2009年11月11日
国防力と日本国憲法の修正条項
一国の国防としての安全保障は、ハード面で装備や人員を整えるだけばかりではない。ソフト面で国際関係を構築していくこともその一つである。これには、一般外交や民間外交、経済取引などを通して、その関係を深化させていくことも、それに貢献するであろう。
そして、ソフト面としては、他国のメディアや世論に働きかけ、戦争の悲惨さを訴え、軍備を整えることを敬遠させ、他国が戦争を仕掛けることを遠ざけることで、自国の安全保障対策としての、ある一定の効果を上げることもできるであろう。この後者のソフト面の安全保障対策は、日本も対外的に積極的に活動して行かねばならない分野である。
しかし、この分野では、日本は、近隣の東アジアの国々や米国から、してやられているのではないかと思う。それは、教科書の記述や歴史認識を問題にされることであったり、戦争の放棄を規定する日本国憲法第9条の条文解釈を通してであったり、また、米国との安全保障に関する取り決めがあり、核の傘に守られていることを喧伝することなどによってである。
ところで、自然人に正当防衛や緊急避難が認められているように、国家にもこれらが認められる。国家には、国家主権を他国から侵略された場合には、正当防衛として、当然、自衛の権利がある。また、当然、緊急避難が認められる。
主権国家が、これらの自己防衛の行為をするには、自衛のための国防力や戦闘能力は、最小限必要である。これは、現在の国際社会の治安や秩序を維持するための国際的な警察機構というものが無い以上、主権国家として自衛のため当然備えるべき軍備を含む人的組織が必要ということであり、いうなれば国防力が必要ということである。つまり、主権国家には国防力を備えた軍隊が必要なのである。
そして、これをその国の言葉で自衛隊と呼ぼうが軍隊と呼ぼうが、その実態は国防のための軍隊なのである。主権国家が、主権を維持するためには、他国からの侵略や侵害を許してはならない。これを一度許したり、宥恕したりすれば、その後の外交交渉に大きな負担をかけることになるからである。また、これを放置すれば、一国の存立すら危うくすることもあるであろう。中国や北朝鮮が、国家の記念行事のたびに国防力を誇示するのには、それなりの理由があるのだ。
ところが日本は、最近、中国が東シナ海のEEZライン付近を実行支配し始め、天然ガスの採掘基地を設け、それを採掘し続けている事態を阻止できないでいる。これに関し、日本政府は、中国に譲歩案を提示し、共同開発することを提案して条約締結を働きかけたが、中国はこれを無視し続けている。天然ガスやオイルサンドの鉱脈は、境界付近に留まらず、隣国側に深く入っている場合がある。これを中国は不法にも採掘し続けているのだ。これには、米国にも他人事であり、日本を擁護するという姿勢は感じられない。ここには米国との安全保障の取り決めが機能していないのだ。
この米国との安全保障の取り決めでは、米国は日本の安全保障に「寄与」するとしている。「寄与」とは「貢献」と同意義語であり、慈善事業者がその目的に使う「貢献」と同義である。ここで確認しておかなければならないのは、米国は、日本国内に米軍基地や米軍施設を134箇所も存在させていながら、それは米国の「義務」ではないということなのだ。さらに問題なのは、今の米国には、中国に嫌われてまで日本に「寄与」することなどは考えられない、ということである。それは、今の景気低迷する米国には、中国に敵対できないほどの、中国に対する深い経済的依存関係が存在するからである。今、米国債の最大の保有者は中国なのだ。
以上のような日本を取り巻く国際社会の現状を考えるならば、日本は、安全保障政策を再構築することが必要であろう。それにはまず、防衛力を行使することや、自衛のための装備を整えることの足枷(あしかせ)となっている日本国憲法9条を改正すべきであろう。そして、日本国憲法の改正は、その全面改正を考えるから難しくなるのであるから、部分的な修正条項として改正すべきであろう。これは、アメリカ合衆国憲法が、初期に制定された憲法を生かしながら、アメンドメント(修正条項)を加えながら、現在に適応させている例を習うべきである。
すなわち、平和国家を目指し、戦争の放棄を模索してきた日本国憲法の主旨を生かしながら、自衛のための戦争と紛争解決のための武力の行使、および国際社会における共同安全保障のため、また、集団的自衛権の行使のためには、軍隊を使用することの必要性を認め、これらを日本国憲法の修正条項として正面から認めていく必要がある、と考えられるのである。そして、日本も国防力を誇示して、他国からの侵略や侵害を未然に防ぐ備えとしたい。さらに、米軍の日本での基地縮小と撤退のための、条件整備の基礎固めとしたい。ここは、与党、民主党の政策実行に大いに期待されるところである。
そして、ソフト面としては、他国のメディアや世論に働きかけ、戦争の悲惨さを訴え、軍備を整えることを敬遠させ、他国が戦争を仕掛けることを遠ざけることで、自国の安全保障対策としての、ある一定の効果を上げることもできるであろう。この後者のソフト面の安全保障対策は、日本も対外的に積極的に活動して行かねばならない分野である。
しかし、この分野では、日本は、近隣の東アジアの国々や米国から、してやられているのではないかと思う。それは、教科書の記述や歴史認識を問題にされることであったり、戦争の放棄を規定する日本国憲法第9条の条文解釈を通してであったり、また、米国との安全保障に関する取り決めがあり、核の傘に守られていることを喧伝することなどによってである。
ところで、自然人に正当防衛や緊急避難が認められているように、国家にもこれらが認められる。国家には、国家主権を他国から侵略された場合には、正当防衛として、当然、自衛の権利がある。また、当然、緊急避難が認められる。
主権国家が、これらの自己防衛の行為をするには、自衛のための国防力や戦闘能力は、最小限必要である。これは、現在の国際社会の治安や秩序を維持するための国際的な警察機構というものが無い以上、主権国家として自衛のため当然備えるべき軍備を含む人的組織が必要ということであり、いうなれば国防力が必要ということである。つまり、主権国家には国防力を備えた軍隊が必要なのである。
そして、これをその国の言葉で自衛隊と呼ぼうが軍隊と呼ぼうが、その実態は国防のための軍隊なのである。主権国家が、主権を維持するためには、他国からの侵略や侵害を許してはならない。これを一度許したり、宥恕したりすれば、その後の外交交渉に大きな負担をかけることになるからである。また、これを放置すれば、一国の存立すら危うくすることもあるであろう。中国や北朝鮮が、国家の記念行事のたびに国防力を誇示するのには、それなりの理由があるのだ。
ところが日本は、最近、中国が東シナ海のEEZライン付近を実行支配し始め、天然ガスの採掘基地を設け、それを採掘し続けている事態を阻止できないでいる。これに関し、日本政府は、中国に譲歩案を提示し、共同開発することを提案して条約締結を働きかけたが、中国はこれを無視し続けている。天然ガスやオイルサンドの鉱脈は、境界付近に留まらず、隣国側に深く入っている場合がある。これを中国は不法にも採掘し続けているのだ。これには、米国にも他人事であり、日本を擁護するという姿勢は感じられない。ここには米国との安全保障の取り決めが機能していないのだ。
この米国との安全保障の取り決めでは、米国は日本の安全保障に「寄与」するとしている。「寄与」とは「貢献」と同意義語であり、慈善事業者がその目的に使う「貢献」と同義である。ここで確認しておかなければならないのは、米国は、日本国内に米軍基地や米軍施設を134箇所も存在させていながら、それは米国の「義務」ではないということなのだ。さらに問題なのは、今の米国には、中国に嫌われてまで日本に「寄与」することなどは考えられない、ということである。それは、今の景気低迷する米国には、中国に敵対できないほどの、中国に対する深い経済的依存関係が存在するからである。今、米国債の最大の保有者は中国なのだ。
以上のような日本を取り巻く国際社会の現状を考えるならば、日本は、安全保障政策を再構築することが必要であろう。それにはまず、防衛力を行使することや、自衛のための装備を整えることの足枷(あしかせ)となっている日本国憲法9条を改正すべきであろう。そして、日本国憲法の改正は、その全面改正を考えるから難しくなるのであるから、部分的な修正条項として改正すべきであろう。これは、アメリカ合衆国憲法が、初期に制定された憲法を生かしながら、アメンドメント(修正条項)を加えながら、現在に適応させている例を習うべきである。
すなわち、平和国家を目指し、戦争の放棄を模索してきた日本国憲法の主旨を生かしながら、自衛のための戦争と紛争解決のための武力の行使、および国際社会における共同安全保障のため、また、集団的自衛権の行使のためには、軍隊を使用することの必要性を認め、これらを日本国憲法の修正条項として正面から認めていく必要がある、と考えられるのである。そして、日本も国防力を誇示して、他国からの侵略や侵害を未然に防ぐ備えとしたい。さらに、米軍の日本での基地縮小と撤退のための、条件整備の基礎固めとしたい。ここは、与党、民主党の政策実行に大いに期待されるところである。
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この記事へのコメント
第二次世界大戦後から既に64年も経て、未だに日本国内に十箇所以上の米軍基地を含む134箇所もの米軍施設を存在させ、米国の意のままに軍事や経済をコントロールされることに甘んじなければならないという理由は、どこを探しても見当たらないのではないか。日本は、アメリカの属国でもなく、属領でもないのだ。
日本と米国は、パートナーシップとして対等でなければならないだろう。日本が米国と対比して、軍事力が劣勢であるということは、次元が違う論理であるからだ。このパートナーシップとして対等な関係とは、お互いに国家主権を認め、国家の権能において対等である、ということが前提の論理である。
日本と米国は、パートナーシップとして対等でなければならないだろう。日本が米国と対比して、軍事力が劣勢であるということは、次元が違う論理であるからだ。このパートナーシップとして対等な関係とは、お互いに国家主権を認め、国家の権能において対等である、ということが前提の論理である。
Posted by merry-akkii at 2009年11月12日 08:54

