2012年02月07日
韓ドラちょびかじ更新情報 2/10
2012年02月06日
「ケトンの月」1話
陰河王朝では本日、政祭殿の広場にてお月見が開かれた。
広場の中央に赤じゅうたんをかぶせた台場が設置されている。その赤じゅうたんは重臣らが座るテーブル席の後ろ側を通って、そのまま政祭殿の壇上へとのぼっていた。
台場の真ん中に冴えないハリボテの大鶏が鎮座する。龍か蛇のうろこに似た羽が1枚1枚くっきり描かれてある。絹地のやわらかな垂れ尾の一部に夕日があたった。
壇上席の王妃の艶やかな服装は、広場からでもよく目立った。肩と胸に厚い金の刺繍がほどこされ、すそに向かうにつれ天の川のように流れていく。花、葉、茎の柄模様に縁どり線はないが、それがかえって、くすんだあかね色の花や白菊、三つ葉のおうど色を、地色に浮かんだように見せた。
王族席には果物の盛り皿、茶器が用意された。
その前側には白布のかかった低い祭壇があり、栗、柿、稲穂、さつまいも、小豆、生魚のお供えの他、月光浴のため三種の神器を納めた玉手箱が3つ置かれた。
どれも漆の箱に紫のヒモを結びつけ、フタは閉じられたままだった。
日が暮れるにつれ、辺りがしんしんと暗くなっていく。
奥の山と思って眺めていたのは、巨大な雲が暗い影になったものだとイコク王は気付いた。
渡り鳥の声が急にうるさくなり、何人かが天や宙を見た。ついで城内の森へも目をやってみたものの、渡り鳥の姿はなく、声ばかりが不気味に響いた。
王様は気になってしつこく空を見まわした。そうして渡り鳥の群れが急カーブを描いて遠くへ飛んで行くのを見つけ、ようやく安堵したのである。
「今宵は日頃の喧騒を忘れ、名月を楽しむひとときである。三種の神器は月の力に満たされたのち、本日より宝剣のみを東宮殿へ移すこととする。信頼する皆の力添えによって王子が将来、陰河王朝の繁栄を築くことを願うばかりである」
最近、王宮殿へ怪しい者が侵入したとの報告が度々起きており、後世へ継承されるべき大切な宝物を分けて保管するのは、保安の意味も兼ねていた。
しかし祭事の前のこともあってか、ほとんどの説明は省かれた。
重臣席から地響きのようなざわめきが徐々に沸き起こった。このまま王様の宣言を聞き流すことに、皆は何かしらの心残りを感じたのだ。かと言って何を聞いたらいいのかすぐには思い浮かばないで、他の誰かが重要な質問をしてくれることを、それぞれが期待して待った。
このまま何の進展もなく終わるのだろうと何となく予感していたところへ、とつぜん王の娘婿であるパン・ダンが席を立ち、壇上の王様に声を張りあげたのであった。
「なぜこの時期に宝剣を王子に譲渡するか、はっきりとした理由をおうかがいしたい!」
会場内にパン・ダンの太い声が降り注いだあと、数秒ほどの間があいた。
「パン・ダンは場をわきまえよ。この場において話すことは何もない」
王様はぴしゃりと言い返したものの、一瞬でも言葉を失った事実は隠せそうになかった。
重臣らの耳にはパン・ダンの大声に比べたら、まるで僧侶のように聞こえた。だいぶん年を取って声帯が衰えはじめたせいもあるだろう。
「しかし、このような場で突然に発表されたのは王様の方です。神剣を移されることの理由は当然、説明すべきではありませんか?」
王様は再び言葉を失った。それよりパン・ダンが公の場でもっとまずいことを喋りだしやしやしないか肝を冷やした。パン・ダンは予測できない男だった。これらの発言に対して王妃がすでに不快と不安をあらわにしているのも気にかかる。
王様はおつきの内官に目で合図を送った。するとおつきの内官は小走りに宣旨署の最高上官へ、何やら耳打ちをしたのだった。
次の瞬間、宣旨署の最高上官は壇上から声をあげた。
「はじめよ!」
コトン、コトンと滴が垂れるようなテンポで、寿楽院の演奏がゆったり流れ、広場の台場に6名の舞女が登場した。
パン・ダンはなすすべもなく席に腰をおろした。
赤いさざんかを生けた白地の小瓶を邪魔に思い脇にどけ、白磁の器を指でつまんで甘茶をすすった。酒がないのが不満だった。
「ひとまず棚上げですな…」
パン・ダンの背後で重臣らがささやき合っているのが聞こえる。
いつの間にかハリボテの大鶏が内側から灯っていた。暗闇にポッと浮かんだ黄色やオレンジの強烈な明るさが、どこか人々の心を安堵させた。皆は一様に舞女へ目をやった。
編み髪を後ろで一つにまとめ、若過ぎずそう年でもない油ののった女たちだった。色とりどりの提灯の列で作られた台場の屋根が、いっそう女らを惹きたてた。
女は長いリボンと、もう片方の手にでんでん太鼓を持っている。リボンが文字を描くように交差し、でんでん太鼓の糸先の玉は飛び跳ね、パチパチと音をかき鳴らした。
女らの白い衣と幅広の袖のすそに、内着の3色の重なりが品良くのぞく。くるくる回るたびに衣のスリットが激しくねじれ、勢いよく巻き戻った。内側に何枚も違う色のスカートが隠れているのが観客の目にもわかった。女らは巻き上がる風ように回り続け、ときにはそれが花のようにも見えた。
ほとぼりが冷めた頃を見計らって、隣の席の男とその周辺の重臣たちが、パン・ダンの背を指でトントン叩いた。
自分の姪に王の側室を持つキム・ヒョインは、特に心配症の一面を顔に滲ませ、こう尋ねた。
「なぜわざわざ神器を分けられるのでしょう…?」
「分けるべき理由が出来たとしか思えん。王子の他に神器を与えたい者がいるのだよ」
と答え、パン・ダンは口端に深いえくぼを作って、喉の奥から抑えた笑い声を漏らした。
「それが王様のご本心と? 神玉は琥珀の指輪だと聞いていますが。…まさか犬女に与えるわけにもいきますまい」
「あるいはその子が問題であろう」
「えっ? では王様は犬女の赤子を世継ぎに考えているとでも…?!」
「将来可能性も無くはない。だから俺は心配しているのだ」
パン・ダンは言葉を荒げた。この見解にはさすがに重臣らも凍りついた。
犬女は画家チャン・ミンホの娘を指し示す隠語である。王様との間に子が誕生したというのは、もはや噂というよりも、まぎれもない事実として重臣の間で信じられた。
踊りが終わって舞女がさがると、入れ替わり今度は前掛け姿の菓子職人らが登場した。
1枚の花のように飾った1000個の月餅の大皿を抱え、3人かかりでそろりそろりと壇上まで運ぶのを、王様や王子や王妃や重臣らが興味深そうに見守った。
花びら8枚が浮き彫りになった月餅は、月明かりでいっそう照り輝いた。盛り上がった線は焼き色が濃く、へこんだ部分は薄黄色かった。
そり返る2階建て屋根の政祭殿の裏庭で、一般から招待された子供ら56名が待機していた。それらが年配の尚宮と女官らの導きによって入場した。
刺子の厚い着物の子もいれば、薄っぺらな着物1枚のもいる。男の子も女の子も編み髪を1本、背中に垂らしていた。男の子は衣にズボン、女の子は短い衣を胸のリボンでしめつけ、幼子のお腹に合わせスカートがぷっくり膨らんで見えた。すべて王子と同じ年頃の5歳の子供たちであった。
彼らは今晩だけ特別に、袋を逆さにしたような紙帽子をかぶった。
子供たちが赤じゅうたんに沿って短い石段をあがり、壇上に広がる石タイルのデッキへたどり着くと、職人が1つずつ月餅に薄紙を敷いて配りはじめた。しかし月餅を貰うため列を作っていた子供は、早くも待つことに飽きたようだった。
やんちゃな男の子が前の子の紙帽子をずるりと脱がしたのを皮切りに、あれよあれよと言う間にいたずらの輪は広がっていった。
子供らはきゃっきゃとはしゃいで、まるで収拾がつかない。若い女官らはそこら中を駆け回る子供にオロオロした。
王子もいつの間にか紙帽子をかぶり、子供と走りまわっている。王子の立派な絹ずきんは誰か別の子供がかぶって、果たしてどれが王子なのか見分けがつかない有り様だった。
行き過ぎの事態に、王妃はもちろんのこと王様さえ危惧を感じ始めたとき、王子の世話役の60歳近い年配尚宮が、とつぜん王子の後ろえりをぐいとつかんで、集団から引っ張り出した。
「王子様がそのようでは、いっこう示しがつきませぬっ!」
尚宮は腫れぼったい目で王子を厳しく戒めた。
王様はこの尚宮を信頼しているらしく、納得したように小さく頷いてみせた。王子の方も照れ笑いをするばかりであったが、王妃はこうも堂々と皆の前で我が子を叱りつけられては、あまり面白くないという顔をしてみせた。
王子はかつて自分の乳母であったモスリが壇下に控えているのに気付いて、嬉しそうに目を合わせた。するとモスリもこっそり微笑み返した。しかし王妃はこれもまた気に食わないようであった。2人を引き離し、この頃ではようやく王子も自分に慣れてきたというのに、水をさされてしまったと思い込んだ。
モスリの優しくはかない感じが、王子には実の母よりも母親の安らぎを感じさせてくれた。何より年増の教育係と違って、美しいところが最も王子は気に入っていた。
子供らは女官の指示に従い、今度はきちんと順に並んだ。月餅を手にしたあと端の方の階段を使って、先ほど舞女が踊った畳敷きの台場で餅をかじった。
王様はふと空を見上げた。白い月は時間とともにどんどん輝きを増し、周囲に何本も長い光を放った。他の者たちは皆それぞれ話に花が咲いて、月を見ることなど忘れてしまったようだ。
おつきの内官が深刻な様子で王様の耳に打ち明けた。
「王様、さきほどから神玉の箱が開いております…」
王様はハッと、祭壇へ視線を送った。
確かにおつきの男の言う通り、房付きのヒモが解けてフタがずれている。
「子供がいたずらしたのかもしれぬ。神物を覗いて見るワケもいかないから、手探りで中を確認してみよ」
王様の命令で、おつきの男が箱のそばへ寄り、指輪をくるんであった青い絹布の上から遠慮がちに手の平をあてた。それから首を傾げ、しばらく指の先で風呂敷のあちこちをもんだ。王様は寿楽院の笛や琴、太鼓の音色を聞きながら辛抱強く待った。
しかし王様のもとへ戻ったおつきの内官は、どうも指輪のように硬い感触は見当たらなかったと告げるに至った。
「そんなはずはない。舞台の周りにでも落ちてないか今一度、確認してみなさい」
おつきの男は神玉の箱の前へ再び戻らされた。
広場の宴席では、おつきの内官の不自然な動きを気にする者も出始めていた。
おつきの内官は床を見つめながらかなりゆっくりと壇上を歩いて、ときどき立ち止まっては腰を深く折り曲げた。
内官の茄子帽子がそのたび左右に大きく振れるのを見るにつけ、一体何をうろつき回っているのかと、幾人かは不思議に思ったのだった。
2012/2/10更新
広場の中央に赤じゅうたんをかぶせた台場が設置されている。その赤じゅうたんは重臣らが座るテーブル席の後ろ側を通って、そのまま政祭殿の壇上へとのぼっていた。
台場の真ん中に冴えないハリボテの大鶏が鎮座する。龍か蛇のうろこに似た羽が1枚1枚くっきり描かれてある。絹地のやわらかな垂れ尾の一部に夕日があたった。
壇上席の王妃の艶やかな服装は、広場からでもよく目立った。肩と胸に厚い金の刺繍がほどこされ、すそに向かうにつれ天の川のように流れていく。花、葉、茎の柄模様に縁どり線はないが、それがかえって、くすんだあかね色の花や白菊、三つ葉のおうど色を、地色に浮かんだように見せた。
王族席には果物の盛り皿、茶器が用意された。
その前側には白布のかかった低い祭壇があり、栗、柿、稲穂、さつまいも、小豆、生魚のお供えの他、月光浴のため三種の神器を納めた玉手箱が3つ置かれた。
どれも漆の箱に紫のヒモを結びつけ、フタは閉じられたままだった。
日が暮れるにつれ、辺りがしんしんと暗くなっていく。
奥の山と思って眺めていたのは、巨大な雲が暗い影になったものだとイコク王は気付いた。
渡り鳥の声が急にうるさくなり、何人かが天や宙を見た。ついで城内の森へも目をやってみたものの、渡り鳥の姿はなく、声ばかりが不気味に響いた。
王様は気になってしつこく空を見まわした。そうして渡り鳥の群れが急カーブを描いて遠くへ飛んで行くのを見つけ、ようやく安堵したのである。
「今宵は日頃の喧騒を忘れ、名月を楽しむひとときである。三種の神器は月の力に満たされたのち、本日より宝剣のみを東宮殿へ移すこととする。信頼する皆の力添えによって王子が将来、陰河王朝の繁栄を築くことを願うばかりである」
最近、王宮殿へ怪しい者が侵入したとの報告が度々起きており、後世へ継承されるべき大切な宝物を分けて保管するのは、保安の意味も兼ねていた。
しかし祭事の前のこともあってか、ほとんどの説明は省かれた。
重臣席から地響きのようなざわめきが徐々に沸き起こった。このまま王様の宣言を聞き流すことに、皆は何かしらの心残りを感じたのだ。かと言って何を聞いたらいいのかすぐには思い浮かばないで、他の誰かが重要な質問をしてくれることを、それぞれが期待して待った。
このまま何の進展もなく終わるのだろうと何となく予感していたところへ、とつぜん王の娘婿であるパン・ダンが席を立ち、壇上の王様に声を張りあげたのであった。
「なぜこの時期に宝剣を王子に譲渡するか、はっきりとした理由をおうかがいしたい!」
会場内にパン・ダンの太い声が降り注いだあと、数秒ほどの間があいた。
「パン・ダンは場をわきまえよ。この場において話すことは何もない」
王様はぴしゃりと言い返したものの、一瞬でも言葉を失った事実は隠せそうになかった。
重臣らの耳にはパン・ダンの大声に比べたら、まるで僧侶のように聞こえた。だいぶん年を取って声帯が衰えはじめたせいもあるだろう。
「しかし、このような場で突然に発表されたのは王様の方です。神剣を移されることの理由は当然、説明すべきではありませんか?」
王様は再び言葉を失った。それよりパン・ダンが公の場でもっとまずいことを喋りだしやしやしないか肝を冷やした。パン・ダンは予測できない男だった。これらの発言に対して王妃がすでに不快と不安をあらわにしているのも気にかかる。
王様はおつきの内官に目で合図を送った。するとおつきの内官は小走りに宣旨署の最高上官へ、何やら耳打ちをしたのだった。
次の瞬間、宣旨署の最高上官は壇上から声をあげた。
「はじめよ!」
コトン、コトンと滴が垂れるようなテンポで、寿楽院の演奏がゆったり流れ、広場の台場に6名の舞女が登場した。
パン・ダンはなすすべもなく席に腰をおろした。
赤いさざんかを生けた白地の小瓶を邪魔に思い脇にどけ、白磁の器を指でつまんで甘茶をすすった。酒がないのが不満だった。
「ひとまず棚上げですな…」
パン・ダンの背後で重臣らがささやき合っているのが聞こえる。
いつの間にかハリボテの大鶏が内側から灯っていた。暗闇にポッと浮かんだ黄色やオレンジの強烈な明るさが、どこか人々の心を安堵させた。皆は一様に舞女へ目をやった。
編み髪を後ろで一つにまとめ、若過ぎずそう年でもない油ののった女たちだった。色とりどりの提灯の列で作られた台場の屋根が、いっそう女らを惹きたてた。
女は長いリボンと、もう片方の手にでんでん太鼓を持っている。リボンが文字を描くように交差し、でんでん太鼓の糸先の玉は飛び跳ね、パチパチと音をかき鳴らした。
女らの白い衣と幅広の袖のすそに、内着の3色の重なりが品良くのぞく。くるくる回るたびに衣のスリットが激しくねじれ、勢いよく巻き戻った。内側に何枚も違う色のスカートが隠れているのが観客の目にもわかった。女らは巻き上がる風ように回り続け、ときにはそれが花のようにも見えた。
ほとぼりが冷めた頃を見計らって、隣の席の男とその周辺の重臣たちが、パン・ダンの背を指でトントン叩いた。
自分の姪に王の側室を持つキム・ヒョインは、特に心配症の一面を顔に滲ませ、こう尋ねた。
「なぜわざわざ神器を分けられるのでしょう…?」
「分けるべき理由が出来たとしか思えん。王子の他に神器を与えたい者がいるのだよ」
と答え、パン・ダンは口端に深いえくぼを作って、喉の奥から抑えた笑い声を漏らした。
「それが王様のご本心と? 神玉は琥珀の指輪だと聞いていますが。…まさか犬女に与えるわけにもいきますまい」
「あるいはその子が問題であろう」
「えっ? では王様は犬女の赤子を世継ぎに考えているとでも…?!」
「将来可能性も無くはない。だから俺は心配しているのだ」
パン・ダンは言葉を荒げた。この見解にはさすがに重臣らも凍りついた。
犬女は画家チャン・ミンホの娘を指し示す隠語である。王様との間に子が誕生したというのは、もはや噂というよりも、まぎれもない事実として重臣の間で信じられた。
踊りが終わって舞女がさがると、入れ替わり今度は前掛け姿の菓子職人らが登場した。
1枚の花のように飾った1000個の月餅の大皿を抱え、3人かかりでそろりそろりと壇上まで運ぶのを、王様や王子や王妃や重臣らが興味深そうに見守った。
花びら8枚が浮き彫りになった月餅は、月明かりでいっそう照り輝いた。盛り上がった線は焼き色が濃く、へこんだ部分は薄黄色かった。
そり返る2階建て屋根の政祭殿の裏庭で、一般から招待された子供ら56名が待機していた。それらが年配の尚宮と女官らの導きによって入場した。
刺子の厚い着物の子もいれば、薄っぺらな着物1枚のもいる。男の子も女の子も編み髪を1本、背中に垂らしていた。男の子は衣にズボン、女の子は短い衣を胸のリボンでしめつけ、幼子のお腹に合わせスカートがぷっくり膨らんで見えた。すべて王子と同じ年頃の5歳の子供たちであった。
彼らは今晩だけ特別に、袋を逆さにしたような紙帽子をかぶった。
子供たちが赤じゅうたんに沿って短い石段をあがり、壇上に広がる石タイルのデッキへたどり着くと、職人が1つずつ月餅に薄紙を敷いて配りはじめた。しかし月餅を貰うため列を作っていた子供は、早くも待つことに飽きたようだった。
やんちゃな男の子が前の子の紙帽子をずるりと脱がしたのを皮切りに、あれよあれよと言う間にいたずらの輪は広がっていった。
子供らはきゃっきゃとはしゃいで、まるで収拾がつかない。若い女官らはそこら中を駆け回る子供にオロオロした。
王子もいつの間にか紙帽子をかぶり、子供と走りまわっている。王子の立派な絹ずきんは誰か別の子供がかぶって、果たしてどれが王子なのか見分けがつかない有り様だった。
行き過ぎの事態に、王妃はもちろんのこと王様さえ危惧を感じ始めたとき、王子の世話役の60歳近い年配尚宮が、とつぜん王子の後ろえりをぐいとつかんで、集団から引っ張り出した。
「王子様がそのようでは、いっこう示しがつきませぬっ!」
尚宮は腫れぼったい目で王子を厳しく戒めた。
王様はこの尚宮を信頼しているらしく、納得したように小さく頷いてみせた。王子の方も照れ笑いをするばかりであったが、王妃はこうも堂々と皆の前で我が子を叱りつけられては、あまり面白くないという顔をしてみせた。
王子はかつて自分の乳母であったモスリが壇下に控えているのに気付いて、嬉しそうに目を合わせた。するとモスリもこっそり微笑み返した。しかし王妃はこれもまた気に食わないようであった。2人を引き離し、この頃ではようやく王子も自分に慣れてきたというのに、水をさされてしまったと思い込んだ。
モスリの優しくはかない感じが、王子には実の母よりも母親の安らぎを感じさせてくれた。何より年増の教育係と違って、美しいところが最も王子は気に入っていた。
子供らは女官の指示に従い、今度はきちんと順に並んだ。月餅を手にしたあと端の方の階段を使って、先ほど舞女が踊った畳敷きの台場で餅をかじった。
王様はふと空を見上げた。白い月は時間とともにどんどん輝きを増し、周囲に何本も長い光を放った。他の者たちは皆それぞれ話に花が咲いて、月を見ることなど忘れてしまったようだ。
おつきの内官が深刻な様子で王様の耳に打ち明けた。
「王様、さきほどから神玉の箱が開いております…」
王様はハッと、祭壇へ視線を送った。
確かにおつきの男の言う通り、房付きのヒモが解けてフタがずれている。
「子供がいたずらしたのかもしれぬ。神物を覗いて見るワケもいかないから、手探りで中を確認してみよ」
王様の命令で、おつきの男が箱のそばへ寄り、指輪をくるんであった青い絹布の上から遠慮がちに手の平をあてた。それから首を傾げ、しばらく指の先で風呂敷のあちこちをもんだ。王様は寿楽院の笛や琴、太鼓の音色を聞きながら辛抱強く待った。
しかし王様のもとへ戻ったおつきの内官は、どうも指輪のように硬い感触は見当たらなかったと告げるに至った。
「そんなはずはない。舞台の周りにでも落ちてないか今一度、確認してみなさい」
おつきの男は神玉の箱の前へ再び戻らされた。
広場の宴席では、おつきの内官の不自然な動きを気にする者も出始めていた。
おつきの内官は床を見つめながらかなりゆっくりと壇上を歩いて、ときどき立ち止まっては腰を深く折り曲げた。
内官の茄子帽子がそのたび左右に大きく振れるのを見るにつけ、一体何をうろつき回っているのかと、幾人かは不思議に思ったのだった。
2012/2/10更新
2012年01月01日
韓ドラちょびかじ 2011/12/31
今年はスカパーを解約したため、演技大賞が視聴できなくなり、さきほどまで紅白をラジオで視聴していました…
演技大賞は誰が受賞したのでしょうか。
毎年お届けしていたちょびかじ大賞の代わりに、2011年の締めくくりとしまして、特集をお送りします。
今年新しく見たドラマはぐーんと減ってBSフジの2本でした…
その貴重な2本とは…
「製パン王キムタック」
「私の期限は49日」(視聴中)
「私の期限は49日」は吹き替えのみで生声が聞けず残念です。
ドラマの特徴はご覧の通り
「私の期限は49日」
SFファンタジー
コメディー
トレンディー
かわいい
ミステリアス
まだ見始めたばかりですが、面白くて毎週楽しみです。
中だるみと最後ありきたりな展開にならないかが今後の鍵か。
「製パン王キムタック」
貧富の差
ベタなストーリー
出世
さわやか
恨み
人情
悪役
☆ここからはキムタック特集です
独断と偏見により、ちょびかじ賞を決定させて頂きました。
各賞は以下の通り。
◇金持ちになったで賞
タックの初恋の彼女…マジュンと政略結婚し、ゴージャスな若奥様に。
タックの母…資産がいつの間にか増え、立派な庭園の伝統屋敷で運転手つきの生活に。
◇すべてお見通しで賞
パン屋のじいさん(パルボン先生)
マジュンの悪事をすべてお見通し。自分の死後、マジュンが秘密の本を盗み見することまで予測。予想通りマジュンが本を開いたとき、ぽろりと落ちてきたメモには、なんとじいさんからマジュンへの遺言が! 中身は次のテスト課題…
◇人望が厚いで賞
パン屋のじいさん
葬式の日には、じいさんを慕うコック姿の集団がわらわらと登場
◇人望薄いで賞
ハン室長
悪役仲間が次々とタックに同情。しかし最後まで一人で悪役を貫き通す。
◇チャングムで賞
チャングムの子役が成長。タックの初恋相手に。
影ながら…で賞
かざぐるまの入墨の男
タックの母さんの運転手のような男
可哀そうで賞
マジュン
皆がタックにばかりに注目。師匠、父さん、愛する女まで口を開けばタックタック
おとがめなしで賞
マジュン
放火…毒…レシピ窃盗など数々の罪を犯しながらも誰にも訴えられず。
印象に残ったシーン
1位 じいさんの寂しい葬式のはずが、生前じいさんに世話になったコック姿の男らがゾロゾロ集団で登場。火葬へ行くじいさんを涙で見送る。
2位 室長と妻の密会現場を盗み聞きする夫。てっきり夫が意識不明と思っていた2人は、恨みのこもった怖い顔で夫が後ろにジャーンと立っているのを見てびっくり仰天。
3位 2人でならくの底へ転がり落ちるようなマジュンのプロポーズ
わかりやすいドラマでしたねぇ…
【送料無料】秘伝自然発酵種のパンづくり |
本当の愛を手に入れる本 |
クリーミーなコーンをロールパンにしました!!白神とうもろこしパン(天然酵母パン) |
2011年後半のニュース
8月 島田紳助引退 野田政権
10月 アップル ジョブズ氏死去 タイ水害
11月 大阪選挙橋本市長
12月 北朝鮮キム・ジョンイル総書記死去
1月よりオリジナル時代劇風小説を書いてブログへ載せていこうかなぁと思ってみたりしていますが、やる気が出るやらわかりません…
もし本当にできたら題名は「イトンの月」(仮)とでもしようかな?
それでは今年1年ありがとうございました。
よいお年を〜
2011/12/31 23:45
2011年07月23日
韓ドラちょびかじ 2011/7/23
久々の更新よ…
というのも、最近、あまり韓国ドラマを見ていないのよ…
スカパーもついに解約したわ。でも下にも書いた通り、見たいドラマがあって復活しようか、それとも節約しようか、葛藤しているところなの。
ついにアナログ放送終了寸前となり、蛍の光でも歌いたい心境よ。
幸い、台所のテレビを地デジにしたので、「トンイ」を見ているよ。
でも録画すると字幕が出ないやつだから、あらすじ書くのがちょっと不便…
うちの親は「イトン」が始まったよ! と「イサン」とごちゃ混ぜになってるのか、何かまた勘違いしているよ。
見たいドラマ ちょびかじランキング☆
1「私の期限は49日」チョ・ヒョンジェ出演
2「最高の愛」コン・ヒョジンン出演
3「童顔美女」リュ・ジン出演
4「1000回のキス」リュ・ジン出演予定
ちょびかじアクセスランキング
1「イサン」
2「神様、お願い」
3「トンイ」
4「ホジュン」
5「君は僕の運命」
相変わらず「イサン」が首位を独走。
トンイはいまいち。カテゴリでなくトップページでご覧になってる人もいるかも…?
ホジュンは2位くらいにつけていたのが、お昼の放送が終了して一段落。
「トンイ」以降、韓国ドラマを見てない私が、こんなドラマだったら見ますというのを好みで書いてみました…
どんな韓国ドラマだったら見るか?
1. 好きな俳優の出演作で質のよいドラマ
2.味のあるドラマ
3.テーマが新鮮
4.ふつうの出来事を書いたもの
5.話が複雑でハラハラする時代劇
たぶんもう見ないだろうドラマ
1.若者が出るハチャメチャなラブドラマ☆
2.お決まりのストーリー
3.眠くなる時代劇
今年のできごと
3月 東日本大震災
4月 焼肉食中毒
5月 ビンラーディン殺害
6月 管首相 退陣を表明。時期はうやむや
NHK教育テレビがEテレに変更
7月 なでしこジャパン優勝
アナログ放送終了…
というのも、最近、あまり韓国ドラマを見ていないのよ…
スカパーもついに解約したわ。でも下にも書いた通り、見たいドラマがあって復活しようか、それとも節約しようか、葛藤しているところなの。
ついにアナログ放送終了寸前となり、蛍の光でも歌いたい心境よ。
幸い、台所のテレビを地デジにしたので、「トンイ」を見ているよ。
でも録画すると字幕が出ないやつだから、あらすじ書くのがちょっと不便…
うちの親は「イトン」が始まったよ! と「イサン」とごちゃ混ぜになってるのか、何かまた勘違いしているよ。
見たいドラマ ちょびかじランキング☆
1「私の期限は49日」チョ・ヒョンジェ出演
2「最高の愛」コン・ヒョジンン出演
3「童顔美女」リュ・ジン出演
4「1000回のキス」リュ・ジン出演予定
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1「イサン」
2「神様、お願い」
3「トンイ」
4「ホジュン」
5「君は僕の運命」
相変わらず「イサン」が首位を独走。
トンイはいまいち。カテゴリでなくトップページでご覧になってる人もいるかも…?
ホジュンは2位くらいにつけていたのが、お昼の放送が終了して一段落。
「トンイ」以降、韓国ドラマを見てない私が、こんなドラマだったら見ますというのを好みで書いてみました…
どんな韓国ドラマだったら見るか?
1. 好きな俳優の出演作で質のよいドラマ
2.味のあるドラマ
3.テーマが新鮮
4.ふつうの出来事を書いたもの
5.話が複雑でハラハラする時代劇
たぶんもう見ないだろうドラマ
1.若者が出るハチャメチャなラブドラマ☆
2.お決まりのストーリー
3.眠くなる時代劇
今年のできごと
3月 東日本大震災
4月 焼肉食中毒
5月 ビンラーディン殺害
6月 管首相 退陣を表明。時期はうやむや
NHK教育テレビがEテレに変更
7月 なでしこジャパン優勝
アナログ放送終了…
2011年04月10日
「トンイ」あらすじ 43話
宮殿に戻った王様は、執務室にこもり頭を抱えた。
何かの間違いであろう…?
トンイはなぜ罪人と一緒にいたのか。あそこで何をしていたのか?!
取り調べのためトンイが漢城府へ連れて行かれるのを、王様はその場でムヨルに口を出し損ねた。ただあやふやに気持ちが高ぶるばかりだった。
それが過ぎ去ると、今度はとにかく詳しい事情が知りたいという気持ちにかられ、ヨンギでもチョンスでもいいから連れて来るよう、おつきのハン内官を怒鳴りつけた。
ケドラを必死に逃がそうとするトンイの姿が、その間にも頭に浮かんだ。
信じられない。でもそれが現実なのであった。
親衛隊の部署にて夜は更け、かがり火はごうごう燃え盛り、虫の音がうるさく響いた。
コムゲの頭の逮捕をヨンギに伝えたのは、親衛隊の部下である副官と赤鼻の男だった。
「何とその場に淑嬪様がいらっしゃったのですよ。あろうことか王様がお出ましになりまして!」
赤鼻の男は本当に無念でならないという風に、今にも泣きだしそうに語った。
ヨンギは耳を疑い、そんなおかしな話があるかと顔をひどくしかめた。しかし彼らの話ぶりから、それが現実であることを実感しないわけにはいかず、肩を落とした。
チョンスと一緒にトンイのいる漢城府へ駆けつけたとき、ざあざあぶりの雨が降りはじめた。
数名の門番が二階建てのやぐら門の内側に立ち、その雨音を聞いていた。帽子のつばと足元までの長い衣が影になって、すっと板扉へとあがっていた。
ヨンギらが門を通ろうとしたとき、2人の兵士が三本に先が分かれた槍を左右からさっと交差させ、行く手を阻んだ。
その瞬間、いきり立ったチョンスが兵士の首に刀をあてて、「今すぐここを通さぬかぁ!」と悲鳴にも似た怒鳴り声をあげたのだった。
ヨンギがもし刀を下ろすよういさめなかったら、チョンスはきっと罪を犯しただろう。それくらい見境のない風に見えた。
ヨンギはもしや声が届くかと思い、部署の建物へ聞こえるよう門から大声を出した。
「淑嬪様、淑嬪様ぁー」
すると騒ぎを聞きつけたせいなのか、それとも偶然か、ムヨルが表へ出てきて前に進み出た。
「これはどういうことか。話が聞きたい」とさっそく尋ねるヨンギに、
「それはまず淑嬪様にお伺いしませんと。ご心配は入りません。淑嬪様に落ち度がなければ、何でもないことではありませんか…?」
とムヨルは冷静に返した。ただし言葉の方は少々挑発的であった。
ヨンギは何も言い返せず思わず頬をへこませた。
結局、この場ではどうにもならないことを悟り、そのまま部署へ引き返すことになった。
そうこうするうち王様から詳しい事情を知りたいとの仰せがあった。
ヨンギもぜひトンイの釈明をするつもりでいたので、すぐ出掛けようと思ったところへ、チョンスがいきなり土下座で、必死に止めたのだ。
「お待ちください! 私が参ります。ソ・ヨンギ様はどうか耐えて頂けませんか?」
「過去を隠せと言ったのは私なのだ。私こそ罪人であろう」
「ヨンギ様は生き残らなければなりません。そうでないと他に宮廷で王子を守る者がいなくなります!」
足元のチョンスを見下ろしたまま、ヨンギは沈黙した。
それがどれだけ辛いことか。
何もせず自分一人だけ助かることが。
希望通りチョンスが王様のもとへ出向いたので、ヨンギは一人部屋に残された。
今日のところはすでに任務が終わった気になり、あごひもを解いて帽子のつばを両手で持ち上げた。
それをゆっくりとテーブルへ置いてしまうと、あとは声を押し殺して泣いたのだ。
チョンスがあらわれるなり、王様は待ち兼ねたように問い詰めた。トンイの兄同然のチョンスなら事情を知っているはずだと思った。
「淑嬪が話そうとし、私に言えなかった秘密とは一体何なのだ?!」
ところがチョンスが答えようとしたそのとき、ハン内官がトンイ本人の到着を知らせにやって来た。取り調べの前に漢城府の許可を得て出向いたという。
「そのことは私からお話いたします。チョンス兄さん、そうさせて頂けませんか? 王様、どうか私を許さないでください。これまでずっと私は恐ろしい事実を隠していたのです」
「恐ろしい事実…?」
「王様。私は…私はチョン・ドンイはないのです。パンチョンで生まれたオジャギンの娘で、辛酉の年にコムゲの頭である父を亡くしました。死んだ兄も同じくコムゲだったのです」
王様はハッと雷を打たれたような顔になった。そしてトンイが経緯を説明している間、事実を否定するかのように、うつろな表情で何度も小さく首を振った。しかしいくら自分の耳をふさぎたくとも、真実は重くのしかかるばかりだった。
「チェ・ドンイ。それが本当の私の名でございます」
「何も言うな。それ以上、何も言ってはならぬ!」
とつぜん王様は涙を流して怒鳴りだした。
勢い障子の外へ控えていたハン内官を呼び付け、トンイをこのまま漢城府へ帰さぬように、住まいへ戻して、一切外へは出さなすなと命じたのだった。
しとしと雨が降るなか、部屋に戻ったトンイは、おくるみに包んだ赤ん坊をひざにのせた。
子守歌を歌うように指でトントンと拍子を取ってあやすと、何も知らないで口を開けたまま、すやすや気持ちよさそうだった。まるで何事もなかったように、雨に周りを守られるように時間が過ぎて行く。しかし雨が上がれば厳しい光がさすだろう。
重臣らは今回の事件を決して見逃しはしない。
この子といずれは離れなければならないことを思い、可愛い寝顔を見るにつけ、ひしひしと悲しさが込みあげた。
ケドラの供述によると、コムゲ再結成の理由は、両班にこき使われて無残に殺された貧しい人々の恨みを晴らすためだという。
王様は自分が惨めであった。
罪に問われるべきは王である自分なのだと思った。
トンイは前々から事実を話そうとしていた。それを知りながら、問うのをやめてしまったのもまた自分であった。
トンイが罰を受ける? そんな悲しい結末などとうてい想像しがたかった。
コムゲがトンイを脅し、利用しただけだと思えばいい。あれこれへりくつを頭でこねてみた。
果たして見え透いた嘘を重臣や民が見逃すわけがない。
ところがトンイを守ることが出来るのであれば、王であることなどどうでも良いことのようにさえ思えてくる。王として生まれながら、こんな自分が情けなくてしょがなくなった。
夜、トンイの部屋へ様子を見に行った際の王様は、すっかり取り乱した様子を見せた。
「トンイ。お願いだ。すべてを伏せさせてくれ。そなたを手放したくない。何も起こりはしない。何も起こらなかったのだ」
まるで駄々っ子のように無理を言ってはトンイを困らせた。
しかしトンイがそう望んでいないのを、王様はまたよくわかっていた。王様が苦しみもがく姿を見て、トンイも一緒に涙をこぼした。
「私の言うことがわからぬのか? わからぬのか…?」
王様はトンイにしがみつき、声をうらがえして泣いた。
王命を伝えるため、漢城府へ急きょ都承旨が派遣された。
淑嬪の取り調べを禁止するようにとのお達しに対し、ムヨルはたとえ王の命令であっても、国の法に従って動く意向を伝えた。
おつきの尚宮からこれを聞いたオクチョンは、思わず絶句したのである。
これまでどんな辛い結果になろうとも、王様は常に公正な人であった。
それがトンイのためにこうも心を惑わせるとは…
いかにトンイが王様にとって深い存在なのかが身にしみた。
それは想像に絶するほどの深さであると信じてやまなかった。
オクチョンは真実に絶望したが、相談にやって来た漢城府のムヨルには、あっさりと結論を下した。
「構わぬ。淑嬪のことは放っておけ」
「本当にそれでいいのですか…?」
「どちらにしろ、淑嬪がこの状況には耐えられまい」
ムヨルにもやがてオクチョンの見立てが、正しかったことがわかった。
仁政殿の前では、大勢の重臣らが座りこみの抗議を行った。
「王様! 淑嬪の罪は決して許されるものではありません。国の根幹を揺るがしたコムゲの頭の娘です。それを隠して宮廷に入るとは、両班を犯したコムゲと共に大逆罪に問うのが妥当と存じます!」
町には何者かの仕業によって、ふれ文が貼られ、野次馬がたかって口々に悪口を言いはじめた。
「王様は側室に目がくらんじまったようだ。情けないなぁ!」
城壁門の前では儒学生らの抗議の声が響き、王様のテーブルには連日、抗議文の山が届けられた。
漢城府は、トンイに手出しできない代わりに、おつきのポン尚宮と女官、監察府のチョン最高尚宮、チョンイムを捕えたのであった。
そして、かつてのコムゲの一味だったことが明るみとなり、チョンスが逮捕された。
2012/2/7更新
何かの間違いであろう…?
トンイはなぜ罪人と一緒にいたのか。あそこで何をしていたのか?!
取り調べのためトンイが漢城府へ連れて行かれるのを、王様はその場でムヨルに口を出し損ねた。ただあやふやに気持ちが高ぶるばかりだった。
それが過ぎ去ると、今度はとにかく詳しい事情が知りたいという気持ちにかられ、ヨンギでもチョンスでもいいから連れて来るよう、おつきのハン内官を怒鳴りつけた。
ケドラを必死に逃がそうとするトンイの姿が、その間にも頭に浮かんだ。
信じられない。でもそれが現実なのであった。
親衛隊の部署にて夜は更け、かがり火はごうごう燃え盛り、虫の音がうるさく響いた。
コムゲの頭の逮捕をヨンギに伝えたのは、親衛隊の部下である副官と赤鼻の男だった。
「何とその場に淑嬪様がいらっしゃったのですよ。あろうことか王様がお出ましになりまして!」
赤鼻の男は本当に無念でならないという風に、今にも泣きだしそうに語った。
ヨンギは耳を疑い、そんなおかしな話があるかと顔をひどくしかめた。しかし彼らの話ぶりから、それが現実であることを実感しないわけにはいかず、肩を落とした。
チョンスと一緒にトンイのいる漢城府へ駆けつけたとき、ざあざあぶりの雨が降りはじめた。
数名の門番が二階建てのやぐら門の内側に立ち、その雨音を聞いていた。帽子のつばと足元までの長い衣が影になって、すっと板扉へとあがっていた。
ヨンギらが門を通ろうとしたとき、2人の兵士が三本に先が分かれた槍を左右からさっと交差させ、行く手を阻んだ。
その瞬間、いきり立ったチョンスが兵士の首に刀をあてて、「今すぐここを通さぬかぁ!」と悲鳴にも似た怒鳴り声をあげたのだった。
ヨンギがもし刀を下ろすよういさめなかったら、チョンスはきっと罪を犯しただろう。それくらい見境のない風に見えた。
ヨンギはもしや声が届くかと思い、部署の建物へ聞こえるよう門から大声を出した。
「淑嬪様、淑嬪様ぁー」
すると騒ぎを聞きつけたせいなのか、それとも偶然か、ムヨルが表へ出てきて前に進み出た。
「これはどういうことか。話が聞きたい」とさっそく尋ねるヨンギに、
「それはまず淑嬪様にお伺いしませんと。ご心配は入りません。淑嬪様に落ち度がなければ、何でもないことではありませんか…?」
とムヨルは冷静に返した。ただし言葉の方は少々挑発的であった。
ヨンギは何も言い返せず思わず頬をへこませた。
結局、この場ではどうにもならないことを悟り、そのまま部署へ引き返すことになった。
そうこうするうち王様から詳しい事情を知りたいとの仰せがあった。
ヨンギもぜひトンイの釈明をするつもりでいたので、すぐ出掛けようと思ったところへ、チョンスがいきなり土下座で、必死に止めたのだ。
「お待ちください! 私が参ります。ソ・ヨンギ様はどうか耐えて頂けませんか?」
「過去を隠せと言ったのは私なのだ。私こそ罪人であろう」
「ヨンギ様は生き残らなければなりません。そうでないと他に宮廷で王子を守る者がいなくなります!」
足元のチョンスを見下ろしたまま、ヨンギは沈黙した。
それがどれだけ辛いことか。
何もせず自分一人だけ助かることが。
希望通りチョンスが王様のもとへ出向いたので、ヨンギは一人部屋に残された。
今日のところはすでに任務が終わった気になり、あごひもを解いて帽子のつばを両手で持ち上げた。
それをゆっくりとテーブルへ置いてしまうと、あとは声を押し殺して泣いたのだ。
チョンスがあらわれるなり、王様は待ち兼ねたように問い詰めた。トンイの兄同然のチョンスなら事情を知っているはずだと思った。
「淑嬪が話そうとし、私に言えなかった秘密とは一体何なのだ?!」
ところがチョンスが答えようとしたそのとき、ハン内官がトンイ本人の到着を知らせにやって来た。取り調べの前に漢城府の許可を得て出向いたという。
「そのことは私からお話いたします。チョンス兄さん、そうさせて頂けませんか? 王様、どうか私を許さないでください。これまでずっと私は恐ろしい事実を隠していたのです」
「恐ろしい事実…?」
「王様。私は…私はチョン・ドンイはないのです。パンチョンで生まれたオジャギンの娘で、辛酉の年にコムゲの頭である父を亡くしました。死んだ兄も同じくコムゲだったのです」
王様はハッと雷を打たれたような顔になった。そしてトンイが経緯を説明している間、事実を否定するかのように、うつろな表情で何度も小さく首を振った。しかしいくら自分の耳をふさぎたくとも、真実は重くのしかかるばかりだった。
「チェ・ドンイ。それが本当の私の名でございます」
「何も言うな。それ以上、何も言ってはならぬ!」
とつぜん王様は涙を流して怒鳴りだした。
勢い障子の外へ控えていたハン内官を呼び付け、トンイをこのまま漢城府へ帰さぬように、住まいへ戻して、一切外へは出さなすなと命じたのだった。
しとしと雨が降るなか、部屋に戻ったトンイは、おくるみに包んだ赤ん坊をひざにのせた。
子守歌を歌うように指でトントンと拍子を取ってあやすと、何も知らないで口を開けたまま、すやすや気持ちよさそうだった。まるで何事もなかったように、雨に周りを守られるように時間が過ぎて行く。しかし雨が上がれば厳しい光がさすだろう。
重臣らは今回の事件を決して見逃しはしない。
この子といずれは離れなければならないことを思い、可愛い寝顔を見るにつけ、ひしひしと悲しさが込みあげた。
ケドラの供述によると、コムゲ再結成の理由は、両班にこき使われて無残に殺された貧しい人々の恨みを晴らすためだという。
王様は自分が惨めであった。
罪に問われるべきは王である自分なのだと思った。
トンイは前々から事実を話そうとしていた。それを知りながら、問うのをやめてしまったのもまた自分であった。
トンイが罰を受ける? そんな悲しい結末などとうてい想像しがたかった。
コムゲがトンイを脅し、利用しただけだと思えばいい。あれこれへりくつを頭でこねてみた。
果たして見え透いた嘘を重臣や民が見逃すわけがない。
ところがトンイを守ることが出来るのであれば、王であることなどどうでも良いことのようにさえ思えてくる。王として生まれながら、こんな自分が情けなくてしょがなくなった。
夜、トンイの部屋へ様子を見に行った際の王様は、すっかり取り乱した様子を見せた。
「トンイ。お願いだ。すべてを伏せさせてくれ。そなたを手放したくない。何も起こりはしない。何も起こらなかったのだ」
まるで駄々っ子のように無理を言ってはトンイを困らせた。
しかしトンイがそう望んでいないのを、王様はまたよくわかっていた。王様が苦しみもがく姿を見て、トンイも一緒に涙をこぼした。
「私の言うことがわからぬのか? わからぬのか…?」
王様はトンイにしがみつき、声をうらがえして泣いた。
王命を伝えるため、漢城府へ急きょ都承旨が派遣された。
淑嬪の取り調べを禁止するようにとのお達しに対し、ムヨルはたとえ王の命令であっても、国の法に従って動く意向を伝えた。
おつきの尚宮からこれを聞いたオクチョンは、思わず絶句したのである。
これまでどんな辛い結果になろうとも、王様は常に公正な人であった。
それがトンイのためにこうも心を惑わせるとは…
いかにトンイが王様にとって深い存在なのかが身にしみた。
それは想像に絶するほどの深さであると信じてやまなかった。
オクチョンは真実に絶望したが、相談にやって来た漢城府のムヨルには、あっさりと結論を下した。
「構わぬ。淑嬪のことは放っておけ」
「本当にそれでいいのですか…?」
「どちらにしろ、淑嬪がこの状況には耐えられまい」
ムヨルにもやがてオクチョンの見立てが、正しかったことがわかった。
仁政殿の前では、大勢の重臣らが座りこみの抗議を行った。
「王様! 淑嬪の罪は決して許されるものではありません。国の根幹を揺るがしたコムゲの頭の娘です。それを隠して宮廷に入るとは、両班を犯したコムゲと共に大逆罪に問うのが妥当と存じます!」
町には何者かの仕業によって、ふれ文が貼られ、野次馬がたかって口々に悪口を言いはじめた。
「王様は側室に目がくらんじまったようだ。情けないなぁ!」
城壁門の前では儒学生らの抗議の声が響き、王様のテーブルには連日、抗議文の山が届けられた。
漢城府は、トンイに手出しできない代わりに、おつきのポン尚宮と女官、監察府のチョン最高尚宮、チョンイムを捕えたのであった。
そして、かつてのコムゲの一味だったことが明るみとなり、チョンスが逮捕された。
2012/2/7更新
「トンイ」あらすじ 42話
「そういうことでしたか」
シムは頷いた。
オ・テソクが南人の長老を殺して、自分がその座に納まった。その罪をコムゲにかぶせたのだ。
「だが十何年も前のことだ」
ソ・ヨンギの指摘はもっともであった。
当時の記録やトンイの証言で再調査は可能だったが、連中にシラを切られてはそれまでになる。手信号の証拠の他に、何かしら誘い水が必要であった。
家屋敷の差し出しと引き換えに、王様から放免を認められた罪人らが、すでに流刑先から続々と都に戻っているとの知らせに、オ・テソクは甥のユンの到着はまだかと首を長くして待っていた。
ところが帰った者たちの名を聞くと、どうもチャン・ヒジェをはじめオクチョン側の人間ばかりなのである。
テソクと共にかつてオクチョンを身捨てた者たちの顔ぶれはなかった。
これはオクチョンが裏で操作しているようだと気付いたときには、テソクはすでに孤立した側に置かれていた。そういうわけで甥のユンもとうとう帰らずじまいになった。
テソクは鼻で息を強く吸い、白いヒゲの生えた口をへの字に曲げた。怒りのあまり目を見開き、老いた体で勇ましく屋敷を飛び出していった。コシにゆうぜんと乗り込み、いったん腕をひじかけ椅子にかけ、「あれは何だ?」と自分のうちの塀を指さした。
白い目地の切り石レンガに、ふれ紙が貼られている。ちょうど近所の村人が興味深そうに剥がして、仲間たちと読み合っているところだった。
「ふれ文です。気になさらないで下さい。都に出没しているコムゲの仕業でしょう…」
おつきの男がうしろめたそうな口ぶりで説明した。
テソクは突然コシから下りると、村人の手からふれ文をせっかちに取り上げた。
それを読むテソクの手は怒りでぶるぶると震えた。
ハングルの行書体で書かれた文の最後はコムゲの署名で終わっていた。
「かつての両班殺しの罪をコムゲに被せたのは私だと書いておる!」
テソクからの苦情は漢城府のムヨルが対応にあたった。
ふれ文の署名はコムゲとなっているが、テソクはこれもまたオクチョンの嫌がらせだと思い込んだようだ。かつての事件の真相を知るのは自分らの他にはないからである。
しかしムヨルはふれ文をくしゃりとやり、きっぱり否定した。
「しっかりなさって下さい。ふれ文などやるワケがありません。事件の真相が明らかになれば自分たちも危ないのです。誰か他に秘密を知る人間がいるのでしょう。そのことの方が問題です」
衝撃冷めやらぬまま、テソクは勢いづいて漢城府をあとにしたものの、門の枕木をまたいで少しの間、上等な平靴を1、2歩まごつかせた。
これからどうしたものか…?
考えあぐね、石壇の下を見た。小さい麦わら帽をかぶった男らが8名、コシのそばに待機している。
ユンをはじめ多くの仲間を失った今、テソクは一人であたふたせざるを得なかった。
まずは捕盗庁にあるコムゲ事件の記録を、すべて部下に処分させよう。
事が1つ決まると、再び勢いよく歩き出し、行き先は義禁府だとコシの者に告げた。
義禁府を訪ねたテソクは屋敷へ戻り、数人の重臣らと会合を開いた。これらの動きはすべて監視され、チョンスからヨンギへと報告された。ふれ文のアイデアはトンイが思いついたものだ。
ここで重要なのは、テソクが真っ先に訪ねたのが漢城府だった点にある。
このたびの両班連続殺人事件の担当は漢城府であったから、ふれ文の署名を見て相談に行ったと思われる。またかつてのコムゲ事件の真相を漢城府が知っていることを、それとなく臭わせる結果でもあった。
あとはテソクが何か証拠となるような尻尾を出すのを待てば良い。
テソクの屋敷をとつぜん訪問したチャン・ヒジェは、数本の木しかない殺風景な広い庭でしばらく待たされることになった。
久しぶりにオ・テソクの部屋へあがるなり、流刑地からの帰還の挨拶もそこそこに重大な用件を述べた。
「テソク様は敵に尻尾をつかまれました。都はこれから騒がしくなりましょう。ですのでまずは身を隠した方がいい。その隙にこの件はきれいに片付けておきます。事件が明らかになれば禧嬪様も無事ではいられませんので」
漢城府の筋からオクチョンに話が行ったのだろう。この提案にテソクは十分に納得した。そもそもヒジェを疑ってかかる余裕などなかったのである。
療養を理由にテソクの側近1名を連れ、すぐに屋敷を発った。他に荷物稼ぎの男たちと、ヒジェが手配したとみられる武官1名、護衛4名が加わった。
賑やかな都を過ぎてからは、山を大きく上下する白い道を歩いた。武官を先頭に奥へ奥へと入り込むにつれ、静けさで心細くなっていくばかりだった。
険しい木々を抜けた先に、ようやく小さな空き地が見え、テソクの気分が一段落しかけたとき、予めオクチョンの指示を受けていた武官と兵士が急に立ち止まり、テソクと部下、荷物運びの男ら全員を切り殺して役割を終えた。
速報はコムゲの仕業によるオ・テソク殺害事件として、宮中へ舞い込んだ。
テソクの死体と一緒に、コムゲの死体が続々と運び込まれたためである。
「コムゲは早まったことをしてくれたな! 我々を信じて待っていればいいものを。オ・テソク様を尾行した我々の努力が水の泡になった。最も大事な証拠が失われたのだ」
ヨンギが珍しく悔しさをあらわにしてみせた。
しかしこれはソ・ヨンギの勘違いだった。
オ・テソクが殺害されたこの日、コムゲの根城を発見した漢城府は、一斉にコムゲを襲撃したのである。おびただしい数のコムゲの死体はこのときのものであった。
「コムゲに罪を被せようとする漢城府の罠ではないでしょうか…?」
昔と全く似たような事件を思い起こしながら、チョンスがヨンギにそう呟いた。
捕盗庁に保管されたコムゲに関する古い記録を調べていた漢城府のムヨルは、奇妙な点に気付いた。
コムゲの頭には幼い娘がいたが、身元不明の遺体をそのままコムゲの娘とした経緯は、当時捕盗庁の従事官であったソ・ヨンギの証言を信じたものによる。
ムヨルは娘の人相書を持参し、オクチョンの部屋へとうかがった。
この娘の名がチェ・トンイだと伝えたところ、オクチョンは確かにこの娘を見た記憶があるそうだ。そのとき落とした蝶の鍵飾りについて、のちに淑媛が自分に尋ねたのも、娘の名から見ても、思えば淑媛がコムゲの頭の娘本人であるからに違いないと言った。オクチョンは自らこれに気付いて激しく乱れないまでも、心中かなり驚き、興奮に耐えかねる様子であった。
漢城府へ戻ったムヨルのところへ、部下が駆けつけてきた。オ・テソク殺害を受け、急きょ王様が詳しい経緯を聞きに来られ、今は執務室で待たせているとのことである。
掌楽院のファンおじさんからの手紙を受け取ったトンイは、震えるように息を吸った。
ケドラが重傷を負って、妓楼へかくまわれているらしい。
漢城府の襲撃に遭い、命からがら山を下りてきたのだろう。
ヨンギらをすぐにも部屋へ来させるようポン尚宮に言いつけたにも関わらず、ヨンギもチョンス兄さんもシムも姿をまったく見せなかった。女官の話によると、都は今大変な騒ぎになっているようだ。
漢城府は全ての都の門を閉鎖し検問を強化させていた。
恐らくヨンギたちも任務に忙しく、こっちに顔を出すどころではないのだろう。
夜まで待ったものの、とうとうトンイはケドラのもとへ自ら行く決心を固めた。
監察府の女官に変装し、ポン尚宮たちが見ていないうちにこっそりと宮中を抜け出した。
町の通りでは、ケドラの人相書きがコムゲの頭として、屋根付きのかわら版に貼られており、槍兵が物々しく歩き回っている。
妓楼へ着いたトンイは、妓楼の女将に仕える小柄な男に、すぐに信標を預けた。
べっこうのように潰れた丸い物で、左右に小花、真ん中にデザイン文字、上下に花紋が彫られている。それに赤い組みヒモが通してあった。
「これを見せれば港で王室の船を調達できるでしょう。ぐずぐずしてはいられません。早く!」
トンイに急かされ、小柄な男は慌てて港へと走っていった。
ケドラはぐったりと頭を角枕にもたれて目を閉じていた。肩から背中にかけて巻いた包帯が、まだどんどん赤く染まり続けているように見えた。
昔みたいに丸くはなく、ひょろりと背の高いがっちりした体つきだ。のんきな面影は消え、むしろ傷つきやすい繊細な雰囲気である。トンイはケドラのこれまでの苦労を思って今にも泣きだしそうになった。
動かすのもためらうほどひどい怪我だ。しかし船場に行くため何とか寝床から起こして、庭へと歩かせた。
激痛が走ったらしく、ケドラがうめき声をあげた。
縁側をおりて、妓楼の門まで少しの距離なのに、一歩ずつがとても長い時間に思えた。
そのとき船を調達してきた男が随分と慌てた様子で駆け戻ってきた。
「漢城府がこちらへ向かってきますっ!」
ケドラは顔をぎゅっとしかめ、息も絶え絶え声を漏らした。
「トンイすまない。早く逃げろ…」
そのまま力尽きて、ひざからガクリと倒れ込んだケドラを、トンイが懸命に助け起こそうとしたとき、ふと背後から聞きなれた声がした。
ハッとトンイが振り返って目にしたのは、何とも悲しそうな、ひどく驚いたような顔をした王様であった。おつきのハン内官と、漢城府のムヨルも一緒だった。
すべてを見られたのだ…
トンイの頭に衝撃が走ったものの、それでもケドラを決して手離す気になれなかった。
何かにとりつかれたように、再び無我夢中でケドラの垂れた両手と頭を体で支えた。周囲を大勢の槍兵で取り囲まれているのに、まだ構わず歩こうとした。が、いつのまにか兵士に腕を取られケドラが連れて行かれるのに気付いて、トンイが兵士の波間から叫んだ。
「ケドラ、ケドラぁあ!」
トンイの心乱れた様子を眺めていた王様は、大きな失望をひとまず胸にこらえ、トンイをぴしゃりと叱りつけた。
「トンイっ! もうやめるんだ。やめないか!」
その瞬間、トンイはようやく我に返って現実にうちのめされたのだった。
2012/1/31更新
シムは頷いた。
オ・テソクが南人の長老を殺して、自分がその座に納まった。その罪をコムゲにかぶせたのだ。
「だが十何年も前のことだ」
ソ・ヨンギの指摘はもっともであった。
当時の記録やトンイの証言で再調査は可能だったが、連中にシラを切られてはそれまでになる。手信号の証拠の他に、何かしら誘い水が必要であった。
家屋敷の差し出しと引き換えに、王様から放免を認められた罪人らが、すでに流刑先から続々と都に戻っているとの知らせに、オ・テソクは甥のユンの到着はまだかと首を長くして待っていた。
ところが帰った者たちの名を聞くと、どうもチャン・ヒジェをはじめオクチョン側の人間ばかりなのである。
テソクと共にかつてオクチョンを身捨てた者たちの顔ぶれはなかった。
これはオクチョンが裏で操作しているようだと気付いたときには、テソクはすでに孤立した側に置かれていた。そういうわけで甥のユンもとうとう帰らずじまいになった。
テソクは鼻で息を強く吸い、白いヒゲの生えた口をへの字に曲げた。怒りのあまり目を見開き、老いた体で勇ましく屋敷を飛び出していった。コシにゆうぜんと乗り込み、いったん腕をひじかけ椅子にかけ、「あれは何だ?」と自分のうちの塀を指さした。
白い目地の切り石レンガに、ふれ紙が貼られている。ちょうど近所の村人が興味深そうに剥がして、仲間たちと読み合っているところだった。
「ふれ文です。気になさらないで下さい。都に出没しているコムゲの仕業でしょう…」
おつきの男がうしろめたそうな口ぶりで説明した。
テソクは突然コシから下りると、村人の手からふれ文をせっかちに取り上げた。
それを読むテソクの手は怒りでぶるぶると震えた。
ハングルの行書体で書かれた文の最後はコムゲの署名で終わっていた。
「かつての両班殺しの罪をコムゲに被せたのは私だと書いておる!」
テソクからの苦情は漢城府のムヨルが対応にあたった。
ふれ文の署名はコムゲとなっているが、テソクはこれもまたオクチョンの嫌がらせだと思い込んだようだ。かつての事件の真相を知るのは自分らの他にはないからである。
しかしムヨルはふれ文をくしゃりとやり、きっぱり否定した。
「しっかりなさって下さい。ふれ文などやるワケがありません。事件の真相が明らかになれば自分たちも危ないのです。誰か他に秘密を知る人間がいるのでしょう。そのことの方が問題です」
衝撃冷めやらぬまま、テソクは勢いづいて漢城府をあとにしたものの、門の枕木をまたいで少しの間、上等な平靴を1、2歩まごつかせた。
これからどうしたものか…?
考えあぐね、石壇の下を見た。小さい麦わら帽をかぶった男らが8名、コシのそばに待機している。
ユンをはじめ多くの仲間を失った今、テソクは一人であたふたせざるを得なかった。
まずは捕盗庁にあるコムゲ事件の記録を、すべて部下に処分させよう。
事が1つ決まると、再び勢いよく歩き出し、行き先は義禁府だとコシの者に告げた。
義禁府を訪ねたテソクは屋敷へ戻り、数人の重臣らと会合を開いた。これらの動きはすべて監視され、チョンスからヨンギへと報告された。ふれ文のアイデアはトンイが思いついたものだ。
ここで重要なのは、テソクが真っ先に訪ねたのが漢城府だった点にある。
このたびの両班連続殺人事件の担当は漢城府であったから、ふれ文の署名を見て相談に行ったと思われる。またかつてのコムゲ事件の真相を漢城府が知っていることを、それとなく臭わせる結果でもあった。
あとはテソクが何か証拠となるような尻尾を出すのを待てば良い。
テソクの屋敷をとつぜん訪問したチャン・ヒジェは、数本の木しかない殺風景な広い庭でしばらく待たされることになった。
久しぶりにオ・テソクの部屋へあがるなり、流刑地からの帰還の挨拶もそこそこに重大な用件を述べた。
「テソク様は敵に尻尾をつかまれました。都はこれから騒がしくなりましょう。ですのでまずは身を隠した方がいい。その隙にこの件はきれいに片付けておきます。事件が明らかになれば禧嬪様も無事ではいられませんので」
漢城府の筋からオクチョンに話が行ったのだろう。この提案にテソクは十分に納得した。そもそもヒジェを疑ってかかる余裕などなかったのである。
療養を理由にテソクの側近1名を連れ、すぐに屋敷を発った。他に荷物稼ぎの男たちと、ヒジェが手配したとみられる武官1名、護衛4名が加わった。
賑やかな都を過ぎてからは、山を大きく上下する白い道を歩いた。武官を先頭に奥へ奥へと入り込むにつれ、静けさで心細くなっていくばかりだった。
険しい木々を抜けた先に、ようやく小さな空き地が見え、テソクの気分が一段落しかけたとき、予めオクチョンの指示を受けていた武官と兵士が急に立ち止まり、テソクと部下、荷物運びの男ら全員を切り殺して役割を終えた。
速報はコムゲの仕業によるオ・テソク殺害事件として、宮中へ舞い込んだ。
テソクの死体と一緒に、コムゲの死体が続々と運び込まれたためである。
「コムゲは早まったことをしてくれたな! 我々を信じて待っていればいいものを。オ・テソク様を尾行した我々の努力が水の泡になった。最も大事な証拠が失われたのだ」
ヨンギが珍しく悔しさをあらわにしてみせた。
しかしこれはソ・ヨンギの勘違いだった。
オ・テソクが殺害されたこの日、コムゲの根城を発見した漢城府は、一斉にコムゲを襲撃したのである。おびただしい数のコムゲの死体はこのときのものであった。
「コムゲに罪を被せようとする漢城府の罠ではないでしょうか…?」
昔と全く似たような事件を思い起こしながら、チョンスがヨンギにそう呟いた。
捕盗庁に保管されたコムゲに関する古い記録を調べていた漢城府のムヨルは、奇妙な点に気付いた。
コムゲの頭には幼い娘がいたが、身元不明の遺体をそのままコムゲの娘とした経緯は、当時捕盗庁の従事官であったソ・ヨンギの証言を信じたものによる。
ムヨルは娘の人相書を持参し、オクチョンの部屋へとうかがった。
この娘の名がチェ・トンイだと伝えたところ、オクチョンは確かにこの娘を見た記憶があるそうだ。そのとき落とした蝶の鍵飾りについて、のちに淑媛が自分に尋ねたのも、娘の名から見ても、思えば淑媛がコムゲの頭の娘本人であるからに違いないと言った。オクチョンは自らこれに気付いて激しく乱れないまでも、心中かなり驚き、興奮に耐えかねる様子であった。
漢城府へ戻ったムヨルのところへ、部下が駆けつけてきた。オ・テソク殺害を受け、急きょ王様が詳しい経緯を聞きに来られ、今は執務室で待たせているとのことである。
掌楽院のファンおじさんからの手紙を受け取ったトンイは、震えるように息を吸った。
ケドラが重傷を負って、妓楼へかくまわれているらしい。
漢城府の襲撃に遭い、命からがら山を下りてきたのだろう。
ヨンギらをすぐにも部屋へ来させるようポン尚宮に言いつけたにも関わらず、ヨンギもチョンス兄さんもシムも姿をまったく見せなかった。女官の話によると、都は今大変な騒ぎになっているようだ。
漢城府は全ての都の門を閉鎖し検問を強化させていた。
恐らくヨンギたちも任務に忙しく、こっちに顔を出すどころではないのだろう。
夜まで待ったものの、とうとうトンイはケドラのもとへ自ら行く決心を固めた。
監察府の女官に変装し、ポン尚宮たちが見ていないうちにこっそりと宮中を抜け出した。
町の通りでは、ケドラの人相書きがコムゲの頭として、屋根付きのかわら版に貼られており、槍兵が物々しく歩き回っている。
妓楼へ着いたトンイは、妓楼の女将に仕える小柄な男に、すぐに信標を預けた。
べっこうのように潰れた丸い物で、左右に小花、真ん中にデザイン文字、上下に花紋が彫られている。それに赤い組みヒモが通してあった。
「これを見せれば港で王室の船を調達できるでしょう。ぐずぐずしてはいられません。早く!」
トンイに急かされ、小柄な男は慌てて港へと走っていった。
ケドラはぐったりと頭を角枕にもたれて目を閉じていた。肩から背中にかけて巻いた包帯が、まだどんどん赤く染まり続けているように見えた。
昔みたいに丸くはなく、ひょろりと背の高いがっちりした体つきだ。のんきな面影は消え、むしろ傷つきやすい繊細な雰囲気である。トンイはケドラのこれまでの苦労を思って今にも泣きだしそうになった。
動かすのもためらうほどひどい怪我だ。しかし船場に行くため何とか寝床から起こして、庭へと歩かせた。
激痛が走ったらしく、ケドラがうめき声をあげた。
縁側をおりて、妓楼の門まで少しの距離なのに、一歩ずつがとても長い時間に思えた。
そのとき船を調達してきた男が随分と慌てた様子で駆け戻ってきた。
「漢城府がこちらへ向かってきますっ!」
ケドラは顔をぎゅっとしかめ、息も絶え絶え声を漏らした。
「トンイすまない。早く逃げろ…」
そのまま力尽きて、ひざからガクリと倒れ込んだケドラを、トンイが懸命に助け起こそうとしたとき、ふと背後から聞きなれた声がした。
ハッとトンイが振り返って目にしたのは、何とも悲しそうな、ひどく驚いたような顔をした王様であった。おつきのハン内官と、漢城府のムヨルも一緒だった。
すべてを見られたのだ…
トンイの頭に衝撃が走ったものの、それでもケドラを決して手離す気になれなかった。
何かにとりつかれたように、再び無我夢中でケドラの垂れた両手と頭を体で支えた。周囲を大勢の槍兵で取り囲まれているのに、まだ構わず歩こうとした。が、いつのまにか兵士に腕を取られケドラが連れて行かれるのに気付いて、トンイが兵士の波間から叫んだ。
「ケドラ、ケドラぁあ!」
トンイの心乱れた様子を眺めていた王様は、大きな失望をひとまず胸にこらえ、トンイをぴしゃりと叱りつけた。
「トンイっ! もうやめるんだ。やめないか!」
その瞬間、トンイはようやく我に返って現実にうちのめされたのだった。
2012/1/31更新
「トンイ」あらすじ 41話
突然ふらりと障子ドアを開けて、藁草履で部屋に上がり込んで来た2人の男をトンイは恐怖のあまりのけぞるように見上げた。
男らは覆面をし、長い刀を光らせている。
「お前が王の側室に違いあるまいな。苦しまずに死なせてやろう」
1人が低い静かな声でトンイを睨んだ。
一連の殺人事件はこの男らによる犯行によるものらしい…。そして今度はどうやら自分がターゲットにされたのだ。
心が怯える一方で、まぎれもない事実がトンイの胸の中に静かに流れた。
額のはちまきにまざまざと浮かび上がる白い刺繍は、コムゲの角印であった。
「本当にあなたたちはコムゲなのですか…?」
男らはトンイの口から突然コムゲが出て来たことにかなり慌てたようだ。
一方の男が話など聞かずに早くトンイを片付けようと助言するのを、手前の男が腕でさえぎった。
「ちょっと待て。この女は何か知っているようだ。まさか朝廷が我々の犯行に気付いたのではないだろうな」
それだけ確認するまで、しばし男らは本の刀の先をトンイののど元へ移動させた。
「私の父がコムゲでした。チェ・ヒョンウォン。コムゲを結成した頭が私の父です」
トンイの責め口調に男はひるんだ。しかし王の側室がコムゲの娘だなんてありえるだろうか?! 到底信じられずに疑った目をした。
命が惜しくて嘘を言っているのだろうと、もう一方の男が知恵を入れた。それで迷いが降りきれたのか、男は次の瞬間大きく刀を振りあげた。
「なぜ人を殺すのですっ! 父が結成したコムゲは人殺しなどしませんでした」
トンイの強い声に男はまたひるんだ。トンイの言葉が今度こそ男の心に突き刺さった。
そのとき3人目の男が急を知らせに入ってきた。兵士が大勢こっちへ向かっているというのだった。
駆けつけたのは漢城府の兵である。長屋門の壁と石段には、警備兵が血を流してぐったり倒れていた。首に手を当ててみたところ、脈はすでにこと切れていた。
漢城府の武官は兵を指揮して長屋門を突破し、敷地へと乗り込んだ。
庭土に血のシミが広がっている。しかし遺体はどこにもない。辺りを見回ってきた兵士の報告によると、不審な者は誰もいなかったということである。
武官が考え込んでいるところへ、トンイがさっそうとあらわれた。
「そなたたちは何だ。なぜここを探っている。漢城府のようだが」
武官は狐にでもつままれたような顔になった。侵入者がいると報告があり、わざわざ巡査中に駆けつけてきたのだ。てっきり淑媛が狙われたものと思ったが、まるでこっちを怪しむような言い草だ。
「ご無事でしたか? 淑媛様。屋敷を警護した兵が襲われていましたが…」
武官の戸惑いをよそに、トンイが急に微笑んだ。血相を変えてたった今到着したばかりのチョンスに向かってだった。
そのチョンスも、武官の目には不自然にうつった。随分と真っ青な顔をしていたのに、淑媛の無事を見るなり、まるで何事もなかったかのような態度を取りはじめた。
これらはすべて盗賊の仕業であるから、漢城府は引き揚げるように。そもそも淑媛の警備は親衛隊の仕事であり、漢城府は関わる必要がない。
王様にご心配をかけたくないとの淑媛の要望により、報告すら無用であるとされた。
チョンスはこれらのことを、武官に必要以上に厳しい口調で命じたのである。
「承知しました…」
武官は納得しかねながらも、チョンスの強い態度に屈して、兵を引き揚げざるを得なかった。
チョンス兄さんと部屋に戻ったトンイは、待ち兼ねたように本音を吐き出した。
「チョンス兄さん、ここへコムゲが来たのです!」
「ええ。知っています。だからこうして駆けつけました。実はやつらの頭に会ってきたのです。ケドラを覚えていますか…?」
「ケドラ…ですか?」
トンイはなぜ急にチョンス兄さんがケドラの名を口にしたのか、最初わからなかった。
ケドラはトンイの幼馴染だ。
コムゲが全滅したあの夜、可哀そうなケドラは軒下に隠れて惨劇を目の当たりにしたのだ。部屋から庭へ蹴り落とされて、兵士に引きずりまわされる女。そしてその女をかばおうとして槍で背中を突かれたケドラの父さん。その最期のすべてを目撃した。
思わず軒下から飛び出しそうとするケドラに、父さんが目配せを送った。
こっちに来るな。そう呟いたのだ。ケドラは父さんが死んでいく姿を、なすすべもなく軒下で泣きながら、目に焼き付けるよりしょうがなかった。
だけどどうして…と言いかけてトンイは、ケドラの無念がどれほどのものだったか想像がついた。
ケドラと同じく張り裂けそうな悲しい思いを胸にこらえるようにして、チョンスがトンイに言った。
「そうです。あの子なのです。あの子が再結成されたコムゲの頭だったのです…」
漢城府の敏腕チャン・ムヨルが兵士の遺体を調べた結果、左胸5cm程度の刺し傷を確認した。傷の上下が腫れて盛り上がっているのは両班の死体と同じ具合である。
つまり淑媛のいる屋敷を襲ったのは盗賊ではない。コムゲなのだ。
それではなぜコムゲは淑媛を殺さなかったのだろうか?
そして淑媛はなぜそれを隠そうとしたのか…
この謎を胸に抱えて、チャン・ムヨルは漢城府の前庭へ兵を集めた。
夜通し歩くのにはタイマツがいる。
タイマツをかかげた兵士は一斉に漢城府の門を出て山中へと向かった。その目的はコムゲの討伐であった。
盗賊騒ぎのあとポン尚宮が護衛と一緒に夜遅くに戻って来て、トンイに頼まれていた六経(儒教の6種の経典)を卓上机に置いた。本屋はすでに閉まっていたため、わざわざ監察府へ戻ってチョン最高尚宮の手を煩わせたのだ。
その際、ポン尚宮はチョン最高尚宮にこんな愚痴を吐いた。
淑媛様は最近どうも隠し事だらけで、一番そばに仕える私にさえ話してくださらない。
それにしても六経など何に使われるのか…
トンイが風呂敷を解くと、六経がどっさりあらわれた。療養を終え、宮殿に戻ってからもトンイは寝る間を惜しんでページをめくり続けた。
事は急を要した。
父さんたちを死に追いやった真犯人が分からない限り、ケドラはいつまでも世を恨んで両班を殺し続けるだろう…
六経は南人の一部がよりどころとしている経典である。
だとしたら、手信号の答えはここにあるのかもしれない。
ところが調べる範囲が広くて、かなり時間がかかりそうだった。先の見えない作業に解決策が見いだせずにいたところへ、掌楽院のファンおじさんがとつぜん訪ねてきた。
ファンおじさんは久しぶりにトンイに会って感激したらしく、泣きだしそうな顔で深々とお辞儀をし、卓上机へさっそく手土産を置いた。
青地にピンクの小花の風呂敷を解くと、内側の縞模様が広がりヘグムが現れた。
トンイはそれを懐かしそうに手に取って白い弦をなでた。
「お慰めになるかと思いまして…」
とファンはかしこまりながら、トンイの顔色が優れないのに気付いて、何か悩み事でもあるのだろうかと心配になったのである。
ファンが帰ったあと、トンイはヘグムを奏でようと庭へ出て夜風にあたった。
父さんたちのいる星を見上げ、気持ちが少しリラックスしたのが良かったのだろう。
数の謎を解く鍵が、とつぜん頭にひらめいたのである。
すぐにもヨンギのいる執務室へ駆けつけると、ちょうどシム・ウンテクも居合わせ、やはり六経を調べているところだった。
トンイは六経の中の「楽記」を取り出して2人の前へ広げてみせた。
南人は5経に「楽記」を加え、経典を6経としている。
だからこの6つ目の経典である「楽記」にヒントが隠されていたのだ。
「数の意味は音律だったのです」
トンイは筆で紙に走り書きしながら以下の説明をした。
音律の8番目は林鐘。5番目は姑洗。10番目は南呂。5番目はまた姑洗。
それぞれ頭の文字を取り、繰り返す音律は後の文字を取ると、
林・姑・南・洗
洗の字は官職を表わす。ならば南洗は官職につく南人という意味になる。
残る“林姑”は何か?
チャン・イッコンが死に際に伝えようとした真実とは。
その手の動きは犯人を示している。
“林姑”とは左議政だったオ・テソクの号である。
2011/1/24更新
男らは覆面をし、長い刀を光らせている。
「お前が王の側室に違いあるまいな。苦しまずに死なせてやろう」
1人が低い静かな声でトンイを睨んだ。
一連の殺人事件はこの男らによる犯行によるものらしい…。そして今度はどうやら自分がターゲットにされたのだ。
心が怯える一方で、まぎれもない事実がトンイの胸の中に静かに流れた。
額のはちまきにまざまざと浮かび上がる白い刺繍は、コムゲの角印であった。
「本当にあなたたちはコムゲなのですか…?」
男らはトンイの口から突然コムゲが出て来たことにかなり慌てたようだ。
一方の男が話など聞かずに早くトンイを片付けようと助言するのを、手前の男が腕でさえぎった。
「ちょっと待て。この女は何か知っているようだ。まさか朝廷が我々の犯行に気付いたのではないだろうな」
それだけ確認するまで、しばし男らは本の刀の先をトンイののど元へ移動させた。
「私の父がコムゲでした。チェ・ヒョンウォン。コムゲを結成した頭が私の父です」
トンイの責め口調に男はひるんだ。しかし王の側室がコムゲの娘だなんてありえるだろうか?! 到底信じられずに疑った目をした。
命が惜しくて嘘を言っているのだろうと、もう一方の男が知恵を入れた。それで迷いが降りきれたのか、男は次の瞬間大きく刀を振りあげた。
「なぜ人を殺すのですっ! 父が結成したコムゲは人殺しなどしませんでした」
トンイの強い声に男はまたひるんだ。トンイの言葉が今度こそ男の心に突き刺さった。
そのとき3人目の男が急を知らせに入ってきた。兵士が大勢こっちへ向かっているというのだった。
駆けつけたのは漢城府の兵である。長屋門の壁と石段には、警備兵が血を流してぐったり倒れていた。首に手を当ててみたところ、脈はすでにこと切れていた。
漢城府の武官は兵を指揮して長屋門を突破し、敷地へと乗り込んだ。
庭土に血のシミが広がっている。しかし遺体はどこにもない。辺りを見回ってきた兵士の報告によると、不審な者は誰もいなかったということである。
武官が考え込んでいるところへ、トンイがさっそうとあらわれた。
「そなたたちは何だ。なぜここを探っている。漢城府のようだが」
武官は狐にでもつままれたような顔になった。侵入者がいると報告があり、わざわざ巡査中に駆けつけてきたのだ。てっきり淑媛が狙われたものと思ったが、まるでこっちを怪しむような言い草だ。
「ご無事でしたか? 淑媛様。屋敷を警護した兵が襲われていましたが…」
武官の戸惑いをよそに、トンイが急に微笑んだ。血相を変えてたった今到着したばかりのチョンスに向かってだった。
そのチョンスも、武官の目には不自然にうつった。随分と真っ青な顔をしていたのに、淑媛の無事を見るなり、まるで何事もなかったかのような態度を取りはじめた。
これらはすべて盗賊の仕業であるから、漢城府は引き揚げるように。そもそも淑媛の警備は親衛隊の仕事であり、漢城府は関わる必要がない。
王様にご心配をかけたくないとの淑媛の要望により、報告すら無用であるとされた。
チョンスはこれらのことを、武官に必要以上に厳しい口調で命じたのである。
「承知しました…」
武官は納得しかねながらも、チョンスの強い態度に屈して、兵を引き揚げざるを得なかった。
チョンス兄さんと部屋に戻ったトンイは、待ち兼ねたように本音を吐き出した。
「チョンス兄さん、ここへコムゲが来たのです!」
「ええ。知っています。だからこうして駆けつけました。実はやつらの頭に会ってきたのです。ケドラを覚えていますか…?」
「ケドラ…ですか?」
トンイはなぜ急にチョンス兄さんがケドラの名を口にしたのか、最初わからなかった。
ケドラはトンイの幼馴染だ。
コムゲが全滅したあの夜、可哀そうなケドラは軒下に隠れて惨劇を目の当たりにしたのだ。部屋から庭へ蹴り落とされて、兵士に引きずりまわされる女。そしてその女をかばおうとして槍で背中を突かれたケドラの父さん。その最期のすべてを目撃した。
思わず軒下から飛び出しそうとするケドラに、父さんが目配せを送った。
こっちに来るな。そう呟いたのだ。ケドラは父さんが死んでいく姿を、なすすべもなく軒下で泣きながら、目に焼き付けるよりしょうがなかった。
だけどどうして…と言いかけてトンイは、ケドラの無念がどれほどのものだったか想像がついた。
ケドラと同じく張り裂けそうな悲しい思いを胸にこらえるようにして、チョンスがトンイに言った。
「そうです。あの子なのです。あの子が再結成されたコムゲの頭だったのです…」
漢城府の敏腕チャン・ムヨルが兵士の遺体を調べた結果、左胸5cm程度の刺し傷を確認した。傷の上下が腫れて盛り上がっているのは両班の死体と同じ具合である。
つまり淑媛のいる屋敷を襲ったのは盗賊ではない。コムゲなのだ。
それではなぜコムゲは淑媛を殺さなかったのだろうか?
そして淑媛はなぜそれを隠そうとしたのか…
この謎を胸に抱えて、チャン・ムヨルは漢城府の前庭へ兵を集めた。
夜通し歩くのにはタイマツがいる。
タイマツをかかげた兵士は一斉に漢城府の門を出て山中へと向かった。その目的はコムゲの討伐であった。
盗賊騒ぎのあとポン尚宮が護衛と一緒に夜遅くに戻って来て、トンイに頼まれていた六経(儒教の6種の経典)を卓上机に置いた。本屋はすでに閉まっていたため、わざわざ監察府へ戻ってチョン最高尚宮の手を煩わせたのだ。
その際、ポン尚宮はチョン最高尚宮にこんな愚痴を吐いた。
淑媛様は最近どうも隠し事だらけで、一番そばに仕える私にさえ話してくださらない。
それにしても六経など何に使われるのか…
トンイが風呂敷を解くと、六経がどっさりあらわれた。療養を終え、宮殿に戻ってからもトンイは寝る間を惜しんでページをめくり続けた。
事は急を要した。
父さんたちを死に追いやった真犯人が分からない限り、ケドラはいつまでも世を恨んで両班を殺し続けるだろう…
六経は南人の一部がよりどころとしている経典である。
だとしたら、手信号の答えはここにあるのかもしれない。
ところが調べる範囲が広くて、かなり時間がかかりそうだった。先の見えない作業に解決策が見いだせずにいたところへ、掌楽院のファンおじさんがとつぜん訪ねてきた。
ファンおじさんは久しぶりにトンイに会って感激したらしく、泣きだしそうな顔で深々とお辞儀をし、卓上机へさっそく手土産を置いた。
青地にピンクの小花の風呂敷を解くと、内側の縞模様が広がりヘグムが現れた。
トンイはそれを懐かしそうに手に取って白い弦をなでた。
「お慰めになるかと思いまして…」
とファンはかしこまりながら、トンイの顔色が優れないのに気付いて、何か悩み事でもあるのだろうかと心配になったのである。
ファンが帰ったあと、トンイはヘグムを奏でようと庭へ出て夜風にあたった。
父さんたちのいる星を見上げ、気持ちが少しリラックスしたのが良かったのだろう。
数の謎を解く鍵が、とつぜん頭にひらめいたのである。
すぐにもヨンギのいる執務室へ駆けつけると、ちょうどシム・ウンテクも居合わせ、やはり六経を調べているところだった。
トンイは六経の中の「楽記」を取り出して2人の前へ広げてみせた。
南人は5経に「楽記」を加え、経典を6経としている。
だからこの6つ目の経典である「楽記」にヒントが隠されていたのだ。
「数の意味は音律だったのです」
トンイは筆で紙に走り書きしながら以下の説明をした。
音律の8番目は林鐘。5番目は姑洗。10番目は南呂。5番目はまた姑洗。
それぞれ頭の文字を取り、繰り返す音律は後の文字を取ると、
林・姑・南・洗
洗の字は官職を表わす。ならば南洗は官職につく南人という意味になる。
残る“林姑”は何か?
チャン・イッコンが死に際に伝えようとした真実とは。
その手の動きは犯人を示している。
“林姑”とは左議政だったオ・テソクの号である。
2011/1/24更新


