2011年04月23日

やっぱりレースは、こうでなくちゃ!

もう何年前の事になるのか、覚えていないが
この日、私はびわこの大時計の横のフェンスから
身を乗り出すようにして、スタートを待っていた。

「このレースで大儲けさしてもろて帰ろか」

などと考えながら(笑)

当時の琵琶湖は、現在のように1Mが岸寄りに振られておらず
インが幅を利かせていた。
ましてこのレースは、大外にF2本持ちの選手。
実質、レースは5艇で行われるようなものだし
他にも、スタート張り込みそうな選手もおらんし
このレース獲らんかったら、いつ獲んねんいうレースや・・・

と思えたのは、スタート1秒前まで(爆)
「よういドン!」の瞬間、内艇との縁を切り
最前列でかぶり付いて観ていた私に、
水しぶきを浴びせながら、全速で走り抜けて行ったのは
全くのノーマークにしていた大外艇だった。

それまでの私の概念では、F2の選手はスタート行かない筈、であった。
いや実際、F(フライング)を3本犯すペナルティは、非常に厳しいものであるから
当然、そうなるのだが、この選手は違った。

「ん?フライング?なにそれ?やったら死ぬの?」

と、こちらが買う事を躊躇しているのを、あざ笑うようにスタートを決める。

田上晋、ん?たがみ・・・たがみ、なんて読むにゃ?(爆)
その上島久男選手を彷彿とさせるレーススタイルと、
読み方が分からなかった事が印象に残り(爆)一瞬でファンになった(笑)


現在、常滑で行われている
「名人戦」に出走中の田上晋六選手。(今は「六」を付けておられます)
今節超抜で、舟券的には妙味はないが
(現時点では、まあまあついてますが・・・笑)
地元勢を迎え入れて、得意の4カドから豪快に捲るレースを見せてくれ!


【おまけ】

子等に「ボートの選手の名前言うてみぃ」と問いかけたら
真っ先に出て来るのが、田上選手。
いや、何故か田上さんと「さん」付けなんですが(笑)
やっぱり、顔が怖いせいなんでしょうか。

田上選手

いや、失礼(笑)追記
 

2010年03月10日

またしても・・・

「なかなか、エエ人やなぁ」

2月16日、蒲郡の優勝戦後のヒーローインタビューでの
大島一也選手の受け答えを見ての、私の感想。
また、インタビュー後、居残ったファンに
丁寧にサインをしている姿を見て
私の中の、好感度がアップ(笑)

しかし、そんな事を忘れて迎えた本日の優勝戦。
いや、少しは頭を過ぎったが、レースとなれば話は別。
それに、今年既に3度の優勝、内2回は蒲郡。
さすがに、そんな簡単になんべんも勝たれへんやろと、頭で買う事を敬遠。
しかし1M、完璧なターンで優勝。

で、その後のインタビューでの受け答えに、
前回と、同じ感想。

「大島選手、ファンの方達の撮影がありますので、
右の方を向いてもらえますでしょうか」

素直に右を向く、大島選手。

「では、次は左の方のファンの為に・・・」

と促されて、左を向く大島選手。

「では最後に、正面に向って・・・」

と促され、さすがに苦笑い。
でも、文句も言わずに正面に向って、直立不動。
ちょっと、感動しました(笑)


しかし、思えば昭和62年、高松宮杯で優勝した時、
また凄い若手が出て来たな、と思いながらも
翌年のびわこ・MB大賞優勝戦では
さすがに、小林嗣政選手や、中道善博選手相手には優勝出来ないだろうと
ノーマークにしたが、きっちり優勝。
あの時、次は買わせてもらいまっさ、と思ったのに
ホンマ、なんべんも同じ失敗ばかりやってますわ(苦笑)

 

2008年02月26日

三味線かいな

以前、西島義則選手が優勝した、20年前の
新鋭王座決定戦の事を記した事があるのだが
(詳しくはこちら)
これには、まだ続きがある。
当時は、優勝戦が11Rに行われていた為
嬉しい事に、敗者復活戦の12Rが、用意されていた。
当然のように、ここまでカスリもしなかった私は、
もう、ここに賭けるしかなかった。
そして、メンバー表をしばらく見つめ、地元の関戸保生選手から行く事にした。
この関戸選手、最終日は2回走り。
その前走、一旦は逃げ体勢に入っていたが、倉西吉朗選手に差され2着に。
私の買った関戸−倉西舟券は、きっちり裏返った。
それだけに、最後は地元の意地で決めてくれるだろうと、考えたのだ。
だが、次の瞬間、優勝戦よりも強烈に印象の残るレースとなった。
関戸選手が、見事一着になり、私が大逆転出来た・・・訳でもないのに(苦笑)
スタート時、既に関戸選手の出番は、終わっていた(号泣)
そのスタートの瞬間、外から一気に赤いカポックが飛んで来て
一瞬にして、内の舟を飲み込んで行ったのだ。
確か、最低人気の3−5で、連単5000円の高配当。
(当時の後半レースは、この連単の舟券しかありませんでした。
因みに、この時初めて、サンゴのオオアナと言う言葉を知りました・・・笑)
その赤いカポックは、島川光男と言う選手だった。
(因みに、5は山口哲治選手)

だ、誰や?知らんがなぁ。
だが、この瞬間、島川選手はスタートの早い選手と、私の頭にインプットされた。


本日、蒲郡の優勝戦。
その島川選手が、2号艇で出走する。
当然、人気は1号艇の伊藤選手に集中するだろう。
退社時、F井プロにも、
「今日は、伊藤君から行って、儲けさせてもらいまっさ♪」
などとほざいて、会社を後にした。
ところが、すんまへんなぁ。三味線弾いて。
ホンマの狙いは島川選手。
「伊藤選手も、ぼちぼちスタートミスる気もするし、こりゃ美味しいで」
帰途、こんな独り言を、ぶつぶつ言いもって、早足で歩いた。
そして、家に帰って早速パソコンを開くと
丁度、優勝戦の直前インタビューが、放映中であった。
だが、このインタビューを見せられたお陰で、大きく買い目が変わってしまった。
1号艇の伊藤選手、ここまで追加配分の為、スタートは遠慮していたが
優勝戦は、行く!と自信満々で、答えている。
そして、肝心の島川選手は、ナイター競艇のスタートは、自信ないとの事。
ほんまかいな、こりゃアカンで。
初手から差すつもりかいな。
この瞬間、島川選手の頭は消して伊藤選手から・・・と迷いが生じた。
だが、万一を考えて、安全を期して、
枝尾選手の捲りに乗りそうな斉藤選手を繋いで
1−2−5の3連複で行く事にした。

ところが、スタートした瞬間。パソコンを投げかけた(爆)
なんと島川選手、きっちりスタート決めて、伊藤選手をあっさり捲ってしまったのだ。


「野郎〜、三味線弾きやがったな」(号泣)と思ったが、時既に遅し。

(↑いや、それを読めん君が悪い)

いや、3連複の為、1と5が、2着3着に来てくれれば的中なのだが
その2艇、1M回った時点で、5着6着(悲)
どう考えても、来る筈がない。
ところが、結果は2−1−5で、なんと的中。
やっぱり、勝負は最後まで、何が起こるか分からんもんですね。

それにしても、またもや島川選手は、
私に強烈な印象を残すレースをしてくれました。(笑)

 

2006年04月23日

今どきの名人戦

昭和63年1月30日、この日、私は尼崎のセンタープールにいた。
(と言いながら、日付にはちょっと自信がありません)
実は、この日は新鋭王座の優勝戦が、同地で開催される為
ゆうげん会長とF井プロの3人で、乗り込んで来たのであった。
入場口で専門誌を買うと、2部も頂けるうれしい誤算。
この瞬間に早くも勝利を確信。
(でも、2つあっても邪魔なだけですが。
しかも、きっちり展示タイム書き込んだ方を落としました)

そして迎えた優勝戦。
(やっぱり途中はないのね)
1本も獲れずにここまで来たのは、若干計算違いであったが
それでも、このレースは非常に堅い。まだまだ挽回のチャンスはある。
自身のカンを信じて、西島=西田の3=5に投票。
この時間の尼崎の1Mは、西日で展開がよく見えない。
(当時は11Rが優勝戦でした)
それでもバック、先頭を走っているのは赤いカポック。
追走は黄色。これもはっきりと見えた。しめしめ、これで頂きだ。
ところが、内ラチをジリジリ伸びて来た近藤(昌義)に
2Mで突進され、西田は後退。
その間隙を縫って上がって来たのが、6号艇の板谷だった。


実は今、前述のレースが行われた競艇場と同じ尼崎で
名人戦というG1レースが開催中なのだが
なんと、その出場選手の中に、板谷茂樹の名を見つけたのである。
出場資格が48才に引き下げられたとは言え
やはり、名人戦と言えば、松井修や三津川要など
百選練磨のベテラン揃いのイメージがある。
それだけに、つい先日(って?)新鋭戦を走っていた板谷茂樹の名を見ると
どうしても、違和感がある。
しかし、改めて出走表を見渡すと、半数近くがベテランとは思えないメンバー。
(実際、一昔前は、40才代は若手と称されていましたから)
果たして、これを名人戦と呼んでも良いものか。

いや、逆にそれだけ私が年を取ったという事か。


それはさておき、今節、今一つ調子の出ない板谷ではあるが
最終日には、何かやってくれそうな予感。
そんな事を思い出したのも、何かの縁。
久しぶりに、一票投じてみようか。

(本文中は、敬称略させて頂きました)
 

2006年02月27日

お疲れ様でした

世に、プロスポーツ選手としてデビューする者があれば
当然、去って行く者もいる。

23年前、私は今の会社へ入ると同時に、
ギャンブルマスターF沢プロや、ゆうげん会長を初め
各部門のプロ達に、優しく手解きを受け
びわこや、向日町の素晴らしさを知る事になったのだが、
逆に、伝道者となった事もある。
しかも私が導いた者は、かなりの確率で、初挑戦・初勝利をモノにしている。
高校時代の同級生、「Iまん」という男も、その中の一人だ。

行った日も、キッカケもよく覚えていないが(恐らく10〜15年ぐらい前)
ある日、この男を誘って、びわこ競艇へ赴いた。
そして、朝からどのようなレースで勝負をしていたのかも、憶えていないが
迎えた最終レースの事だけは、ハッキリと憶えている。
(いや実際、最終レースだったのか、負け続けて資金が尽き
このレースが最後のチャンスになったのかは、よく憶えていないんですが)

私「おい、Iまん。どんな調子や」

I「アカン。1本も獲れへんわ。もうこのレースアカンかったら帰るわ」

私「そうか・・・」

I「なあ、このレース、一体どやねん。頭だけでも教えてくれや」

私「頭は堅そうや。6(大外)やし買い難いけど。その分つくし、狙い目や」

しかし、そう言ったものの半信半疑。
オッズを見ながら、相当迷ったが、
人に勧めておいて、自分が全く違う「目」を買う訳にも行かず
思い切って、6−1を1000円買った。
(というか、もうこれしかお金が残ってなかったような・・・)

そして、スタート。
頼みの大外6号艇、スタートは同体でドキドキしたが
なんとか捌いて、1着でゴール。
うまい具合に2着も1号艇が入り、980円とまずまずの配当を手にした。

私「おい、見てみい。言うたった通りになったやろ。
  (さっきまで迷っていた事をスッカリ忘れ、自慢げに)
  ちゃんと買おたんやろなぁ」

I「おお、ありがとう。キッチリ獲ったで」

そうか、良かった。この言葉を聞いて安心。
まあ、初めてのボート挑戦やし、どうせ100円か200円ぐらいしか
賭けていないだろうが
喜んでくれたようで、連れて来た甲斐があったというもんや。

私「ほんで、ナンボ賭けてたん?」

I「10000円」

私「えっ、そんな賭けてたんかいな。よう、そんだけ行ったなぁ」

I「なんでえなぁ。お前、絶対に来よる言うし・・」

と、このように私を信じると、幸運が訪れます・・・
という話ではなく、
私が毎朝愛読しているスポーツ新聞には、
どのぐらいの間隔で掲載されるのかは知らないが、定期的に
(いや、定期的なのかどうかも知りませんが)
「お疲れ様」という項で、現役を引退された
競艇や競輪の選手、と競走馬の名前が紹介されているのだが
先日、この時の6号艇の選手の引退を知り、
上に記した事を、思い出したのである。

金谷英男選手、お疲れ様でした。
(本日が最後のレースでしたが、見事1着でした)





【おまけ】

2月の中旬から先週にかけ、資格試験に挑んだプロ達、3名。
講師が、「高校程度の学力があれば理解出来ます」の説明に

「こんなもん、解るかいな○ホ!」と心で泣いていたそうだが
ホンマやで。高校行ってた言うても、いろいろな高校があるんや。
講師はん、あんたスクールウォーズて言うドラマ、見たあらしまへんのかいな。
なあ、F井プロ。

まあ、それはよろしわ。
ともかく、ついでですが御三人さんも、お疲れ様でした♪







 

2005年05月22日

鬼に金棒

鮎釣り師にとって、解禁日は特別な日で
どんなに重い病気で床に伏している人でも
その日になると、起き上がって竿を握ると言われている。続きを読む
 

2005年03月27日

ベテラン


200503272f5a23e5.JPG今朝、いつものように
スポーツ新聞を広げる・・・

(←近所の桜のつぼみも膨らんで来ました)続きを読む
 

2004年11月21日

宮妃杯の思い出・2

第33回大会。
平成になって最初のレース。続きを読む
 

2004年11月20日

宮(妃)杯の思い出・1


200411205763a17c.JPG今月、11月30日よりびわこ競艇場で開催される
第48回秩父宮妃記念杯。続きを読む
 

2004年11月03日

チャレンジカップの思い出

昨日の朝刊に、23日から岡山県・児島競艇場で行われる
「競艇王チャレンジC」の出場選考順位が載っていた。
ここに・・・続きを読む
 

2004年10月31日

全日本選手権(ダービー)


20041031bf7e9267.JPGそれにしても、凄いメンバーになったもんだ。
しかし・・・続きを読む