2006年07月03日
あきの70路を語る・・・576
人が生き延びようとする力の強さ。それは岩の住居の凄さより、まだ上手がありました。地下の蟻の巣のようなカイマクル地下都市です。ここでは地下八階まであると聞いて驚きました。
じっさい地下都市に入ってみると、蟻が巣を掘ったような感じです。今日も写真ブログでないと、この感覚はつかめません。何しろ7〜8000人が暮らしていたそうです。
ところどころに落とし穴があったり、急襲のときに閉める石の丸い扉があったりと、いろいろな工夫を見ました。その他、空気の取り入れ方、急な連絡の取り方、水はどうする。排便はどうするなど。興味津々で質問してきました。驚いたのは、ワイン製造までしていたことです。飲ん兵衛の為ではありません。キリスト教は、儀式をするときにワインとパンを使うのです。いかに宗教が生きることに直結していたか、大切だったかを、これを聞いて強く感じました。
http://blogs.yahoo.co.jp/takino6525/folder/1059682.html(関連・写真ブログ)
じっさい地下都市に入ってみると、蟻が巣を掘ったような感じです。今日も写真ブログでないと、この感覚はつかめません。何しろ7〜8000人が暮らしていたそうです。
ところどころに落とし穴があったり、急襲のときに閉める石の丸い扉があったりと、いろいろな工夫を見ました。その他、空気の取り入れ方、急な連絡の取り方、水はどうする。排便はどうするなど。興味津々で質問してきました。驚いたのは、ワイン製造までしていたことです。飲ん兵衛の為ではありません。キリスト教は、儀式をするときにワインとパンを使うのです。いかに宗教が生きることに直結していたか、大切だったかを、これを聞いて強く感じました。
http://blogs.yahoo.co.jp/takino6525/folder/1059682.html(関連・写真ブログ)
この記事へのコメント
この頃は写真ブログの方を先に見てから、ここに来ます。
地下8階、生活していたのだから水はなんとかなったのでしょうが、排泄ねぇ、大問題ですがやはりそれもなんとかしていたのでしょう。
ぜひ取り上げてください。
地下8階、生活していたのだから水はなんとかなったのでしょうが、排泄ねぇ、大問題ですがやはりそれもなんとかしていたのでしょう。
ぜひ取り上げてください。
Posted by oss102 at 2006年07月03日 13:43
敵のいないときを見計らって持ち込んだりしたようですが、考えてみると8000人分のまかないが、されたわけですよね。
聞いていたのですが、よく考えると単純なことではない。表にどんどん排泄物を出せば、そこにいることが、敵にわかってしまうし。2、3人の隠れ家とは規模がちがうのだから……。
それにブドウをたくさん作らなければワインもできない。すると地上の生活をしている場は隠しようがなくなります。やっぱりいい加減にきいていますね。わたしは。やっぱり不思議だ。
聞いていたのですが、よく考えると単純なことではない。表にどんどん排泄物を出せば、そこにいることが、敵にわかってしまうし。2、3人の隠れ家とは規模がちがうのだから……。
それにブドウをたくさん作らなければワインもできない。すると地上の生活をしている場は隠しようがなくなります。やっぱりいい加減にきいていますね。わたしは。やっぱり不思議だ。
Posted by あきの at 2006年07月03日 16:02
この一帯からは、今後何かとんでもないものが出てきても不思議はないのだが、その端緒となるかもしれない発見が1960年代のカッパドキアにあった。ひょんなことから想像を絶する規模の地底都市が見つかったのだ。それも一箇所だけではなく、次々と大小あわせて十箇所前後の地下都市が発見された。最大級のものは、カイマクル、デリンクユ、オズコナークで、その後の調査でそれぞれ、1.5万人、6千人、6万人を収容していたことが判明したため、全体で10万人近い人間の住む地下都市群であることがわかった。しかも、これらの地下都市はそれぞれが数キロにわたるトンネルで結ばれていることも判明した。カイマクルとデリンクユ間のトンネルは9キロという長いトンネルだった。さらにセンセーショナルだったのは、カイマクルの地下都市は、少なくとも地下150メートルの深度を持ち、高さにすると8-12階建ての建物に相当するということだった。いくつかの未確認情報(三次資料以下)では、深度は300から700メートルに達する可能性もあるという。また、内部の生活環境維持システムも万全で、ふんだんに出る地下水をはじめ、換気のためと思われる円錐形の空洞なども見つかっている。外部との出入りには、滑車式の「エレベーター」が使われていたことも分かった。
当然ここで、「いったい誰がいつ何のためにこの大事業を行ったのか」ということが問題になるわけだが、現地のガイドやガイドブックなどが無難な線として説明しているのは「四世紀のキリスト教徒たちが迫害を逃れるために地中深く潜伏した」というものだ。これは十分にありえるように見える。しかしこれだけの大規模な建造物をいわばマイノリティーとも言える迫害キリスト教徒たちだけで作れるとも思えない。また度重なる調査によっても、内部に生活用品や宗教画などの物品はほとんど確認されなかった。これは地上に存在する洞窟教会が見事な宗教画に彩られているのとは好対照であり、キリスト教徒たちの潜伏説を採るには不自然な点が多い。この遺跡の奇妙な点は、「とてつもなく巨大な地底空間構造を掘ってあるだけ」ということで、そこで何かが行われた形跡がほとんどない。年代測定もこの地底都市がキリスト教が現れるはるか昔からそこに存在していた可能性を支持している。こうした事情から、考古学者はこの遺構は古代民族ヒッタイトの手によって作られたものだろうと推測しているようだが、これは、謎の遺跡を謎の民族に押し付けただけのことで、要するに何もわからないと公言しているだけのことだ。
不思議が不思議を呼ぶこの遺跡の話も大抵はここで終わる。実際、調査は始まったばかりであり、トンネルという事情も災いして、そう簡単には全貌が解明できる見込みもない。それゆえに、想像力の暴走がここでも起こる。カッパドキアの遺跡を紹介する記事には、これが古代の核シェルターであるとする話も多い。事実カッパドキアという地名は、ギリシア神話のゼウスの雷が「落ちたところ」という意味があるという。私も考古学や科学を考えるときは、可能性がある限りその説は排除しないという姿勢でのぞむことにしているが、核シェルター説は、各種専門的な考証を参照するまでもなく、現状で得られる事実からだけでも、それらの事実が相互に矛盾しているように見える。端的な例で示せば、核技術を持っている文明が作った遺構にしては、逆にこのトンネルはその規模以外の点に関しては幼稚すぎはしないか。核技術を持っている現代の我々が、地中に穴を掘っただけのシェルターを作るだろうか。核分裂の概念があるならば、電磁気学、原子物理学も発達しているはずだが、遺跡からコンピューターはおろか電子レンジさえ出てきていない。
この遺跡が核シェルターなどではないことは間違いないが、しかし、依然として、誰がなぜ、こんな巨大なものを作ったのかという疑問は残る。
この疑問に対して、最近とても興味深い仮説がでているので最後にそれを紹介しよう。それは紀元前9世紀頃に南ロシア平原に興った遊牧騎馬民族、キンメリア人とこの巨大地下都市との関連を指摘するというものだ。キンメリア人は、もともと南ロシアにいたが、中国北方の匈奴族が、周王朝の討伐にあい西走、やがてアルタイ山脈にいたスキタイ人を圧迫し、それがさらなる連鎖反応を起こして南ロシアのキンメリア人も西へ押し出される結果となった。さらに時代を経て、スキタイ人が執拗にキンメリア人を追いまわした結果、キンメリア人はアナトリアに逃れるのだ。
問題はこのキンメリア、スキタイという二大勢力が、どうやら南ロシアの金鉱山と関係があるらしいという点だ。スキタイがアルタイ山系発祥であることは書いた。アルタイというのは、もともアルタイ語における「金の山」を意味した言葉で、スキタイが黄金の文化と呼ばれるのと大いに関係がある。つまり、スキタイもキンメリアもともに金鉱山師の文明であり、スキタイが、執拗にキンメリアを追いつづけたのも、キンメリアが大量の金を持って逃げ回っていたためかもしれない。
鉱山師ならば、地中に穴を掘るのはお家芸だ。彼らのその技術がカッパドキアの地下都市建築に生かされたと考えるのはそれほど奇抜な推理ではない。さらに、地中海沿岸域には、シシリー、イタリア、チュニジア、エジプトなどに点在するカタコンベがあるが、これらのカタコンベ文明とカッパドキアの地底都市を関連付ける説も根強い。カタコンベは一般には紀元後キリスト教の共同墓地とされるが、カッパドキアの地下都市と同じく、建造時期は、キリスト教の出現よりもはるかに古い時代にさかのぼると言われている。ここでも転用が起こってるのだ。もしこれらの関連付けが事実だとすると、小アジアから、ヨーロッパ、北アフリカにまたがる広大な地域に、未知の勢力がはるか古代に存在した可能性が出てくる。それがはたしてキンメリアかどうかはわからない。しかし、南ロシア、黒海北岸に見られる初期地底建造物が、こうしたカッパドキア、ヨーロッパ、アフリカ、さらには南米へと続く全世界的な地底都市文化と何らかの繋がりがあるという可能性はある。人の目につかない、何かの奥底に真実が眠っている。地底遺跡は少しずつ我々の歴史の真の姿を見せてくれるのだろう。
参考に(ワールドスーク第十章からお借りしてきました)あきの
当然ここで、「いったい誰がいつ何のためにこの大事業を行ったのか」ということが問題になるわけだが、現地のガイドやガイドブックなどが無難な線として説明しているのは「四世紀のキリスト教徒たちが迫害を逃れるために地中深く潜伏した」というものだ。これは十分にありえるように見える。しかしこれだけの大規模な建造物をいわばマイノリティーとも言える迫害キリスト教徒たちだけで作れるとも思えない。また度重なる調査によっても、内部に生活用品や宗教画などの物品はほとんど確認されなかった。これは地上に存在する洞窟教会が見事な宗教画に彩られているのとは好対照であり、キリスト教徒たちの潜伏説を採るには不自然な点が多い。この遺跡の奇妙な点は、「とてつもなく巨大な地底空間構造を掘ってあるだけ」ということで、そこで何かが行われた形跡がほとんどない。年代測定もこの地底都市がキリスト教が現れるはるか昔からそこに存在していた可能性を支持している。こうした事情から、考古学者はこの遺構は古代民族ヒッタイトの手によって作られたものだろうと推測しているようだが、これは、謎の遺跡を謎の民族に押し付けただけのことで、要するに何もわからないと公言しているだけのことだ。
不思議が不思議を呼ぶこの遺跡の話も大抵はここで終わる。実際、調査は始まったばかりであり、トンネルという事情も災いして、そう簡単には全貌が解明できる見込みもない。それゆえに、想像力の暴走がここでも起こる。カッパドキアの遺跡を紹介する記事には、これが古代の核シェルターであるとする話も多い。事実カッパドキアという地名は、ギリシア神話のゼウスの雷が「落ちたところ」という意味があるという。私も考古学や科学を考えるときは、可能性がある限りその説は排除しないという姿勢でのぞむことにしているが、核シェルター説は、各種専門的な考証を参照するまでもなく、現状で得られる事実からだけでも、それらの事実が相互に矛盾しているように見える。端的な例で示せば、核技術を持っている文明が作った遺構にしては、逆にこのトンネルはその規模以外の点に関しては幼稚すぎはしないか。核技術を持っている現代の我々が、地中に穴を掘っただけのシェルターを作るだろうか。核分裂の概念があるならば、電磁気学、原子物理学も発達しているはずだが、遺跡からコンピューターはおろか電子レンジさえ出てきていない。
この遺跡が核シェルターなどではないことは間違いないが、しかし、依然として、誰がなぜ、こんな巨大なものを作ったのかという疑問は残る。
この疑問に対して、最近とても興味深い仮説がでているので最後にそれを紹介しよう。それは紀元前9世紀頃に南ロシア平原に興った遊牧騎馬民族、キンメリア人とこの巨大地下都市との関連を指摘するというものだ。キンメリア人は、もともと南ロシアにいたが、中国北方の匈奴族が、周王朝の討伐にあい西走、やがてアルタイ山脈にいたスキタイ人を圧迫し、それがさらなる連鎖反応を起こして南ロシアのキンメリア人も西へ押し出される結果となった。さらに時代を経て、スキタイ人が執拗にキンメリア人を追いまわした結果、キンメリア人はアナトリアに逃れるのだ。
問題はこのキンメリア、スキタイという二大勢力が、どうやら南ロシアの金鉱山と関係があるらしいという点だ。スキタイがアルタイ山系発祥であることは書いた。アルタイというのは、もともアルタイ語における「金の山」を意味した言葉で、スキタイが黄金の文化と呼ばれるのと大いに関係がある。つまり、スキタイもキンメリアもともに金鉱山師の文明であり、スキタイが、執拗にキンメリアを追いつづけたのも、キンメリアが大量の金を持って逃げ回っていたためかもしれない。
鉱山師ならば、地中に穴を掘るのはお家芸だ。彼らのその技術がカッパドキアの地下都市建築に生かされたと考えるのはそれほど奇抜な推理ではない。さらに、地中海沿岸域には、シシリー、イタリア、チュニジア、エジプトなどに点在するカタコンベがあるが、これらのカタコンベ文明とカッパドキアの地底都市を関連付ける説も根強い。カタコンベは一般には紀元後キリスト教の共同墓地とされるが、カッパドキアの地下都市と同じく、建造時期は、キリスト教の出現よりもはるかに古い時代にさかのぼると言われている。ここでも転用が起こってるのだ。もしこれらの関連付けが事実だとすると、小アジアから、ヨーロッパ、北アフリカにまたがる広大な地域に、未知の勢力がはるか古代に存在した可能性が出てくる。それがはたしてキンメリアかどうかはわからない。しかし、南ロシア、黒海北岸に見られる初期地底建造物が、こうしたカッパドキア、ヨーロッパ、アフリカ、さらには南米へと続く全世界的な地底都市文化と何らかの繋がりがあるという可能性はある。人の目につかない、何かの奥底に真実が眠っている。地底遺跡は少しずつ我々の歴史の真の姿を見せてくれるのだろう。
参考に(ワールドスーク第十章からお借りしてきました)あきの
Posted by あきの at 2006年07月03日 16:16

