2005年11月17日

松浦武四郎『近世蝦夷人物誌』

1858(安政5)年成立、1912(明治45/大正1)年雑誌『世界』に公表 現代語訳:更級源蔵・吉田豊『アイヌ人物誌』(1981年農山漁村文化協会・人間選書47/2002年平凡社ライブラリー423)


ezojinbutuden 書体雅ならず、俗ならず、文を餝らず、
 唯其信をしらさんと欲せばなり

私の文章訓である。松浦武四郎の『近世蝦夷人物誌』初編冒頭凡例の中の一節だ。10年前に買った共同通信社『記者ハンドブック第7版』の見返し裏に書き付けてある。
 このハンドブック、職場の20人ほどで本を作ることになったとき、文章には素人の執筆者連中に編集担当から参考にするようにとお達しがあった一冊だったが、今ではほとんど利用することもない。
 ただ武四郎のこの言葉は、いまでも仕事で一般向けの情報雑文を書かなければいけないときに、まず初めに読み返す。

私が北海道に移り住んだ時、まず気になったのはアイヌの人たちのこと。ほとんど知識もない状態でアイヌモシリの地を踏んでいいのか、ということだった。せめてもと、いくつかの本を手にするうち、アイヌジャーナリズム蝦夷操觚界は、その名も北海道人なる雅号を持つ松浦武四郎をもって嚆矢とする、と知った。

正直に言うと、この『人物誌』の現代語訳や、丸山道子さん訳の『日誌』数冊を買ったものの、いづれも拾い読みだけで、いまだ読み通していない。なぜか読み進めず、うつうつしていたところ、花崎皋平『静かな大地-松浦武四郎とアイヌ民族』(1988年岩波書店刊行/1993年同時代ライブラリー162)に出会い、一気に読んだ。そこには「ただ真実を伝えたいと考えたためである」とアイヌのおかれた現状を真摯に伝えようとするルポルタージュ作家の姿、アイヌとの交流が今によみがえるかの如く描かれていた。「静かな・大地」とは、「モ・シリ」の和訳である。私の「心の泣き本」のひとつとなった。

武四郎は『人物誌』凡例に、こんなことも書いている。
「なお、本書には若干の絵を加えてある。これは拙い文章を補うためと、蝦夷嫌いのお役人が見られるときの欠伸[あくび]どめになろうかと考えたためである。」
これまた、私は忠実に従い、その目的で、ちょくちょくこの手を使っている。
Posted by (蚕) at 23:59  |Comments(1) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 松本十郎を追いかけている74歳です。松浦武四郎の描いたものを事実とは違うとしたアイヌと「石狩十勝水源探査紀行」にあります。
 松本十郎が開拓使をもう辞めると決意した後に、これだけは日本人としてやっておかなければならないとしてやり遂げた仕事でした。当時、ロシアだけが北海道をねらっていたのではありません。ガストネル兄弟が母国のプロイセン皇帝に建言して、肥沃で易い北の大地を全部買い上げてもらおうとした話があったようです。アメリカからの多数の開拓顧問は鉱石の発見について多く語り、私欲の強い榎本等とつながることを察したからです。事実榎本は蝦夷共和国としてスネルに三百万坪租借したでしょう。松浦の現実把握の浅さ、虚述を見抜いてください。
Posted by 塩野俊恭 at 2011年02月17日 16:29
 
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