2005年12月08日
『鹽竈神社』
創建不詳(奈良時代?) 宮城県塩竈市 式外社にして陸奥国一宮の一
東北仙台から西に延びる鉄路が仙山線、車道も迂回する国境の峠は長いトンネルとなり、抜けると山寺である。一方、東に延びるのは仙石線、日本三景の一、松島海岸の渚のキワを走る。元禄の世、松尾芭蕉は山寺で名句、閑けさや岩にしみ入る蝉の声」を物するが、その半月前、松島を前にしては文字どおり絶句した。
その松島へ芭蕉は、鹽竈神社の門前から船で出向いた。そう、当時は石鳥居まぢかに海がせまり、鹽竈様は海業の守り神たるにふさわしく鎮座していたのだ。(写真:鹽竈神社創建当時のまま、といわれる参道、七曲坂)
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かれこれ20年(いやはやなんと)、今のツレアイと結婚して。(それはいいとして)大半の日本人と同様に生まれながらの「仏教徒」ながら、結婚式は神前で、と考えていたが、はて、待てよ、とさらに考え込んでしまうのは私の悪いクセ、考えたとて結局休むに似たりの結論しかないのだから。
さてもさても、神前結婚式とは、なんぞや(そのまえに、結婚とはなんぞや、から始まるのだが、そこは、東北の古い言い伝えのとおり、話早いとこ、小豆餅熱いとこ...)。
そもそも蝦夷[エミシ]と蔑称された者たちの子孫(かどうか定かでないが)としては、ヤマトの宗教施設でヤマトの神の前で、というのは、どないなものかいな、とも思いつつ...
そこは、それしかなければサントリーでも飲んじまう、いい加減さで...
結局、盛岡生まれの私は、宮城生まれのツレアイに敬意を表し(?)、陸奥国の一之宮とされる、鹽竈神社で式を挙げた。
国を代表する神社が一之宮と称されるわけだが、この鹽竈神社、たしかに石鳥居の額には、でっかく「陸奥国一宮」と書かれてはいるものの、なにやら怪しいのである。平安時代の重要神社名鑑、御上認定神社リスト(延喜式神名帳)に載っていない。しかし、国からの玉串料は群を抜いていた、この矛盾、ミステリー、なにか裏にある...
祭られているのは、鹽土老翁神{シオツチオヂノカミ}(塩爺)、武甕槌命{タケミカヅチノカミ}(雷男)、経津主神{フツヌシノカミ}(剣豪)の三体。
雷男は鹿島(茨城)、剣豪は香取(千葉)の地元の神。古くから「神宮」と称されたのは、三重のThe神宮と鹿島、香取のみという、ヤマト八百万の神の中でも最重要神である。地理に詳しい塩爺に連れられ、東北に来て仕事を果たした二神は故郷に帰ったが、塩爺は居着いて鎮座した、といったところか。また、ヤマト王権の支配の端っこの東北に居たのが端っこ神こと志波彦神。端っこ神は、明治の御代に塩竈に引越して来たが、まずはこれらの協力のもと東北もヤマト王権の支配下になったのだろう。
で、地元端っこ神を祭った志波彦神社は、くだんの御上認定重要神社リストに載っているのに、鹽竈神社は外れている。それは、...このシオガマ神社は、もともとエミシ信仰の森山だったのが、ヤマトに乗っ取られたんぢゃないのだろうか。そんな夢想もしつつ。
マツロワヌ民の末裔として(なんのこっちゃ)は、虎穴に入る気分で式を挙げた。ところで、ここでは、契りの誓いの詞を新郎新婦ではなく、仲人が読み上げる。で、本人たちはかなり気が楽、お神酒を飲むくらいが仕事。あとは、ちょっと愉快なお神楽を拝見でもしている間に終わる。そのあと境内を行列するのが、ちと照れくさい、といいつつ、結構にやけたり、していた(どこが虎穴に入る気分なのやら)。挙式料五万円から、となっております。
東北仙台から西に延びる鉄路が仙山線、車道も迂回する国境の峠は長いトンネルとなり、抜けると山寺である。一方、東に延びるのは仙石線、日本三景の一、松島海岸の渚のキワを走る。元禄の世、松尾芭蕉は山寺で名句、閑けさや岩にしみ入る蝉の声」を物するが、その半月前、松島を前にしては文字どおり絶句した。
その松島へ芭蕉は、鹽竈神社の門前から船で出向いた。そう、当時は石鳥居まぢかに海がせまり、鹽竈様は海業の守り神たるにふさわしく鎮座していたのだ。(写真:鹽竈神社創建当時のまま、といわれる参道、七曲坂)
--かれこれ20年(いやはやなんと)、今のツレアイと結婚して。(それはいいとして)大半の日本人と同様に生まれながらの「仏教徒」ながら、結婚式は神前で、と考えていたが、はて、待てよ、とさらに考え込んでしまうのは私の悪いクセ、考えたとて結局休むに似たりの結論しかないのだから。
さてもさても、神前結婚式とは、なんぞや(そのまえに、結婚とはなんぞや、から始まるのだが、そこは、東北の古い言い伝えのとおり、話早いとこ、小豆餅熱いとこ...)。
そもそも蝦夷[エミシ]と蔑称された者たちの子孫(かどうか定かでないが)としては、ヤマトの宗教施設でヤマトの神の前で、というのは、どないなものかいな、とも思いつつ...
そこは、それしかなければサントリーでも飲んじまう、いい加減さで...
結局、盛岡生まれの私は、宮城生まれのツレアイに敬意を表し(?)、陸奥国の一之宮とされる、鹽竈神社で式を挙げた。
国を代表する神社が一之宮と称されるわけだが、この鹽竈神社、たしかに石鳥居の額には、でっかく「陸奥国一宮」と書かれてはいるものの、なにやら怪しいのである。平安時代の重要神社名鑑、御上認定神社リスト(延喜式神名帳)に載っていない。しかし、国からの玉串料は群を抜いていた、この矛盾、ミステリー、なにか裏にある...
祭られているのは、鹽土老翁神{シオツチオヂノカミ}(塩爺)、武甕槌命{タケミカヅチノカミ}(雷男)、経津主神{フツヌシノカミ}(剣豪)の三体。
雷男は鹿島(茨城)、剣豪は香取(千葉)の地元の神。古くから「神宮」と称されたのは、三重のThe神宮と鹿島、香取のみという、ヤマト八百万の神の中でも最重要神である。地理に詳しい塩爺に連れられ、東北に来て仕事を果たした二神は故郷に帰ったが、塩爺は居着いて鎮座した、といったところか。また、ヤマト王権の支配の端っこの東北に居たのが端っこ神こと志波彦神。端っこ神は、明治の御代に塩竈に引越して来たが、まずはこれらの協力のもと東北もヤマト王権の支配下になったのだろう。
で、地元端っこ神を祭った志波彦神社は、くだんの御上認定重要神社リストに載っているのに、鹽竈神社は外れている。それは、...このシオガマ神社は、もともとエミシ信仰の森山だったのが、ヤマトに乗っ取られたんぢゃないのだろうか。そんな夢想もしつつ。
マツロワヌ民の末裔として(なんのこっちゃ)は、虎穴に入る気分で式を挙げた。ところで、ここでは、契りの誓いの詞を新郎新婦ではなく、仲人が読み上げる。で、本人たちはかなり気が楽、お神酒を飲むくらいが仕事。あとは、ちょっと愉快なお神楽を拝見でもしている間に終わる。そのあと境内を行列するのが、ちと照れくさい、といいつつ、結構にやけたり、していた(どこが虎穴に入る気分なのやら)。挙式料五万円から、となっております。
この記事へのコメント
私のこの記事が、塩竈をテーマにしたあるブログで
2カ月も前に紹介されていたのを今日、知りました。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/39756/2136137#2136137
(わー、塩竈にも親戚、知り合いが結構居るので、チョー暇な人ならリンクをたどって、(蚕)が「私」だって探し当てるかもー、ってそんな確率はかなり低いベー)
あのー、記事のなかで、「ちょっと愉快なお神楽」ってのが
誤解されるといけないので、おことわりを追記しますと、
お神楽自体は、生バンドの雅楽に巫女さんのちゃんとした(?)お神楽でした。
なぜ「愉快」なのかは、観てた我々、列席者の感性の問題(?)でして、ここでは省略。
ひとつ「チョー暇な人」へのヒントは、アフリカのとある国名、とだけ。
2カ月も前に紹介されていたのを今日、知りました。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/39756/2136137#2136137
(わー、塩竈にも親戚、知り合いが結構居るので、チョー暇な人ならリンクをたどって、(蚕)が「私」だって探し当てるかもー、ってそんな確率はかなり低いベー)
あのー、記事のなかで、「ちょっと愉快なお神楽」ってのが
誤解されるといけないので、おことわりを追記しますと、
お神楽自体は、生バンドの雅楽に巫女さんのちゃんとした(?)お神楽でした。
なぜ「愉快」なのかは、観てた我々、列席者の感性の問題(?)でして、ここでは省略。
ひとつ「チョー暇な人」へのヒントは、アフリカのとある国名、とだけ。
Posted by (蚕) at 2006年02月19日 13:00

