2012年01月08日

善き人

物語としてもよかったし、おやぢ映画としてもたいへん佳良でした。ジェイソン・アイザックスとマーク・ストロングの安定したおっさまっぷりを満喫できるし、へっぴり腰でおろおろするヴィゴがナイス。出世などの日常生活の充実とひきかえになんとなく感じる違和感を直視せず、ふと気づくと倫理も道徳もずたぼろなことをしていて、にっちもさっちもいかなくなった善良なドイツ人を好演してます。武闘派キャラよりこういう腰抜けキャラのほうが好みだなあ。
アン役のジョディ・ウィテカーも慎ましやかなのに妙に迫力のある肉食系女子なとこがいい。最初アンって党がよこした間諜か?とか思ったのだけど、ヴェルサイユ体制のしけた時代しか知らなかった若者が新生第三帝国に無邪気に心酔して後先顧みずに利得を享受しているというほうがよりじんわりと恐いですね。

以前ものした小説の死生観が党の御眼鏡に適い、フィリップ・ボウラーら主導のT4作戦(安楽死政策)の布石にと御用学者として使われた文学部助教授(たしか最初のうちはlecturerって言ってたと思う)ジョン・ハルダーの1937〜1941年の物語。
ハルダーのモデルになってるような実在した人物がだれかいるのかな?まったく架空の人物かな? 実証に基づく科学畑でなくてあくまで社会的文脈に位置づけられるしかない文学畑の研究者という設定がうまいと思う。本音を吐ける唯一の相手、ハルダーかかりつけの精神分析医モリスがWWI時の戦友で退役ユダヤ人という設定もよい。ドイツに生まれ育ち国のために戦った人間だから、公民権を剥奪されてもなお愛国心もこの国で築いてきたものも捨てきれず国外脱出のタイミングを逸するのも無理からぬこと。ちなみに'37年というと、ユダヤ人はユダヤ人以外の患者診ちゃいけなかったんだよね。それでも交流が続いていた、食べ物の好み(チーズケーキ!)まで熟知している親友です。
いろいろ屈託のある家庭生活を送っているところに党から急に社会的有用性を付与されて、見返りの利得も結構あり、さして強制されることもなく党や社会の趨勢に迎合し、毛嫌いしていたはずのナチスの党員に形式的になるはずがどっぷり浸かって、いつの間にかSDの黒服を着て親友すらも知らぬうちに「殲滅」に追いやっていたハルダーなのでありました。1938年パリのドイツ大使館書記官殺害事件に続く「水晶の夜」のエピソードも出てくるで。

しかし、映画の売り文句を信じてはいけないことも結構あるんだなーと痛感。
善良な主人公、葛藤してないよ!葛藤したくないんで直面すべき現実がミュージカル風マーラー歌曲の幻覚・幻聴に転換されるんじゃないか!
だから長回しとたった一言のあのセリフのラストが強烈な印象を残すんだよ!

こういう「社会的に善良な」人たちが遅ればせながら気がついたときには選択の余地なく凄い勢いで進みつつある「殲滅」に大なり小なり加担してしまっていたってことでしょう。作品で描写している時期が1942年1月ヴァンゼー会議の前、1941年で寸止めにしてそこまで言い切らないとこがまたニクいねえ。

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