2012年02月10日

「ケトンの月」1話 琥珀の秘宝

陰河王朝では本日、政祭殿の広場にてお月見が開かれた。
広場の中央に赤じゅうたんをかぶせた台場が設置されている。その赤じゅうたんは重臣らが座るテーブル席の後ろ側を通って、そのまま政祭殿の壇上へとのぼっていた。
台場の真ん中に冴えないハリボテの大鶏が鎮座する。龍か蛇のうろこに似た羽が1枚1枚くっきり描かれてある。絹地のやわらかな垂れ尾の一部に夕日があたった。
壇上席の王妃の艶やかな服装は、広場からでもよく目立った。肩と胸に厚い金の刺繍がほどこされ、すそに向かうにつれ天の川のように流れていく。花、葉、茎の柄模様に縁どり線はないが、それがかえって、くすんだあかね色の花や白菊、三つ葉のおうど色を、地色に浮かんだように見せた。
王族席には果物の盛り皿、茶器が用意された。
その前側には白布のかかった低い祭壇があり、栗、柿、稲穂、さつまいも、小豆、生魚のお供えの他、月光浴のため三種の神器を納めた玉手箱が3つ置かれた。
どれも漆の箱に紫のヒモを結びつけ、フタは閉じられたままだった。

日が暮れるにつれ、辺りがしんしんと暗くなっていく。
奥の山と思って眺めていたのは、巨大な雲が暗い影になったものだとイコク王は気付いた。
渡り鳥の声が急にうるさくなり、何人かが天や宙を見た。ついで城内の森へも目をやってみたものの、渡り鳥の姿はなく、声ばかりが不気味に響いた。
王様は気になってしつこく空を見まわした。そうして渡り鳥の群れが急カーブを描いて遠くへ飛んで行くのを見つけ、ようやく安堵したのである。

「今宵は日頃の喧騒を忘れ、名月を楽しむひとときである。三種の神器は月の力に満たされたのち、本日より宝剣のみを東宮殿へ移すこととする。信頼する皆の力添えによって王子が将来、陰河王朝の繁栄を築くことを願うばかりである」
最近、王宮殿へ怪しい者が侵入したとの報告が度々起きており、後世へ継承されるべき大切な宝物を分けて保管するのは、保安の意味も兼ねていた。
しかし祭事の前のこともあってか、ほとんどの説明は省かれた。

重臣席から地響きのようなざわめきが徐々に沸き起こった。このまま王様の宣言を聞き流すことに、皆は何かしらの心残りを感じたのだ。かと言って何を聞いたらいいのかすぐには思い浮かばないで、他の誰かが重要な質問をしてくれることを、それぞれが期待して待った。
このまま何の進展もなく終わるのだろうと何となく予感していたところへ、とつぜん王の娘婿であるパン・ダンが席を立ち、壇上の王様に声を張りあげたのであった。
「なぜこの時期に宝剣を王子に譲渡するか、はっきりとした理由をおうかがいしたい!」
会場内にパン・ダンの太い声が降り注いだあと、数秒ほどの間があいた。
「パン・ダンは場をわきまえよ。この場において話すことは何もない」
王様はぴしゃりと言い返したものの、一瞬でも言葉を失った事実は隠せそうになかった。
重臣らの耳にはパン・ダンの大声に比べたら、まるで僧侶のように聞こえた。だいぶん年を取って声帯が衰えはじめたせいもあるだろう。
「しかし、このような場で突然に発表されたのは王様の方です。神剣を移されることの理由は当然、説明すべきではありませんか?」
王様は再び言葉を失った。それよりパン・ダンが公の場でもっとまずいことを喋りだしやしやしないか肝を冷やした。パン・ダンは予測できない男だった。これらの発言に対して王妃がすでに不快と不安をあらわにしているのも気にかかる。
王様はおつきの内官に目で合図を送った。するとおつきの内官は小走りに宣旨署の最高上官へ、何やら耳打ちをしたのだった。
次の瞬間、宣旨署の最高上官は壇上から声をあげた。
「はじめよ!」
コトン、コトンと滴が垂れるようなテンポで、寿楽院の演奏がゆったり流れ、広場の台場に6名の舞女が登場した。
パン・ダンはなすすべもなく席に腰をおろした。
赤いさざんかを生けた白地の小瓶を邪魔に思い脇にどけ、白磁の器を指でつまんで甘茶をすすった。酒がないのが不満だった。
「ひとまず棚上げですな…」
パン・ダンの背後で重臣らがささやき合っているのが聞こえる。
いつの間にかハリボテの大鶏が内側から灯っていた。暗闇にポッと浮かんだ黄色やオレンジの強烈な明るさが、どこか人々の心を安堵させた。皆は一様に舞女へ目をやった。
編み髪を後ろで一つにまとめ、若過ぎずそう年でもない油ののった女たちだった。色とりどりの提灯の列で作られた台場の屋根が、いっそう女らを惹きたてた。
女は長いリボンと、もう片方の手にでんでん太鼓を持っている。リボンが文字を描くように交差し、でんでん太鼓の糸先の玉は飛び跳ね、パチパチと音をかき鳴らした。
女らの白い衣と幅広の袖のすそに、内着の3色の重なりが品良くのぞく。くるくる回るたびに衣のスリットが激しくねじれ、勢いよく巻き戻った。内側に何枚も違う色のスカートが隠れているのが観客の目にもわかった。女らは巻き上がる風ように回り続け、ときにはそれが花のようにも見えた。
ほとぼりが冷めた頃を見計らって、隣の席の男とその周辺の重臣たちが、パン・ダンの背を指でトントン叩いた。
自分の姪に王の側室を持つキム・ヒョインは、特に心配症の一面を顔に滲ませ、こう尋ねた。
「なぜわざわざ神器を分けられるのでしょう…?」
「分けるべき理由が出来たとしか思えん。王子の他に神器を与えたい者がいるのだよ」
と答え、パン・ダンは口端に深いえくぼを作って、喉の奥から抑えた笑い声を漏らした。
「それが王様のご本心と? 神玉は琥珀の指輪だと聞いていますが。…まさか犬女に与えるわけにもいきますまい」
「あるいはその子が問題であろう」
「えっ? では王様は犬女の赤子を世継ぎに考えているとでも…?!」
「将来可能性も無くはない。だから俺は心配しているのだ」
パン・ダンは言葉を荒げた。この見解にはさすがに重臣らも凍りついた。
犬女は画家チャン・ミンホの娘を指し示す隠語である。王様との間に子が誕生したというのは、もはや噂というよりも、まぎれもない事実として重臣の間で信じられた。
踊りが終わって舞女がさがると、入れ替わり今度は前掛け姿の菓子職人らが登場した。
1枚の花のように飾った1000個の月餅の大皿を抱え、3人かかりでそろりそろりと壇上まで運ぶのを、王様や王子や王妃や重臣らが興味深そうに見守った。
花びら8枚が浮き彫りになった月餅は、月明かりでいっそう照り輝いた。盛り上がった線は焼き色が濃く、へこんだ部分は薄黄色かった。
そり返る2階建て屋根の政祭殿の裏庭で、一般から招待された子供ら56名が待機していた。それらが年配の尚宮と女官らの導きによって入場した。
刺子の厚い着物の子もいれば、薄っぺらな着物1枚のもいる。男の子も女の子も編み髪を1本、背中に垂らしていた。男の子は衣にズボン、女の子は短い衣を胸のリボンでしめつけ、幼子のお腹に合わせスカートがぷっくり膨らんで見えた。すべて王子と同じ年頃の5歳の子供たちであった。
彼らは今晩だけ特別に、袋を逆さにしたような紙帽子をかぶった。
子供たちが赤じゅうたんに沿って短い石段をあがり、壇上に広がる石タイルのデッキへたどり着くと、職人が1つずつ月餅に薄紙を敷いて配りはじめた。しかし月餅を貰うため列を作っていた子供は、早くも待つことに飽きたようだった。
やんちゃな男の子が前の子の紙帽子をずるりと脱がしたのを皮切りに、あれよあれよと言う間にいたずらの輪は広がっていった。
子供らはきゃっきゃとはしゃいで、まるで収拾がつかない。若い女官らはそこら中を駆け回る子供にオロオロした。
王子もいつの間にか紙帽子をかぶり、子供と走りまわっている。王子の立派な絹ずきんは誰か別の子供がかぶって、果たしてどれが王子なのか見分けがつかない有り様だった。
行き過ぎの事態に、王妃はもちろんのこと王様さえ危惧を感じ始めたとき、王子の世話役の60歳近い年配尚宮が、とつぜん王子の後ろえりをぐいとつかんで、集団から引っ張り出した。
「王子様がそのようでは、いっこう示しがつきませぬっ!」
尚宮は腫れぼったい目で王子を厳しく戒めた。
王様はこの尚宮を信頼しているらしく、納得したように小さく頷いてみせた。王子の方も照れ笑いをするばかりであったが、王妃はこうも堂々と皆の前で我が子を叱りつけられては、あまり面白くないという顔をしてみせた。
王子はかつて自分の乳母であったモスリが壇下に控えているのに気付いて、嬉しそうに目を合わせた。するとモスリもこっそり微笑み返した。しかし王妃はこれもまた気に食わないようであった。2人を引き離し、この頃ではようやく王子も自分に慣れてきたというのに、水をさされてしまったと思い込んだ。
モスリの優しくはかない感じが、王子には実の母よりも母親の安らぎを感じさせてくれた。何より年増の教育係と違って、美しいところが最も王子は気に入っていた。
子供らは女官の指示に従い、今度はきちんと順に並んだ。月餅を手にしたあと端の方の階段を使って、先ほど舞女が踊った畳敷きの台場で餅をかじった。
王様はふと空を見上げた。白い月は時間とともにどんどん輝きを増し、周囲に何本も長い光を放った。他の者たちは皆それぞれ話に花が咲いて、月を見ることなど忘れてしまったようだ。
おつきの内官が深刻な様子で王様の耳に打ち明けた。
「王様、さきほどから神玉の箱が開いております…」
王様はハッと、祭壇へ視線を送った。
確かにおつきの男の言う通り、房付きのヒモが解けてフタがずれている。
「子供がいたずらしたのかもしれぬ。神物を覗いて見るワケもいかないから、手探りで中を確認してみよ」
王様の命令で、おつきの男が箱のそばへ寄り、指輪をくるんであった青い絹布の上から遠慮がちに手の平をあてた。それから首を傾げ、しばらく指の先で風呂敷のあちこちをもんだ。王様は寿楽院の笛や琴、太鼓の音色を聞きながら辛抱強く待った。
しかし王様のもとへ戻ったおつきの内官は、どうも指輪のように硬い感触は見当たらなかったと告げるに至った。
「そんなはずはない。舞台の周りにでも落ちてないか今一度、確認してみなさい」
おつきの男は神玉の箱の前へ再び戻らされた。
広場の宴席では、おつきの内官の不自然な動きを気にする者も出始めていた。
おつきの内官は床を見つめながらかなりゆっくりと壇上を歩いて、ときどき立ち止まっては腰を深く折り曲げた。
内官の茄子帽子がそのたび左右に大きく振れるのを見るにつけ、一体何をうろつき回っているのかと、幾人かは不思議に思ったのだった。


2012/2/10更新
Posted by d_nose00 at 00:01  | ケトンの月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする