1951年、神奈川県鎌倉市出身。父方の祖父はアイルランド人、祖母はユダヤ系ポーランド人、母は日本人。
生後間もなく東京に移住。17歳で独立。
1968年、故寺山修司主宰の「演劇実験室 天井桟敷」に入団。その年の夏、東京厚生年金会館にて「書を捨てよ町へ出よう」で初舞台を踏む。
1969年、「時には母のない子のように」で歌手デビュー。
1972年、「カルメン・マキ&OZ」結成。75年、ファーストアルバム「カルメン・マキ&OZ」とシングル「午前1時のスケッチ」を発表。
1975年、来日した「ジェフ・べック・グループ:注1」、「グランドファンクレイルロード:注2」のサポーティングアクトを務める。
1977年、ライブ盤を含む4枚のアルバムと3枚のシングルを残して解散。
その後も「カルメン・マキ&LAFF」「カルメン・マキ&MOSES」等のバンド活動やソロを通じ日本における女性ロックシンガーの第一人者として活躍する。
2000年、来日したカーマイン・アピスとティム・ボカートにCharが加わった「BBA」ならぬ「BBC」のゲストヴォーカルとしてツアーに参加。東京武道館、名古屋、大阪、京都、神戸の各公演に同行する。
2001年以降は、ロックやフォークに捉われずジャンルを超えた新機軸を開発すべく様々なフィールドで活躍するミュージシャン達とのコラボレーションを精力的に展開している。
2003年、鬼怒無月・勝井祐二・芳垣安洋・松永孝義とのユニットで「SALAMANDRE」、
2004年、その「SALAMANDRE」のメンバーを含む、吉川忠英・丸山ももたろうをフィューチャ―したアコースティックアルバム「Another Way」、
2007年、板橋文夫・太田恵資とのトリオでのライブ盤「時には母のない子のように2007」(浅草「アサヒ・アート・スクエア」於)、
2008年、初の全編詩の朗読によるアルバム「白い月」、
2009年、歌手生活40周年を記念して、太田恵資・黒田京子とのトリオに加え、ゲストに佐藤芳明(アコーディオン)吉見征樹(タブラ)を迎えたアルバム「ペルソナ」をリリース。
オムニバス盤、企画盤、ゲスト参加、等含めると、今までに発表した音源は膨大な数に及び、本人が把握しきれないほど数知れず。
注1:メンバーはジェフ・べックの他に、マックス・ミドルトン(Key)、フィル・チェン(B)、バーナード・パーディ(D),
サポーティングアクトは他に「ニューヨーク・ドールズ」「フェリックス・パパラルディ」「イエロー」「クリエイション」「内田裕也&1815ロックンロール・バンド」等(開催地によって変わる)。
カルメン・マキ&OZは後楽園球場(現:東京ドーム)、北海道苫小牧体育館の2ヶ所に参加。
注2:メンバーはオリジナルメンバー。東京武道館2days、名古屋、大阪、京都、の全ツアーに参加。続きを読む
