2010年03月17日
真実の視野
何かを信じたりもせず
また自分や他のひとの価値観を拭い捨てて
ようやくありのままの 存在と世界が見える
存在の自由と幸福
癒えることを願う 心の中で開かれる
真実の視野
ひとの心の醜さを すべてよく見た向こう側に
知らされていた 希望や正しさが
幻想として消え去る向こう側に
隠れた動機や願望もなく 期待する結論もないが故に
存在の理由が 存在から話されるのを見るように
感じるように 理解が生まれ
隠されたものは 何もない
本当の醜さと 本当の光の中で
何をすべきか その時 備わる

また自分や他のひとの価値観を拭い捨てて
ようやくありのままの 存在と世界が見える
存在の自由と幸福
癒えることを願う 心の中で開かれる
真実の視野
ひとの心の醜さを すべてよく見た向こう側に
知らされていた 希望や正しさが
幻想として消え去る向こう側に
隠れた動機や願望もなく 期待する結論もないが故に
存在の理由が 存在から話されるのを見るように
感じるように 理解が生まれ
隠されたものは 何もない
本当の醜さと 本当の光の中で
何をすべきか その時 備わる

2010年02月04日
鬼は誰? 福は何?
故「我らは何者かであるが故に……」
何「節分らしいな……」
故「そうだな……」
何「故は外ぉ〜!! 何は内ぃ〜!!」
(バシバシ!)
故「イテテ! 何しやがるぅ!」
何「ふっふっふ。お前の邪気が落とせるかもしれぬ。豆撒きヒーリングをしてやろう」
故「ふん、セルフ豆撒きヒーリングでもまずはしていろ!」
何「いいだろう……モシャモシャ……」
故「うぬ」
何「おおぉ、高次のエネルギーで癒されるぅ〜」
故「こいつめ〜。オレがやってやる。何は外ぉ〜!!」
(バシバシ!)
何「イデデ! まあこんな具合にだな。何が鬼で何が福かも深く知りもしない意識でやっても、逆に福を叩き潰し、鬼を成長させるものかもしれんっ!」
故「まったくその通りだな。よくわかっているじゃないか。すべての活動にそれが当てはまるな」続きを読む
2010年01月15日
祈りや願いは、はたして美しいものなのだろうか
多くの人々がたくさんの願いや祈りをするものです。
なんとなくかもしれないし、強く特定の結果を信じ続けるものもあるかもしれません。
意識的、または無意識的に抑圧された影の気持ちもあることでしょう。
新しい年を迎えるとき、大勢がお寺などにお参りに行きますね。そして何やら「神のような存在」にお祈りをします。
神(名前は何でもいいですが)を信じるひとは少ないし、知る者、知り始めるひとはますます少ないことでしょう。信じていたとしても何か観念に凝り固まったものや、また誰かが主張することを鵜呑みにしてそのままでいるのかもしれません。
(自分が一人きりになって、冷静に感じ取り、検討し、考える勇気があればいいのですが、なかなかそれができるひとはいないし、それを他者がするのをよしとするひとはいません。むしろされたら困るので、圧倒したがるひとばかりです)
集合意識に飲まれて脳内がコピーペーストされてしまったのかもしれません。
或はお寺に行くのは、おまじないのようなもの、イベントのような娯楽、または暇つぶしかもしれません。宝くじのように、無駄だろうけど、当たるといいなみたいな気持ちもあるのでしょう。続きを読む
なんとなくかもしれないし、強く特定の結果を信じ続けるものもあるかもしれません。
意識的、または無意識的に抑圧された影の気持ちもあることでしょう。
新しい年を迎えるとき、大勢がお寺などにお参りに行きますね。そして何やら「神のような存在」にお祈りをします。
神(名前は何でもいいですが)を信じるひとは少ないし、知る者、知り始めるひとはますます少ないことでしょう。信じていたとしても何か観念に凝り固まったものや、また誰かが主張することを鵜呑みにしてそのままでいるのかもしれません。
(自分が一人きりになって、冷静に感じ取り、検討し、考える勇気があればいいのですが、なかなかそれができるひとはいないし、それを他者がするのをよしとするひとはいません。むしろされたら困るので、圧倒したがるひとばかりです)
集合意識に飲まれて脳内がコピーペーストされてしまったのかもしれません。
或はお寺に行くのは、おまじないのようなもの、イベントのような娯楽、または暇つぶしかもしれません。宝くじのように、無駄だろうけど、当たるといいなみたいな気持ちもあるのでしょう。続きを読む
2010年01月01日
2009年12月23日
2009年12月11日
2009年12月06日
2009年11月21日
2009年11月16日
2009年11月12日
スピリチュアルとは
スピリチュアルだとするひとで
空想や妄想 観念の世界に入り込み
それが心の大部分をしめて 現実や事実から遊離してしまうひとがいる
一方で 現実的に生きるのだと言って
願望実現や社会的成功 金持ちになることなど
物質的な事柄の達成が 第一になるひともいる
両者とも 語る言葉や行いのカテゴリーを見れば 実にそれらしいが
その在り様や生き方 実存を観れば
人間らしい弱さやどん欲さ 自己中心性の意識ばかりであり
どこにも「魂」らしいところがない
そして彼らの言う 愛や癒し 神や天使の意味するところは
そういう次元である
スピリチュアルであるということ 霊的であるということは
こうしたものとはまるで異なったものであるし
実は誰もが こうではないはずだと 深いところで気づいている

空想や妄想 観念の世界に入り込み
それが心の大部分をしめて 現実や事実から遊離してしまうひとがいる
一方で 現実的に生きるのだと言って
願望実現や社会的成功 金持ちになることなど
物質的な事柄の達成が 第一になるひともいる
両者とも 語る言葉や行いのカテゴリーを見れば 実にそれらしいが
その在り様や生き方 実存を観れば
人間らしい弱さやどん欲さ 自己中心性の意識ばかりであり
どこにも「魂」らしいところがない
そして彼らの言う 愛や癒し 神や天使の意味するところは
そういう次元である
スピリチュアルであるということ 霊的であるということは
こうしたものとはまるで異なったものであるし
実は誰もが こうではないはずだと 深いところで気づいている

2009年11月11日
2009年11月04日
高い意識とは
ひとを嘲笑するとき その者が相手より優れていることは少ない
本当に優れているのなら 哀れみを持つだろうし
相手が自分自身になれるように導き 癒す手助けをするはずだから
他者の侮辱に使う 観察力と批判精神があるのなら
自分の内側に対して使う方がいい
自分のどんな醜い部分が それをしているか
それを見つけられるほど 謙虚だろうか
また 他の誰かがそれを見つけて
あなたを嘲笑するとき
そのひとを許すことができるだろうか
自分そっくりの そのひとを

本当に優れているのなら 哀れみを持つだろうし
相手が自分自身になれるように導き 癒す手助けをするはずだから
他者の侮辱に使う 観察力と批判精神があるのなら
自分の内側に対して使う方がいい
自分のどんな醜い部分が それをしているか
それを見つけられるほど 謙虚だろうか
また 他の誰かがそれを見つけて
あなたを嘲笑するとき
そのひとを許すことができるだろうか
自分そっくりの そのひとを

2009年10月22日
魂の表彰を
故「我らは在りて在るが故に」
何「TAKERUのやつは永いこと酷いエネルギーに攻撃され続ける被害にあい、グロッキーなんで、代わりに我々が登場だ」
故「『どんなにいいことをしても悪いものばかりよこすひとが多すぎる、もううんざりした』とナーバスになっていたな」
何「だが、どんなときでも光の部分と闇の部分、両方を見なければならないものだ」
故「闇に包まれている時ほどな」
続きを読む
2009年10月07日
癒しのエネルギー
ひとを癒すために
競争することや勝利すること
自分だけが満たされようとする すべての意識活動を
卒業しなければならない
ひとを癒すとは ひとに強さを与えることだし
自分が必要とされなくなるように 常にすることだから
相手に追い越されることや
より多くが得られないこと
必要とされなくなることを恐れると
その度合いに応じて 癒せなくなる
そう ほとんどのひとが情熱と呼ぶエネルギーとは
完全に異なるものである
霊的なひとは それに添って生きている
他者が満たされ 幸福になることを
本心から祝えるだろうか?

競争することや勝利すること
自分だけが満たされようとする すべての意識活動を
卒業しなければならない
ひとを癒すとは ひとに強さを与えることだし
自分が必要とされなくなるように 常にすることだから
相手に追い越されることや
より多くが得られないこと
必要とされなくなることを恐れると
その度合いに応じて 癒せなくなる
そう ほとんどのひとが情熱と呼ぶエネルギーとは
完全に異なるものである
霊的なひとは それに添って生きている
他者が満たされ 幸福になることを
本心から祝えるだろうか?

2009年10月05日
2009年09月21日
変容の波
ほとんどのひとは 自分が幸福であると思いたくて
本当はよくないと感じているものまで
よいものなのだ すばらしいのだと 自分を納得させようとする
そのために よくないもの 心身に悪い影響を与えるすべてを
持続させてしまう
人間関係もそう
自分が感じなくなっただけ 無視しただけで それは消え去らない
それは概念ではなく 存在だから 消え去らない
「自称の幸福」は ただの思い込みであることが多い
そしてそれ意外を知らないので
有害なものを 大事なんだと抱きかかえ続ける
よくないものを よくないものとして
気づいて 見つめ 対処するには
より自己の奥深いものを 肯定する心が必要である
それは自称の幸福を否定する
真実のために
それを生きる時 やがて心身の幸福・健康もそれに倣っていく
少しずつ しかし大きな 変容の波
自分だとする自分より もっと奥深いところからくる

本当はよくないと感じているものまで
よいものなのだ すばらしいのだと 自分を納得させようとする
そのために よくないもの 心身に悪い影響を与えるすべてを
持続させてしまう
人間関係もそう
自分が感じなくなっただけ 無視しただけで それは消え去らない
それは概念ではなく 存在だから 消え去らない
「自称の幸福」は ただの思い込みであることが多い
そしてそれ意外を知らないので
有害なものを 大事なんだと抱きかかえ続ける
よくないものを よくないものとして
気づいて 見つめ 対処するには
より自己の奥深いものを 肯定する心が必要である
それは自称の幸福を否定する
真実のために
それを生きる時 やがて心身の幸福・健康もそれに倣っていく
少しずつ しかし大きな 変容の波
自分だとする自分より もっと奥深いところからくる

2009年09月14日
同じ意識の深みの中で
どんなすばらしいメッセージも
同じ言葉で まるで浅い意味で語られることもある
それぞれのひとに
わかったと納得しても まるで異なる解釈かもしれない
だから言葉や表現が 本質なわけではない
「イエス」か「ノー」か
「ポジティブ」か「ネガティブ」かも関係ない
「肯定」か「否定」かもどうでもいい
その表現が どの意識から来たかが問題である
大切な 同じ意識の深みの中で
発し手と受け手は出会うだろうか
己の内側は 豊かで深いだろうか
それは光が奥深くまで照らせるほどに
純粋で 透明だろうか
それは霊的と言えるほどの 深みがあるだろうか

同じ言葉で まるで浅い意味で語られることもある
それぞれのひとに
わかったと納得しても まるで異なる解釈かもしれない
だから言葉や表現が 本質なわけではない
「イエス」か「ノー」か
「ポジティブ」か「ネガティブ」かも関係ない
「肯定」か「否定」かもどうでもいい
その表現が どの意識から来たかが問題である
大切な 同じ意識の深みの中で
発し手と受け手は出会うだろうか
己の内側は 豊かで深いだろうか
それは光が奥深くまで照らせるほどに
純粋で 透明だろうか
それは霊的と言えるほどの 深みがあるだろうか

2009年08月28日
2009年08月01日
光の雨
心を癒すとは
今の自分が満足に浸ることを意味するのではない
それは同じ意識フォームのパターンであり
変化も進歩もないのだから
場合によっては 有害な繰り返しかもしれない
心を癒すとは
今までどれだけ捕われていたか わかること
どれだけ苦しみの中 闇の中にいたのかを 知ること
自由になり 今までの不自由さに 気づくこと
そうした中で 何を喜びとするかも変わる
生きる意味や理由も変わる
自分が変わる
しかし変わるほど 本来の心に戻る
心が大人になるほど 純粋に子どものようになる
マイナスな状態をプラスにするというより
マイナスだったものが 活きた道になる

今の自分が満足に浸ることを意味するのではない
それは同じ意識フォームのパターンであり
変化も進歩もないのだから
場合によっては 有害な繰り返しかもしれない
心を癒すとは
今までどれだけ捕われていたか わかること
どれだけ苦しみの中 闇の中にいたのかを 知ること
自由になり 今までの不自由さに 気づくこと
そうした中で 何を喜びとするかも変わる
生きる意味や理由も変わる
自分が変わる
しかし変わるほど 本来の心に戻る
心が大人になるほど 純粋に子どものようになる
マイナスな状態をプラスにするというより
マイナスだったものが 活きた道になる

2009年07月14日
破壊と癒し
ひとを憎むこと 攻撃することは容易である
勘違いでもよく 勝手な価値観でもできるし
相手をよく理解してなくても 自分をわかってなくてもいい
無意識でもできる
事実 無意識的だからできるのだ
無意識であることは破壊に繋がる
だから破壊するひとは「力」があるわけではない
自分らしい意識がないのだから
未熟なほど 破壊的な行いができる
建設的に見える活動をしても 本質は破壊的になる
では癒すときはどうだろうか
生命への正しい感性と理解が必要で
バランスのとれた価値観
相手をよく理解すること 自分を知ること
意識的であること
これがあるほどできる
覚めてなければならない
意識的であることは癒しと創造に繋がる
どんな活動をしているかは問題じゃない
そこに自分があるとき ひとと出会える
自分 真実 創造 愛 癒し
これらが同じところに存在し 同じ側面になる

勘違いでもよく 勝手な価値観でもできるし
相手をよく理解してなくても 自分をわかってなくてもいい
無意識でもできる
事実 無意識的だからできるのだ
無意識であることは破壊に繋がる
だから破壊するひとは「力」があるわけではない
自分らしい意識がないのだから
未熟なほど 破壊的な行いができる
建設的に見える活動をしても 本質は破壊的になる
では癒すときはどうだろうか
生命への正しい感性と理解が必要で
バランスのとれた価値観
相手をよく理解すること 自分を知ること
意識的であること
これがあるほどできる
覚めてなければならない
意識的であることは癒しと創造に繋がる
どんな活動をしているかは問題じゃない
そこに自分があるとき ひとと出会える
自分 真実 創造 愛 癒し
これらが同じところに存在し 同じ側面になる










人生・生命のより高い意義と目的のために芸術を扱うのが好きです。

shuです。うちにも遊びに来て下さい。