれに、知らないうちに身に付いてしまっている思考パターンがあります。『自動思考』と言います。

それに対して『自動思考』を自分で客観的に観察し、考える、より良い理にかなった合理的な思考パターンのことを『合理思考』と言います。

『認知行動療法』の第一歩として、私はあるフォーマットが印刷されたA4サイズの紙を手渡されました。

紙を横にして、フォーマットが印刷されていました。
そのフォーマットは実に簡単なものです。

横に3分割されています。

その3分割された、左端の欄に、印象に残った出来事と、その出来事があった日付と時刻を書きます。

そして、その右隣の紙の真ん中の欄に、その出来事が「どんなふうな印象であったのか?」「どんなふうに対処したのか?」といった感情や行動(自動思考)を書き込みます。

その右隣の一番右端の欄には、その感情や自分がとった行動(自動思考)について、客観的に考えて、その時に湧き起った自分の感情や行動に対する感想を書きます。

そして、その出来事に対して、最良と思われる感じ方や行動方法を書き込みます。

実に、地道な作業ですが、何も考えないで生きて来て、重い病となったり、精神疾患を患って、にっちもさっちも行かなくなっているわけっです。

つまりそのままの『自動思考(知らずに身に付けてしまっている思考パターン)』では快復は有り得ません。

社会的に行き詰まったり、病となってしまった。あるいは死ぬところまで行ってしまったわけですから、知らずに身に付けた思考であり行動のパターンは確実に自分を苦しめる間違ったものであることは立証済みです。

ですから、このようにして、自分を窮地に追いやる結果となった思考パターンを観察し、理にかなった合理的な思考パターンや行動パターンを模索するわけです。

もしも、健康で、何の問題もなければこんな面倒なことをする必要がある筈もありません。

私の場合は、放っておいたら死ぬところまで行きました。

ですから、毎週一枚手渡される紙に、根気よく、自分にとって印象的だった出来事→その時にどう感じたのか?どんな行動をとったのか→それについてどう思うのか。もっと良い対処法はどんなものであるのか。

を書き込みました。

壮絶な苦しみと、快復への執念。そして、再び死の方向へ向かいたくないという強い気持ち。
もう苦しみは絶対に嫌だといった気持ちから、ほんとうに必死の気持ちがありました。

本当に根気よく毎週その紙を提出しました。

おもしろいことに、自分では何とも思っていなかった自動思考であり、行動のパターンが、不合理であることがよく解りました。

ですから、合理思考の欄に、より良い思考方法や、行動パターンがスラスラと書き込めました。

一週間で、印象的だった出来事な無ければ書き込まなくてもいいし、沢山あっても、そのうちの一つだけで充分です。

私はこれを3年半続けました。

そのことによって、自分の考え方や、行動パターンが大きく変化しました。

そのことだけでも、自分が生きることがずいぶんと楽になれました。


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Posted by 阿部康晴 at 12:02  |Comments(0)TrackBack(4) | 異常だった生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月10日

『認知行動療法』<1・概略>

精神疾患の治療=精神分析といったイメージがあるかもしれませんが、本格的な精神分析には10年20年といった大変な歳月を必要とします。

しかし、そういった精神分析をしなくても、ほとんどの精神疾患が、特定のパターンに分けられることが解って来たそうです。

それに応じて治療のパターンも確率しまして来たそうです。
ですから、大変な労力であり歳月がかかる『精神分析』の過程をパスして、治療に入るのが主流となってきたそうです。

中でも『認知行動療法』は、実に即効性のある治療法として注目を浴びましたし、今の精神疾患の主流となっているそうです。

精神疾患になり、完全に行き詰まったり、破綻したり、そこをついてしまった状態となったとします。

そういった自体になってしまった事実があるわけですから、それまでの思考パターンや、行動パターンがそうした状態になる原因であることは間違いないわけです。

普通に自転車を真っすぐにこいでいるのに、何度も溝にはまってしまう。
一度自転車から下りて、よく調べてみると、ハンドルがわずかに曲がっていた、なんてことがあったとします。

この場合、ハンドルが戻せますが、もしも戻せないハンドルの歪みであったなら、ハンドルがどのように歪んでいるか、を計算に入れて、自転車をこげば、溝にはまらずに、真っすぐに自転車をこげるようになって行けますよね。

そのうちに意識しなくても、その曲がったハンドルの自転車を乗りこなせるようになれるかもしれませんよね。

これが『認知行動療法』の基本です。

それまで行って来た方法であり、生き方で自らが完全に行き詰まったことを認めることから始まります。

その生き方を続ける限り、何度治療をしても、何度もひどい自体を招くのが道理ですよね。

ですから、自分の生き方や行動パターンが適切ではないことを認めます。
つまり自転車のハンドルが歪んでいることを認めます。

認められなくても、今までと違った行動を少しだけ行ってみます。
その結果、自分が求めていた成果が得られたなら、その新しい方法は使える新しい行動パターンです。

またその成果が得られた時に「絶対に無意味であると確信していた、新しい行動パターンが実は有効である」といったことをしっかりと実感し認識します。

そして、その新しい行動パターンを使って生きて行きます。

つまり、新しい『行動』をして、旧い、役に立たなかった認識を新しいものとし『認知』するわけです。
そしてその新しく『認知』できた行動パターンで『行動』し、再度「やはりこれは有効である」といった確信を徐々に強めて行きます。

こうしたことが『認知行動療法』です。

これは思考パターンにも応用できます。

『絶対に正しい』と確信していることが本当に自分の人生を豊かなものにしているのか?
行き詰まれば、当然、思考パターンであり、信念が間違っていた可能性は大きいですよね。

ですからそれまでは「そんなこと馬鹿げている」と確信していたり、考えもしなかった『新しい思考パターン』をほんの少しだけ試してみます。

その結果として、自分の求めていた状態やものが得られたのであれば、その思考パターンは、生きて行くのに有効なわけですよね。
行動パターンの場合と同じく、再度その有効だった『新しい思考パターン』を試します。
「やはり有効である」といった実感が得られれば、それを自分の生き方や考え方に取り入れて行くわけです。

これは、思考の『認知行動療法』です。

私はこの『認知行動療法』をずっと続けて、次々と新しい行動パターンや思考パターンを身に付けて行きました。

「青信号が赤信号だったのですか?」といったくらい衝撃的な信念や行動の仕方の過ちが多々見つかりました。

そして、生きることがずいぶんと楽になって行きました。
治療を開始して丸12年間なのですが、開始した時と今とではかなり人生が豊かで楽しいものに変わりました。

身体もずいぶんと楽になれました。

大雑把には、こういったことが『認知行動療法』です。

私がお世話になったカウンセラーのN先生は幸いにもこの『認知行動療法』をご専門に研究している方でいらっしゃいました。

私は本当に幸運であったと思い、感謝しております。



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Posted by 阿部康晴 at 19:11  |Comments(0)TrackBack(1) | 治療の過程 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自律神経失調症<発熱>

学生時代は下宿生活でした。

38℃以上の発熱があったら、医者に行くことにしていました。

ある日、身体がだるくて、頭痛がするので、体温計で体温を計ると38℃も熱がありました。

卒業制作の為に購入した、ボロ車を運転して、内科を受診しました。

先生が私に尋ねられました。

「熱と頭痛以外に何か症状はありますか?」

よく考えてみると、症状はそれだけでした。

そのようにお答えしますと、精神的なものから来る発熱だとおっしゃいました。

だから、そういった発熱の場合はそれがご自身の平熱だと考えて下さいとのことなのです。

もちろん、これも自律神経系の失調による症状です。

「でも先生、身体がひどくだるいですし、頭痛もありますが」
「そりゃ、38℃も熱が出ているのだから当たり前です。でも心配はありません。そのままで生活なさって下さい」

「運動などしても問題無いのですか?」
「全く問題ありません」

その頃から、37℃くらいの発熱はしょっちゅうです。
時折38℃を超えてしまうこともありました。

しかし、しばらくじっと安静にして横になるだけで熱が下りてしまうのです。

やっかいなのは、本当の風邪と区別がつかないことでした。

もちろん身体もしんどいし、気分もしんどかったです。

そんな体調のままで激務をこなしていました。


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Posted by 阿部康晴 at 16:14  |Comments(0)TrackBack(3) | 異常だった生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自律神経失調症<耳鳴り>

ことさらに気にしていませんでしたが、耳鳴りが止まったことはありませんでしたし、今もかなりひどい耳鳴りを抱えています。

静かな寝室で横になると、かなり大きな音に感じる耳鳴りがしていることに気がつきます。

あるいは、日常生活をしていて、椅子に座って目を閉じると、かなり大きな音に感じる耳鳴りがしています。

車の運転の後なども、相当に大きな音に感じる耳鳴りがします。

耳鳴りの仕組みは解りませんが、ストレスに起因しているそうです。
私の場合は、被ったトラウマで、常日頃、慢性的に強いストレスを感じていますから、耳鳴りもそうしたストレスで自律神経の調整がおかしくなって起きるとの主治医の説明でした。


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Posted by 阿部康晴 at 16:00  |Comments(0)TrackBack(2) | 異常だった生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自律神経失調症<立ちくらみ>

職場で歩いていて、なんのまえぶれもなく立ちくらみが起きることもままでした。

特にひどかったのは、しゃがんでいて、立ち上がる時に起きる立ちくらみでした。

一瞬、目が見えなくなります。

身体がグラッと揺れて、危険なので、もういちどゆっくりとしゃがむようなことをしていました。

自律神経が失調をきたすと、座っている状態の血圧から起立した状態の為の血圧になる反応が遅れて、脳に充分な血が送り込まれない為にこうした『起立性のめまい』が起きるとのことです。

しかし、めまい程度で、仕事を休むことなどできませんから、気にもとめずに仕事に忙殺されていました。

今にして思えば恐ろしいことをしていたと感じます。



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Posted by 阿部康晴 at 15:52  |Comments(0)TrackBack(3) | 異常だった生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自律神経失調症<真性めまい>

会社を長期休職し、バイトのグラフィックの仕事が終った途端に、グラッっとひどいめまいを感じました。

布団を敷いて横になると、天井が右回りにグルグルと回って見えました。

目を開けていると、気分が悪くなるので、ずっと目を閉じていました。

それまでもめまいは頻繁にありましたが、仕事があったので気持ちが張っていて、そこまではひどい症状が出なかったのかもしれません。

布団の中で目を閉じていても、頭がくら〜っとする感じがして、気分がひどく悪かったことをよく覚えています。

これも自律神経失調症の症状だそうです。

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Posted by 阿部康晴 at 15:43  |Comments(0)TrackBack(1) | 様々な症状 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自律神経失調症<下痢・便秘>

下痢がひどくなったのは芸大に入学した頃からでした。

更に、会社に入社すると、毎日下痢が続く状態になりました。

下痢が起きると辛いですから、停車駅の少ない急行列車に乗るのが怖くなりました。

何度電車の中で下痢が起きて、あぶら汗を流してその痛みをこらえたことでしょうか。

電車が止まったら、飛び降りてトイレに駆け込みます。

「トイレが開いていてくれ!」と祈るような気持ちで、ほんとうにぎりぎりで間に合って、便を無事出せた時は心の底からホッとしました。

職場での下痢は一日中でした。

日に6回くらいは下痢でトイレに駆け込んでいました。

あまりに下痢がひどくて、仕事の時間が取られてしまうほどでした。
その苦痛もあまりにひどかったので、胃腸科で精密検査を受けました。

胃腸には何にも異常が発見されませんでした。

「『過敏性大腸症候群』でしょうね」といった診断でした。

そこで、指摘されたのですが、先生が私の腸の動きをモニターでご覧になっていると、人の声がする度に私の大腸が激しく動くそうなんです。

これはトラウマが原因です。
トラウマが原因する症状ですから、これもPTSD(心的外傷後ストレス性障害)の一つです。

また私の場合は、下痢と便秘を交互に繰り返していましたし、今でも実にデリケートな薬物の服用によって、なんとか便が整ったり、また下痢となったり、便秘になったりします。

便秘は腸の動きがストレスによって緩慢になり、水分が過剰に身体に吸収されてしまい、便が固くなってしまうそうです。

こうした症状は自律神経の失調によっても怒ります。

私は、自律神経失調症の診断も受けていました。

尾籠(びろう)なお話しですが、車で通勤していて、車を止めた途端に下痢と解り、会社の駐車場から、トイレまでの距離が間に合わず、下着を汚したこともあります。

便秘は、大腸が過度の緊張でケイレン気味になっていますから、キリキリとした痛みや、ゴロゴロとした実に不快な感じをともないます。

そうした苦痛を持って眠って寝付きが悪いですし、寝付けても、どうしても眠りが浅くなって、慢性的な睡眠不足につながりました。

そしてまた自律神経の失調が悪化するといった悪循環にはまってしまっていました。


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Posted by 阿部康晴 at 13:48  |Comments(0)TrackBack(1) | 様々な症状 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私に無関心な父親<放置>

幼稚園にも入園していない頃です。

父の会社はまだ倒産していませんでした。
その会社の中で軟式野球の同好会があったようです。

私は父親につれられて、どこかのグランドに行きました。

グランドと言っても、フェンスが張ってあるだけの野原の草を刈っただけの所です。

遠くにこんもりとした森が見えました。

掘建て小屋がありました。

それがベンチに使われていました。

大人が4人腰掛けられる程度で、板が貼ってあるだけで、雨風もしのげない、バラックでした。

私はその砂で汚れた使い古された板のベンチの上に座らせられました。

何度もチェンジがあるのに、父親はそのまま草野球が終るまでベンチに戻っては来ませんでした。

草野球のメンバーの見知らぬ大人の人達がチェンジの度に、ベンチを入れ替わりします。

気のいい見知らぬおじさんが「ボク、どこの子?」と尋ねてくださいました。

私は父親が居る方を指差しました。

そのおじさんは「ちょっと待っとりや」と近所の駄菓子屋さんで見た事もない楽しい容器に入ったマーブルチョコを買って来て持たせて下さいました。

私はそれを大事に大事に食べながら、ずっとそこで父親が戻って来るのを待っていました。

チェンジの度に、父を探すのですが、どこにも見当たりませんでした。

そのうちにチョコが無くなりました。

容器の形がロケットみたいなのです。

「ひょっとして」と思って、容器をグッと握ってみると、ロケットの形の蓋が「ポンッ」と飛びました。

私は、ひとりでそうやって遊んで時を過ごしていました。

でもその遊びにも飽きてしまいました。

本当に長い時間に感じました。

退屈でしたし、見知らぬ男の人達ばかりが出入りなさいますし、話しかけて下さる方もいらっしゃいませんでした。

きっとみなさんお若かったのかもしれません。

本当に退屈の限界で、ベンチの周りをひとりでうろうろと歩いたりしていました。

ようやく草野球が終ったのでしょうか。

父親が戻って来ました。

でも私に「悪いな、ずいぶん待たせたな」なんて声は一切かけてくれません。

父はまるで私が他人の子でもあるかのように、ゆっくりと自分の身体の汗を拭いたり、着替えたりしているだけです。

そしてようやく家路につきましたが、父親は何も語りません。

いったい何の為に私を草野球に連れて行ったのか。

「自分にはこんな息子がいるんだ」と会社の同僚に自慢したかったのかもしれませんね。


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Posted by 阿部康晴 at 11:09  |Comments(0)TrackBack(4) | 異常だった生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自助グループへの参加<貴重な共感を得る場所>

自助グループとは、家庭環境の異常で、居場所が無く、語る相手も居ない状態であるような方々が、場所と時間を決めて集まり、その苦しみや、過去の生い立ちなどを語る場所です。

また他の方々の話に耳を傾け、共感することで、自分のことを客観的に見つめる場所でもあります。

他者が語ったことに関して一切批判しない。
そこで語られたこと聞いたことはカウンセリングのように一切口外しないのルールで行われます。

あまりに特殊なので、話せる相手が少ない現実は、まるで子を愉快犯で惨殺された親御さんのようです。

拉致被害者の会といったものもあるようですが、拉致被害もごく少数ですから、そうした会も必要不可欠でしょう。

このように、現実問題として、トラウマやPTSDを語れないといったこと、あるいは共感できないといったことがあります。

私の体験ではトラウマといった言葉を口にしますと、一般の方はどうしても白い目でご覧になられるようです。

あるいは精神科に通院していると話すと、かなりの偏見を持たれてしまいます。

トラウマでありPTSDは様々な、ひどい症状を抱えますが、例えば統合性失調などのような、妄想などは全くありません。

暴力的なことも全くありません。
むしろ、非常に内気で、実にモラルやマナーがあります。

しかし、残念なことに、現在の医療では精神病として十把一絡げにされてしまいます。

精神病患者に対する世間の偏見は非常に強いものを感じます。

例えば私の勤めていた会社では精神疾患の人間は雇いませんし、もしも、職場で精神病となった場合、解雇の事由となりました。

精神病は遺伝するといった偏見も根強いようです。
あるいは精神疾患の患者は凶暴であるといった偏見もあるように感じます。

トラウマを抱え、その苦しい症状でありPTSDとなっても政府の援助はありませんし、そういった病名をご存知の方は滅多にいらっしゃいません。

素直に話すと先にお話ししたように強い偏見を持たれることもあります。
ですから普段の暮らしの中ではことさらに語らず隠すしかありません。

そういった意味から『自助グループ』というのは実に貴重な場所でです。
私は『トラウマ被害者の会』というように解釈して、3年半ほど通い語り続けました。

また、自分と同じようなトラウマであり異常な生い立ちの方の話に耳を傾けることをしました。

その体験は、私にとって、とても大切な体験となりました。

思えば、死と隣り合わせの苦しみを抱えて、出かけるのも必死なのです。
うつ病の方もおられます。

そういった方々が、一銭も儲からない、楽しくもない所に集まるといったことだけでも「凄いことだ」と感服しました。

あるいは、そうやって快復を目指す志は大変なものです。

私はそういったことを感じた時に、自己嫌悪だった自分も、その仲間の一人であることに気がついたのです。

「自分は本当によくやっているな」と誇らしくさえ思えました。

それも『自助グループ』で得た大きな財産です。

自己嫌悪しなくなりました。


また、カウンセラーや主治医は、誠意を持って私の異常な生い立ちであり、語ることに耳を傾け、理解を深めて下さいます。

しかし、共感は不可能ですよね。

そういった共感の無い病の孤独感であり孤立感も『自助グループ』では、何も語らずとも解り合えます。

そうしたことも私にとって大きな救いとなりました。

また「決して私だけではない。今もみんな症状を抱えながら頑張って健気に生きているんだ」

あるいは「凄惨な家庭で必死に生きているんだ」といったことが私に生きる勇気をくれました。


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Posted by 阿部康晴 at 01:58  |Comments(0)TrackBack(4) | 治療の過程 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

悪夢。

悪夢と言えば一般的には「誰かに追いかけられる夢」とか「落ちる夢」などがありますね。

眠って、夢を見ている状態のときには、無意識の蓋が緩むそうです。

ですから、無意識下にトラウマを抱えていますと、トラウマとなった出来事が夢の中に出て来てしまいます。

ベトナム戦争や、あらゆる戦場に身を置いた兵士が帰還後に戦場での凄まじい恐怖の光景を、夢の中で生々しく見て、ガバッと起き上がり、あぶら汗を流し、心臓はバクバクし「ハアハア」と激しい息づかいとなることなどはしょっちゅうあるわけです。

パニック症状に陥る場合もあります。

これはPTSD(心的外傷後ストレス性障害)の典型的な症状の一つです。

私は小さな羽虫に全身真っ黒にたかられ、その羽虫に食べ尽くされて消えてしまって、ガバッと飛び起きたことがあります。

体中を侍に切り裂かれたり、槍でブスブスと腹部を刺し殺されるような夢などもよく見ます。

乗っているエレベーターが急速で落下する夢はしょっちゅうでした。

五重塔の先端の九輪のところにしがみついて、塔が揺れる夢。

馬の首が次々に切断されて、土の上にどすん、どすんと5本くらい立った夢なんかも見たことがあります。

あるいは、自分がどんどん巨大化して宇宙よりも大きくなってガバッと目覚める夢はよく見ました。

その逆に、自分がどんどん小さくなってついには消えてしまってガバッと飛び起きるような夢も見ました。

とにかく眠ると悪夢ばかりなので、眠ることが怖くなってしまったことさえあります。

そうした悪夢を見て目覚めたときは身体はカチコチになってしまって、眠る前よりもグッタリと疲労し、肩こりは尋常ではなく、頭痛がします。

悪夢を見ても、記憶した状態で目醒めないように。
あるいは、悪夢を恐れずに眠れるように『睡眠薬』を処方して頂くしか方法はないのですが、私の場合はそうした『睡眠薬』も効果はありませんでした。

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Posted by 阿部康晴 at 01:20  |Comments(0)TrackBack(0) | 様々な症状 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする