2012年04月02日

本日の毎日新聞「風知草」の記事より

妻の記。
桜が咲く季節。
元来はこの時期になると花見気分で浮き足だっていたが、
震災以降、桜を待ちわびるという気持ちをなぜか失っている。
もちろん、被災地の方々に比べると何の痛みを言う資格もないけれども、
あの日以来、自分の情緒が変わってしまったことをなんとなく感じる。
元に戻る日が来るとも思えない。

毎日新聞で、山田孝男さんという記者さんが毎週書いておられる
「風知草」という記事。
震災後は、連日にわたって震災、
…特に原発のことを検証し続けておられる。
私は山田記者のようにアウトプットはできていないけれども、
「あの日以来、元の気分に戻れない」というメンタリティは同じなのではないか?
と思うこともある。今日は「宙に浮く燃料プール」という見出しと内容だった。
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「宙に浮く燃料プール」4月2日 毎日新聞「風知草」より

大震災以来のおびただしい批判、検証、反省もむなしく、
原発の安全をチェックする行政は後退し続けている。
 その証拠に、今週から原子力安全・保安院と原子力安全委員会の予算はゼロ。
取って代わるはずの「原子力規制庁」は法案が国会に滞留し、発足できない。
つまり、監督官庁の存在感がさらに薄らいだ。
 予算は「その目的の実質に従い、執行できる」(予算総則14条2)から、
暫定存続の旧組織は新組織の予算を流用できるとはいえ、士気は上がらない。
各府省のもたれ合い、与野党の不決断、何ごとも東京電力任せの実態は相変わらずだ。
 福島第1原発4号機の核燃料貯蔵プールが崩壊する可能性について考えてみる。
震災直後から国内外の専門家が注視してきたポイントである。
 東電は大丈夫だというが、在野の専門家のみならず、政府関係者も
「やはり怖い」と打ち明ける。どう怖いか。
 4号機は建屋内のプールに合計1535本、460トンもの核燃料がある。
建屋は崩れかけた7階建てビル。
プールは3、4階部分にかろうじて残り、天井は吹っ飛んでいる。
 プールが壊れて水がなくなれば、核燃料は過熱、
崩壊して莫大(ばくだい)な放射性物質が飛び散る。
アメリカの原子力規制委員会もフランスの原子力企業アレバ社もこの点を強く意識した。
 「福島原発事故独立検証委員会」(いわゆる民間事故調)報告書は、
原発事故の「並行連鎖型危機」の中でも4号機プールが
「もっとも『弱い環』であることを露呈させた」と書く。
政府がまとめた最悪シナリオ(同報告書に収録)も4号機プール崩壊を予測。
さらに各号機の使用済み燃料も崩壊し、首都圏住民も避難を迫られるというのが最悪シナリオだ。
 震災直後、原発事故担当の首相補佐官に起用された馬淵澄夫元国土交通相(51)は、
4号機の地下からプールの底までコンクリートを注入し、
チェルノブイリの「石棺」のように固めようとした。
が、プール底部の調査で「強度十分」と見た東電の判断で見送られ、支柱の耐震補強工事にとどめた。
 当時の事情を知る政府関係者に聞くと、こう答えた。
 「海水を注入しており、部材の健全性(コンクリートの腐食、劣化)が問題。
耐震強度の計算にも疑問がある。応急補強の間にプールから核燃料を抜くというけど、
3年かかる。それまでもつか。(石棺は)ダムを一つ造るようなもので高くつく。
株主総会(昨年6月)前だったから、決算対策で出費を抑えようとしたと思います」
 原発推進は国策だが、運営は私企業が担う。政府は東電を責め、
東電は「国策だから」と開き直る。「国策民営」の無責任体制は変わらない。
民間事故調の報告書は市販開始3週間で9万5000部出たそうだ。1冊1575円もするというのに。体面や営利に左右されない体系的説明に対する国民の飢えを感じる。
 東北・関東で震度5級の地震が続いている。
最悪の事態を恐れる者を「感情的」と見くだす不見識を受け入れることはできない。
リスク軽視で経済発展を夢想する者こそ「現実的」という非常識に付き合うわけにはいかない。
(毎週月曜日掲載)

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野田政権のいうようには、原発事故は収束していない。
記事を読みこうした現実を放置していることに、改めて怒りを覚える。
ある知人が言った。
「日本は二回酷い目に遭わないと方向転回できない国なのでは?
かつて日本政府は、ヒロシマだけでは戦争を止めることができず、
次のナガサキでやっと終戦に舵をきった。
今回も、3・11の福島原発の事故だけでは、
価値観を変えることができないのか?
でも、次の原発災害まで問題を放置したままでいると、今度は日本そのものが滅びる」

ひとりひとりの市民に大きな力はないけれども、
ネットでこのことを話題にすることくらいなら
できるのではないかと思い、紹介します。
毎日新聞さん、掲載許してね。

 
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2012年03月30日

「首都直下型地震の予測震度を公表」を見て

妻の記。
首都直下型地震の予測震度が文科省HPで公表されたというニュースを見て、
検索してみる。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/24/03/1319353.htm
目を凝らして、自分の仕事場(ああどう見ても真っ赤)自宅(微妙)見てみるが、
市町村名までは書いてないのね。
もう震災以降の連日の報道を見て為す術もなく、かといってあまり驚きもしない自分もいる。
こんな日本列島に次々と原発を作った戦後の政治家たちは、やはり罪が重いと思う。

ウェゲナーの大陸移動説の本を読んだときには、
ロマンさえ感じたけれども、その現実がこの地震でもあるのだなー。
Alfred_Wegener_Die_Entstehung_der_Kontinente_und_Ozeane_1929.jpg
ウェゲナー『大陸と海洋の起源』(1929)より
 
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2012年03月11日

誓い(今朝の毎日新聞を読んで)

妻の記。
うちが購読しているのは毎日新聞なのだが、
今日は別刷りで、震災で亡くなられた方のお名前が全員掲載された記事、
(もちろん身元確認などの点から、
警察発表の名簿とは必ずしも一致していないとのこと)
および現在の被災状況を報告した記事がある。
記事一面のお名前を見ると、圧倒される。
これだけの方が。

本来であれば書かれるべきだったひとりひとりのお名前が、
被災のあまりの大きさにこれまで語られてこなかった。
準備する方も心して、間違いのないように、時間をかけ、
万感の思いで校正したであろう。

本紙の記事もよかった。
特に、「ふるさとにしたいこと」という若い世代の人たちへの
インタビュー記事がよかった。
ひとりひとりの少年少女の現状や思いが伝わる。
同じ毎日新聞の万柳というコーナーで以前、
「被災地はあの日境にみな大人」という句が載っていたけれど、
その通りだった。
彼らの思いが少しでも叶うように、
私たち大人は、残りの人生をそれぞれの場所で使わなければならない。
どんな場所にいても、想像力をもって、
自分にできることをやらなくてはならない。
いや、何もできないかもしれないし、
それどころか、この日本列島で生きている限りは、
私にも起きるかもしれない。
決して、忘れてはいけない。



 
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2012年03月10日

ベラルーシの人々から学ぶ

妻の記。
1986年4月にチェルノブイリ事故が起こったとき、高校生だった。
世界の終わりのような絶望的な気持ちになるのと同時に、
現地から流れてくる、事故処理作業をする人々の映像が心に焼きついた。
「あんな軽装で大丈夫なのだろうか?放射能への意識が低いのではないか?
被曝経験のある日本の蓄積が役に立つのではないか?」
この25年間確かに、被曝国だからこそできた現地との関わり方もあったことだろう。
しかし、私自身のことを思うと、ずいぶんと思い上がっていたものだと振り返る。

そして、福島後の今、私は、
チェルノブイリ後のベラルーシで研究された
彼らの情報を読み、新しい知識を得る。
今後ももっと、ベラルーシの人々から学ぶべきだと考える。

そうした中で出会ったのが、ベラルーシの医師だった
ユーリ・I・バンダジェンスキー氏が書いた、
「放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響」
著者は、放射能汚染区域に住む数千人という死者の解剖を行い、
体内に取り込まれたセシウムが個々の臓器にどんな影響を与えたのかを調査する。
その結果、各臓器に蓄積したセシウム137と死因の間に相関関係があることが判明する。
たとえば、心血管系疾患で亡くなった人は心筋に蓄積しているセシウムが多く、
感染症の人の肝臓や胃には、心血管系の患者よりも多くのセシウムが溜まるなどだ。
結論として、「どんな量の放射性セシウムでも、発病の原因になりうる」
というメッセージを世に伝える。

しかし、訳者でチェルノブイリの子どもを救おう会代表
久保田譲氏によれば、この意見は、
「低い放射線被曝は健康にほとんど影響しない」という
ベラルーシ政府の見解とまったく異なっていた。
バンダジェフスキー氏はその後、入学をめぐる汚職の罪で禁固8年もの有罪となる。
(アムネスティインターナショナルの抗議などあり、結果的には5年に短縮)
出獄後もベラルーシでは復職できず、現在はリトアニアで生活しているのだそうだ。

久保田さんは、チェルノブイリの子どもを救おう会での活動を通じて、
2001年この原書に出会う。
日本でも原発事故が起き、この本を必要とする日がくるとは、
当時は夢にも思わなかっただろう。

「低い被曝量であれば、健康に問題はない」とは、
今日の日本でも、繰り返し言い続けられていること。
だからこそ、
一方でこういう研究もあるのだと知り、伝えることは、とても大事と思う。



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2012年03月08日

「人類の限界」子どもの7歳の誕生日によせて

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妻の記。
原発関連の書籍いろいろあるが、
新刊はハードカバーが多く、値もはる。
図書館も、新刊は予約が多くすぐには借りにくい。
そうした中で、1000円以下で買えた、数少ない本がこれ。

そもそも、メディアと原発…。

震災前、原発で「誰からも叩かれない取材」をしてのけるには、
強靱な精神と肉体、目的意識と啓発意識、
枠を手に入れるだけの政治力と必然性とタイミング、
誰にも負けない、どんな批判が来ても論破できる知識とプレゼン能力、
などが必要だと思っていた。
だって、基本はアンチを排除する世界。
御用記事を書くという前提条件なくしては、
おそらく取材の輪に入ることさえもまずできぬ。
俯瞰でみるにも近視眼で見るにも、原子力は「肉眼」で見えなさすぎる。
「環境対策の切り札」とさえ声高々と言われてきたものに、
反旗をひるがえす発想も浮かばなかった。

だけど建前とは別に、本当は危険なエネルギーであると知っていた。
チェルノブイリの直後、地球の将来を思い怖くて眠れぬ日が続いた。
堀江邦夫氏「原発ジプシー」という名著もあった。
執筆者自らが原発施設の労働者となって、
自分の経験し感じたことを書くというルポルタージュの基本かつ王道。
あとがきにあった、「自分の働いていた時の被曝量さえ
教えてもらえなかった」という告白に、絶句した記憶がある。
本橋成一さんの「ナージャの村」「アレクセイと泉」という名ドキュメントもあった。
俯瞰から白黒つけることのできぬ世界。
だから被曝の恐怖をも律し、自らも一人の人間として村に入り声を聞くしかなかった。

ちょうど去年の今頃、たまたま「2012」というアメリカ映画を見た。
2012年人類滅亡説のあるマヤ暦の悲劇が実際に起きるとすればどうなるか…
という近未来SF。非常によくできており、手に汗握る内容だった。
大陸が沈没し全ての都市が破壊され尽くす物語、
ただ、しらけたのはエンディング。あまりにも希望にあふれており、
「あーあ甘い。こんな現実は絶対にない。まあ、映画だから別にいいのだが」と
嘆息した覚えがある。
その時私の念頭には原発があった。
もし世界の都市が破壊されるような天変地異が実際に起きたら、原発も。
そうなれば、一時的に生き残った人がいたとしても人類滅亡は免れないと思ったのだ。
その数日後に、震災が起き
原発事故が実際のことになるとは思いもしなかったが。

いつから日本人は原発を容認したのだろうか?
震災後の昨年4月、たまたま別の調べ物があって
国会図書館で昭和31年1月の新聞記事を探していた。
その時、「原子力元年」とかいう見出し。
原爆経験者による批判も載るにはのっていたが、紙面的にはごくわずかで、
正力松太郎氏が原子力委員会の初代委員長となり、
原子力の平和利用と銘打った、夢あふれる記事が躍っていた。
どういうプロセスだったのか。
もとのもとから遡り、残っている文献から検証していくという方法がある。
(私の心の中には、山中恒「僕ラ少国民」という名著が頭の中にある。それの原発版を
作らなきゃいけないんだという気持ちだ)
そう思ったが、仕事も家事もあり、日常に戻らざるをえなかった。

それ以降、本屋へ行くたびに原発とメディアの履歴を丹念に辿った労作を探している。
思いついたのなら私がやるべきだが、
私と同じことを考えている誰かがいて、
その人が既に手をつけているのではないかという気持ちもある。

この写真の本も、そうした「メディアと原発」の歴史的経緯の本ではないかと
思って購入したのだが、実際には、原発報道を検証する
シンポジウムをまとめたものだった。
しかしこれはこれで、興味深い内容だった。
発行は、震災後半年が経過した昨年9月。
その頃の日本を思い出し、苦しさや怒りを新たにする。

考えてみれば震災後この一年間、
後出しジャンケンばかり。
「実はあの日既に、放射能が大量放出していた」
「報告よりも6倍ものセシウムが流出していた」
と何ヶ月も経ったあとに発表される。
「あ、その日は、子どもを外に出してしまっていた」
「それはもう、食べてしまった後だ」などと
母親としての自分のふがいなさを責めても、もう時既に遅しだ。

当時の政権の緊急対応のまずさを批判する声もあるけれど、
ではどんな人だったら被害をくいとめられたというのだろうか。
どんな政治家の顔も、思い浮かばない。
結論として私が思うのは、「原子力は、そもそも人が操つるべきではない」
ということだ。
いまとなればわかる。震災前から原子力は、
「絶対安全」というしかないようなシロモノだったんだ。
それ以外の可能性を論じ始めたら、全てが崩れてしまう。
なんだってこんな危ないものを建てるんだ…という声にしか結びつかないだろう。

私たちはあの原発事故で、「人類の限界に気づいた」と謙虚に思うべきなのではないか。

 
Posted by astrolab at 23:00  |Comments(0)TrackBack(0) | 地震