2008年03月22日
出雲と焼津、いろいろ補足。
2008年02月24日
2008年02月23日
泣き虫のおっさんが喋る時。
春一番が吹きましたね・・。もうすぐ春なのか・・。
いたおいつじ さんの『いたおにっき3』買おうかな・・。
信じられないことですが、いたおさん 父親になったんですよね。
「日記」シリーズの、あの独特のテイストが変わるのかどうか、興味津々です。
今日は、昨日の「大国主命」話から連想することを色々書きます。
1.
昨日、「「スサノオ」といえば夜行バス」な〜んて書きましたが、
「じゃあ因幡の白兎は?」と聞かれたら、
ついつい「智頭急行 スーパーはくと」を思い出してしまいます。
だって、「はくと」って「白兎」ですから。
まあ実際は、「白」よりも車体の「青」のイメージが強いですが。
というわけで、姫路駅に着いた「スーパーはくと」。

ちなみに「大国主命が因幡の白兎を助けた」という話は、
『記』には載っているそうですが、『紀』には記述がないということです。
『出雲国風土記』にも、全くありませんでした。
(↑そりゃあ「出雲国」の話だから、因幡とか伯耆とかの話が範疇外なのは当然ですね)
2.
歌舞伎俳優「いちかわ しゅんえん」のwebサイトを見ていたら、
1997年に、新橋演舞場で「オオクニヌシ」というスーパー歌舞伎が上演されていたことを知りました。
しゅんえん はこの時、オオクニヌシの正妻(かつスサノオの娘)である「スセリ姫(須勢理毘売命)」を演じたとのことです。
う〜ん、やっぱり<スーパー歌舞伎>と<神話の世界>って近いのかも。
しかし、しゅんえん のスセリ姫、見たかったなあ。
3.
「なぜ出雲三成駅が大国主命駅なのか」の続き。
実は昨日の写真の表示板に、その説明が書いてあります。
が、ちょっと見難いので、
例によって『出雲の国風土記 全訳注』から該当部分「仁多郡 三津の郷」を引用します(青字は私です^^)。
この「三津の郷」が、現在の「出雲三成駅付近」なのだそうです。
ふーん、大国主命の息子は、いい年してずっと泣いてばかりいたわけか。
しかし、著者の解説によると、「いい大人になっても泣き止まない、or喋れない」御子の話は、『記』にも出てくるとのことです。(例えばスサノオ)
で、「しゃべれないものが突然しゃべりだす とはどういうことなのか」以下のように分析しています。
===
そういえば、ちょっと話はズレますが、「母語」という語には常々疑問を持っていました。
「第一言語」って言えばいいのに。
(「母語」と「第一言語」を厳密に使い分けてる文献もあるようですが、まあ一般的には「同じ意味」で使われていることが多いようなので)
というのは、そこにわざわざ「母」を持ってくる必然性がいつもわからなかったんですよね。
上記引用のように「言語−秩序−父親でワンセット」という分析なら、「あ〜それなりに必然性あるんか」とは思いますが。
といいつつ、このブログでもさんざん「母語」って語を使ってましたが(冷汗)。
===
しかし父親の話が出てくるあたり、「期せずして」ですが、
冒頭の いたおさん の話に戻ってきたかな(無理やり?)。
というところで今日は終わりです。
いたおいつじ さんの『いたおにっき3』買おうかな・・。
信じられないことですが、いたおさん 父親になったんですよね。
「日記」シリーズの、あの独特のテイストが変わるのかどうか、興味津々です。
今日は、昨日の「大国主命」話から連想することを色々書きます。
1.
昨日、「「スサノオ」といえば夜行バス」な〜んて書きましたが、
「じゃあ因幡の白兎は?」と聞かれたら、
ついつい「智頭急行 スーパーはくと」を思い出してしまいます。
だって、「はくと」って「白兎」ですから。
まあ実際は、「白」よりも車体の「青」のイメージが強いですが。
というわけで、姫路駅に着いた「スーパーはくと」。

ちなみに「大国主命が因幡の白兎を助けた」という話は、
『記』には載っているそうですが、『紀』には記述がないということです。
『出雲国風土記』にも、全くありませんでした。
(↑そりゃあ「出雲国」の話だから、因幡とか伯耆とかの話が範疇外なのは当然ですね)
2.
歌舞伎俳優「いちかわ しゅんえん」のwebサイトを見ていたら、
1997年に、新橋演舞場で「オオクニヌシ」というスーパー歌舞伎が上演されていたことを知りました。
しゅんえん はこの時、オオクニヌシの正妻(かつスサノオの娘)である「スセリ姫(須勢理毘売命)」を演じたとのことです。
う〜ん、やっぱり<スーパー歌舞伎>と<神話の世界>って近いのかも。
しかし、しゅんえん のスセリ姫、見たかったなあ。
3.
「なぜ出雲三成駅が大国主命駅なのか」の続き。
実は昨日の写真の表示板に、その説明が書いてあります。
が、ちょっと見難いので、
例によって『出雲の国風土記 全訳注』から該当部分「仁多郡 三津の郷」を引用します(青字は私です^^)。
この「三津の郷」が、現在の「出雲三成駅付近」なのだそうです。
(前略)大神大穴持命(大国主命)の御子、阿遅須伎高日子(あぢすきたかひこのみこと)が、おひげが長くのびるほどになっても、まだ昼も夜も泣いておいでになるばかりで、ことばもしゃべれなかった。そのとき、御親の大神が、御子を船に乗せてたくさんの島々を連れてめぐって、心を楽しませようとなさったが、それでも泣きやまなかった。大神が夢でのお告げを祈願なさって、「御子が泣くわけをお教えください」と夢見を祈願なさったところ、その夜の夢に、御子が口をきくようになったとご覧になった。そこで目覚めて御子に問いかけなさると、そのとき御子は「御津」(みつ)と申された。そのとき大神が、「どこをそう言うのだね」とお尋ねになると、御子はただちに御親の前から立ち去って出て行かれ、石川を渡り、坂の上まで行ってとどまり、「ここです」と申された。(中略)だから、「三津」という。(後略)
ふーん、大国主命の息子は、いい年してずっと泣いてばかりいたわけか。
しかし、著者の解説によると、「いい大人になっても泣き止まない、or喋れない」御子の話は、『記』にも出てくるとのことです。(例えばスサノオ)
で、「しゃべれないものが突然しゃべりだす とはどういうことなのか」以下のように分析しています。
唖と啼泣は、通常の言語行動をもたないという点で似ている。通常でないということは、超常であるともいえ、これらの御子たちの聖性を表しているとみることもできる。湏佐之男命の激しい啼泣は青山を枯れ果てさせ、河海を涸れ果てさせて父神伊耶那岐命の懸念を招いた。彼らの超常の"言語"活動は、このような暴力的なエネルギーを秘めた、あるいは発散させたものではなかっただろうか。であるからこそ父親の手厚い養育が、そのエネルギーの制御を目指して幾重にもなされるのだろう。言語は、混沌として摑みえないエネルギーを、秩序へと向かわせるものなのだ。今日「母語」という言い方はあるけれど、『出雲国風土記』や『記』に、言語−秩序−父親がセットになって出てくることに留意しておきたい。
===
そういえば、ちょっと話はズレますが、「母語」という語には常々疑問を持っていました。
「第一言語」って言えばいいのに。
(「母語」と「第一言語」を厳密に使い分けてる文献もあるようですが、まあ一般的には「同じ意味」で使われていることが多いようなので)
というのは、そこにわざわざ「母」を持ってくる必然性がいつもわからなかったんですよね。
上記引用のように「言語−秩序−父親でワンセット」という分析なら、「あ〜それなりに必然性あるんか」とは思いますが。
といいつつ、このブログでもさんざん「母語」って語を使ってましたが(冷汗)。
===
しかし父親の話が出てくるあたり、「期せずして」ですが、
冒頭の いたおさん の話に戻ってきたかな(無理やり?)。
というところで今日は終わりです。
2008年02月22日
夜行バスとかトロッコ列車とか神サンとか。
こんなんやってて楽しいのか?
というわけで、ここのところ、にわか『出雲国風土記』ネタを書いていますが、
きっかけはやはり、「乗り物の名称」だったと思います。
1.
例えば、「スサノオノミコト(湏佐之男命)」とか出てきますが、
自分にとっての「スサノオ」のイメージは、あくまでも、
松江・出雲と渋谷を結ぶ夜行バスだったり(名称が「スサノオ」号なので)。
スサノオは、21世紀も生きている(^^;
そういえば、オオクニヌシノミコト(大国主命)もいるんだ。
これです。

この看板に関する説明として、以下の記事があります。
山陰中央新報「トロッコ列車の10駅に神話にちなむ愛称」(2007年4月4日)
この記事を見ると、この木次線にも「スサノオ」駅ってあるんですねえ(「日登」駅のこと)。
でも、表記が「湏佐之男命」じゃなくて「素戔嗚尊」だ。
これでは、知っていない限り、
とても「スサノオ」とは読めないですが・・。
(追記2/24 23:00
「素戔嗚尊」は日本書紀の表記とのことです)
2.
ところで「大国主命」という名はどうも、「湏佐之男命の子孫」として、『記』だけで出てくる名前のようです。
『出雲国風土記』『播磨国風土記』では、「大穴持命(オホナモチノミコト」という名義のようで。
以下、スサノオとオオクニヌシに関して、
例によって『出雲国風土記 全訳注』の「出雲郡」の章から、今日気になった部分を引用します。(青字は引用者です)
あれ?、「出雲の御崎山」があるのは、今で言う「出雲市」です。
木次線・出雲三成の駅とは全然離れているのに。
そこで、続きを読んでみます。
これらの引用だけでは位置関係がわかりにくいので、
ちょっと地図で見てみます(クリックで拡大します)。

太い紫の楕円が3つありますが、
右下楕円の「船通山」が、「天から追われた湏佐之男命が降ってきたあたり」、
左上楕円の「鼻高山」が「湏佐之男命が大国主神に立派な神殿を作らせたあたり」、
そして真ん中の楕円、
ちょうど「奥出雲」の文字あたりが、上記写真の「出雲三成」駅周辺です。
そうか、出雲三成駅は船通山に結構近いんだな・・ということがわかりました。
(↑って土地勘のある人には当然のことなのに、いちいち確認に時間をとってしまいました(^^;)
ここで余談1:
なぜ「出雲三成駅」が「大国主命駅」なのかについては、さらなる理由がある!
余談2:
昔の呼称「鳥上山」がなぜ「船通山」になったかについて、「アイヌ語では発音が似ている」と指摘したWEBサイトがありました。
===
すいません、長々書いてしまった。
ってか、やはり、ここまできたら
ヤマタノオロチ神話にも触れなきゃ面白く無いですね!
それはまた後日書ければと思います。
追記(2/23 23:40)
鼻高山のふもとにある出雲大社・・、これがまさに
大国主命が造営した「立派な宮殿」のようです。
そして、大国主命は出雲大社のご祭神なのでした。
というわけで、ここのところ、にわか『出雲国風土記』ネタを書いていますが、
きっかけはやはり、「乗り物の名称」だったと思います。
1.
例えば、「スサノオノミコト(湏佐之男命)」とか出てきますが、
自分にとっての「スサノオ」のイメージは、あくまでも、
松江・出雲と渋谷を結ぶ夜行バスだったり(名称が「スサノオ」号なので)。
スサノオは、21世紀も生きている(^^;
そういえば、オオクニヌシノミコト(大国主命)もいるんだ。
これです。

この看板に関する説明として、以下の記事があります。
山陰中央新報「トロッコ列車の10駅に神話にちなむ愛称」(2007年4月4日)
島根県東部の山間部を貫くJR木次線の沿線自治体でつくるトロッコ列車活用協議会が、木次駅−三井野原駅間(四八・六キロ)の十駅にヤマタノオロチ神話にちなんだ愛称を付けた。七日からスタートする「奥出雲おろち号」の運行に合わせ、神話に登場する人物や地名から選んだ駅名板を設置しPRに活用する。
この記事を見ると、この木次線にも「スサノオ」駅ってあるんですねえ(「日登」駅のこと)。
でも、表記が「湏佐之男命」じゃなくて「素戔嗚尊」だ。
これでは、知っていない限り、
とても「スサノオ」とは読めないですが・・。
(追記2/24 23:00
「素戔嗚尊」は日本書紀の表記とのことです)
2.
ところで「大国主命」という名はどうも、「湏佐之男命の子孫」として、『記』だけで出てくる名前のようです。
『出雲国風土記』『播磨国風土記』では、「大穴持命(オホナモチノミコト」という名義のようで。
以下、スサノオとオオクニヌシに関して、
例によって『出雲国風土記 全訳注』の「出雲郡」の章から、今日気になった部分を引用します。(青字は引用者です)
『記』では湏佐之男命が大国主神に向かって、「宇迦(うか)の山の山本」に立派な神殿を作れ、と呼びかけたことになっているが、『出雲国風土記』の「出雲の御崎山」(最高峰は鼻高山)が、まさにこの「宇迦の山」にあたる。
あれ?、「出雲の御崎山」があるのは、今で言う「出雲市」です。
木次線・出雲三成の駅とは全然離れているのに。
そこで、続きを読んでみます。
また『記』によれば、天から追われた湏佐之男命は「出雲の国の肥の河上、名は鳥髪」の地に降ったとあるが、それは『出雲国風土記』が斐伊川の水源としてあげる「鳥上山」(現在の船通山)に一致する。『記』の出雲神話の地理は、『出雲国風土記』の記載によく適合しており、単なる中央の机上の製作とは思われない。
これらの引用だけでは位置関係がわかりにくいので、
ちょっと地図で見てみます(クリックで拡大します)。

太い紫の楕円が3つありますが、
右下楕円の「船通山」が、「天から追われた湏佐之男命が降ってきたあたり」、
左上楕円の「鼻高山」が「湏佐之男命が大国主神に立派な神殿を作らせたあたり」、
そして真ん中の楕円、
ちょうど「奥出雲」の文字あたりが、上記写真の「出雲三成」駅周辺です。
そうか、出雲三成駅は船通山に結構近いんだな・・ということがわかりました。
(↑って土地勘のある人には当然のことなのに、いちいち確認に時間をとってしまいました(^^;)
ここで余談1:
なぜ「出雲三成駅」が「大国主命駅」なのかについては、さらなる理由がある!
余談2:
昔の呼称「鳥上山」がなぜ「船通山」になったかについて、「アイヌ語では発音が似ている」と指摘したWEBサイトがありました。
===
すいません、長々書いてしまった。
ってか、やはり、ここまできたら
ヤマタノオロチ神話にも触れなきゃ面白く無いですね!
それはまた後日書ければと思います。
追記(2/23 23:40)
鼻高山のふもとにある出雲大社・・、これがまさに
大国主命が造営した「立派な宮殿」のようです。
そして、大国主命は出雲大社のご祭神なのでした。
2008年02月21日
一体どうなんだ?
2/21の動き。
1.
またまた・・・、といいますか、
5年ぶりに、職業訓練校の入学試験を受けに行きました。
まあ「2度目」ということで、うかる確率は低いと思うんですが・・。
っといいますか・・。
自分で受けておいて何なんですが、
毎回職業訓練校に頼ろうとする「私の態度自体」に対して、
「それって一体どうなんだ?」とも思いますし。
===
しかし、5年前に受けた時の入学試験では、簡単な時事・経済問題も出ていました。
そこで今回も、当時試験対策用に作ったレジュメを発掘して、2007年版に改良して臨んだんですが・・。
ところが今回は、「厚生労働省何ちゃら試験用」と書かれた、普通の知能テストでした。
そういえば、5年前に受けた時、教務の人が
「今までは厚労省の知能テストを使ってましたが、2001年からオリジナルのテストを使ってます」
みたいなことを言ってたのが印象に残っていました。
もしそれが正しいとすると、結局今回また、「2001年以前のスタイルに戻した」ってことなんですね。
===
まあ、落ちてもうかってもどっちでもいいや(道は考えてある)、と思ってまして。
2.
何気に勉強の続きです。
松江市郊外にある「山代二子塚古墳」の入り口です。
中は展示室になっています。

例によって、『出雲国風土記 全訳注』から関連部分を引用します。
というかこのパラグラフ、昨日ここで触れた「ヤマトタケルが出雲に寄ったか寄らんか云々・・、大和朝廷が出雲の勢力をおさえて云々・・」の直後に続くものなんですが・・。
(なお、文中の青字及び下線は引用者によるものです)
ふーん、なるほど。
というわけで今日のメモ終わります。
追伸:
また全然違う話で(^^; (「3.」というべきか)
『交渉人』見てると、『サイコメトラーEIJI』の大塚寧々と田辺誠一思い出すんだなあ。
(というかこの2人↑、後に本当に結婚してしまうし)
1.
またまた・・・、といいますか、
5年ぶりに、職業訓練校の入学試験を受けに行きました。
まあ「2度目」ということで、うかる確率は低いと思うんですが・・。
っといいますか・・。
自分で受けておいて何なんですが、
毎回職業訓練校に頼ろうとする「私の態度自体」に対して、
「それって一体どうなんだ?」とも思いますし。
===
しかし、5年前に受けた時の入学試験では、簡単な時事・経済問題も出ていました。
そこで今回も、当時試験対策用に作ったレジュメを発掘して、2007年版に改良して臨んだんですが・・。
ところが今回は、「厚生労働省何ちゃら試験用」と書かれた、普通の知能テストでした。
そういえば、5年前に受けた時、教務の人が
「今までは厚労省の知能テストを使ってましたが、2001年からオリジナルのテストを使ってます」
みたいなことを言ってたのが印象に残っていました。
もしそれが正しいとすると、結局今回また、「2001年以前のスタイルに戻した」ってことなんですね。
===
まあ、落ちてもうかってもどっちでもいいや(道は考えてある)、と思ってまして。
2.
何気に勉強の続きです。
松江市郊外にある「山代二子塚古墳」の入り口です。
中は展示室になっています。

例によって、『出雲国風土記 全訳注』から関連部分を引用します。
というかこのパラグラフ、昨日ここで触れた「ヤマトタケルが出雲に寄ったか寄らんか云々・・、大和朝廷が出雲の勢力をおさえて云々・・」の直後に続くものなんですが・・。
(なお、文中の青字及び下線は引用者によるものです)
六世紀なかば、神門郡塩冶郷(現在の出雲市塩冶町北部周辺とのこと)などを中心とする西出雲地方には大古墳が現れる。出雲市今市町の大念寺古墳(島根県最大の前方後円墳)、出雲市上塩冶町の上塩冶築山古墳などである。しかもこのころほぼ時期を同じくして、意宇郡を中心とする東出雲地方には松江市山代町の山代二子塚古墳(島根県最大の前方後方墳)などの大古墳が出現しており、出雲の西部と東部に二大勢力が並立していたように見受けられる。この二勢力の消長が、『記』『紀』や『出雲国風土記』の伝えに何らかの影響を及ぼしているのかもしれない。
ふーん、なるほど。
というわけで今日のメモ終わります。
追伸:
また全然違う話で(^^; (「3.」というべきか)
『交渉人』見てると、『サイコメトラーEIJI』の大塚寧々と田辺誠一思い出すんだなあ。
(というかこの2人↑、後に本当に結婚してしまうし)
2008年02月20日
もしかして、寄りました?
勉強中のメモです。
スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』のチラシを見る限りでは、地名としては「熊襲征服」とか「蝦夷征伐」としか出てこないんですが・・。
例によって『出雲国風土記 全訳注』(著・荻原千鶴)を見ていたら、「出雲郡」の章でヤマトタケルに関して興味深い記述が。
以下、現代語訳を引用します(なお、<>内の読み仮名は引用者によります)。
え、ヤマトタケルにちなんだ地名が出雲にもあるのか・・。
というのが今日の発見の一点目です。
===
もう一つの発見は、「ヤマトタケルが出雲に来たか否か」に関する考察。
上記図書の「解説部分」によれば、
『記』には「倭健命による出雲建謀殺」の記載があるが、
『紀』には「日本武尊が出雲国に立ち寄った」記載が無いとのこと。
以下、同部分を引用します。
そうか、、、なるほど。
その他、この郷が「大和朝廷と結んで出雲郡の土着勢力を倒す」拠点であった・・等の興味深い分析が続いています。
しかし、上で引用してて思い出しましたが、
今まで「ヤマトタケル」というと「日本武尊」と書くイメージがあったんですが
(↑ちなみに、うちの町の山車祭りのからくり人形のヤマトタケルもこの文字ですし)、
「倭健命(倭建命)」という書き方もあったんですね。
===
恥ずかしながら、全然基礎的なことわかってないんで、いちいち新鮮です。
今日は古墳の写真も載せようと思ったのですが、時間切れでこの辺で。
スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』のチラシを見る限りでは、地名としては「熊襲征服」とか「蝦夷征伐」としか出てこないんですが・・。
例によって『出雲国風土記 全訳注』(著・荻原千鶴)を見ていたら、「出雲郡」の章でヤマトタケルに関して興味深い記述が。
以下、現代語訳を引用します(なお、<>内の読み仮名は引用者によります)。
(前略)そうして後、改めて健部<たけるべ>と名づけたわけは、纏向<まきむく>の檜代<ひしろ>の宮で天下をお治めになった天皇(景行天皇)がおっしゃったことには、「わたしの御子、倭健命<やまとたける>のお名前を忘れまい」とおっしゃって健部をお定めになった。そのとき神門臣古祢<かむどのおみふるね>を、健部とお定めになった。その健部臣たちが、昔から今にいたるまでずっとここに住んでいる。だから、健部という。(後略)
え、ヤマトタケルにちなんだ地名が出雲にもあるのか・・。
というのが今日の発見の一点目です。
===
もう一つの発見は、「ヤマトタケルが出雲に来たか否か」に関する考察。
上記図書の「解説部分」によれば、
『記』には「倭健命による出雲建謀殺」の記載があるが、
『紀』には「日本武尊が出雲国に立ち寄った」記載が無いとのこと。
以下、同部分を引用します。
景行天皇の倭建命への命令が熊曽建討伐だけであったことと、『紀』の日本武尊には出雲国への立ち寄りがないことを考えると、『記』の倭建命による出雲建謀殺は必然性がなく、いかにも唐突に挿入された印象を受ける。だが、倭建命の東西平定によって天皇の全国支配が景行期に完遂されたことを語る『記』にとっては、出雲国の平定も、西国・東国の平定とともに、そこにぜひとも語り入れたいテーマだったということなのだ。
そうか、、、なるほど。
その他、この郷が「大和朝廷と結んで出雲郡の土着勢力を倒す」拠点であった・・等の興味深い分析が続いています。
しかし、上で引用してて思い出しましたが、
今まで「ヤマトタケル」というと「日本武尊」と書くイメージがあったんですが
(↑ちなみに、うちの町の山車祭りのからくり人形のヤマトタケルもこの文字ですし)、
「倭健命(倭建命)」という書き方もあったんですね。
===
恥ずかしながら、全然基礎的なことわかってないんで、いちいち新鮮です。
今日は古墳の写真も載せようと思ったのですが、時間切れでこの辺で。
2008年02月18日
「見たまんま」?
あー、何だか久しぶりな気がします。
昨日は『R-1』見て『レッドカーペット』見て、
それらに触れたブログとか掲示板などをいろいろ見まくっていたら
すっかり疲れてしまいました。
自分の感想は・・例によってあまりないです(と逃げる)。
といいますか、
もう既にいろいろ意見が出尽くしているのでは?
と思うので。
===
今日の写真は、「出雲横田」駅です。
島根県仁多郡奥出雲町横田にある西日本旅客鉄道(JR西日本)木次線の駅です。

左側に見える白壁の建物は、「雲州そろばん伝統産業会館」です。
実はこの横田町(現在は仁多町と合併したので「奥出雲町」)、
そろばん製造全国一の場所なのだそうです。
・・・そういえば、『出雲国風土記』の「仁多郡」の章には、
「横田」という地名の由来が記載されています。
『出雲国風土記 全訳注』(著・荻原千鶴)から、
その現代語訳を引用しますと、
え゙え゙〜!
「形が横長な田んぼだから<横田>」って。
あまりにもそのままだ。
でも「地名」って意外と、
こんな風に、「見たまんま」からつけられることが多いのかもしれない・・とか思いました。
というわけで、カンタンですがこの辺で失礼します。
昨日は『R-1』見て『レッドカーペット』見て、
それらに触れたブログとか掲示板などをいろいろ見まくっていたら
すっかり疲れてしまいました。
自分の感想は・・例によってあまりないです(と逃げる)。
といいますか、
もう既にいろいろ意見が出尽くしているのでは?
と思うので。
===
今日の写真は、「出雲横田」駅です。
島根県仁多郡奥出雲町横田にある西日本旅客鉄道(JR西日本)木次線の駅です。

左側に見える白壁の建物は、「雲州そろばん伝統産業会館」です。
実はこの横田町(現在は仁多町と合併したので「奥出雲町」)、
そろばん製造全国一の場所なのだそうです。
・・・そういえば、『出雲国風土記』の「仁多郡」の章には、
「横田」という地名の由来が記載されています。
『出雲国風土記 全訳注』(著・荻原千鶴)から、
その現代語訳を引用しますと、
横田の郷。群役所の東南二十一里[一一.二キロメートル]。古老が伝えて言うことには、郷の中に田がある。広さ四段[四五.六アール]ばかり。形が少し横長だ。そこでとうとうその田の形から、横田というようになった。(後略)
え゙え゙〜!
「形が横長な田んぼだから<横田>」って。
あまりにもそのままだ。
でも「地名」って意外と、
こんな風に、「見たまんま」からつけられることが多いのかもしれない・・とか思いました。
というわけで、カンタンですがこの辺で失礼します。
2008年02月13日
引っ張り方がわからない。
昨年11月、夜行寝台「サンライズ出雲」で島根に行った時のことです。
朝7時ごろ、車内の「ラウンジ(談話室)」で車窓の景色を見ていたところ・・。
同じくラウンジで休憩していた「松江市出身」という男性が、
「東京からサンライズ出雲に乗って島根旅行に来た」という女性の旅行者グループに向かって、
「島根はその昔、朝鮮から土地を引っぱってきたんだよ。「国引き」って言ってね」
と話していました。
女性客たちは「え゙え゙〜?」と口々に言い、
私も一瞬「本当かよ?」と思ったのですが、
「ああ、だから松江市内には「くにびき大橋」とか「くにびきメッセ」など、
「くにびき」とついた名称が多いのか」とちょっと納得しました。
(「・・・しっかし、ほんと、松江出身の人とかだったら、
「くにびき」の意味とか普通に知ってるんだろうなあ・・。
本当に何も知らなかったな〜自分」と、今にして思えば相当恥ずかしいですが)
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朝7時ごろ、車内の「ラウンジ(談話室)」で車窓の景色を見ていたところ・・。
同じくラウンジで休憩していた「松江市出身」という男性が、
「東京からサンライズ出雲に乗って島根旅行に来た」という女性の旅行者グループに向かって、
「島根はその昔、朝鮮から土地を引っぱってきたんだよ。「国引き」って言ってね」
と話していました。
女性客たちは「え゙え゙〜?」と口々に言い、
私も一瞬「本当かよ?」と思ったのですが、
「ああ、だから松江市内には「くにびき大橋」とか「くにびきメッセ」など、
「くにびき」とついた名称が多いのか」とちょっと納得しました。
(「・・・しっかし、ほんと、松江出身の人とかだったら、
「くにびき」の意味とか普通に知ってるんだろうなあ・・。
本当に何も知らなかったな〜自分」と、今にして思えば相当恥ずかしいですが)
続きを読む
2008年02月12日
雲のかたち。
昨年の夏、沖縄本島の最北端・辺戸岬で見た雲です。

そういえば(当然といえば当然なんですが)・・。
雲って、今までに一度として同じ形状・同じ大きさの雲を見られたことが無いんですよね・・。
例えば、今年もちょうど去年と同じ時期にこの辺戸岬に行って、
同じ地点から写真撮影しても、もう「この雲」は見られないんだなあ、と。
===
で、「雲」からの連想です。(やや牽強付会だ! いやいつものことか!^^)
以下は沖縄ネタではなく山陰ネタですが、ちょっと発見したことを書きます。
<出雲>という地名の由来について。
その昔、「八雲立つ出雲の国」と発言した神サマは誰かというと・・。
『記』『紀』では「スサノオノミコト(湏佐之男命)」と書いてあるのに、
『出雲国風土記』では「ヤツカミヅオミヅノノミコト(八束水臣津野命)」なんですね・・!
そして、「ヤツカミヅオミヅノノミコト」といえば!
続きは気が向いたら書きます!
ではこの辺で。

そういえば(当然といえば当然なんですが)・・。
雲って、今までに一度として同じ形状・同じ大きさの雲を見られたことが無いんですよね・・。
例えば、今年もちょうど去年と同じ時期にこの辺戸岬に行って、
同じ地点から写真撮影しても、もう「この雲」は見られないんだなあ、と。
===
で、「雲」からの連想です。(やや牽強付会だ! いやいつものことか!^^)
以下は沖縄ネタではなく山陰ネタですが、ちょっと発見したことを書きます。
<出雲>という地名の由来について。
その昔、「八雲立つ出雲の国」と発言した神サマは誰かというと・・。
『記』『紀』では「スサノオノミコト(湏佐之男命)」と書いてあるのに、
『出雲国風土記』では「ヤツカミヅオミヅノノミコト(八束水臣津野命)」なんですね・・!
そして、「ヤツカミヅオミヅノノミコト」といえば!
続きは気が向いたら書きます!
ではこの辺で。

