January 03, 2012

移転先のお知らせ

日頃はデフジャーナルのご愛読ありがとうございます。
たまにお立ち寄り頂いている方もありがとうございます。
めったに立ち寄らないよ、という方も、これを目にして
いただきありがとうございます。


しばらくテストとして二重投稿をしてまいりましたが、
移転先の作業がほぼ完了しましたので、お知らせします。

「Deaf Journal ろう者の風景」
http://deafjournal.blog.fc2.com/


1月末か2月には閉じようと思っていますので、以降の投稿分は
すみませんが上のURLにアクセスをお願いいたします。
理由は、このサイトを開設できるための大元のプロバイダを解約
しようと思っているためです。

ねこ本人と一緒でこのサイトも引っ越しばかりしておりますが、
できるだけ長く続けたいと思っております。
とは言え、好き勝手なことばかり書いているから、続けられるのも
道理なのですが。

ねこは、勝手気ままに、ねこ道を行く。
そんな感じでしょうか。
2012年もどうぞよろしくお願いします。

Posted by ねこ at 22:57  |Comments(0)TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

尊属殺人のニュースに思う

新幹線のテロップに尊属殺人のニュースが流れてきた。

私は思う。
どんな憎悪を持たねばならなかったんだろう、憎悪を解放しえなかったんだろうって。

家庭が複雑だ、という言い方をよくするし、よく聞く。

子どものころ、けっこう悩んだけれど、どんな子どもにも生物学上の父親と母親がいて、産まれてくることには間違いがない。

だから、一緒に暮らした事実がなくても、お父さんがいる、お母さんがいると言っていいと思うし、それは否定する必要もない。そう考えるようにしてから少し楽になった。


昨今、「複雑な家庭」のあり方も多様化し、そして社会のなかで常態化してきたと思う。

愛情の対義語は憎悪ではなく無関心だとも言い、私はその考えを持って、ときには割りきって生きてきたけれど、果たして憎悪をどのように位置付けたらよいのだろうか。

愛情の形がかわり憎悪となるなら、無関心に逃げたっていいと思う。
「あんなやつがのうのうと生きてるなんて許せない」と思うようになったら、ちょっと頑張って走ってそう思ってしまう心の状態から逃げるべきだと私は思っている。

だって、憎悪を持って生きていたら心身を病んでしまうから。

親だから、子だから理解できて当たり前なんて神話にすぎないこともある。
理解できないこともあるし、そもそもが産まれながらにして他者である。
ようは、自分が依存関係から離れられる力がつくまで待ち、そして離れることにエネルギーを費やせるかどうかだと思う。それはものすごく大変だししんどいことだけど。

尊属殺人のニュースに、嗚呼…とまた、呟いた。合掌です。
Posted by ねこ at 14:25  |Comments(0)TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長期休暇の思い出

長期休暇では、手話を知らない家族や親戚に囲まれ、コミュニケーション面の疎外感を味わうろう者も多いだろう。

夏休みや冬休み前の生徒たちが意外に喜ばず、「家にいたら話ができないから学校に来たい」と言ってきた姿は私には不幸の連鎖とも取れたし、ああ、こうしたことは成人してもなお続くのだと複雑な心境に。

祖父母が存命のころ、夏休みに長期に預けられたことがある。
話し相手がおらず、話してもよく通じず、衣食住のみ保障され、手話サークルないの?と尋ねるも、小さな村には手話コミュニティはなかった。
祖母とは少し、必要最低限のことは意志疎通ができたが、祖父とはまったく話せなかった。
祖父は家の中で入れ歯を外すので、口が読めないのである。
祖母とは「水汲んできて」とバケツを渡されれば井戸に行くと分かるというような感じの2語文で話をしていた。

大きな梁(はり)の下で寝っころがって、祖父所蔵の旧字体の本を読み暮らしていたら、背中に大きなしこり(オデキ)ができてしまった。

そのオデキは、再び手話で話ができる環境に戻ると自然消滅したのだけれど、言語的なインプットがなく、私は飢えるように、普段は読むこともない旧字体の活字を追い続けた記憶がある。

おかげさまで、そのひと夏を通して文脈から現代の常用漢字を想定していくトレーニング方式により、なんとなく旧字体が読めるようになった。

起床、ご飯、井戸の水汲み、旧字体の解読(読書)、ご飯、読書、風呂の薪くべ(と言うのかな)、風呂、ご飯、読書…の田舎暮らしだった。

ほどなくして、築100年を超える昔ながらの屋敷は新しく建て替えられたが、やがて家主の代が替わり、疎遠になり行くこともなくなった。

いとこはみな男の子だったが、うちひとりとは祖父母の葬儀でも会えなかった。
たまに私の折り紙遊びに付き合ってくれたり、一緒に縁側でカニ釣りをしたり、裏山でロッククライミングばりの岩登りしたりした、その男の子Mくんはいま、北陸のどこかで福祉の仕事をしているという。

福祉といっても色々だから、手話とは無縁かもしれない。
でも、あの一族のなかから福祉というキーワードに繋がるのは、私をおいて異色であるし、稀なことである。私は当事者としての福祉だけれどMくんにとっては、共感とか無視しておけないものに対する姿勢が原点にあると思う。

インターネット時代に、もしこのジャーナルを読むことがあれば、また接点が取れて会うこともあるかなぁと淡い期待をだいているし、それが起こることを願っている。

Mくんはまだ幼かったけれど、聞こえないいとこが居るのを覚えていてくれるかな。私はその後手話を覚えて、手話を知っている人とはずいぶんたくさん話ができるようになったよ。
Posted by ねこ at 09:47  |Comments(0)TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

厄年と幸せ

三が日の朝、課題ができてなくて印刷できるパソコンを求め走り回り、「課題やってなかったんだ…間に合うのか?」と仲間が見守る中、(次の時間自主休講してその次の時間30分遅刻したら出せるかも…!)とリアルにあわてつつ、とうとうギブアップして先生に謝りに行くという夢を見ました。

嗚呼。
朝からつまらぬ。


年末からぐだぐだと体調をプチ崩した私は、カウントダウンや酒飲みイベントに行くこともなく(実際酒はほとんど飲めず)、ましてや福袋争奪戦に立ち向かうこともなく、大根飴を一袋消費しながら三が日を終えようとしている、ところです。

嗚呼。


そんな中でかろうじて友人に会え、何時間も話せたことは貴重でした。

ところでそんな中、厄年の話があり、私は厄年をまったく考えることなく終わってしまったようなのですが、厄年を逆算して振り返ったら、ビンゴ!でした。


厄年に厄ありすぎ!
うわ…こりゃリアルだ…と絶句。


「厄」の考えかた自体、日本的なもので、仏教か何かの影響を受けていると思われますが(その程度の知識や思い入れしかない)、祓える厄なら祓ったほうがいいのかもしれません。


「幸せはあなたの心が決める」


とはよく言ったものです(あいだみつを)。
幸せになろうね。うん。と再会したチャピくんと呟きあいました。
Posted by ねこ at 08:03  |Comments(0)TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

January 01, 2012

画像-0079.jpg私の昔の夢は…高校に行かずに占い師になることでした。

それくらい何かを読む力を持っていたのですが、いまはさっぱり凡人です。

でも、新年にあたり、新しいカードをひいてみました。

写真は、トランプでやってみたものです。

タロット占いのスプレッド(配置)と似ていますね。ケルト十字をもじったスプレッドにしました。

意味は…よくわかりません(+。+)
タロットがないのでトランプでやっただけですが読みかえをする解釈を忘れてしまいました。

でも結果は最強キングですから、新年大吉と信じて進みたいところ。

インスピレーションの力を磨いて、錆び付いた精神的な鋭さを取り戻したいと思います。

…とここまで下書きをして籤(みくじ)をひきに行ったら、大吉でした。やったー!

Posted by ねこ at 13:29  |Comments(0)TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする