2006年02月28日

網野善彦+宮田登「歴史の中で語られてこなかったこと」

副題:おんな・子供・老人からの「日本史」、洋泉社、 新書y050 2001年12月21日発行 初版(初出:1998年 洋泉社)

このあいだ(2006-02-17)、TVで『鬼平犯科帳スペシャル』(フジテレビ・松竹)の新作が放映されていた。鬼平・長谷川平蔵を演ずる当代中村吉右衛門がインスタントコーヒーの広告*で「違いの分かる男」とされたのは1970年代のことだったようだが、私はそれ以前からの歌舞伎役者としての吉右衛門のファンであった(*新聞一面広告を大事に取ってあったのだが、どこへ行ったやら)。しかし「鬼平」ファンは父の後追い。私が実家を離れてのち始まったTVの「鬼平」を父が毎回楽しみにしていると母から聞いてから、私も観るようになった。

TV版「鬼平犯科帳」は、原作の素晴らしさもさることながら、時代考証の確かさ、丁寧な作り込みで知られる。はたまた、今村昌平監督の『楢山節考』のような映画。そうした良質な時代劇を観ていると、果たして「昔」の庶民は、どんなことを考え、どんな生活をしていたんだろう、という思いが沸いてくる。

落語や杉浦日向子さんの語り描いた江戸庶民が平均像なのだろうか。ぢゃぁ、地方は? 水戸黄門は論外として、まさか「おしん」の世界が_ありきたり_ではなかろう。
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高校三年間、意固地に受験勉強拒否していた私が、この歳になってそれをいくらかでも後悔することがあるとすれば、それは暗記科目である「歴史」の常識が中学生以下であることだ。「地理」は得意科目であったが、「歴史」は受験を目的にでも_学校_時代に強制的に叩き込まなけりゃ、一生頭に入らないのぢゃなかろうか。(そのせいか、所謂大河ドラマは、登場人物や筋を分からずに、たいてい完食しない。)その反動か、どうにも「偉い人たち」の歴史より、庶民の生活が気になるのである。

「どうして日本史の授業や教科書では権力の交代ばかり教えるのだろうか、非常におかしなことです。」とは、民俗学者・宮田登が歴史学者・網野善彦との対談の中で発したことばだが、受験科目「歴史」の中に、私の知りたい庶民の姿はなかった。

民俗学などと云うものがあることも知らなかった学生のころ、柳田國男や南方熊楠はむろん知ってはいたが、柳田は我が故郷南部(岩手)の民話を集めたヒト、熊楠は当時の日本人としては抜きん出た生態学(まともな意味のEcology)的センスの持ち主として、見ているだけだった。一方で私は、そのころ朝日ジャーナルで盛んに採り上げられていた「狭山事件」(被差別部落者冤罪事件)に興味を持ち、そこから庶民を見ようともしていた。また北海道に来てからは、幕末のジャーナリスト松浦武四郎も知る。_いづれも、平均像には近づけないもどかさがあった。

最初にこれは、と思って(勘違いして?)買ったのは、羽仁五郎(『明治維新史研究』岩波文庫青143-1・1978年・初出1932-35年)だったろうか。まったく読まず。つぎは、ずばり『庶民の発見』(宮本常一・講談社学術文庫810・1987年・初出1955-60年)、でも何かハッ!、としない。というか、じつはこれも、ほとんど読んでいない。
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そしてやっと、いまや網野史学、網野史観とまで称される「網野善彦」に出逢う。それは荒川洋治さんのエッセイの中だった。網野の代表論文『無縁・公界・楽』が紹介されている。のちにそれもエントリーされる平凡社ライブラリーには、庶民学がわんさと収まっていた。しかし、これら学術論文群は、私にはいささか手に余った。

それで、ぐうぜん書店で目にしたのが、さきほどの宮田登氏との対談集「歴史の中で語られてこなかったこと」、新書という手軽さもあったが、なにをさておき、そのタイトルがとりもなおさず、私の探していたもの、ずばりであった。

のっけからアニメ映画『もののけ姫』、うむうむ、そうかそうか。そして、次ぎに来たのがなんと「蚕」と「桑」の話し。もう、因縁を感じざるを得ない。(ここで、藝術作品ではないこの本を我がブログ「蚕の桑」に特別登場させる決意をする!(笑))

ところが、この二人の対談は、私のような素人を置いてけ堀に、専門用語が注釈なしにぽんぽん飛び出し、次第に読み進むのがつらくなってきた。それで、途中、『日本の歴史をよみなおす(全)』(網野善彦・ちくま学芸文庫2005年・初出1991/1996年)に移り、先にこちらを読み終わり、網野史観の概略を掴み、さらには、三國連太郎・沖浦和光対談『「芸能と差別」の深層』(ちくま文庫2005年・初出1999年)あたりもうろつき、以前読んだ『放送禁止歌』(森達也・知恵の森文庫2003年)や養老孟司・甲野善紀**『古武術の発見-日本人にとって「身体」とは何か』(知恵の森文庫2003年・初出1993年)を読み返したりした。
(**:この二人、「ベストセラー作家」だが、本業はよく分からない。養老は、私はこの本しか読んだことがない!が、解剖学者としてはよく知らないし、甲野は「武術研究家」と名乗っていて、文字どおりで偽りなく、決して「武術家」ではないそうだ。)
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「網野善彦」でAmazonの著者検索をかけると、273件ヒットする。惜しくも、網野先生も宮田先生も物故された(不謹慎ながら、著作がこれ以上増えないことに安堵するヤカラがいるに違いない、それほど、網野史観は危険だ)。それにしても、膨大な著作のすべてが「当たり」で、読む価値あり、と云うヒトもいる。これからも、私の網野史学探訪は「歴史の中で...」を手がかりにつづくことだろう。

ところで、この対談集の後ろの方に、渋沢敬三のことが出てくる。戦前、日銀総裁も務めた財界人にして民俗学者。渋沢の民俗学者としての仕事が、じつは、今の私の仕事にある意味たいへん近いところにあることを知って驚いた。

さらに、ここ数年、私が1年に1回は必ず利用する三沢空港の近くの、リゾート観光地としては比較的有名な古牧温泉が、渋沢敬三と関わりがあり、その敷地内にある小川原湖民俗博物館は、渋沢民俗学を継承するもので、国内の民間民俗博物館としては有数の規模らしい。じつは(「じつは」が多く、因縁奇縁のるつぼだ)、再来週、三沢に出かける、是非ともその博物館に寄るとしよう。
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「鬼平」を好んだ認知症の父だが、正月に続いて、2月初めにも様子を見て来た。初めて、ショートステー初日に付き添い、施設を見学した。
ステーのあいだは、施設貸与の衣服にすべて着替える、私物はいっさい持ち込めない。同居者間の盗難トラブル防止のためであるが、初めての私にはまだ心からは理解しきれなかった。
父の裸姿は痩せて、いたいたしかった。今回の「鬼平」は、果たして観ただろうか。
Posted by (蚕) at 23:59  |Comments(8) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お久しぶりです。
いつも楽しく読ませていただいております。
じつは「鬼平―」は観たことがないのですが、数年前『座頭市』(北野武監督)を観終わった後に、同じように庶民の生き様とでもいうものに強く心を惹かれたことがあります。
支配者が作ってきた(ということになっている)歴史の陰で、それに翻弄されつつも実は独自に受け継がれてきた庶民のエネルギー。本当はこういう人たちが歴史を作ってきたのかもしれないと、まるで心理を発見したかのように(笑)ホクホクしながらクレジットを眺めていたのを憶えています。

・・・何だかちょっとズレてるでしょうか???
その上そう思った割には、その後の行動にさっぱり繋がらないところがまた・・・(^^;)
Posted by freefloating73 at 2006年03月07日 08:53
こんにちは!!
自分恥ずかしながら江戸時代どころか近代史だってまともに理解出来てないです。
近ごろ戦前の映画をよく観るのですが自分が想像していたよりずっと進んでました...文明が(笑)
時代劇を見てても実在した人物なのか、それとも架空の人物像なのか解らなくなってくる時があるのも我ながら情けないですねぇ。
ところでねずみ小僧って本当に居たんでしたっけ?(笑)
Posted by MansaQ at 2006年03月07日 12:29
ff73さん(いや、めんどうくさいんぢゃなくて、愛称で...(汗))

こちらこそご無沙汰してます。
わたしも、ff73さんの硬軟取り混ぜた記事や、コメント仲間のみなさんの掛け合いを楽しませていただいています。

やっぱ庶民としては、庶民の歴史が気になりますよぉ。
でも、ついこのあいだまで騒がしかった天皇の皇位継承問題とか、
科学的に突っ込む網野史学は、危険がいっぱいです。
Posted by (蚕) at 2006年03月07日 12:37
おー! MansaQさん、こんな記事にまでコメントしていただいて
どうもどうもです。

あわてて、いまネット検索しちゃいましたよ(昼休みとはいえ、仕事場のパソコン使ってていいのか... ま、いいや)!
鼠小僧は、長谷川平蔵が亡くなって2年後に産まれてるんですね!
(あわてて探したから、違ってたらすみません)

ドラマの中だけでも、対決しませんかね、
そこまでやると、早坂暁「天下御免」風かな?
Posted by (蚕) at 2006年03月07日 12:51
いや〜要らぬ事でお手を煩わせちゃって、どうもすみませんでした。
でも鼠小僧も鬼平も実在してたんですねー、またひとつ勉強になりました。ありがとうございます。

>早坂暁「天下御免」風かな?
「♪月はぁ〜東にぃ 日は西にぃ…」でしたっけ...あ、すみません自分で調べます(笑)
あの番組面白かったですよね。そう言えば津坂匡章が「○×?小僧」とかって役柄だったですね。
Posted by MansaQ at 2006年03月08日 14:41
「天下御免」
たしかに、面白かったですねぇ、
痛快コメディ時代劇、とでも云うんでしょうか、
現代風刺も入ってたりで。
ワクワクしながら観てました。

ときどきNHKで、平賀源内役の山口崇さんが家庭用デッキで録画したとか云うVTRが流れますが、
あれがまた余計に、かなわぬ再放送願望をかきたてるんです。

「なんとか小僧」で、記憶に残るのは、
黒人違法入国者(?)の肌の色を「うらやましいねぇ」っていう場面、
黒人は最初、偏見と思って、悲しい表情をするんだけど、
「黒は忍びの色として最高」とかなんとか「小僧」が絶賛するのね、
で、黒人が照れる、という、
いいシーンでした。
Posted by (蚕) at 2006年03月08日 15:07
何回もお邪魔してすみませんですm(。。;)m

>黒人が照れる、という、
>いいシーンでした。
自分そのシーン覚えてないんですけど本当にいい話ですねぇ。
ポリティカルコレクトって言うんでしょうか、あれも元々の意味を考えれば正しいことのようにも思えるのですが世の中いろんな考えの人が居ますものねー。同じ言葉をかけられても喜ぶ人もいれば怒る人もいるし。
でも一番怖いのは「臭いものにはフタ」式で言葉と共にその存在自体を無視してしまう世の中になることだったりして...
ありゃりゃ柄にも無いことを口走ってしまいました(^^;)
ホントは「違いの分かる男」のCMでスキャットしている“伊集加代子が好き”って事お伝えしたかった…って、それもかなりハズしてますが(笑)
Posted by MansaQ at 2006年03月09日 12:06
>何回もお邪魔してすみませんです
 なんどでも、どうもどうもです。

>でも一番怖いのは「臭いものにはフタ」式で言葉と共にその存在自体を無視してしまう世の中になることだったりして...
 私のこの記事の中に出てくる『放送禁止歌』には、そんなことがいっぱいです。マスコミは、とにかく_そういう_ことには思考停止に。たとえば、赤い鳥の「竹田の子守唄」が放送されないのは、解同の圧力だ、となる。あそこの抗議はすさまじくて、とても耐えられない...といった、事実無根のまことしやかな伝説として受け継がれているのだそうです。

って、私もこれ以上は、...(すたこら、さっさ...

それよりなにより、またまたネット検索しちゃいました「伊集加代子」(昼休みとはいえ、...(笑い)、勉強になります!)
♪ダバダ〜〜 ゥーぅー ダバダ〜〜 ゥぅぅー です(?)ね?
おー、これぞ「違いが分かる」ですねぇ。
音楽業界、まったく不得手なんですが、バックコーラスとか伴奏屋さん(?)とか、あの淡々と仕事をこなす姿、プロフェッショナルに徹してるというか、職人芸というか、ある種しびれるものがあります。私も藝があれば、な、ぁ、...
Posted by (蚕) at 2006年03月09日 12:51
 
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