2006年05月06日

Blogのlog:藤原因香「たれこめて春のゆくへも知らぬまに待ちし櫻もうつろひにけり」

藤原因香作 古今和歌集千百拾一首の一、巻二(春下)

二十年ぶりに仕事で生き物を飼う事になった。

二十年前の私と云えば学生であり、死なせても自分の論文が書けなくなる」くらいの事だったが、社会人ともなると責任があり、気が抜けない。大学のある先輩は年末年始に産卵する魚がテーマで、自ら選んだとは云え、ご愁傷様ながら正月休みがなかった。いまの職場では出番表なる、休日に交代で出勤する者の氏名一覧表があったりするのである。
今の私は、あまりに素人ゆえ、まだ見習い。いまのところ、たいした責任は負わされていない。ということで、出番表から外され、この大型連休は暦どおりに休みで、おかげで引っ越し荷物の片付けがようやく終わりそうだ。

流氷の町から鉄の町に引越して、はやひと月がたった。生き物相手を本業とする身としては季節に敏感であるはずなのだが、花のことなどすっかり忘れていた。(もっとも、学生時代で私の飼育センスのなさは痛感していたのだが。生き物を飼うって云うのは、天性の才能で、センスの有る無しの事象なのである。)5月6日、きょうは、立夏、暦の上では夏とか。北海道の桜は、これからである。

引っ越し荷物の紙屑的資料の中から、30年むかしの私が書いた、因香「たれこめて」をもじった戯れ文を見つけた。どうも文章にも進歩がなく愕然とする。
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「巻頭のことば

 たてこめて、秋の行方も知らぬまに、木々の葉は紅く色づき舞ひ散りて、気が付くと弱々しい太陽が裸の枝を包んでゐた。それもまた風流だと昔の人は言った。
 ところが、今年は、じっと紅葉の時期をうかがってゐた人達にも木々の葉は、なんとなく紅くなり、なにとはなく散り始め、いつのまにやら散り終はってゐたらしい。今か今かと意気込んでゐた人達に肩透かしをくはせた今年の木々たちもまた、風流と言へようか。しかし、忙しい都会人の目には、自然もまた、己のスケジュール通り運んでくれない、と「異常」に映るらしい。「忙しい」とは、心を亡くすと書くさうな。
 けれど、暖かい師走に人工雪を降らせる『東京』って街も、それはそれなりにいとほしく思へるのだが...」

初出:1977年12月25日発行「雲古」通巻6号(オンコリンカス出版)
 
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