2005年11月19日
ゲームデザインのこれから(8) 材料はあるがレシピが無い
六百デザインの「嘘六百」 「ネット*゛ャル2.0のコト」
六百デザインの「嘘六百」 「ざるの会を再発見セヨのコト」
「六百デザインの「嘘六百」」の鶴見さんから、トラックバックとそれに関連するエントリーを頂きました。関連して色々思うところがありましたので、つらつらと書こうと思います。
■インベーダーとテトリスの間の10年間
テトリスというゲームが登場した時は、同時期に上海、シムシティ、ポピュラスなどが登場したこともあり、海外産PCゲームが凄いことになっている、とゲーム業界が沸いていた強い印象があります(その頃はたしか、僕はまだ高校生ぐらいでしたが・・・)。
ただテトリスがより衝撃的だったのは、単に社会的なブームになったことだけではなく、「まだこんなシンプルな内容で面白いゲームが作れたのか」ということだったと思います。当時からすでにPCゲームもグラフィックやボリュームなどで他と差別化する傾向が目立っていましたから、そうしたゲームに対する強烈なアンチテーゼにもなっていたと思います。今の時代だと脳トレみたいな感じですね。
実際テトリスは、パソコンの普及が非常に遅れていた旧ソ連で知育用に開発されたという事情もあり、ハードスペックをほとんど必要としないことも特徴になっていました。当時のハードスペックには詳しくありませんが、恐らくインベーダーを動かせる基板なら、テトリスを実装することも可能だったのではないかと思います。
しかしインベーダーが登場してからテトリスが登場するのに、実に10年かかりました(あくまで日本国内での登場年です)。純粋にゲームデザイナーの思い付きだけで実現できたはずなのにです。
Wikipedia 「コンピュータゲームの歴史」
Wikipedia 「テトリス」
このことが示すのは、ハードウェアのスペック、市場環境などが揃っていても、それを活かしたゲームがすぐに登場する訳ではないということです。場合によってはゲームデザインの発見に10年の月日を要することすらあります。
ちょうど料理の材料は揃っていても、それを調理するためのレシピが無いと、美味しい料理を作ることができないのと似ています。そしてレシピの発見のためには、きっとその前段階として、無数の失敗料理があると思うのです。
■鳥になる卵とそうでない卵
さて、今日の時点で実現可能で、なおかつまだ可能性が掘り尽くされていない(であろう)ゲームと言えば、間違いなくインターネットを活かしたマルチプレイヤーゲームだと思います。しかし8年前ぐらいにはその可能性に誰もが興奮していたMMORPGが、MMORPGとジャンル名が付けられた辺りから徐々にその限界も露呈してきて、今では米国に次ぐ本場の韓国でもカジュアルゲーム(ゲームポータルサービス)に急速にシフトしつつある状況です。そうした状況を鑑みて、オンラインゲームも可能性は掘り起こされつつあると考える人は少なくないと思います。ゲームポータルサービスは、ゲームを提供する仕組み(プラットフォーム)としては新しいと思うのですが、提供されるゲームはむしろ古典的、ありふれた物が主流になっているからです。
しかし昔から数多くの開発者が夢想してきた(たぶん)にも関わらず、なかなかビジネス的な成功にまでは到っていない方向性があります。大勢が参加し、コンテンツ自体がユーザーにより更新されていくというゲームです。僕もWeb2.0という言葉が生まれる前から、こんな記事を書いたりしていました。「全然違うだろ」と言われる方もいるかと思いますが(笑)、今「Web2.0」と言われているような概念を、僕は「ローコンテンツ」と表現したつもり・・・、だったのです。
僕はMMORPGを否定しようとは思いません。需要は確実にあると思います。しかしMMORPGの開発者の理想は、本当は現在のような運営側によりガチガチに管理された世界ではなく、もっとプレイヤーの創意工夫を活かせるような、より自由な遊び場であるべきだと考えているのではないかと思うのです。そうすれば開発側はプレイヤーたちを見守っているだけで(ある程度の管理は必要だと思いますが)、ゲームが自律的にどんどん成長していく、そういうゲームが実現したら凄いだろうな、そう思っている人は少なくないはずです。
で、僕は思うのは、それは「技術的に実現不可能」なのか「技術的には可能だがそれを実現するゲームデザインが発見されていない」のか「ゲームデザイン的に不可能」なのか、ということです。そして僕は持論として「技術的には可能だがそれを実現するゲームデザインが発見されていない」と考えています。
たとえば「20Q」。ゲーム、というと語弊がありますが、非常に面白い発想のエンターテイメントだと思います。しかしこの遊びを実現するのに必要だったインフラは、すでに10年ぐらい前から存在していたと思います。プログラム的なブレイクスルーがあったのかもしれませんが、どちらかと言うと「こういう事をやろう!」と思い付き、そして実行したという部分の方が大きかったのではないかと想像します。
鶴見さんが書かれている「ネット*゛ャル(仮)」も、少し着眼点が違えば20Qになったかもしれないのです。そういう鳥にまで昇華しなかった卵たちは、たぶん星の数ほど存在していただろうと思いますし、今もきっとそこかしこで生まれているのだろうと思います。成功と失敗を分けるのは本当に紙一重だと思います。
■究極のマルチプレイヤーゲーム
ゲーム好きだったら誰もが一度は夢想する、「プレイヤーによって世界が作られる究極のマルチプレイヤーゲーム」は、「空想は現実化する」という言葉の通り、いつかは実現すると僕は思っています。そしてそれを実現するための材料(インフラ)はすでに揃っていると思います。あとはレシピだけなのではないか、というのが僕の考えです。
まあ夢想家と言われると反論のしようも無いのですが、自分自身、チャンスがあったらいつかは正面から取り組んでみたいテーマなのです。
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企画屋なら「俺も同じ事考えてたよ」はいくらでもあって、思いつきレベルのアイデアはいくらもあるはずです。
「思いつき」を
→ a) 現実的なゲームデザイン
b) 現実的な技術
c) 現実的な環境&市場
にする点が重要で、おそらくWeb2.0の最大のインパクトは b)とc)が満たされた事を証明した事でしょうか。ゲームではないが実用に耐えるサービスとしては彼らなりのa)も満足しています。
Web2.0と似たような発想のアイデアを考えていた人は少なくないと思うのですが、それは同時に、じゃあなんであなたのアイデアは実現していないのですか? Web2.0は実現してるのに。と問われる事になります。
「同じ事を考えてたよ」は a) が不足していると宣言したようなものですね。
インスパイアされた人が多人数ドライブオンラインゲームを開発!
http://blog.yappo.jp/yappo/archives/000340.html
はい、まさに現状は(a)が不足しているのだと思います。
1つ考えられるのは、20Qのように、一見頭が良さそうに思えるけど、やっていることは実は単純(たぶん)という風に、実現する目標を思い切って単純化することなのだろうなあと思います。たぶん「ネット*゛ャル(仮)」は構想が野心的すぎたのだと思います。以前僕が書いた「Third World」も野心的過ぎるでしょう。もう少し実現すべきゴールをシンプルにする必要性があるのでしょうね。
あと当記事は別に鶴見さんへの当てつけではなくて、純粋にコミュニケーションを取っているつもりです。
鶴見さんは単に思い付きだけではなく、「ネット*゛ャル(仮)」を裏プロジェクトとして動かしていたのですから、実践者として尊敬しています。しかもその失敗をブログという形で情報共有して、今後の考察の糧になるようしてもらったのですから、非常にありがたいことです。成功事例よりも失敗事例の方がその後の役に立つということは多いのですから。
遊んでみました!
他の人とは出会えなかったのですが、こんなゲームがあっさり実現してしまっているのが凄いですね。
東京駅の前からスタートなんですが、国道1号線がすぐそばを通っているのが妙にリアルに感じられました。国道1号線って、たしか旧東海道なんですよね?
最初はこのコメント欄でつらつらと書いていたのですが、長くなりそうなので自分のブログで書くコトにしました。
もちろん、論争とかそういうのとは違いますよ(笑)。お互いに切磋琢磨するタネになれば幸いだと思っています。
書き終えたらトラックバック打たせてもらいますね。
わざわざコメントありがとうございます!

