2007年01月28日
次世代のゲームの3要素
さて、久し振りに次世代のゲームについて考えてみたいと思います。
昨年は家庭用ゲーム機市場が急拡大し、またこちらの統計には含まれないPCゲームやオンラインゲーム、携帯電話ゲームを含めれば、ゲーム市場自体は大変な規模に達していると思います。にも関わらず、いまだ家庭用ゲーム業界に光明が見えた感はありません。むしろ従来型のゲームが行き詰ってきて、ではどのような方向に進むべきなのか、ということについて明確な答えが見えていないからだと思います。
■今後の方向性の選択肢
家庭用ゲーム業界が、ここ数年の混迷期に選択した方向性には、主に以下のような選択肢が存在していたと思います。
- 欧米市場
欧米市場は、未だ従来型のゲームが元気です。ただ従来型と言っても「アクション性」「箱庭的に何でも出来てしまう自由度」「主に火薬によるバイオレンス」など、日本市場での従来型とは性質は全く異なります。しかしこれらのゲームは、日本の一般層には受けなくても、特にゲーム開発者のような高度なゲームに憧れるタイプには、特に「箱庭的な自由度」が評価される土壌というのは、非常に魅力的に映ります。そうしたこともあり、多くのゲーム会社が北米重視のゲームタイトルを開発してきました。その中でカプコンやテクモは成功していると言えます。今後も、技術力に自身のある企業にとっては、魅力的な戦略となると思います。
- インターネット
ディアブロの大成功から、日本のゲーム会社のいくつかは将来はオンラインゲームが主流になると考え、ウルティマオンラインの登場がそれを更に促しました。しかしアーケードや家庭用ゲーム機のゲーム会社の多くはオンラインゲームに次の可能性があることには気付いていたのですが、その市場で成功したのはPCゲーム系の新規企業でした。もちろんスクウェアエニックスのクロスゲートやFF11は成功例なのですが、市場全体を見ると、MMORPGも、ゲームポータルサービスも、メインプレイヤーは新規企業です(特に韓国の)。しかし今後は現在主流のゲーム機全てがネット接続機能を持つため、ここを軸に今後巻き返してくるという期待感はあります。
- 携帯電話
携帯電話については、登場時はスペックが低かったことやパケット代の問題から、各社ともサイドビジネスの域を抜け切れていませんでしたが、しかし潜在的可能性に対する期待感は非常に大きく、どの企業も将来の成長分野と考えていたと思います。しかし単純なコンテンツ販売では、期待ほどには収益が家庭用ゲーム機の規模ほどには伸びず、その一方でインデックスのようなモバイルコンテンツに強い会社の登場や、モバゲータウンのようなゲームポータルサービスなど、新規企業による成功例が生まれました。
- 生活浸透型
「生活浸透型」とは、DSのタッチジェネレーションシリーズに代表される、没入型ではない、生活の中でゲームを楽しむという新しいスタイルを提案するゲームにより、従来のゲームユーザー以外の層を取り込んでいこうとする取り組みです。この試みは当初の予想を裏切り、大変な成功を収めました。ただ新しい試みだということは、逆に年月の重みに耐えた実績は無い訳で、今後もこの方向が有効であり続けるのかという点については、意見が分かれています。
もちろんこれらの選択肢は排他的ではなく、複数選択も可能です。たとえば「欧米市場」「インターネット」重視、「インターネット」「携帯電話」重視、「携帯電話」「生活浸透型」重視、なんていう組み合わせです。
この他にも、たとえばバンダイナムコやコナミに代表される、メディアミックス重視という方向性もあるのですが、これはゲーム黎明期からありましたし、そして今後、それが無くなるということは考えにくいため、ここではあえて触れることはしません。
■今後のゲームデバイスの予想
さて、家庭用ゲーム業界側から見た、将来への対応策を見てきましたが、そもそも将来のゲームデバイスは、どのように変化していくのでしょうか?これについて予想してみます。
まずインターネット、携帯電話がさらに発展していくのは明白です。そしてその発展の影響をゲーム業界以上に受けてきたのが、新聞や雑誌、そして最近ではテレビなど広告に利益の多くを依存しているマスメディアです。この分野で起きている変化は、むしろインターネットによって新しい面白さを開拓できるゲームとは違い、非常に破壊的です。たとえば僕は新聞の購読を、随分前にやめてしまいました。それで大きく困ったことはありません。その代わりにIEのポータルサイトを新聞社のページにすることで補っています。
しかし新聞が無くなるのかと言えば、たしかに部数は減少傾向にはありますが、意外に残っているとも言えます。従来の購読者がそのまま続いているだけで、長期的にも減少傾向は続くと予想するのが普通なのだと思いますが、無くなるということは無さそうだとも思います。梅田氏の下記の言葉が非常に分かりやすいです。
例えば新聞をとりながら、ネットでも情報を集めたりしてもよけいにお金がかかるわけじゃない。両方併用しても損になるようなことはありません。そう考える人たちがいなくなる未来は考えにくい。
実は僕も、たとえば車雑誌などは、やっぱり買ってしまうのですね。ネットでも車情報を入手することは充分可能なのですが。ネット以前の雑誌に情報を依存していた頃とは、雑誌のステイタスは随分と違うと思いますが、利便性は残っています。実は新聞の購読をやめたのも、新聞が要らないからではなく、単に古新聞を溜めて整理するのが面倒だというのが主な理由で、その手間が無いなら購読を再開したいとも思っています。だから新聞配達の人が、古新聞を持って帰ってくれるサービスを始めてくれると非常に嬉しいのですが。
話は反れましたが(笑)、しかしこのマスメディアで起きている変化は、今後のゲームに起こる変化を先取りする物だと思います。
インターネット、携帯電話という、消費者に直接コンテンツを届けることができ、更には消費者の側からもコンテンツが生成され、配信される(CGM)ことが可能になったことで、消費者の側が、その生活スタイルや生活時間により、コンテンツを楽しむ方法を能動的に選択できる時代になったと言えます。
その時重要になるのは、いかに消費者にとって「快適に」ゲームを遊ぶことができるか、というある種の「利便性」だと思われます。パソコンなら、インターネットに常時接続されていること、携帯電話なら、常時接続にプラス、移動時間などいわゆるすきま時間に遊べることが利便性になります。それに対してたとえばDSなら、すきま時間に遊べ、かつ高速起動やタッチパネルによる快適操作が挙げられます。据置機は大画面テレビで遊べることや、パソコンよりも取り扱いがはるかに楽なことが利便性として考えられます。
現状では、ハイエンドPCや据置機が、ゲームのコンテンツのクオリティ、豪華さでは抜きん出ていますし、そういうゲームを求める層にとっては、将来的にも状況はそう大きくは変わらないと思います。
しかしイノベーションのジレンマにもある通り、新しい利便性を持った破壊的イノベーションは、現時点ではローエンドでも、将来的には必要充分なクオリティを獲得します。だとすれば、今現在実現できるクオリティよりも、消費者にとっての利便性こそが将来の需要を大きく左右すると考えるべきだと思います。
そう考えると、取り扱いが容易な「ゲーム専用機」は、取り扱いが容易であり続けるのなら、将来は有望だということになります。ワープロがPCに取り込まれたのと同じと考えない方が良いと思います。僕の経験では、PCのOSがGUIになってからは、ワープロ専用機よりもPCの方が、取り扱いははるかに容易になったと記憶しています。唯一の弱点はPCや携帯電話のように全数がネットに繋がっている訳では無いことだと思います。
そして利便性という点から考えると、将来的には携帯機が据置機よりも有利な立場に立ってくると予測することもできます。これは持ち運べるというよりもむしろ、オールインワンなので電源を入れるだけですぐに遊べるという気軽さ、利便性のためです。
同じような理由で、PCでも、フラッシュに代表されるブラウザゲームや、ウィジェットのようなウェブベースのクライアントアプリは非常に有望だと思います。Vistaでは従来型のPCゲームの取り扱いを容易にする工夫が成されていますが、消費者に利便性をもたらすには、まず「インストール」という作業そのものの敷居を下げる必要があると思うからです。
そして携帯電話ゲームも、UIの悪さ(画面が小さい、レスポンス、ボタン配置など)はあるものの、いつでも持ち歩いていること、常時ネット接続されていることなどによる圧倒的な利便性があるため、独自の発展をしていくと思います。
■次世代のゲームの姿
僕が提示したデバイスの未来については、多くの人が予想している物と同じようなビジョンだと思います。
だとするならば、最初に挙げた4つの方向性に対して、答えは自ずと明らかになります。
簡単に言えば
-
「欧米市場」重視は間違い
-
「インターネット」「携帯電話」「生活浸透型」が未来の方向性
ということになります。
現在達成できる最高のクオリティを重視するよりも、将来伸びる方向に注力した方が、最後には後者が競争優位を確立します。それは「インターネット」「携帯電話」の選択肢でも書いた通り、両分野で成功したのは既存企業ではなく、インターネット、携帯電話に専業してきた新規企業だったからです。このような、クオリティは劣るが新しい利便性を持つイノベーションは、従来の秩序を破壊する破壊的イノベーションで、それに対抗するには、より高いクオリティを達成することではなく、自らが破壊的イノベーションを起こす側に回らないといけないのです。
そして、前項で挙げた「利便性」という考えに照らすなら、「携帯電話」は、むしろ「携帯性」と表記し直すべきだと言う事になります。こうすることで昨今の携帯ゲーム機の急速な普及を説明できるからです。
- インターネット
- 携帯性
- 生活浸透型
「インターネット」「携帯性」が今後のゲームの方向性だと言うことには異論が少ないとしても、「生活浸透型」については異論があるでしょう。先にも書いた通り、一過性のブームである可能性があるためです。そして僕も、部分的には現在のブームは一過性であろうと考えています。
それでも「生活浸透型」という看板を下げないのは、生活に浸透していけるゲームの方が、そうでないゲームよりもユーザーにとっての利便性、遊ぶための敷居が低いからです。生活に浸透できるのですから当たり前なのですが、そういう根本的なところを支持しているからです。
たとえばレシピソフトが、本当に雑誌や料理本、テレビの料理番組よりも本当にユーザーにとって利便性が高い物なら、現在の新規性、物珍しさが無くなっても、ジャンルとして残っていくと思います。もちろん僕は、物珍しさで売れている部分も多分にあると思います。様々なダイエット法がブームになり、そして消えていくのと同じです。しかしきちんとダイエット効果があるものは、その後も残ります。それと同じことなのではないかと思うのです。
娯楽の場合は、そもそもが飽きられる宿命にあるものなので、ゲーム内容のトレンドは変化していくと思います。しかし大きな流れとして、消費者にとってよりゲームが遊びやすくなる、利便性が高まるというのは、今後も進行していくと予想します。なぜなら消費者にとっては、その方が都合が良いからです。
2006年07月30日
生活浸透型ゲーム(5)自己啓発
お料理ナビは、僕は真剣に「あ、これはゲームだ」と思っているのですが(笑)、それはまあ別として、凡庸な考察ではあるのですが、いわゆる実用系のゲームの売れた/売れないの条件として「面白い」以外に、もう1つ別の軸があるということも、ちょっと書いておこうかなと思います。
「英語漬け」は100万本売れて「指差し英会話」はそこそこだったのはなぜか。一番分かりやすい考察は、指差し英会話は海外旅行する前に買わないと意味が無いからというものなのですが、もう少し突っ込んで考えると、英語漬けは英語力が身に付き、指差し英会話はそうではない(語弊はありますが)ということがあります。
ゲームというのは、従来は自分以外の何者かになる娯楽でした。子供のごっこ遊びが究極的に進化した形態だと考えても良いです。しかしそれはあくまでゲームの向こう側の仮想世界でのもので、現実世界に影響を及ぼすことは、基本的にはほとんどありませんでした(対戦ゲームはまた別なのですが、それは置いておきます)。
一方、脳トレ、英語漬け、そしてお料理ナビがそうなのですが、これらは現実世界の自分が良い方向に変化するゲームだと言えます。特に英語を話せるようになるというのは、自分の人生をかなり変える要素ですから、ある意味「変身願望」と表現しても良いでしょう。そういう意味では、現在の自分以外の何者かになる、より自分がこうありたいと思う理想の自分に近づくという、現実世界でのゲームです。よく日常で「経験値が上がる」という表現をしてしまうことがありますが、一連のソフトは、まさに現実世界での経験値を上げるゲームだと表現することができます。
書籍やテレビの世界でも、自己啓発ブームが長い間続いている訳ですが、その波がゲームにも来たと考えるのが、一番分かりやすいです。書籍やテレビで盛り上がっているのは、「健康」「脳(ボケ防止)」「ダイエット」「ファッション」「人間関係」「仕事」「恋愛」「語学」などですが、それをどこまでゲームに落とし込めるかという社会実験が今、DSで行われているのだと思います。
「このゲームを遊べばもてるようになる」というゲームが出たら、それは絶対ヒットします(笑)。問題は、その主張にいかに説得力を持たせられるかということなのですが、そこに回答はなかなか無い訳で、そこをうまく考え付いた人が次の勝者になるんでしょうね。
2006年07月29日
生活浸透型ゲーム(4):もう一度考えてみる、これから10年のゲームについて
「しゃべる!DSお料理ナビ」が初週10万越えという、あり得ない(笑)ロケットスタートを見せるなど、DSの勢いにかげりが見られません。改めてPS絶頂期を思い起こさせる展開になってきました。
しかし景気の良い話はあるものの、ではゲーム業界の5年後、10年後を考えると、とても楽観視できる状況では無いというのも、これまた業界関係者の方々の考えが一致するところでしょう。そのような先行き不透明な感覚は、PS絶頂期には無かった物です。
そこで改めて、これから10年のゲームについて、まとめてみたいと思います。
■誰が勝者か
まず現状認識としてですが、エンターテイメントというサービスの1分野だけを取り上げても、いわゆる「ゲーム機」業界は、Webに完敗していると思います。SNS、ブログ、各種掲示板、そしてもちろんハンゲームなどのブラウザゲーム(インストールソフトもありますが)など、コンピューターを使った娯楽としては、すでにゲーム機は王様の地位から滑り落ちています。
また、一時はPCすら凌駕し、全てがこの機器に集約されるのではないかとすら思えた携帯電話ですが、機能拡大傾向にブレーキがかかり、ハードとしての着地点が見えつつあります。一方で携帯電話からのWeb閲覧も一般的になってきて、言うならばWeb、IP通信サービスという大きな括りの中の一要素(非常に大きな要素ですが)になってきました。
しかし同じように、PCというハードもまた、大きな岐路に立っています。もちろん現状ではWebを閲覧するのに最適なハードはPCですし、その地位が簡単に揺らぐとは思えませんが、いわゆるプロプライエタリなソフトウェア(Windows用ソフトなど)は、昨今急速にその影響力を低下させてきています。その代わりに伸張してきているのが、Webベースのアプリや、ホスティングサービスです。ホームページを作成するソフトがもてはやされた時期もありましたが、今はブログのホスティングサービスがそれに取って代わったようにです。またインストール型のPCゲームも、Xboxのせいということもありますが、本場の米国ですら衰退してきていると言われています(Vistaで建て直そうとはしていますが)。
そういう意味では、今起こっている変化は、真の意味では供給者側には絶対的な勝者がいない変化です。勝者は消費者です。ゲーム業界が地盤沈下していると言っても、それは他の市場、業界も同じこと。皆、同じように変化に直面している状態です。
■次の時代のゲーム
そういう時代に、ではこれからゲーム業界はどうなっていくのか、どのようなゲームを作ればいいのか、というのは業界に携わっている方、皆に共通した問題意識だと思います。
1つ、伸びていく方向性というのだけはハッキリしています。ゲーム本体の規模はシェイプアップし、その代わりユーザー側にゲーム内容を更新していける仕組みをもたせる、そうすることで、Web並の更新速度を持たせることで、結果として大きな手間をかけずに、飽きずに長く遊んでもらえるゲームを作ることが可能になります。未だにその可能性を真に成功させたゲームは存在していませんが、もし成功すれば真のブレイクスルーとなるでしょう。
こうしたゲームを表現する言葉は、ちょっと前までは無かったのですが、今なら「Web2.0」的なゲームだと一言で言い表すことができるようになりました。また「CGM」という言葉も生まれました。こちらの方が、意味合いとしてはより直接的です。まあここでは分かりやすく「Game2.0」と表現することにします。
こうした発想は、簡単に言えばWebの絶対的な更新速度の速さに対抗するためのゲームデザインと言えるのですが、先の話と絡めると、これからは消費者が絶対的な勝者なのだから、消費者が王様となれるようなゲームこそが次の時代のメインコンテンツとなる、という風に言い換えることも可能です。そういう意味ではGame2.0においては、ゲームは作家性よりも、プレイヤーに適切な舞台を提供するという裏方的な立場に変化していくとも言えます。
■どのハードが生き残るか
Game2.0については分かった、しかしそのゲームはどのプラットフォームで産まれるんだ?という疑問があります。普通に考えればPC、特にブラウザゲームであろうというのが、一般的な見解だと思います。特にFlashゲームが有望でしょう。最近だと「リブリーアイランド」のような成功例もあります。
ただリブリーアイランドはもちろん成功例ですが、リブリーアイランドが得ていたかもしれない圧倒的な成功を、「おいでもどうぶつの森」がかっさらっていったのも、また事実です(もちろんリブリーアイランド自体が、どうぶつの森から大きな影響を受けているのは明白です)。何と言っても国内300万本突破ですから。
そのように考えると、ゲーム機のような専用機にも、ゲーム2.0が芽吹く可能性は充分あるということになります。これからのゲーム機にはネット接続機能は全て標準機能になるでしょうし、ネット接続環境もより良くなる一方です。先の携帯電話の話も含めて、もはやインターネットはPCが独占する状況では無くなりました。音楽を聴くのはiPodという「音楽を聴くためだけのコンピュータ」が市場を独占したように、ある特定の機能だけを切り出した専用機は、その利便性ゆえにPCを食うことも充分考えられます。
というよりも、どちらかが一方的に勝ったり負けたりするのではなく、様々なデバイスがその長所短所を補いつつ、共存していくというのが、もっともあり得そうな未来だと思います。アマゾンができたらリアル書店は無くなるのか、iTunesがあるからCDは無くなるのかと言うと、そうはならないのと似たようなものです。
ゲーム機、PC、携帯電話、アーケードゲームなど、それぞれのデバイスがそれぞれの長所を活かして生き残る、そういう未来です。
■ゲームデータの置き場所
そのような時代になるという前提に立った時に大事になるのは、ゲームデータの置き場所です。Web2.0のサービスにおける1つ大事な要素に、ユーザーが作成したデータをサービスの供給者側のサーバに蓄積、保存してくれるということがあります。ブログのホスティングサービスやSNS、2chのような掲示板、写真や映像の共有サービス、Webメールサービス、ソーシャルブックマークなどが分かりやすい例です。
こうしたサービスは、いわゆるiTunesのようなダウンロード型のサービスとは違い、会社や学校と自宅でシームレスに同じサービスを受けることができたり、PCを買い換える時にHDDのデータを移動させる必要が無いなど、ユーザー側に大きなメリットがあります。そして最も大きなメリットは、最近だとYouTubeで顕著ですが、自作データを公開できるということです。
そのようなメリットから、Game2.0ではゲームデータをサーバ上に置くというのは、ほとんど必須のこととなるでしょう。というかそれこそが本質だとすら言えます。ゲームデータ共有型ゲームと表現することもできそうです。そしてWeb2.0がそうであるのと同じように、同期通信である必要はありません。インスタントメッセージやチャットサービスが、Web2.0にとって必須要素で無いのと同じです。むしろ非同期通信であることの方が、遊ぶ時間が拘束されなくて済むという点で、ユーザーメリットが大きいです。
そしてゲームデータがサーバ上にあるということは、ソフトがマルチプラットフォーム化すれば、どのハードからも同じゲームデータに基づいたサービスを受けられるということになります。つまり先に挙げたデバイスがマルチ化していく未来にとっても、ゲームデータをデバイスの外に置くのは適切な配置なのです。中心にあるのはゲームデータで、それを包むインターフェイスとしてゲームソフトウェアがあり、さらにそれを駆動するための物としてハードウェアがある、そういう構成です。「Data is the next Intel inside」というWeb2.0の言葉がありますが、正にそれを地で行っています。
■生活浸透
上記のようなゲームを目指す試みが無かった訳ではありません。MMORPGはその最たる例です。しかしこうした試みが1つ道を踏み間違えたところがありました。それはユーザーの時間を際限なく奪う方向に進化してしまったことです。結果的にゲームはヘビーユーザーが制する物になってしまいました。昨今のDSゲームの成功が暗示する、これからのゲームのもう1つの条件は、ユーザーの生活を破壊しないことです。生活にとって邪魔な物でない、もしも可能であれば生活にとって有益な物であれば、そのゲームが長く愛される物になるでしょう。
■まとめ
これらの条件を満たした先にあるのは、つまり「Webサービス」という名前ではない、エンターテイメントWebサービスのような物です。
どのハードが勝つかとか、どのゲーム会社が生き残るか、というような業界編成にはこれからも混迷が続くと思いますが、そのようなエンターテイメントサービスに進化していく流れは、急激なジャンプは無いにせよ、着実に進んでいくだろうと思います。そうした際には、むしろ既得権益を持つ既存の企業ほど、フットワークは重くなり、今はまだ産まれていないような新しい企業が、次代の勝者となる可能性があります。
もちろん、従来の延長線上の生活分断型ゲームも、滅びるのではなく、これからも一定の支持を得ると思います。生活分断型の娯楽が廃れないのと同じようにです。しかし成長していく勢いとしては、上記のようなサービス型の企業が勝るでしょう。
もちろん企業にとっての理想は両方で一番になることなのですが、ある分野に舵を切る際は、何かを思い切って切り捨てる覚悟も必要になると思います。もしかしたら、今がその時かもしれないのです。
2006年07月17日
プロモーションについて補足
発熱地帯さんからツッコミを入れられました(笑)。ただ指摘は至極もっとも。ただ個人的にもちょっとした思いのような物があるので、うまく書くのが難しいのですが、書いてみようと思います。うまく考えがまとまっていないので、散文的になってしまうと思いますが、ご容赦を。
何かで聞いたことなのですが「運が良くて成功することはある。しかし運が悪くて失敗することはない。失敗には必ず原因がある」という言葉がありました。この「運」を「プロモーション」に置き換えると、僕の言いたいことがうまく伝わるのではないかと思います。
あるゲームが売れなかった時に「CMが駄目だった」とするのは、開発者の姿勢として問題がある、それは僕もそう思います。
そして何より、本当にエポックメイキングなソフトやサービスは、プロモーションと関係なく爆発する、それも間違いないと思います。開発者ならば、まずはそういったゲームを目指すべきですし、その時にはプロモーションを語る必要はありません。「Googleスケールの新しいサービスを作ろう!」と考える時に、「じゃあまずはプロモーションはどうしようか」などと考える人はいないのと同じです。
そういう意味では、携帯電話ゲームについての記事でも、もし本当に携帯電話で真にエポックメイキングなゲームが登場したら、それは恐らく大ヒットするはずなんです。そういう意味では、あの記事は嘘だと言えますし、携帯電話ゲームを作っている人が「CMを打てないから売れないんだ」と言い出したら、それは負け犬の遠吠えと思われても仕方が無いでしょう(念のため書きますが、自分はまだ携帯電話ゲームを手がけたことはありません。興味は常にあるのですが・・・)。
しかし今の携帯電話ゲームを触ってみて、今の家庭用ゲームと比べてそんなにひどいのかと言うと、決してそうではないです(インターフェースがゲーム向きでは無いのは、いかんともしがたいですが)。もちろんビジネスとしても成立しています。全体として見れば、下手な家庭用ゲームよりも勢いはあります。しかし特定の1本のソフトが、世の中でなかなか話題にならない。DAKINIさんが、今のゲームにはマニアが1つのソフトで熱狂することが無いと書かれていましたが、家庭用ゲームよりも更に語られない、「祭」が起きない状態です。そこには何か、ソフトの内容以外の点で、構造的な欠陥があるように思えてならないのです。それについての仮説が、あの記事だということになります。
そして逆に、家庭用ゲームというのはその構造上、ソフト1本ごとに大規模なプロモーションを仕掛けることができるということが、ある特定のソフトについて一般層に認知してもらうという点において、非常に有利な立場にあることも事実だと思うのです。そしてそれは、ゲームの中身と直接の関係はありません。家庭用ゲームというビジネスモデルゆえのことです。
このようなことを、あえてソフト開発者が語る必要は無いと思います。プロモーションとは関係なく、世の中にインパクトを与えられるようなソフトを開発することに集中していたら良いんですから。
ただブームになるものとならないものということを考える時は、プロモーション、特にテレビの力については認めざるを得ないし、それについて避けては通れないと思うので、「生活浸透型ゲーム」を考える際に、あえて取り上げてみました。「涼宮ハルヒの憂鬱」も、深夜テレビアニメというある種のプロモーション(DVDを売るための)があって、これだけの話題の爆発を引き起こせたと表現することも可能だと思います。
※凡百の話題が爆発しないテレビアニメがあっての話ですから、もちろんこれは極論なのですが。
●蛇足
DAKINIさんは、今回のエントリーでは、「ゲームが売れないのをプロモーションのせいにするゲーム開発者」に向けてメッセージを発していると思いますので、「任天堂のソフトが売れるのはプロモーションのおかげだろう」という意見について苦言を呈しているのでしょうが、僕は逆に「大規模なプロモーションが行われて、そしてヒットしたゲーム開発者」にメッセージを発したいです。
確かに今はDSブームで、ミリオンヒット連発という状態です。しかし今のDSのブームがソフト開発者によるものだとするならば、それは思い上がりだと思います。色々な意味で任天堂の総合力の勝利だったと思いますし、またPSPが同時期に発売されたことによる相乗効果も、決して無視してはいけないと思います。一時、旧スクウェアは「ミリオンソフトを作るコツが分かった」と豪語するまでに到りましたが、その後はご覧の通りです。同じように、たとえば任天堂の開発者が「任天堂のソフトのクオリティは他社とは別格だ」と真顔で思うようになってしまったら、それが転落への第一歩となると思います。
2006年07月16日
生活浸透型ゲーム(3)これからどんなゲームを作るべきか
森川さんが、面白い記事を書かれていたので、今回はそれを元に、生活浸透型ゲームについて書いてみます。
ここのところ、
たまたま数社のゲーム会社の方と
話をさせてもらう機会があった。
おもしろいことに、
どのゲーム会社のDS市場に対する見解もだいたい同じで、
こういうことのようだ。
・今はツール系(右脳系とも言う)のソフトが売れている
・逆に、従来からのゲームゲームしたゲームは売れない
・とはいっても、N社のソフトばかりが売れている
そして、こうした「現象」は、
上層部の人たちにはこう見えるようだ。
・(安いコストでつくる)ツール系のソフトを作るべきだ
・高いコストをかけて従来型のゲームを作るのはリスクが高い
・DSのソフトを作ってももうからない
まず「ツール系」「右脳系」という表現が表層的なのですが、まあそれは良いとして、結果として出てくる結論が
- PSPでツール系のソフトを作るべきだ
になるのはどうなんでしょうか・・・(DSでは儲からないのですから、必然的にそうなります)。まあ森川さんもそのような考え方を、「副作用」と表現はされているのですが。
今回は、上記のような考え方のどこが間違っているのか、当ブログの常連ではない一見さんにも分かるよう、噛み砕いて解説したいと思います。もちろん、所詮は一個人の仮説に過ぎないのですが。
■ゲームゲームしたゲームは売れない?
まずここが最大の誤解だと思うのですが、今もゲームゲームしたゲームは売れています。これはハッキリ断言できます。というのもタイミング良く「Newスーパーマリオブラザーズ」が大変な勢いで売れているからです。初速が良かったのは勿論、しぶとく売れ続けるという、いわゆるタッチジェネレーションシリーズ的な売上傾向も見せています。
Newスーパーマリオが興味深いのは、同じようなタイトルであるマリオカートDSよりも、遙かに売れているということです。なぜ興味深いのかと言うと、一般に本編マリオよりも、マリオカートの方が売れるのが、過去のプラットフォーム(SFC、N64、GBA、GC)での実績だったからです。ですので今までの傾向に基づくと、Newスーパーマリオの売上は、マリオカートDS並に落ち着いていたはずです。そして実際遊んでみても、NewスーパーマリオとマリオカートDSは、ほぼ同レベルの仕上がりだと感じます。カートの方がWi-Fi対戦に対応していたのですから、そういう点ではリードしているとさえ言えます。しかし実際には、両者の間でダブルスコアが付きそうなほど、勢いに差があります。
■売れるソフトの要因その1:プロモーション
僕は両者の違いの1つはプロモーションだったと考えています。特に松島奈々子を起用したCMです。恐らくCM投下量も両ソフトには差があったはずです。
このことでNewスーパーマリオは、「もっと脳トレ」のような「普段ゲームをしない人にも楽しめるソフト」だとアピールすることに成功しました。宣伝コピーでも「誰でもできる、新しいマリオ」という、「誰でもできる」と言い切る思い切った物にしています。
結果としてNewスーパーマリオは、ゲームゲームした内容にも関わらず、タッチジェネレーションシリーズで獲得した、普段ゲームと密に触れ合っていない層を誘導することに成功したと思われます。
これはDSで売れたソフトのほとんどに言えるのですが、普段ゲームと縁が薄い人でも、普通に生活をしているだけでそのソフトの情報が自然に耳に入り、かつ興味喚起を引き起こされてしまう、そのような生活浸透型とも言えるプロモーションを伴っています。
■売れるソフトの要因2:女性層、女児層の獲得
ただ「誰でもできる」と言い切ってしまうのは、「初心者向けソフト」「お子様向けソフト」という印象が付く恐れがあります。「本格派ではない」という意味ではネガティブな印象です。しかしその分、女性層、特に女児層を、カートDSよりもより多く獲得した可能性があります。一方カートDSは、Wi-Fi対戦など、より本格志向であることをアピールしていたように感じます。
カートDSよりもNewスーパーマリオが売れた原因の2つ目として、この女性層、特に女児層の獲得があったのではないかと推測しています。ちなみに「たまごっちのぷちぷちおみせっち」や「おいでよどうぶつの森」、アーケードの「ラブ&ベリー」らの大成功も、女性層、女児層の獲得という要因を挙げることができます。
これは女性層が急拡大しているというより、そもそも女性層、女児層向けにきちんと作られて、かつしっかりプロモーションされているソフトが非常に少ないため、1本のソフトに需要が集中しているためではないか、と僕は推測しています。
■売れるソフトの要因その3:面白さ
先の複数のゲーム会社の方の、もう1つ大きな誤解は、「ツール系」「右脳系」という、今のブームの捉え方です。間違ってはいないのですが、表層的な捉え方だと思います。
まずツール系のソフトが売れるのなら、「楽引辞典」はもっと売れていなければおかしいソフトです。今度出る「しゃべるDSお料理ナビ」もそうでしょう。しかし楽引辞典は、電子辞書としてはとても良く売れていると思いますが(そもそもCMを打つ電子辞書自体が極めて稀ですが)、他のタッチジェネレーションのソフト程には売れていません。僕は同じ理由で、恐らくお料理ナビも、レシピソフトとしてはとても良く売れるものの、DSソフトとしてはそこそこの売上に留まる、と予想しています。
なぜなら、DSの売れたソフトはみな、ゲームとしての面白さを平均以上に持っていたからです。もちろんツールとして役に立つ、脳が鍛えられるということが売上を押し上げているのは間違いないのですが、本当に勉強したいなら、もっと実用的なツールは世の中に山ほどあります。
その中であえてDSの手を取る時に人が期待するのは、「ゲームなら楽しく続くのではないか」というところだと思います。誰だって頭が良くなりたい、自分を鍛えたいと思っているのですが、そのようなことは基本的には辛いです。しかしゲームなら単なる苦行ではなく、楽しさを感じながらできるのではないか、というところが人を惹きつけている、と推測しています。この傾向は、特に「英語漬け」で顕著だと思います。
■売れるソフトの要因その4:生活の邪魔をしない
ただ上記の捉え方だと、いわゆる「脳トレ」「やわらかあたま塾」「英語漬け」辺りのソフトについては説明が付くものの、それ以外のDSのヒットソフトの説明はできません。
僕は、それらのソフトをくくる大きな傾向として、「生活の邪魔をしない」という部分が大きいと考えています。「生活」は「人生」と言い換えても良いです。
生活の邪魔をしないということは説明しづらいので、逆に生活の邪魔をするゲームとはどういうことなのか、以下に例を挙げてみます。
- 1日何時間もはまってしまい、勉強が手に付かなくなった
- ゲームをやりだして、家族間でコミュニケーションが減った
- こんなソフトを遊んでいるということを、他人に話すのは気が引ける、恥ずかしい
- 膨大な時間をゲームに費やしたが、何の役にも立っていないと感じる。むしろマイナスだったようにすら感じる
つまり、いわゆるほとんどのゲームが当てはまります。これはもちろん一般的なゲームの悪い面だけを取り上げただけですので、実際には「信じられないくらい夢中になってしまった」「ゲームをクリアして、深い感動を味わった」「辛い生活から、ゲームをすることで一息付けた。癒された」など、ゲームによって楽しい経験も沢山得られます。
このようなソフトは、ゲーム世界に没入して一時とは言え心が生活から切り離されることで、ゲーム特有の快楽を提供していることから、僕は「生活分断型ゲーム」と呼んでいます。生活と交わるのではなく、切り離されることで成立するゲームということです。ちょうど映画館やテーマパークが、日常から完全に切り離された空間で成立するのと良く似ています。
このように説明すれば、生活の邪魔をしないソフトというのはどういう物か、自ずと導き出されると思います。
- 1ゲームは短い時間で終わり、他の時間を圧迫することがない
- ゲームをすることで、家族間のコミュニケーションが増えた
- こんなソフトを遊んでいるということを、他人に話したくなる
- 膨大な時間をゲームに費やしたが、その分自分の実になったと感じられる
全てとは言いませんが、最近の売れたDSソフトは、上記の条件をかなり満たしていることに気付くはずです。こうした条件を満たすソフトは、結果的に生活時間を分断せず、生活と交わりながら遊ぶことが可能なため、僕は「生活浸透型ゲーム」と呼んでいます。
今まで、ゲームはひたすら「面白さ」「感動」をより強く、高くという方向で進化してきました。そしてそのような「面白さ」「感動」をより強化していくゲームが早急に廃れるとも思いません。
しかしもし、そのような「面白さ」「感動」が、8割、9割の人々にとって、「もう充分」というレベルに達していたとしたら、その8割、9割の人にとっては、「面白さ」「感動」をより強化するというイノベーションは、実は無駄な苦労ということになります。
それよりもむしろ、今までゲームにつきまとっていた「負」のイメージ、特に生活、人生の邪魔になるという決定的にネガティブなイメージを覆すイノベーションの方が、その8割、9割の人にとっては、より有効なアプローチということになります。そして今、DSで起こっている現象はそういうことなのだ、と解釈することが可能なのです。
■ゲーム開発者はどうすべきか
さて今までは、森川さんが紹介した、複数のゲーム会社の方々、具体的にそのマネージメント職に就かれている方向けに、現在のDSブームについて僕が考えている仮設を、なるべく噛み砕いて紹介してみました。特に僕が重要だと考えているのは、「面白く」かつ「生活の邪魔をしない」ということです。
しかし、マネージメント職に就かれている方々にある種の誤解があるのと同じく、実は開発職の方々にも、ある種の誤解があるように感じています。以下に森川さんの記事を引用します。
ただし、
ゲーム制作の現場の人たちはそうは考えないようだ。
ツール系という遊びが一過性のブームである可能性もある。
今この瞬間のマーケッティングの結果が、
これから作るゲームが出るころ(1年先)にも同じとは限らない。
ゲームらしいゲームを作らないことが、
市場を冷やしてしまう可能性もある。
だいたい、
ツール系を否定するわけではないが、
そんなもの「ばっかり」を作るのは楽しいことなのか。
などなどが、現場の声だと感じだ。
まず「ツール系の遊びが一過性のブーム」である可能性は、確かに高いと思います。少なくとも「右脳系」のブームは遠からず沈静化するでしょう。人々は「ゲームなら楽しく鍛錬を続けられるかも」という、ある種の幻想を持っていると思いますから、「脳トレがボケ防止にめざましい効果があることが立証された」「英語漬けでTOEICの点数が上がる人が続出した」などの明確な実証が出ない限り、いつか人々はトレーニングをゲームに頼ることを諦めてしまう、もっと言えば飽きてしまうと思います(逆にもしも実証されたら、市場が再爆発する可能性があるとも言えます)。
しかし、ゲームを遊ぶことによるネガティブな評価を変えていくための具体的な取り組みは、1年、2年という話ではなく、ゲームの進化の方向性の転換と捉えるべきだと思います。別にボリュームの大きいゲームを作るなと言っているのでは無いのです。たとえばおいでよどうぶつの森は、一般的なゲームよりもはるかにボリュームの多いソフトです。そういう点ではコストの低いツール系のソフトを作る、という発想は的を外しています。ポイントなのは生活の邪魔をしないゲームデザイン、もっと言えば生活をもっと楽しくするゲームデザイン、それがこれから求められる方向性だと思います。
そのように考えれば、「市場を冷やしてしまう」というのは、全くの杞憂だと分かるはずですし、「そんなものばっかり作るのは楽しいことなのか」と思い悩む必要もありません。「面白い」ゲームを作るというミッションに変わりは無い訳ですし、それが実用的で無ければならない訳でもありません。
そして何より、自分の作ったソフトを自分の子供には遊ばせたくないと思うよりも、是非遊んで欲しいと思えることの方が、精神的にずっと健全ではないかとさえ思えます。
■ただ方向性が正しくても売れるとは限らない
と、ここまではポジティブな話でしたが、残念ながら今回の仮説を満たせば売れる、という訳ではありません。
例としてもっとも分かりやすいのが、今回の記事の引用先である森川さんが作られた「福福の島」です。
今のDSブームが起こる前から、「生活の邪魔をしないよう1日1回、短い時間遊ぶ」「占いという女性層に注目したテーマ」「生活にちょっと役立つ様々な機能」「人とのコミュニケーションを活性化させる方向性」「ゲームとして最低限の面白さは備えている」など、今回挙げた条件をほとんど満たしています。
もちろん粗捜しをしていけば、プロモーションは弱かったと思いますし、占いというテーマゆえ「役に立つ」というほどの物でないにも関わらず、面白さもそれほどでもなかったという点で、中途半端なゲームデザインだったと指摘することも可能です。もちろん森川さんが言う通り、PSPというプラットフォームの特性(ハードスペックや発売されるソフトのジャンルから、生活分断型の傾向が強い)に足を引っ張られた側面もあると思います。
しかしそれらは全て結果論でしかありません。結局、目指す方向性さえ合っていれば良いのではなく、結局プロモーションや中身のクオリティで、売上は大きく左右されるという当たり前の結論にしか辿りつけないということです。楽に稼げる市場は存在しないと思います。
しかしそれでもなお、生活浸透型の方向性の方が、大当たりする可能性はずっと高いと、個人的には確信しています。
2006年07月05日
生活浸透型ゲーム(2)マーケティングとパッケージメディア
大変お久し振りになります。あれれでございます。
子供にノートPCを壊されて、病院送りになっていました(笑)。てっきり修理代がかかるものだと思っていたら、保障期間内とのことで、送料だけで修理してくれました。ソニーのVAIOなのですが、思っていたよりサポートが良くて良かったです(グラフィック周りの初期不良こそありましたが、ドライバのアップデートで治りましたし)。
元々頻度が落ちていたブログだったので、そのうちやめると思うのですが、ゲーム業界野次馬ブログとしては、せめて次世代機戦争の行く末を見届けてからにしようと思うので、もし良かったらもうしばらくお付き合いくださいませ。
■生活分断型と生活浸透型
ただ次世代機戦争は、TGSまでひとまずお預けだと思いますから、今日は放っておいたままの「生活浸透型ゲーム」について筆を取りたいと思います。
「生活浸透型」という表現は、任天堂の岩田さんも使っていました(対義語としては「没入型」)。
経営戦略説明会のスライド ※「このスライドから動画を再生」のボタンを押してください。
親近感、興味を持てるテーマで、毎日少しずつ遊べ(毎日遊ぶことを強要される訳でもない)、かつゲームを遊ぶことで生活にマイナス効果をもたらさないゲーム、岩田さんはそういったような表現で使われていますし、それが「生活浸透型ゲーム」の主要な条件だと言えるでしょう。
ただ、それはゲームデザイン的な観点から見た時の「生活浸透」です。しかしそれとは別に、あるゲームが売れる時は、単にゲームデザインが優れていただけでなく、マーケティング面でも「生活浸透型」であったのではないか、と最近思うようになりました。
これは別に生活浸透型ゲームが生活浸透型マーケティングを行っていたということではありません。生活分断型ゲームも、同じように生活浸透型マーケティングの恩恵にあずかっていたという意味です。
今回の仮説は、ゲームデザインとは直接の関係はありませんが、ゲームがいかにして人の生活に入っていくかということを考えていくと、ゲームデザインとマーケティングを区別する必要性が薄いため、あえて「生活浸透型ゲーム」を語る中でマーケティングについても取り上げてみたいと思います。
■ダウンロード型コンテンツにおけるマーケティング
ここで反面教師として、ダウンロード型のコンテンツを取り上げてみたいと思います。もっとも代表的な物としては、携帯電話ゲームが挙げられると思います。
携帯電話コンテンツは、パブリッシャーであるドワンゴやインデックスが中堅ゲーム会社を買収したことでも分かる通り、かなりの収益をあげています。しかし携帯電話発の大ヒットゲームというものは、未だ生まれていません。それがずっと不思議でした。
しかし、今なら上記の記事とは別の答えを出せそうだと思います。
「コンテンツごとにCMを打てないから」
です。
そんなの当たり前じゃないかと言われそうですが(笑)、これでも色々考えた末の仮説なのです。
まず、大前提として、ダウンロード型や月額課金制のコンテンツは、絶対的な売上はパッケージメディアにはなかなか及びません。高くても500円ぐらいですが、パッケージメディアは安くて2000円、高ければ5000円を越えてきます。
そうなると、いくら利益率が良いと言っても、1本のソフト当たりのビジネスの規模はそんなに大きくありませんから、コンテンツごとのマーケティング費用はそんなに捻出できなくなります。大規模なポータルサイトなら、ポータルサイトのCMを打つぐらいは可能ですが、コンテンツに焦点を当てることはできません。
となると、顧客はそのダウンロード型ゲームの存在を知るのに、かなり高い壁を越えないといけなくなります。携帯ゲームの情報を扱った雑誌を読んだり、そのポータルサイトに訪れて、お勧めゲーム情報を見たりするなどです。
これは、そのゲーム、コンテンツの情報を知るというマーケティングの段階で、すでに「生活浸透型」ではなく、そのコンテンツの情報を積極的に取りに行っている「生活分断型」になっているということです。これでは、潜在的な顧客の掘り起こしは非常に難しいです。
パッケージメディアの長所として、魅力的なパッケージアートや、データを固形物として永久保持することが可能という利便性により、いつ消えてもおかしくない不安定なダウンロード型データよりも、一定の価格プレミアムを持ちます。少なくとも現状では、数倍の価値を持っていると言って良いでしょう。そのように価格が高いことが売上を押し上げ、ひいてはコンテンツごとにCMを打つ余裕を生み出します。そしてCMが流れることで、自分からは情報を取りに行かない潜在的な顧客の生活に、マーケティング活動が文字通り「浸透」し、売上を押し上げているのです。
■「店頭」という価値
パッケージメディアの利点はそれだけではありません。
たとえば携帯電話ゲームでも、世間一般にはそれ程知られていないだけで、実は下手なゲームよりもずっと多くのユーザーに親しまれているゲームは多くあります。しかしどのゲームがブームになっているとか、売れていそうだということが、顧客に実感として伝えるのが非常に難しいです。ポータルサイトでの文字情報や、ネット上のゲームの感想に頼るしか無いからです。
しかしパッケージメディアは、その点でも有利です。店頭で商品が大量に面出しされていたり、逆に売り切れていたりすることで、「ああ、売れているんだな」ということが実感として感じられるからです。これが音楽だったりすると、よく有線でかかっているとかCMやドラマに使われているとか、生活に浸透してくる機会はより多くなります。本屋でいつも目にする表紙とか、生活を送っていると自然に「あれが売れているらしい」という情報が植えつけられたりしますが、それと同じです。週刊誌は、CMはほとんど打っていませんが、毎週コンビニやキオスクに並ぶことが、そもそも生活浸透型のマーケティングになっているとも言えます。表紙がCMなのですね。
同じようにゲームでも、CMで見たことがあるゲームが店頭の目立つ場所に陳列されていたりすると、それだけで手を取ってしまう人は少なくないのではないかと思います。またドラクエ8では、CM以上にコンビニでの情報露出を重視したそうですが(予約キャンペーンや、ノボリの設置など)、これもそうした生活の中で自然にコンテンツの存在を認知してもらうことの大切さを認識してこそだと思います。
ただそういうパッケージの生活浸透という点では、ゲームは他メディアに比べて、まだまだだと思います。旧スクウェアのコンビニ販売は、そういう点では非常に画期的でしたが、挫折してしまったのは残念でした。
■ゲームの売り方の今後
話をまとめますと、パッケージメディアはダウンロード型と比べて流通コスト、在庫コストがかかるというデメリットはあるものの、それによって得られる価格プレミアムによりCMを打つことが可能になったり、またパッケージそのものがマーケティングの一要素として機能するというメリットがあるため、生活浸透という観点からは、ダウンロード型より逆に有利になっている、ということです。
そして、それが携帯電話ゲームがブームにまで到らない原因の一つではないか、というのが僕の仮説です。この仮説を検証するには、何らかの形で消費者がその存在を知ってしまうような強力なマーケティング(口コミからCMやワイドショーまで)を伴った携帯電話ゲームの登場を待たなくてはなりません。その日まで気長に待ちましょう(笑)
ここで言う「生活浸透型」のマーケティングは、普通に生活をしていたら、ごく自然にその商品の知識を持っていた、ということです。CMを良く見た、店頭で良く見た、などです。僕はマーケティングの知識はほとんどありませんが、このようなことは恐らく基礎中の基礎ぐらいの話だと思います。
次世代機ではネットワーク機能が標準化され、また本体内の大容量セーブ領域により、ダウンロード型のゲームが注目されています。しかし生活浸透型のマーケティングのためには、むしろこれからはより一層パッケージ販売の重要性が増してくると予想します。より生活に浸透するようなソフトの売り方が求められていると思います。
2006年05月12日
各社のオンライン戦略について
今回のE3の特徴として、毎年必ず耳にする「不作」という言葉が聞かれないことがあげられますね。みなお祭りを、思い思いの方法、立場で、存分に楽しんでいるようです。本当に良いことです。
もちろん現地に行けた人こそがもっともエンジョイしたのでしょうが、今や容易には入れないメディアブリーフィングにも、ラグ無しでストリーミング中継されますし、どんなソフトが出展されて、どんな様子だったのか、行列に並ばずとも詳細に知ることができます。良い時代になったものです。
しかし、今回のE3の真の目玉は、プレイアブルタイトル以上に、プラットフォーム3社のオンライン戦略が垣間見えてきたことだと思います。
■SCEのオンライン戦略
当ブログでも何度も予測してきましたし、多くの方も同じ意見だと思うのですが、今のSCEのオンライン戦略は、Xbox Live!の後追いです。上回ろうとするのではなく、まずはキャッチアップすることが最大目的だと思われます。あえて言えば、利用料金では上回ろうとするかもしれませんが(サービスが安定するまでの間は無料という噂も流れていますね)。
ただ、SCEとは別系統ですが、新しい動きも出てきました。
ITmedia News:LaunchPadに見るPS3オンライン戦略のヒント
LaunchPad開始時には、ソニーの「エバークエスト」「エバークエスト2」「The Matrix Online」「Star Wars Galaxies」「PlanetSide」が提供される。月額24.99ドルの会員制プラン「Sony Station Access」を介して、これら5作品を無制限にプレイできる。
これはつまり、オンラインゲームのサブスクリプションサービスですね。構想としては、かつてのスクウェアのプレイオンラインとも似ています(プレイオンラインは利用料金は各ゲームごと個別ですが)。
ただオンラインサービスで課金をするなら、利用料は徴収せず、買い切り制で課金するのが最も利用者の抵抗感が少なく、結果的に成功するというのは、iTunes、ハンゲームなどで既に実証済みです。ですのでニッチサービスの域を出ないと予想します。買い切り制の方が良いというのは、マーケットプレイスの盛況も同じ理由で説明できますし、Wiiのバーチャルコンソールも同じですね。
話は脱線しましたが、SCEのオンライン戦略には独自のビジョンが無いため、どうしても競合に対して1周遅れになってしまっています。オンラインエンターテイメントに対する一定の見識を持ったビジョナリーがいないと、オンライン戦略で他社を上回ることは難しいと思います。ちょうどiPodに対してウォークマンが常に1周遅れなのと全く同じ状況が、ここでも再現されてしまっています。SCEの組織体制の課題の1つですね。
■MSのオンライン戦略
一方MSは、Xbox Live!というオンラインプラットフォームを、PC、携帯電話とのクロスプラットフォーム対応を実現させる「Live Anyware」構想を発表しました。
Xbox Live!がPCからも利用できるようになることは、XNA構想の頃から語られてきたことですので、それ程新味は無いのですが、MSが支配力を持っていない携帯電話とも連携させるという発表は、業界全体にとってはかなりのサプライズだったはずです。
GAME WATCH:ビル・ゲイツがE3初登場で訴えたLive Anywhereとはなにか〜ハードウェアの垣根にとらわれないネットワーク&ユーザー本意のゲームプラットフォーム戦略
この構想は、ゲーム機以外へのゲーム提供を本格化させている企業、たとえばEAやスクウェアエニックスのような企業にとって、喉から手が出るほど欲しい環境です。もちろんスクエニは「プレイオンライン」で、自社でそのプラットフォームを築こうとした訳ですが、今となってはそれも厳しいのが現状です。Live Anywhereがユーザー本位かどうかはともかく、コンテンツ企業を引き付ける力があるのは間違いありません。そういう意味での「サプライズ」です(もちろん、E3前から構想は聞いていたでしょうが)。
ですのでたとえばスクエニは、今回は360へのコミットメントを明らかにしませんでしたが、僕は確実にFF13は360にも供給してくると予想しています。今回のE3はPS3のお披露目でしたし、スクエニのメディアブリーフィングはSCEの直前でしたから、株主に対して水をかけるような真似はしませんでしたが、合併で保有割合も下がっていることですし、じきに360への供給を発表するでしょう。
記事中でも語られていますが、最近盛り下がってきているPCゲームに対しても、Windows Vistaで相当なテコ入れを行うようですし、最近MSが推し進めているオンラインせービス計画の中でも、Xbox Live!がかなり重要視されているなど、「WindowsでPCを支配するMS」ということが、ゲーム業界にとってもジワリと効いてきた感があります。特にその中でビジネスを行っているパブリッシャー各社にとっては、MSの存在感がかなり大きくなってきていると思います。身体はまだSCEを向いていたとしても、顔はもうMSを向いているんじゃないでしょうか。
そして、そのようにして大型コンテンツを惹きつけることでLive Anywhereの利用者が増えれば、オンラインサービス分野で遅れを取っていたMSにとっても、大変な利益になります。単にリビングルームの覇者となる以上の価値があることかもしれません。
■任天堂のオンライン戦略
任天堂のオンライン戦略は、今回のE3で「Wii Connect 24」というサービス名で紹介されました。具体的な内容はまだ不明ですが、スタンバイ状態で24時間オンラインに接続され、任天堂からデータがプッシュされたり、他の友達からのデータが届いたりなどの使い方が想定されているようです。そのようなサービスにより、毎日電源を入れたくなるような魅力を提供することを目指すと宣言されました。
このサービスが目指す方向性は非常に分かりやすいです。ゲームのマボロシ的に表現すれば、Wii Connect 24は「リッチコンテンツ」ではなく「ローコンテンツ」を目指していると言えます。

もしも最近こちらにやって来た方でしたら、1年弱前の記事になりますが、以下をどうぞ。
ゲームのマボロシ: 娯楽の世界の次の10年はどうなるか:最終回(11) 「ローコンテンツ」
上の記事は、ザックリ言えば「○年間かけて練り上げた極上のエンターテイメント」も良いけれど、これからの10年は「もっとパッと作れて、なおかつプレイヤーが自由にコンテンツを更新していけるような、テレビや2ch、ブログ、mixiのようなエンターテイメント」が伸びていくんだよ、という内容です。
僕の支離滅裂な文章よりも、UIEの中島さんが的確にWii Connect 24の意図を説明されていますので、下のエントリーをお勧めします。
CNET Japan Blog - 中島聡・ネット時代のデジタルライフスタイル:毎日電源を入れるのが楽しみになるようなサービス
そしてそういうコンテンツというのは、ローコストで、ロークオリティで、ローボリュームであっても全然構いません(プレイヤーによるコンテンツの更新も含めるとハイボリュームとも言えます)。何と言っても更新頻度が命ですから。
ですからWiiが、他の次世代機よりもグラフィック能力が低い(HD非対応)のは必然とすら言えるのでしょう。それはローコンテンツには必要無い機能だからです。
ただ、そのような「毎日楽しむ」娯楽は、逆に言えば「毎日遊ぶのはおっくう」と思われたらおしまいです。ですので、とにかく利用者の生活の邪魔をしないよう、徹底的な配慮が求められます。それが岩田氏の言うところの起動時間の速さだったりする訳です。つまり「生活浸透型ゲーム」ですね。
ただ、そのようなビジョンに辿りついたからと言って、成功するという訳ではありません。ローコンテンツを実現する手段は、ゲーム機に留まらないからです。むしろPC、携帯電話、テレビなどの方が、遙かにその世界の近くにあります。ゲーム機という存在がその世界にチャレンジするというのは、簡単なことではありません。むしろ高性能により利用者を魅了する、従来の方法論の方が遙かにリスクが低いでしょう。
Wiiには、今追い風が吹いているように見えますが、それはあくまでゲーム業界という狭い世界の中で起こっていることでしかなくて、Wiiが本当にアピールしたい人々は、まだWiiという名前すら知らない状態です。そしてそういう人たちにアピールするゲームは、E3でのプレイアブルタイトルを見る限り、まだまだ全然足りません。まさしく、まこなこさんが指摘する通りです。岩田氏の言葉と裏腹に、ゲーマー向きのタイトルの割合が多かったと思います。この辺りをどう修正してくるか真剣に取り組まないと、任天堂の構想も絵に描いた餅になってしまいます。もし今の追い風に慢心することがあれば、容易に舞台からの退場を迫られるでしょう。
※ 蛇足になりますが、「生活浸透型」かそうでないかが、DSとPSPを分けた分岐点だった思うのですが、恐らくクタタンはそうは思っていないと思います。クタタンは典型的な「リッチコンテンツ」の崇拝者なのでしょう。かなり前のインタビューになりますが、ウェブがテキストベース主体であることを批判していました。しかし今となってみれば、たとえばGoogleはまさにテキストベースでここまで成長してきた企業なのです。
Ascii24:これがプレステ2だ!―SCE久多良木健氏インタビュー―
――1394とかUSBを付けた意図は?
A あれは標準インターフェイスだから付けただけで、間違ってもUSBがあるからキーボードやマウスが繋がるとかWebブラウザを動かすとかぜんぜんぼくは考えていない。そもそもHTMLなんていう文字文化は20世紀で葬り去りたいと思っているわけ。HTMLとかブラウザはARPAnetとはまったく違う場で作られたものでしょ。それがあたかも一つのものであるかのように思われて、インターネットというとあれだと思われてること自体がおかしいと思う。
まあ今ではWebブラウザが標準で用意されるようになりましたけど(笑)
■まとめ
以上をまとめますと、SCEは、未だ他社の後追いをしている状態だということ、MSはオンラインサービスの覇者となるべく全社的に舵を切ろうとしていることが、Xbox Live!にとって明らかに追い風になってきていて、大規模パブリッシャーを惹きつけるだろうということ、そして任天堂は、ゲームのマボロシ的に言えば「ローコンテンツ」的な、もっと普通に表現すればWeb2.0的なオンラインサービスを目指してくるだろうということ、が今回のE3から読み取れることです。
この戦略の差異は、これから3社の行く末を大きく左右することになるだろう、というのが僕の考えです。
2006年04月24日
生活浸透型ゲーム(1)
■生活分断型ゲーム
ゲームには2種類ある、と最近考えるようになってきました。「生活分断型」と「生活浸透型」です。
「生活分断型」というのは、それを遊んでいる間は生活(人生と言い換えても良いです)のことを忘れていられるようなゲームのことです。少なくともそれを遊んでいる間は、ゲーム>生活になります。映画を観ている間やテーマパークにいる間は生活のことを忘れる、というような感覚でしょうか。生活のことを忘れられるからこそ価値がある娯楽だとも言えます。いわゆる寝る間も惜しんで遊んでしまうような中毒性のあるゲームですね。あまりに没頭しすぎると、生活に支障を来たす(たとえば勉強がはかどらなくなる、遅くまで遊びすぎて次の日の仕事が辛い、など)ことも良くあります。
従来、面白いゲームというのは、このようなゲームを指してきました。そして作り手も、そのようなゲームを作ることを目指してきました。プレイヤーはそのゲームを遊んでいる間はゲームという存在が絶対になるため、そのクリエイターの存在にステイタスが生まれるためです。映画監督が世間的に評価されるのと似たようなものです。
しかしこれらのゲームには決定的な弱点が存在します。それは長所とまさに表裏一体で、つまり「生活にとって邪魔」な存在だということです。
当然ですが、生活をつつながなく送るには、ある程度その生活に集中することが求められます。学生として勉学、スポーツに励んだり、家事をこなしたり、良い仕事をしたりなどです。決して簡単なことでも、短い時間で済ませられることでもありません。生活分断型のゲームを遊んで生活が向上するというのは、娯楽を提供する側に回った時や、娯楽を分析する側に回った時の知識の蓄積ぐらいではないでしょうか。
しかし生活分断型のゲームは、まさにそうした生活のある一定の時間をゲームに集中することを強要します。ゲームに集中してもらわないと生活分断型である「一時的にでも生活を忘れて感動できる」という娯楽の特性を発揮できないからです。
だから今のゲームは、より豪華なグラフィックで(没入感)、よりプレイヤーを夢中にさせる仕掛け(やり込み要素など)を満載させて、プレイヤーの時間をこれでもかというぐらい奪いにかかってきます。もちろん、それらは娯楽としては完全に良いことです。
しかし結果として、ゲームは生活にとって邪魔な存在になってしまいました。いえ、以前からゲームは生活にとって邪魔な存在だったのですが、数多くの娯楽が存在する今、ゲームの娯楽性とコスト(金銭やプレイ時間)が相対的に低下してきて、結果的により邪魔な娯楽になりつつある、ということなのだと個人的には理解しています。
■生活浸透型ゲーム
そういう時代だという前提に立った時に、ゲームが取りえる戦略は2種類あると考えられます。
まずはより生活を忘れられるような強力な没入感、中毒性を有することです。最近だとオンラインゲームがこの方向性かなと思います。中国でオンラインゲームにはまりすぎて栄養失調で死亡してしまったというニュースが流れたことがありましたが、生活分断型の究極的な事例だと思います。ただこれは余りにも極端な例で(極端な例というのはどのジャンルにもあるものです)、この方向性には未来がないと思っている訳ではありません。むしろビデオゲームとしては王道でしょう。
しかし娯楽というものは、別に生活を分断してまで楽しまなければいけない、と決まっている訳ではありません。
たとえば小説です。小説が余りにも面白くて、夢中になって徹夜してしまったという経験を持つ人は少なくないでしょう。こういう時に小説は、まさに生活分断型です。しかし「栞」というツールを得ることで、小説は毎朝の通勤時間に読む娯楽へと変身することができます。この時の小説は生活の邪魔をしません。小説を読んでいても、降りるべき駅に着いたらそれで栞を挟んで読了です。つまり小説>生活ではなく、生活>小説なのです。
同じことが映像メディアであるテレビにも言えます。オリンピックやワールドカップを深夜に観てしまい、次の日に眠い思いをする時や、勉強しなければいけないのについテレビに夢中になってしまう時などは、テレビは生活分断型の娯楽と言えるでしょう。しかしとりあえずテレビを付けておく、朝、出かける前に目覚ましテレビを観る、などの時は生活を邪魔していません。
そして同じようなことが、最近のゲームにも当てはまるようになってきました。
たとえば生活分断型の象徴のようなゲームジャンルである大型RPGでも、最近はゲーム開始前に今までのあらすじを確認できたり、次の目的を改めて教えてくれるようなゲームが出てきました。こうしたゲームはつまり、1週間に1度しかゲームを遊べない週末ゲーマーのことを考慮してくれているのですね。つまり遊ぶ人の生活を邪魔しないように気を使っているのです。また移動中に遊ぶことが多い携帯機用ゲームは、クイックセーブ機能を持つものが多いです。これも生活を邪魔しない知恵です。
つまり、より生活の邪魔をしようという知恵と、より生活の邪魔をしないようにという、両極端な知恵の働かせ方があるのです。そして僕は後者を「生活浸透型」ゲームと、最近は呼ぶようにしています。
なるべく生活の邪魔をしないで、かつ面白いというのは、ゲーム特有の没入感、中毒性を控えつつ面白がらせるということですから、決して簡単なことではありません。携帯電話ゲームは、すき間時間に遊ばせるということで、こうしたことに非常に自覚的でしたが、娯楽としてブームを起こせてはいません。生活の邪魔はしないけれど、大して面白くもない、というのがこれまでの生活浸透型ゲーム(カジュアルゲームと呼ばれることが多いですが)の特徴でした。しかしニンテンドーDSが達成したのは、まさに生活の邪魔はせずに、かつ娯楽としての面白さ、話題性を両立させた、ということなのではないか、とは思えないでしょうか。
生活から遊離した一時の麻薬のような快楽ではなく、日々の生活のタイムスケジュールにすんなりと組み込まれてしまうような、生活の邪魔をしない娯楽。しばらくはそんなゲームについて語ることが多くなると思います。

