April 30, 2012

Expression and the world since The Day

I write about a memory of the great earthquake last year. It is related to the issue about expression and the earthquake.

There were so many controversies about "expression of the earthquake in culture" since last year. Some says every artist should express experience of the earthquake and the nuclear accident, and some criticize about it. At least, everyone must agree that it is a difficult issue.

I think that we can mention the Shiriagari Kotobuki's comics as a few examples of the success about that which many people accept.
Shiriagari Kotobuki is serializing the comics "Chikyu Boei Ke no Hitobito" (The Earth-Saver Family) to Asahi Shimbun.
Shiriagari had been taking up current news to the comics usually. Therefore, he took up experience of the earthquake to the comics frequently in those days. He wrote even the reportage of disaster area in Tohoku based on his volunteer experience on the comics. Those comics were collected in the one book and obtained high evaluation, such as winning a prize.

However, it is not about "Chikyu Boei Ke no Hitobito" that I would like to write here.
I want to write about "Nono-chan" which is another serial comic on Asahi Shimbun.

"Nono-chan" is drawn by Ishii Hisaich. Ishii seldom takes up current news on "Nono-chan" usually. Therefore, he did not take up any topics about the earthquake and the nuclear accident. Neither the great earthquake nor the tsunami hazard nor the nuclear accident happened in the world where Nono-chan and her family live. Ordinary calm days were continued in a corner of tense general news page.

Some may criticize the attitude of Ishii as compared with Shiriagari and say he escaped from the situation. However, I do not agree with it at all.
Because, I suppose that Ishii fought the difficult as well as Shiriagari. It is not easy to continue drawing comical comics in that tense situation. I think that he performed his role.

After the earthquake occurred, I had despaired how helpless I am. Although many brave people went to relief to Tohoku, I could not. I was not relieved although it was announced that that everybody lives a usual life led to the restoration.
However, I was relieved when I saw the "Nono-chan".
The "Nono-chan" of those days was not so amusing than usual. However, I received the things more than the contents that were drawn on it.
What I saw in the unamusing comics was that the author was fighting with difficulty. I could understand that he was performing his role as hard as possible at the place where he is now. It relieved my soul.
I surely think that many people had similar experience like me in those days. Many people would have been saved by something that was performing usual act as hard as it could in the serious situation.

"Nono-chan" of those days will not be evaluated like "Chikyu Boei Ke no Hitobito". If we see them now, they are mere unamusing comics.
However, I learned a very important thing from "Nono-chan" of those days.
It is the fact that expression does not mean only their outward appearance. We can get much more things from them if we use our imagination.

About the earthquake and expression in culture, many critics have already discussed it. However, I think that most of them are superficial. They look at only outward appearance and discuss about whose reaction was the earliest or which genre was slow to react. They seem trying to make a history as early as possible by listing the things only which they know.
Although I do not like using the word "311", I think that their attitude is just "before 311". What I learned from "Nono-chan" of those days is just the opposite of such things.

I do not think that the world changed since the day. The world itself has not changed at all. It was my eyes that look at the world have changed.
I do think it is about imagination.
After all, we cannot see the "world" and "expression" without using imagination.


 
Posted by 3 at 18:50  |Comments(0) | Diary

あの日からの「表現」〜《地球防衛家のヒトビト》と《ののちゃん》

昨年三月に大震災が起こった直後、言葉を発するのが困難な状況が続いたことは昨年末に日記として書いた。その状況はかたちを変えて現在も未だ続いているように思われる。世界が複雑化して行く一方で、言葉はその表層のみを掬われ粗雑に単純化されていくようなそんな危惧を感じる。
しかし同時に、震災から一年を過ぎ、当時の記憶が薄らいできている危機も感じる。いま言葉にしておかなければ、当時感じた「あの感覚」はいずれは記憶の渦のなか姿を隠してしまうかもしれない。
だから言葉にすることでなにかが損なわれてしまう危険性を感じつつも、これだけは忘れずにいたい思うものをひとつ、ここに記しておこうと思う。
それは「震災と表現」にまつわる記憶だ。


「震災と表現」をめぐる問題については、この一年のあいだ、あらゆるところで様々な議論が為されている。震災の体験に基づいた作品や、震災や原発事故をテーマにした作品も、既に多く作られていることだろう。
しかし震災を作品として表現することに関しては様々な議論がある。巨大な悲劇をあたかも文化的な特需のように煽りたてる風潮に対する反発もあるだろうし、実際の制作における個人的な葛藤もあるだろう。少なくともそれがどのような意味においても「難しい」テーマであることだけは、衆目の一致するところだと思う。

そんななか困難なテーマを困難な時期に扱いながらも、多くの人々に支持されたその数少ない「成功例」のひとつとして、しりあがり寿のマンガ作品を挙げることができるのではないだろうか。
しりあがり寿は朝日新聞の夕刊に《地球防衛家のヒトビト》という四コママンガを連載している。日頃から時事ネタを積極的に取り上げる作風だったこともあり、昨年の大震災が起こった後はマンガのなかで描かれる話題も現実に沿うかたちで震災関連一色になった。さらに震災発生から一カ月ほど経った後には、作者本人が東北へボランティアに赴いた経験をもとにして、マンガ内のキャラクターたちも被災地へと向かうことになる。その期間は通常のギャグ漫画としてテイストを離れることも厭わず、異色のルポルタージュ的な展開を新聞の四コママンガのフォーマットで行うという離れ業も見せた。
それらの作品は震災をテーマにした作者の他の作品と共に作品集『あの日からのマンガ』にまとめられ、第15回文化庁メディア芸術祭のマンガ部門で優秀賞を受賞、最近発表された第16回手塚治虫文化賞でも受賞作に続き二位の得票と、高い評価を得ている。

しかしここで書きたいのは、しりあがり寿のことでも、《地球防衛家のヒトビト》のことでもない。
「あの日」からの記憶として自分がとくに記しておきたいと思うのは、同じ朝日新聞に連載されているもうひとつの四コママンガ、いしいひさいちの《ののちゃん》についてなのである。

《地球防衛家のヒトビト》とは対照的に、《ののちゃん》では震災にまつわる事象は一切取り上げられなかった。ののちゃんやその家族が住む世界では、巨大地震も、津波災害も、原発事故も一切起こらなかったのだ。社会面を賑わすセンセーショナルな見出し群とは対照的に、いつもと変わらぬ平穏な日常のひとこまが、緊迫した紙面の片隅でひっそりと展開されていた。
《ののちゃん》のなかで現実に起こっていた未曾有の事態が取り上げられなかったことについては、様々な意見があるだろう。作者であるいしいひさいちの態度をしりあがり寿と比較して「現実から逃げている」と批判するひともいるかもしれない。
しかし当時リアルタイムに《ののちゃん》を読んでいた自分には、作者が現実に起きている事態から「逃げている」などという印象は毛頭なかった。それどころか、しりあがり寿が現実に起こっている深刻な事態を同時並行的に《地球防衛家のヒトビト》で取り上げるのと変わらないくらいの困難と勇気を、自分はそのときの《ののちゃん》に見ていた。そして、そのことは先の見えぬ恐怖に押し潰されそうになっていたあの緊迫した日々のなかで、ひとつの救いにさえもなったのだ。

毎日掲載される新聞マンガだけあって《ののちゃん》にも当たり外れはある。大いに笑える回もあれば、ギャグが不発だったりスベッていたりする回もしばしば見かける。
なかでも震災発生からしばらくのあいだは、ことさら「いまひとつ面白くない」マンガばかりが続いたような気がする。それは見る側のコチラの気分が反映された結果そう見えたのかもしれないし、あるいは当時の緊迫した空気を反映した作者による「自粛」だったのかもしれない。
しかし自分にはそうした消極的な理由よりも、むしろそれがひとつの「表現」のようにも感じられたのだ。なにも怖ろしいことは起こっていないかのように気丈にも「普段通り」を振る舞おうとするキャラクターたちに、この大参事の最中によりにもよってもっともそぐわない場所(新聞の社会面)で「笑い」を届け続けなければならない作者の苦悩と、それでも自分の役割を果たすべくその困難に立ち向かっている姿を見たように思えたからだ。
それに籠められた作者の思いと、そこでは決して「語られないもの」の存在を、あの「あんまり笑えない四コママンガ」のなかに、そのとき自分は確かに「見た」のである。

震災発生当時、自分を含め多くの人々が自分の無力さに打ちひしがれていたと思う。復旧が進み、被災地へ救援に向かった人々の活躍が盛んに報じられるようになっても、逆にそこに向かえない多くの人々は不甲斐ない自身の非力さを一層味わうことになったのではないだろうか。「今いる場所で、みんなが今までどおりの日常を送ることも復興の一助になります」というアナウンスも盛んにされていたが、理屈では理解できても、なかなか気持ちはそう簡単には安まるものではない。
そんななかで、もっとも困難な場所でいつもと変わらない普段通りの日常を必死に続ける《ののちゃん》が、自分にとっては型通りの「普段通りの日常を送ることも復興の一助」といった言葉の何千倍も、そのときは胸の痛みを和らげてくれたのだ。
おそらくそれは自分だけに起こったことではないだろう。きっと多くの人が、あのときの《ののちゃん》や、あるいはそれに類するなにかに救われた経験を持つのではないだろうか。一見震災とはなんの関わりもないけれど、緊迫したあの日々のなかで「普段通り」を懸命に行っていたなにものかに。

もちろんしりあがり寿の『あの日からのマンガ』が評価されたように、当時の《ののちゃん》が評価されるといったことは起こり得ないだろう。むしろ作品単体で見れば、それは単なる「あんまり笑えない四コママンガ」でしかないのかもしれない。
しかし自分があのとき《ののちゃん》に「見た」ものは、「表現」というものの意味を再考させるような重みを確かに持っていたのだ。

震災発生から七ヶ月ほど経った10月12日付の朝日新聞の朝刊に「朝のクスッと20年」というタイトルでいしいひさいちの新聞連載二十年を祝う特集記事が掲載された。記事のなかで作中キャラクターのののちゃんのインタビューを受ける作者いしいひさいちは、終始冗談めかした会話に混じらせて一瞬本音を感じさせるメッセージを発している。それはこんな言葉だ。

-わたしは読者のみなさんに常に敬意を払っています。新聞まんがだからこの程度がよいとか、いつも同じがよいとは考えません。ちょっとした「お笑い」をお届けしているにすぎませんが、今後も最善を尽くします。どうぞよろしく。

型通りに読めば、二十年間新聞連載を続けてきたマンガ家の自負の言葉である。あるいはさらに長い年月、ギャグマンガ家として一線で活躍してきた作家の矜持としても受け取れる。
しかし自分はこの言葉を読んだとき、すぐに「あの日」からしばらく続いたあまり面白くない《ののちゃん》を思い出した。震災から七カ月という時間を経てようやく口にすることができた、一表現者として「あの日々」を闘い抜いた作者の言葉のようにも聞こえたのだ。


敢えて説明するまでもないが、自分がここで書きたかったのは、あの未曾有の事態に際してしりあがり寿といしいひさいちのどちらの態度が正しかったとか、どちらがエライとか、そういったことでは全くない。むしろそういった二択的な視点の対極にあるものだ。
「震災と表現」をめぐる問題というと、とかく誰々の動きが早かったやら、何々の分野は反応が鈍かったやら、うわずみを掬っただけのトレンド観察や、自分の見知った手持ちの事象を並べていち早く「歴史化」を図ろうとするような論調が目につく。しかしそうした旧態然とした態度こそが、もっとも「3.11以前」的なものなのではないだろうか。自分はこと文化領域において「3.11」なる言葉を軽々しく使うことに抵抗を覚えるものだが、もしその言葉が使われるのならば、このような用例こそが一番相応しいと考える。すなわち「3.11以前」として。

自分があの日々の《ののちゃん》に見たのは、そういった「3.11以前」的な見かたとはちょうど真逆に位置するものである。
簡単に言ってしまえばそれは、表現とはそこに記された内容以上のものをも伝えうるということだ。
そして作品としての表現は一つの象徴である。「表現=内容」という一元的な見方から脱却した目は、この世界のあらゆるものに無限の深さを見ることができる。

「あの日」を境に世界が変わったのではない。世界はなにも変わっていない。変わったのは世界を見る自分の目なのだ。
そのことを一言で指し示すならば、それは想像力という言葉になるのだろう。
そもそも想像力を使わない限り、我々は「表現」も「世界」も見ることはできないのだから。


 
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April 19, 2012

The memo about the Cezanne exhibition (items)

-I realized the importance of the fact that Cezanne was not skillful painter.

-Unskillfulness turns our attention to PAINTING itself when we look at a painting. Because we tend to regard the cause of the impression as the result of the painter's skill if he is a skillful painter. (Think about Picasso.)

-The painters of the impressionist school released motifs of paintings from any meanings. Especially, Cezanne had the tendency strong.

-It is not caused by the meaning of motifs when we are impressed seeing Cezanne's painting. And it is not caused by the painter's skill, too. The cause of the impression must be in the painting itself.

-It was obvious that modern paintings stop needing a model after Cezanne. I consider it is natural that Cezanne is called the founder of modern painting.

-However, I noticed about another importance of Cezanne's painting this time. It is related about the necessity of a painting subject.

-I have noticed that I was looking at not "painting" but the painted subjects after rounding the exhibition hall repeatedly. I was looking at the sights which Cezanne looked at.

-That feeling was very virtual. It seemed that Cezanne's sight was transplanted to my eyes by using the tool which a company like Google or something will develop in future.

-Cezanne painted the picture what he saw. To say is easy, but to do that is not easy. We cannot paint what we see easily. Because even if you paint the tree which stands in front of you, it may become not "this tree" but "a tree". Or it may become a symbol of "tree" or become a metaphor for something.

-What Cezanne painted was not "a tree" but "this tree". It is that only Cezanne was able to do.

-The same thing can be said about a human portrait. Even if you paint a man sitting in front of you, it may become not "this man" but "a man" or "Mr.**". It is far different from "this man I am looking at".

-The portraits Cezanne painted cause to feel no humanity. And also they do not evoke their name. It seems that the only thing Cezanne demanded to his model was keeping still. Probably, Cezanne did not care who the model is, if he(she) was able to keep still for a long time. (I guess that Cezanne married his wife because she was able to keep still like an apple.)

-Cezanne painted not "the person" but "the person whom he was looking at" in the same way as still life and landscape.

-Therefore, Cezanne paintings can stand apart even from the context of Cezanne's life.

-I consider that it is another revolution in art history that Cezanne was able to paint not "a tree" but "this tree".

-It shows the magic nature of the act of painting a picture.



「セザンヌ―パリとプロヴァンス」
国立新美術館(2012年3月28日〜6月11日)
http://cezanne.exhn.jp/


 
Posted by 3 at 21:26  |Comments(0) | Diary , *展覧会(Exhibition)

セザンヌ展を見てのメモ(箇条書き)

・セザンヌが「へたくそ」だったことは、ホントに重要だったんだな〜と実感。あれが「実はデッサン力はバリバリにあるけど、わざとこう描いてるんダヨ〜ン」とかだったら絶対ああいうふうには見えない。セザンヌの「天才」の大半が努力の成果だったとしても「へたくそさ」だけは天与のものだ。あれだけは努力ではカバーできない。

・セザンヌがオトーチャンの邸宅の居間を飾るために描いた初期のデッカイ壁画とか、ホンットへたくそで笑える。こんだけ見ると「進む道を間違えた」感いっぱいでゼツボーの未来しか思い描けないのだが、いやぁ〜人間なにが幸いするかわかったもんじゃないねw

・セザンヌの「へたくそさ」は、我々が彼の絵に「絵画」そのものを見ることへと寄与している。もしセザンヌが「実は上手い」画家だったら、我々は彼の絵から受ける感銘を、彼の技量に帰する誘惑から逃れられないだろう。それほどまでにも「技量」に対する我々の信仰は深い(ピカソを例に考えてみればわかるだろう)。

・セザンヌの描くモチーフは、何の意味も価値も有さない。モチーフの持つ価値からの解放はセザンヌ一人の手柄ではないが、セザンヌの場合はとくにそれが徹底しているように感じる。

・「へたくそさ」とモチーフの無価値化、無意味化は、絵の評価をあらゆる文脈から忌諱させる。その絵を見て受けた感銘は、画家のアカデミックな技量に裏付けされているからでも、描かれた対象が特別な意味や価値を持っているからでもない。従って感銘の源を探す鑑賞者の意識は「絵画」それ自体へと向かう。

・その意味ではセザンヌの絵が、20世紀において展開される抽象絵画の祖となったことは理解できる。この方向を推し進めていけば、やがてはモチーフを必要としなくなり、絵画自体が自足した構成要素に成り立つであろうことは充分予測可能だからだ。

・しかし一方、それとはべつの印象もまた今回の観賞のなかでは抱いた。それはモチーフ(モデル)の必要性についてだ。というのも会場を何巡かしているうちに、自分が「絵画」ではなく「描かれた対象」を見ていることに気付いたからだ。

・その感覚は、例えてみればこんな感じだ。人間の視覚には個体差があると仮定する。人が見ている世界の像は人間の数だけ存在するのだ。そして、未来においてどっかの企業(たとえばGoogleとかw)が「他人の視覚を自分の視覚として見ることのできる装置」を開発したとする。その装置を使って「セザンヌが目にした光景」をそのまま自分の視覚として見たとしたら・・・そんな「バーチャルな感覚」に近かった。

・セザンヌの絵を見て「セザンヌが目にした光景」を感じるバーチャル感は、セザンヌの絵におけるモチーフ(モデル)の必要性と関連があるように思う。それは抽象絵画へと向かう美術史的な絵画の「進化」とはまた別に、セザンヌの絵が孕んでいたもう一つの絵画の大きな可能性なのではないだろうか。

・セザンヌは自分の目に映ったものを描いた。これは口で言うほど容易いことではない。たとえば目の前にある木を描いたとしても、それはキャンバスに写された瞬間「木」になってしまうかもしれない。あるいはなにかのメタファーになってしまうかもしれない。セザンヌが偉大なのは「木」ではなく「その木」を描いた(描けた)ことだろう。

・その態度は風景や静物だけでなく、人間に対しても徹底している。セザンヌの絵に描かれた人間たちは「ただそこにいて、じっとしている」以上のことを求められていないように見える。本来肖像画においてもっとも重要な問題である「それが誰か」は、セザンヌの絵においては蔑ろにされっぱなしである。

・ぶっちゃけ、セザンヌがオルタンスと結婚したのは、単に彼女が「リンゴのようにじっとしている」というだけの理由だったんじゃないのか?w 

・セザンヌによって描かれた木は、セザンヌに描かれたことにより初めて「その木」になる。あらゆる分類や文脈、名前から解放された「その木」に。同じことは描かれる対象が「人間」であっても言える。

・ただ「セザンヌが見た」というだけの意味においての「その木」であり、「そのリンゴ」であり、「その人間」。しかしそれらが持つ比類なき存在感の意味するものはなにか?

・展示の最後にセザンヌのアトリエが実物大のモデルで復元されているのだが、これが笑っちゃうほどなんの感慨も呼び起さない。他にもセザンヌが実際にモチーフとして使用した瓶やら壺やらも展示されているのだが、こちらもまたアウラの片鱗も感じさせない。

・クッダラネーと思いつつも、ゴッホのアトリエを再現して展示したくなる気持ちは理解できる。ポロックもまた然りだ。しかしセザンヌは違う。もし再現されたセザンヌのアトリエが畳の間だったりガレージだったりしても、セザンヌの絵を見る目にはさほど影響を与えないようにも思える。

・つまりセザンヌの描いた絵は「セザンヌ」という文脈を離れても価値を持ちうる。そして、それはセザンヌが「木」ではなく「その木」を描き得たが故に実現されたことなのではないのか。

・セザンヌの絵の持つもうひとつの革新性は、「絵を描く」という行為における魔術的側面を切り拓いたことではないだろうか。



「セザンヌ―パリとプロヴァンス」
国立新美術館(2012年3月28日〜6月11日)
http://cezanne.exhn.jp/


 
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March 30, 2012

文字の写真

岸幸太の個展を見て印象に残るのは、写真のなかに写った文字だ。それは捨てられた雑誌の一頁であったり、誰も顧みないような看板であったり、手書きの貼り紙であったり、殴り書かれた壁の落書きであったりする。
展示の主たるモチーフではないのだが、注意して見るといたるところに文字が散見されることに気付く。そしてそれらは、不思議といつまでも心に残り続ける。以前の個展で見た写真のなかの官能小説の内容が、未だに記憶に焼き付いているほどだ。
岸の写真のなかに写る文字たちは、みな落ちこぼれた文字である。あるものは読み捨てられ道端でゴミとして朽ち果てることによって、そしてあるものは生まれながらにして。それらは世に溢れる文字のなかで、最底辺に吹き溜まるものたちである。もはや読まれることもなく、あるいは最低限の意味を見て取られるだけで「文字」として意識されることもない、文字の成れの果ての姿だ。
しかしそんな「名もない」文字たちが、岸の写真のなかでは俄然「文字」としての存在感を発揮するのである。本来あるべき文脈からこぼれ落ち、辛うじてかたちを保っているだけのそれら最底辺の文字たちが、写真のなかでは意味を表意するという「文字」としての最大の使命を必要以上に全うする。あるいはそれを書いた者たちの人生をも赤裸々に浮かび上がらせる。まさにこれらは、文字が「文字」として在る剥き出しの姿なのではないだろうか。
そして岸の主モチーフたるドヤ街に生きる人々のポートレートは、それらの文字に似ているように思える。岸が撮るのは、生き様が滲み出したかのような強烈な面構えの男たちばかりだが、不思議と一人の人間としての存在感や人格をそこに感じることはない。群としての人間像は印象に残るのだが、一人一人の人物を思い出そうとしてもなかなか思い出せないのだ。言ってみれば岸の撮るポートレートに写る人間たちは「個性」といった言葉からはもっともかけ離れた地点にいる。
思うに岸が写しているのは、一人の名前を持った誰かではない。あるいはそれは「日雇い労働者」や「寄せ場に生きる人々」ですらないのかもしれない。それはもっと大きなカテゴリーである、たとえば「カブトムシ」や「象」などと並列されるべき種としての「人間」なのではないだろうか。彼の写真に写された文字たちが、文字が「文字」である剥き出しの姿であるように、岸の写す労働者たちのポートレートは、個人の名前や処世の肩書きを削ぎ落とした「人間」の相貌のように見えるのだ。
過去に岸は自身の個展に「傷、見た目」というタイトルをくりかえし使っている。それに託けて言えば、彼の写真に写された文字たちはまさに「傷」のように自分には見える。それはそれを書いた人間が、それを読んでいた誰かが、そこに確かにいた痕跡としての「傷」なのだ。
同じように、岸の写真に写された人間たちもまた「傷」に似ている。記憶されるべき名前や、影響力のある肩書きは、そこにはないかもしれない。しかし彼らは紛れもなくそこに存在したことを証拠立てる「傷」として、この世界に存在しているように見える。まるで人間がこの世界に存在するという謎への、揺るぎなき解のように。
そして彼らがこの世界に付けられた「傷」に見えるとき、神にも似た彼方の地点から注がれる冷徹な「視線」がそこにあることに気付くのだ。


岸幸太写真展「釜ヶ崎−ひなた、彼方」
photographers' gallery、KULA PHOTO GALLERY(2012年2月21日−3月25日)
http://www.pg-web.net/documents/past/2012/kishi_09/index.htm


 
Posted by 3 at 20:46  |Comments(0) | 日記 , *展覧会(Exhibition)

As a scar

The main subject of Kishi Kota's photograph is portrait of men who live in skid row.
However, it is not the men but the written and printed characters that I was most impressed in Kishi's photographs. You can see some of them on a thrown-away dirty magazine, on a cheap billboard, on a handwritten poster and dirty graffiti on a wall.
Though they are not main motif of his works, they left me an unforgettable impression. I still remember a porn story which printed on the Kishi's photograph I saw before.

I think that all of the characters appeared in Kishi's photographs are losers. Some were thrown away, and some were born dropouts. Nobody reads them seriously now.
However, in Kishi's photograph, I feel powerful identity as "words" from them. I found myself reading them earnestly. The contents written there entered into my head smoothly, and were memorized. I was able to imagine even lives of people who wrote them through them.
I think that they achieved the maximum mission as a character. Although they are ruins as a character, they show the ability of a character more than any other ones. I consider that they are the naked figure of a character.

And I think that those characters look like the men in Kishi's photographs.
Although all the men in Kishi's photographs have unique faces, I cannot remember them clearly. It was because I couldn't find any individuality from them at all.
I consider that Kishi photographed neither "someone" with a name nor a "day laborer". I think that he photographed a "human being" as the same sort as a "beetle" and an "elephant". They are the portraits of a naked "human being".

Kishi titled his exhibition "Scars, Appearance" several times in the past. I think that the characters in Kishi's photographs look like scars. They are the scars as the traces that someone who wrote them or read them existed there.
I also think that the men in the Kishi's photographs look like scars. They do not have a name which should be memorized and do not have any status which affects someone. However, they existed like a scar as the proof that surely they were there. It seems to be an answer to the question why human beings exist in this world.
And I consider that the viewpoint will be in the position of God when we can see the men as a scar.


岸幸太写真展「釜ヶ崎−ひなた、彼方」
photographers' gallery、KULA PHOTO GALLERY(2012年2月21日−3月25日)
http://www.pg-web.net/documents/past/2012/kishi_09/index.htm


 
Posted by 3 at 20:40  |Comments(0) | Diary , *展覧会(Exhibition)

December 27, 2011

今年一年を振り返って、書き記しておくべきニ、三のこと

例年だと年末には一年を振り返って、その年に見た展覧会のTOP10のリストを作るのだが、今年はなかなかその気にならない。印象に残る展示は多かったが、それよりもやはり今年は三月の震災のときの記憶がすべてを上回っているからだろう。

地震直後のパニック感がようやくおさまった頃から、とにかく絵が見たくなって仕方がなくなった。とくに人の手で描かれた痕跡が残されているような絵だ。
震災後一週間ほど経った頃だっただろうか、国立新美術館で再開された「シュルレアリスム展」を見に行ったのだが、初期のエルンストの絵画なんかに異常に胸が熱くなり、込み上げて来るものがあった(晩年の様式化した作品にはなにも思わなかったケド^^;)。
普段はそこまで(少なくともそのようなかたちでは)心を動かされることはない絵に感動したのは、連日津波災害による圧倒的な破壊の映像を見せられてきたことも大きく関係していたように思われる。巨大な自然の力の凄まじさにただただ打ち拉がれていたとき、こんなにもささやかなものだけれども、自然には為しえない「人間の力」とその意志の痕跡をそこに見て、なにか救われたような気持ちになったのだと思う。
おそらく震災の直後は、誰しもが似たような経験をしているのだろう。そこでなにに救いを求めるかは、きっと人それぞれであったに違いない。自分の場合は、とにかくその頃一番見たかったのが人の手の痕の残った絵であり、典型的なものとしては印象派のような絵画だった(結果的には印象派の絵画を見る機会はしばらく訪れなかったのだけれど)。そうした有事にこそ人間の本性が表れるのだとしたら、よりにもよって俺は「印象派の絵画」カヨッ!と、その俗っぽさに自分で苦笑してしまうが、しかしあの頃は、ほんとうにそれが切実に見たかったのだ。


震災直後のことについては、このブログにも日記として書き記しておこうと何度か試みたのだが、結局は書けずに何れも断念した。当時はほんとうに言葉を発すること自体が難しかったのだ。その困難は、現在でも完全には解消したとは思えない。
いま振り返ってみると、三月の震災とそれに伴う一連の出来事は、自分にとっては「他者」の存在の「発見」だったのかもしれない。「自分」以外の大勢の人間が、いまこのとき、この世界に自分と同じように生きていて、自分と同じように思い、考え、行動しているということは頭では理解しているのだけれど、それを身をもって思い知らされたのだ。
地震の直後、さらなる巨大地震の予感と原発事故の進行のなか、このままこの世の終わりが来るんじゃないかと怯え竦んでいたとき、いままで霧の向こうにあったような「他者」の存在が、突然「自分のこと」のように感じられるようになった。それは、同じ災禍を一緒に受けているという一体感だったのかもしれないが、なにか「自分」というものを定義していたその境界が膨張して、いきなり広く列島を覆う規模にまで拡張したような、そんな感覚だったのだ。ネット上では様々な発言が飛び交っていたが、たとえそれが正反対の立場を取るものであっても、すべての意見が、すべての行動が、皆「自分のこと」として、その真意を共有できるような気がした。巨大な脅威の下で、皆が同じことに怯え、皆が同じようなことを思考しているように感じられるなか、「自分」の垣根が個体の枠を超え、集合体のレベルにまで膨張したような、そんな感覚がそこにはあった。

しかしそれは一瞬で終わる。「この世の終わり」がひとまずはやって来ないとわかったとき、とりあえず明日がこのままずっと続いていくのだとわかったとき、我々は受けた災禍が「個人」によって著しく差があることに気付く。
それはまず「距離」というかたちで顕在化する。いま居るここから電車に乗ってほんの数時間移動しただけの場所では、想像もできないような光景が広がっているなんて、それこそ「想像もできない」のだ。そこにいるひとたちの心情、彼らが受けたであろう傷の大きさを「自分のこと」として思うことの不可能性に愕然とした。地震直後の日本全体が等しく巨大な脅威の下にあるように感じたあの「一体感」の後だっただけに、その不条理なまでの災禍の格差は、自分を大いに困惑させた。「自分」との境界が見えなくなるようなかたちで現れた「他者」が、今度は逆に圧倒的な「断絶」をもって、その存在を思い知らせてきたのだ。そして、考えてみれば「他者」とは、まさにこの「共感」と「断絶」に よってこそ定義されるべき存在なのである。

時間が経つにつれて、自分と他者を隔てる「壁」は、ますます強固なものとなる。もはやそれは「距離」ですらも測れなくなる。震災で受けた「傷」は人によって大きな格差が存在するのだとわかっているにも関わらず、その個々人の受けた「傷」の大きさは、決して目には見えないからだ。いま目の前で笑っているその人が、いったいどのような気持で笑っているのかが判断が付かなくなる。楽しそうに笑っている彼は、もしかしたら肉親を、友人を、故郷を、いままで築いてきた様々なものを、震災で失った人なのかもしれないのだ。そんな「傷」を負った人々がまわりにたくさんいるハズなのに、その「傷」自体は目に見えないという状況に、大いに戸惑わされる。

そして言葉が使えなくなる。どんな発言も、言葉通りの意味には受け取れなくなる。
原発事故の進行が、それにさらなる拍車をかける。複雑化していく世界の様相とは反比例するように極度に単純化された言葉が盛んに飛び交い、その粗雑さや性急さに眉をひそめつつも、どんな立場からの発言もそれが発せられる理由が「察せられてしまう」ことが、事態をより複雑化する。いまこそ言葉を発しておかなければならないという焦燥感と、発した言葉がどのような立場にいる人にどのような意味をもって届くのか、そしてそのことがどのような重大な結果を引き起こすのかわからないという怖れの狭間で、文字通り「言葉を失う」。
あの頃ほど言葉の不可能性を感じたことは、いままでになかった。

しかしその状態も時間が経つにつれ、だんだんと解消される。つまり「元に戻ってくる」。震災から10カ月近く経った今では、言葉はその機能の大半を取り戻し、「他者」もまた以前あったような抽象的な存在へと戻ったように感じる。しかしもちろん震災によって受けた「傷」はまだ消えずにそこにあるのだろうし、「壁」も見えなくなっただけで依然存在するのだろう。
いや、そもそも震災の前から「傷」は各々のうちに存在し、「壁」もずっとそこに在り続けていたのだろう。震災はただ、普段は立ち込めている霧を一瞬だけ晴らし、世界の在りのままの姿を我々に見せただけなのではないだろうか?

この体験が自分に与えた影響がなんだったのか、それは未だよくわからない。震災の前も後も、つまり「他者」の存在を思い知らされた後も、自分の制作は変わることなく「“自分”がなにを生み出せるか」ということだけを目的に続けられたのだった。しかしいったい「自分」とはなんなのか? それに拘ることにどんな意味があるのか? そんな根源的な疑義も頭を過りはするのだが、いまは未だかたちとなっては表れていない。結局のところ俺はまだ「自分」のことさえもわかっていないのかもしれない。
いまわかっていることはただ、粘り強く描き続けていくことでしか、自分は前には進めないであろうということだ。粘り強く、結局前に進むためには、それしか方法はないような気がする。そのことを、様々な場面で痛感させられた一年でもあった。


そして、今年最後の日記としてナニヨリモ記しておかなければならないことがある。それは遂に今年は、英文の日記を一本も書かなかったということだ(!)。
この件に関しては「粘り強く」もクソもない。看板倒れもハナハダシイ。深く反省して、来年は少し考え直さねばならないだろう。


 
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August 04, 2011

彫刻のかたち

今年もまた「夏休み子ども科学電話相談(NHKラジオ第1)」の季節になった。去年この番組のなかである子どもが「岐阜は日本のなかにあって、日本は地球のなかにあって、地球は太陽系のなかにあって、太陽系は銀河系のなかにあって、銀河系は宇宙のなかにあるけれど、では、宇宙は何のなかにあるのですか?」と質問したのが印象深くて、このブログでもそのとき考えたことを日記として書いたのだけど、ふたたび夏がめぐり来てまた「宇宙の外側」について想う。
たとえば、いまから百億年くらい前にビッグバンを起こして現在も膨張をつづけているという“それ”のことではなく、“それ”の外側の世界をも含むあらゆるものの上位概念としての「宇宙」といったものがもし存在するならば、それはいったいどんなかたちをしているのだろうか?
「宇宙の外側」や「時間の始原」、あるいは死後の世界も含む「生と死の謎」といった問題は、人間の想像力を超越しているのと同時に、我々がいま、ここにいる「この世界」の存在の秘密でもある。科学も、哲学も、宗教も、芸術も、究極にはその謎を解明するためにあるのではないだろうか?
でもどんなに高倍率の天体望遠鏡が発明されたとしても、自分が生きているあいだに人類が「宇宙の外側」を目にすることはないだろう。宇宙の外はおろか、地球の外にすら行くことはないであろうこの俺は、したがって自分が生きているこの場所のなかで、その「てがかり」を探すしかない。


先日、銀座のギャラリー椿でコイズミアヤの個展を見た。
その作品はとても変わっていて、それは木でできた彫刻なのだけれど、人によっては工芸の細工品と見るかもしれないし、あるいは人によっては建築模型と見まちがうかもしれない。
作品は大きく分けて三つのシリーズがあって、白く塗られた開閉式の箱のなかに小さな景色が封じ込められている作品。筒状の直方体に雨どいや階段を思わせるようなものが組み合わされて建物のようにも見える抽象と具象の中間にあるような作品。そして様々な形態のパーツが取り外し/嵌めこみして直方体から建築模型のようなかたちへと「組み立て」可能な作品。
それぞれに数理模型や建築模型を思わせる厳密さや規則性をもっているようで、その反面、ひとの手のぬくもりを感じさせるあたたかさも感じる。その作りはたいへん緻密で、ひとの手によるぬくもりを感じさせつつも、ひとの手によるものとは思えない厳密さを感じさせる点は、形状だけでなく、その仕上げにもあらわれている。

これらの作品を見ていたとき、なぜか若林奮の彫刻を連想した。
主として鉄を素材として使い、サイズ的にも重量的にも重厚長大なイメージの強い若林奮の彫刻と、片手でも持てる程度の「ミニチュア」なコイズミアヤの木製の作品は、ともすれば相容れないものと思われるかもしれない。
しかし自分は、若林奮の彫刻に感じる物語性や叙情性ときわめて近いものを、コイズミアヤの作品にも感じた。そしてそれは、物語や叙情の「内容」が似ているというだけでなく、それ以上に、その「語られかた」が似ていると思うのだ。

自分にとって若林奮の彫刻ほど、物語性に富んだ彫刻は他にない。その「物語」は、彼の彫刻が表面的に「模しているかたち」ではなく、たとえば鉄に浮いた錆による模様や硫黄の痕といったディティールのなかに「読み取れる」ように感じる。つまり彫刻がなにかの物語に基づいたかたちをしているというのではなく、「物語」は彫刻の内部に存在する。それは特定された物語ではなく、見るものの想像力によって無限の可能性を持つ「物語」だ。
若林の彫刻の持つ強烈な異物感とストイックな佇まいが、見るものの想像力の射程を極限まで拡張するのだと考えられるが、「その感覚」を言語化するのは難しい。蟻のような視点で彫刻のなかに「入って」その表面を巨大都市のように辿り、目の前に置かれた見知らぬ物体によって変貌された空間を「引いて」眺める。ミクロ/マクロの振幅の大きい視点移動のなかで、作者の手による作為なのか、それとも自然による痕跡なのか判別のつかない多彩なディティールを追っていると、「物語」は自然とそこに読み取れてくる。それはやはり「物語」と呼ぶのが一番しっくりとくる感覚で、だから自分にとって若林奮の彫刻は、無限の奥行きをもった景色のようにも見え、汲みつくせぬ書物のようにも見える。

以前「物語の彫刻」と題された展覧会が開催されたとき、「物語=具象」という狭い考えにとらわれた展示内容を見て、ひどくがっかりさせられた記憶がある。「何を象っているか」という表面上のモチーフのレベルで、彫刻や絵画で表現できる世界が留まってしまうなら、なんとつまらないことだろう。「フォトジェニック」でおしまいならば、それは飾り物以上のものにはなるまい。
優れた作品はそれが象っている形象や内容以上に、そのなかに無限の世界を現前させる。無限の可能性をそのなかに秘めている。若林奮の彫刻は、その最たる例だろう。

そして、コイズミアヤの作品にも、それと似たようなものを感じる。
つまりそれらの作品が「なにに見えるか」とか「なにに似ているか」といった表面的なかたち以上に、たとえば風景を模したミニチュアな景色が、ぱたんぱたんと閉じられて、四角い「なにもない」箱へと戻った瞬間に覚えるあの驚き(実物を見たことがないので想像だが、プラド美術館にあるヒエロニムス・ボスの『快楽の園』の両翼が閉じられて、あの天地創造時の地球の絵があらわれたとき、きっと同じような感覚を抱くのではないだろうか?)や、組み立て式の作品が、音もなくすっ、すっと嵌まるべきところに嵌まり、また分解されて取り出されるあの「滑らかさ」のなかに、コイズミアヤの彫刻の「かたち」はあると思うのだ。

それらは目に見えている具体的なモチーフや形態を越えて、言葉にも、形にもできない「かたち」を、そこに現前させている。
そして、もし「宇宙の外側にある宇宙」といったものにかたちがあるとすれば、それはこんなかたちなのではないかと、ミニチュアサイズの小さな彫刻を手にしながら、想った。



コイズミアヤ展「組み立て/Overflow(コップの水があふれる様について)」
ギャラリー椿(2011年7月23日−8月6日)
http://gallery-tsubaki.jp/2011/0723/07023.htm


 
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May 12, 2011

“世界”との距離

先日、練馬区立美術館に「PLATFORM2011 浜田涼・小林耕平・鮫島大輔−距離をはかる」を見に行った。
「PLATFORM」は昨年から始まった現代美術の新進作家を紹介するシリーズで、今年のテーマは「“私”と“世界”との距離」である。
ちなみに同時期に東京都現代美術館で開催されていた同じく同時代の現代美術作家を紹介するシリーズ「MOTアニュアル」の今年の展覧会タイトルは「Nearest Faraway|世界の深さのはかり方」で、偶然にも二つの展覧会のテーマとタイトルは非常に似通っている。

しかしテーマこそ似ているものの、“世界”という言葉に対する意識や姿勢は、両展の企画者のあいだでは、かなり大きな差があるように感じた。
MOTアニュアル2011のほうは、作家の選択基準として挙げられた「身近な素材を使った表現」という括りがやけに即物的だったのに対し、「世界の深さのはかり方」に関しては曖昧極まりなく、「なんとなくそんな感じ」以上の意味は籠められていないように思えた。明確な主張や問題意識のもとに企画されたというよりは、感覚的に編まれたユルいキュレーションで、良くも悪くも“世界”に関する解釈は観客や個々の作家に投げっぱなしという印象だった。

それに対してPLATFORM2011のほうは、出品作家が少数ということも関係しているのかもしれないが、テーマに対する企画者の問題意識が前面にあらわれた展覧会だった。その意味ではMOTアニュアル2011とは対照的なキュレーションだったと言える。

選ばれている作家は三人。
どこにでもあるような、しかしどことは特定できない無記名的な場所を選んで絵画に描く鮫島大輔。様々な技法で被写体を不明瞭にするボヤボヤ写真の浜田涼。そして、近年はひたすら言語認識以前の世界把握を映像化しようと試みている(ように思われる)小林耕平。
「“私”と“世界”との距離」をテーマに同時代の作家を選ぶとき、その選択肢は無限にあるだろう。しかし絵画、写真、映像という異なるジャンルの作家三人を揃え、本展の企画者が提示する“世界”とはすなわち、かくも無記名的で、不明瞭で、不確かな、捉え難いイメージへと偏っているのである。

この“世界”との距離に対する偏向したイメージは、展覧会企画者からのひとつの問題提起なのだろう。三人の作家の描く“世界”との距離の不確かさは、同時代を生きる我々の持つ世界観の不確かさとも共通する。自分が生きている時代、立っている場所、見ている景色が、代替不能で必然的なものであるという確信の持てない不確かさ。生きることの意味や実感の希薄さ。出品作家たちが描く“世界”との距離感やイメージは、同時代人の心象を射ているように思える。

ただテーマの明確さや鋭さが、必ずしも良質な展示に結びつくとは限らないところが展覧会の難しいところで、PLATFORM2011も残念ながら満足できたとは言い難い内容であったことは明記しておかなければならない。
そもそも浜田涼のどれも似たようなボヤボヤ写真をあんなに広いスペースを使って紹介する必要があるとは思えないし、監視カメラ時代の作品から新作までを俯瞰する小林耕平の展示も無駄に難易度を上げているような煩雑な印象だった。この二人の作品を半分程度に絞って、二階の展示室にあと二、三人別の作家を追加すれば、展覧会の総体としてはもっと満足度の高いものになっていたのかもしれない。

ただし三人だからこそ「“私”と“世界”との距離」のはかり方についても、多様なあり方を提示するのではなく、今回のような偏った傾向のセレクトでひとつの問題提起を先鋭化させることが可能だったのだとも言える。
そしてそのことは結果的に、個々の作品や展示全体の印象をも超えて、俺の胸には強く焼きつけられることになったのだ。

それには、この展覧会の開催時期が大きく関係している。
すなわち、何カ月も以前から企画されていたのであろうこの展覧会が2011年4月にオープニングを迎えたとき、その前月に発生した巨大地震と原発事故によって、“世界”はもはや「無記名」ではなくなっていたからだ。

目の前に広がる景色は匿名的な景色ではもはやなく、それは紛れもなく2011年というこの年の、この月の、この日の、この場所の、代替不能なこの景色であり、自分の周りにいる顔のないぼやけた他者たちは、同じ箱舟に同乗する“縁”や“情”や“絆”を感じ合うべき顔の見える個人として鮮明化され、見知らぬモノとしてしか目に映ってこなかった世界の中のあらゆるモノが、揺るぎなき意味や言葉を主調して自分の人生や生命へと関わってくる。
一夜にして世界の解像度が上がってしまったような経験を経た後に見たこの展覧会は、むしろ“世界”に対する距離の激的な変化そのものを気付かせる結果となった。

いま思えば、あの“世界”に対する茫漠とした捉え難いイメージは、21世紀初頭の日本という地の、時代の盛りを過ぎた下り坂の黄昏や倦怠、世界の中心から外れ、忘れられていく場所における生きていくことの意味や実感の掴みづらさに直結していたのかもしれない。
しかし大地が震え、一夜にして世界のトップニュースの「現地」となり、歴史の「現場」となった目の前に広がるこの“世界”との距離を、今後我々はどのようにはかっていくのか?
そのことを明確に思考化させてくれたという意味において、この展覧会の持つ意味は大きかったと考える。



「PLATFORM2011 浜田涼・小林耕平・鮫島大輔−距離をはかる」
練馬区立美術館(2011年4月16日〜5月29日)
http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/tenrankai/platform2011.html
 
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December 28, 2010

2010年俺的展覧会TOP10

今年も手抜きで日本語のみで。
例によって選考基準は俺がどのくらい強くimpressionを受けたかだけの(つまり「日記」としての)展覧会TOP10。候補を書きあげてみたらざっと30個くらいあったんだけど、去年みたく「次点の次点」まで選んでそれを全部列挙するのも芸がないので(それに今年はTwitterで散々呟いてるし)、頑張ってちゃんと10個だけに絞ってみた。

あと、ゼンゼン公表とかしないでアナログに日記帳に記してただけだけど、俺がこの展覧会ランキングを付けはじめたのは1991年からなので、今年はちょうど記念すべき(別にすべきじゃないか;)20回目のTOP10となる。現物が手元にないからTOP10の詳しい内容自体は覚えていないが、でも映えある(ないねw)第1回の第1位は佐谷画廊で見た中原浩大の個展(世の中的にはフィギュアを画廊で初めて?展示した個展として有名なアレ)だったことは覚えている。
アナログの日記ももう二十年以上付けているが、それを読み返すことなんてまずない。しかし年末にこうしてTOP10を作ってあると、不思議に「そーか、あの年はこんなものを見たこんな年だったんだー」と思い出すいい契機になったりする。つまりこんな戯れ事でも、「日記」としてはかなり優秀だったりもするのだ(とか言いつつも、アナログ時代のTOP10は、既にその日記帳自体がどこにあるのかわからなくなっているのだけれど^^;)

まーそんな感じで、今年の俺の展覧会TOP10はこんな感じ↓



1位:「横山裕一 ネオ漫画の全記録:わたしは時間を描いている」 川崎市市民ミュージアム(4-6月)
2位:「橋本平八と北園克衛展」世田谷美術館(10-12月)
3位:「長島有里枝 SWISS+」SCAI THE BATHHOUSE(7-8月)
4位:「大友真志 Mourai vol.1-13」photographers' gallery +IKAZUCHI(1-12月)
5位:「橋本聡個展 行けない、来てください」アーカス・スタジオ(3-5月)
6位:「天狗推参!」神奈川県立歴史博物館(9-10月)
7位:「ラヴズ・ボディ 生と性を巡る表現」東京都写真美術館(10-12月)
8位:「ルノワール−伝統と革新」国立新美術館(1-4月)
9位:「カオス*ラウンジ2010破滅*ラウンジ・再生*ラウンジ」高橋コレクション日比谷→NANZUKA UNDERGROUND渋谷(4月、5月)
10位:「境澤邦泰個展」A-things(9-10月)



以下はそれぞれの展示についての感想と選んだ理由↓


1位:「横山裕一 ネオ漫画の全記録:わたしは時間を描いている」
今年は迷うことなしに、これが1位。当時この展覧会を見て感じた「ある感慨」を作者と自分を対比することで日記として書こうと思ったのだが、うまく書けずにボツにした。でもそこで言語化できなかった「何か」は、いずれ自分の作品に反映するというかたちで、昇華させたいと思う。


2位:「橋本平八と北園克衛展」
これはホントにいい展覧会だった。既に日記で書いたので詳細は割愛するが、でも客観的にみても、今年見た展覧会のなかではトップクラスの展覧会だった。


3位:「長島有里枝 SWISS+」
これもホントにいい展覧会だった。この展覧会の感想も日記として既に書いているけれど、最近美術館の図書室で長島有里枝の過去の写真集を何冊かパラパラと見てみて、自分にとって長島がいかに「苦手」な写真家だったかということをあらためて思い起こした。"家族"がテーマ、と聞いただけで無言で踵を返し足早に去っていくであろう俺のような人間にとって、長島有里枝という写真家は価値観も興味の対象もまるで異なる世界に生きている「異邦人」のような存在だったのだ。しかし、これはこと美術だけに限らないが、自分とは別の世界に生きているかのように思っていた「縁遠い」作家の作品が、ある日突然、価値観とか好みといった外面的な鎧をするりとすり抜けて魂へとダイレクトに届くような感銘をもたらしたとき、もともと「守備範囲内」にいる作家の作品に感銘を受けるのとはまた違った、なにか自分を取り巻く世界が少し膨らんで大きくなったようなそんな感覚を覚えることがある。俺にとって長島有里枝のこの個展は、まさにそういう体験だったのだな〜と今しみじみと思う。そして、なんだかんだ言いつつも俺が足繁く展覧会を見に出かけるのって、まさにこういう展示に出会うためなんだよなーと、あらためて実感した。


4位:「大友真志 Mourai vol.1-13」
一年を通して見てみれば、俺の今年の展覧会観覧における最大のトピックは、この大友真志による連続個展だったと思う。もともと大友真志は注目していた写真家だったのだが、その作家の一年を通しての連続個展という野心的な企画を漏らさず見られたのは僥倖であり、おかげで一年たっぷりと楽しませてもらった。内容的には序盤(とくにvol.2〜4)の凄まじい盛り上がりに対して、後半はやや淡々と進行した感もあったが、ただすべての展示を見終わったいまも、自分がこの長大なシリーズの全体像に対する正確な評価ができてるのか心もとない。いまいちど全体像を確認できるような機会があるといいのだけれど。


5位:「橋本聡個展 行けない、来てください」
この展覧会はやっぱり晴れた天気のいい日に行ったのが大きかったかなーと振り返ってみて思う。交通機関の接続がスムーズにいったことも。あとは会期中三回しか実施されなかった作家自身によるパフォーマンスのある日に行ったことも、大きかった。これが雨でも降ってる日で、バスがなかなか来なかったりして容易に会場まで辿り着けず、しかもパフォーマンスもなくて無人の展示を見て帰ってくるようであったなら、展覧会自体に抱く感想も、またずいぶんと違ったものになっていたかのようにも思う。
ただそうした展覧会特有のデメリット(?)というか、微妙に都心から離れた行き辛い場所で展覧会を開催するということの悪条件すらも、作者の「悪意」のように感じさせてしまうところがこの作家の本領であり、タイトルが示すようにこの展覧会のミソだったようにも思える。時によってはその「悪意」が空回りすることもあるけど、この展覧会に関してはそれがまさに絶妙だった。


6位:「天狗推参!」
なんと言っても「天狗」というテーマの面白さが勝因だろう。展示も規模こそそれほど巨大なものではなかったが、畏ろしさと親しみやすさの同居した天狗の両義的な側面を丁寧に紹介する良質なものだった。天狗の持つそのアンビバレンスな空気自体を、展示室に漂わせることに成功していたのも印象深かった。観客もすごく熱心に見ている人が多くて、なかには「自分たちは静岡県から来たのだが、静岡には天狗の寺として有名なナントカ寺があるんだが、天狗を扱った展覧会だというのにナントカ寺についてなにも触れられていないということはどーゆーことでしょう?」とボランティア解説のおじさんに詰め寄ってる人とかもいて、微笑ましかったw。きっと天狗に関する事象を全国隈なく集めたら、この何倍もの巨大な展示室が必要になるのかもしれない。
ただ、カタログはなかなかしっかりした作りでしかも値段が千円台前半という超良心的なものだったんだけど、ややフツーの展覧会カタログフォーマットに囚われすぎてる気もしたかな? とくに図版と解説がカタログの前半と後半に分離されてしまったのが残念。展示では文献のなかの天狗の記述がある箇所に印を付けてくれていたりしてわかりやすかったのだが、その感覚をカタログにも欲しかった。たとえば思い切って図版の制度には目を瞑って、江戸時代の天狗研究本を模した「平成の天狗大全」のような体裁にしてしまうとか、なんかそーゆー遊びがあっても面白かったのかも。まー滅多に展覧会のカタログを買わない俺が買ったという事実だけ見ても(ちなみに今年買ったカタログはこの「天狗推参!」と「橋本平八と北園克衛展」だけ)いかに俺がこの展覧会にコーフンしたかはわかるんだけど。


7位:「ラヴズ・ボディ 生と性を巡る表現」
この展覧会を見た当初の感想は「志の高い展覧会ではあるけど、“あと一歩”って感じかなー」といった程度のものだった。“あと一歩”と思った主たる要因は、メッセージ性の強い問題を扱った作品や展示が陥りやすい陥穽に、この展覧会も陥りかけているように感じたからだ。
展覧会の企画者である笠原美智子氏はカタログに所収された文章のなかで自身のことを「同時代を生きているというだけの“当事者”(つまり同性愛者でもHIV陽性でもなくエイズで肉親や友人を失ってもいない)」であると位置付けているが、俺はそれこそがこの展覧会の肝だったのだと思う。偏見・迫害の歴史的事実や大量の死といった「重い」要素を抱えた問題ほど「当事者」以外には、その問題に対する関心の重要性は認識していても、どこか「他人事」になってしまう。企画者である笠原氏が「同時代を生きているというだけの“当事者”」であるとわざわざ告白しなければならないというその事実一つもってしても、そのことは容易に窺える。
だから本展の企画者が「同時代を生きているというだけの“当事者”」であるという事実は、この展覧会を「エイズをテーマにした展覧会のステレオタイプ」に陥ることなく、当事者以外の人間にもこの問題やこの問題をめぐる表現を「他人事」としてでなく受け止めさせるための重要な鍵だったのだと思うのだ。どんなにそのメッセージが重要でも、ステレオタイプの陥穽にはまってしまうと、それはもはや当事者以外には「ステレオタイプ」にしか見えなくなり、「他人事」と化してしまう。ここに展示された作品が「当事者」以外のすべての人とっても「自分のこと」となることこそが、この展覧会が目指すところだったのではないだろうか。
展示を見た当初、俺が“あと一歩”と感じたのは、それが完全には達成されておらず、ややもすると「エイズをテーマにした展覧会」のステレオタイプに嵌りかけているような危険性をも感じたからなのだ。具体的に指摘すると、ハスラー・アキラのビデオ作品と、AAブロンソンの髭面の男が新生児を抱いている写真の作品に、俺はとくにそれを感じたのだった。
もちろんそれらの作品がこの展覧会の全体的な構成のなかで必要だったことは俺にも理解できる。彼らの作品がエイズをめぐる闘いのなかで陥った絶望から這い上がり得た希望や、そこを経てきたからこそ意味がある性や愛に対する肯定的なメッセージを表現したものであるということも分かる。さらにはエイズに関する世間の理解がまだ充分ではないことも、同性愛者に対する偏見が依然蔓延っていることも否定はしない。しかし彼らの作品の発するメッセージが疑いようもなく「正しい」のだと認めつつも、俺にはその「正しさ」こそがステレオタイプに見えてしまう最大の要因でもあると思うのだ。「正しい」メッセージはメッセージとしてはそれで(もちろん)いいのだけれど、それを「作品」へと昇華するのは至難の業なのだ。ともすればそれは「正しさ」ゆえにステレオタイプへと陥ってしまう(たとえそれが作者ではなく、見る側の責任だとしても)。
同じエイズ・アクティヴィスムでも、エイズ患者や同性愛者に対する偏見が露骨だった頃に制作されたデヴィッド・ヴォイナロヴィッチの作品などは、メッセージ性が前面に出ていても「作品」として充分見ることができる。ヴォイナロヴィッチの作品がプロテストのための手製の武器だとすれば、ハスラー・アキラの映像作品におけるストレートなメッセージは俺などにはどちらかというと「啓蒙」に近いように感じられてしまう。最後に「公共広告機構」のテロップが出てくるんじゃないかと思わず待ち構えてしまったほどだ。「正しさ」を「作品」へと昇華するのは、かくも難しいのである。
そしてこの二者の差こそが、現代のエイズ・アクティヴィストたちが直面している課題を表しているとも言える。彼らにとって依然闘うべき相手や問題は消滅していないのだろうが、80年代前半の状況などに比べると、それは非常に隠微なものになっているのかもしれない。闘うべき相手や問題が依然存在しているにもかかわらず、それらにプロテストする主張が「正しいこと」としてステレオタイプ化されてしまっているという状況こそが、実は彼らが現在直面している最大の敵なのかもしれない。その意味においては、これらの作品はエイズをテーマに置いたこの展覧会において必要不可欠なものであるとも言える。
しかし、エイズをめぐる問題を鑑みるに当たって外せない「必要不可欠」なそれらの作品があることによって、かえって展覧会自体が「エイズをテーマにした展覧会」のステレオタイプに陥っているようにも見えてしまうという、そういう捩れた悪循環もまたこの問題は孕んでいるように思うのだ。非常に難しい問題だし、その是非は一概には言えないのだけれど、でも俺が当初抱いた「あと一歩」という感想が、そこに発していたことだけは確かだろう。
しかしそうした感想にも関わらず、この展覧会には見終わった後もどこかあとを引く忘れがたい印象があったことも、また事実なのだ。結局叶わなかったが、「その感覚」を確認する為にもう一度展示を見に行こうと計画していたくらい「気になる」展示ではあったのである。つまり「あと一歩・・・」と思う部分も確かにあったが、それ以上に惹きつけられるものも、この展覧会にはあったということだ。
おそらく俺を魅了したのは、会場に漂っていたあの独特な空気感だったのだと思う。それは避けられぬ絶望的な死を目前にした作家たちが、残された短い生のなかで見たこの世界のかたちと、そこで最後に点した灯によって生み出された、終わりへと向かう絶望と生への希望のないまぜになった、あの凍えた炎を想わすような空気感である。そしてそれを感じることによって、俺のなかでは彼らが「エイズの犠牲者」というステレオタイプから、自分と同じ世界を生きる同胞としての「人間」へと変換されているのだ。つまり人間の死亡率が100%である限り、我々は「同時代を生きているという」理由だけではなしに、同じ死というゴールへと向かって生を歩む同胞としても、彼らの抱える問題の“当事者”であるのだ。
俺がそう感じられたのは、ひとえに作品の力なのだろう。「正論」の「啓蒙」では決して実現出来ない、「作品」だけが為し得るこの力を体感できたことこそが、俺にとってこの展覧会が忘れ難いものになった最大の理由なのだと思う。


8位:「ルノワール−伝統と革新」
今年は俺にとって「印象派再発見」の年でもあった。印象派の展覧会はメチャ混むし「通俗的」過ぎていままでどちらかというと敬遠しがちだったのだが、改めてその良さや斬新さにも気付いたのが今年だった。その象徴がルノワール展。どちらかと言うと(どちらかと言わなくとも)苦手(というか嫌い)だったこの画家への再評価をキッカケに、印象派全般にも目を開いていったのだと思う。
でも実は印象派の画家のなかで今年とりわけ俺が注目して見ていたのはルノワールではなくシスレーだったのだが、シスレーの作品は同じ国立新美術館の「オルセー美術館展」「ゴッホ展」、世田美の「ヴィンタートゥール展」、Bunkamuraザ・ミュージアムの「語りかける風景」、ブリヂストン美術館の「セーヌの流れに沿って」などで見たのだけれど、いずれもシスレーがメインの展覧会ではなかったので、それらの展覧会に含めてさらについでに便乗して三菱一号館美術館のマネ展や横浜美術館のドガ展も引っ付けて、その全部の代表としてルノワール展をランクインさせてみたという次第。


9位:「カオス*ラウンジ2010→破滅*ラウンジ・再生*ラウンジ」
今年は「カオス*ラウンジ」と銘打った展示をいくつか見たが、まずはじめに見たのが日比谷で開催された最初のカオス*ラウンジ展。これは初日の午前中(つまり始まってすぐ)に見た。そして翌月渋谷でやった「破滅・再生*ラウンジ」。これは会期中頃に一回、最終日の前日にもう一回の計二回見ている。もしこの「破滅・再生*ラウンジ」の一回目の観覧で終了していたならば、9位ではなくもっと上のほうの順位にランクインさせていたと思う。そのくらいのインパクトが両展覧会にはあった。
しかし会期中も展示が変化するという展示形態の弊害か、あるいはそもそもが「出オチ」に近い面白さでもあったために俺の目が慣れてしまったのか、二度目の渋谷展への再訪の折には、前週に見た展示が錯覚であったかと思うほど「ヌルい」展示へと堕していて、大いに困惑することになる。さらにはその後も俺は「カオス*ラウンジ」の展示を、7月のTWS本郷と10月のEYE OF GYREにおけるグループ展でも見かけることになるのだが、前者においてはもはやスッカリ形骸化し切っており、後者に到っては形骸化どころかもはや跡形もなかったという、その賞味期限の瞬間切れっぷりも印象に残った。12月に再び高橋コレクション日比谷で見た「【新しい】カオス*ラウンジ【自然】」展では、あいかわらず主宰者のディスプレイ能力の高さこそ感じたものの、やはりもはや既に「型」が出来てしまっていて、そこに新たな驚きを見ることはなかった。
思うに春に「カオス*ラウンジ」がもたらした衝撃というのは、未知なるものへの期待値の高さこそがその内実の過半だったのであり、「正体不明なワケワカラナイモノ」であったが故に「新しさ」も演出できたのだろう。しかし当然未知なる正体不明のモノも、素性が知られてしまえば未知でも「新しく」もなんでもなくなるわけで、春の時点ではアノニマスな現象であった「カオス*ラウンジ」も、特定の「型」やグループの固有名詞へと変化したときに、既にステージは次なる段階へと移行したのだろう。
グループとしての「カオス*ラウンジ」の活動がこれからどう進展していくかはワカラナイし、フツーに考えればまだ始まったばかりの新しい作家集団の「今後」についての評価など定めようもないのだが(来年1月にTWS渋谷で予定されてる展覧会はちょっと新たなパターンっぽい、のかも?)、しかしそれでもやはり個人的には「現象」の時点で一瞬の風のごとく終わっていたら面白かったのになーというのが素直な感想。でも、とりあえず「破滅」に到るまでの流れとそこで感じた面白さを考えれば、コレを2010年のTOP10から外すことはできないな〜というのもまた正直な感慨。


10位:境澤邦泰個展
ちょうどこの個展を見た頃、俺は「フツーにいい絵」について考えていた。ここで言う「フツー」とは、凡庸な、とか、際立ったところのない、くらいの意味で、にも関わらず「いい絵」であると認識できるものを「フツーにいい絵」と定義し、その代表的なサンプルとしてアルフレッド・シスレーを考えていた。つまり同じ印象派でもモネやルノワールの場合、あるいはセザンヌやゴッホならばさらに顕著だが、彼らの絵は疑うことなく個性的で、美術史に照らし合わせてその「革新性」も確認できる。モネやルノワールやセザンヌやゴッホの絵を「いい絵だな〜」と思って見るときには、その「いい」というプラスの評価のなかには、先に挙げた「個性」とか「革新性」とかに対する評価が影響している可能性は充分にある。しかし、シスレーの場合はどうなのか? 印象派の中心メンバーで典型的な印象派の画家と言われながらも、モネやルノワールなどの同輩たちに比べると「際立った個性」も「美術史的な革新性」も見劣りがするというのは、俺だけでなく既に確立された大方の評価なのではないだろうか。しかし、そうは思いながらも俺は(そしておそらく多くの人々が)彼の絵をどうしようもなく「いい絵」として感じてしまうのだ。ではその場合の「いい絵」の「いい」とはなんなのか? 見る側の「趣味」なのか? 画面内のバランスの作用なのか? 絵の具の擦り付けられ具合による所産なのか? つまり「いい絵、いい絵」と気軽に口にしつつ、しかし実際はその内実についてはほとんど論理的には語られてこなかった「いい絵」の「いい」の秘密が、シスレーの絵を自分が「いい」と思う秘密を突き詰めれば見付かるのではないか?と、そんなことをちょうど考えているところだったのだ。
そして俺にとって境澤邦泰の絵はシスレーにつづく「フツーにいい絵」について考える際の絶好のサンプル第二弾!のように思えたのだ。つまり俺はこの作家の絵をとても「いい」と思う。しかしその場合の「いい」は、シスレーの絵に対する「いい」と極めて近い感覚なのだ。つまり「フツーにいい絵」なのである。この作家が重要視しているだろうこと(セザンヌの絵の再解釈やモダニズム絵画の文脈など)を俺はほとんど理解していないし、理解しようとも思わないし、共感したいとも思わない。シスレーが印象派グループにおいて相対的に凡庸な画家であったように、俺にとって境澤邦泰の絵は相対的に分類すれば「時代遅れのモダニズム絵画」にしか見えない。「にも関わらず」、両者の絵とも、俺には圧倒的に「いい絵」に見えるのだ。この謎をぜひ解明したい!と意気込んだのだが、結局着想だけに留まり、未だなにもしていない。
ちなみにその後、境澤邦泰の絵は別のグループ展で、シスレーの絵もいくつかの展覧会で見る機会があったのだが、結局彼らの絵はゼンゼン「凡庸」でもなんでもなく、実は充分に「非凡」で「個性的」なのではないだろうか?と、思い直しているところ。そして(結局)その「非凡」で「異質」で「個性的」な部分にこそ自分は魅かれているのではないか?、と。なんか思いっきり卓袱台ひっくり返しているわけだが、でもそれはそれで面白いので、今後もこの画家には引き続き注目してみたいと思っている。


 
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November 24, 2010

俺はなぜ絵を描くのか? − 「橋本平八と北園克衛展」を見て




世田谷美術館で開催中の「橋本平八と北園克衛展」が素晴らしすぎる件に関しては先日ツイッターでもつぶやいたが、その余韻を楽しむために図書館で思潮社の現代詩文庫『北園克衛詩集』を借りてきて読んでみた。
そのなかに「詩の新しいジェネレイションに」という克衛自身が書いた詩論がある。
文章の冒頭、彼は「詩人に三つのタイプがある」と説明する。
それは以下の三つだ。


A 詩を進化させるために書く詩人
B 自己の趣味として、あるいは詩によって何かしら自己の感情を排出するために書く詩人
C 大衆、あるいは自分のグルウプの賞賛を得るために書く詩人


克衛はAこそがその時代の文学的意義と価値とを持った真の詩人であり、世の詩人はすべてAへと進むべきだと説く。
この詩論の刊行は1941年だが(文中「一九三四年を発足するに当って」との記述があるので、書かれたのは1934年なのかもしれない)、これを詩人についての区分けでなく、芸術全般へと広げて捉えて考えれば、2010年の現在でもこの考え方は充分通用するだろう。
つまりそれは「芸術を進化させるために表現される芸術こそが真の芸術である」という、いわゆるモダニズムの根幹を成す思想だ。


詩の世界のことは皆目わからないので、美術を例にとって考えてみる。

たとえば日本の美術界には「日本画/洋画/現代美術」などという奇妙キテレツな区分けがある。最近は「美術」という言葉に「アート」なる語が取って代わるような勢いも見せているので、さすがにこの区分もやや古色めいてきた感があるが、それでもまだまだ隠然たる影響力は残っているだろう。
この区分のうち、現代美術は日本画や洋画に比べ圧倒的に世間の認知度が低く(つまりマイナー)で、一番お金にならない(つまり売れない)ジャンルとされてきた。最近では多少事情が異なるのかもしれないが、でも一般の認知度においても、市場規模においても現代美術が永年マイナーの位置を保ってきたのは事実だろう。

にも関わらず、その発生の当初から今日に到るまでずっと現代美術は、日本画や洋画に対して(さらに言えばその「美術」構図からは外れる工芸や書、手芸、イラスト、マンガなどなどに対して)ある種の優越感を抱いてきた、と言ったら驚くだろうか? 
でも、それは多少でも「現代美術」の内部を見聞きしたことのある人であれば否定しないであろう事実なのだ。もちろんすべての人が、とは言わないが、現代美術に関わる人間(特に作家)の多くは、日本画や洋画に対してなんらかの見下した思いを抱いたり、それを態度や言葉に表したりしたことが一度くらいはあるのではないだろうか?(たとえば「日展に応募しろなんて、オフクロはわかってないナーッ」とか^^)。

そしてある意味では、それは当然なことでもあるのだ。なぜならばその「優越感」は、「日本画/洋画/現代美術」という奇妙キテレツな区分けの成立要因そのものに関係しているからである。
だいたいちょっと考えてみればわかるが、日本画、洋画という主に絵の具を根拠とした区分に対し、「現代美術」というのは、あきらかに階層の異なった概念である。それが「現代に作り出されている芸術」という意味なのであれば、当然日本画も洋画も含まれるはずである。にも関わらず「日本画/洋画/現代美術」と並置するのであれば、その区分けにおける「現代美術」とは「日本画でも洋画でもない現代の美術」という意味に他ならないということになる。
結論から言ってしまえば、「日本画/洋画/現代美術」という区分における「現代美術」とは、日本画や洋画に対する差別意識によって成立している概念なのである。もちろんそれは日本画や洋画の側に立てば、「俺たちのカタゴリーには入らないなんだかワケワカラナイ半端モノ」という逆差別が成り立つのかもしれないが、「現代美術」という名称からしても、これは現代美術側の「選民意識」こそが作り出した区分けとして捉えるのが正解だろう。つまり日本画や洋画や自分たち以外のあらゆるジャンルの美術が「現代の美術」足り得ないという意識があって、はじめて成立する「現代美術」という自称なのである。
そして、おそらくその選民意識こそが、それこそ大正アヴァンギャルドの頃からずっと、市場も大衆の理解もないなかで、現代美術が脈々と生き続けてきたその原動力そのものでもあったのだ。

そして、その選民意識の根拠となるのが、上記の区分けで言えばAに当たる考え方なのである。つまり「芸術を進化させるために表現される芸術こそが真の芸術である」というモダニズムの思想だ。
ABC区分の美術バージョンにおけるAが現代美術であるとすれば、洋画や日本画は(「現代美術」側の論理で言えば)BかCということになるのだろう。
Bには他にも日曜画家からアウトサイダー・アートまでが含まれるだろうし、Cには大衆芸術(サブ・カルチャー)、コマーシャル・アート、あるいはそれこそコミケから公募団体まで幅広く含まれることになるだろう。
もちろん現代美術だって、自分たちの閉じた狭いグループ(現代美術業界)内での賞賛(美術館で展覧会が開かれたり、雑誌に載ったり、コレクションされたり、オークションで高値が付いたり、美術史に名前が残ったり)を得るために作品を制作しているのではないか?と穿つことも可能だが、ここで重要なのは本人たちが「自分たちはAである(=自分たちは芸術を進化させるために、芸術の進化の最前線で活動している)」と信じていることなのである。






芸術の進化を善とし、それ自体を芸術表現の目的とする思想はモダニズムの根幹であリ、モダン・アートの前提でもある。
しかし、果たしてその命題はほんとうに永劫普遍の真理なのだろうか?
その思想自体が「信じるものだけが救われる」一種の宗教のようなものではないのか?

俺がそんな疑問を抱くようになったキッカケが、実は冒頭でふれた「橋本平八と北園克衛展」だったのだ。


簡単におさらいしておくと、この展覧会は大正から昭和初期にかけて活躍し三十八歳の若さで夭折した異能の彫刻家・橋本平八と、平八の五歳年下の弟であり前衛的な詩人でありデザイン、編集といった多分野で活躍した北園克衛の兄弟二人展である。
会場をちょうど半分ずつに区分し、前半が橋本平八の、後半が北園克衛のそれぞれの個展と言ってもいいような形式の展示になっている。
平八は木彫90点に加え未発表の画稿やスケッチブックなどを、克衛は海外の研究者ジョン・ソルト氏所蔵のコレクションを中核に約700点の資料を揃えた、それぞれが質量ともに充実した展示で、全部を見ると展覧会二本分はあるボリュームと内容だ。

橋本平八の彫刻をまとめて見たのは今回の展覧会が初めてだった。その印象を一言で言い表すと「特異」ということになるだろうか? 全裸の少女像の全身に花の文様を刻み込んだ≪花園に遊ぶ天女≫や自然石を写実の極地を尽くして木彫で再現した≪石に就て≫といった異色の作品だけではなく、通常の人物や仏や動物を彫ったその他の作品においても、平八の彫刻は多かれ少なかれ同時代の他の彫刻作品に比べ、どこか少し「違った」感じを抱かせる。
いや同時代の彫刻作品だけではない。あらゆる時代のどの文脈に置いてみても居心地が悪くなるような、そんなどこにも収まり場所のないような「特異さ」が、平八の彫刻には漂っている。この感覚は、いったいなにに由来しているのだろうか?

平八の彫刻のほとんどは木彫で、そのすべてが一木から彫り上げられている。寄せ木から作った作品がないのは、木に宿る自然の力を重視しているためで、それは木に仏が宿っているという日本古来の仏像彫刻の思想と重なる(実際、平八は奈良にて仏像の研究をし、古代仏像彫刻を造形上の範としている)。
それを証明するかのように、平八の彫刻からは像が此の世に現れることへの畏れのようなものが伝わってくる。あたかも木の中にあらかじめ封じ込められていた像がその覆いを削ぎ落され此の世へと姿を現したかのような、彫刻家の作為よりも超自然的な奇跡を見ているような驚きが、そこにはある。

しかし彼の彫刻を「伝統彫刻」と呼ぶのは憚れる。それもまたどこか違うのである。言ってしまえば「近代」と「前近代」の双方が平八の彫刻のなかで同居し、相克しているような、そんな感慨を彼の彫刻からは抱く。平八の彫刻の持つ「どこの文脈にも居場所がないような特異さ」の源泉は、そのあたりにあるのかもしれない。
現に平八の彫刻からは、原始宗教に通じるような呪術性を感じるのと同時に、「近代」からの痕跡や、それをも超えて現代においてもなお革新的と思えるような時代を超えた斬新さをも見て取ることができる。
例えば自然石をそのまま忠実に再現した≪石に就て≫などは、石のなかに自然の神と仏が宿っているというアニミズム的な思想に基づいているのと同時に、石のなかに仏の姿を見て、それを何も手を加えずそのままの形で提示するその手法に、マルセル・デュシャンのレディメイドにも通じるモダン・アートとの類似性を見て取ることもできる。自然石をそのままの姿で技巧の限りを尽くして再現する姿には、自然の力に畏敬する「前近代的な」芸術家の姿も、少しでも他人と違った斬新なことをしようとする個性重視の「近代的な」芸術家の姿も、どちらも見て取ることができるだろう。
≪石に就て≫のような異色の作品でなくとも、多かれ少なかれ平八の作品には、木のなかに宿っていた像がそのまま姿を現したかのような呪術性と同時に、圧倒的に強烈な「橋本平八」という個性も感じるのだ。

平八の彫刻のなかの「近代」と「前近代」の揺らぎとは、言い換えてみれば表現の主体の揺らぎのことでもある。
つまり木にもとから宿っていた像が平八の力を借りて此の世に姿を現したとする「前近代的な」視点では、表現の主体は素材である木のほうにある。対して「橋本平八」という個性を重視する見方では、表現の主体では作者である平八個人にある。
この「近代/前近代」における表現の主体の揺らぎが、平八の彫刻においては顕現されているのだ。そしてそれこそが、平八の彫刻の「特異さ」に他ならないのではないだろうか?

平八の彫刻のなかに現れては消える「近代」と「前近代」の繰り返しに、いつしか固定観念として抱いていた「近代/前近代」の構図やモダニズムに対する理解が揺るがされていくのを感じる。
そしてその視点を次の克衛のパートへと持ち越すと、この展覧会は単なる兄弟展を超えた新たな相貌を見せ始める。


会場半ばでちょうど二分されたこの展覧会は、前半と後半では展示の雰囲気がガラリと変わる。彫刻や絵画が並べられた彫刻家である平八のパートに対し、雑誌や詩集、写真などの資料が並ぶ詩人にしてデザイナー、編集者でもあった克衛のパートの展示の外観が異なっているのは当たり前だが、平八が夭折していることを差し引いても、両者の展示のあいだには、同じ時代を共有した表現者とは思えぬほどの見た目の雰囲気の隔たりがある。
その違いを簡単に言ってしまえば、平八のアニミズムに対して、克衛のモダニズムということになるのだろうか。平八のパートが辺鄙な田舎か未開の僻地に漂うような呪術性に満ちているのだとすれば、克衛のパートは徹底的に都会的な洗練で統一されている。

しかし一見すると正反対にも見える二人の展示だが、よくよく見ていくと、なにか似通ったところがあるようにも感じられる。活躍した表現分野が異なり、見た目の雰囲気が正反対にも関わらず、単純に血を分けた兄弟だからという以上の共通項を、この異分野で活躍した芸術家二人に感じてしまうのだ。

たとえば平八の彫刻におけるアニミズム的な思想においては、表現の主体は表現される対象のほうにあった。彫刻家によるゼロからの「創作」ではなく、素材である木にもともと宿っていた像が顕現したかのように感じられるのが、彼の彫刻の持つ呪術性の最大の特徴だった。
しかし同じような表現の構図が、モダニズムの申し子のような克衛に対しても言える気がするのだ。克衛のパートの展示を見ていると、克衛の個人的な創意よりも、平八が木に宿った像を鑿で彫り起こすように、克衛も詩作やデザインで「モダニズム」という巨大な樹を掘り起こしているような、そんな感慨を抱いてしまったのだ。
平八のパートで生じた「近代/前近代」の揺らぎが、揺らぎようのないほどにモダニズム一色で染められた克衛のパートにおいて、今度はモダニズムそれ自体のなかへと揺らぎのさざ波を広げていく。疑うこともなく抱き付けてきたモダニズムに対する固定観念に、根本的な疑義が生じてくるのを感じる。
それは単純にこの展覧会を見るより前に俺が克衛の作品に親しんでいなかったことが原因しているのかもしれないが、しかし克衛のいかにもモダニズム然としたデザインや詩の形象を見ていると、個人の創意や創造がそこに入り込む余地すらないような、つまり「表現」は、個人による創作の以前にあらかじめ対象によって既に定められているような、そんな感覚を抱いてしまったのだ。

そして改めて詩集などで克衛の詩に触れてみると、あながちこの直感は的外れでもなかったような気がする。彼の視覚的形象を重視する前衛詩や抑制されたデザインは、やはり平八の彫刻と相通じるものがある。
それはある種の禁欲さということになるのだが、その禁欲が平八においてはアニミズムに、克衛においてはモダニズムにへと直結している。つまりは表現の主体性を対象の側に預けたような制作の姿勢と、そのなかで生まれる創意や個性の有り様が、この異能の芸術家兄弟のあいだで通底しているのである。

そして言い換えれば、平八と克衛の展示の相似は、そのままアニミズムとモダニズムの相似でもある。両者の違いとは単純に「信じているもの」の違いなだけではないか?という疑問がそこに湧いてくる。
未開で原始的だとされる呪術的な芸術表現も、より高度に進化したとされる現代芸術も、結局は「信仰」の対象が異なるだけで、表現の構図自体はさほど変わっていないのではないだろうか?
それがこの展覧会を見て、俺が得た大きな問いだったのだ。






その問いについて、芸術と信仰の関わりの面から考えてみる。


芸術の起源を考察する為には「芸術」自体の定義から始めなければならないが、モノスゴク大雑把に話を進めれば、その起源は生活に密着したものと宗教(信仰)に密着したものの二つに大別できるだろう。もちろん両者が入り混じってる部分はあるだろうし、単純な区分けはできないが、前者を「デザイン」、後者を狭義の「芸術」の祖先と見ることは可能だろう

芸術がその祖先として宗教(信仰)と密なる関わりを持つのだとすれば、そこからわかることは二つある。
一つは芸術表現にヒエラルキーが生まれるということ。もう一つは、そこでは表現の内容ではなく目的こそが重視されるということだ。

宗教(信仰)にまつわる芸術表現は多岐にわたるが(絵画、彫刻、建築、詩、音楽などなど)、それらの芸術表現は宗教(信仰)以外にも応用は可能だ。神々の姿を象っていた彫像は、いつしか為政者や貴族の彫像を生むようになるだろうし、祭儀のために描かれていた絵は、いつしか日常を彩るものとしても応用されるかもしれない。
そこで必要となるのが、表現のヒエラルキーである。宗教(信仰)のための芸術表現は、金持ちや大衆のための芸術よりも、より神聖で高貴でなければならない。そうでなければ信仰の意味合い自体が無効化されてしまうからだ。
もちろん「信仰」の対象は狭義の宗教にかぎる必要はない。国家の力が教会よりも強いときは、宗教画よりも国家の威信を示す歴史画のほうが、より高いヒエラルキーに据えられることだろう。先の大戦における戦争画の事例などを思い浮かべれば、それは容易に理解できるはずだ。信仰の対象が異なるだけで、その芸術の成り立ちの構図自体は、宗教画も戦争画も変わらない。

そして当然ながらヒエラルキーの順位を決めるのは表面的な表現の巧拙などではない。それは必要要素である場合もあるが、ヒエラルキーの順位を決める第一義ではないのだ。
芸術のヒエラルキーを決定する際、もっとも重要視されるのは表現の目的である。つまりはどんなに技巧的に優れていても、大衆の娯楽のために描かれた絵は、信仰のために神々に捧げられた絵よりも上のヒエラルキーに置かれることはないのだ。
もちろん時代や場所によって目的の中身は変わるだろうが、「目的」が第一義とされる点だけは変わらないのである。

そう考えてくると、原始的な信仰に基づくアニミズムと、より進化した芸術であるとされるモダニズムが、表現の構図として相似形にあるのも当然のことのように思われる。
つまりモダニズムは芸術にとって、信仰心の衰えによって衰退した既存の宗教に成り変わる「新しい宗教」だったのかもしれない。

先の詩論のなかで北園克衛はAタイプ詩人(即ち「詩を進化させるために書く詩人」)であるためには、「非常に明敏な頭脳を要すると同時に、優れたエスプリを持っていなければなら」ず、そのためには何よりも「勉強しなければならない」、そしてその努力は「並大抵の努力では持続できないもの」であると強調している。
現代においても、なにかと言うと若い芸術家たちに向かって「勉強しろ勉強しろ」と小言のように言う有名アーティストがいるが、モダン・アートにおける「勉強する」こととは、案外伝統宗教における修行と同じような意味合いを持っているのではないだろうか?
信仰とは、ただ外から与えられ、安穏と過ごしていけるようなものではない。信じるためには、常にその信仰心を苦難に晒し、それを乗り越えることで信仰を深めていかなければならないのだ。たとえばそのためには、清貧や禁欲を貫いたり、宗教的な儀礼で日常生活を束縛したり、あるいは山に籠ったり、滝に打たれたりする修行も、つまりは信仰を確たるものとするために己の信仰心を鍛えているのだろう。
それはモダン・アートにおける「信仰」でも、同じだ。「勉強」とは即ち信仰を試すためにするものでもあるのだ。「芸術の進化」の正当性を、歴史、哲学、その他あらゆる学問の秤にかけてみて、試してみる。それでもなおその信仰が揺らがないとしたら、その信仰は真なのである。現代美術の世界において、手先の技術よりも勉強や理論の大切さが強調されるのには、こうした理由があるのだろう。聖書や仏典に通じているように、美術史や哲学などに通じていることが現代の芸術家であるための重要要素とされることも、いかに教義に対する理解が深いか、いかにその信仰が真正で嘘偽りがないかが宗教者としての徳の深さに繋がっているとされるのと、実は同じ理由なのかもしれない。

しかしそれにしても「芸術を進化させるために表現される芸術こそが真の芸術である」という教義は、芸術にとっては一大発明だったのではないのだろうか? なにしろ芸術はついに特定の宗教を離れ、芸術表現それ自身を信仰の対象とする宗教を得ることになったのだから。
自己批評性をその本質とすることで芸術は一種の永久機関となって、その進化を加速度的に速めていくことになる。


しかし、それもいつまでもは続かない。「目に見える進化」を様式の刷新というかたちで繰り返してきた現代芸術は、いつしか袋小路に入ってしまう。「目に見える進化」は前世紀の終わりごろには、目に見えて行き詰ってくる。

「芸術の進化」が行き詰ってきた理由は、いくつか考えられる。まずは様式の刷新がネタ切れしてきたこと。斬新さを競う競争はたいてい極端へと走り終わるものだが、20世紀美術に関して言えばその段階はもう60〜70年代あたりには終わっていて、その後の焼き直しによるリバイバルもあらかた一巡して、今世紀初めには「最新様式」と言えるような目に見える大きな潮流は潰えてしまった。
さらに「難解さ」に関する問題もある。「芸術の進化」における「新しさ」は、先行する芸術への批判というかたちで現れるが、そこでは難解さも新しさの重要な指標となる。多くの人々から愛され理解されるようになってしまった芸術は、既に乗り越えられるべき新しくない芸術なのである。そのためそれを乗り越えるためにやってくるさらに新しい芸術は、その時点ではまだ少数の選ばれた人々にしか理解できない「難解さ」を身にまとっているのが常なのだ。しかしその新しい芸術に対する理解も次第に広がっていき、やがては次に来る次世代の芸術に乗り越えられるべき対象となる。その繰り返しによって、芸術は進化の連続性を保ってきたのだ。
しかし進化のスピードが加速し様式の刷新が目まぐるしくなっていくと、新しい芸術への理解の浸透が追いつかなくなる。「難解で斬新な前衛芸術」が未だ「難解で斬新な前衛芸術」でいるままに、次の「難解で斬新な前衛芸術」にその地位の委譲を迫られる。多くの人々にとっては、理解不能な「難解なもの」が「難解なもの」を駆逐しても、どちらがどう斬新でどう新しくどう進化しているのかは判断が付かない。芸術の進化の最先端を知るのは、限られた数の専門的知識を有した人間だけとなってくる。その結果、進化の先頭にあるもっともアクチュアルな芸術は、一般の関心から離れた、狭く、閉じたものとなってしまう。

たとえば最近、地域の活性化のためのアートだとか、医療のためのアートだとか、アート・アクティヴィズムだとか、暮らしにアートをだとか、「アート」に現世的で目に見えるワカリヤスイ価値付けをしようという動きが多々目立つ。そうした動向は、芸術の進化が袋小路に入ってしまったことと無関係ではあるまい。
それらは一般とはかけ離れ、極めて狭く閉じた世界に自足してしまった芸術を、再び広く大衆のもとへと解き放とうとする動きであり、同時にそろそろ呪力が切れてきた「芸術の進化のための芸術」という理由に代わる、芸術を正当化するための新しい大義を探す動きでもあるのだろう。

無敵かと思われた「芸術を進化させるために表現される芸術こそが真の芸術である」という「宗教」も、そろそろその耐久期限を迎えようとしているのかもしれない。その影響力は依然まだ強く残っているものの、もう夢は半ば覚めつつあるといったところが目下の現状なのではないだろうか。





ここで唐突に(というか、ようやく)自分の話になる。

では、俺自身が絵を描く理由はなんなのか?
先のABC区分を、少し言葉を変えて再度書き記してみる。


A 芸術を進化させるために描く
B 自己の趣味として、あるいは何かしら自己の感情を排出するために描く
C 大衆、あるいは自分のグループの賞賛を得るために描く


さて、俺が絵を描く理由は、このうちのどれか?

ものすごーーーーく正直に言ってしまえば、A、B、Cのどの要素も同じくらい自分のなかにはあると思う。
「自分の絵はおそらく芸術ではない」などと嘯きつつも、自分がA的な思想から完全逃れられているとは思わない。どこかでまだ「芸術の進化」を信じており、賞味期限の切れた「時代遅れ」の絵を描くことを恐れている自分がいることは否定できない。
Bに関して言えば、自分の絵を「趣味」と割り切れるほど達観はしていないが、少なくともある種の内的必然性によって、制作へと掻き立てられているのは紛れもない事実だろう。
そして、C的な「色気」も、もちろんないわけではない。大衆的な人気も「グループ内評価」にも別に背を向ける理由なにもはない。

しかし、それと同時に、A、B、Cのどれも自分が絵を描く理由としては違う気もするのだ。
A:いまさら「芸術の進化」を全面的に信じることは、やはり俺にはできそうにないし(そもそも自分の作品が芸術かどーかさえ疑わしいのに)、
B:かと言って内的必然性だけを理由に描いているというのも、少し違う気がする。それができるのはほんとうに自分の楽しみだけのために描く趣味人か、あるいはアウトサイダー・アートの作者だけだと思うが、どちらとも自分は違う(と思う)。
C:かと言って大衆的な人気や「グループ内評価」だけを目標に邁進するだけの割り切りもできていない(ホントは、それができれば一番いいのだけれど)。

結局この割り切れなさこそが、どの文脈にも上手く自分の表現を位置付けられない現状へと繋がっているのだろうが、それがわかっていてもできないものはできないのだから仕方がない。
信仰とは、つまりそういうものなのだ。頭で理解してるだけでは駄目で、心の底からほんとうに信じていないと意味がない。

では俺が信じてるものは、何なのか? 
いったいなにを「理由」に、俺は絵を描いているのだろうか?

正ーーー直に告白すれば、それに対する明確な答えを、俺はまだ持っていない。
でも、ひとつだけ思い付くとすれば、もしかしたらその答えを見付けるために、俺は絵を描き続けているのではないだろうか?
次の一枚を描けば、自分が絵を描くその理由が見付かるかもしれないと思いながら、描き続ける。あと一枚描けば自分の存在理由が、あるいは「この世界」の存在の秘密もが判明するのではないかと信じて、描く。

もしかしたら、それこそが俺の「信仰」なのかもしれない。


 
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September 09, 2010

The outside of the universe

One day I listened to the radio program "Kid's science telephone consultation service in summer holidays". It was the program that scientists and specialists answered to questions about science children asked.
I was surprised at a question that one little girl asked.
The question was this.


Gifu is in Japan, Japan is in the earth, the earth is in the solar system, the solar system is in the galaxy and the galaxy is in the universe.
Then, in what is the universe?



"Gifu" is the prefecture where she lives. She started her question from where she stood.
I remembered that I also had the same question when I was a child. I had forgotten that I had the question until I heard her question.
I think everyone had the question once in childhood. And everyone becomes adults without getting the answer.

The cosmology specialist answered two things.
One, it seems that the universe is expanding with speed quicker than the velocity of light. Therefore, however you may use a high-powered telescope, you cannot see the end of the universe. In conclusion, You can never know what is on the outside of the universe.
Two, the word of "universe" also means "all of the world". Therefore, the words of "the outside of the universe" are meaningless.

I think he said nothing except he didn't know anything about it. He had no image about it. He cannot even imagine about it.
And, of course, we are the same as him. We the human beings cannot imagine about the outside of the universe. That's true.

The question the girl asked shows our view of the world. The important point is that a specialist of cosmology and an elementary schoolchild have completely same view. It is the view of the world all we have. And it shows the limit of our imagination.

To know about the outside of the universe is to know the secret of the world where we live. Although we can never know it, we never stop trying to know. I think that it is human's nature.
However, how can we know the outside of the universe?
As a cosmologist said, we can't see it through a telescope.
Therefore, we have to try in other way.

I consider some of human's acts which are not so productive at first glance may be related to it. For example, philosophy and some of Art are them.
Even if we use a high-powered telescope, we cannot see the outside of the universe, but we may be able to know it through drawing still life on a table. (For instance, possibly what Giorgio Morandi did was that.)

Human beings are the strange creatures. I think that it is only one living thing that considers about the outside of the universe.
In order to live, there are many important things to consider in the world, such as economy, politics, environment or else.
However, because I was born as human being, I would like to spend my lifetime in order to know what is on the outside of the universe.


 
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August 09, 2010

長島有里枝「SWISS+」

我々は自分が見ている世界を「そのままのかたち」では、他者に伝達することができない。たとえば言葉を紡ぐことで、たとえば絵を描くことで、たとえば数値に表すことで、我々は「自分が見ているもの」を相手に伝えることはできる。しかしそれはもちろん自分が見ている世界「そのもの」ではない。自分が感じている痛みをその痛みどおりに他人に伝えることが不可能であるように、人は自分が見ている世界を「不完全なかたち」でしか他者に伝達することができないのだ。

では写真はどうだろう。写真ならば自分が見ている世界をそのままのかたちで他人に伝えることができるのではないか?
もちろんそんなことはない。写真と「自分が見ている世界」は全然違う。
ではどこが違うのか?
たとえば「記憶」というものがある。記憶は経験のアーカイブであるのと同時に、時間軸を無視した感覚の錯誤でもある。たとえば我々は目の前にある何かを見ながら、それとはまったく別の何かを脳裏に描いたりする。一輪の花を前にして、その花を好きだった誰かの面影をそこに重ねて見るかもしれない。そのとき脳裏に描かれている「映像」は、どのようなものなのだろうか? それは目の前の花の映像なのか? それとも想起された人物の姿なのか? それともその二つの画像が重なり合って映っているのだろうか? 
ひとつ確かなのは、写真は決してそれを写すことができないということだ。カメラがフィルムに定着できるのは、目の前にある花の姿だけである。でも自分が「実際に見ているもの」は、「それ」ではないのだ。


我々がどのように世界を「見ている」かを説明するために、あるポピュラーソングの歌詞を例として挙げよう。それはCoccoの「Raining」だ。
「Raining」は12年ほど前にヒットしたCoccoの初期代表曲だが、その歌詞は今聞いても依然鮮烈な印象を保っている。
そこで描かれるのは、思春期に世界の残酷さと不条理に直面し、その感情をうまくコントロールできない一人の少女の姿である。歌詞の中では具体的には語られていないが、おそらく彼女は親しい人間の死といった感情をうまく制御できないほどの圧倒的な悲しみのなかにいる。髪を切り落とし、さらには肉体を傷付け血まみれになって踊るといったエキセントリックな描写に打ちのめされるが、少女の混乱した感情とはまったく無関係に、世界はきれいに晴れわたり、平和で、すべてが美しく輝いているという描写が、少女の抱いている悲しみと混乱をより深く表している。

しかしこの歌詞のもっとも注目すべき点は、そこではない。タイトルの「Raining」に示されているように、この歌はとても晴れてすべてが美しく光り輝いていたその思春期のある日の情景を歌ったものではなく、その過去の日をそれから何年かのちのある雨の日に、少し大人になった彼女が「思い出している」様子を歌った曲なのである。
それは歌詞の中では「今日みたく雨ならきっと泣けてた」という一行によって言い表されているが、この一行があることによって、この歌のなかで表現されている時間が入れ子状になっていることが判明する。
つまり直接歌われているのは「現在」の時間にいる彼女で、彼女が雨を見ながら過去のある一日を思い出しているのである。「現在」は雨降りの日だが、彼女が思い出しているその過去の一日はとても晴れてすべてが美しく光り輝いている日である。このイメージの対比が実に巧みだ。悲しみの入り込む余地のないような晴れ渡った過去のその日の天気は、泣くことさえ思いつかぬほど混乱した少女の感情と、彼女が直面している世界の残酷さや不条理さを象徴している。対して「現在」の雨降りの天気は、あのとき雨が降っていたら泣くことによって感情を多少は浄化できたかもしれないと客観的に判断できるほどには、彼女の悲しみが時間とともに癒されていることを表している。

これは非常に映像的な歌詞である。ではこの歌を実際に映像で表現した場合、どのようなものになるだろうか?
すぐに思い付くのは晴れた日の大地の上で血まみれになって踊っている白い服の少女と、雨の日の薄暗い室内で佇む少し大人になった彼女を交互に映したような映像だろう。でもおそらくそれは間違っている。ここで表現されているのは、そんな凡庸なイメージではない。
この歌において真に対比されるべきは、二つの時間のなかの彼女たちの姿ではなく、それぞれの時間のなかの彼女の「視覚」である。つまり圧倒的な悲しみと混乱の真中にいる少女が見ている不条理なまでに美しく晴れ渡ったその景色と、少し大人になった彼女が見ている雨の景色。その二つの「知覚された光景」の対比こそが、真に描かれるべきものなのだ。
しかし本当はそれでも充分ではない。なぜならばこの歌の主人公の目に映っている「映像」は、実は現在の時間のなかにおける雨の日の情景(Raining)だけだからである。つまり彼女は目に映る目の前の景色のなかに、記憶の中の美しく晴れた悲しみの日やその日から現在までの「距離」をも見ている。そこではただ一つの「映像」のなかに、複数の時間が入れ子状になって存在している。
そして、おそらく我々は「そのようにして」世界を見ているのだ。

Coccoの「Raining」は「人がどのように世界を見ているか」を、言葉(と声と音楽)によって見事に表現している。これと同じ内容を写真やビデオといった映像メディアで表現しても、ここまでの表現力は得られないだろう。現在の時間のなかにいる彼女の見つめている雨の日の情景を写真に写しても、追憶のなかの美しく晴れた日の景色をビデオに収めても、あるいはその二つをコラージュやカットバックなどの手法で編集しても、この歌の表現している「映像」には、遥か遠く及ばない。実際、この曲のPVは、歌詞の内容とまったく関係のない凡庸な内容のものになっている。
「Raining」の歌詞の表現力の高さは、我々が「実際に見ている世界」と「写真」との落差の大きさをも象徴しているのだ。


しかし先日、この歌のなかの主人公が見ている「映像」を垣間見せてくれるような写真展に出会った。それはSCAI THE BATHHOUSEで開催されていた長島有里枝の個展「SWISS+」だ。
この展覧会は長島の最新写真集『SWISS』から抜粋された作品によって構成され、さらに昨年刊行された長島のエッセイ集『背中の記憶』に収められている短編とも関連しているらしいのだが、自分はどちらも未見のため、その二冊との関連についてはわからなかった。しかし独立した一つの展覧会として見ても、これは非常に印象深い展示だったのだ。

銭湯を改装したギャラリーの奥にある急な階段を登った先の、おそらく普段は展覧会には使用していないと思しき仮設展示風の小さな部屋で行われていた展示は、会場全体があたかもひとつのインスタレーション作品であるかのように、繊細に作り込まれていた。
写真はすべて印画紙のまま直接壁に貼られ、額装はされていない。展示の主となるのは長島が2007年にスイスで開催されたレジデンシープログラムに参加した際に撮影したカラー写真だが、そこには特に強く「スイス」を象徴するものが写っているわけではない。それは花だったり、頁を開いた本だったり、床や壁に付いた浸みだったり、すべてが日常のありふれた光景だ。どれも静謐な印象の美しい写真だが、それ自体にはとくに変わったところはない。
しかしそれとは種類の異なる写真も何枚か混ざって展示されている。それは壁に直貼りされた写真の「展示されている様子」を撮影した写真で、そのうちの何枚かはこの会場自体を撮影したものである。
この「展示された写真を撮影した写真」は、スイスで撮影された写真とは、あきらかに写真のトーンが異なっている。スイスで撮影された写真が色彩の印象の強い艶やかなカラー写真なのに対して、「展示された写真を撮影した写真」はどこかモノトーンチックで色彩が薄い。どちらも同じCプリントなのだが、後者は言ってみればインクジェットでプリントされたデジタル画像のような「弱さ」がある。その「強弱」の差は、メインとなるべきスイスで撮影された写真の「強さ」をより強調しているように思われる。
さらに写真以外にも、真四角に切った銀色の紙が、作品と同じような体裁で何枚か壁に貼られている。それは少しエンボスがかった薄い銀紙で、その前に立つとぼやけた像が鏡のようにその上に映り込む。その銀色の紙は、展示してある写真と同じ間隔で写真に混ざって壁に貼られているので写真の擬装のようにも見えるが、同時に会場の奥に一つだけある小さな正方形の小窓とちょうど同じ大きさをしていることから、外の世界に向けて開かれたその窓とも呼応していることがわかる。
この展示会場自体を写した写真の一つに、この銀色の紙が写っている写真がある。その写真には観客も写っていて、彼女の顔は銀色の紙の上にぼやけた形で写り込んでいる。この写真を見たときに掻き立てられる違和感は、自分がいま立ってるこの場所を鏡のように映しているこの写真に、当然写っているべき自分ではなく他の見知らぬ人物が写っていることに因るのだろう。もちろんそれは鏡ではなく写真なので自分が写っているはずはないのだけれど、銀紙の仕掛けが効果的に働いて、その違和感は否が応にも増幅される。
この仕掛けは、実に巧みだ。それは「鏡のように見える写真」が、実は鏡でも何でもなく写真であることを、見る者に強く認識させるからだ。
鏡と写真の決定的な差は、そこに映しだされた「時間」の違いである。鏡が常に「現在」しか映さないのに対して、写真に定着されるのは常に「過去の時間」だけだ。我々は印画紙にプリントされた写真を見るとき、現在の時間に存在するその写真自体と、写真のなかに写し込まれた過去の時間を同時に見ていることになる。鏡のような銀色の紙と、展示会場自体を写した写真による仕掛けは、「写真を見る」という行為の持つ重層的な時間軸を、見る者に自覚させる。

おそらく今回の展示で長島が目指したものは、会場の空間全体を「写真的な空間」へと変貌させることだったのではないだろうか。鏡のような(そして写真のようでもあり、窓のようでもある)銀色の紙と「展示された写真を撮影した写真」のほかにも、たとえば写真と見紛うかのような映像作品が、壁に埋め込まれた液晶モニターで上映されていたりもする(そこでは窓から見たほとんど動きのない静止画のような風景が映し出されている)。
鏡、窓といった写真と類似した要素と絡めることで、結果的に写真の持つ時間の重層性や場所の多重性は、空間のなかで増幅したかたちで強調される。

そして、それらの仕掛けは、すべて今回の主作品であるスイスで撮影された写真たちを見せるために為されているのではないだろうか。
「写真的な空間」に変貌された会場内において、それらはもはやただの「花の写真」や「床の写真」でない。
会場に満たされた様々な仕掛けは「写真」というメディアの持つ視覚の異質性を露わにし、知らず知らずのうちに見る者の目に「見る」ことへの自覚を促している。型通りに見れば、それは「花」や「床」であり、あるいは「壁に貼られたプリント」であるが、しかし覚醒された目は、写真家が「見ているもの」が「それ」ではないことを既に感じ取っている。
異国の地でそれらのモノたちを見つめながら、それに重ねて彼女はきっとそことはどこか別の場所、別の時間を「見ている」。その「視線」を、写真を通して感じ取る。あたかも写真家の視覚が乗り移ったかのように、いつしか自分も同じ視線でその光景を「見ている」。
そしてそのとき、決して伝わるはずのなかった「自分以外の人間が見ている世界」が「伝わっている」ことに気付く。
その瞬間、「世界」は大きく反転している。


人間は自分が見ている世界を「そのまま」のかたちでは他者に伝達することができない。
我々はその事実を普段気に留めはしないし、そのことで日常生活を送るのになにか支障があるわけでもない。
しかしその伝達の不可能性こそが、ある種の「表現」の初発の動機にもなっているのだ。
それは自分が生きている「この世界」を成立させている「謎」への探求であり、自分自身の存在を確認するための実験でもあるだろう。
そして、決して伝わることのないはずだった「それ」が、確かに「伝わった」と感じられるとき、我々は同じ世界に生きる他者の存在を、あるいは自分の生きる「この世界」の確かさを、ほんとうの意味で確信できるのではないだろうか?



長島有里枝「SWISS+」
SCAI THE BATHHOUSE(2010年7月2日〜8月4日)
http://www.scaithebathhouse.com/ja/exhibition/data/100702yurie_nagashima/


 
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July 07, 2010

古屋誠一 メモワール.

「メモワール」は1985年に高層住宅から投身自殺したオーストリア人の妻クリスティーネを撮影した写真家古屋誠一の代表作である。このシリーズを自分はいままでに何回見ているだろう? 実際に数え上げればそれは十指に遥か満たない僅かな回数なのだろうが、それでも「見ている」ではなく「見せられている」と思わず言い換えたくなってしまうような執拗な反復感をそこには感じてしまう。それは単に同じ作品を何度も見せられることによる飽きというよりは、むしろ苦行のように自らの不幸な過去に拘泥し続ける写真家に対する戸惑いなのかもしれない。
確かにはじめてこれらの写真を見たときは、そこに写されている美しい西洋人の女性がその後投身自殺をしたという衝撃的な事実と、彼女が心を病んでいく過程を撮影したその写真を「妻に自殺された夫」である写真家自身が自らの作品として公に発表しているという「残酷さ」に、強く心を揺さぶられた。
しかし最初の衝撃が去って以降二度目からは、写真家があたかも自傷行為のように延々と自分自身の「辛い過去」を発表し続けることに対する違和感と、鑑賞者としてそれらの写真にどのように向き合えばいいのか見定められない困惑が、次第に写真の内容を凌駕するようになっていった。写真家とその妻の「個人的な不幸」を繰り返し見せられれば見せられるほど、それは「他人事」として遠ざかっていく。この作品をめぐっては、いつもそのことを感じ続けてきた。

しかし今回、東京都写真美術館でこのシリーズの集大成となる展覧会を見て、なにかいつもとは少し違った感触を得ることができた。これはあとから知ったことだが、古屋はいままでずっとこの作品を発表する際の展示構成は全て自分の手で行ってきたのだが、今回は初めて第三者である学芸員にその任を委ねたのだという。そのためなのだろうか、今まで感じていた他人の記憶を無理やり押し付けられるような違和感は後退し、素直に写真自体を楽しめるような構成になっている。いい意味でも悪い意味でも灰汁が抜けた「普通の展示」に近くなっているのだ。
過去にはクリスティーネの病が進行して自殺に到るまでの期間の裏事情を詳細に説明したテキストを付したヘヴィーな展示もあったが、今回は殊更写真の背景にある物語については展示のなかでは強調されてはいない。写真の並べ方も時系列に沿って見せるような形ではないので、写真家が写真を撮ることが(そしてその写真を見つめる観客の視線が)妻の病を進行させ自殺へと追い詰めていっているような「あの感じ」はなくなっている。時間がシャッフルされることによって、心の闇も、罪も、後悔も、謎も、皆すべて藻屑と化しているかのような、そんな浄罪感すら漂っているような気もする。

これもあとから知ったのだが、今回の展覧会タイトル「メモワール.」の末尾に「.(ピリオド)」が付いているのは、古屋が1989年以来二十年以上続けてきたこのシリーズの発表を、今回の展覧会で締めくくろうという思いからなのだという。
古屋はそのことについてインタビューで「彼女の死後、無秩序な記憶と記録が交差するさまざまな時間と空間を行きつ戻りつしながら探し求めていたはずの何かが、今見つかったからというのではなく、おぼろげながらも所詮なにも見つかりはしないのだという答えが見つかったのではないか」とコメントしている。
おそらくその「所詮なにも見つかりはしないのだという答えが見つかった」という言葉が、今回の展示をもっとも象徴しているのだろう。過去の展示における心の傷の瘡蓋を剥がし続けるような自虐的な感覚が薄れ、傷跡そのものを自分自身として認め得たような、そんな達観さえもそこには感じられる。
そしておそらくそのことによって、ようやくこの「メモワール」という「他人の物語」に、第三者である自分がコミットできる糸口が見えてきたのだと思う。

しかし、妻の死から二十五年間、これらの写真を発表し始めてからも二十年超、古屋が探し求めていたはずの「何か」とはいったいなんなのだろう?

今これらの写真を前にして、「わからないこと」はたくさんある。
たとえばなぜクリスティーネが心を病み、なぜ自ら死を選ぶに到ったのか、そのほんとうの理由は彼女の写真を見てもわかりはしない。
写真に写っているクリスティーネは、「写真に写っているクリスティーネ」であり、それ以上でも以下でもない。「写真に写っていないクリスティーネ」のことは、我々は永遠に知り得ない。
そしてそれはきっと夫としてクリスティーネを身近で見守っていた古屋にとっても、同じことなのではないのだろうか? 同じ時間をともに過ごしても、何枚写真を撮っても、記憶や記録をどんなに集めても、一人の人間の内を「ほんとうに」知り得るなんてことはあり得ないのだ。クリスティーネが抱えていた心の謎は、誰にも知り得ぬまま彼女の死とともに永遠にその答えを喪ったのだろう。
そしてその謎の深さと答えの喪失は、写真(記憶)が残されていることによって、より際立つのではないだろうか。

クリスティーネの死以上に、第三者である我々鑑賞者にとって「わからないこと」は、なぜ古屋がこれらの写真を撮り続けたのか?ということだ
先にも触れたがこのシリーズを時系列順に見ていくと、まるで写真家がその妻の写真を撮ることが、彼女の生命のエキスを吸い取っているかのような錯覚を、次第に衰えていくクリスティーネの姿から感じ取ってしまう。古屋はなぜこれらの写真を撮り続けたのか?
おそらくその答えは「自分は写真家だから」ということなのだろう。これらの写真はきわめてプライベートな写真ではあるが、しかし通常の「家族写真」とは明らかに種類の異なるものだ。古屋は家族の記憶や記録を残しておく為にシャッターを切っているというよりは、ただ「自身が写真家だから」という理由だけで、目の前にいる被写体に対してカメラを向けているように感じる。
今回初めて気付いたのだが、クリスティーネを撮影した古屋の写真は、荒木経惟の『センチメンタルな旅』をどこか彷彿させる。妻・陽子の死までを追った『冬の旅』ではなく、陽子との新婚旅行を撮影したデビュー作『センチメンタルな旅』を想い起こしたのは、おそらく撮影主と被写体の関係の「歪さ」が似通っている為だろう。そのどちらの作品においても撮影者は「ただ自分が写真家だから」という理由で目の前にいる身近な人間を撮影しているように見える。しかしそのときの撮られる側(陽子、クリスティーネ)の気持ちとはどんなものなのだろう? 撮影しているのが「夫」であるならば自分は「妻」としてその「家族写真」に収まればいい。しかしおそらく撮影しているのは「夫」ではなく「写真家」なのである。プロの「写真家」である彼女らの夫たちが写真を撮ることは、とくにその理由をあらためて自問する必要もない自明な事柄なのだろうが、はたして写真家の妻である彼女たちがそのモデルとして撮影されることは同じく「自明な事柄」なのだろうか? プロのモデルではない彼女たちは、どのような立ち居地をもってレンズと向き合うべきなのか?
実際に撮影されている当人たちにそのような戸惑いがあったかどうかはわからないが、少なくとも鑑賞者である我々はそのような「分裂した立ち居地」を印画紙のなかの写真家の妻たちの姿に感じてしまう。カメラを仲立ちした「歪な関係」を、どうしてもそこに見てしまうのだ。
荒木は妻の死の刻までも写真家として克明に撮影し続けるという「写真家」としての態度を貫くことによって、「被写体」としての妻の分裂した立ち居地に一つの回答を与えたのかもしれない。では古屋の場合はどうなのだろうか? クリスティーネの自殺によってある意味その分裂した立ち居地を投げ返されるような形となった古屋にとって、残された写真や妻の記憶と延々と向き合っていくことが、「なぜ自分は彼女の写真を撮り続けたのか?」という問いに対する果てのない探求の旅だったのだろうか?

そしておそらく古屋にとってもっとも解からは遠い「わからないもの」は、クリスティーネの存在自体なのではないだろうか? これは想像であるが、この写真家にとってクリスティーネをめぐる問いは、これらの写真と向き合うことによって次第に「なぜ彼女は自殺したのか?」から「彼女はなにものだったのか?」へと変化していったのではないだろうか?
「メモワール」シリーズのなかにはクリスティーネの死後に撮影された写真もあるし、クリスティーネの写っていない写真もたくさんある。しかしそれがたとえ風景写真であっても、静物写真であっても、見る者はそこにクリスティーネの姿を感じ取ってしまう。写真にはすべて撮影年と撮影場所がタイトルとされているのだが、見る者はそれを「古屋とクリスティーネの物語」の年譜と対応させ、その写真の「意味するシチュエーション」を脳裏で完成させる。つまり風景が写っているだけの写真を見ても、これはクリスティーネの進行する病に戸惑う写真家が見た光景なのだと忖度し、静物を撮影した写真を見ても、これはクリスティーネを喪ったあとの哀しみに満ちた写真家の視線なのだと解釈する。今後クリスティーネとの記憶をテーマにした作品を一切発表しなくなったとしても、我々がクリスティーネの影を古屋の写真の中に探さなくなるまでには、それなりに長い時間がかかることだろう。
クリスティーネの自殺というショッキングな出来事は、否応なしに古屋の撮るすべての写真を一つの物語へと束縛することになった。結果的に古屋はその束縛から逃れようとするのではなく、むしろ向き合うことを選択するわけだが、まるである日突然自分が「自分の人生」の主人公ではなく、「他人の人生」の登場人物であることを告げられるようなそんな暴力的なまでの人生の理不尽さを、彼はどのように受け止めたのだろう。クリスティーネの記憶と向き合うことは、古屋にとって人生そのものの不可思議さと向き合うことでもあったのではないだろうか。

それらの問いへの探求は、初めは単なる「個人的な問題」だったのかもしれない。しかし最終的に写真家が、長い彷徨を経た末に「所詮なにも見つかりはしない」ことを見付けたことによって、それは普遍的な問いにまで昇華されたのではないだろうか?

ところで「メモワール.」展を見た同じ日に、同じ写真美術館で開催されていた「侍と私」展も一緒に観覧したのだが、こちらは満足とは程遠い内容だった。なによりも不満だったのは杓子定規で硬直したその展示構成である。この展覧会は美術館の収蔵作品によって「ポートレート」をテーマに展開するシリーズの第一回目だったのだけれど、まるで「写真史博物館の常設展示」といった感じの紋切り型の展示で、あくび以上のなにものも誘われることはなかった。
特に違和感を抱いたのが、写真の草創期である江戸時代末期や明治時代初期に撮影された肖像写真のひとつひとつに被写体となった人物の「略歴」がなんの工夫もなくべったりと付されていたことだ。「研究成果の発表」という観点からすれば、古写真の肖像主の身元をひとつひとつ調べ上げていくことはそれなりに重要なことなのだろう。しかし「展示」としては、結果的に杓子定規な人物来歴がそこに付されることによって、それらの肖像写真は写真自体が持つ魅力を覆い隠されて、ただの「歴史資料」へと堕してしまっていた。つまりそれらの写真は、パスポートや免許証に貼られる「証明写真」と同じ、単なる人物証明の為の記号に過ぎなくなっていたのだ。
百年以上の時を超えて現代に伝えられたそれらの古写真に写しだされた人々は、まぎれもない「歴史上の人物」である。彼らと直接接した記憶を持つものは既にこの世にはおらず、彼らがどのような人間で、どのような人生を歩んだかについては、資料に拠るしか他に道はない。
しかし彼らには、そんなたった数行でまとめられてしまうような「略歴」以上の人生がきっとあったことだろう。一枚の肖像写真は、そんな彼らの「人生そのもの」を伝えてくれるものでは、もちろんない。一枚の写真が伝えられる情報量は「歴史資料」としては有限であり、極めて小さい。しかし一枚の写真は「そこに写っていること」だけではなく、同時に「そこに写し出されていないこと」をも含んでいるのだ。我々は一枚の写真から数行にまとめられた「歴史記述」以上の彼の人生を想像することはできたかもしれない。少なくともそれが「できる」ということを、展示の仕方によっては示せたかもしれない。しかし結局それを単なる「歴史資料」としてしか展示できなかったのは、単純に「写真」というものに対する担当学芸員の想像力が欠如しているからだと取られても致し方がないだろう。

古屋の「メモワール.」は、人の一生がたった数行の歴史記述、たった一枚の「証明写真」にまとめられてしまうというその残酷な事実を、最終的には受け入れることによって、その「残酷さ」を反転してみせているような気がする。
この世にはおそらく彼女自身以外の誰も知ることのできないクリスティーネが生きていた。我々は古屋によって撮影された彼女の写真を通して「クリスティーネ」という一人の人間を知るが、そのことの「ほんとうに意味すること」は、そこからは決して知ることのできないクリスティーネが、この世界には確かに存在したのだというその事実なのだ。
それは写真というメディアの孕む「絶望」であり、そして同時に「希望」でもあるのだろう。古屋の二十年を超える執拗な「問い」は、おそらくその反転を可能にするためにこそあったのではないのか。

「写真」は「写“真”」であるが故に、もっとも真実からは遠い。しかしもっとも真実から遠いが故に、逆にもっとも真実に近いのではないのだろうか?
つまり「真実なんて結局どこにも見付かりはしない」という真実を、写真は他のどのメディアよりもまざまざと示してくれるのだから。


「古屋誠一 メモワール.」
東京都写真美術館(2010年5月15日〜7月19日)
http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-18.html


 
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April 29, 2010

「幽霊」としての作品鑑賞〜橋本聡「行けない、来てください」

先日、橋本聡の個展「行けない、来てください」を見るために、茨城県守谷市にあるアーカス・スタジオまで出掛けてきた。
橋本聡の作品は昨年八丁堀にあるオルタナティヴ・スペースCAMP/Otto Mainzheim Galleryでの個展で初めて見た。そのとき橋本は、印刷紙で作った紙袋を観客が(自主的に)被ってそのあと(自主的に)鉄板の上で焼く作品や、直立した細長い木の箱に観客が(自主的に)入ってその外でスタッフがサイコロを振り出た目の時間だけ閉じ込められる作品などを展示していた。
そのときの俺の感想は、まぁ「ふ〜ん・・・」って感じだった。なんかちょっと「古いな・・・」とも思ったし、正直それほど大きな感銘は受けなかった。
でもどこか引っかかるところはあった。一見やっていることは手垢の付いた時代遅れのコンセプチュアル・アートみたいなんだけど、どこかにまだ手垢の付いていない「新鮮さ」というか、「見たことのない感じ」を孕んでいるような気配も感じたのだ。
だからその作者が廃校になった小学校の校舎を利用したアート・スペースで大規模な個展を開催すると知ったとき、やや遠出にはなるがこれはぜひ見に行かなければと決意したのだった。

「遠出」と言っても、つくばエクスプレスを使うと守谷駅まで秋葉原から30分ちょっとで着いてしまう。「茨城」の名から想像する距離感覚とは相容れぬ意外なほどの「近さ」だ。会場のアーカス・スタジオまではそこからバスで15分くらい。バスへの接続もうまく行き、なんだかあっという間に着いてしまった印象だった。しかし周囲に高い建物のない広い空は「遠出」の醍醐味を感じさせてくれる。
会場の旧小学校の建物は二階建ての小さなもの。生涯学習施設「もりや学びの里」の敷地内にあるため、校舎の前の広場では日光浴を楽しむ人々などが思い思いにくつろぎ、ゆったりとした時間が流れている。
1Fの受付でまずは誓約書を書かされる。「危険な作品があるため」との説明を受けるが、ここまで来て「見ない」という選択肢はあり得ないので、素直に署名する。係の人に案内され階段を上る。展示室は2Fの四教室だ。

まずは一番手前にある教室を覗き、驚く。床を覆い隠さんばかりに積み上げられた本の山。積み上げられたといっても横に寝かして積んであるのではない。頁を開いて立てた状態で何冊かの本を縦に塔のように積んである。あたかもミニチュアの都市を形作るがごとく様々な種類の本のタワーが不安定に乱立している。本だけではなくCDや、あるいは本のタワーのてっぺんにかーなり不安定な状態で茶碗や花瓶などが置かれていたりもする。あとから来た別の来場者が「これってもしかして冨井さんの作品?」と、以前同じアーカス・スタジオで個展を催した冨井大裕の作品と間違えていたが、いくらなんでもそれは冨井大裕に失礼だろっ!!とツッコミを入れたくなるくらい、同じ日用品を使った作品と言っても冨井の作品のようにちょっとでも動かしたら作品として成立しなくなるようなそんな繊細さは微塵も感じられない。ホントにただ雑然と積み並べてあるといった感じで、「フラジャイル」であっても決して「緻密」や「繊細」ではない。むしろ意図して「作品」然とするの避けているようにも見える。
並べられた本は作家の私物なのだろうか、雑誌やマンガなども散見されるが種類としては圧倒的に美術書が多い。CDもバラバラのようでいてなんとなく個人の趣味的傾向が透けて見える。
壁際にはベニヤ板が無造作に立てかけられ、入ってきたのと反対側(黒板側)の扉付近に簡単な仮説壁が設えられている。窓の外には午後の陽光に照らされた校舎前の広場が見えるが、あきらかにそこから届いたのではない人の声や物音が微かにどこかから漏れ聞こえてくる。
音の源は部屋のあちこちに仕掛けられた3台のモニターだ。そこではそれぞれ作者の過去のパフォーマンスと思しき映像が流されている。しかしそれらを見るのはかなり困難である。なにしろ入り口(教室の後ろ側のドア)から出口(前方のドア)へと抜けるけもの道的な「隙間」はなんとなくあるのだが、モニターはその位置からではまったく見えない。机の下や立てかけられたベニヤ板の陰、あるいは高所に設えられたベニヤ製の「筒」のなかに3台のモニターは隠されている。それらを見ようと思ったら、踏み台用として積まれた(ように見える)本の山におっかなびっくり登ったり、そっと触れただけでも崩れそうな本のタワーの林のなかへと踏み入ったりしなければならない。実際、先の「冨井」発言をした女性は、いくつかバタバタと本の山を崩してかーなりインスタレーションを「変容」させていた。

つづく第二室の入り口には、開いたドアの高さ1mくらいのところに横棒が備え付けてあって中に入れないようになっている。この部屋は外から遠め見るだけなのかと思いきや、ドアの側面に貼られたワープロ打ちの文字が目に入る。曰く「またぐか、くぐるか」。そしてそれに続いてその英訳と制作年「2010」の表記。つまりこの横棒も作品であり、「またぐか、くぐるか」というのは作品タイトルなのである。「この棒を跨ぐ、もしくは潜って中に入ってください」といった「指示」ではなく、あくまで「タイトル」であるところがイカニモ橋本聡的でイヤラシイ。中に入るか否かは完全に観客の自由意志に委ねられているのだ。
構わず跨いで入ってみるが、とくに部屋のなかには危険なものはない。ビニール袋を被って油性マジックで顔をトレースさせる作品や、任意に選んだ絵葉書に手紙を書いて水槽のなかに投函させる作品など、いくつかの作品が展示されている。いずれもワープロ打ちした文章が添えられていて「やるか、やらないか」は観客の自己判断に委ねられている。作品の種類としてはCAMPで見たものに近いが、やはり入り口の横棒の仕掛けが一番効いている。

第三室は前方の黒板側のドアが入り口となっているが、そのドアの横には「この作品は服を破損したり怪我をしたりする危険があります」との物々しい注意書きが貼られている。入るか否かは観客の自己責任のもとでと、あらためてここで念押しされる。
中に入ると、なぜ再度念を押されたのかすぐに理解できる。木で作った柵が開いたドアと同じくらいの幅で教室の黒板側を生徒側と隔てているのだが、柵にはご丁寧にも有刺鉄線が張られているのだ。柵の高さは腰よりやや高め、通路の幅は人がようやくすれ違えるほど。たしかにこれはかなり物理的に危険なインスタレーションである。
柵の中央部分にはベニヤ板でコの字型の囲いが作ってあり、その手前側の板には丸く穴が開いている。上から覗いてみると囲いのなかには雑誌などから採ってきたと思しき色とりどりの印刷紙が撒かれている。そして黒板にはワープロ打ちの一枚の指示書。「裸足になって板に開いた穴から足を入れ印刷紙を足だけを使って取り出し、それを丸めて柵のなかに投げ込め」。たしかに柵の向こうには丸められた色とりどりの印刷紙が転がっている。そのほかには白く塗った簡素な台が六つほど。そのうち遠くにある二つの台の端には今にも落ちそうな危うさで一輪挿しの花瓶が置かれている。
とりあえず裸足になり印刷紙を足の指で抓んで取り出し丸めて花瓶目掛けて投げ付ける。しかし紙は思ったよりも軽くて、花瓶までは全然届かない。せめて手前の台までなら届くのにな〜と思うがよくよく見ると、手前の台の後方には割れた花瓶と花が落ちている。つまり既に先客たちが届くところはすべて命中させたあとで、難易度の高い奥の二つの花瓶だけが残っているという状態らしい。「花瓶を狙え」などという指示はどこにも書いていないのだが、やはり考えることは誰しも同じらしい。というか他に選択肢を見付けられず結局は花瓶を狙うようにうまく誘導されているのだろう。最後に奥の二つがギリギリ残るあたりも計算され尽くされているように感じる。結果的に観客が投げ込んだ丸めた印刷物が「美的」に見えることも勿論「計算尽く」なのだろう。
教室の黒板側(教師側)と生徒側を鉄条網で区切ることになにか風刺的な意味合いを読み込むこともできるかもしれないが、それは的外れだろう。むしろそうした矮小な「意味」に囚われた解釈よりも、「教室」といういくらでも「意味」の籠められる空間を、ポーーッンとナンセンスの極地へと飛ばしてしまったその飛距離の大きさこそがこの作品の白眉なのだと思う。廃校の教室はなにを置いてもサマになる展示の「やりやすい」空間であるが、ここまでの長い飛距離で「教室」を異化した展示を、俺は過去に見たことがない。今回の展覧会におけるハイライトでもあるだろう。

第三室で盛り上がった期待を胸に、最後のクライマックスを求めてつづく第四室に向かうが、その期待は見事に裏切られる。
ガランとした教室の中央に立てられた一本のマイクスタンド。その周りには砂場のような囲いがあって水色の粘土が敷き詰められている。黒板には一枚の指示書。「マイクに向かって3分以内のスピーチ、もしくは咳、くしゃみ、つくり笑いなどをしなさい。終わったら粘土の上をステップを踏みながら退場すること」。
素直に指示に従ってみるが、もちろんなにも起こらない。やや拍子抜けの終わり方。でもこのもぬけのからの教室と、その「なにも起こらなさ」が妙に気持ちよかったりもする。むなしいのか、アホらしいのか、コケにされているのかヨクワカラナイが、なんだか変な満足感のある尻切れトンボな幕切れだった。


展覧会のキュレーターである遠藤水城がステイトメントのなかで「是非、ふらりと、展覧会にくるつもりではない気持ちで、幽霊のように来場してほしい」と書いているが、「幽霊」というのは橋本聡の作品を語る上でかなり有効なキーワードだと思う。橋本の作品を前にしたとき鑑賞者が感じる自身の存在感の無意味さは、ナルホド「幽霊」になったような気分に近い。
橋本の作品において「鑑賞者」は徹底的に匿名化される。どんなに事前に「自己責任」「自由意志」を強調されても、ひとたび橋本の作品に接した瞬間、自分の行うすべての行為、判断、意志は作者の手の内のなかで無効化される。どんなに「反抗」してみせたところで、鑑賞者が橋本の作品に与えられるのはせいぜい「幽霊的な痕跡」が関の山なのだ。
たしかに鑑賞者は橋本の作品に「参加」することで作品を「変容」させることはできる。本の山を崩すこともできるし、丸めた紙を花瓶にぶつけて落として割ることもできる。しかしそれらの行為は作品の根幹をなんら揺るがさない。どんなに「主体的な行為」の痕跡を残そうとしても、そのすべてがなんの苦もなく「作品」の範疇に搦め捕られてしまう。すべて作者の手の内なのだ。その「手の内」から逃れようと精一杯反抗してても、結局は作品を完成させるのに手を貸しているだけだったりする。しかもその「手柄」は一切鑑賞者には還元されない。作品にとってその行為は別にあってもなくても誰がやっても構わないものであり、そのことによって作品自体の本質はまったく変化しない。観客には「幽霊」程度の存在感しか分け与えられず、その行為は「幽霊が残した痕跡」以上の意味を持たないのだ。

当然俺のようなヒネクレタ根性をもった人間には斯様な事態は甚だ面白くない。「わざわざ」作品を見に行って「わざわざ」それに参加したのに、チットモその鑑賞体験が「自分のもの」になったような気がしないからだ。なんだか「わざわざ」作者の手のなかで転がされにいったようで、じつに不愉快である。なんとか作者の鼻をあかしてやろうと「抜け道」を探すのだが、ことごとく塞がれていてなにも見付からない。CAMPの展示のときは、箱に閉じ込められている間あまりにもヒマだったので持っていたボールペンで箱の内側に落書きをしてきたのだが、まーせーぜーそのくらいが橋本作品に対する俺の「鑑賞者」としての最大限の「反抗」だろうか。でも、そんなのはゼンゼンまだまだ「幽霊的な痕跡」の範疇だろう。

橋本の作品はいわゆる「観客参加型」の作品とは違う。根本的な部分で大きく異なっている。たとえば多くの観客参加型の作品は観客が参加してくれないことには作品が成り立たないが、橋本の作品は誰も「参加」しなくとも「誰も参加しなかった」という事実をもって作品が成立してしまうようなそんな構造を持っている。
観客が「参加」した場合も、参加した観客はその体験を「主体化」することができない。誰がやっても同じ結果になる、ということではない。むしろ主体性を尊重するフリをして、その主体性を徹底的に踏みにじり、無意味化するのだ。そのことだけを目的に作品が存在しているような、そんな「悪意」すらも感じる。
橋本の作品を「鑑賞」する際、観客は徹底的に「自分の意志」で作品に接することを求められる。しかし本当にそれは「自分の意志」なのだろうか? 展示を「見に」赴いた観客ならば、実際の展示を見る前に「危険だから自分自身の責任で見るか見ないかを決めろ」と誓約書を差し出されても、なかなか「見ない」という判断はしづらい。作品に添付された「指示書」にしても、それを無視することはモチロン可能だ。しかし指示書通りに「やって」みなければ、橋本の作品の場合ほとんど「見ていない」のと同じことになる。つまり作品を「鑑賞する」ためには、指示書に従って「やってみる」しかないのだ。ここでも参加が観客の「自由意志」に委ねられているようで、実は「強要」に近いものであることがわかる。鑑賞者は「指示に従うか、さもなくば見ないか」という二択を半ば脅迫的に突きつけられているのだ。
しかもそれを実際に「やって」みても、特になにかが起こるわけではない。それはまさに「体験してみるための体験」であり、それ以上のなんの意味も、成果も、恩恵も、オチも存在しないのだ。観客の手元には、ただ「やってみた」という事実のみが残る。橋本の作品を前にしたとき観客は、その事実を手に入れるか否かだけをめぐって「自己判断」を迫られるのだ。


ところで俺が展示を見に行った日は、ちょうど作者によるパフォーマンスがある日だった。
パフォーマンスの内容は橋本が畳一枚ほどの大きさのベニヤ板を顔面に貼り付けて教室前の廊下を行ったり来たりするというもの。ベニヤ板はどうやら裏側に打ち付けてある角材を歯で噛んで(?!)持ち上げているようだった。このパフォーマンスは展示時間いっぱい(5時間!)続く。顎がどうかなってしまわないかと他人事ながら心配になる。
ベニヤ板を顔面に貼り付けた「壁男」となった橋本は、板の重さのためかフラフラとゾンビのような足取りで歩く。目の前に板があるので前方は見えないはずなのだが、声や気配でわかるのか鑑賞者のほうに向かって歩いてきたり、鑑賞者がなかにいる教室の壁を廊下からガタガタ振動させて脅かしたりしていた。小学校の廊下なので障害物も多いためベニヤ板を顔に貼り付けたままではスムーズな移動は適わず、アチコチにぶつかってはその都度方向を変え「指向性」を感じさせない。ときおりは観客に向かってポケットから出したデジカメで撮影をしたりもするが、その動きも含め半意志を持ったロボットかゾンビのようで、滑稽であるのと同時にかなり不気味でもある。

そしてこの「壁男」と化した作者に対しても、我々「鑑賞者」はなにもすることができない。コチラの気配を感じて向かって歩いてきたりもするのだが、様々な障害物に阻まれすぐに向きを変えてしまう。足を引っ掛けて転ばせたりとか、後ろからど突いたりとかもやろうと思えばできるのだろうが、そんなことをしてもなにも得することはないし、キレられて反撃されてもかなわない。そしてなによりも身に染み付いた「作品鑑賞」の常識が、そうした「突飛な行動」に出ることを躊躇わせる。結局ここでも「鑑賞者」は幽霊のような存在なのだ。
ちなみに自分以外の観客が誰もいなくなったあと、わざと足音を響かせ帰ったと見せかけて、物陰からコッソリ橋本の様子を伺ってみた。観客が一人もいなくなったのだからさすがに板から顔を剥がして休むのかと思いきや、橋本の行動はなにも変わらなかった。相変わらず廊下を行ったり来たりし、教室の壁を外から震わせている。それを見たとき、俺は自分が紛うことなく「幽霊」であったことを思い知らされた。


今回の橋本聡の個展は、たいへん面白かった。会場は遠方だったが、遠出の手間を差し引いても充分にお釣りが来るだけ存分に楽しんだ。
しかし面白い展覧会を見たあとに「アー、オモシロカッタ」と満足して、それでオシマイッ・・・とはならないことがタマにある。なんというかモヤモヤしたものが胸に溜まってしまい、それを解消せずにはいられなくなるのだ。今回の個展はまさにそんな展覧会だった。
胸のモヤモヤは展示に対する不満ではない。むしろその感情は「嫉妬」や「敗北感」に近い。面白いものを見られたことに対する喜びと同時に、なぜか「負けた」気もする。大きな感慨を受けたが故に、その展示と自分のあいだに溝のようなものを感じてしまう。同じ「作家」としての敗北感というよりも(それも多少はあるだろうが)、「鑑賞者」としての敗北感。なんだかまだ「終わっていない」ような、割り切れなさ。それはおそらく、その作品体験がまだ完全には「主体化」されていないからだ。

そんなときに俺がとる「最後の手段」は、その作品ついて文章を書くことだ。時折このブログでも自分の見た展覧会や作品について駄文をしたためているが、それは別に興味深かった展示の情報を紹介し他人に知らせるためではない(俺はそんなに親切な人間ではない)。
俺が書くのは作者の「手柄」を横取りするためだ。あるいはその作品体験を「自分のもの」にするためだ。描かなければならない自分の作品が人生の残り時間を遥かにオーバーする勢いで溜まっているというのに、貴重な制作時間を割いてまでわざわざ他人の作品について下手な文章を書くのは、すべてそのためなのだ。そしてそれは「作品について書く」という行為の基本の姿だとも思ってる。

そして、ここまで続けてきたこのダラダラと長い文章も、もちろんそのような動機に基づいて書かれている。徹底的に「主体化」することを退ける橋本の作品を「自分のもの」にするために「最後の手段」へと訴えてみたというわけだ。橋本の作品に対する俺の最後の「反抗」だと言ってもいいかもしれない。
では首尾よく胸のモヤモヤは治まったかというと、う〜〜ん、なかなか微妙なところだ。茨城まで行って見た作品体験を「主体化」できたのかどうか、依然心許無い。

つまるところ、結局はこの文章も「幽霊的な痕跡」のひとつなのかもしれない。




橋本聡個展「行けない、来てください」
アーカス・スタジオ(2010年3月27日〜5月30日)
http://www.arcus-project.com/jp/event/2010/ev_jp100327140630.html

(※文中の作品タイトルや指示文章は「うろ覚え」で正確なものではありません。念の為。)
 

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April 19, 2010

Eyes

She had been waiting in the room when I opened the door. I was stared straight by her and hesitated to enter the room for a while.
It was the first experience in my life that I hesitated to enter an exhibition room where no one was in.
She was staring at me from inside the photograph.


She was the elder sister of Otomo Masashi who took the photograph.
It was the solo exhibition of Otomo. The exhibition title was "Mourai4", and it was 4th exhibition in the Otomo's serial one-man shows being held through this year.
"Mourai" is name of the place where Otomo's grandfather was born. Otomo is a photographer who keeps taking pictures about own roots. He showed the pictures of his hometown and his family in this series.

It was second time he showed his elder sister's photographs in these serial one-man shows.
They were obviously different from last time. The size of the photographs expanded, and her hair shortened, and she became looking beautiful.
And, the biggest difference was her eyes.
They were getting much stronger.
I felt that she was staring at me.

There were three photographs in the small exhibition room. Each of the photographs was hung on the three side walls one by one.
All of them were the pictures of Otomo's elder sister, and each of her looks was slightly different.
She on the photograph hung on the front wall that were seen first when I went in the room smiled obviously. She sat on the chair in a pose like Mona Lisa, and was making the smile of the mystery as much as Mona Lisa made.
She on the second wall had the smile loosen a little. She stared at me penetratingly with a somewhat serious expression.
She on the third wall seemed not to be smiling. She looked relaxed but a little tired. Her eyes were softer than others.
In other words, there were three kinds of smiles. I could see the gradation of the smiles of her. I could see three women, or I could see one woman in a different three times.

They were staring at me all together when I stood at the center of the room.
Of course, she would have been watching her younger brother when the photograph was taken.
But I felt like she was staring at me.
She was staring at me as if I was not an unknown person to her.
I got so confused and I could not understand whether she was a stranger to me or not.


Our surroundings are flooded with photographic images. Too many portraits' eyes are staring at us, but we don't think they really watch us. Photograph is the thing to see, not the thing to be seen from it.
Nevertheless, we sometimes feel their eyes are fixed on us.
For example, they are the eyes from a portrait of a deceased person.

I remember a portrait of my grandfather who died when I was little. The photograph was hung at high position on the wall in my grandmother's house.
In my childhood, I thought he was staring at me from the photograph wherever I was in the room. I went around in the room round and round, but I felt that his eyes were always chasing me.
I have no memories of my grandfather because I was too little when he died. But sometimes I feel he is watching next to me. I think that it depends on the experience.

My grandfather was my relative and I have met him when I was very little although I have no memories about him. It was no wonder I felt the affection from his eyes on the photograph.
On the other hand, Otomo's elder sister was an unknown person to me. I have never met her and I will never meet her. I don't know anything about her. She was a perfect stranger to me. It was just a picture in an exhibition.
But I felt she was staring at me.
Her strong eyes forced me to stop staying the position of onlooker.


I am always made to think about the essence of photograph when I see Otomo's photograph.
He is not doing a special thing. His photographs are extremely standard.
The photographs that he showed in this exhibition were family portraits. They are the most ordinary kind of photograph. Everyone has taken them since photograph was invented.
However, Otomo's photographs are not ordinary. His works are more than special.

One of the reasons why Otomo's photographs are special is based on his skill. Otomo is very skillful photographer.
The photographs of his elder sister in the exhibition looked like a masterpiece of Western painting.
Of course, these photographs were taken at the house where ordinary Japanese lives, and she wore an everyday clothes. But her pose, lights through a window, texture of photographs made the picture like a classical painting.

I told that I could see the gradation of the smiles in the exhibition. I can also tell that I could see the gradation from painting to photograph.
She on the front wall looked like a portrait of classical painting most.
She on the second wall also looked like a classical painting, but the trimming was not the standard for a portrait of classical painting.
She on the third wall did not look like a classical painting so much. I can also say that she looked like a photograph most. A bit of snap shot air remained on the photograph.

The resemblance to a painting led my thought to the question "What is a photograph?”
What is the difference between a person in a photograph and a person in a painting?
What are they watching? The painter? The photographer? Or me?
Is there a difference between their eyes?
Is there a difference between my eyes seeing a painting and my eyes seeing a photograph?
What kind of emotion should I hold when I see the photograph of the photographer's elder sister?
Who is she to me?
Who am I to her?
Otomo's photographs always muddle me.


I found a very interesting fact. The more she got closer to a photograph, the less I felt she was staring at me.
She on the front wall stared at me closest. She on the second wall was next.
She on the third wall stared at me lightest. Her eyes made me relieved most, because I could judge the distance to her.
She stared at me softly. The eyes calmed my confusion.
I thought that this was a relief that the photographer had prepared. His exhibition is always carefully planned.

However, her eyes' traces still remain in me and ask me the unsolved questions.
Who is she to me?
Who am I to her?
What is a photograph?



大友真志展「Mourai 4」
IKAZUCHI(2010年4月6日〜5月6日)
http://www.pg-web.net/home/current/2010/ikazuchi/apr.html
 
Posted by 3 at 20:52  |Comments(0) | Diary , *展覧会(Exhibition)

February 23, 2010

Twilog

最近だんだんツイッターの面白さがわかってきてヤバイのだが(ヤバイ=絵を描く時間が減る;)、今度はTwilog(ついろぐ)にも登録してしまった・・・。
Twilogはツイッターでつぶいたツブヤキをブログ風にまとめてくれる便利なサービス。ツイッターの利用歴や利用頻度も一目でわかる。
ただ便利なことは便利なのだが、ダダ流れて消えていく運命にあったその場限りのオキラクなツブヤキが「記録」として固定されてしまうことには、自分で自分の恥を刻み込んでいるような違和感がなくもないw。
でも一つの事柄についてまとめてつぶいたときなどは、わかりやすくてとても便利だ。

ちなみにここ数日はこんなことについてツブヤイている↓


2月20日 「第2回恵比寿映像祭“歌をさがして”」展示レポート
2月21日 「第13回岡本太郎現代芸術賞展」レポート他
2月22日 粟田大輔氏の論文『書き換えられるシステム』を読んで
2月23日 前日の続きで「美術批評」考


は、嵌らないように気をつけないと・・・(絵、描こ^^;)


 
Posted by 3 at 21:37  |Comments(0) | 日記

February 17, 2010

The man who lives in upstairs

In midnight, I awake hearing someone come to my apartment singing in a loud voice. He goes up the stairs in front of my room noisily and sounds big footsteps on my ceiling. The man who lives in upstairs came home.

He comes home at irregular hour every night. He always sings a song loudly when he comes home. Therefore, all the neighbors can know his return even if they are sleeping well.
When he arrives at his room, he begins to listen to music. He doesn't mind turning the volume to the max even at midnight. He loves THE BLUE HEARTS. He sings (or shouts) with Hiroto on the CD with loud voice in limit that human can put out. And he dances (or fights something?) changing my ceiling into the big drum. All neighbors shout to him and beat the wall strongly. There is no word of "Good sleep" in the dictionary of people who live in this apartment.

I think he must be a drunkard. The bottles of the hooch he put in the dump site of the apartment are piled up like a mountain. He doesn't mind any rule about the way of taking out garbage. In backyard of my house、the splinters of the bottle that he threw away from the window are scattered.

Every night when I go to sleep, I hope the god or someone else takes him to the next world by car accident or anything else.
But after all, he'll come home singing loudly also tonight.


hahen


The splinters of shattered bottle


 
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February 11, 2010

彫刻の「イメージ」

神奈川県立近代美術館葉山で開催されている「長澤英俊展−オーロラの向かう所」を見た。長澤はイタリアを拠点に活躍する世界的な彫刻家なのだが、はっきり言って俺は名前しか知らなかった(さらにもっとはっきり言えば長沢秀之とゴッチャになってニューペインティング系の画家だとばっかり思っていた^^;)。だから展示を見る前は長澤の彫刻について、とくに具体的なイメージは持っていなかった。

彫刻家、例えばロダンでもジャコメッティでもムーアでもカロでもイサムでも奮でも桂でも誰でもいいのだが、その名を聞くとその作風やイメージがなんとなく思い浮かぶものだ。ところがこの展覧会を見て、では長澤英俊の作る彫刻はどんなイメージなのか簡潔に説明せよと問われても、これがなかなか難しいのだ。なにしろ作品間の共通項を探すのが困難なほど、長澤の作る彫刻の作風は一見するとバランバランなのだ。

これだけ多様な作風の作品が一堂に並べられると、作家が長い年月をかけ試行錯誤のもとに様々なスタイルを遍歴してきたその軌跡だろうと思うのが普通だが、出品リストと照らし合わせてみると全然そんなことはなく、ここ何年かの間に作られた近作のなかにもまったく異なる作風の作品がいくつも混在している。
作風だけでなく使用している素材もバラバラで統一性がない。「木彫家」とか「鉄の彫刻家」とか彫刻家には作品の素材に即した呼び名が用いられることが多いが、長澤の場合それは不可能だろう。それもミストメディア的に「なんでも使う」といった感じともまたちょっと違っていて、大理石を使った作品はずっと大理石を、鉄を使った作品はずっと鉄を素材として使い続けてきた作家の作品のように見えてしまうところが、またややこしい。
大方の作品は抽象的な形態なのだが、なかには小屋や舟といった具象的な形象を想起させるものもある。ひとつの塊としてマッスのあるものもあれば、いくつかの要素が組み合わさって出来ている構築的な作品もある。床置きの物もあれば宙吊りのものもあるし、小部屋を使ってインスタレーション風にしたものもある。
作品を通して語られようとしているイメージも掴み辛い。長澤の彫刻を「詩的」とする評価もあるようだが、正直これのどこが詩的なのかサッパリわからない。タイトルのセンスもとても優れているとは言い難い。でももの派やアルテ・ポーヴェラの作品のように無造作にモノがどかんとそのまま提示されているかというとそうではなく、むしろそれらと比べると作為は目立つ。でもその作為がどういうベクトルを持っているのかというと、これがなんとも見定め難くて、作品を前にするとむしろ作為よりも素材のモノとしての力のほうが圧倒的に強かったりする。なんというか、もう全てにおいて捉えどころがなく「バラバラ」なのだ。

だから会場の様子を端的に表現してしまうと、まるでどこかの公募団体の彫刻部門の展示のようw。でも、じゃあツマラナイのかと言われるとそんなことはゼンゼンなく、一つのキーワードのもとに整理してしまえるような明確な傾向性はないものの、あきらかに「公募展の彫刻部門の展示」とは違う、一人の作家による計算し尽くされた展示であるという気配は確かに感じる。しかしそれがイッタイ何なのか、なかなかすぐには気付き難い。

でも会場を巡っているうちに、このバランバランなイメージの作品群の中にも、一つの共通点があることが見えてきた。それは素材となる物質に対する作者の感覚が、どの作品のどのマテリアルにおいても異常なまでに鋭いのだ。いや「鋭い」というか、むしろそれは「フェティッシュ」と言ったほうが近いかもしれない。なんというか偏執的なまでに使われている素材の「見え方」が気持ちいいのだ。
複数の素材がひとつの作品に対して使われている場合が多いのだが、その組み合わせ方になにか作者の快感原理を感じさせるようなこだわりを感じる。一種類の素材しか使われていない作品でも、例えば入り口すぐのところに展示されていた《夢うつつのセリエンヌ》などは大理石のみの作品なのだが、そこに使われた二種類の大理石の特に中心に据えられたほうの石の模様の見え方はやっぱりちょっと普通じゃない。
あるいは仮説壁で設えられた小部屋に展示してあるインスタレーション風の作品《ミューズの部屋》。白い壁の上半分を覆うように白の模造紙が貼り巡らされその四隅に銅と真鍮で作られた半立体状のオブジェが8つ展示されている。このオブジェがいいのか悪いのかかなり微妙なデザインで、貼り巡らしてある紙の意味もよくわからない。しかもこの作品のタイトルが「ミューズの部屋」!? さすがにこれは失敗作だろうと思って見ていると、オブジェのなかに使われている真鍮の錆の美しさにフト目が留まる。すると次に銅の紙的にくしゃらせたテクスチャーが気になってくる。するとすると今度は意味不明だった貼り巡らされた紙の表面に微かに寄った皺に目が行く。素っ気ない白の仮設壁の上に無造作に貼り渡されたなんでもないただの白の模造紙なのだが、その「白」の違いとか、微妙にめくれ上がった紙の端部などが妙に気になってくる。まったくなんていうことのないただの模造紙が、作品のなかで突然その存在感を顕わにしてくる。

しかし長澤の彫刻は素材の本来的なマテリアルの面白さを主として見せようとしているのではない。先に「フェティッシュ」という言葉を使ったが、長澤の場合大理石や鉄といった素材に対する嗜好が先にあるわけではないのだ。それらはあくまで彫刻を成り立たせる構成要素の一つとして存在している。彫刻の中の一要素となることによって初めてそれらマテリアルは独自の「表情」を見せているのだ。だから長澤の彫刻における素材のテクスチャーの「面白さ」に気が付くことは、そのままそれを成り立たせている彫刻の構造的な面白さに気付くことへと繋がっていく。
すると初めは理解不能だった形態が、だんだん意味を持ったかたちのようにも感じられてくる。作者の作為が作品の構造の上において「理解」できるようになってくるのだ。力学的な原理の応用に基づいたダイナミックな力業から、なんでもないディティールに施された偶然にも見えるような作為まで、作者の作為が感覚的な実感を伴って次々と見えてくるようになる。
さらには周囲を見回すと、作品間の関係性や空間自体の変容も見えてくる。始めは公募団体の彫刻部門の展示のように思えた会場が、実は作品同士の関係性によって緊張感に満たされた磁場を形成していることにも気付く。
この時点で既に彫刻は現前に拡がる世界を異化させる見知らぬ媒体へと超克している。想像力如何によってはそこから「詩情」だって「物語」だって「時間の流れ」だって、見ようと思えば見て取れるようなそんな心持ちにさえなってくる。

この「見えてくる感覚」のリレーションは実にスリリングだ。物質と作為と自然と人工と思考と偶然と細部と全体が目まぐるしく行き来する。これは3次元的な鑑賞が宿命付けられている彫刻ならではの醍醐味なのだろう。
長澤の彫刻の魅力は、写真で見ているだけはなかなかわかりづらいだろう。写真では写し撮ることのできない「イメージ」が、そこには潜んでいる。そしてそれを引き出すまでにかかる時間差もまた彫刻の一部なのかもしれない。



ところでこの展覧会を見ながら俺は別のある対照的な彫刻展を思い出していた。それはメゾンエルメスで見た小谷元彦の個展「Hollow」だ。
小谷元彦はイメージを作り出すのに大変長けた作家である。しかし実際にその作品を展覧会で見たときに、俺はそのイメージを超えるだけの経験をしたことは一度もない。小谷の作品を全て見ているわけではないのだが、実作品を見てガッカリしなかった記憶がないと言っていいほど「イメージ」と実作品の落差が大きい作家なのだ。

webや雑誌の図版で見る小谷の作品のイメージは(そして小谷自身のイメージも)クールでスタイリッシュでなんともカッコよさげだ。さらに芸大の彫刻科出身という経歴や橋本平八を引用したりする美術史との関連付け方が、その現代的でクールなイメージに「芸術」や「彫刻」としての重みを担保している。重みと軽さ、伝統と現代性、アートとファッション、それらを巧みに融合させたものとして小谷元彦の作品のイメージは出来ている。

しかし小谷の作品における「イメージ」のピークは、おそらくこの時点でもう終わりなのだ。つまり実際に作品を目にする前にメディアを通して得た情報を総合して自分の頭のなかで作り上げた「イメージ」が、彼の作品体験における「イメージ」の頂点なのである。そしていざ実物の作品を目にすると、イメージしていたものと比べ遥かに「ショボイ」ことにいつも戸惑う。確かに図版で見たものと同じ形の同じものが目の前にあるはずなのに、それが「図版で見たイメージと同じ形をした同じもの」以上の意味を持たないのだ。「作品」としての、「実物」としての、アウラが全く感じられないのである。

理由はいくつか考えられる。例えば小谷の作品は素材のマテリアルや表面的なテクスチャーに対する扱いがぞんざいだ。だからそこから何がしかの魅力を感じたり、新たな発見があったりすることがない。「イメージ」がまず先に存在し、モノはあくまでそのイメージを「3次元的に象ったもの」以上の意味を持たないのだ。
「Hollow」で使用されているのはFRP樹脂だが小谷はインタビューでこの素材が「感情を受けつけない素材」でその「感情のなさ」が気に入って使ったと答えている。しかし実際に作品を目にした経験から言えば、その「感情のなさ」すら感じることはなかった。それはあくまで「そういう形をしたそういうもの」の域を出ていない。だからいくら空間的、時間的に観賞を積み重ねても、初見で把握できる平板な外観像より先にはイメージが深まっていかないのだ。これはFRPの「感情のなさ」とはまったく別の次元の問題だ。感情を受けつけないならば受けつけないなりの魅力があるはずだが、小谷の作品にはそれすらない。小谷自身の使用する言葉を借用すれば、彼の作品にはモノとしての「色気」が徹底的に欠落しているのである。

面白いのは小谷は映像作品も手掛ける作家だが、その映像作品も彼の彫刻作品と同じように、作品の断片的なイメージを図版などで見て事前に自分の脳内で膨らませたイメージと、実際に展覧会場などで上映されている映像の落差が凄まじく大きいのだ。ある程度はよく出来ているのかもしれないが、あくまで「ある程度はよく出来ている」程度であって、事前の期待値を上回ることはない。むしろ展開が退屈だったりとか、クレイアニメの動きが全然気持ちよくなかったりとか、流れる雲の映像が素材集で見慣れた雲ばっかりだったりとか、「映像作品」としてのアラばかりに目が行ってしまい、映像を見る快楽が伝わってこない。それらの多くは技術的な問題なのかもしれないが、しかしそれ以前の問題として映像作品であることの必然性自体を疑ってしまうことが多いのは、やはりそこで表現されるイメージとそれを表現する媒体としての映像が、どこかで乖離しているからではないだろうか? 彫刻作品と同様、映像作品も映像本来がメディアとして持つ特性や本質を追求するよりも、「イメージ」を実現させるための単なる「手段」としてしか使っていないように感じてしまうのだ。
それならばスティルイメージである写真作品が一番向いているのかというと、これもそうでもないのだ。確かに雑誌などの図版で見る限り小谷の作り出すイメージはクールでカッコいいのだが、いざそれを「写真作品」として引き伸ばし額装して展示すると、なんとも「弱い」のだ。イメージの合成で作られた写真の「作り物具合」がなんとも写真作品としては弱々しく感じてしまう。つまり写真作品ですら「イメージ」が先行してあり、「モノとしての色気」には徹底的に欠いているのである。

「Hollow」展で披露された新作も、ウインドウディスプレイの飾りにならいいのかもしれないが、俺にはどうしてもこれが「彫刻」には見えないのだった。
しかしメディア的特性よりも「イメージ」を先行させる小谷の制作態度は、どの表現メディアにおいても一貫しているとも言える。
おそらく小谷の作品におけるイメージの先行は、半ば意図的なものなのだろう。映像や写真作品はともかくとしても、彫刻作品においてはイメージを先行させるために、敢えてモノとしての存在感を放棄しているのかもしれない。
しかしもしそうなのだとしたら実際に我々が小谷の彫刻を目にするとき、そこではイッタイ何を見ているのだろう?
果たしてそれは「小谷元彦」というイメージ以上のものなのだろうか?



「長澤英俊展−オーロラの向かう所」
神奈川県立近代美術館葉山(2010年1月9日〜3月22日)
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2009/nagasawa/index.html

「Hollow」小谷元彦展
メゾンエルメス8Fフォーラム(2009年12月17日〜2010年3月28日)
http://www.art-it.asia/u/maisonhermes/b5sRXv1nwJqKI9ujVT6k


 
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January 11, 2010

「見なくてもわかる」もの(または「見ただけじゃわからない」もの)

相変らず「作品」について考えている。
あるいは「作品について語ること」について考え続けてる。


昨年末某所で開催された某シンポジウムを聞きに行って、どうやら世間ではChim↑Pomの作品『広島の空をピカッとさせる』を「ネットで祭りになった」ことを理由に評価しようとか、一連の「騒動」も含めて「作品」と捉えようとかネボケタ意見が未だに残存していることを知り呆れ果てたのだが、でも「そうしたトンデモな意見がなぜ出てくるのか?」について考えてみることは「美術」という表現フィールドの「特殊性」について考えることに繋がるのではないかと思い当たり、年越しでグルグル考えていた。

言うまでもないことであるがChim↑Pomの『ピカッ』が主にインターネットを舞台に「騒動」になったことを「作品」の一部として評価しようとする意見がアホアホしいのは、実際の作品(先のシンポジウムにはChim↑Pomのリーダーである卵城氏もパネラーとして出席していたのだが、作者である彼らはあくまで展覧会で発表したかたちのものを「自分たちが思っている”作品”」であると語っていた)に比べて、ネット上の「騒動」があまりにも取るに足らない平々凡々とした「小ネタ」に過ぎないからだ。そもそもそのような意見を言う人たちは「騒動」をさも重大事のごとく語るが、インターネットで起こる出来事全体から見れば『ピカッ』の「騒動」なんてほとんど「誰も知らない」ようなローカルな話題なのである。「祭りになった」とか「バッシングが凄かった」という話で言えば、同時期の「吉野家のテラ丼」とか「ケンタッキーでゴキブリ揚げた@mixi日記」とか(つーかみんなまだ覚えてる?^^;)のほうが、話題性だけ取り上げればヨッポド巨大である。にもかかわらず「テラ丼」や「ゴキブリケンタ」は一過性のクダラナイ話題として早々に忘れ去られているのに対し、『ピカッ』だけが多くの識者によって論じられ、本が上梓され、さらにはその「騒動」自体が新しいアートのかたちであるといったネボケタ意見が蔓延るに到るのは、単純にそれが「アート」をめぐる話題であったからに過ぎない。先のシンポジウムのなかでは「アートと社会」をめぐる問題として赤瀬川源平の千円札裁判が例として挙げられていたが、それこそ千円札裁判以来かもしれないくらいに久しぶりに「社会」が現代アートの作品について「関心を示してくれた」ことに対して現代美術村の住民たちが興奮して過大評価をしてるだけであって、「騒動」そのものは実際の作品に比べればほとんど何も意味を持たないというのが俺の意見である。実際問題として完成した作品を見てしまったあとは、俺にとってはネット上の「騒動」なんて作中で小型飛行機が描く「ピカッ」の文字がCGでないことをバックグラウンドで保障するくらいの意味しか持たなくなった。

でもここで問題にしたいのは実は『ピカッ』ではなくて、シンポジウムの中でパネラーの一人が何気なく漏らした一言なのである。例によってろくすっぽメモももとらずに聞いていたうろ覚えの記憶に基づく記述なので、そのパネラーが本当に次のような言い回しで発言したのかどうか非常に心もとないのだが、そこらへんは大いに割り引いて読んでもらうとして自身も美術家である彼は卵城氏に向かって『ピカッ』の作品を自分は評価するとの旨を告げたあと、続けてこう言ったのだ。


「実際には僕はその展示は見てないんだけどね。でも話もいろいろ聞いたし、本も読んだから(作品がいいことは)見なくてもわかるよ。」


もちろんこれは問題発言とか失言とかいった類のものでなく、文脈に照らして聞けば彼が「経験則や勘で評価できる作品であると推測できる」といった意味で発言したことは明らかなのだが、でも「実際に展示を見た」俺からすると、自らの作品が「まったく二次媒体映えしない(つまり、実際に見ないと真価がわからない)」と認めているその美術家がもし実際に作品を見ていたら、少なくとも「見なくてもわかる」とは言わなかっただろうと思うのだ。本人にマッタクその気がないとしても、その発言が『ピカッ』の作品を「見くびっている」ことに繋がってしまうとおそらくその美術家ならば気付くだろうと思うからだ。

もちろん『ピカッ』は完成した作品が発表されるに到るまでの過程の特殊性から近年では稀に見るほど「実際の作品を見ていないで語られた」作品であるという点において例外的である。
しかしこの「見なくてもわかる」という態度は、実は「美術(というか現代美術)」の分野においては特に「例外的」とは言えないのではないだろうか? 同業者である美術家にさえ「見なくてもわかる」と言わしめてしまうナニカが「美術」というジャンル自体が抱える特殊性として存在しているようにも感じるのだ。

これを別の表現分野に置き換えてみるとよくわかる。例えば映画や小説に関して「俺は監督と話もしたし、シナリオも読んだから、見てないけどあの映画が面白いのはわかる」とか、「この小説については評論や感想を山ほど読んだから、小説自体を読まなくてもツマラナイとわかる」などとはあまり言わないし、言ったとしても良識ある人たちから批判の眼差しで見られることはまず間違いないだろう。
「批評」とまでも行かなくとも、ある作品に関する感想を述べるためにはその作品を読んだり見たりすることは最低限のルールだと思うのだが、『ピカッ』の「騒動」に象徴されるように、こと現代美術のフィールドでは「作品についての感想」と「作品について語られた言説(やゴシップ)についての感想」がウヤムヤなままゴッチャに語られることが普通になっている。つまり実際に作品を見ての感想(一次的情報に基づく感想)と作品を見ないでの感想(二次的情報に基づく感想)の峻別に対して他の表現ジャンルと比べ圧倒的に無頓着な状態にあるのだ。
それは小説や映画などと比べ、例えば展覧会といったメディアが期間と地域を限定したものであるが故に、実際の作品を自分の目で確認してその言説の妥当性を検証することが難しいという事情にも因っているのだろう。ある作品について語ろうとしても、二次的な情報に頼らざるを得ないことのほうが美術作品に関しては多いのかもしれない。
しかし例えば演劇やコンサートといった同じく一次的な情報に接することの出来る人数の限られたメディアにおいて、それについて語られる言説に「見ている/見ていない」ことに対する曖昧さがあるという話はあまり聞かないし、むしろそのような一回性の性格が強い表現フィールドのほうが、他ジャンルよりも一次的な「体験」の優位性は尊重される傾向にあるように思われる。

ではなぜ美術だけは違うのか?

ひとつ考えられるのは、世界の他の都市の事情は知らないがこと東京(「日本全国」なら尚更だが)に限って言えば、演劇やコンサート等に対して美術は観賞対象となる「現場」の数が多く分散化しているのでそのすべてを見ることは不可能であるといった事情が関係しているのではないだろうか。新聞などで演劇やコンサートに関してはその道の専門家や批評家がレビューを書いているのに対し、展覧会のレビューが記者に任されることが多いのは、その辺の事情に因っているように思われる。つまり評論家や美術史家のお偉い先生がたが「いちいち全部見てられない」ということなのだろう。
しかしおそらくそれ以上に大きな要因として考えられるのは、演劇やコンサートといったメディアの「作品」の外殻が美術に比べて明確であるということだ。なにしろ美術のフィールドにおける「作品」の外殻は、『ピカッ』が「ネットで騒動になったことも含めて「作品」の範疇である」といった突飛な意見がさして突飛なものに感じられないほどグダグダにポストモダン化しているのだから。

一般に現代美術の作品は「見ただけではわからない」ものであると言われる。それは人口に膾炙した多くの人間が抱く「現代美術」に対するもっとも顕著なイメージであろうし、おそらく多くの美術の専門家もそれが真であることを否定しないであろう。
しかしあらためて考えてみると「見ただけではわからない」とは、かーなり突飛な意見である。例えば同じアタマに「現代」が付き「難解」なイメージのある現代詩や現代音楽にしたところで、「読んだだけではわからない」とか「聴いただけではわからない」とはあまり言わないだろうし、ましてや「読まなくても分かる」とか「聴かなくてもわかる」とは、多少なりとも良識のある人間ならば口が裂けても言わぬに違いない。

しかしなぜか現代美術だけは「見ただけではわからない」ものであり、さらにそこから「見なくてもわかる」までひとっとびに飛躍してしまっている。
では、なぜ現代美術は「見ただけではわからない」のか?

その背景には、先にも示したように現代美術の作品や展覧会といったメディアが期間と地域を限定した一回性の強いもので一次的情報に接することのできる人数が限られるため、「見た」ことだけを根拠に書かれた感想や批評の妥当性を検証し難いという事情が存在するのだろう。
美術の分野において「見ただけの感想」は「印象批評」であるとして蔑まれる傾向にあるが、これもまんざら故なしのことではないのかもしれない。「見た」ことの特権性ばかりを振りかざされては、美術をめぐる批評の信憑性が下落してしまうと懸念する向きがその背後にはあるのではないだろうか?(ちなみにそこで懸念されている状況を具体的に想像すれば、素人が作品を「見ただけ」の感想を書いたブログ<このブログがまさにそうだ!>が、美術評論家や美術史家など玄人の書いた専門論文を駆逐してしまうといった状況なのか^^;)。

では「見ただけではわからない」と主張する人間は、いったい何をもってすれば「わかる」のだと定義しているのだろうか。
多くの場合、それは作者の考えや美術史における位置付けといった「コンテクスト」であると言われている。それらを知ることによりはじめて作品が「理解」できるという理屈なのだ。
しかしよくよく考えてみるまでもなく、これもかなりアヤシイ話である。

まず作者の考えや思想が作品の裏付けとしてあり、それを知ることが作品を理解するための必要条件であるという考え方だが、単純に作者が作品について「わかっていない」ことなんて実はざらにある。
言うまでもなく美術作品はそれを作った作者の考えや思想「そのもの」ではない。もし作者がなんらかの考えや思想を他者に伝えたいのであれば、それは言葉で表現するのが一番正確に伝わるだろう。それを「美術作品」というかたちで表現しているのだから、その時点でそれは作品を作る動機となった作者の考えや思想そのものとは独立した「別のもの」である。当然そこには作者の考えとはまったく異なった解釈の可能性だってあり得る。
そもそも作品について作者が「わかってない」ことなんてごく普通にあるのだ。先に例に挙げたChim↑Pomの『ピカッ』について言えば、リーダーの卯城氏はある種の予感に基づいて思考を停止した状態で制作に踏み切ったとシンポジウムの中で語っていたが、彼の話を聞く限りでは、直感のレベルではこの作品の真価を見抜いているように思えたが、実際に理屈としてこの作品を「理解」できているとは思えなかった。以前にこの日記にも書いたが、彼らが展覧会で『ピカッ』と一緒に展示した(そして『ピカッ』に比べむしろ彼らの「思想」をベタなかたちで表現した)『リアル千羽鶴』や平和をめぐる言葉を刻んだプレートなどは、『ピカッ』とは相反するベクトルを持った駄作であると俺は考えている。つまり『ピカッ』は物凄い作品だと思うし評価しているが、それはそれを作った作者の考えや思想が素晴らしいからではないのである。
もちろんこんな例ならゴマンとあるし、むしろこっちのほうが普通なのだ。もちろん作者の言葉から作者の無意識を掬い取ることも、あるいは作者の思想を知ることが作品観賞に新たな側面を切り開くこともままあるだろう。しかしそれらは作品を見るための「必要条件」ではない。そもそも作者の考えや思想を超越していなければ、作品が「作品」である必然性などなくなってしまうのではないか?

そしてもうひとつ「美術史的な位置付け」のほうだが、とにかくなんだか知らないが美術の世界では「美術史」というものがやたらありがたがって重んじられている。おそらくそれは何が「美術」であるかを決める根拠が「美術史」のなかにしかないという考え方に因っていると考えられる。ある作品が「美術」であるかないかなどをまったく考慮に値する問題だと考えていない俺のような人間にとってはそこらへんの重要性がイマイチよくわからないのだが、「美術」であることをひたすら重要視し価値付けする人たちにとっては、「美術史」は聖書かコーランかはたまた仏典のような存在にも値するのだろう。
しかし「美術」であるか否かをそこまで重要視することへの懐疑はさておいても、ではそこで崇め奉られている「美術史」の信憑性について考えてみると、これはこれでかなり疑わしいものであると言わざるを得ないのだ。
というのも歴史的な検証を経ている遠い過去のものはともかく、現代作品がしばしばその「根拠」の対象として参照される近過去の美術史は、それを「実際に見た」少人数の当事者たちの証言によって成り立っている場合がほとんどだからだ。たとえば以前某美術雑誌が日本の戦後美術史の特集を組んだ際、近過去である1990年代の記述について、それを担当した美術評論家が一個人として見聞した「その周辺」が「90年代の日本の美術の中心」として堂々と語られているのを見て、おおよそ同じ時代の同じものを別の角度(外側)から見てきた人間として激しく違和感を感じたのを覚えている。ちなみにその記述者は現代美術の世界では現在もっとも高名かつ有能な評論家の一人であり、しかも高名であるにも関わらず実際の「現場」をよく見ている稀有な人物でもあるので、おそらく90年代の日本の現代美術を語る人材として適切な人選であることに異論は出ないだろう。しかしそうした見識ある適任者が書いたとしても、やはり近過去を「歴史」として記述する作業は、同時代を生きてきた人間にとっては「偏り」のあるものとして感じてしまう。つまりそれは「美術史」なんてものが、それだけ恣意的に出来ているということのあらわれなのだ。
もちろんそれは広く「歴史」全般にも同じことが言えるのかもしれないし、歴史の記述とは本来そういうものなのかもしれない。しかし一次的情報に接したことへの特権性を排するために作品の評価基準を「コンテクスト」に求めたのに、その「コンテクスト」である美術史自体が実は「実際に見た」ことの特権性を根拠に作られているのだとしたら、ナントモ皮肉な話である。

では「見ただけ」では駄目で、「コンテクスト」だけでも駄目だとしたら、美術作品を評価する際にイッタイ何を拠りどころとすればいいのだろう?
残念ながらそれに対する明晰な解答を俺は持ち合わせていないが、しかし結局は「作品」を語る者の矜持の問題ではないかとも思っている。

つまり、
実際に「見た」ものについては「見た」ことの特権性に驕ることのないように、
実際に「見ていない」ものについては「見ていない」という留保を忘れることのないように、語る
ということだ。

ポストモダンだろうがインターネット時代だろうがなんだろうが、「作品」に関して語る際のこの姿勢が無効になることはないと俺は信じている。

自戒の念を込め、それをここに記しておく。


 
Posted by 3 at 21:05  |Comments(0) | 日記