2006年03月07日

サイバー・コネクト・ツーの松山さん

Gpara.com クリエイターズ・ファイル:「大切なのは燃えて遊べるゲームを作る事」松山洋さん

またまたものすごくとってもひじょうにすばらしくさんの紹介からです。

サイバー・コネクト・ツーの「ツー」(英語社名だと「2」)って何だ?と以前から不思議に思っていたのですが、本当にシリーズ作的な意味合いの「2」のことだったのですね。会社で「2」というのも珍しい、というかここぐらいかも。しかし「サイバー・コネクト」だと普通なのに、「サイバー・コネクト・ツー」になると急に妙に耳に残る社名になるから、不思議ですね。

それはともかく、ゲーム(あえて「作品」と呼ばれていますね)を作るうえで大事にしていることとして挙げられていることが、非常にためになります。「一番大切に」と言っておきながら、複数挙げているのが面白いですが(笑)

 また、作品を作るうえで一番我々が大切にしていることですが、それは「自分たちにしか作れないゲームを作ること」「新しさと懐かしさと愛しさと遊びやすさをきちんと詰め込むこと」「ダサくならないこと」「作っている自分たちが常に笑いながら作っていること」「関わった人たちがみんな幸せになれること」まあ、色々ありますが。そして、何より考えていることは。「ユーザー=遊ぶ側の気持ちになって、燃えて遊べるゲームを作ること」ですね。

沢山ありすぎて、なおかつ理想論的に聞こえるところもあるかと思いますが、個人的にはかなり重い言葉だと感じました。サラッと言っているのですが、たぶんどれも何がしかの経験や蓄積、過去の失敗からの教訓などが含まれていると思うからです。

特に「作っている自分たちが常に笑いながら作っていること」「関わった人たちがみんな幸せになれること」の2つは、マネージメント的な意味合いを多く含んでいるのですが、すごく大事なことだよな、と思います。100%の実現は無理でも、それを目指してマネージメントするのと、そうでないのとでは、関係者の士気だけでなく、アウトプットのクオリティにも大きな影響があると思います。モチベーションマネージメントという感じでしょうか。いかに開発チームの雰囲気を良くしたり、広報や営業さんと意気投合して協力していけるかというのは、世のプロデューサー、ディレクター、マネージャー共通の思案どころだと思います。

でも松山さん的に一番大事なのは、「ユーザー=遊ぶ側の気持ちになって、燃えて遊べるゲームを作ること」なのですね(「燃えて」が入るところは松山節ですね)。これは言葉にすると物凄く当たり前のことに聞こえますし、実際これを意識していない開発者は誰もいないと思うのですが、じゃあそのためにできることを全てやっているかというと、色々面倒なことも多いので、なかなかやれない開発チーム、会社が少なくないのではないかと思います。

面倒というのは、ゲームについてきちんとユーザー視点で評価してもらうには、ゲームがある程度出来上がっている必要があるのですが、ゲームが出来上がりつつある頃は、時期的にマスターアップ直前であることも珍しくないため、そんな時にユーザー視点の評価を挟むゆとりが無い、ということが主な理由です。松山さんも、ゲームの最後の1ヶ月の調整の大事さについて、簡単に触れられています。

 今は、最新作『.hack//G.U.』の最後の追い込みにスタッフ一同、激動の毎日を過ごしています。ホントに。まあ、最後の1ヶ月で全然仕上がりが違ってきますからね…。ゲーム制作は。最後の最後まで気を抜くことがないように頑張りますよ!

その大事な最後の1ヶ月に、どれだけ客観的な視点からの評価をゲームに取り込むことができるかが、ゲームのクオリティを左右すると思います。たとえばドラクエシリーズは、その辺りに堀江さんの経験、センス、調整能力が効いているのではないか、と思います。Half Lifeシリーズの制作元である Valve社では、開発初期段階からテストプレイヤーからのフィードバックを取り入れていると講演で語っていましたね。

ただ.hackのようなシリーズ作の場合は、前作のユーザー評価を新作にフィードバックすることができますから、そういう意味ではユーザー評価を取り入れやすいということもありますね。評価は高かったけど荒削りな部分があった1作目に対して、ユーザーからの評価をフィードバックした2作目でゲームが洗練される、ということは良くあります。最近だとモンスターハンター2やサイレン2などが、そのような評価を受けているみたいですね。真三国無双2もそんな評価だったと思います。

とまあ、松山さんのインタビュー記事を肴につれづれと書いてみましたが、騙されてはいけないのは、こういう人は絶対に外向きの言葉と内向きの言葉は使い分けているということです。嘘をついているとかそういうことではなくて、外向きの綺麗な言葉と、内向きのリアルな言葉がある、というような感じです。インタビューも100%本音で語っていると思うのですが、開発の100%を語っている訳ではないだろうな、ということです。

たとえばこの辺り。

 ゲームクリエイターになりたい人は、とことんゲームを好きになってください。好きなあの子と同じように。そうすればなれますよ。

嘘ではないし、本音だとも思うのですが、リアルに語ってくださいとなったら、やっぱりそれ以外の部分も出てきます。ただそれをこういう媒体で語っても何のメリットも無いので語らない。

まあこんな風に、色々読み取れて楽しいインタビュー記事でした。


2006年03月05日

モンスターハンター2

発熱地帯: 「ゲームらしいゲーム」のレッドオーシャン化鮮明に

ゲーマー層が減ってきているので、限られたパイのユーザーが、モンスターハンター2に一斉移動したのではないか、という話です(省略しすぎですが)。

去年の東京ゲームショウのブログでの評判を巡回してみて、モンスターハンター2への支持が凄かったのですが、それが数字としても如実に表れてきましたね。

ゲームのマボロシ: ユーザーの支持を集めるオンラインゲーム

モンスターハンター2の大ブレイクは、丁度、真三国無双が、初代はスマッシュヒット止まりで、2作目で大ブレイクしたのと似てますね。もし同じ軌跡を辿るとするならば、もうしばらくはモンスターハンターが市場を席巻しそうです。

金鉱を縦に掘るだけでなく、横に広げる

ただコーエーは、「大人数戦闘物」という新しいジャンルを開拓することに成功したのに、時代設定を三国志から戦国時代へ広げることに成功しただけで、あとは拡大再生産を繰り返すばかりでした(「紅の海」や「封神演義」などもありましたが)。つまりせっかく見つけた金鉱を、縦方向に掘り進めるばかりで、金鉱をうまく横に広げることができなかったのではないか、と感じます。セガがダービーオーナーズクラブをブレイクさせた後、セリエAや三国志へと世界観やシステムを変えていったり、ムシキングの成功の後、ターゲット層をがらりと変えて「ラブ&ベリー」を大ブレイクさせたりしたのとは好対照だと思います。

カプコンはこれから、モンスターハンターのヒットを、スト2やバイオの時のような、スト2クローンやバイオクローンを連発するのではなく、金鉱をうまく横に広げていけるかどうかが問われてくると思います。反省を活かせているかどうか?プロデューサーの方々、腕の見せ所ですよ。


Posted by arere at 04:19  |Comments(0)TrackBack(0) | ゲームソフト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レイディアント シルバーガン

LINK 100000B.C. -RADIANT SILVERGUN

「ものすごくとってもひじょうにすばらしく」さんで知った、レイディアント シルバーガンの隠しメッセージについてのページです。マニアの方には有名なのだと思いますが、僕は初めて知り、とても興味深く感じました。

レイディアント シルバーガンのストーリーはこちらのサイトが詳しいです。「カモフラージュ文」になく「原文」の最後にはある文章は、ストーリー最後(エンディング)のクリエイタのモノローグにあたるものです。

サターン版発売当時のゲーム業界

レイディアント シルバーガンのサターン版は、極めて激しかったプレイステーション、セガサターン、ニンテンドウ64による三つ巴の次世代機競争において、PS勝利が誰に目にもハッキリしていた頃に発売されました。

ゲーマー向けの良質なゲームに恵まれていたサターン、64に対し、ゲーム業界では新参者で経験不足だったはずのSCEが、数々のライトユーザー向きの斬新なゲームでゲーム業界を席巻し、誰も予想できなかったほどの大成功を収めていた頃でした。まさに経営者、プロデューサーたちが

視野の狭い商売人:
「これからは視野を広く、ライトユーザーを中心としたゲーム作りが必要なのだよ」

と連呼していた時代だったと思います。思うに「ライトユーザー」という単語がゲーム業界のマーケティング用語として使われるようになったのも、この頃が最初だったのではないかと思います。

しかしサターンは、3D表示こそ弱かったものの2D表示が強かったため、2D格闘ゲームやシューティングゲームなどは独壇場でしたので、ゲーマー層の支持は根強い物がありました。そんな中で、元々セガ寄りだったトレジャーが、レイディアント シルバーガンをサターンで発売させたのも当然のことでした。そんな、言わば「負け組」からの発売を強いられたレイディアント シルバーガンは、僕の記憶では、当初の期待ほどのセールスは挙げられなかったと記憶しています。

切り捨てられた「ゲームらしいゲーム」

そんな時代が、ディレクターの井内さんに以下のメッセージを吐かせたのでしょう。

ただ、経営者、営業職、開発職、販売職、そしてユーザーの方々にも考えてほしいのです。この切り捨て文化であるゲームの事を・・・
正しき主観を持つ者:
「この最悪の市場を見てみろ、これが自業自得の現状なんだよ」
客観的代弁者:
「争いを止めることはできない。創造者も商売人もお互いが正義だと思っているからな・・・」
時代にとり残された私にできることは・・・
再びゲームを再生させること・・・

「面白い」ゲームらしいゲームが売れなくなり、その代わりに「ライトユーザー」向けのゲームがバカスカ売れる、そんなゲーム業界に未来はあるのか?というようなメッセージですね(個人的には、SCEのPS時代にヒットした一連のライトユーザー向けゲームは、とても「面白い」と僕は思ってます。念のため・・・)。

頑固一徹に「ゲームらしい骨太なゲーム」を作り続けてきたトレジャーの開発者たちにとって、まさに「時代にとり残された」と身につまされる時代だったのだろうと思います。

当たっていたことと、外れていたこと

しかし面白いのは、まさに当時ライトユーザー向けのゲーム、たとえばパラッパ・ラッパーやIQ、Xai、どこでもいっしょ、みんなのゴルフなどで大成功を収めていたSCEが、PS2以降になるとソフト提案力が失速し、逆にゲームらしいゲームの権化のような存在だった任天堂が、SCEのお株を奪うようなライトユーザー向きゲームで市場を席巻するという、逆転現象が起きていることです。

そういう意味で言えば、レイディアント シルバーガンに込められたメッセージは当たっていたとも、外れていたとも取れます。

当たっていたのは、視野を広く、ライトユーザー向けにゲームを作ろうという戦略は、逆に視野が狭く(というより認識が浅い)、じきに行き詰まりを見せるだろうということです。SCEのその後を見れば、まさに予言が的中したと言えます。

しかし井内さんに「視野の狭い商売人」と断罪された

「これからは視野を広く、ライトユーザーを中心としたゲーム作りが必要なのだよ」

という言葉は、まさにDSにおいて任天堂が何度も繰り返しアピールし、そして実現したことそのままです。

つまりゲーム業界を閉塞状況から救ったのは、ゲームらしいゲームのクローンではなく、従来のゲーマー層以外をターゲットにした、ライトユーザー向けのゲームだったということです。

歴史は繰り返す?

しかしDSにおいてミリオンヒットを連発させる、かつての黄金期を彷彿とさせる状況を作り出した任天堂も、レイディアント シルバーガンのラストで語られた通り、所詮繰り返される歴史の一部に過ぎないのかもしれません。個人的にもそのように感じる部分があります。ブームというものは、必ず過ぎ去るからこそ「ブーム」なのですし。

これは、始めから決まっていたこと・・・
そう、幾度となく繰り返されていること・・・
時代にとり残された私にできることは・・・
再びゲームを再生させること・・・
そう、幾度となく繰り返されていること・・・

結局、レイディアント シルバーガンにおいては、歴史の輪廻から脱出することは叶いませんでした。しかし恐らく、そこから脱出するためには、以下のメッセージが鍵になると、井内さんは考えておられたのでしょう。

希望的観測者:
「しかし、世の中が移り変わっていっても・・・変わらないものが一つだけあるはずだ」

Posted by arere at 03:21  |Comments(0)TrackBack(1) | ゲームソフト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月25日

小少軽短美

以前、LOVELOGにいくつかバグ報告をしたのですが、いずれも「修正すると他に悪影響が出る恐れがあるので仕様です」だそうです・・・。プログラマでは無いですが、再現方法が極めて明確かつ容易なので、恐らくいずれも比較的容易に修正可能だと思われるのですが・・・。面倒なので多分このままですが、正直乗り換えたくなってきました。

さて、今回のちょっと変わったタイトルは、自動車、バイクで有名なスズキ株式会社のスローガンです(こちらの経営の報告書にも載ってます)。

「小さく・少なく・軽く・短く・美しく」という意味だそうです。そのままですね、スミマセン。

でもこのスローガンって、軽自動車で有名なスズキが言うと「まあ軽自動車だから」と言われそうですが、たとえばアップルやグーグルのスローガンだと言われたら納得感がないですか?というか僕は、「小少軽短美」こそが、これからのエンターテイメントの方向性の1つだよなあ、と感じてしまいました。

ユーザーに「重さ」を感じさせては駄目

僕は、書籍も読みますが、それはかなり「よし読もう」という気になった本だけで、暇つぶしに読むという感じではありません。そういう時の本は、最近流行りのペーパーバックのマンガだったり、他愛も無い雑誌だったりします。そういう本って「全てを読んで、全てをきちんと理解すること」を読者に強制しない、心地良さがあります。暇つぶしに雑誌を買ったけど、気になる部分だけを読んで、後は捨てたという経験を持つ人は少なくないはずです。これが小説だと、なかなかそうはいきません。

血気盛んな頃は「くだらない雑誌なんか読んでいる暇があったら、自分が成長するような書籍を読もう」なんて思っていたのですが、肩の力が抜けた(抜けすぎた)今では、むしろそういう軽さがありがたく感じます。

テレビも同じように、ハッキリ言って観た後に何も残らないような番組も少なくないのですが、観る人に「画面に集中して、一語一句聞き逃さないように」と強制しない、心地良さがあります。

たとえば最近のCMの特徴なのが、画面を観ずに音声だけを聞いていても、宣伝としてきちんと機能している物が多いということです。恐らくテレビを点けっ放しにしながら料理などをしている奥様などに配慮しているのだと思います。

その逆に、ニュース番組やバラエティ番組などだと、重要な情報や、笑いを取るせりふはテロップを表示することで、重要な情報を強調すると同時に、音声が何らかの理由で聞こえない場合でも内容を充分理解できるよう配慮されています。

最近のテレビは、編集技術の向上や、CMに移る時の「引き」をどう作るかという構成術も含めて、内容よりもそういう「見せ方」がすごく参考になると感じます。

小少軽短美なゲーム

さて、そのような小少軽短美な良さというものをゲームに活かそうとする時は、何に気を使ったら良いのでしょうか。具体的に「こうだ!」というものは示すことができませんが、僕は以下のようなポイントが重要になってくるのではないかと思います。

  • ゲームの全ての要素を遊ばなくても良い
  • ゲームにいつ飽きても良い
  • ゲームに上達しなくても良い
  • 1回のプレイ時間が長くなくても良い

つまりゲームを遊ぶうえでユーザーに強いてきた様々なお約束、義務からユーザーを解放しましょう、ということです。これらはスズキ風に言えば「小少軽短」に値します。そして

  • 面白い

が「美」になるのだと思います。「小少軽短」であっても「小少軽短醜」では駄目なのです。

小少軽短でありながら美しい、というのは非常に難しいことです。フェラーリやランボルギーニのような超高額でかつ実用性を無視したスポーツカーが美しいのは当たり前ですが(最近のフェラーリは好きではないですが)、コスト、実用性などありとあらゆる縛りを受けながら、なおかつ美しい車を作りましょう、ということなのですから、これは並大抵のことではありません。しかしそれでもスズキは、スイフトのようなカッコ良い車を作ってみせた訳です。

同じように、全ての要素を遊ばなくても良く、いつ飽きても良く、上達しなくても良く、1回のプレイ時間が長くなくても良く、なおかつ面白い、というゲームを作るのも並大抵のことではありません。たとえば一般的なRPGが、その面白さを主にプレイボリュームやエンディングに到達することによる達成感に依存していることなどからも、それは明らかです。

しかし同じレベルの面白さをユーザーに提供できるのなら、遊ぶ上での敷居は低ければ低いほど良いはずです。その方が遊ぶ人も楽だし、ライトユーザーを取り込むことができます。かなり前の記事になりますが、この記事で書いたことも大意では同じことです(細部の考えはだいぶ変わりましたが)。

小少軽短美。小さく、少なく、軽く、短く、美しく。他分野の知恵をゲーム業界も取り込んでみてもいいのではないか、と思います。


Posted by arere at 20:10  |Comments(5)TrackBack(0) | ゲームデザイン , 娯楽全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月19日

日本先行論

大西 宏のマーケティング・エッセンス:iPodの成功はAppleを苦しめるかも

記事の主眼は、製品(iPod)がコモディティ化することにより、ハードメーカー(Apple)は今後苦しくなってくるのでは、という見通しを語ったもので、それ自体ももちろん興味深いのですが、それより気になったのは下記の一節です。

日本は多くの分野でハードに関しては世界の先行市場であり、2〜3年の後に海外で日本で起こった変化が反映されることが一般的で、このiPodもそうなっていく可能性は否定できません。

このような認識がどこまでマーケティングの世界で一般的なのかは分かりませんが、ちょうど年初に似たようなことを記事としてまとめたので、目に留まった次第です。

ゲームのマボロシ: ゼロ年代後半戦で日本ゲーム業界が進むべき道

(ゲームアナリスト平林さんのブログからの引用)
おっしゃる通り、アメリカは8年かどうかは別にして、日本の後追いをしているかのように見えます。私もこの論に賛成です。

しかし、やっかいことに「ゲームは市場で売れている」のであり、「社会がゲームを認めている」のであり、そういう優位性があるのに「遅れている」ということをアメリカ人に理解してもらうのは、どんなに論理を磨いても、経験上不可能に近いように思われます。

(あれれのコメント)
しかしターニングポイントを過ぎてみて今、日本のゲームユーザーのセンスが欧米のゲームユーザーよりも前を走っているということが、徐々に明らかになってきていると個人的には思っています。

05年は1つのターニングポイントでしたが、ゼロ年代後半戦の最初の1年目である06年も、同じように重要な年になると思われます。日本が先行しているのか、それとも欧米のゲームが世界を圧倒するようになるのか、まずは5月のE3が前哨戦となるのでしょう。E3で今後の方向性がかすかに見えてきて、そして今年の年末商戦で何らかの結論が出るのでしょう。

何となく思うところはありますが、それはあえて書きません。


Posted by arere at 22:39  |Comments(11)TrackBack(0) | ゲーム全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アーケードゲームメーカーの今後

ITmedia +D Games:各ブースの見どころ教えます――AOU2006の歩き方

今週はAOUショーが開催されていますね。アーケードゲーム業界では、メーカー側が開催するAMショー(9月)と、オペレーター側が開催するAOUショー(2月)の年2回商談会というスタイルが長く続いています。

今回はAOUショーにかこつけて、アーケードゲームメーカーの今後を占ってみましょう。もちろん、あくまで外野からの予想ですので、関係者は気にされないよう。

コナミ

ラインナップを見ても勢いを感じますね。ウイイレ以外勢いがだいぶ無くなってきてしまった家庭用と比べると、元気が良い印象があります(プロ野球スピリッツなんかは、ユーザーを楽しませよう!というサービス精神が伺えて、好印象なんですけどね)。

ポイントなのは、業務用部門は「そこそこ稼いでくれていたら良い」という立場だと思われるので、恐らく経営からのコントロールが緩いことだと思います。業務用のゲームを作るのとウイイレを作るのとでは、経営に与えるインパクトが違いすぎますからね。

コナミは下の人に自由にやらせた方がうまくいく会社だと思います。もちろん壮大な失敗も数多く生まれるでしょうが、今のままだと家庭用で大当たりは中々生まれないと思います。ウイイレは今が天井でしょうし、メタルギアも明らかに落ち目です。新しい柱を立てないと、今後は更に厳しくなると思われます。

ただ「そろそろコナミもやばそう」なんて言われている時のコナミは侮れません。無茶な若手ディレクターから、とんでもない変化球が飛び出す可能性もあるので、要注目です。

セガ

一方、業務用、家庭用含めて、明らかに上り調子なのがセガですね。完全復活とまではいきませんが、やっとハードメーカー体質が抜けて、純粋なコンテンツメーカーとしてアイデンティティを確立しつつあるようです。

今は恐らく、開発者のモチベーションも非常に高まっていると思われるので、プロデューサー側に企画を見分ける臭覚は求められますが、今後も継続してスマッシュヒットを飛ばしてくるのではと予想しています。一度地獄を見ましたから、そういう所は強いです。

ナムコ

僕が一番心配しているのがナムコです。

ソフトメーカーとして質が落ちたとは思いません。しかし勢いが無くなったという意味では、コナミよりも状況は悪く感じます。テイルズシリーズは良い意味でナムコっぽさが無いので、まだ良い状況ですが(乱発しすぎとは思いますが)。

塊魂、アイドルマスターなど、ナムコらしくないゲームでスマッシュヒットを出していくだけの地力はあります。そこは凄いです。しかしそれらが単発のヒット止まりで、金鉱を掘り当てるところまでいかないのが苦しいだろうなあと想像します。シリーズ物も売上は落としつつそこそこ売れるものだから、言わば真綿で首を絞められているようなものです。それだったらむしろ、一時のセガのように一度地獄を見た方が、全社が一丸となって変化に立ち向かっていけるという点で、まだマシです。

コナミは元から「コナミらしさ」なんて眼中に無いし、セガもやっと「セガらしさ」という呪縛から解き放たれようとしています。そんな中でナムコは未だに「ナムコらしさ」から逃れることができていないように感じます。新しい時代に向けてナムコはどっちを向いてエンターテイメントを作っていくべきなのか、ビジョンを再検討する必要があると思います。

ただ今までのナムコが持っていた「良さ」は失わないように気を付ける必要はあると思います。ナムコの良さって何かというと色々な意見があると思いますが、僕は全社員がゲームを愛していることだと思います。そこは否定せずにいかにモデルチェンジできるか、これからのナムコのポイントだと思います。

バンプレスト

すごく現代的なメーカーだと思います。セガ、ナムコ辺りはまだゲームを「作品」だと思っている部分があると思うのですが、バンプレストはたぶんテレビ番組を作るぐらいの感覚でゲームを作っているのではないかと思います。

とにかくどんな手段を使ってでも良いから、お客様に楽しんでいただければ良い。そういう発想ですね。ちょっと懐かしさ需要に頼っている部分はありますが、バンプレストにはユーザーから版権物しか求められていないので、しょうがない部分もあります。開発者のエゴが表に出ないうちは安泰だと思います。

タイトー

あまり語るべき見解を持ちません。先輩どうしてるのかなあ・・・。

ケイブ

「エロカワイイ」をテーマにゲームを作るってのは、良いセンスですね。絵柄を見ると、単にオタ向けなのが今一歩ですが・・・。


Posted by arere at 08:29  |Comments(2)TrackBack(0) | ゲーム全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月18日

最近のゲーム色々

週末更新が定例になってきましたが、ほとほとネタが無いので、とりあえず最近気になったゲームを取り上げてみます。すみません。

プロジェクトゴッサムレーシング3

今更になりますが、ちょっと触ってみました。背景のテクスチャが本当に綺麗ですね。HDRやブラーなども、派手にやりすぎるのではなく抑え目な処理で、うまく使われていると思います(ガレージでのHDRはやりすぎだなあと感じましたが)。

しかしこれほどのグラフィックが実現できていても、話題にもならなければ、売れもしないというのも、ある意味驚異的です。ゲーム初心者の人が見ても「わあ、実写みたい」と感じると思うのですが、強烈な購買意欲には繋がらないようです。正直なところ、自分も同じです。

グラフィックが凄いという単純な驚きと、それでも何故欲しくならないのだろう?という別の意味の驚きがあり、色々考えさせられるタイトルです。

エレクトロプランクトン

HOT WIRED: 『ELECTROPLANKTON』が切り開く、新しい可能性

以前、「失敗した」と表現してしまった(笑)エレクトロプランクトンですが、米国でなかなか評価されているみたいです。

 さらに興味深いのは、こうした現象が逆方向にも起きていることだ。音楽制作ツールそのものに見えるゲームがある一方で、最近の音楽制作ソフトは、ゲームに近づいている。

(中略)要するに、現在の音楽制作ソフトは、大事なことをゲームから教わったわけだ――創作用のツールは、ユーザーの遊び心をかきたてるときに、最もその威力を発揮するということを。

1つ前の記事でも書きましたが、ゲームが別の何かに近づく一方、別の何かもゲームに近づいていっている、という現象があちこちで起きています。そういったクロスオーバーが最終的にどんなゴールに到達するのか、し得るのかというのは、今後のテーマになっていきそうだと感じています。

ゲーセン留学

ITmedia +D Games:各ブースの見どころ教えます――AOU2006の歩き方

コナミが業務用としてNOVA監修のエデュテインメントゲーム「ゲーセン留学」をAOUショーにて公開しました。ネーミングが分かりやすすぎて抜群ですね。遊びたいとは思わないのですが、どんな仕様なのかは把握しておきたいところです(この辺りから、いかに面倒くさがりかを察してやってください)。

とりあえず遊んでいる姿から察するに、タッチパネル筐体のようですね。英語をテーマにしたクイズゲームというまとめ方を想像しますが、どんな内容なのか興味津々です。

おしゃれ魔女ラブandベリー

ニンテンドーDS Conference(カンファレンス)! 2006.春

カンファレンスにてDS版が発売されることが発表され、「またミリオンソフトか」と、何となく全国の開発者にため息をつかせたのが「おしゃれ魔女ラブandベリー」です。

ムシキングが売れたというのは、多くの開発者にも何となく理解できる部分があります。しかし女児向けゲームがここまでブレイクするというのは、ムシキングがあれだけのヒットを飛ばした後でさえ、あまり予想できなかったことだと思います。

とにかく、基本的には着せ替えゲーム&リズムアクション。それだけのゲームです。とりあえずこの「あそびかた」を見てください。ゲームに夢中な男児に比べて、ゲーム人口は少ないと思われる女児向けでこのブレイクというのは、本当に凄いことです。セガは全く物凄い金鉱を掘り当てたものだと、つくづく思います。「たまごっちのプチプチおみせっち」「おいでよどうぶつの森」の大ブレイクも誰も想像できませんでしたが、あれも女児パワーが炸裂しているのかもしれません。


Posted by arere at 22:48  |Comments(0)TrackBack(0) | ゲームソフト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月12日

クロスオーバーの先にあるもの

僕は自動車に関する情報に触れることが好きなのですが(飛ばしたりいじったりすることはしないヘタレです)、ここ数年、クロスオーバーやSUVと呼ばれるジャンルが人気です。クロスオーバー車とは、セダンなどの乗用車と、クロカン(クロスカントリー)車やRVと呼ばれる車の中間に位置する車のことです。

具体的には乗用車向けのプラットフォーム(ゲームで言えばゲームエンジンや汎用フレームワークのようなものです)を元にして作られた、一般道をメインで走ることを想定して作られたクロカンっぽい車のことを意味します。トヨタのハリアーやBMWのX5、ポルシェのカイエンなどがその代表例で、まず北米でブームになり、そのブームが日本にも伝播しつつあるところです。

ミニバンブームもまず北米で起こったのですが、ミニバンに「お母さんの車」というような女性的なイメージが付いてしまったため、マッチョなイメージを求める男性層にとってのミニバンに代わる車として、クロスオーバー車に需要が集中したと言われています。

曖昧になってきた境界線

いきなり余談からスタートしましたが、つまり従来のジャンル分けの境界線上に新たなジャンルが生まれた、典型的な例と言えます。

そして今、ゲーム業界でも「映画的なゲーム」「実用本を元にしたゲーム」など、従来のメディア分けの中間に位置するようなゲームが、純粋にゲーム的な面白さだけを売りにした、言うならば「純ゲーム」(シューティングゲームや格闘ゲームなど)よりも幅を効かせるようになってきました。ここまでは一般的な認識だと思います。

ただ最近ふと思ったのですが、ゲームが他メディアに影響されたのと同じように、他メディアもゲームに影響を受けている部分って大きいんじゃないか、と思うのです。

たとえばテレビではTBS「関口宏の東京フレンドパーク」が典型例として挙げられます。

コンテンツに何らかの手間をかけた情報はほとんど無くて、著名人が素の状態でゲームをクリアしていくのを傍から見守るという、ただそれだけの番組です。もちろん最大のコンテンツは著名人の巣のアクション、リアクションな訳ですが、娯楽の構造としては従来のテレビ番組よりも、友人や家族がゲームを遊んでいるのを傍から見ているのにずっと近いです。

同じような構造のテレビ番組は、たとえばネプリーグも挙げることができると思います。

その他だと、クイズ番組も、実はコンテンツの楽しみ方としては非常にゲーム的です。もちろん出演者のリアクションなども楽しみの1つなのですが、出題されたクイズを家族みんなで解いて楽しむのが、その最大の魅力でしょう。単に番組側が一般視聴者にゲーム的な評価システムを提供せずに、評価自体を視聴者側に委ねているだけで、遊びの構造としては、クイズゲームと全く同じです。

先に挙げたネプリーグも、当初は本当にタレントがゲームを遊んでいるのを傍から見るだけの回も多かったのですが、最近はクイズ形式(視聴者もゲームを楽しむことができる)に落ち着いてきましたね。

また最近はテレビ番組が評価システムを備えることも珍しくなくなってきました。電話や携帯電話を使った投票システムはその一例です。もっとも大規模な例だと、専用アプリをダウンロードして、日本全国一斉にIQテストを行ったテレビ朝日「テスト・ザ・ネイション」が思い出されます。※ちなみに元々この番組は、英BBCの番組が元みたいです。

その他のメディアでも、ゲーム的な、またはゲームに影響を受けたであろうという例は色々見出せるのではないかと思います。

また最近だと、インターネットや携帯の影響を、他のメディアが受けているというクロスオーバーも、もちろんあると思います。影響としては、こちらの方がゲームよりも更に大きいでしょう。

クロスオーバーの行き着く先は?

このようなクロスオーバーが起きるのは、メディアがより純化していく方向とは逆の、メディアという形式に囚われず、何らかのゴールを目指してコンテンツがメディアの枠に収まりきらなくなった結果、起こるのではないか、と僕は考えています。

「ゲームはよりゲームらしく」「映画はより映画らしく」というメディアの形式がまず先にあるのではなく、何らかの情報価値、娯楽体験を人々に届けたいという意図が先にあり、そのための表現方法を考えていったらメディアとメディアの中間点に落ち着いた、という感じです。

ゲームはよりゲームらしく、映画はより映画らしく、という方向性を否定する気は毛頭ありません。長い歳月で熟成されてきたコンテンツの形式、フレームワークには、それだけの利点が数多くありますから、自分が人々に届けたい情報価値、娯楽体験がそのフレームワークにピッタリ収まるなら、躊躇無くそれを採用すべきだと思います。

一方クロスオーバーには、現時点で可能な表現方法はこうだけれども、技術や表現方法が進化すれば、もっとうまいやり方で実現したいんだけど、というような未来志向性があります。形式よりもやりたいことが先にあるからです。そういう意味では、その時点での完成度は低いかもしれませんが、進化の余地がある分、新しい市場を開拓できる可能性があるとも言えます。

インターネット、携帯、テレビ、映画、書籍、新聞、そしてゲームと、メディアの形式は様々です。そして何となく、それらのメディア間の中間、クロスオーバーのエンターテイメントに、何か共通した志向性、ゴールがあるような気がするのです。視聴者による参加性、インタラクティビティ、視聴者の苦労、努力を必要としない、情報が日々更新される、同時性を持ちつつ、非同期によるゆるい繋がり、オンデマンド性、などなど・・・。

Web2.0という単語は、たしかに現在の新しいWebサービスをうまく定義したと思いますが、娯楽、エンターテイメントの世界をうまく定義付けたとは言えないと思います。まだ名前は付いていませんが、娯楽の世界のクロスオーバーの先には、何かゴールがありそうな、そんな気がしています。


Posted by arere at 23:04  |Comments(6)TrackBack(0) | 娯楽全般 , ゲームデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

企画職とは

株式会社カプコン:CAPCOM WORLD: 企画職とは

カンフーモンキーさんから(06年2月11日の日記)。

この文章を書いた人は、間違いなく現場のメインディレクターの方ですね。書いてあることはごくごく当たり前のことばかりですが、本当にこんな仕事です、企画職は。同職の方々なら、書いてあることにいちいち頷かれることと思います。

特に以下の2点が非常に重要だと思います。

◆進んで雑用をこなせる人。
担当するパートが不明確な仕事、簡単であっても細々とした面倒な仕事等、人がやりたがらない仕事はすべて企画職の仕事です。 メインディレクターになったとしてもこれは変わりません。 特に、新卒で入社したての時期、企画職としての力がまだ身に付いていない間は、ゲームに貢献することが難しいために、こういった仕事が主体となるでしょう。 それを進んでこなせる人が、企画職になれる人です。

◆精神的にタフな人。
企画職には、重い責任からくるプレッシャー、多くの人と一緒に仕事することからくる対人ストレス、周りからの容赦ないゲームへの評価などに決してへこたれない精神的タフさが必要です。

ただ以下の2点には違和感を感じました(特に太字の部分)。

◆他人とうまくコミュニケーションできる人。
ゲーム開発は多くのスタッフとの協同作業です。 特に、自分で直接なにかを作ることのない企画職は、他のスタッフとコミュニケーションがとれて初めて仕事ができます。 自分の意思を明確に伝え、相手の主張をしっかり聞くことはもちろん、あいさつなど社会人としての礼儀をきちんとして相手に無用の不快感を与えないことまで含めてコミュニケーション能力です。 体育系クラブなどの組織に所属したことがあれば、この点でプラスの経験になっている可能性があります。

コミュニケーション能力は、もちろんあればあるだけ良いです。でも人並み以上に必要かと言われたら、僕はそんな大層な物ではないと思います。人並みにできれば充分だと思っています。

もちろん、ゲームを作りたいという人は大体において内向的な人が多いので、人材募集をかける文章としては強調し過ぎるということは無いと思うのですが、優秀なディレクター=すごいコミュニケーション能力を持っている人、というばかりではないという例をいくつも見てきていますので、「人並み」で充分という結論に達しています。

むしろ体育会系的なお調子者(体育会系の人が皆お調子者という訳ではありません!念のため・・・)は、特に開発末期の緻密な進行を要求される状況においては ノリの良さがかえってうざがられる場合もあります。そもそも基本的にゲームを作る人材は、文化系の人材が多いのですから、そういう人たちの共感を得る(=文化系)というのも大事なことだと思います。

人を引っ張るのは、表面的なコミュニケーション能力だけでなく、その人の内面から滲み出る誠実さだったり、仕事に対する姿勢だったりと色々な要素がありますから、コミュニケーション能力はその中の1つでしかないと思います。もちろん、その中でもとりわけ重要な要素であることは間違い無いのですが。

◆プロ意識を持った人。
企画職は、クリエイターであると同時に会社員であり、当然会社への貢献が求められます。 良いゲームというのは、面白いゲームであると同時に、売れるゲームでなければなりません。 プロとしてものを作っていくということは、このふたつのバランスを求め続けることです。

これはちょっと精神論が入るのですが、そもそも「売れるゲームを作る」ことがプロ意識なのでしょうか?

もしかしたら人によって違うのかもしれませんが、人を楽しませようという物を作っていて、それをより多くの人に楽しんでもらいたいと思わない人がいるでしょうか。1本でも多く売れて欲しい、と思わないディレクターはいないと思います。アマチュアの人だって、それは同じだと思います。

そもそもプロって何?というところから考えないといけないのかもしれませんが、僕は「自分の作りたい方向性」と「お客様が求めている方向性」の折り合いを付けることがプロ意識だという意見には、あまり賛同できません。

企画職が最高の仕事をした時は、面白いゲームを遊べてプレイヤーもハッピー、ゲームが売れて会社もハッピー、みんなから評価されて開発者もハッピー、と三方一両得になるはずだからです。まずはそれを目指すのが企画職の本線のはずで、「面白いゲーム」と「売れるゲーム」のバランスを取るというのは、ややゲームに悲観的な見方が陰に潜んでいるような気がします。「面白いゲーム」と「売れるゲーム」は違う、というような。

個人的には、100点満点のアイディアが無い時でも、きっちり80点のゲームを出すことができるのが、企画職としてのプロ意識かなあ、と思っています。よく調子の悪い時でもそこそこの成績を出すことができるのが本当のプロだ、みたいなことをスポーツの解説者の方が言っていますし(笑)

もちろん、元の文章が言いたいことは良く分かるんですけどね。先のコミュニケーション能力と同じで、お客様が何を求めているかなどこれっぽっちも考えずに、単に自分が作りたいものを企画しようとする企画職が多い!という嘆きなのでしょう。でもそれって、プロ意識以前の問題な気がするんだよなあ・・・。

とまあ、偉そうなことを書いてしまいましたが、つまり最初に挙げた2点さえあれば、企画職は何とかなると思います(笑)


Posted by arere at 01:13  |Comments(1)TrackBack(0) | マネージメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月11日

続・名無しの領域

名無しの領域

ニッチ、ロングテール、AJAXなど、呼び名が決まった瞬間にその概念は世界中を駆け巡ります。たぶん今目の前に、そうしたまだ名が付けられていない新しい概念が姿を現しつつあるのではないか、そんな風に思った今日この頃です。

1つ前の記事を書いていて見つけた過去の記事です。

あ、これって「Web2.0」のことだなあ(笑)、と思わず笑ってしまいました。

とりあえず名無しの領域に名前が付いて良かったね!ということで。