2007年01月03日
ゲーム会社の存在意義
新年あけましておめでとうございます。
さて、前回の記事で2006年を振り返りつつ、今後の展望を書いてみましたが、あの記事は基本的にゲーム開発者に向けて書いたつもりです。
今回は新年早々の記事ということで、再度、今後の展望を書いてみたいと思いますが、今回は趣向を変えて、現場の開発者寄りではなく、開発のマネージャ寄りの方々に向けて記事を書いてみたいと思います。
既存のゲーム会社に向けた文章なので、これからのネット時代を考えると古臭いと思われる向きもあるかと思いますが、そう感じる方は「自分に向けられた文章では無いのだ」と判断してもらえたらと思います。
■ゲーム会社の存在意義
まず、そもそもゲーム業界、ゲーム会社というのは、何のために存在しているのでしょうか?
第一の理由として、娯楽の1つとしてゲームが求められているという、需要、市場の存在が挙げられます。この需要は、娯楽の常として、世の中の流れや技術の進歩に応じて、拡大したり、縮小したります。時には需要がほぼ消滅してしまうこともあります。
第二の理由として、生活のためにお金を稼ぐ必要がある労働者の存在も挙げられます。こちらは供給側ですね。こちらは、人間が生きている限りは無くなることはありませんから、世の中に市場がある限り、それを満たす程度の労働力は常に確保できると考えられます。
しかし働く側の視点から考えてみると、ゲーム会社への就職がお金を稼ぐための手段でしかないのなら、それは何もゲーム開発でなくても良い訳です。明日から外食産業に転職したってかまいません。現在はお金を稼ぐ手段は様々です。そういう中であえてゲームという将来が不安定な会社に就職する人は、そもそもゲームという対象そのものに興味があることが多いと考えられます。
ですので、ディベロッパーも含めればゲーム会社がこれだけ世の中に多くある現在では、ゲームに携わりたいと考えている人は、働く環境を自主的に選択します。つまり「より自分が興味を持っているゲームを作っている会社に入社する」もしくは「自分で会社を興して、自分が興味を持てるゲームを作る」です。もちろん選択基準には多くの場合「安定した生活」も含まれるのですが、それは条件の1つでしかありません。
つまり構造としては、「市場の存在」という会社が存在するための絶対条件が満たされた上で、「ゲーム」というメディアに興味を持つ開発者たちによって成り立っているのが「ゲーム会社」「ゲーム業界」ということになります。
このことから、つまりゲーム会社は2つの需要を満たす必要があることが分かります。そしてこの2つが、ゲーム会社が存在している意義だと定義付けることができます。
- 市場、消費者に望まれるゲームを出し続けること。
- 開発者にとって魅力的な職場を提供すること、つまりある程度の生活水準と、魅力的なゲームを開発できること。
■市場と開発者の間のギャップ
僕は日本のゲーム業界は、少なくともPS1までは、消費者から望まれるゲームと、開発者が作りたいゲームは、ほとんど一致していたと思います。厳密にはPS1の頃から取りこぼしてきたユーザー層はあったはずですが、市場としては拡大していたので、許容範囲と言えました。
しかしPS2以降は、明らかに市場が求めるゲームと開発者が作りたがるゲームに、ギャップが目立つようになってきました。たとえば開発者の多くは、続編ではなく新作を作りたがります。これは続編ばかりが目立つ現状からすると信じがたいことなのですが、実際にはそうです。しかしPS1では意欲的な新作がブレイクすることが少なくなかったのですが、PS2からはそうした成功例がめっきり減りました。もちろん成功例はありましたので、市場が保守的になったという意味ではありません。しかし少なくとも、開発者が考える「作りたかった新作」と、市場が求める「遊びたい新作」の間に何かしらのギャップが存在した、とは間違いなく言えると思います。少なくとも、PS1の頃よりもそのギャップは拡大しました。
今になって見れば、そのカラクリは実に簡単な仕掛けでした。市場は「よし楽しく、より簡単なゲーム」を望み、開発者は「より面白く、より高度なゲーム」を望んでいた、というギャップです。DSという性能が著しく制限される代わりに、直感的なインターフェースを備えていたゲーム機によって、そのギャップがつまびらかにされました。
以前にも書いた通り、ゲームの難易度は下がり続けていますから、そういう意味では開発者は市場の需要に応え続けていたと思います。しかし難易度は下げても、ゲームの内容やシステムまで簡素化することには抵抗感がありました。それは単に開発者の欲求だけでなく、それがゲームをやり込んだコアユーザーの欲求でもあったからです。
今の時代、ゲームの開発者は22〜32歳ぐらいがもっとも開発者の層が厚いと思いますが、この世代は年少の頃からゲームに親しんできたコアユーザーが多いです。ですので開発者とコアユーザーの間には、意識のギャップは余り無いのですね。一方で、ゲームはあくまで一時の余暇と割り切っているような層とは、年々意識のギャップが拡がっています。
こうした状況は、特に自身がコアユーザーである開発者にとっては、直視しづらい物となります。その代表的な物の1つが、まさにコアユーザー向けの1ジャンルとして栄華が終わりつつあった頃のシューティングゲーム「レイディアント・シルバーガン」サターン版に収録された、ディレクターによる隠しメッセージです。
シルバーガンにおいては「シューティングゲーム」という、ゲームの1ジャンルの栄枯盛衰のみに限定された問題でした。しかし今日においては、いわゆる「より高度なゲーム」全体が地盤沈下を起こしかけているという点で、問題の範囲は非常に大きくなっています。そのため開発者による反発も、より大きいものがあります。
しかも北米というより大きい市場においては、より高度なゲームが歓迎されるという土壌ががあります。このことが問題をより一層根深くしています。実際、カプコンのように次世代機らしいゲームで海外で多くを売り上げ、成功している例がありますから。
■経営不振の真因
つまり現在は、先に挙げた
- 市場、消費者に望まれるゲームを出し続けること。
- 開発者にとって魅力的な職場を提供すること、つまりある程度の生活水準と、魅力的なゲームを開発できること。
というゲーム会社が存在している意義における「ゲーム」は、PS1の時代までは同じ物を指していたのですが、PS2以降は違う物を指すようになった、という状況にあります。つまり存在意義が矛盾している訳です。ここに現在のゲーム会社の多くが経営不振に陥っている、真の原因があります。
たとえば仮に、トップダウンの力によって、開発者自身は望まないが消費者からは望まれるゲームを開発して、一時的に大きな利益を挙げたとしても、それでは存在意義(2)を満たせないので、その会社は求心力を失い、有能な開発者は会社を離れてしまうでしょう。そうすると長期的にはその会社は衰退してしまうことになります。そのような例を、私たちはすでに多く見てきているはずです。
■開発者マネジメント
ゲーム開発者の多くはコアゲーマー寄りであるという前提に立った場合、もはや開発者にゲームを自由に作らせればうまくいく、という時代は終わったということになります。しかし嫌々「売れるゲーム」を作らせてばかりいては、その会社は長期的には衰退します。この矛盾を解決しないと、ゲーム会社という組織は自己矛盾に陥り、存在することができなくなります。
それを解決するには、開発者の意識を変える必要があります。それも強制的な手法ではなく、むしろ開発者が自発的に市場に合ったソフトを開発するような雰囲気、考え方を根付かせるということが必要になります。それは簡単に言えば人材教育ということになりますし、少し独自の言い回しをさせてもらうなら、開発者マネジメントがより重要になる、という表現になります。開発者1人1人に自発的な変革を促すということは、人材教育という言葉だけでは括れない、包括的なマネジメント作業となるからです。
これからは、それに成功した会社が成長していき、失敗した会社が衰退していくという流れがより加速していくと思います。最新技術のキャッチアップなどとは違い、目に見えにくく、また効果がいつ出るかも分からないという点で、非常に難しい改革になると思います。しかし持続的な成長を目指すためには、避けては通れない道だと思います。
この問題をさらに推し進めると、そもそもどこまで開発者を正社員として抱え込むべきなのかという問題や、パブリッシャー、ディベロッパーの関係の再構築、最近増えてきた独立系のエース級開発者との協働などまで話題が拡がるのですが、それについてはすでに多くの方々の関心事だと思いますので、特に触れません。
繰り返しになりますが、ゲーム会社は、市場の欲求(需要)を満たすことと、開発者の欲求(生活の糧、仕事を通じての自己実現)を満たすことが存在意義です。そして今、その両者のギャップが開いてきているのが、今日の様々な問題の真の原因であり、会社が成長していくためには、そこを解決しないと本当の解決にはならない、ということなのです。
2006年04月02日
FF X-2
今朝、FF12の売上予想の記事を書いていて、たまたま検索して見つかったのが以下のインタビュー記事です。
PlayStation.jp:Creator's Talk No.22 北瀬佳範
今、読んでみても面白いインタビュー記事なので、読んでいない方は読んでみて欲しいのですが、あれれ的にツボに入った箇所をピックアップしてみます。
――最大200人のスタッフが、2年間! 『ファイナルファンタジー』シリーズは、おそらく今の日本でも有数の巨大なプロジェクトだと思うのですが、それほどの企画をスタートするときというのは、どんなところからはじまるのでしょう。
「最初は雑談レベルにかなり近い感じです。シナリオの野島(一成)とは、『ファイナルファンタジーVII』からいっしょにやっているので、前の作品を作っているときから、次の作品ではこんなことをしたいね』と話し合ったり、メールをやり取りしているんです。それがだいたいのスタートになります。 もちろん開始時にはプランナー10人くらいが集まって、アイデアを持ち寄ったりするんですが、基本的にはシナリオライターの野島が「今回はSFじゃなくて、アジアのテイストで行こうと思う」という方向性を提案して。そこから、社内LANで用意してある「掲示板」でアイデアをつけくわえて、ふくらませていくんです。デザイナーならば絵を描いて掲示板に上げたり、プランナーだったら文章でストーリーを書くことになります。」
この後のインタビューで、FF Xが極めて強いシナリオ先行型の開発で開発が進んだことが語られていますが(一般的にストーリー重視のRPGのほとんどはそうだと思いますが)、それ故、最初のプリプロダクションが非常に重要になってきます。特にFF Xは多少スケジュールが延びたものの、あの規模のゲームで、かつハード立ち上げ時だったことを考えると、極めて進捗がうまくいったタイトルでしたから、そういう面でもプリプロダクションの手法は気になる訳ですが、インタビューを読む限りでは、至極真っ当な方法で行われていたようです。
――今回はかなりスタッフが自由に作っている印象があります。
「『ファイナルファンタジーX-2』の裏テーマは“スタッフも楽しみながら作る”だったんです。前作はシナリオ先行でスタッフが作っていた側面があったんですが、『ファイナルファンタジーX-2』では、スタッフがそれぞれシナリオを持ち寄って、作っています。 今回一本のシナリオじゃなくて、ミッションセレクトの方式を取っているのは、そんな意味もあって。もちろん野島がすべての監修をしているんですが、基本的にはスタッフがネタを持ち寄って、楽しみながら作った作品なんです。」
この部分は、個人的にはかなりツボでした。トップダウン形式の開発だったFF Xに対し、ボトムアップによる開発を重視した訳ですね。こうした事はゲームを遊ぶユーザーさんには直接関係が無いことですが、ゲーム開発にこうした「裏テーマ」「裏コンセプト」があることは、良くあることです。裏テーマは、FF X-2のように開発者の育成だけでなく 、社内の雰囲気を変えることだったり、会社と会社の結び付きを強めることだったりと、様々です。
そして若いスタッフを育てるために、あえてゲーム内の要素を1つ1つ独立させて、その中である程度自由に作らせて、自主性と問題解決能力の育成を図る、というのも良くある方法です。FF X-2の場合は、それがミッションセレクト方式だったのですね。
さて、北瀬チームは次世代機向けのFF最新作を手がけていると思われますが、X-2から随分間が開きましたから、もうとっくにプリプロダクションの期間は過ぎて、本制作に突入していることでしょう。アドベントチルドレンで、FF的な美形キャラをCGで作り出すことについては、ほぼ完成の域に達しました。次はそれをリアルタイムで実現してくるのか、それともあえて違う形のFFを見せてくれるのか、とても楽しみです。
2006年03月07日
サイバー・コネクト・ツーの松山さん
Gpara.com クリエイターズ・ファイル:「大切なのは燃えて遊べるゲームを作る事」松山洋さん
またまたものすごくとってもひじょうにすばらしくさんの紹介からです。
サイバー・コネクト・ツーの「ツー」(英語社名だと「2」)って何だ?と以前から不思議に思っていたのですが、本当にシリーズ作的な意味合いの「2」のことだったのですね。会社で「2」というのも珍しい、というかここぐらいかも。しかし「サイバー・コネクト」だと普通なのに、「サイバー・コネクト・ツー」になると急に妙に耳に残る社名になるから、不思議ですね。
それはともかく、ゲーム(あえて「作品」と呼ばれていますね)を作るうえで大事にしていることとして挙げられていることが、非常にためになります。「一番大切に」と言っておきながら、複数挙げているのが面白いですが(笑)
また、作品を作るうえで一番我々が大切にしていることですが、それは「自分たちにしか作れないゲームを作ること」「新しさと懐かしさと愛しさと遊びやすさをきちんと詰め込むこと」「ダサくならないこと」「作っている自分たちが常に笑いながら作っていること」「関わった人たちがみんな幸せになれること」まあ、色々ありますが。そして、何より考えていることは。「ユーザー=遊ぶ側の気持ちになって、燃えて遊べるゲームを作ること」ですね。
沢山ありすぎて、なおかつ理想論的に聞こえるところもあるかと思いますが、個人的にはかなり重い言葉だと感じました。サラッと言っているのですが、たぶんどれも何がしかの経験や蓄積、過去の失敗からの教訓などが含まれていると思うからです。
特に「作っている自分たちが常に笑いながら作っていること」「関わった人たちがみんな幸せになれること」の2つは、マネージメント的な意味合いを多く含んでいるのですが、すごく大事なことだよな、と思います。100%の実現は無理でも、それを目指してマネージメントするのと、そうでないのとでは、関係者の士気だけでなく、アウトプットのクオリティにも大きな影響があると思います。モチベーションマネージメントという感じでしょうか。いかに開発チームの雰囲気を良くしたり、広報や営業さんと意気投合して協力していけるかというのは、世のプロデューサー、ディレクター、マネージャー共通の思案どころだと思います。
でも松山さん的に一番大事なのは、「ユーザー=遊ぶ側の気持ちになって、燃えて遊べるゲームを作ること」なのですね(「燃えて」が入るところは松山節ですね)。これは言葉にすると物凄く当たり前のことに聞こえますし、実際これを意識していない開発者は誰もいないと思うのですが、じゃあそのためにできることを全てやっているかというと、色々面倒なことも多いので、なかなかやれない開発チーム、会社が少なくないのではないかと思います。
面倒というのは、ゲームについてきちんとユーザー視点で評価してもらうには、ゲームがある程度出来上がっている必要があるのですが、ゲームが出来上がりつつある頃は、時期的にマスターアップ直前であることも珍しくないため、そんな時にユーザー視点の評価を挟むゆとりが無い、ということが主な理由です。松山さんも、ゲームの最後の1ヶ月の調整の大事さについて、簡単に触れられています。
今は、最新作『.hack//G.U.』の最後の追い込みにスタッフ一同、激動の毎日を過ごしています。ホントに。まあ、最後の1ヶ月で全然仕上がりが違ってきますからね…。ゲーム制作は。最後の最後まで気を抜くことがないように頑張りますよ!
その大事な最後の1ヶ月に、どれだけ客観的な視点からの評価をゲームに取り込むことができるかが、ゲームのクオリティを左右すると思います。たとえばドラクエシリーズは、その辺りに堀江さんの経験、センス、調整能力が効いているのではないか、と思います。Half Lifeシリーズの制作元である Valve社では、開発初期段階からテストプレイヤーからのフィードバックを取り入れていると講演で語っていましたね。
ただ.hackのようなシリーズ作の場合は、前作のユーザー評価を新作にフィードバックすることができますから、そういう意味ではユーザー評価を取り入れやすいということもありますね。評価は高かったけど荒削りな部分があった1作目に対して、ユーザーからの評価をフィードバックした2作目でゲームが洗練される、ということは良くあります。最近だとモンスターハンター2やサイレン2などが、そのような評価を受けているみたいですね。真三国無双2もそんな評価だったと思います。
とまあ、松山さんのインタビュー記事を肴につれづれと書いてみましたが、騙されてはいけないのは、こういう人は絶対に外向きの言葉と内向きの言葉は使い分けているということです。嘘をついているとかそういうことではなくて、外向きの綺麗な言葉と、内向きのリアルな言葉がある、というような感じです。インタビューも100%本音で語っていると思うのですが、開発の100%を語っている訳ではないだろうな、ということです。
たとえばこの辺り。
ゲームクリエイターになりたい人は、とことんゲームを好きになってください。好きなあの子と同じように。そうすればなれますよ。
嘘ではないし、本音だとも思うのですが、リアルに語ってくださいとなったら、やっぱりそれ以外の部分も出てきます。ただそれをこういう媒体で語っても何のメリットも無いので語らない。
まあこんな風に、色々読み取れて楽しいインタビュー記事でした。
2006年02月12日
企画職とは
※カンフーモンキーさんから(06年2月11日の日記)。
この文章を書いた人は、間違いなく現場のメインディレクターの方ですね。書いてあることはごくごく当たり前のことばかりですが、本当にこんな仕事です、企画職は。同職の方々なら、書いてあることにいちいち頷かれることと思います。
特に以下の2点が非常に重要だと思います。
◆進んで雑用をこなせる人。
担当するパートが不明確な仕事、簡単であっても細々とした面倒な仕事等、人がやりたがらない仕事はすべて企画職の仕事です。 メインディレクターになったとしてもこれは変わりません。 特に、新卒で入社したての時期、企画職としての力がまだ身に付いていない間は、ゲームに貢献することが難しいために、こういった仕事が主体となるでしょう。 それを進んでこなせる人が、企画職になれる人です。
◆精神的にタフな人。
企画職には、重い責任からくるプレッシャー、多くの人と一緒に仕事することからくる対人ストレス、周りからの容赦ないゲームへの評価などに決してへこたれない精神的タフさが必要です。
ただ以下の2点には違和感を感じました(特に太字の部分)。
◆他人とうまくコミュニケーションできる人。
ゲーム開発は多くのスタッフとの協同作業です。 特に、自分で直接なにかを作ることのない企画職は、他のスタッフとコミュニケーションがとれて初めて仕事ができます。 自分の意思を明確に伝え、相手の主張をしっかり聞くことはもちろん、あいさつなど社会人としての礼儀をきちんとして相手に無用の不快感を与えないことまで含めてコミュニケーション能力です。 体育系クラブなどの組織に所属したことがあれば、この点でプラスの経験になっている可能性があります。
コミュニケーション能力は、もちろんあればあるだけ良いです。でも人並み以上に必要かと言われたら、僕はそんな大層な物ではないと思います。人並みにできれば充分だと思っています。
もちろん、ゲームを作りたいという人は大体において内向的な人が多いので、人材募集をかける文章としては強調し過ぎるということは無いと思うのですが、優秀なディレクター=すごいコミュニケーション能力を持っている人、というばかりではないという例をいくつも見てきていますので、「人並み」で充分という結論に達しています。
むしろ体育会系的なお調子者(体育会系の人が皆お調子者という訳ではありません!念のため・・・)は、特に開発末期の緻密な進行を要求される状況においては ノリの良さがかえってうざがられる場合もあります。そもそも基本的にゲームを作る人材は、文化系の人材が多いのですから、そういう人たちの共感を得る(=文化系)というのも大事なことだと思います。
人を引っ張るのは、表面的なコミュニケーション能力だけでなく、その人の内面から滲み出る誠実さだったり、仕事に対する姿勢だったりと色々な要素がありますから、コミュニケーション能力はその中の1つでしかないと思います。もちろん、その中でもとりわけ重要な要素であることは間違い無いのですが。
◆プロ意識を持った人。
企画職は、クリエイターであると同時に会社員であり、当然会社への貢献が求められます。 良いゲームというのは、面白いゲームであると同時に、売れるゲームでなければなりません。 プロとしてものを作っていくということは、このふたつのバランスを求め続けることです。
これはちょっと精神論が入るのですが、そもそも「売れるゲームを作る」ことがプロ意識なのでしょうか?
もしかしたら人によって違うのかもしれませんが、人を楽しませようという物を作っていて、それをより多くの人に楽しんでもらいたいと思わない人がいるでしょうか。1本でも多く売れて欲しい、と思わないディレクターはいないと思います。アマチュアの人だって、それは同じだと思います。
そもそもプロって何?というところから考えないといけないのかもしれませんが、僕は「自分の作りたい方向性」と「お客様が求めている方向性」の折り合いを付けることがプロ意識だという意見には、あまり賛同できません。
企画職が最高の仕事をした時は、面白いゲームを遊べてプレイヤーもハッピー、ゲームが売れて会社もハッピー、みんなから評価されて開発者もハッピー、と三方一両得になるはずだからです。まずはそれを目指すのが企画職の本線のはずで、「面白いゲーム」と「売れるゲーム」のバランスを取るというのは、ややゲームに悲観的な見方が陰に潜んでいるような気がします。「面白いゲーム」と「売れるゲーム」は違う、というような。
個人的には、100点満点のアイディアが無い時でも、きっちり80点のゲームを出すことができるのが、企画職としてのプロ意識かなあ、と思っています。よく調子の悪い時でもそこそこの成績を出すことができるのが本当のプロだ、みたいなことをスポーツの解説者の方が言っていますし(笑)
もちろん、元の文章が言いたいことは良く分かるんですけどね。先のコミュニケーション能力と同じで、お客様が何を求めているかなどこれっぽっちも考えずに、単に自分が作りたいものを企画しようとする企画職が多い!という嘆きなのでしょう。でもそれって、プロ意識以前の問題な気がするんだよなあ・・・。
とまあ、偉そうなことを書いてしまいましたが、つまり最初に挙げた2点さえあれば、企画職は何とかなると思います(笑)
2005年12月22日
AQインタラクティブ設立!
GAME WATCH:AQインタラクティブ、戦略発表会を開催
まず始めに。ゲーム業界の野次馬として、揶揄してしまうような記事を書いてしまう訳ですが、この厳しい時期に、大規模なゲームパブリッシャーが新たに生まれたことは、素直に喝采を送りたいと思います。戦略には疑問符を付けてしまうのですが、チャレンジにはそれがどんな物であれ、僕は価値があると思います。
■パブリッシャーとディベロッパー
さてAQインタラクティブの成り立ちですが、元セガの中興の祖、中山さんが率いてきたキャビアを中心とした、ディベロッパーの集合体という、今までにないタイプの成立の仕方をしているという点が特徴です。
今は皆様もご存知の通り、欧米式の、パブリッシャーとディベロッパーが分離するビジネスモデルが主流になってきています。業界1位の任天堂は内部の開発部隊もありますが、実際には64以降、セカンドパーティーとの協力体制を築いてきていて、きちんと数えたことは無いのですが、今はリリース数の半分以上はセカンドパーティー開発だと思います。業界2位のスクウェアエニックスは、旧スクウェアが内作の権化のような所でしたが、経営危機に陥ったスクウェアを吸収する形で救ったのは、外注オンリーのエニックスでした。業界3位のバンダイナムコも、スクウェアエニックスと似たような形です(バンダイはベックという開発子会社を持っていますが、基本的にはバンダイ本体は外注オンリーのパブリッシャーです)。その他だと、SCEや、D3パブリッシャーも、外注主体のパブリッシャーです(SCEには内作部隊がありますが、D3は外注のみ)。
コーエーやテクモのように、内作中心で頑張っているパブリッシャーもありますが、過去からの流れを考えると、内作中心のままでは、シリーズ物が行き詰まった時に、コナミやカプコン、フロムソフトウェアにように、衰退の道を辿らざるを得ないでしょう。恐らくこれは、どの会社も逃れられない流れで、パブリッシャーとして外注のプロデュース業に比重を移していくか、ディベロッパーとして何らかのパブリッシャーの庇護下に入る(吸収など)かを選択せざるを得ない時期が訪れるものと思われます。
ですので、まずこの1点だけでも、AQインタラクティブの未来は険しいと僕には思えます。パブリッシャーは大きな開発リソースを持たないことで、時代の流れに迅速に対応できるようになりますし、ディベロッパーは小さな規模だからこそ得意分野だけに注力できるため、ある特定の分野でNo.1を狙いやすくなります。しかしAQインタラクティブの設立は、このようなパブリッシャー&ディベロッパーの協働の明確なメリットを、自ら殺すような施策だからです。明らかに時代の流れに逆行しています。
■レッドオーシャン戦略
ビジネスモデルからして、時代の流れに逆行していると思うのですが、ソフト戦略がそれに更に輪をかけています。
今、各所で取り上げられている「ブルーオーシャン戦略」ですが、GAME WATCHの記事を読んでいただけたら分かる通り、AQインタラクティブのソフト戦略は「実録鬼嫁日記」以外は、もっともライバルの多いタイプの、まさにレッドオーシャン戦略を地で行っているゲームばかりです。
もちろん、どのソフトも気合が入った物になりそうなのですが、AQインタラクティブというパブリッシャー自体に馴染みが無い分、たとえばカプコンが発表した「ロストプラネット」などと比べると、ユーザーの取っ付きは良くないのではと想像します。個人的には、今回のラインナップはタイトーの「ツキヨニサラバ」を連想してしまうのです・・・。
ただ中山さんは、他社と同じジャンルで競争する「レッドオーシャン戦略」ではなく、リスクはあるものの、他がやっていない新しいことにチャレンジしていくんだ、という姿勢はあるみたいですし、それがより具現化してきたら、AQインタラクティブは面白い存在になっていくかもしれません。
そんな中でも「ニンテンドーDSやPSPで斬新なソフトが登場してきた」とし、「いくらでもチャンスはある。チャレンジが足らない。では、『おまえの所はできるのか?』と聞かれるかもしれないが、やってみなければわからない。企画会議で『実録鬼嫁日記』が提出され自信はなかったが、でも、やってみなければわからない」と、“やりたいことをやる”という作家性を前面に押し出し、チャレンジ精神で挑んでいく姿勢を示した。
ただ必要なのは作家性ではなく、むしろよりユーザーオリエンテッドなゲームじゃないのかな・・・、とは思うのですが。
あと気になったのが、坂口さんの360での3つ目の新作が、AQインタラクティブから発売になるという点。MSから出すのならともかく、AQインタラクティブから出すのなら、PS3にも対応しておくのが安全だと思うのですが、あえて360オンリーにするというのが、不思議に感じました。
と、まあ辛辣な書き様ですが、やっぱり最後には喝采を送りたいです。今後はパブリッシャーとして、セカンドパーティー業務も充実させていくでしょうし。日本ゲーム業界の台風の目になって欲しいと切に思います。
2005年12月04日
北米の楽天主義の底知れなさ
「大西 宏のマーケティング・エッセンス:マイクロソフトってやっぱり変わっているなあ」で紹介されていたページです。MSのスティーブ・バルマーCEOのパフォーマンスが面白すぎですので、是非(視聴にはQuickTimeが必要です)。
しかしこのビデオを見て感じたのは、アメリカという国の底知れなさです。ホリエモンのようなキャラクターが新鮮に感じるぐらいでは、たぶんまだ生ぬるくて、ああいう人が本当はもっと出てくるべきなのでしょう。オジャマモンは別として・・・。
話としては繋がらないと感じる人もいると思いますが、僕は梅田さんのコラムとも相通ずるものを感じました。
新潮社フォーサイト:セミナーで決意したシリコンバレーへの恩返し
ゲーム業界だと、かつては飯野さんという強烈な楽天主義のキャラクターを持った人がいましたが、ああいう人を許容できない業界になってしまったのが、日本のゲーム業界の斜陽の始まりだったのかもしれません(もちろん、単にゲーム業界が斜陽になったから退場せざるを得なくなった、というのが普通の見方だと思いますが)。
同じように楽天主義の傾向が感じられた、元スクウェアの坂口さんも、飯野さんと同様、ゲームバブルの崩壊に伴いスクウェアから追い出されてしまいました。しかし今のスクウェアの基盤となっているものは、ほとんど坂口さんが撒いた種が実ったものであることを忘れてはなりません。
- FF11(エバークエストにはまった坂口さんが、最後に入れ込んでいたプロジェクトでした)
- アドベントチルドレン(制作拠点、環境こそ異なるものの、FFムービーなくては生まれなかったプロジェクトでしょう)
- もちろんFFシリーズも(超豪華主義は、坂口さんいなくてはあり得なかったでしょう)
逆にスクエニの社長が和田さんになってからの新プロジェクトには、正直見るべきものがありません。エニックスとのほぼ対等合併(に見えた)というウルトラCは見事でしたが、それ以上の人ではないと思います。早い段階でクリエイティブをしきるナンバー2、今風に言うならCCO(チーフクリエイティブオフィサー)が必要だと思われます。
まあでも、バルマーCEOがあのような豪快なパフォーマンスができるのも、MSのあの巨額の利益があるからなんでしょうね。業績が悪化していたら、あんな風にふるまえませんからね。
2005年09月28日
顧客指向とビジョナリー
■次世代の映像規格に見え隠れするユーザー不在の論理
ソニーについて野次馬的に語っていたら、いつの間にか話題がBlu-ray Disc対HD DVDの規格争いの話になっていました。先の記事で、コメント欄でねねこさんに紹介していただいたのですが、デジモノに埋もれる日々さんのエントリーが素晴らしかったので、本記事でも紹介しておきたいと思います。
WintelがHD DVD陣営に参加表明 - 全面戦争は必至?
Blu-rayか? HD DVDか? 「統一こそ正義!」を叫ぶ前に考えること
私自身は、高画質化はもはや第一優先ではない(それはメインのウリにはならない)、という考え方を持っていますし、データがメディアに束縛される世界は早々に終わりにして欲しいと願っています。だからこそ、Blu-ray陣営の描く世界が示唆する 「大量のメディアに囲まれる未来」 に対して不安を抱いています。
本当にその通りですね。
供給者側の理屈でしかない、行き過ぎた著作権保護の問題については、AV評論家の麻倉さんも、まさに全く同じ指摘をしています。
ITmedia 「ブルーレイは大好きだがコピーワンスは大嫌い」
「コピーワンスというDRM技術は、あまりにもコンテンツホルダーよりで過去の遺物。ユーザー=悪人視は絶対におかしいということは、CCCDの失敗でも証明されている。ハイビジョン文化を健全に発展させるためには、ユーザーを大事にするDRMを作ることが必要」
これほどまでに識者に指摘されていることが何故実現できないのかというと、恐らく規格策定の関係者が「企業全体の利益最大化」、いえ「業界全体の利益最大化」を「商品ごとの最適化」よりも優先しているからです。
こういう事をやっていると、アップルのような思わぬ刺客に、せっかくの市場を根こそぎかっさらわれてしまいますよ、業界人の方々。これからは地上波デジタルだ!と思っていたら、10年後にはIP経由でのテレビ放送に取って代わられたりとか・・・。
■ビジョナリーの存在
なんて思っていたら、また次世代ディスクの話に戻りますが、業界の方にも「消費者の利便性」をメインで考えている方がおられました。東芝の藤井さんです。
Phile web 「東芝が年末新商品を発表:次世代映像製品のカギは「明確なコンセプト」」
色々な方から規格を統一して欲しいといわれているが、我々が0.1mmの保護層をサポートするのは困難。しかしながら、議論の中心が物理規格になるのはおかしいと思っている。なぜなら、「次世代DVDでは何ができるのか」「ディスクがどれくらいのコストで作れるのか」「ユーザーにどんなメリットをもたらすものなのか」を議論することの方が大事だと思うからだ。今後長きに渡り、消費者に何を提案できるフォーマットなのかを考えるための議論であれば、私は交渉を再開する準備をいつでも整えたいと思っている。
保護層を何ミリにするのかというのは、まさに企業側の都合。ユーザーには関係無いことです。
そうではなくて、まずは次世代DVDでユーザーにどんなサービスを提供すれば喜んでもらえるのかというところから考えて、その後、それを実現するための規格を考えていくべきだ、というのが藤井さんの言いたいことだと思います。そして暗に、Blu-ray Disc側は、どんな議論よりもまず先に0.1mmありきで話を進めたがっているということを示唆しています。
もちろんあくまでHD DVD側の話ですから、真実は分かりません。しかしこの藤井さんと言う方、家電業界では有名な方なのでしょうが、卓越したビジョンを持っておられる方なのではないかと思いました。最近の東芝のAV機器には一本筋が通っていると感じていたのですが、もちろん現場の方々の力が大きいと思いますが、こういう方の存在も寄与しているのかなと推察します。
■顧客指向とビジョナリーの関係
先の記事で「顧客志向が大事」と書きましたが、書くのは簡単なのですが、実行するのはとても難しいと思います。既得権益や守らなければならない売上がある大企業になるほど、小回りが効かなくなり、惰性に流されれば簡単に「企業指向」になってしまうと思います。人間は楽な道(より儲かる)の方に流されるものだからです。ゲーム業界が続編指向になってしまうのと同じです。
大企業でその惰性を断ち切るのは、明確な顧客指向へのビジョンを持つリーダーシップが必要です。それがビジョナリーの役割だと思います。
顧客指向は、企業指向と正逆の方向性であるため、時として社内の既得権益や売上を破壊してしまう場合があります。ベンチャー企業ならともかく、大企業では口で言うほど簡単なことでは無いはずです。オラクルの先日の発表も、ラリー・エリソンさんのビジョンが無ければ、到底実現できないものでしょう。
だからソニー復活は、そのようなビジョナリーが登場するかにどうかにかかっていると言えますね。「カスタマービューポイント」を掲げる中鉢さんがそうなれれば良いのですが、リストラには反対姿勢っぽいので、どうなることか・・・。って話がそこに戻る(笑)
まあつまり、「顧客指向」の実現には、ベンチャー企業並のビジョンのトップダウンが必要だよ、というお話でした。
2005年09月25日
事業の選択と集中 −何が企業の競争力になるのか
nikkeibp.jp 「ソニーの中期経営計画、すべては想定内に収まる」
AV WATCH 「ソニー、新経営方針を発表。05年度営業利益は200億円の赤字」
先日のソニーの経営戦略発表は、各所で辛辣な批評にさらされているように、従来の方針への反省はあるものの、未来への方向性が見えない、徹底さを欠いたものでした。
その中でも、悪名高かった人事評価でのEVA連動評価をやめること、組織の横方向のコミュニケーションを活性化させるなどは、評価できる施策だと思います。改革の第一歩は、まずは現場のモチベーションアップだと思いますから。
また社長自らが現場に赴き、積極的にコミュニケーションを取ったそうですが、こうした事も良い方向に寄与すると思います。また先日記事にも書きましたが、顧客指向の商品開発がこれからは重要だと思いますが、中鉢さんはその事を非常に重視しているようなのも、プラス材料です。
しかしそれ以外の、ソニーが今後どのような商品、サービスを提供していく会社になっていくのかについては、従来とほとんど変わらない方針しか語られませんでした。何がどう悪いのかは、各所で識者により書かれていますので、そちらを参照していただけたらと思います。
僕は完全に門外漢ではありますが、僕なりに少し違う視点からソニーの経営戦略から感じた「違和感」と、それならどのような戦略なら良かったのかと思うかを書いてみたいと思います。間違った記述も少なくないと思いますが、それについてはコメント欄などでご指摘いただけたらと思います。
■選択された事業の理由
「最優先課題はエレキの復活」が就任当初からの経営陣の方針でした。そしてそれが更に具体的になった今回の発表では、テレビ/ビデオ/デジタルイメージング/ウォークマンがエレキ事業での重点商品とされました。要するにAV事業ですね。
しかしこの中で、現在ソニーが競争力を発揮できているのは、ビデオ関連しかないと思います。現在はまだ不透明ですが、もしもBlu-Ray Discが市場に受け入れられた場合は、ソニーに大きな利益をもたらすでしょう。あとはビデオカメラですが、こちらは麻倉氏がこの記事でも言及している通り「低位安定」した将来への成長の見込みが少ない事業です。
しかし、それ以外の商品に投資していくというのは、ソニーの強みに投資するというよりも、むしろ弱体化している分野を強化するということで、ヒット商品に経営資源を集中するという経営方針とは食い違っています。
たしかにテレビは、サムスンとの液晶パネル生産の合弁企業であるS-LCDがありますから、それを活かすためにテコ入れは必要でしょう。しかしデジカメ、ウォークマンに重点投資すべき理由は、現在は特に無いと思います。メモリースティックが事実上敗北した今は、尚更です。
ここに僕は物凄く違和感を感じました。選択がロジカルではないと思うのです。
では、ソニーがAV分野を重視するのはなぜか・・・。僕はそれは「ソニー」という会社はかくあるべき、という幻影に囚われているからではないか、と想像します。特にウォークマンがそれにあたります。
■ウォークマンという象徴
たしかに今日のソニーのブランドイメージは、ウォークマンで築かれたと言っても過言ではありません。何せ、1979年の誕生から20年以上に渡って、携帯型音楽プレイヤーのジャンルを支配し続けてきたのですから。先行者利益というものは、かくも凄まじいものです。
しかし現在では、この記事が非常に分かりやすいですが、CD、MDと規格を支配することで多大な利益を得ていたソニーは、比較的早期からデジタル音楽プレイヤー市場に参入していたものの、ここでも規格を支配することを優先してしまい、すでに事実上の標準規格となっていたMP3を無視するという、結果論になりますが痛恨の判断ミスを犯してしまいました。そしてその戦略ミスに気が付いた時は、すでにアップルにハード、ソフト、音楽配信という3つの拠点を全て抑えられていたという、完全な敗北を喫してしまいました。
今のソニーにできることは、MP3、iTunes、iTMSに対抗することではなく、現状の支配力を認め、すでにユーザーがアップルに支払った資産を活かせるようなソリューションを提供することです。つまりウォークマンのiTunes、iTMS対応です。アップルが嫌なら、韓国企業などがそうしているように、ウィンドウズメディアプレイヤーに対応するべきだと思います。iTunes+iTMS、またはウィンドウズメディアプレイヤーに対抗しようとするなら、それらから乗り換えるに値するぐらい、圧倒的なユーザーの利便性が無ければ不可能だからです。
そう考えれば、もはやウォークマンは重点的な投資対象では無いはずです。携帯音楽プレイヤーなら、ベンチャー企業でも作れるのですから。しかしそうしないのは、ウォークマンがソニーという企業のアイデンティティだからだと思います。
しかしソニーはウォークマンが登場する前からソニーでした。ソニーはトランジスタラジオで世界に飛躍しましたが、今はラジオはソニーの象徴でも何でもありません。どうして同じことが、ウォークマンでもできないのでしょうか。
結局今回の事業の集中と選択は、「ソニーらしさ」という固定観念によって戦略の可能性を狭まれてしまい、本来の意味でのリストラクチャリング(事業の再構築)が満足にできなかったのではないかと思います。
■何が企業の競争力を生むのか
さて、それではソニーはどのような事業に投資を集中させるべきなのでしょうか?
僕は、企業が投資を集中する対象は、その企業の競争力を生む可能性が高い事業にすべきだと思います。これは当たり前のことなので、賛同する方も多いでしょう。それでは、どんな事業が企業の競争力を生むのでしょうか?
まず第一に、競争に勝てる分野、つまりその企業が持っている強みを活かせる分野であることが望ましいです。これは当たり前ですね。
そして第二に、勝った後も激烈な競争にさらされるのではなく、勝った後は当分その分野を支配できることが望ましいです。つまり先行者利益が働く分野です。これはユーザーが増えれば増えるほど競争力が増すか、商品を開発するための敷居が非常に高いかのどちらかの条件を満たせば可能になります。
前者はプレイステーションなどのゲーム機、ウィンドウズやx86チップなどのPC業界のデファクトスタンダード、YAHOO!や楽天などのポータルサイトなどが挙げられます。ユーザーが増えれば増えるほど力が増すため、後から新規参入してきた企業は、先行者に対して余程大きなメリットを打ち出せないと、すでに多数のユーザーがいるという慣性が働くため、勢力をひっくり返すことが難しくなります。
後者で典型的なのは、自動車生産や医薬、医療技術などの商品開発やノウハウに多大な投資が必要なジャンルなどが挙げられます。技術的、資金的な敷居が高すぎて、他社が技術的には簡単には追いつけない分野ということです。
上記のどちらかを満たせば、一度そのジャンルで支配権を確立すると、かなり長期間に渡って多大な利益を得ることが可能になります。一方、先行者利益が働かない分野だと、たとえ一時的にそのジャンルのトップになったとしても、その後も激烈なコスト競争に見舞われるため、結局利益を挙げることがままならくなってしまいます。ですから先行者利益が働く分野こそが、企業にとって狙い目ということになるのです。
上記のような理由により、企業の競争力を生む事業は何かを量るための指針は、以下の2つということになるのではないか、というのが僕の考えです。
- 自社の強みを活かせる
- 先行者利益が働く
■ソニーが選択すべき事業を考えてみる
上記2点を元にソニーの事業領域を俯瞰してみると、以下の事業がそれにあたるのではと思います。
Blu-Ray Discは、そもそも次世代光ディスクが消費者から求められているのかという懸念はありますが、もしも成功すれば多大な利益をもたらしますから、何が何でも普及させるよう、あらゆる手段を尽くすべきだと思います。松下がSDカードでそうしたように、ソニー単独で規格を支配するのではなく、オープンな規格にすべきです。今回は松下やパイオニアなど多数の企業と協力できたのは良かったと思いますから、今後は利益を最大化しようと欲をかかず、ユーザーサイドの利益を重視するべきです。
Felicaは国内においては非接触ICカードの事実上の標準規格になりましたから、当分は圧倒的な先行者利益を得られるでしょう。次はワールドワイドのデファクトスタンダードになれるかどうか。うまくいけばビジネスチャンスは非常に大きいと思います。
プレイステーション、映画、音楽は、いずれもメジャーなプラットフォーマー、配給会社として地位が確立していて先行者利益が働いているので、そのまま強みを発揮できるよう継続すべき事業だと思います(ゲーム機はもちろん、映画や音楽も今からメジャーな配給会社になるのは、非常にコストがかかるはずです)。
■サービスを伴う技術が重要
上記に挙げた事業に共通しているのは、いずれも技術的な優位性ではなく、サービスとしての先行者利益を元にしているということです。
もちろんトリニトロンのように、技術的な優位性による競争力があっても良いと思います。今回の発表では有機ELディスプレイへのR&Dに重点的に投資する方針が発表されましたが、もしうまくいくのなら良い方針だと思います。しかし技術はいずれ陳腐化、日用品化します。自動車やバイオテクノロジー並に設備投資、ノウハウの敷居が高くないと、いずれ価格低下圧力にさらされることになるでしょう。
だからポイントなのは、新しいエレクトロニクス事業は、何かしらの技術開発、R&Dによってもたらされると思いますが、それがBlu-Ray DiscやFelicaのように恒久的なサービスを伴うかどうかです。デジタル音楽プレイヤーで言えば、競争力の源泉はiPodのようなハードではなく、iTunesやiTMSのようなサービスの方にこそあると思います。あるサービスから他のサービスに乗り換えるのはユーザーにとって敷居が高いため、慣性が働くからです。一方iPodの方は、現在はiTunes+iTMSはiPodにしか対応していませんが、もしも将来他の機器に対応したら、ハードを乗り換えるのはユーザーにとって敷居が低いはずです。同じように、たとえば携帯電話においても、事業者を変えるのはユーザーにとって敷居が高いですが、機種変をするのはむしろ積極的にしたくなるぐらいなのを見れば、どこに競争力があるか自明だと思います。
そう考えると、ソニーがメモリースティックにおいてソニーの支配権を優先してしまった結果、SDカードのようにオープンな規格にならず敗北したのは、結果論になりますが痛恨の戦略ミスだったと思います。松下がSDカードの支配権にこだわらなかった結果、現在は対応機器で成功を収めているように、メモリースティックもオープンな規格を目指していれば勝機があったと思いますし、そうなればソニーには多大なメリットがあったはずです。
■将来に必要なこと
ここまで選択すべき事業について書いてきましたが、僕はエレクトロニクス事業の未来展望については詳しくないため、現在すでに存在している事業から有望な物を挙げることしかできませんでした。しかしそれでは将来的な展望を欠きます。
技術動向に詳しい方なら、将来どのような要素技術が伸びて、そしてそれによってどのようなサービスが可能になるかについても、予測できるでしょう。そしてそのためにはどの要素技術のR&Dに対して重点的に投資すべきかも予測できるはずです。
ソニーがやるべきなのは、既存の市場の建て直しはもちろん大事だとは思いますが、そのような将来への投資をどれだけ充実できるかだと思います。東芝&キャノンは、SEDという次世代FPDを量産できるところまでこぎつけました。もしこれが成功すれば、東芝は弱かったテレビ事業において圧倒的な競争力を手にし、キャノンに到ってはテレビ事業に参入することすら可能になります。それこそが、かつてソニーが何度もしてきたことです。
僕から見たソニーの強みは、AVやコンピュータ、娯楽コンテンツなどにおいて、若い消費者を楽しませる商品を送り出してきた開発力(センス、ノウハウ、デザイン性)です。若い消費者の視点に立った商品開発力と言い換えても良いです。そのような生活臭がしない娯楽性のある分野で、ユーザーにとって魅力がある新しいサービスを生み出すことができれば、それが次代のソニーを支える事業になるはずです。
間違っても、ウォークマン、ひいてはAV事業を守ることがソニースピリッツでは無いと思っています。
2005年09月23日
企業指向と顧客指向
先日、ソニーのグループ戦略に方向転換の兆しが見えることについて、いくつか記事を書きましたが、それへの反応が非常に大きく、またそうしたやり取りを通じて、ある考えがまとまってきましたので、ここで1つ記事にしたいと思います。
基本的に門外漢の分野に対する雑文ですので、ゲーム関係の記事を期待されている方にはお見苦しい点があるかと思いますが、ご容赦願います。
■企業全体の利益最大化
株式会社というのは、基本的には利益を挙げることで、資本家たる株主に金銭的に報いるための組織です。だから組織の存在理由は、より多くのお金を稼ぐことです。
より利益をあげることに成功した企業は、その資本を元に、更に違う領域で事業を始めたり、他社を買収したりします。こうすることで、ある事業だけに取り組んでいたよりも、より大きな利益を挙げる可能性を手に入れることができます。単一の事業領域だけだと、市場の大きさが限定されるためです。こうした場合、1つの会社組織で複数の事業領域を担当することもあれば、別会社化する場合もあります。
この2つの条件が重なると、ある結論に辿りつきます。それは1つの企業、ないしは企業グループが複数の事業領域を持っている場合、同じ組織なのだから、お互いがお互いを助け合うことで、お互いに事業の力を高め合うことはできないか、というものです。企業の存在意義がよりお金を稼ぐことであり、さらに複数の事業領域を持っているのであれば、それは当然の成り行きになります。
このように、複数の事業領域間で、お互いがお互いを助け合うことで、より利益を大きくすることを、グループ戦略における「企業全体の利益最大化」と呼ぶことにします。
今までの常識に照らし合わせれば、「企業全体の利益最大化」、別の言葉で呼ぶなら「シナジー効果」を追求することは、企業のグループ戦略における最大の目的の1つだったのではないか、と思います。
■商品ごとの最適化
しかしここで問題になるのは、企業全体の利益最大化を目指すということは、各商品、サービスはすべからく、企業全体の利益にいかに貢献できるかを気にしなければならないということです。場合によっては、コストや性能などで他社商品より劣る部品を、グループ企業だからという理由だけで使わざるを得なくなる場合もあります。
このような意思決定の背後にあるのは、1つの商品をより良くしようという発想ではなく、企業全体の利益を優先するということです。更に言えば、「商品をより良くする=ユーザーのメリット」よりも「会社のメリット」を優先すると言い換えることもできます。
たとえばソニーは、Cellプロセッサをソニーグループ全体で使っていこうという方針を打ち立てています。Cellを使うことが各商品の競争力を高めるため、という理由なら全く問題ありません。しかしもしそれがCellへの莫大な半導体投資を回収するために、無理に応用範囲を広げようということなら、そこにあるのはソニー側の都合だけで、商品を使うユーザー側の視点がありません。そして仮にCellを搭載することでコストが上昇したり使い勝手が悪くなるのなら、むしろ競争力が失われてしまいます。
また内製率の向上が競争力を生むと言われていますが、内製の部品のクオリティが低ければ、それを採用する商品のクオリティも落ち、ひいては商品の競争力も落ちてしまいます。内製の部品を使う場合、内製だから同じ部品でもより安く調達できるなど、商品にとってメリットがある場合にのみ、競争力を向上させるのです。
このように商品単体でのメリット、その商品を使うユーザーサイドの利益を追求することを「商品ごとの最適化」と呼ぶことにします。そして商品ごとの最適化だけを考える時は、企業全体の利益最大化は、本来は検討項目にすら入らないのです。
■優先順位
今までの記事では、「全体最適化」か「個別最適化」か、という二者択一で議論を進めてきました。しかし、企業全体の利益最大化を追求するのは、最初の項でも述べた通り、企業として当然の行為。それを「してはいけない」としてしまうのは無理がありました。しかし商品ごとの最適化を考えた場合に、企業全体の利益最大化が邪魔をしてしまう可能性があることも、間違いないと思います。これをどのように表現すべきなのか?僕の結論は下記の通りです。
商品ごとの最適化 > 企業全体の利益最大化
つまり「商品ごとの最適化」が「企業全体の利益最大化」よりも優先される、ということです。二者択一ではなく、優先順位の高低と考えれば、全ての辻褄が合います。たとえば自社の部品と他社の部品を採用する際に、他社の部品の方が優れていれば、他社の部品を選択すべきです。しかし商品の価値にとってはどちらも選択しても大きな変わりはないのであれば、グループ全体の利益最大化を考慮して自社の部品を選択すべき、となります。
■企業志向と顧客志向
そしてこうした意思決定は、ある商品、サービスを開発する際に、顧客の方を向いているか、会社の方を向いているかという企業風土、ビジョンの問題なのではないか、と思います。「企業指向」か「顧客指向」か、ということです。
そして個々の商品の競争力を高めていくためには、企業全体のメリットを捨てることも、時には必要になります。もっとも分かりやすい例は、iTunesがWindowsに対応したことです。結果的にiPodを使いたいからMacintoshを買うというユーザーは逃しましたが、iPodとiTunesは莫大な成功を収めることができました。MacとiTunes+iPodというシナジー効果を捨てたからこそ、結果的にiTunes+iPodは身軽になったのです。
同じことを、今オラクルがやろうとしています。先日ラリー・エリソンCEOは、Oracle Fusion Architecture」(以下、Fusion)に、オラクルの舞台骨とも言えるオラクルデータベース以外のデータベースソフトも対応させる、という衝撃的な発表をしました。
Fusionは、現在オラクルが最も普及に力を入れている、企業内システムを構築するためのミドルウェアパッケージなのですが、その普及を最優先としたため、オラクルのアプリケーションで囲い込み、オラクルの利益を最大化する(企業志向)のではなく、現在顧客が使っているアプリケーションをそのまま使えるようにする(顧客志向)という、一見オラクル内のシナジー効果を打ち消すような戦略を打ち出してきました。これはFusionの普及のためには非常に効果的な選択ですが、同時に、仮にFusionが普及したとしても、オラクルの競争力の源泉であるデータベースの売上には貢献しないどころか、他社のデータベースがオラクルのそれを凌駕した場合は、マイナスになる恐れすらあります。エリソン氏本人も可能性は五分五分と表現するくらいです。
しかしFusionの普及には、Fusionそれ自体が企業内システムを構築するのに、ユーザーにとってもっとも利便性が高いミドルウェアである必要があります。他社のデータベースソフトに対応することで、その利便性は大きく引き上げられる可能性があります。自社内に多くの関連商品、サービスを持っている大企業ほど、こうした意思決定は難しいはずですが、「顧客志向」という明確なビジョンを持つに到った今のオラクルにとっては、必然的な決定だったのでしょう。
■サービス指向アーキテクチャ
そもそもFusionとは、従来は特定のアプリケーションを直に動かすことで機能していた企業内システムを、標準的なインターフェース(OASIS、html、xml、Javaなど)でラップすることで、各アプリケーションのレガシーな資産に依存せずに、自由にアプリケーションを入れ替えることを可能にするためのミドルウェアです。つまり企業内システムをアプリケーション指向からサービス指向へ転換することを意味します。こうしたアーキテクチャの考え方を「サービス指向アーキテクチャ」と言います(Service-Oriented Architecture、略してSOA)。
サービス指向アーキテクチャは、言い方を変えれば顧客指向アーキテクチャだと言えます。SOAなら、特定の企業に依存するのではなく、ある機能にはA社のアプリケーションを、ある機能にはB社のアプリケーションを選択し、それをSOAによって連携動作させることができます。またA社の物よりもより維持コストが安く、機能もより良いC社のアプリケーションが登場したら、それに乗り換えることも可能になります。つまりこれは、携帯電話のナンバーポータビリティと同じ効果があるのです。より顧客が商品選択の権限を持てるようになる、ということです。囲い込み戦略、つまり企業全体での利益最大化の排除です。
こうしたSOAの性質を考えると、オラクルがFusionを本気で普及させたいのなら、オラクルデータベース以外のデータベースソフトにFusionを対応させるという決定は、Fusionの利便性を高めるためには、むしろ必然であったとすら言えるでしょう。
このようなSOAの流れを示唆する、面白い記事があります。IBMのプライベートショーで、システム導入事例を発表したトヨタの担当者が、今度のIBMに期待することとして「オープンな時代のいま、自社製品にこだわらない全体最適なサービスの提供」を挙げているのです。
■顧客指向市場
こうした流れは、あらゆる業種、サービスで起こっていると思います。なぜなら、こうしたユーザーが自由に商品、サービスを選択できるということは、ユーザーにとって圧倒的に利便性が高く、そしてそれをITの普及が可能にしたからです。企業の都合よりもユーザーの都合が、市場原理では常に優先されますから、この流れは非可逆的で、逆らえないものです。逆らうのではなく、むしろその波にうまく乗ることで企業は成功を収めるでしょう。そう、オラクルのようにです。
ここでもう1つ例を挙げてみます。
デルコンピュータは、先進的な技術開発は一切行わず、コモディティ化された部品をいかに安く調達し、組み上げ、そして最安値で顧客に届けるという、サプライチェーンマネージメントのみを手がける個別のサービスに最適化することで勝利を収めました。
一方、IBMのようなOS、CPUなどの技術開発と、ハードの生産、販売まで同時に手がける企業は、グループ内の資産を活かそうとするために、デルのようなドラスティックな判断ができなかった(不可能だった)のです。そしてIBMは、ついにPCの生産から完全に撤退して、企業内サービスの構築をメインビジネスにする企業に生まれ変わってしまいました。「グループ全体の利益最大化」を目指す企業から「商品ごとの最適化」を目指す企業に生まれ変わったとも言えます。
現在の市場は、そうした細分化された商品、サービスを、顧客が自由に選択できる「顧客指向市場」です。ですから様々な分野を抱える巨大企業グループよりも、各ジャンルにおけるトップの商品、サービスを手がける企業だけが生き残っていく時代なのです。
最初の項でも述べた通り、企業はお金を稼ぐために存在しています。だから利益の最大化を目指すのは当然のことです。ですか市場は、今は顧客指向市場へと急速に進化してきています。そういう時代においてお金を稼ぐためには、まず商品やサービスそのものが、顧客から支持されないといけなくなりました。顧客を囲い込める時代は終わろうとしているのです。
2005年09月13日
バンダイナムコの方針を考えてみる
ITmedia 「コンテンツの「横展開」を推進――バンダイナムコの戦略」
CNET Japan 「ゲーム事業を統合した新会社を設立へ--バンダイナムコの経営戦略」
■コモディティ化へ準備を進めるバンダイナムコ
バンダイナムコが、経営統合をスタートさせるにあたって、今後の経営方針を発表しました。ナムコがゲーム専業会社だけに、記事は主にゲーム関連でどうシナジー効果を出していくのかに集中して書かれています。
記事を鵜呑みにすると、以前まとめた「7つの競争ポイント」のうち、以下のポイントの強化を狙っているようです。
- ゲームをより早く安く作るマネージメント力
- 強力な自社IP、版権
- ワンコンテンツ・マルチユースの推進
これらはいずれも、ゲームのコモディティ化への対応を狙った施策です。ここから読み取れるのは、バンダイナムコの経営陣は、今後のビデオゲームに急激な進化は無いと踏んでいるのではないか、ということです。
もちろん現場では、次世代機用のゲーム開発(ガンダム、リッジなど)やオンラインゲーム(ユニバーサルセンチュリー、テイルズ)の開発も進行していますから、ゲームの高度化への対応も重要なミッションだと思われます。ナムコはもちろんとして、バンダイでも、グループ内の有力な開発子会社であるベックでは、PS3のガンダム向けにエースクラスの開発者を投入したチームを編成しているそうです。
ベックは営業企画部の下に「PS3 GUNDAM project」という組織を編成している。ベック内部でもっとも技術力が高い「研究開発室」をベースに、ハイクオリティ映像を提供できる「CG開発室」が参画。各開発室から選りすぐりのゲームプログラマとプランナーを加え、最高峰の体制を作り上げている。
しかしそれは、需要拡大のためというよりも、むしろ市場の流れに付いていくためでしょう。成長戦略の柱は、上記に挙げた3つの競争ポイントの方に重点を置いているのではないかと思います。それは以下の発言にも表れています。
バンダイ、ナムコそれぞれが保有している携帯電話のコンテンツ部門は、当面は統合しない。「携帯分野は変化が大きく、何が起きるか分からない状況。整理・統合するとチャンスを取りこぼしてしまう可能性がある」(高須会長)。リッチコンテンツの確保や顧客の囲い込みに力を入れるといった基本方針は共有しつつ、別々に運営していく。
上記の施策は、グループ戦略に基づき整理統合することで、かえって現場の意思決定のスピードや、現場にしかない動物的な勘を失わせてしまうことを恐れたためだと思われます。逆に言えば、携帯電話の世界はまだコモディティ化していない、変革、進化のフェーズにあると判断しているということです。一方ゲームは、現場の意思決定のスピードより、開発の効率化を進めた方が得策だと判断したと思われます。
※
ただプレゼン資料を見ると、将来的には携帯電話事業の統合も視野に入れているようです。
■バンダイナムコの今後について
バンダイナムコの方針は、個人的には順当だと思います。ゲーム開発はノウハウの共有をいかに進めることができるかで、開発の効率化が全く違ってきますから、なるべくセクショナリズムを排した方が良いからです。ただ組織が大きくなればなるほど、その中で目立つ人材になるための敷居が高くなりますから、若い人材が伸びる可能性が少なくなるというデメリットもあります。バンダイやナムコの人材は、従来の小さな組織でしか育まれなかった物だった可能性がありますから、将来の会社を担う人材開発をどう進めていくか、組織の統合と平行して進めていく必要があるでしょう。
それと企画力の開発をどう進めていくか、次代に向けた新しいコンテンツをどう創造していくかについては、少なくとも記事では伝えられていません。このままゲームがコモディティ化していくだけなら、バンダイナムコは順当に勝ち組企業となると思います。しかし何らかのちゃぶ台返しが起きた時は、逆に徹底的に効率化された組織が、かえって変革への足を引っ張ることになるかもしれません。
■勝手な予想
さて、どちらに転ぶか。これからは僕の勝手な大胆予想をしてみましょう。
僕はこれから5年以内に、何らかのちゃぶ台返しが起こる方にベットしている方です。ですので今回発表されたような経営方針では、ちゃぶ台返しが起きた時に行き詰まりを起こすのではと予想します。ゲーム開発に1400人という大所帯を抱えていることもマイナス要因です。大所帯の食い扶持を確保するために、開発リソースの大部分を安全パイに振り分ける必要があるからです。
それを防ぐには、何らかのソフト開発の陣頭指揮をする、ビジョナリーが必要になってくると思います。バンダイ側は鵜之澤さん、ナムコ側は岩谷さん(?)ということになるのでしょうが、今の体制では変革期は乗り切れないと思います。若手から大胆な抜擢をするか、外からリクルートしてくるか、何らかのトップ人事の改革が必要になるでしょう。
それができれば、豊富なコンテンツ、幅広い販路、メディアを持つバンダイナムコは、間違い無く次代の勝者になると思います。そうで無ければ、コンテンツ資産である程度安定した業績を挙げることはできてしまうだけに(あえてギャンブルをする必然性が無い)、緩慢な衰退に向かうと思います。
2005年09月10日
「コネクト戦略」に見るソニーの迷走ぶり
AV WATCH
「ウォークマン復権」へコネクト戦略を推進
−「自社技術に固執せず」。WMA/AACもサポートへ
各所で嘲笑されているソニーのコネクト戦略の発表ですが、これには「ソニー復活への足跡」という記事を熱く書いていた僕にとっても、まさに背中から狙撃された気分でした(笑)「PSPがこの地獄から生還できるよう考えるスレ」の住人各位も、このような心境だったのでしょうか。
批判の多くは、同日発表になったiPod nanoに対する圧倒的な敗北と、コネクトプレイヤーの余りにもすごいパクリっぷりに集中しているようです。しかし僕はそれらにはそれほど興味はありません。まだ繰り返すのかと思われるでしょうが、今回も全体最適化と個別最適化について書いてみたいと思います。
■垂直統合について
今回のコネクト戦略の発表で、興味深い発言のは以下の発言です。
「自社内の留まらず、さまざまなサービス事業者との連携も積極的に検討する。水平でオープンな事業で、垂直統合の”閉じた”ビジネスモデルではない」と強調する。
「垂直統合」というのは、まさに先日書いた「全体最適化」のことです。ハードからソフト、販売まで自社でまかなうことで、利益を1円たりとも外部に出さない、利益を最大化する仕組みのことです。前回の記事で、この点について僕は「シナジー効果という名のもたれ合い」と表現しました。
しかし、たとえば製品開発において、部品から自社でまかなう垂直統合することで内製率を上げ、価格競争力を持つという戦略には合理的な意味があります。ソニーのビデオカメラ、ソニーや松下のFPDでそれは証明されています。
またアップルのiPod戦略も似たような仕組みになっています。ハードで利益が出ているため、iTunes、iTMSからは利益を出すことに固執する必要が無く(iPodの販促費と考えることができる)、結果としてiTunes、iTMSは価格競争力を持つためサービスの価値が上がり、そのサービスを使うためのiPODが売れるという、垂直統合による価格競争力です。これがもしもiTunes、iTMS、iPodそれぞれが個別に利潤を追求する別組織であったならば、今ほどの価格競争力を持つことは無かったでしょう。
この仕組みは、ゲーム機でも同じです。
各プラットフォーマーの自社ソフト(ファーストパーティー)では、他社から徴収しているロイヤリティ料が無い分、そのままそっくり利益になるため、自社ソフトがヒットすれば莫大な利益を手にすることができます。その利益を見込めるからこそ、ゲーム機を非常に低い利益率(時として赤字で)販売することができます。これも自社ソフトとゲーム機が個別に利潤を追求していては不可能なビジネスモデルです。
つまり垂直統合をすることで浮いたコストを、儲けとして手元に残すのではなく、価格競争力として活用した時に、垂直統合モデルは高い競争力を発揮するということになります。
■垂直統合と個別最適化
しかし製品の魅力とは、価格競争力だけでしょうか?それは違います。たしかに価格は重要な競争ポイントではありますが、それも製品の質が伴ってのことです。いくらiTMSに価格競争力があると言っても、iTunesの出来が悪ければ、iPodのデザインがあれほど魅力的で無かったら、今の成功は無かったでしょう。
垂直統合モデルが目につきますが、根本的にはiPod、iTunes、iTMSそれぞれが個別に最適化されていることが、競争力の最大の源泉なのです。かつてのマッキントッシュが、OSの先進性、使いやすさ、ハードのプロダクトデザインと、いずれも優れていたために成功したのと同じです。
マッキントッシュも、ハードとソフトの垂直統合モデルだったので、利益を最大化できるビジネスモデルでした(現在もその方針を貫いています)。しかしPCの世界ではハードのオープン化(IBMクローン)とウィンドウズ95の登場により、決定的な敗北を喫してしまいました。その理由を改めて述べる必要は無いでしょう。しかし重要なのは、ウィンドウズ95はハードからは利益を得ない個別最適化されたビジネスモデルだったということです。ウィンドウズ95はハードから利益を得るという呪縛から解かれていたので、ありとあらゆる他社ハードに対応することができました。一方MacOSは、マッキントッシュによりアップルが利益を得ていたため、マッキントッシュ以外に対応することができませんでした(スカリー時代の一時期を除いて)。
ウィンドウズ95とマッキントッシュの命運を分けたのは、世界中のPCメーカー対アップルという、ハード競争に敗北したからです。両方が競争力を持っている時は、垂直統合モデルは利益を最大化できますが、どちらかが競争力を失うと、垂直統合モデルの場合、今度は片方も釣られて競争力を失ってしまうという欠点があります。つまりWin-Winの関係だったのが、Win-Loseになった瞬間、Lose-Loseという負のスパイラルに巻き込まれてしまうのです。
ゲーム機のプラットフォーマーの場合でも、自社ゲーム機が勝ち組の時は自社ソフトにとって圧倒的に有利な立場になりますが、負け組になると、今度は自社ソフトの販売本数も伸びないという状況に陥ってしまいます。それでも自社ハード拡販のために、他社ハードにソフトを出す訳にはいきません。まさに負のスパイラルです。またSCEのように思うように自社ソフトが売れないと、ロイヤリティが必要無いファーストパーティーで利益を稼ぐという垂直統合によるメリットを全く活かせないことになります。
ちなみにマイクロソフトは後発なのによく頑張っていると思われる方も多いと思いますが、実際には4000億円とも言われる赤字を、XBOX事業から垂れ流しています。普通の企業ならとっくの昔に撤退しているところです。
これらの事から分かるのは、垂直統合によるコスト削減→価格競争力ないしは利益の最大化というメリットはあるものの、垂直統合の全工程において競争力を持つことが前提になるため、どこかが崩れるだけで苦境に陥ってしまうという、危うい面があるということです。
先ほど、松下とシャープのFPDも垂直統合ビジネスだと評しましたが、それはパネルデバイスから最終製品まで、全工程において競争力を持っているからこそ成り立っているビジネスなのです。いくら内製率が高いと言っても、たとえばパネルデバイスの品質が悪ければ、最終製品も品質の悪いパネルを使うことを余儀無くされますし、パネルの歩留まりが悪ければ、最終製品のコストに跳ね返ったり、思うように商品を出荷できなくなるという、重いリスクを背負うことになるからです。
このことから導き出される結論は、垂直統合モデルを築くことよりも、まず個別の製品やサービスの向上こそが優先されるということです。
■垂直統合では無いと言いながらも、実際には個別最適化に徹しきれていないコネクト戦略
ここまで来ればお分かりいただけると思いますが、今回ソニーが発表したコネクト戦略は、垂直統合では無いという以前に、まず個別最適化に徹しきれていないということに気付かれると思います。
まずウォークマン本体。iPod nanoに対して価格競争力を持っていないことには、同情の余地があります。あの価格は簡単に真似できるものではないですから。しかしコネクトプレイヤーという、まんまiTunesのパクリのようなソフトを使わざるを得ないというのは欠点です。ウォークマン本体の個別最適化を目指すのなら、iTunesに対応すべきだからです。現在、もっとも使いやすい音楽ソフトに対応していることが、ハードにとっては最高の競争力だからです。
もちろんアップルからは許されないかもしれません。その場合は、ウィンドウズメディアプレイヤー(WMP)に対応するのが次善の策です。iPod以外のほとんどのデジタル音楽プレイヤーがWMAに対応していることからも分かる通り、第2の標準になりつつあります。そして何よりも、ウィンドウズに標準で添付されていることから、プレイリストが将来にわたって保障されるであろうということもユーザーサイドのメリットです。誰もソニーのプロプライエタリなソフトウェアなんて使いたくないのです。
ただしWMAについては、発売当初は対応されないものの、後ほどファームウェアアップデートでWMAに対応するとのことなので、そうなれば今より少しは競争力を持てると思います(それでもハードとしてはコネクトプレイヤーとの連携が重視されるのでしょうが)。
逆にコネクトプレイヤーの側から見ると、今度はウォークマンにしか対応していないというのがデメリットになります。iPodと連携しているiTunes、iPod以外のほとんどのプレイヤーに対応しているWMPに対して、明らかに魅力に欠けるソフトウェアです。使い勝手だけはiTunesを参考にしたみたいですが・・・。
そしてもちろんMORAも、ATRAC3の音楽データのみ販売する方針のため全く競争力が無い、と言えるでしょう。事実上ソニー製品しか対応していないフォーマットの音楽データなど、誰が買いたいと思うでしょうか。MORAの場合WMAフォーマットの音楽データを販売するMUSIC DROPというサービスも平行して展開していますが、早急にこちらをメインにすべきです。
垂直統合ではないオープンなビジネスだと口では言いながら、実際には個々のサービスがお互いに依存し合う構造になっていて、結果としてウォークマンもコネクトプレイヤーもMORAも、いずれも競争力を発揮できないという負のスパイラルに陥っています。まあそれでも、iRiverやクリエイティブなどのような、一般人には耳慣れないブランドのシリコンオーディオを買うよりは、ソニーというブランドは充分な競争力を発揮すると思いますが、そんなブランド依存の競争力では、ウォークマンの看板が泣いてしまいます。
かつてのウォークマンは、カセットテープ、CD、MDと、業界標準の技術を元に成功したことを忘れてはいけません。たしかにCD、MDはソニー発の技術でしたが、ソニー発だから成功したのではなく、CD、MDが業界標準のメディアだったから成功したのです(MDは世界規模だとマイナーメディアでしたが)。フォーマットの特許料による旨みを知ってしまったからこそ、デジタル音楽プレイヤーにおいても同じビジネスモデルを取ってしまい、計り知れないダメージを負ってしまいました。これも垂直統合による利益の最大化を求めたために、長期的な競争力を失ってしまった典型的な例の1つです。垂直統合ビジネスモデルを狙う場合は、上流から下流まで、全ての過程で競争力を持つ必要があるのです。
恐らく、辻野さんの「自社技術に固執しない」「垂直統合の”閉じた”ビジネスモデルではない」という一連の発言は、単にATRAC3というフォーマットを握ることによる特許料ビジネスにこだわらないというだけの意味で、真の意味でのオープン化、個別最適化を目指している訳ではないようです。対応フォーマット、サービスを限定しないということは、もちろん意義があります。しかし垂直統合ではないビジネスモデルの本来の姿は、個々の商品、サービスがそれぞれ単独で競争力を発揮することです。しかし今回の発表から伺える限りでは、今のソニーはまだ、垂直統合=シナジー効果=全体最適化による利益の最大化というオールソニー戦略からの完全な転換には到っていないようです。
もともと「コネクトカンパニー」という組織が、各部門の連携を推し進めるためにハード、ソフトを1カンパニーに押し込めるという、個々の商品ごとの競争力強化よりもグループ戦略を重視するという、シナジー効果の最大化(利益の最大化)を狙った出井体制の悪い面がモロに出た組織形態です。今必要なのはシナジー効果の発揮ではなく、各部門がそれぞれ単独で強みを発揮できる体制にすることです。
その事を理解できるかどうかが、ソニー復活への最低条件になるだろうと、僕は考えています。
続きを読む2005年09月08日
続・ソニー復活への足音
前回の記事「ソニー復活への足音」に対して、コメント欄にて様々なご指摘をいただきました。非常に興味深いご指摘で、なおかつそれに対してこちらが書きたいこともかなりの分量になりそうでしたので、新しい記事を起こすことで返答としたいと思います。
■SDカードとメモリースティック
松下の中村さんの功績の中でも、SDカードの成功はもっとも華々しい物の1つです。そしてSDカードを成功させるために、もっともクリティカルな対応ハードとして、当時不振で撤退寸前だったデジタルカメラに目を付け、見事立て直した手腕も注目されています。
それに対して、ほぼソニー単独で規格を立ち上げ、一時は明らかに優勢だったメモリースティックを、結局は没落させてしまった出井さんには、無能という評価がなされています。しかしフラッシュメモリー分野に先に目を付け、数多くの対応ハードを出すことでフラッシュメモリー分野を支配しようとしたのは、ソニーが先だったという事実は忘れてはなりません。メモリースティックの発売は1998年ですが、その時すでに出井さんは社長に就任していました(1995年就任)。当時のソニーはフラッシュメモリーがデジタル時代のキーデバイスになると予期し、素早く商品化してソニー製品の多くがメモリースティック対応となり、一時は規格争いで明らかに優位な立場を築いていました。
一方SDカードの発売は2000年です。当初は対応機器も少なく、またメモリ単価が高かったため苦戦を強いられていましたが、徐々に巻き返し、2003年にはついに単年での発売数シェアで逆転します。この辺りの経緯はWikipediaのSDメモリーカードの項が詳しいです。
当初は発売時期の差から、SDカードはメモリースティックに対してシェアや出荷数において大きな差をつけられていたが、2003年にはシェアが逆転する。特に2003年5月にキヤノンが、2003年12月にはニコンがSDカードを採用したデジカメを発表すると、デジカメ分野における大勢は決定した。
(中略)
このように現在はSDカードが優勢となっているが、この要因は、「多くの企業から対応商品が発売されたこと」、「メモリースティックのような規格の混乱がなかったこと」、「SDカードの方が比較的安価であったこと」などが挙げられる。
(中略)
SDカードのアプリケーションフォーマットは多くの企業によっての規格化がなされている。このことは、事実上ソニー一社がアプリケーションフォーマットを決定しているメモリースティックと対照的であり、また、特定の会社の利益にとらわれない魅力から多くの企業を引き込むことに繋がった。
Wikipediaで挙げられている以外に大きな理由として、SDカードがメモリースティックよりも小型だったため、特にデジカメなど小型化への需要が強いデバイスに有利だったということも挙げておきたいと思います。
それはともかく、SDカードとメモリースティックにおいては、松下とソニーの対応製品の出来不出来ではなく、あくまでSDカードとメモリースティックというメディア同士の優劣により勝敗が決したと考えて良いと思います。
■DVD-RAMとDVD-R/RW
SDカードがデジタル時代のキーデバイスだったように、記録型DVDもデジタル時代の重要なキーデバイスです。しかしこちらにおいては、戦略に優れていると言われる松下が推進していたDVD-RAMが、事実上規格争いで敗れるという結果になっています。日立がDVDカメラにおいて、最新機種でDVD-RWに対応せざるを得なかったのが象徴的な出来事です。
この規格競争において、勝敗を決したのは主にDVD-RAMがDVD-ROMと互換性が低かった(ガワ、フォーマット)のに対し、DVD-RWはDVD-ROMと互換性が高く、再生専用のDVD-ROMドライブでも読み出せることが多いという、明確なユーザーサイドのメリットがありました。もちろんDVD-RAMには、書き込み精度の高さ、任意の箇所のみ消去可能なこと、繰り返しの使用に耐えるというメリットがありましたが、それよりもフォーマットの可搬性がユーザーには求められたというのが、現状から得られる結論です。
ここにおいても、あくまでメディア同士の優劣により勝敗が決まる、という結果が繰り返されています。
■それを「シナジー効果」と呼ぶのか、ただの「もたれ合い」と呼ぶのか
ソニーは、AV機器、ゲーム機、音楽、映画、金融、通信と、様々なグループ企業の集合体です。これほど多種多様な製品、サービスを提供している企業体は、世界を探してもソニー以外にはなく、そのため各企業がシナジー効果を発揮すれば、非常に強力な企業になると言われていました。しかし実際には、たとえばSMEが成功しているからと言ってソニーのAV機器が特別に売れる訳ではなかったり、PS2にメモリースティックが採用されなかったり、グループ内に半導体設計会社を抱えているにも関わらず、PS2の半導体設計を東芝と協働するといったように、各グループ企業がバラバラに動いていて、利益を最大化できていないと言われてきました。
しかしそのような「シナジー効果」が、果たして本来の意味でシナジー効果を言えるのでしょうか?
ここで三菱自動車の例を挙げます。
三菱自動車は、三菱グループという巨大企業グループの中の一企業です。そのため鉄鋼の調達などはグループ内で行っていたため、他メーカーのように買い叩くことができなかったと言われています。製品はなるべく内製率が高い方が利益が外部に流出しない訳ですから、シナジー効果によって利益を最大化していると言えなくもないわけですが、結果的に三菱車の価格競争力にとってマイナスになっていたと思われます。
このような連携は、シナジー効果ではなく、ただのもたれ合いと表現すべきものです。グループという庇護の中で、むしろ各グループ企業の競争力を奪ってしまっていると思われます。このような事例については、下記の記事で簡潔にまとめられています。
なぜ、三菱だけが伸び悩み、落ち込んだのか。大胆な仮説のひとつは「スリーダイヤモンドの甘え」だ。
(中略)
三菱自動車は結局、三菱グループが陰に陽に支援して、成長したわけで、独立系の持つ雑草の強さがなかったのではないか。
ここでもう一度、SDカードを振り返ってみましょう。
SDカードの特徴の1つに、松下(と東芝とサンディスク)の利益を最大化することよりも、よりオープンな規格としてユーザーにとって利便性の高いメディアであろうとした、ということがあります。あくまでソニーの利益の最大化を目的としたメモリースティックと、そこが大きく異なります。メモリースティックが、悪い言い方をするとソニーという親から親離れすることができなかったのに対し、SDカードは早い段階から松下(と東芝とサンディスク)から親離れして、より良いメディアになるために自由に行動することができました。
たしかに松下は、SDカード普及をグループ戦略の柱としました。しかしSDカードが普及したのは、松下のグループ戦略よりも、むしろSDカード自体をより良いメディアにする個別最適化に依存していたと言えます。一方ソニーはメモリースティックの普及を、メモリースティック自体の魅力向上よりも、グループ企業による対応機器の普及により実現させようとしたのです。
つまりシナジー効果という名の下の短期的な利益最大化が、結果として長期的な利益の源泉である競争力を削ぐという皮肉な結果になっていたのではないかと思うのです。
大企業におけるシナジー効果については、下記の記事が面白いです。
PRESIDENT Online 「大企業で「シナジー」が成功しない理由」
その結果、[1]ミドルたちが自分たちだけで勝手にスピーディーに新規事業の展開を行って、結果的に会社全体が相互に関連の希薄な事業の寄せ集めになっていくか、[2]あくまでも「シナジー効果(わが社の総合力)」を重視させるようにミドルたちに圧力をかけて、新規事業や新製品開発がほとんど生み出されてこない停滞した会社になるか、いずれかという結果になってしまうだろう。企業は自らの成功の結果として、停滞に直面することになるのである。
僕は、ソニーは上記引用の[2]に書かれている通り「「シナジー効果(わが社の総合力)」を重視させるようにミドルたちに圧力をかけて、新規事業や新製品開発がほとんど生み出されてこない停滞した会社になる」をまさにその通りに実践してしまったのではないか、と思うのです。「グループ戦略が無かった」のではなく、むしろそれを押し付けてしまったことによる弊害です。
そして、かつてのソニーは[1]にあるような、「ミドルたちが自分たちだけで勝手にスピーディーに新規事業の展開を行って、結果的に会社全体が相互に関連の希薄な事業の寄せ集めになっていく」だったと思います。以前のソニーはグループ戦略が無い寄せ集めだと批判を受けていました。しかし振り返ってみれば、寄せ集めであっても、個々の企業が強みを発揮していた時代の方が全然良かったということになります。
■グループ戦略はかくあるべきか
もちろん、本来の意味での1+1が3にも4にもなるという意味でのシナジー効果が発揮されるのであれば、もちろんそれが最良のグループ戦略であると思います。たとえば自動車産業において、プラットフォームの共有化により開発コストを削減するのは、もはや当たり前になりましたし、明確なシナジー効果が発揮されています。ですので、グループ戦略の優劣を考えると、以下のような順位が付けられると思います。
本来のシナジー > 個別最適化 > シナジーという名の元のもたれ合い
しかし自動車産業と異なり、よりスピードのある経営が求められる分野においては、全体の足並みを揃えるよりも、個々が個別に最適な戦略を最短の速度で実現する方が、むしろ競争力を発揮できる可能性があります。このようなことは、たとえば「イノベーションのジレンマ」で挙げられていたような、破壊的技術に対応するには、大企業の論理では無理で、大企業の意思決定に影響されない小規模な組織をスピンアウトさせることではじめて対応できる、といったような事例が当てはまります。
ただ大企業になると横の連携を取るのが非常に難しくなりますから、分野横断的な人的交流を活発化させることでシナジー効果を期待しよう、というのは非常に良いことだと思います。そうした水平方向のコミュニケーションの中で、グループ内でWin-Winの関係を築くことができるシナジー効果が発見されれば、たとえ各組織が個別に最適化を目指していたとしても、最適化を目指しているからこそ、そのシナジー効果を見逃さないはずです。どちらも得をする関係なのですから。
この場合、シナジー効果を発揮することが前提なのではなく、むしろ人的交流を活性化することが目的なのに注意してください。シナジー効果を発揮するために、各グループ企業、各組織をグループ戦略の元に強い管理下に置いてしまうと、かえって各組織が弱体化してしまう恐れがあるからです。
まとめると、個々の組織が個別に最適化を目指せるよう、各組織に強い独立性を持たせつつ、各分野間で水平方向のコミュニケーションが取れているのが、理想のグループ経営なのではないでしょうか。その場合、上記の順位付けは以下のように書き換えられます。
個別最適化+組織間のコミュニケーション > 個別最適化 > もたれ合い
■松下の復活について
さて、ここまでは一般論なのですが、前回の記事はソニーが今後どうなるかについて書いた記事でしたので、そちらについてもまとめようと思います。
その前にまず大前提として、松下が見事な復活を遂げた理由について、僕は知らないということを書いておきます。前回の記事では、僕はソニーのことについてしか書いていませんでした。しかしなぜかコメントさせる方が松下のことを取り上げるので、今回松下の話を取り上げた次第です。
そんな僕が松下について知っているのは、各製品が個々の製品ジャンル内において、明確な競争力を持つようになったということだけです。
DVD-RAMは規格競争に敗れましたが、DIGAは早い段階でのDVD/HDD両搭載、ダブルチューナーなどによって大成功しました。VIERAは画像品質と高い内製率による価格競争力を武器にしています。LUMIXは、精度の高い手ブレ補正技術と光学ズーム機能という他のデジカメに無い価値観を打ち出しました。Let's Noteはその軽量さと堅牢さ、長時間駆動が売りになっています。エアコンは自動フィルター掃除を売りして、ヒット商品になりました。
いずれも個別の製品が、それぞれユニークでかつユーザーから歓迎させる技術的優位性を持つことで、市場でまずコアユーザーから評価され、その後評判が伝播し一般ユーザーの支持を得るという、マーケティング戦略に頼らない、地道な製品開発が実を結んだ結果と言えます。まるでかつて「技術のソニー」と言われていた頃のソニーのようです。
結果から類推するしか無いのですが、松下のグループ戦略における最優先事項は、とにかくまず各組織の能力を100%活かして、他社には真似のできない独自の技術を開発することだったのではないかと思うのです。
それ以上のグループ戦略、たとえば各組織間ののコミュニケーションにより、従来にない製品の開発に成功した、開発効率を向上させたというような例、もしくは製品開発において市場調査を重視するようになった、などの改革があったのかもしれません。しかしそれらについては僕は明確な事例を知らないのが現状です(あれば是非教えていただけたらと思います)。
■ソニーの今後
翻ってソニーは、「各組織の能力を100%活かして、他社には真似のできない独自の技術を開発する」ことは、以前は出来ていたわけです。しかしシナジーに関する項で述べた通り、「ミドルたちが自分たちだけで勝手にスピーディーに新規事業の展開を行って、結果的に会社全体が相互に関連の希薄な事業の寄せ集めになっていく」状態にありました。
ここからは推測なのですが、出井さん、ひいてはソニーの経営陣は、ソニーが「各組織の能力を100%活かして、他社には真似のできない独自の技術を開発する」ことを前提と考えてしまい、さらにソニーグループを発展させるために、「「シナジー効果(わが社の総合力)」を重視させるようにミドルたちに圧力をかけ」、結果的に「新規事業や新製品開発がほとんど生み出されてこない停滞した会社」になってしまったのではないでしょうか。
しかし現状から分かるのは、「各組織の能力を100%活かして、他社には真似のできない独自の技術を開発する」というのは決して簡単なことではなく、その能力を当たり前のこととして維持しようとすることをやめてしまうと、あっという間に技術競争力を失ってしまうということです。
しかし、だからと言って出井さんを単純に批判できるのか、単に無能で片付けてしまって良いのかと思います。シナジー効果の発揮は株主などからも強い要望があったはずです。そしてインターネット革命が家電業界を襲い、それに対して有効な手立てが求められていた時代でした。もちろんそこに、各製品の技術的優位性を当然のものとしてしまった(優位性が落ちるというリスクを軽視した)という失策があった訳ですが、それは所詮結果論。長所を維持するだけの保守的な経営だけでは、企業が硬直化するというリスクも同時にあった訳で、僕は出井さんを簡単には責められないと思います。
さて、後任を務めるストリンガーさんですが、発言などから察するに、まずは「各組織の能力を100%活かして、他社には真似のできない独自の技術を開発する」というソニーの過去の特性を復活させようとするのだろうと想像することは容易です。ただし、それが単なる事業の集中と選択だけでは、恐らく復活は難しいだろうと思います。大事なのは、ソニーの各組織、事業をグループ戦略のくびきから解き放ち、それぞれが個別に最適化を目指せるようにすること、つまり企業統治を緩め、独立性を高めることだと思うからです。その上で各組織が水平方向のコミュニケーションを活性化させることができれば、最高だと思います。
ソニーが松下に追いつき、追い越すためには、+αの戦略が必要だというコメントを頂きましたが、+αの戦略というのは、グループ戦略ではなく、各組織の独自技術にこそかかっていると思います。どんなにグループ戦略が適切であったとしても、競争力は現場の開発力に依存すると思うからです。もちろんグループ戦略で開発力を伸ばすことは可能だと思いますが、潜在力が乏しい場合は、非常に長期間の努力を必要とするでしょう。
つまり僕が問題だと思っているのは、グループ戦略よりもむしろ、グループ戦略が適正化されたとして、現場に潜在力が残っているかどうかです。残っていると考える人はソニー復活の目があると考えるでしょうし、潜在力はすでに出井体制化で失われてしまったと考える人は、当分はソニー復活は無いし、それどころか没落する一方だろうと予測するだろうと思います。
これについては、内部事情を知る者ではない僕には判断できません(当然ですが)。しかし僕はソニーは、今までの商品開発力から察するに、現場の能力を活かす体制になれば、潜在力は残っているのではと考えました。ですので前回の記事となったのです。
続きを読む2005年09月05日
ソニー復活への足音
YOMIURI ONLINE 「ソニー、ネット音楽配信でアップルに楽曲提供」
■ソニー本体もオープン化に向かう?
先日書いた記事「オープン化に舵を切ったSCE」で、SCEがオールソニーの利益よりも、ユーザーの利便性重視の、よりオープンな方針に転換した可能性について触れましたが、今度はSMEがオープン化へ向かう方向のコメントがありました。
たしかソニーは「Connect」という自前の音楽配信サービスを推進しているはずですが、これではiTMSの独走を更に助けることになってしまいます。これで日本国内の趨勢は決したと言っても良いぐらいでしょう。ユーザーや所属アーティストの利益を考えれば合理的な決断ですが、とは言え少し前までのソニーでは考えられなかった決断です。あの悪名高いCCCDを推進していたソニーなのですから。
この方針転換の詳細は、部外者には知る由もありませんが、個人的にはたとえばPS3がSDカード、コンパクトフラッシュを採用したことなども、今回の施策と重なるように感じています。タイミングはそう、ハワード・ストリンガーさんの就任です。
■出井さんの失敗から得られる教訓
ハワード・ストリンガーさん以前のソニーの戦略は、基本的には「インターネット時代に向けてオールソニーのシナジー効果の最大化」でした。多種多様な業態が軒を連ねるソニーグループにあって、各社が利益を挙げていても、それが他のグループ会社の利益に直結しないことは、内外から機会損失だと言われてきました。それに対し出井さんは、テクノロジーとエンターテイメントの2つを持つ世界にも稀に見るグループ企業として、組織を大胆に再編成し、製品−サービスまでの垂直統合型の企業体へと変貌を遂げようとしました。しかしそれが結果論としては、各グループ会社の手足を縛ってしまい、他社と競争するうえでの足かせになってしまいました。
個人的には、インターネット革命を目の前にして、ソニーという未曾有の企業グループを手にすれば、そのリソースを最大限に活かして、インターネット時代の覇者たらんとした出井さんの選択は、簡単に否定できるものではないと思います。いえ、むしろあの時代に、各社バラバラに、それぞれが個別に利益の最大化に努めよと言うだけの、グループ戦略が欠如したCEOでは、内外から批判を浴びたのではないでしょうか。
個々がそれぞれ勝手に利益を追求する体制の場合、たとえばハードの内部部品の納入先を決める際に、ほんの少し安価、ほんの少し性能が良いという理由で、ソニー内からではなく他社の部品を選択してしまうということがあり得ます。こうなるとグループとしてまとまっている利点は、各社の利益を集めて得られる資金のスケールメリット、資金、人員などリソース配置の最適化、グループ間での情報共有ぐらいしかありません。
ただそのようにグループ企業の1つ1つがオールソニーの戦略に組み込まれると、各グループ企業が属している業種の中で利益の最大化を計るよりも、オールソニーの利益を優先せざるを得なくなります。そして現状から類推するに、ソニーグループは、グループ各社が足並みを揃えるよりも、各社が勝手に活動していた頃の方がむしろ競争力があった、ということなのでしょう。
以上から得られる教訓は、全体最適化よりも個別最適化を優先した方が、結果的に全体の利益が最大化するという、ちょっと考えると意外な結論が導き出されるということです。
■ストリンガーさんの戦略?
そして思うに、ハワード・ストリンガーさんの戦略は、まさに「まずは個々の事業を立て直す」というのが基本戦略なのではないか、と思います。個々の事業が立ち直るなら、オールソニーの利益最大化に反しても構わない、という方針です。
一見、グループ戦略を欠いた方針なのですが、それでもグループ企業なのですから、縮小すべき事業からはリソースを引き上げ、成功している事業に対してリソースを再配置するなどといった全体最適化は可能です。リソースは資金、人員の両方を含みます。情報共有化を進めれば、企業間の新たなシナジー効果が生まれる可能性もあります。もしかしたらグループ企業というのは、そのぐらい緩い繋がりで充分なのではないか?とも思います。
仮にこの予想が当たっていたとしたら、個々の企業がグループ戦略に囚われずに迅速な意思決定ができるということになります。そうなった時のソニーは強いと思います。変化が結果に結びつくまでは2〜3年ほどの時間を要すると思います。ですから、皆が「ソニーは没落した」と言っているまさにその時こそ、復活の足音が鳴り響いているかもしれないのです。かつて松下がそうだったようにです。これからのソニーには要注目だと思います。
2005年09月01日
CEDEC2005感想
CEDECに行ったのは初めてだったのですが、予想していた以上に様々な方と出会うことができて、とても楽しかったです。連絡が取れなくなっていた旧友と会うこともできたりして、行って良かった!と思いました(もちろんゲームのことでも、とても参考になりましたよ!)。
何となく感じたことを、会社のレポートとは別に箇条書きで書いてみます。
- とにかく色々な方と名刺を交換してみたのは良かった。
- プレゼンが上手な方がとても多かった。
- 学生さんなど、若い人も頑張っていた。えらい!と思った。
- プロデューサーなどの要職にある方と話すのはもちろん楽しかったが、現場の若い方と話すのもとても楽しかった。
- 様々な方とお会いできたのはとても良かったけれど、その分1人あたりと話す時間は短かったのが残念。人見知りするので、友達でない人と長時間話すのはそれはそれで辛いのだけれど、やっぱり心残り。いつかプライベートでディベロッパー回りなんてできたら良いけれど、ご迷惑な気も。
- 日本のゲーム業界に悲観的な講義が少なくなかった。
ただ根拠は無いものの、僕は逆にこれから期待できるのかも、と感じた。 - ハンゲームはなんだかバブリーだった(笑)
- マイクロソフトからの粗品は洗剤だった。「開発者はまず服を洗えというビル・ゲイツからのメッセージだろう」と言う人と、「マイクロソフトも日本を理解してきた、次はプロ野球のチケットだろう」という意見が出ていた(笑)
来年も自費でも良いので行きたいものですが、仕事が忙しいかな・・・。
2005年08月05日
思い付くことと実行すること
そうか、ゲームはやっぱりFlashか、と思っていたら、こんなAjaxゲームが紹介されてました。
す、すげー!こんなゲームが日本で作られていることに感動。ちょっとだけ遊んでみたのですが、音が出ない以外は、本当にFlashで作られたゲームを遊んでいるかのようです。あとこのページが面白かったです。
TRIGLAV公開後しばらくは相当経済的に苦しい時期がありましたが、それでもあのときにこの思いつきを実行に移してよかったと思っています。できるかもしれないという考えと、それを実際にやってみることの間には、想像すらできない溝があります。素人2人でゲームがつくれるわけがない、ブラウザでJavaScriptを使ってRPGなんて無駄でアホらしい、と。わたしもこれらの意見には大賛成ですが、やってみないことには、そのアホさ加減も面白さも判らないのです。
いや、本当にそうだよなあ・・・。思い付きの素晴らしさもあったと思いますが、それを実行に移してしまったところが、もっと素晴らしいですね。
企画力についての記事を何回か書きましたが、良いアイディアを思い付くのも難しいのですが、それ以上にその良いアイディアを実行に移すことはもっと難しいです。企画力というのは、その両方を兼ね備えることだと思いますが、その実行段階に持っていくまでの過程については、まだ記事にしたことがありません。しかしゲーム開発の組織が活き活きするうえで、もっとも大事なパートだと思っています。良い思い付きをいかにして最終製品にまで育てることができるか、いずれその点について書いてみたいと思っています。
2005年08月03日
携帯電話用コンテンツのデバッグ
グーグルのアドセンスに、何やら携帯電話のサイトが紹介されるようになりました。たしかに最近、「携帯電話」という文字が載る記事が多かった気がします。
その中で一番面白かったのが、ケータイ・ラボ。M3という携帯電話関係のメーカーさんによる、携帯電話向けコンテンツのテスティング業務です。なるほど、最近の記事でデバッグとかテスターとかいう単語が踊っていましたから、それと携帯電話という言葉が結びついたのだろうと伺えます。
しかしなるほど、3キャリア合計で300機種のハードウェアに対応しなければならないのですから、コンテンツ制作側も大変です。だからこのようなビジネスチャンスが生まれるのですね。
なるほど、と思った次第です。
2005年07月31日
CEDECの傾向
前記事の「Stay hungry, stay foolish.」を正に体現されている(とブログを見て感じている)清水さんですが、なんか宣伝させられています(笑)
CEDECの講演の受付状況を見る限り、どうも集まりが悪いのだろうなあ、と推察します。パッと見ると、次世代3D技術関連や大手パブリッシャーの講演に受付が集中していて、モバイル関連は人が集まっていないっぽいからです。各社、各開発者の切実な状況が伺えて、興味深いです。
しかし次世代機では、今年のE3を見る限り、もはやグラフィックスだけでは人を驚かすことができなくなる世代になると思いますから、より重要になるのは企画内容だと思っています。SFXという言葉が死語になり、CGの進化も頭打ちになったハリウッドで、改めて脚本の大切さが再評価されたのと同じです。
いかにして強力な企画力を獲得するか、1人の天才に頼るのではなく、継続的に優れたアイディアが湯水のように湧き出てくるような理想の組織はどんな物なのか、それを構築した組織が次の10年の勝ち組になるに違いない、と僕は思っています。
関連記事:
持つ者、持たざる者
2005年07月30日
続・仕様書のあるべき姿
「NAGTOSKETCH 長田敏之のゲーム書生気質」さんから、「仕様書のあるべき姿」へのコメントを頂きました。
エントリーを読むと、う〜ん、これは何とも言えないです・・・。クライアント側から見たときのディベロッパーのスケジューリングがどうだったのか、という視点が無いと判断できないですが、納期についてはかなり厳しい要求を出されていたみたいなので、そうなると開発の手順が崩れてしまうのは止むを得ない部分があります。ディレクターですらゲーム全体をほとんど把握できないような状態になっていたのだろうと思います。
また、このケースはいわゆるレベルデザインですから、プログラマに対する仕様書は必要無いわけです。必要なのは、レベルデザインの設計手段(ツール、スクリプトなど)に対する要求仕様だけですから。パラメータやテキストメッセージもそうですね。
となると仕様書を必要とするのはテスターだけになりますが(クライアントはとりあえず除きます)、テスターにしたって、将来変更される部分をデバッグしてもただの無駄骨ですから、未調整であることが分かっている部分については、途中段階の仕様書より、むしろ「バグ報告は必要ありません(ただしゲーム進行が止まってしまうバグについては要連絡)」というような連絡をして欲しいところでしょう。
となると、仕様書が用意するのは、レベルデザインがほぼFIXした時期ということになります。それがマスターアップの2週間前なら、ぎりぎり何とかなるのではないかと思います(本当は1ヶ月前ぐらいであるべきですが、納期が厳しい場合はほとんど無理でしょう)。しかし長田さんの場合は、恐らく1週間前ぐらいまで、かなり頻繁に配置などをいじっていたのだろうと思います。本当にお疲れ様です。しかし、こうなってしまうと、テスターに有効な仕様書を渡すのは、事実上不可能ということになります。
理想論になってしまいますが、本来は、仕様が100%入ってからが本当のデバッグです。
プログラマの負担を減らすため、プランナーがパラメータ、レベルデザイン、テキストメッセージなどのリソースを作成することになりますが、いじりやすいだけに逆になかなか確定せず、それが致命的なバグを生んでしまうという問題が発生することがよくあります。確かにギリギリまで調整したくなるのが人の性ですが、なるべく早くFIXさせる努力をしないことには、いつか回収もののバグを生み、結果的に会社にも大変な損害を発生させてしまいます。結局、一度痛い目に合わないと懲りないんですよね・・・。
あと長田さんも将来の課題としてリストアップされていますが、こうしたプランナーが作成するリソース(レベルデザイン、パラメータ、テキストメッセージ)は、少ない手間で仕様書を作成することができるようになっているべきですね。場合によっては、リソースがそのまま仕様書になる場合もあるでしょう。その場合、テスターにデータを読み取ってもらう努力を強いる場合もありますが、それでもテスターには充分役立つものです。
ただ長田さんのケースの場合、今まで書いたような問題だけでなく、クライアントからも正確な仕様書を要求されているという問題も絡んでくるので厄介そうです。僕は、仕様書はテスターが必要とする分だけあれば良いはずだから、なるべく仕様書は少なくしてその分きちんと更新していきましょう、という論者なので、長田さんのようなケースになると辛いですね。「そのぐらい最新バージョンを遊んで確認しろよ」と思ってしまうようなことまで「仕様書くれ」って言われていそうです。これについては、プロデューサーの方の資質次第というところでしょうか。
色々障害はありますが、正確な仕様書は確実に開発を効率化させますから、面倒くさがらずに、常に更新し続ける努力を失わないようにしたいですね。
2005年07月29日
すごい会議
先日の仕様書ネタは、業界関係者にはかなり読まれたようです(笑) もしも、あなたの身近に思い当たるようなディレクター、プランナーがいましたら、さりげなく当ブログへ誘導してください。しっかり教育します。
さて、またまたアフィリエイトネタです。今回はちゃんと読んだ後に紹介してますので、安心ですよ。
ビジネス書棚でよく平積みになっているので、今更紹介するまでも無いでしょうが、今の自分にとってとても関心がある内容なので、紹介してみます。
ゲーム開発において、もっとも一般的な会議は次の2通りでしょう。
- 仕様を決める
- 仕事の段取りを決める
この2つは、目標がハッキリしているだけに、何らかの成果が得られることが多いです。しかしもう1つの種類の会議は、もしうまくいけば大変な成果が得られるのですが、なかなかうまくいかないことが多いです。
- 企画を考える
いわゆるブレインストーミングというやつですね。仕様を考えている時に、ブレインストーミング的に良いアイディアが次々に提案されて、とても良い成果が得られた、ということは比較的良くあります。しかし「さあ、新しい企画を考えよう!」という会議で、ヒット作へのキッカケをつかめたということは、なかなか無いのが現状ではないでしょうか。
その方法の一端ぐらいはつかめるかもしれないと、「すごい会議」を読んでみたのですが、会議から新しい何かを生み出す方法というより、会議を通してモヤモヤしている組織をシャッキリさせる、組織の自己啓発本ですね。
今、僕がやりたいと思っている会議は、いかにして参加者の創発性を活かして、1人1人がバラバラに考えているだけでは産み出せなかった、画期的な企画を生み出せるような会議です。そんな方法があるものなら、それは物凄く価値のあるノウハウということになるのでしょうが、そんな簡単に手に入れられる物ではないですね、やっぱり。
ただ「すごい会議」から、ほ〜っ、と思ったことも少なくないです。たとえば勢いのある組織は、「選択」ではなく「意思決定」をしている、という話。「意思決定」というのは、完全な正解などない状況の中で、様々なことを検討しつつ、自らの意思で何か1つを選択することです。対して「選択」は、充分な状況証拠があるため、何を選ぶべきか意思を働かせる必要すら無い場合のことです。世の中の変化が激しい現在では、状況証拠が揃うのを待っていては決断が遅くなるため、意思決定ができる組織が強くなっていくそうです。ゲーム開発なんて、まさに唯一の正解のなか、意思決定の連続のような仕事ですから、意思決定をいかに素早くスムーズに行うかということについては、本書からかなり勉強になりました。
あとはスケジュール管理の仕方ですね。自分のスケジュール管理の仕方は我流なのですが、意外と近かったです。なるほど、それほど間違っていなかったんだなと感じました。でも自分では思い付かなかったアイディアもあったりして、なるほどと感じることも多かったです。
そして一番参考になったのは、参加者全員が前向きな雰囲気になること、各自の本音を引き出す方法、否定的な意見を建設的な意見に変えてしまう方法など、人の心の持って行き方です。こうした知見は、今までの僕には余りありませんでしたので、目からウロコでした。せいぜい、意見を出してくれたらそれについて肯定的な反応を返し批判はしない、というブレインストーミングっぽいことぐらいが自分の知識でしたから。
という訳で、この本はお勧めです。ただ一抹の不安を抱かせるのは、本の帯に導入企業の一覧があるのですが、その中にcapcomがあることです(笑) ※関係者の方々、スミマセン。
それはともかく、皆から次から次へと、興味深いアイディアが湯水のように湧き出てくる、最高の会議というものを主催したいものです。
追記:
先日紹介した「仕事を成し遂げる技術」ですが、注文していた本が届きました。読んでみようとしたところ、非常に読みづらい内容が詰まっていて、寝る前にパッと読了できるような代物ではありませんでした。得る物があったら、また報告させていただきます。
2005年07月27日
仕様書のあるべき姿
当ブログが、当人に無断で「理想のプランナー」認定している「カンフーモンキーの三流ゲームプランナー」さんですが、思いも寄らぬ(いや、そうでもないか)暴言を吐いてしまいました(笑)
わはは。仕様の書き方が悪いって。確かに確かに。
変更の必要がないようなしっかりとした仕様書は、製品が出た後にしか書けませ〜ん。
逆に言うと、最初から完璧に確定している仕様書がかけるプロジェクトなんて、なんの向上心もない、期間中にできるものをできるだけやるってプロジェクトなんじゃないですかね。仕様書書いても、他人の所が研ぎ澄まして良いものになったら、こちらもそれに合わせないといけないし。こちらが研ぎ澄ませば、他の人がその影響を受けるわけで。
最後の一分一秒まで研ぎ澄ましていきたい感じですね。
なので、仕様書なんて書いても無駄って感じで。
やっぱり若いなあ(笑)
言いたいことは凄くよく分かりますし、間違いではないと思います。しかし将来ディレクターになった時に、いつか壁に当たってしまうでしょう。一度、きっちりスケジュール通りに仕上げて、なおかつゲームもヒットするというプロジェクトを経験すると、考え方が変わると思うんですけどね。というか、先輩が駄目ですね。ちゃんと若い子を教育しなさい。
さて、仕様書というのは、本来どうあるべきなのでしょうか?
仕様書というのは、以前「プロジェクトのホームページ」に書きましたが、基本的にはコミュニケーションの手段ではなく、関係者の間で合意に到った情報をまとめておく「まとめサイト」のようなものであるべきです。そして大事なのは、一度完成したら放置するのではなく、常に最新の情報にアップデートしていくことです。逆に言えば、最新の情報にアップデートする必要もない(一度伝わればあとは用済み)ような情報は、手書きの紙ペラ1枚で充分です。複数人に伝える必要があるならコピーをとればいいだけのことで。
常に最新で正しい情報が必要なのは、それが開発の目安になるということもありますが、将来的にはデバッグにも必要になるからです。プログラマだって仕様書が必要なのに、デバッグをする段になってから、慌てて仕様書を用意するプロジェクトは少なくありません。そしてデバッグ中にも刻々と仕様は変化していきますが、仕様書をアップデートする習慣が無いプロジェクトは、結局古い仕様書のままデバッグを強いることになり、「仕様書と違うんですけど」「仕様変更がありました」という連絡が開発スタッフとテスターの間を行き来することになるわけです。嗚呼なんたる無駄!
そして一番大事なのは、プログラマが必要としている仕様書は、テスターも同じように必要としているということです。つまりプログラムが仕様通りに動いているかきちんと把握したいのは、プログラマもテスターも同じだからです。極端に言えば、仕様書はデバッグで必要になるものだけあれば充分ということです。それに気付けば、仕様書はグッとシンプルに、必要な物だけが揃うようになるはずです。
※もちろん、制作の際の仕様書(メモリマップやデータ管理についてなど)もありますが、こうした仕様書はプランナー以外によって作成されることが少なくありません。ここでの話は、プランナーが用意する仕様書に限定したものです。
普段からきちんと仕様書を整備しておけば、デバッグが始まる時には仕様書一式すべて揃っていますから、慌てる必要もありません。開発もスムーズになりますし、デバッグもスムーズになる。良いこと尽くめです。仕様変更にいちいち仕様書を対応させるのが面倒くさい?それはあなたが無駄な仕様書を作成しているからに他なりません。書き捨てで良い仕様書と、ずっと更新し続ける仕様書、この2つを上手に使い分けるのが、仕事の効率化への道です。
つまり仕様書というのは、「デスマーチ」に書かれているように、「変更の必要がないようなしっかりした仕様書を書く」ではなく、「仕様書なんて書いても無駄」でもなく、「仕様書は常に更新し続ける」のが正解です。もちろん仕様変更を繰り返し続けるのは、やっぱり駄目ですけどね。
プログラマやテスターが喉から手が出るほど欲しかった正確な仕様書を、ゲームが完成した後、攻略本を作る出版社のために作成するという馬鹿げた矛盾を、これ以上繰り返さないようにしたいものです。
関連記事:
「ゲーム開発を車にたとえると」
「プロジェクトのホームページ」

