2009年06月04日

匿名女学生『6月4日のブーケ』

毎年6月4日、天安門広場 白バラ6本、赤バラ4本
an anonymous Chinese student:"a June Fourth bouquet" commemorating the anniversary Tiananmen Square protests of 1989

64bouquet1989年6月4日...あの天安門事件(六四事件)から20年。
 アムネスティ・インターナショナルは、"天安門にバラの花束を"キャンペーン#をはった。私も、ささやかな意思表示、行きつけのフェアトレードのお店「ほしのおくりもの」*の入り口に6本の白いバラと4本の赤いバラを飾らせていただいた。飾り付けたのは、小原流を教えるカミサン。

*「ほしのおくりもの」:北海道・東北地域で最大規模のフェアトレード・ショップ。
#"天安門にバラの花束を"キャンペーン:2009年5月〜6月2日、アムネスティ・インターナショナル、天安門事件20周年アクション。

【番外の最新記事】
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2008年09月22日

Blogのlog:予告


Moriokanote.jpg立原道造「盛岡ノート」再刊版
ドキュメンタリー映画「鶴彬」
NHK BShi「ハイビジョン特集/日本ナンダコリャこれくしょん 今度は俳句だ!」

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2007年09月15日

Blogのlog:Merci beaucoup

最後の投稿から1年と少しが過ぎました。常連さんも(たぶん)居なくなって、この「事務連絡」は誰に向かって書いていいのか、分かりませんが...

なにをしてたかって、「死をポケットに入れて」を読んでました。(ハハハ で、きょう読み終えました。(ハハハハハ

ま、それは本当のことですが、ほかに何してたかって、なんとアウトドアのブログとか、身内向けの写真ブログを新しく作ったり、そうそう、若気の至り日記帳を別ブログにしたりとか、ただの日記は、そこそこ更新、とそれなりにパソコンに向かってました。

でも、どれも「蚕の桑」のように思いや時間をかけて、やっと1つ投稿できる、という作品ものではありません。じぶんでは、そうとは思っては(気づいては)ゐないのですが、やはり、仕事の中身やら生活環境が変わったことによるのかも知れません。

きょう、BS2の俳句王国をひさびさ観ましたが、ちょうど年に一度の主宰大会、金子兜太健在の句会をおおいに楽しみました。その勢いで、か、なぜだか、このブログのインデックス(蚕の桑畑)を完成させ、「死をポケットに入れて」を読み終えました。...でも、「蚕の桑」の投稿再開は、まだ先のことになりそうです。

ただ、久しぶりに編集ページにログインしてみて、自分の投稿記事の下書きが10個以上もあったのには、自分自身驚いています。すっかり忘れていました。書くことは、ひとつ、気力と勢いのなせるわざ、でしょうか。

15年前のちょうど今日、ブコウスキーはこう書いてます_
「書くということはたいへんな役目を引き受けていたのだ」
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2006年06月23日

BlogのLog:チャールズ・ブコウスキー『死をポケットに入れて』

Charles Bukowski:The Captain Is Out to Lunch and the Sailors Have Taken Over the Ship.  Illustrations:Robert Crumb(河出文庫、中川五郎訳)

今、わたしは二階のこの部屋にいて、マッキントッシュIIsiと向かい合っている。」
このあと、「もう眠ることにしよう。明日の競馬に備えてしっかり休まねば。」と続いて、この日の日記はおわる。

ブコウスキーの晩年の日記。それが本となって出版されている。河出文庫の表紙には、本文挿絵にもなっている、ブコウスキがMacに向かっている姿が描かれている。(IIsiには見えないが)

わたしは、まだこの文庫を読んでいない。昨日、出逢ったばかりなのだ。雑貨屋においてあった数々のエキセントリックな本のなかから見つけた。ブコウスキーの日記、というので買ったのだが、家に帰って、ぱらぱらめくり、彼がMacヅカイであったことを知った。
 これも何かのなにかか、な、と思ったりしている自分を見て面白がっている、ところ。

ほかに、この雑貨屋ではCD付き『おおきな木』も発見、これも買い求めた。ほかにもこの店は手話の本とかいろいろあって、蚕の桑畑のようなところ。

というわけで、ひさびさ、明日に備えてしっかり休まなきゃならなくて、もう眠ることにしよう、という寸暇を惜しんで、衝動的にBlogにlogした。つづきは、いずれまた。
Posted by (蚕) at 00:48  |Comments(1) | BlogのLog , 文学 , 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月08日

Blogのlog:Leroy Anderson(作曲)"The Typewriter"

ルロイ・アンダーソン1950年作品「タイプライター」

typewriter
私が学生時代、大学の講座の学生室には、古ぼけた黒塗りの堅牢なタイプライターが1台あった。たぶん舶来物だったと記憶する。私はそれで読むべき英語の論文や学術書をまるまる写し、タイプ打ちを覚えた。キャリッジリターンのチーン、ジー、ガチャという音が心地好くリズムを打つようになるまでになった。

お話は、事務機の進歩、である。
この四月、リストラ的異動で馴染みのなかった部署に配属され、これまでほとんど付き合いのない若い人たちと一緒になり、学生のころは統計検定一つやるのも電卓だったからねぇ...といった挨拶話しをいくつかしたものだから。

いまぢゃ、パソコン、インターネットがなければ、ナンにも出来ない。作業停電の日などすることがなく落ち着かない。メールアドレスは、いくつ持っているんだか、自分で管理できない状況にある。郵便切手をしやれたものに考へ出す...かぁ。

文房具の懐古
Posted by (蚕) at 02:40  |Comments(2) | BlogのLog , 録音 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月06日

Blogのlog:藤原因香「たれこめて春のゆくへも知らぬまに待ちし櫻もうつろひにけり」

藤原因香作 古今和歌集千百拾一首の一、巻二(春下)

二十年ぶりに仕事で生き物を飼う事になった。

二十年前の私と云えば学生であり、死なせても自分の論文が書けなくなる」くらいの事だったが、社会人ともなると責任があり、気が抜けない。大学のある先輩は年末年始に産卵する魚がテーマで、自ら選んだとは云え、ご愁傷様ながら正月休みがなかった。いまの職場では出番表なる、休日に交代で出勤する者の氏名一覧表があったりするのである。
今の私は、あまりに素人ゆえ、まだ見習い。いまのところ、たいした責任は負わされていない。ということで、出番表から外され、この大型連休は暦どおりに休みで、おかげで引っ越し荷物の片付けがようやく終わりそうだ。

流氷の町から鉄の町に引越して、はやひと月がたった。生き物相手を本業とする身としては季節に敏感であるはずなのだが、花のことなどすっかり忘れていた。(もっとも、学生時代で私の飼育センスのなさは痛感していたのだが。生き物を飼うって云うのは、天性の才能で、センスの有る無しの事象なのである。)5月6日、きょうは、立夏、暦の上では夏とか。北海道の桜は、これからである。

引っ越し荷物の紙屑的資料の中から、30年むかしの私が書いた、因香「たれこめて」をもじった戯れ文を見つけた。どうも文章にも進歩がなく愕然とする。
よるか本歌取、(蚕)22の駄文へ
Posted by (蚕) at 12:00  |Comments(0) | BlogのLog , 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月20日

作者未詳『Subject:至急』

原本:電子メール文書体裁(仔細不明、伝某フリーランス記者作) 成立:2006年2月16日以前(平沢勝栄氏写本「2005年8月26日15時21分35秒」) 差出人:不明(平沢写本「@堀江」、異本「ホリエモン」) 受取人:不明(実質「受取人」の一人:永田寿康衆議院議員、黒塗り写本「所有者」多数)

学者が命名する生き物の名前には、「ニセなんとか」とか「なんとかモドキ」、はたまた「なんたらダマシ」というのが実に多い。学名にしても、たとえばニセ・アカシア、この接頭語からの直訳で知られる「pseud(o)-」に始まり、「-oides」「para-」「-inus」「su(b)-」等々、多彩。いやいや安直である。生物は適応放散、平行進化で似たような奴(私の生まれ故郷では「似タクサイ」という? たぶん)は沢山いるわけだが、だからといって、優劣をつけるように、片方を片方の偽物と決めつけるかのような命名は手抜きぢゃありますまいか。もちろん、それ以前からあった種に似せたり、騙くらかすのが目的で姿かたちを変えて出現したんだ、って進化系統学的?に言い張るんなら、まだしも。
 ま、これは、生物多様性・種平等原則と云うか、普遍的には差別の問題である(そんな大層な)。でなければ、生きとし生ける物を等しく無くてはならぬ物としてお創りになった創造主にかわって地上で唯一の名を与えると云う、だいそれた行為へのあがないなきおごりたかぶりである(...冒涜?、まぁまぁそこまで)。

かたや人間の創造業界には、ホンモノがあって、それに似せる魅惑的な、なりわいがある。それは藝術、芸能、ブランド、スター、正当、不当、作為、不作為、故意、確信、多種多様多彩な、似せもの、偽物、偽者、贋もの。レプリカと贋作、本歌取り、パロディと盗作、声色[こわいろ]、物真似となりすまし詐欺、とかとかとか。いづれもこれぞホンモノの「ニセモノ」、欲望渦巻く感動のるつぼ。『伊勢物語』、『仁勢物語』、『江勢物語』、...

また違う志向に、フィクションをノンフィクションといつわる世界がある。似非、似て非なるものは論外とし、捏造論文とか偽装構造計算書とか粉飾決算とかも、その情熱には恐れ入る。「至急」と題された偽ホリえもんメールも、4月1日発信なら面白かったのに。そうでなく、架空を限りなく実在と見せて騙し騙され興じる創造ワールド。

hana_aruki
かつて、駆け出しのころの私は、まんまとそれにひっかかった。ゲロルフ・シュタイナー著『鼻行類の構造と生活』(初版1961年)(Harard Stumpke名義『鼻行類―新しく発見された哺乳類の構造と生活』日本語版・思索社1987年(現在は平凡社ライブラリーに収録)、蚕所有本:第7刷1988-11-15)だ。そこに描かれた愛らしい図版を拡大コピーし、「絶滅した」動物群に思いを馳せつつ、飽かず眺めていたものである。心静かに落ち着いて読めば、それこそ愛らしい「創造物」であることが、にわかに判明するのに、である。であるから、私は永田町の某氏が議員でなければ、まったく非難する資格がないところの者である。

でも、騙そうとして(?)騙されたのは、私の不徳の致すところとして、恥ながら、まぁいいや(笑)、(汗)で済ませることだが、無知につけこまれ、そのごベストセラー・トラウマ・シンドローム(BSTS)になった「作品」は苦い。イザヤ・ベンダサンこと山本七平『日本人とユダヤ人』(第2回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品1971年、蚕所有本:角川文庫四版1971-10-30発行)だ。浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』(朝日新聞社1983年、蚕所有本:第9刷1986-01-10)を手にするまでの10数年は取り返しがつかない。

【フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】
 虚構記事


Posted by (蚕) at 01:03  |Comments(0) | 番外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月28日

網野善彦+宮田登「歴史の中で語られてこなかったこと」

副題:おんな・子供・老人からの「日本史」、洋泉社、 新書y050 2001年12月21日発行 初版(初出:1998年 洋泉社)

このあいだ(2006-02-17)、TVで『鬼平犯科帳スペシャル』(フジテレビ・松竹)の新作が放映されていた。鬼平・長谷川平蔵を演ずる当代中村吉右衛門がインスタントコーヒーの広告*で「違いの分かる男」とされたのは1970年代のことだったようだが、私はそれ以前からの歌舞伎役者としての吉右衛門のファンであった(*新聞一面広告を大事に取ってあったのだが、どこへ行ったやら)。しかし「鬼平」ファンは父の後追い。私が実家を離れてのち始まったTVの「鬼平」を父が毎回楽しみにしていると母から聞いてから、私も観るようになった。

TV版「鬼平犯科帳」は、原作の素晴らしさもさることながら、時代考証の確かさ、丁寧な作り込みで知られる。はたまた、今村昌平監督の『楢山節考』のような映画。そうした良質な時代劇を観ていると、果たして「昔」の庶民は、どんなことを考え、どんな生活をしていたんだろう、という思いが沸いてくる。

落語や杉浦日向子さんの語り描いた江戸庶民が平均像なのだろうか。ぢゃぁ、地方は? 水戸黄門は論外として、まさか「おしん」の世界が_ありきたり_ではなかろう。
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高校三年間、意固地に受験勉強拒否していた私が、この歳になってそれをいくらかでも後悔することがあるとすれば、それは暗記科目である「歴史」の常識が中学生以下であることだ。「地理」は得意科目であったが、「歴史」は受験を目的にでも_学校_時代に強制的に叩き込まなけりゃ、一生頭に入らないのぢゃなかろうか。(そのせいか、所謂大河ドラマは、登場人物や筋を分からずに、たいてい完食しない。)その反動か、どうにも「偉い人たち」の歴史より、庶民の生活が気になるのである。

「どうして日本史の授業や教科書では権力の交代ばかり教えるのだろうか、非常におかしなことです。」とは、民俗学者・宮田登が歴史学者・網野善彦との対談の中で発したことばだが、受験科目「歴史」の中に、私の知りたい庶民の姿はなかった。

民俗学などと云うものがあることも知らなかった学生のころ、柳田國男や南方熊楠はむろん知ってはいたが、柳田は我が故郷南部(岩手)の民話を集めたヒト、熊楠は当時の日本人としては抜きん出た生態学(まともな意味のEcology)的センスの持ち主として、見ているだけだった。一方で私は、そのころ朝日ジャーナルで盛んに採り上げられていた「狭山事件」(被差別部落者冤罪事件)に興味を持ち、そこから庶民を見ようともしていた。また北海道に来てからは、幕末のジャーナリスト松浦武四郎も知る。_いづれも、平均像には近づけないもどかさがあった。

最初にこれは、と思って(勘違いして?)買ったのは、羽仁五郎(『明治維新史研究』岩波文庫青143-1・1978年・初出1932-35年)だったろうか。まったく読まず。つぎは、ずばり『庶民の発見』(宮本常一・講談社学術文庫810・1987年・初出1955-60年)、でも何かハッ!、としない。というか、じつはこれも、ほとんど読んでいない。
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そしてやっと、いまや網野史学、網野史観とまで称される「網野善彦」に出逢う。それは荒川洋治さんのエッセイの中だった。網野の代表論文『無縁・公界・楽』が紹介されている。のちにそれもエントリーされる平凡社ライブラリーには、庶民学がわんさと収まっていた。しかし、これら学術論文群は、私にはいささか手に余った。

それで、ぐうぜん書店で目にしたのが、さきほどの宮田登氏との対談集「歴史の中で語られてこなかったこと」、新書という手軽さもあったが、なにをさておき、そのタイトルがとりもなおさず、私の探していたもの、ずばりであった。

のっけからアニメ映画『もののけ姫』、うむうむ、そうかそうか。そして、次ぎに来たのがなんと「蚕」と「桑」の話し。もう、因縁を感じざるを得ない。(ここで、藝術作品ではないこの本を我がブログ「蚕の桑」に特別登場させる決意をする!(笑))

ところが、この二人の対談は、私のような素人を置いてけ堀に、専門用語が注釈なしにぽんぽん飛び出し、次第に読み進むのがつらくなってきた。それで、途中、『日本の歴史をよみなおす(全)』(網野善彦・ちくま学芸文庫2005年・初出1991/1996年)に移り、先にこちらを読み終わり、網野史観の概略を掴み、さらには、三國連太郎・沖浦和光対談『「芸能と差別」の深層』(ちくま文庫2005年・初出1999年)あたりもうろつき、以前読んだ『放送禁止歌』(森達也・知恵の森文庫2003年)や養老孟司・甲野善紀**『古武術の発見-日本人にとって「身体」とは何か』(知恵の森文庫2003年・初出1993年)を読み返したりした。
(**:この二人、「ベストセラー作家」だが、本業はよく分からない。養老は、私はこの本しか読んだことがない!が、解剖学者としてはよく知らないし、甲野は「武術研究家」と名乗っていて、文字どおりで偽りなく、決して「武術家」ではないそうだ。)
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「網野善彦」でAmazonの著者検索をかけると、273件ヒットする。惜しくも、網野先生も宮田先生も物故された(不謹慎ながら、著作がこれ以上増えないことに安堵するヤカラがいるに違いない、それほど、網野史観は危険だ)。それにしても、膨大な著作のすべてが「当たり」で、読む価値あり、と云うヒトもいる。これからも、私の網野史学探訪は「歴史の中で...」を手がかりにつづくことだろう。

ところで、この対談集の後ろの方に、渋沢敬三のことが出てくる。戦前、日銀総裁も務めた財界人にして民俗学者。渋沢の民俗学者としての仕事が、じつは、今の私の仕事にある意味たいへん近いところにあることを知って驚いた。

さらに、ここ数年、私が1年に1回は必ず利用する三沢空港の近くの、リゾート観光地としては比較的有名な古牧温泉が、渋沢敬三と関わりがあり、その敷地内にある小川原湖民俗博物館は、渋沢民俗学を継承するもので、国内の民間民俗博物館としては有数の規模らしい。じつは(「じつは」が多く、因縁奇縁のるつぼだ)、再来週、三沢に出かける、是非ともその博物館に寄るとしよう。
--
この先、身内話
Posted by (蚕) at 23:59  |Comments(8) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月17日

田熊早苗(作詞作曲)『Oh, My Love』

唄:高木麻早(アルバムCD・YAMAHA Masterpiece Series『高木麻早』1973年作品(ポニーキャニオン))

ゴメンナサイ。もう先にあやまっちゃおう、「インターネット+検索エンジン」時代とその威力を甘く見ていた。まさか「田熊早苗」で検索する人なんて、そういるまい、と思っていたのだ、が...

ついでにおことわり、今回は三木聖子はもちろん、もしかするとSRVよりももっとトレインスポッティングな(言い過ぎか)、思い入れ濃い「こだわりわだかまり」な話題である。テーマはその話題そのものと云うより、「こだわり」について、ということになる。(いつもと同じぢゃん、ボソ)

だから、久々のpostだが、もそっと_ちまた_受けする話題は次回に。今回は長くなりそうだし、...
ポプコンとじゅん&ネネが結びつく方には、つづきが_あるよ
Posted by (蚕) at 02:34  |Comments(0) | 録音 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月27日

三木聖子(唄)『まちぶせ』

1976年 作詞・作曲:荒井由実、編曲:松任谷正隆(ポニーキャニオン)
(所有音源:江崎グリコ株式会社2003年発売「タイムスリップグリコ・青春のメロディーチョコレート第1弾019(シークレットバージョン) 8cmCD」からのコピー)


matibuse三木聖子、1957年生まれ、私とほぼ同世代、云わずと知れた往年のアイドル。1970年代後半に形成されたコアなファンは、いまだ消えず。

1976年と云うと私はすでに大学生で、太田裕美(1955年早生まれ)の『木綿のハンカチーフ』が爆発的人気、テレビで見る限りは幼い印象だが、寝室でひとりイヤフォン(ヘッドフォンでない)で聴くとイケテル、というところ(どこ?)で学生の間では流行っていた。それに比べ、三木聖子は箱入り娘的美形で歌唱力はなく、実は父親世代の中年サラリーマンに受けていたのかも知れない。

その三木聖子に「再会」したのは、かつて1980年代前半のカメラ小僧を刺激して止まなかった「時代を実感する映像総合誌」、『写楽』[SHAGAKUと読む](小学館)の1982年10月1日号(第3巻第10号通巻第29号1650-1651頁)であった。

「君のハートに火をつけたのは誰? レコード店で人気の懐かしのドーナツ盤40枚」全ジャケットがA4見開き2頁にぎっしり並ぶ、その中の1枚。数センチ角のジャケット一杯に微笑む彼女がいた。三木聖子の『まちぶせ』は発売からまだ5年がすぎたばかりと云うのに、内藤洋子の『白馬のルンナ』(1967年)とともに、1万円以上出さないと買えない、と書かれてゐる。

それほどに伝説化された存在となっていた。事実、私もこの記事を読んで、内藤洋子と同じレベルの懐かしさを三木聖子の『まちぶせ』に感じた。前年、石川ひとみがカバーして大ヒットとなり、三木聖子の伝説化を加速したのも確かだが。「40枚」には、ほかに佐良直美があったり、木之内みどり(1957年生まれ、竹中直人夫人)がいたり...

『写楽』については、別にまた書きたいくらいだが、ここでちょっと触れれば、極めて個性の強い魅力的な雑誌であり、そのせいか、はたまた名が禍いしたか、事情は知らぬが、わずか6-7年の短命雑誌であった。1冊四百円ちょっとで、一番貧乏な時代にあった私にとっては毎号買うわけにはいかず、迷いに迷って数号手に入れただけであった。

ポニーテールのジャケットを見たら、無性に聴きたくなった、が、レコードは持っていない、ますます聴きたい、...と点を三つ打つうち20年が過ぎ...
入手した音源「グリコのおまけ」は、同世代の「課長」のコレクションであった。
四半世紀待った、そのストーカーソングの「味」が、今回の主題なのだが、言葉では、ざんねんながら、説明できない。え? それぢゃぁ、落ちがない? いいよ、いいよ、今回は三木聖子を知ってる人だけ、分かってもらえれば、良しとしよう。

もっと、わたくしごと...かな?
Posted by (蚕) at 23:59  |Comments(0) | 録音 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月15日

Stevie Ray Vaughan & Double Trouble ♪Riviera Paradise

スティーヴィー・レイ・ヴォーンとダブル・トラブル 1989年 アルバム『In Step』から 

スティーヴィー・レイ・ヴォーン、略してSRV。1954年生まれ、私とほぼ同世代、享年35、ブルース界「伝説のギタリスト」。
ジャズなら少しばかり聴いてきたが、ロック、ブルースはほとんど縁がなく、このスーパースターを私はまったく知らなかった。ロックの中でもバラードにはいくつか好みの旋律があったから、ツネヅネ縁がほしかったのだが、この年末、SRVの珠玉のバラードとされる Riviera Paradise と出会った、ひさびさの新たな「蚕の桑」である。

それは、ツレアイの兄がおしえてくれた。義兄は、一般庶民でありながら(要するに金持ちでもないのに)自家用飛行機を操縦するような趣味と仕事の区別のない人で、とくにオーディオは仕事でもあるような、ないような、自宅の一室には、岩手が誇る(?)ジャズ喫茶「ベーシー」と同じシステムを置いている。

ほの暗くした部屋に大音量で響くSRVのギター...、私には眼前に海風があたるビル群の夜景が浮かび上がるかのような、そんな大都会の風景が見えた。見える風景は人それぞれだろうが、絵を描[えが]く旋律、そう感じた。
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2006年01月07日

BlogのLog:「アムネスティ日本がおすすめする、今年見たい映画」


hatoDIONのブログ・カテゴリで「文化・藝術」に登録している我がBlogといたしましては、不特定少数のご常連の皆さんへの年頭のご挨拶代わりに、今年おすすめの映画をご紹介しましょう。

といっても、休み中に職場に届いたAmnesty Newsletter 2005年(ママ)1月号「アムネスティ日本がおすすめする、今年見たい映画」からの抜粋。興味の分かれるところかも知れないが、わたしが四半世紀かかわってきたNGOで、最近はちょっと「ご無沙汰」なので、ほんの少しでも貢献できればと思う次第です。

『ロード・オブ・ウォー LORD OF WAR』
世界的武器商人、ユーリー・オルロフ(ニコラス・ケイジ)の半生を通し、闇の武器売買の実態にせまる作品。

『ホテル・ルワンダ HOTEL RWANDA』
1994年のルワンダ大虐殺の最中、1200人の命を救ったホテルマンの実話に基づいた作品。

『イノセント・ボイス-12歳の戦場 INNOCENT VOICE』
内戦下のエルサルバドル、少年たちは12歳になると政府軍に徴兵されていた。中・高生にもおすすめの作品。

詳しくは、アムネスティ日本のこのページに。

それにしても、アムネスティ日本のニュースレター最新号は「2005年」と3カ所も間違ってますねぇ、スタッフの皆さん、お疲れかな。
Posted by (蚕) at 01:16  |Comments(4) | BlogのLog , 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月27日

熊川哲也(主演)『コッペリア Coppelia』

2004年6月16日 Kバレエカンパニー2004 北海道厚生年金会館(札幌市)大ホール 2階ペアシート

熊哲が回る。拍手が沸き起こる、客席が揺れ動く。風が巻き、甘いフレグランスが立ちのぼる。

熊哲ファンのツレアイと、このバレエを見るためだけに飛行機往復で札幌に出かけた。北海道で一、二のキャパを持つホール、二階ペアーシート、お一人様三万六千円也!!
 見下ろす1階席は女性ファンで埋め尽くされ、華やか。拍手が起こるたびに、香水の渦が二階席まで巻き上がるのである。

熊川哲也、旭川出身。北海道にはとくにファン、関係者が多い。この日も「わたし、先生」という妙齢ならぬ御婦人が楽屋を訪ねていた。
 少年のよう、と云うより否定的に、ぜんぜん大人でないが、ちょっとイイ気になってることは自覚している、茶目っ気ありのスターだ。
 ツレアイは、NHK教育でも放映されたローザンヌ国際バレエ・コンクールに出たときから目をつけていた、という年季がミーハーとは違うと云いた気だが、とにかくファンは女性が圧倒的多数。

私は、ほとんどバレエは観たことがないが、それでも数舞台は観ている。オペラより言葉の壁がなく、訓練された身体のうごきの美しさに感嘆し、心沸く楽しさがある。(いまも、NHK-BS hiのブロードウェーミュージカル『FOSSE』を観ながら、これを書いている)
 原題「コッペリア、あるいは琺瑯質の目をもつ乙女」初演はパリ・オペラ座1870年という。昨年パリを旅行した際、オペラ座でモダンバレエを観た。こちらは観客もさまざまで、なかにはドレスアップした見目麗しき妙齢の淑女もいらしたが、男性ダンサー目当ての(?)男性も多かった。さすが舞台藝術の国だ。

そこへいくと...、とは云いたくないが、かの国では公的年金資金の使い回し問題から各地の厚生年金会館が廃止されようとしている、北海道もそのひとつ。北海道では札幌と云えども、オペラを掛けられるのは、この厚生年金会館しかない。いま鈴木「大地」の応援団長、松山千春が存続運動を先導している。

わたくしごと...
Posted by (蚕) at 02:55  |Comments(0) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月08日

『鹽竈神社』

創建不詳(奈良時代?) 宮城県塩竈市 式外社にして陸奥国一宮の一

東北仙台から西に延びる鉄路が仙山線、車道も迂回する国境の峠は長いトンネルとなり、抜けると山寺である。一方、東に延びるのは仙石線、日本三景の一、松島海岸の渚のキワを走る。元禄の世、松尾芭蕉は山寺で名句、閑けさや岩にしみ入る蝉の声」を物するが、その半月前、松島を前にしては文字どおり絶句した。
 その松島へ芭蕉は、鹽竈神社の門前から船で出向いた。そう、当時は石鳥居まぢかに海がせまり、鹽竈様は海業の守り神たるにふさわしく鎮座していたのだ。(写真:鹽竈神社創建当時のまま、といわれる参道、七曲坂)

nanamagari(ひさびさに、つづく...)
Posted by (蚕) at 23:59  |Comments(1) | 美術 , 仙台周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月28日

『宝珠山立石寺』

860年(頃) 円仁 開創、比叡山延暦寺別院

東北仙台(とくに北仙台)の貧乏学生のスポット、今は昔。

冬。国境{こくきやう}の長いトンネルを抜け、無人の臨時停車駅に降り立てば、そこはスキー場のリフト乗り場だった...
スキー場とは云え、四駆の車などいらない、なにしろ鉄路しかないのだ。貧富の差なし。ただし、貸しスキーなどないので、道具はなんとか調達しなければならないが。雪のない国から来た貧乏学生は、まずここでボーゲンを知る。その名も面白山。

次の停車駅は山寺。山寺、国指定文化財記念物名勝史跡。
夏。貧乏学生の隠れたデートスポット。車なんかで来やしない。列車に揺られ、石段に音を上げ、力{ちから}こんにゃくを頬張るのぢゃ。崖に立つ五大堂で、こゝろゆくまで涼む。閑さや...一句ひねって投句するも、また一興なり。
Posted by (蚕) at 01:35  |Comments(0) | 美術 , 仙台周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月27日

蔡志忠『マンガ 禅の思想』

1998年6月20日第1刷発行 講談社+α文庫 蔡志忠・作画、和田武司・訳


zennosisou達磨を始祖とする禅宗は、六代目後継者、慧能によって唐代中国の庶民に広まり、花開いたと云われている。

六祖慧能の波瀾万丈の人生は、映画化してほしいほど魅力的だ。この本に書かれたストーリーの元となっている『六祖壇経』は、弟子神会が我こそ七祖ならんと画策して慧能の生涯を美化した創作とも云われ、史実はいまだつまびらかでないようだが、それにしても「南宗頓悟の慧能 VS 北宗漸悟の神秀」は、藝術家の創作意欲を掻き立てる歴史的モチーフではあるまいか。

たとえば、東北の英雄アテルイについての、さっこんの再評価のように、消された敗者、美化された勝者の歴史を覆す挑発的創作は、判官贔屓を超えて、史実に迫る興奮を呼び起こす。加えて今村楢山節考のような迫真の作りで六祖物語を観せてはもらえまいか。

この「マンガ」、私のヒーリングアイテム(のようだ)。身近なところに置いてあって、_そういうとき_にほぼ無意識に手がのび、読みだしている(らしい、ツレアイがそう謂っている)。
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2005年11月24日

マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』

1977年6月 改版 新潮文庫 日本語訳:大久保康雄、竹内道之助 (原作 1936年出版 Margaret Mitchell:Gone With the Wind)


wind大学受験予備校の講師の推薦だった。

現国の勉強は、まず読書、であった。日本の古文にしても、まず現代語訳で読みなさい、と多読を勧めた。といっても受験まで1年ないなかで他の科目もあり、そう沢山は読めない。小説が1、2なら、論説を10読みなさい。とすれば新書が多くなる。

しかし、新書だけでは味気ない、たまに小説を読むなら、と一押しされたのが『風と共に去りぬ』。とにかく面白いから、と云われたが、当時河出書房から出ていた2分冊は受験生には分厚くて、ちょっと値段も高かった。結局浪人中に読むことはなかった。

私が、『風と共に去りぬ』と出会ったのは、まずテレビで放映されたビビアン・リー映画(4時間近いから、間違いなく大幅カット編集、吹替え版)。つぎに帝国劇場での東宝・菊田一夫脚本の『スカーレット』、観たのは高校生?、いや大学に入ってからか。菊田の名訳「明日は明日の風が吹く(Tomorrow is another day.)」と、ともに、日本で初めて生きた本物のウマを舞台に登場させ、話題となった。レット・バトラー、宝田明。

さいごに小説。大学三年の春、私はバイトで2千トン級の船に1カ月間乗船した。下船すると東京は夏の日差し、街の女性たちがまぶしく見えた...そして本屋には、新潮文庫から新発売の『風と共に去りぬ』が平積みされていた。(ついに、出たー)迷うことなく買い求め、通学の往復の電車の中で一気、ワクワク、一心不乱??に読んだ。「絶対、面白い」、その推薦の弁にいつわりはなかった。
Posted by (蚕) at 01:45  |Comments(0) | 文学 , 舞台 , 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月21日

ツルゲーネフ『ルーヂン』

岩波文庫6453-6454/ 赤帯1102 中村 融訳 1961年8月5日第一刷発行(1973年10月20日第八刷発行 定価★★) 原作1855年成立

大学受験予備校の講師の推薦だった。

予備校は、大学合格を目指すところではあるが、反面なぜ大学に行くのかを考えさせられるところである、とも云える。
むろん出はなを折ろうとしたのでなく、その最高学府を目指しインテリゲンチアにならんとする若者へのはなむけであった。

裏表紙裏に、当時の私はブルーブラックのインクでひとこと、感想を書付けている。
「1974(S49)9.13-9.16.0:04a.m.
 とても笑っては読んでいられない.」
Posted by (蚕) at 23:59  |Comments(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月19日

市毛勝雄『高校生のための作文読本-小論文の書き方-』

1978年11月20日初版発行 有朋堂 明解シリーズ(109)大学受験名コーチ

誰しも、ある程度まとまった文章を書いたことがある人なら、文章読本の一冊や二冊手にしているだろう。私も大学の卒論を書く時には、文庫本になる前の本多勝一『日本語の作文技術』(1976年)を指導教官から薦められ、修論のときは当時出たばかりの『理科系の作文技術』(1981年・中公新書624)を買い、よく読み、頼りにした。また書く準備としては、パソコンなど無き時代、膨大な文献、情報整理のため、ベストセラーだった梅棹忠夫『知的生産の技術』(1969年・岩波新書)に従い、たくさんのカードを作った。

そして、もう一冊思い出深いのが『高校生のための作文読本』。発行年は1978年だが、私が買ったのは本に挟まれたレシートによると、1981年3月17日「本のアイエ」仙台駅前店。『理科系の〜』とおなじころ、M1(修士課程1年)のときである。

なぜ院生にもなって、大学受験の参考書を買ったかと云うと、実はこの著者は私が通っていた大学予備校の講師であった。本好き少年とは云えない私であったが、この先生のおかげで予備校時代は沢山の本を読んだ。それで大学に合格するとはおもえなかったから、受験のためと云うより、これからの人生のため、子供のころの絶対的な読書量の不足を埋め合わせるかのごとくに読んだ。

私が大学に入った年に、この著者は同じシリーズで『現代国語の読み方・解き方』(1975年)を世に上梓した。予備校で配られた「読書のための世界文学年表」がバージョンアップして付けられていて、そのごの私の読書をみちびいた。

なつかしさでつい『作文読本』も買った、ぐらいの記憶だったが、本棚の奥から引っ張り出したら「本のアイエ」のカバーはぼろぼろ、小口も手垢で汚れていた、結構ちゃんと読んでいたのかしら。
 予備校時代にこの先生から教えられた現代文の条件というのが、具体的な「数字」「人」「場所」を書くこと。そして、世の難しくて理解し辛い文章は「君たち」のせいでなく、その文章が悪いのだ、なにより事大主義を戒めた。私には、松浦武四郎とともに予備校の「恩師」の教えがいまでも拠[よりどころ]である。

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Posted by (蚕) at 23:59  |Comments(0) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月17日

松浦武四郎『近世蝦夷人物誌』

1858(安政5)年成立、1912(明治45/大正1)年雑誌『世界』に公表 現代語訳:更級源蔵・吉田豊『アイヌ人物誌』(1981年農山漁村文化協会・人間選書47/2002年平凡社ライブラリー423)


ezojinbutuden 書体雅ならず、俗ならず、文を餝らず、
 唯其信をしらさんと欲せばなり

私の文章訓である。松浦武四郎の『近世蝦夷人物誌』初編冒頭凡例の中の一節だ。10年前に買った共同通信社『記者ハンドブック第7版』の見返し裏に書き付けてある。
 このハンドブック、職場の20人ほどで本を作ることになったとき、文章には素人の執筆者連中に編集担当から参考にするようにとお達しがあった一冊だったが、今ではほとんど利用することもない。
 ただ武四郎のこの言葉は、いまでも仕事で一般向けの情報雑文を書かなければいけないときに、まず初めに読み返す。

私が北海道に移り住んだ時、まず気になったのはアイヌの人たちのこと。ほとんど知識もない状態でアイヌモシリの地を踏んでいいのか、ということだった。せめてもと、いくつかの本を手にするうち、アイヌジャーナリズム蝦夷操觚界は、その名も北海道人なる雅号を持つ松浦武四郎をもって嚆矢とする、と知った。

正直に言うと、この『人物誌』の現代語訳や、丸山道子さん訳の『日誌』数冊を買ったものの、いづれも拾い読みだけで、いまだ読み通していない。なぜか読み進めず、うつうつしていたところ、花崎皋平『静かな大地-松浦武四郎とアイヌ民族』(1988年岩波書店刊行/1993年同時代ライブラリー162)に出会い、一気に読んだ。そこには「ただ真実を伝えたいと考えたためである」とアイヌのおかれた現状を真摯に伝えようとするルポルタージュ作家の姿、アイヌとの交流が今によみがえるかの如く描かれていた。「静かな・大地」とは、「モ・シリ」の和訳である。私の「心の泣き本」のひとつとなった。

武四郎は『人物誌』凡例に、こんなことも書いている。
「なお、本書には若干の絵を加えてある。これは拙い文章を補うためと、蝦夷嫌いのお役人が見られるときの欠伸[あくび]どめになろうかと考えたためである。」
これまた、私は忠実に従い、その目的で、ちょくちょくこの手を使っている。
Posted by (蚕) at 23:59  |Comments(1) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする