氏の著書などの話はこちらやこちらでもしている。
最新の新書を見つけたので買って読んでみた。
茂木健一郎『ひらめき脳』新潮新書
脳科学の見地から「ひらめき」について縦横に述べられている。
その内容は、我々の生き方を豊かにし、勇気を与えてくれるように、私は感じた。
自分の能力を悲観し、ひらめきなんて自分には関係ないと思い込んでいる人がいることを嘆いている。
その原因の一つに学校教育の問題を挙げつつも次のようの述べている。
「私は人より頭が良くない」とテストの点や偏差値だけで判断してしまっては、生まれるはずのひらめきも生まれません。脳というのは抑圧してしまうと、潜在的な能力を発揮することができない器官なのです。つまり、「私は人より頭が良くない」という思い込みはひらめきにとってじゃまなものです。そういった思い込みを解くことは、脳にとって非常に重要で、ひらめきへの第一歩になるものです。
同様に、ひらめきを生むためには大変など欲が必要なのではないか、あるいは苦しいことなのではないかと考える人が多いことも、「ひらめきなんて私には関係ない」という反応の原因になっているのでしょう。確かに、あることを考え続けるその過程は、苦しいことかもしれません。しかし実は、何かを思いついたときほど脳が喜ぶことはないといっても過言ではないほど、ひらめきの瞬間というのは脳にとってとても嬉しいことなのです。(34-35ページ)
その上で、意外とも思えるが「学習」とひらめきは密接な関係にあるという。
例えば、数というものを最初に理解した時。あるいは文字というものを最初に認識した時。誰もがその瞬間にひらめいているのです。「あ、そうか!」とわかった瞬間がひらめきなのです。その瞬間のひらめいた感じをたいていの人は忘れてしまっていると思いますが、誰もが学習を通して無数のひらめきを繰り返してきているのです。
…(中略)…
「学習」というと、知識をいかに頭に詰め込むかが勝負と勘違いする人も多いのですが、学習とは、外の情報をそのまま取り入れることではありません。どんな学習でも能動的に気づく、つまりひらめくというプロセスを経ないと定着しません。詰め込み教育がダメな理由はそこです。自分で「気づく」「ひらめく」というプロセスを通したほうが、効率も良く創造性の高いものになるのです。(44-45ページ)
では、どういう環境にあればひらめきがあるのか。
哲学者・西田幾多郎が京都・銀閣寺のちかくにある「哲学の道」を歩いて様々なことをひらめいたことを例にとって、我々がそこを通っても何もひらめかないことを次のように述べている。
過去に自分がひらめいた瞬間がどういう環境であったかを反芻していたのですが、そうした瞬間というのは、自宅から最寄りの駅に行く道や、いつも歩き慣れている道をリラックスして歩いてるときがもっとも多かったのです。歩き慣れていない京都の「哲学の道」を歩くと、私はキョロキョロと周りの風景に目を奪われてしまって、脳がリラックスできなくなってしまいます。つまりリアルタイム・オンラインで、時々刻々と周囲から入ってくる情報の処理に脳が手いっぱいの状態になっている。そんな時にひらめく余裕はさすがに誰の脳にもありません。
要するに、西田にとって東山のその道が「哲学の道」であったというのは、西田がそこを毎日散歩し、リラックスできる道であったからこそ、というわけです。東山の道そのものに何か特別な仕掛けがあったわけではありません。(52-53ページ)
リラックスした、退屈した、脳の「空白」がないとひらめきはないという。
また、無からひらめきは生まれないとして次のように述べている。
ひらめきを生むためには、記憶を司る側頭葉に、ある程度の準備ができていないといけません。その準備とは「学習」のことです。ひらめくためには、それだけのマテリアルを側頭葉に入れ込んでおかないといけません。そしてそのために学習が必要になります。
暗記する、記憶する、ということと、ひらめきや創造性は正反対であると思う人も多いかもしれません。しかし学習によって記憶のアーカイヴがある程度蓄えられていないと、ひらめきも生まれません。無からひらめきは生まれないのです。学校の勉強も、まったく無駄になるわけではないということです。(74-75ページ)
そして、最後のほうで”セレンディピティ”について述べている。
セレンディピティとは「思わぬ幸運に偶然出会う能力」と訳される。
ただ、「青い鳥」を追い掛け回すようなことではないというようなことを述べている。
つまり、その偶然を確実に捕まえられる準備が必要だという。
ノーベル賞を受賞した、小柴昌俊氏、田中耕一氏、白川英樹氏、の例を取り上げつつ、次のように述べている。
この三人は、当初の実験の目的とはまったく違った形で新しい発見をして、ノーベル賞を受賞したのです。別の言い方をすれば、そのような偶然の幸運を摑む準備と能力があったからこそ、科学史に残るような偉大な発見をすることができたわけです。(171ページ)
セレンディピティを活かすには6つの条件があるという。(176-181ページ)
(1)行動
(2)気づき
(3)観察
(4)受容
(5)理解
(6)実現
どういうことなのかについては、同書をお読みいただきたい。
セレンディピティやひらめきというのは、いつ起こるか予想はつかないといい、次のように述べている。
人生における成熟の一つの目安は、自分ではコントロールできない要素の存在をいかに認めるかにあるといわれます。(174-175ページ)
そんな心の余裕を持てるようになる、というのはある意味、理想かもしれない。