被災ぶりの更新です。
実はメインマシンを新調し、テストも兼ねて書いてます。皆様いかがお過ごしでしょうか?改めましてこんばんわdokuhuntです。
さて、本日のお話は現在の100年に一度と言われている不況と、その未来についてです。
最近思い出すのは、15年前。仕事で中華人民共和国へ行った時のこと。現地で通訳の方の給料を聞いたら、2000円でした。
1日?いえいえ。1か月でです。
その時思いました。自分の手取りが当時12万ぐらい。しかし、この人の60倍の仕事ができるでしょうか?はたして、自分は60倍の報酬をもらえるほど価値はあるんだろうか?
そんな不安をその時は漠然と思っていました。
そして、去年一昨年ぐらいまでマスコミ等で、よくつかわれていた言葉。
「グローバル」
何でも、世界基準に!世界を相手に云々カンヌン。
確かに日本はグローバル化しつつあり、世界標準に近づいていきます。しかし、世界に近づくってことは、世界標準の人件費と競争することです。
同じ仕事だったら、安い賃金で請け負ってくれる所にどんどん流れていきます。
日本人では時給600円では働いてくれません。正直やっていけないから。
んで、外国人労働者に仕事が流れると。前にNHKのドキュメンタリーで見たところ、彼らは4人ぐらいでアパートに一緒に住み、交替で自炊をして暮らして働きます。十分にやっていけるんですね。
そして、本国にお金を送金すると。本国では月々2000円の給料が少なくても10万になるわけですから、50倍ももらえるわけです。
まさにドリームですよね。自分の月々の給料が50倍になるんだから。12万でも600万ですよ。月に。
彼らは一年我慢して働けば、そのあと一生遊んで暮らせるんですから。未来に希望を持って頑張れます。
しかし、自分たち日本人はそんな彼らと賃金の面でも競争していかなくてはなりません。生きていくために。
個人的には、仕事がどんどんコストの安いとこへ安いとこへ流れた結果、みんな貧乏になり、結局は消費が落ち込んでいくのが来年以降の自分の見通しです。
一人のもつ1億円と1万人が持っている1万円では、どっちが早く無くなるのかは、考えるまでもないです。(ですんで、麻生さんの給付金にはちょっと賛成)
そして、ここからが、本題。
この先不安だから、貯金に励み、子供も作らず、遊びも我慢する人も多いと思います。
しかし、それは間違っていると思う。
将来的に本当に1円も年金がでなくなったら、どうなるか?旧ソ連では実際に出なくなりましたしね。こういう時に、身内がいなかったら誰を頼りに生きればいいんでしょうか?
たとえ貯金があったとしても、通貨のインフレが起こったら、どうなるのでしょうか?つい60年前は月給が5円とか10円の世界だったのに、この先30年、物価が変わらないと断言できるのでしょうか?ひょっとしたら、パン一個1万円の世界になっているやも知れません。
そして、遊ぶことを我慢し人間は生きていけるのだろうか?まあ、お金が無ければ、遊ぶこともできませんが。
来年以降訪れるであろう、そんな新世界を生き抜くキーワードを考えた。
「人」「食糧」「楽しむ」の3つ。
まずは、「人」
最後に頼れるのは身内。ですんで子供は出来るだけたくさん作ったほうがいいと思う。最低3人ですね。養育費かかるって意見もありますが、一人2000万とか言うけれど、テレビで見る大家族もののお父さんが生涯収支で数億円稼いでいるように見えないから、基本公立になると思うけど、なんとかなるでしょう。将来的に子供にとっても集まって住んだいたほうが、生活防衛しやすいと思う。住むに関しては大勢で済んだほうがコストダウンできますから。
次に「食糧」
お金なんかよりも価値の変わらないものは、ずばり食料だと思う。自給自足が理想だけど、最低限何かを作って家計を浮かせるのが必要。食べ物を作るってことが一番理にかなった仕事ですからね。後は山菜を採ってきたりとか、釣りとかリアルモンハンですな。
最後に「楽しむ」
これからは、個人で生きるというよりも今から自分が始祖となる一族の長って感覚で、どうすれば一族が繁栄するかを考えて生きていきたいと思う。そう考えると、長が暗い顔していたら、一族に未来はないです。ですんで、強引に楽しんでいこうと思います。子供と遊ぶのは楽しいので、最近は土手をダンボールで滑ったり、部屋のハリに100円ショップで買った荷造りひもでブランコを作ったりしてます。まるでお金は使ってないけど、すごいエキサイトしてくれます。
以上 かなりの長文になったけど、年内最後の更新です。これから、実家のある岩手にかえって、久々にあっさんとエキサイトしてこようと思います。