2009年11月05日
オリヲン座からの招待状 2007 宮沢りえ/加瀬亮
「継ぐ?トヨはんが好きやから、それいがいなにもありません」
「もううち死んでもえぇ」灯が尽きたトヨを優しく抱きしめる留吉、印象的なラストシーンです。泣かせ屋浅田次郎原作、期待を裏切らない作品です。
オリヲン座は、日本で最初に映画館ができた京都西陣にあった。映写技師の松蔵(宇崎竜童)とトヨ(宮沢りえ)が営む街の映画館です。同志社大学今出川を西へ、千本今出川界隈か。流れるフィルムは、「無法松の一生」「二四の瞳」「ひめゆりの塔」「君の名は」など、オールドファンには堪えられない。昭和35年ころです。映画を作る人たち、俳優だけが映画人ではない。松蔵は「映画人」として、観客に作品を届けている。見てくれる人、お客様のために、安心と楽しみを届ける職人だった。妻は映画館の掃除に、切符売りに、売店に汗を流し、二人は似合いの夫婦だった。この映画館に親に先立たれ、気付いた時には「乞食」同然だった17才の青年「松蔵」がやってきた。もちろん映画は好きだけれど、仕事も帰るところない。「僕雇ってくれまへんやろか?」「頼みます、何でもしますよって」、松蔵である、決まりだ。そんなオリヲン座を、遊び場としていた良枝(樋口可南子)のもとに、松蔵の急死で支配人になっていた留吉から「閉館の案内と招待状」が届いた。良枝は、同じ幼馴染祐次と東京で結婚をしていたが、離婚を控えていた。
口さがない町内会の噂「松蔵への妬み」「女将へのあてつけ」で、松蔵の死後客はオリヲン座から遠ざかり閑古鳥が鳴く有様だった。しかし二人は松蔵の遺志をついで、貧乏に耐えながら映画館を守り続けた。その年月は松蔵の10余年をはるかに超え40年近いものでした。気がつけば平成12年、開業50年でした。
年老いた留吉を原田芳雄がが演じる。松蔵の竜童に似てチョイワル風ではあるが風格と優しさが伝わってくる。「そやけど年をとりました。目も悪くなりました。フィルムの借り賃もない、あんパンが3度の飯の時もありましたが、何とか連れ合いとやってきました。閉める、ほかすと同じで映画人のはしくれとしてこんな恥ずかしいことはおまへん。
オリヲン座謝恩最終公演、坂東妻三郎版無法松の一生をご覧ください」、客席は、招待客で溢れていた。
留吉は、3度トヨを背負った。いや出会った時からかもしれない。二人の優しさは、「ハッピバースディ ディア ゆうちゃん」を再び救った。「うち死んでもえぇ」こう言う恋もいい。とめはんの最初で最期の告白だった。優しさに満ち溢れた作品です、宮沢と加瀬を老けさせても良かったのではと思ったが、これも当時の映画作りを踏襲したようです。
その2
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