2007年10月20日

また今年も

新装鉄道博物館、是非行ってみたい.JPG新日本石油が早々と、11月卸価格の値上げを発表した。
今回打ち出しは1リットル当たり4.8円と大幅ではあるが、ここ数年聞き飽きた石油会社の値上げ発表には「ハイハイ」といったカンジではある。
灯油の需要期入りを前に価格を釣り上げるのも毎年のことだが、価格算定の根拠をWTIや石油先物に求めるのは苦しくないだろうか。

そのむかし不透明な石油価格がオイルショックを招いたとして、社長が国会に参考人招致されて以降、卸価格の上げ下げを公表して透明性をアピールしてきた日本石油。
特石法の廃止による業界再編の課程の中で有名無実となり、「積み残し分」なんて苦しい言い訳が出てその形骸化は世間の知る所となったが、それでも一貫してドバイのスポット価格と為替レートを算定根拠にして発表を続けてきた。
だいたい、随意契約で買い付けている石油元売はドバイスポット価格ですら買っていないと言われているが、WTIに石油先物とは何とも苦しい言い訳だ。

こうなると季節需要の暖房用エネルギーでも、消費者の本格的な石油離れが必要になってくる。
需要前に無茶な値上げをせず、また通常から良識的な価格設定の都心ガスはその最有力だが、設備インフラの面でこの選択肢は都市部に限定される。
同じガスでも民生用プロパンは買うべきではないコトは、アパートなどの集合住宅のガス設備はガス屋さん持ちであるコトを考えれば明白だ。
同じガスでもココまで値段が違うと、業界の淘汰再編が待遠しい。
間接的には石油に依存する部分が大きいとはいえ、「オール電化」はかなり有効な『石油離れ』だ。
まあ費用などの面でオール電化までは難しくても、「エコキュート」ぐらいは考えたいものである。

永年のブッシュ政権の功績により中東の原油市場がアメリカの統制下にある昨今、原油価格の著しい下落はしばらく見込めそうにない世の中なのだから、少なくとも冬場前の石油会社の「値上げ」にくらいは、免疫を付けておくのが「賢い消費者」ではないだろうか。
「消費者に影響」と新聞が煽る記事が、空々しく感じる朝だ。

  
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2007年10月16日

タンカーに給油してどうすんのww

東北道大谷PAにて .JPG民主党が「反対」を公約にして選挙に大勝し、時限立法の期限を延長できそうにならなくなったコトが、安倍シンゾーの退陣理由ともされているテロ対策特別措置法。
直前にノコノコとアメリカまで行って、おそらくは「政治生命を賭けても措置法の延長を約束する」くらいのカッコはつけてきたろうコトは容易に想像が付くので、その事前協議にすら応じてもらえなければ、総理大臣なんか辞めたくなっちゃっても仕方がないかもしれない。
なにせ労せずして国会議員を世襲し、順番を待つことも、ライバルを蹴落とすことも蹴落とされることもなく、すんなりと内閣総理大臣のポストに収まったボンボンなのだから、執着というものもなくて当然なのだから。

コレが受けたとは思えないし、アレコレ打ち出した選挙公約の、そのどれもが評価されて票に結びついたとも思えないが、ナニが理由で勝てたのか分からない民主党としては、とりあえずこの選挙公約「テロ対策特別措置法の期限延長に反対」については、ポジションをキープするしかないだろう。
しかしながら、「それでは民主党が考える国際貢献とは何か?」と問われて、ISAFと答えてしまう小沢一郎の南瓜頭ぶりには呆れてしまう。
強面の風貌とハッタリの効いた肩書きに似合わないあまりの南瓜ぶりに、思わずサラリーマン時代に長年上司だったある人を思い出した。
あの人も「喋らなければ・・・」と散々陰口を叩かれていたものだった。
どうせ自分が行くコトはないだろうからとテキトーなコト言っているのか、それともどうせ政権を執るコトなどないだろうからとタカを括っているのか、後者であれば日本共産党のソレの方が、よっぽど良く出来ている。

ともかく、国連でも評価されていると自民党が語気を強める自衛隊の活動ではあるが、詳しくハナシを聞けばその777回にも及ぶ給油活動のうち、量としての半分は米軍の補給艦(タンカー)に給油されたものとなれば、件の国連決議にロシアが反発するのも分かる。
というか、要請をすれば費用日本持ちでタンカーを満タンにしてくれるのだから、作戦活動している米軍にしてみればこれほど有り難いものはない。
タンカーに給油するのであれば、そのタンカーか給油する艦船に直接給油すればいいワケで、双方のタンカーがピストン輸送で港と現地を往復するのがシンプルである。
それをわざわざタンカーに給油したというコトは、米軍側に転用の意図はミエミエで、それを日本側もある程度は承知の上で、時価100億円以上もの重油をデリバリーしたコトになる。
その部分をつく民主党の狙いは悪くはないが、相手が米軍では証拠は出てこないだろう。
というか、出てきてしまっては米軍の威信に関わる。
なので民主党の追及はココまでというコトになってしまう。

使途を明確にして、二次給油先まで把握して・・・と苦しい条件を付けてまで、米軍タンカーへの給油を継続しようとするテロ対策新法。
アメリカにとっての日本とは、所詮そんな程度の存在なのだろうか。

  
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2007年10月15日

思い込みと勘違いと

ダイドーD-1 24ワールドスターズ プレミアム缶コーヒー3本入.JPG午前5時、空き缶が立てる物音に目を覚ます。
大方ホームレスが、空き缶入れからアルミ缶を選り分けているのだろうと思い、彼らにも彼らの生活があるのだろうと目を閉じるのだが、あまりに長い時間いじっているので、堪り兼ねて起き上がる。
いい加減にしろ、と怒鳴りつけるべく窓を開けると、ソコにはチワワを連れた近所の奥さんの姿が。
その手は空き缶入れのアルミ缶から、プルタブを外し続けていた。

そうそうこの部分をたくさん集めると、車椅子に換えてくれるというボランティア活動を聞いたコトがある。
アルミの中でも、このプルタブ部分の素材は「缶を開ける」という強度を得る為に特殊なものになっていて、高価なのだとか。
ボランティアだか何だか知らないが、朝っぱらから他所の空き缶入れ漁りやがって、ウルセーんだよこのババアと怒りに任せて、昨晩飲み干したビールの空き缶を、当たらずとも遠からずのあたりへ投げ付けてみる。

このプルタブの活動、そもそもは缶を開けると取れてしまうタイプのプルタブが散らかるのを防ごうと始まったもので、プルタブの素材がとりわけ高価というのもガセ。
缶を開けてもプルタブが外れない最近のものは、わざわざプルタブを外さずにアルミ缶ごとリサイクルに回した方が、容易に車椅子になるそうなのだが、そんなハナシは聞いたコトが無かった。
ちなみに、プルタブ25万個分でようやく車椅子になるアルミニウムは、アルミ缶なら6300個で足りるらしい。
20年も前のハナシでちまちまプルタブをコレクションしているボランティアもお疲れさんだが、それに突き合わされて安眠を妨害される当方としては、ソコんトコロの周知にはもっと力を入れて頂きたいと切に思う。

ちなみに、ホームレスが集めたアルミ缶は自転車山積みでせいぜい5、600円ぐらいだろうと思っていたが、実はキロ200円弱の値が付き一日で7、8000円、月に5、6万の稼ぎになるらしい。
どおりでヤツら、ヤサもないくせに電動アシスト自転車でリアカー引いて、街の環境保護に努めているワケだ。
と同時に、そんな高価なものを毎週捨ててしまっている一般市民のもったいなさと、行政とモメても止まない持ち去りを思い起こした。
必死こいて稼いだ端から捨ててしまっていては、そりゃワーキングプアにもなろうというものだ。

「捨てられるホワイトカラー」という本があるらしい。
自身の給与が経費削減の的となるほと会社内で上位に登り詰めたばっかりに、窮地に追い込まれるハナシなどが描かれているという。
ココまで極端でなくても、勤続年数に相応するポストをあてがわれ、自身の能力不足から「鬱」を発症して会社から排除される例は結構ある。
以前勤めていた会社の上司もコレで第一線から外れた。
取り引き先で転勤もなく、年齢に不相応な万年課長さんは大抵このパターンだとは、当時は知らなかったものである。

世の中には、まだまだ知らないコトがたくさんあるのである。
ちなみに写真は、ダイドーのD-1コーヒーに付いているシールで当たるプレミアム缶コーヒー3本セット。
かなりの高確率で当たるらしく、これまで3回挑戦して2回当たった。
この懸賞に使われているシステムが、今とっても気になっている。

  
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2007年10月14日

Nobel prize

AlfredNobel.jpg今年のノーベル平和賞が、アメリカの前副大統領アル・ゴア氏に贈られることになった。
ガキの頃、すごくいいアイディアが浮かぶと「ノーベル賞ものだね」とよく茶化していたが、そのノーベル賞が何たるかを知ったのはかなり後になる。
しかも、これを授賞すると日本円で2億円近い賞金が出るというのを知ったのは、つい最近のコトだ。

フィールズ賞やアカデミー賞など世の中には色々な「賞」があるが、自分の財産を元に基金を設立し、それぞれの分野で功績のあった人なり団体に、自分の名前を冠した賞を勝手に贈ってしまおうというのだから、見方によっては非常に厚かましいハナシではある。
しかしながらちょっとした金額の賞金が付くとなれば、厚かましいなんて言わずに有り難く頂戴しておくに超したコトはないと思う。

ただ、ゴアさんてアメリカの副大統領まで務めた人なのだから、研究費捻出にヒイヒイ言ってる科学者や、様々な圧力や逆境の中で活動している平和活動家を思うと、なんかもう少し別にこの賞を贈るべき人がいたのではないかと思う。
だいたい地球温暖化防止の啓蒙活動でノーベル平和賞て、その選考理由を何度読んでも風が吹くと桶屋が儲かるみたいなハナシではないだろうか。
しかもその主たる活動である映画が、政治利用しているとか、科学的に証明された根拠がないと騒がれていれば尚更だ。

ゴアさんと言えば、ご子息がスピード違反で検挙されたハナシを思い出す。
愛車プリウスで高速道路を時速110マイル、約176キロで走行して捕まったというハナシで、このニュースを聞いた市民の感想が「ハイブリッド車は意外に早い」という方向に向かったというハナシだ。
これをハイブリッド車の周知と普及と捕らえれば、親子二代で地球温暖化防止の啓蒙活動をしていたコトになるが、実際のトコロはただのスピード狂だったに違いない。

バカ息子と言えばNEC会長のご子息が横領で捕まったらしい。
このご子息以前電通にいた時も、顧客の広告料3億円をポッケしてクビになった前科があるらしく、手癖の悪さは筋金入りらしい。
今回も5千万近い横領というコトで、スケールの大きさには大物の片鱗が見え隠れしないでもないが、使い道が愛人囲ってパァーッと、ではただのバカヤロウだ。

大人物の息子もまた大人物、とは必ずしもならない時代に、政治家の世襲を容易にする資金管理団体の継承には相続税が掛からない仕組みがある。
「安倍シンゾーの本当の退陣理由はこれだ」とする向きもあるが、現状では国税も黙認だろう。
ただ、「次回からはこの様なコトのなき様、法制化をする所存で…」と言わせる為には、しつこく追求するプロセスが必要となるのだが、コレを追求するべき民主党議員もまた世襲を目論んでいるから絶望的だ。

結局カネは、権力に吸い寄せられ、カネのあるトコロに集まる習性があるという、そういう当たり前のハナシ。
当たり前のハナシなんだけど、
ノーベル賞、お前もか、
って、ね。
  
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2007年10月12日

悪魔との契約

マリーゴールド.JPGもうオナカイッパイというカンジで、ボクシングの亀田ネタはことごとくスルーしてきたのだが、試合前のインタビューでチャンピオン・内藤選手の、
プロでなければ(亀田とは試合は)やらない。
自分はお客さんからお金を取って試合をするプロだから、お客さんが望む試合をする。
という発言で、ついつい乗せられてしてしまった。
出先からの戻りが遅くなって、家路を急ぐバスの車窓から見える信号待ちの隣りの車が、ことごとく亀田戦をワンセグ視聴していたのを思えば、ワタシみたいなのは少なくなかったハズだ。
結局、ようやく辿り着いた我が家でテレビを点ければ内藤選手がインタビューを受けていて、最初に結果だけ知ってしまうという一番がっかりな観戦となってしまったが、どうせ見逃すからと嫁に言われて予約しておいた録画再生により、注目の一戦を観戦することになった。
(結果的には、やたらと長い煽りVTRとCMをことごとく早送り出来たので、余計なストレスを感じずに観戦できたのであるが。)

試合直前までのビックマウスとパフォーマンスからは想像もつかないような、ガチガチにガードを固めて前に出る亀田次男のファイティングスタイル。
「これが大毅だ」なんて実況されると思わず苦笑してしまうが、ともかく前半は見ていて面白いと感じるものだった。
それに、何と言っても特筆すべきが「オープン・スコアリング・システム 」と呼ばれる、4Rごとに採点を公表する試合運営システム。
「12ラウンド総合して・・・」とか「手数より有効打では・・・」とか「プロの目から見れば・・・」とか有耶無耶なコトを言って、「なんだかんだで亀田の勝ち」とした判定結果が過去に騒がれた亀田戦だからこそ、こういう措置を講じるのが主催団体の誠意であり、このことによりボクシングに対する世間の評価も保たれたのではないだろうか。

いずれにしても、実況席の皆さんの発言とは裏腹に、チャンピオン優位のまま進行する試合展開。
途中度重なる頭突き攻撃に内藤選手のまぶたが切れるが、「ここで試合中止なら亀田のTKOですよ」と叫ぶ実況アナの声虚しく、試合は止まるコトなく最終ラウンドまで続いた。
内藤選手が亀田次男の頭を抑えるようなシーンも目に付いたが、もともと弱いと言われている内藤選手のまぶたを亀陣営が狙って、意図的にバッティングしているのではとも取れなくもない。
ともかく、「バッティングによる出血」なんて一番つまらない理由で試合が終わらずに、非常に良かったと思う。
しかし試合が最終12ラウンドになった途端に、途中からカメラ目線も忘れて頑張ってきた亀2の動きが急変する。
クリンチというよりはタックルに近い。
そして離れない。
警告で1ポイント減点されるも、さらに内藤選手を持ち上げて投げ飛ばす暴挙に。
もはやボクシングではない。
せっかくココまで頑張ってきたのに、と言いたくなるが、
ココで負けたら父ちゃんにシバかれるんぢゃー
という亀2の心の声が聞こえた瞬間でもあった。
こういうゴタゴタの混乱から内藤選手の集中力が切れた隙をついて、ラッキーパンチでKO、ぐらいしか、亀陣営に残された作戦はなかったのかもしれない。
ともかく、本当は見せ場のハズなのに、なんだかグズグズのまま最終ラウンドも終了。
当然、内藤大助選手の判定勝ちと相成ったワケだ。

思えば、やんちゃな悪ガキ3人を抱えた亀父が、「ワイの息子3兄弟はボクシングで世界取るんぢゃー」とTBSと独占密着取材契約を結んだ時に、悲劇は始まっていたのかもしれない。
メディアの力で注目され、ビッグマウスなパフォーマンスで人気を博したが、いかんせん肝心の実力が伴わない。
トコロが、ずっと密着してきたTBSが許してくれない、保護者である父ちゃんが許してくれない。
中学にもほとんど不登校と言われた三男はついに海外に飛ばされる始末。
「世の中」というものを知らずに、ただただ保護者である父親に盲従する兄弟を見ていて、少しかわいそうにも思えた。
(まあ彼らだって、ボクシングをしていなければ今の様な生活はなかったであろうから、それが「可哀相」なのかどうかは微妙ではあるが。)

結果的に話題を集め、視聴率で笑ったのはTBSかもしれないが、ともかく、明らかに亀2用に用意されていた「金色のグローブのトロフィー」を手にし、明らかに亀2のカラオケ用に用意されていた紙テープの吹雪の中で祝福された内藤選手に、「おめでとう」と言いたい。


  
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2007年10月10日

ジャーナリスト(笑)

軽井沢にて.JPGミャンマーでの反政府デモの取材中に銃撃され死亡した日本人カメラマン長井健司さんについて、殺害される前日に撮影された映像が見つかり放映されるなど、マスコミの過熱は続いている。
この人については、銃撃された瞬間を捉えた映像が公開され、その「自らの死に直面してもカメラを放さなかった」姿が"ジャーナリストの鏡"として持て囃されている。
メディアを問わずおよそ「報道」というものに携わる人間は、恥ずかしげもなく自らを「ジャーナリスト」と自認し、ジャーナリストとしての本懐として、わざわざ危険な紛争地帯に赴いて取材活動をし、なおかつソコで非業の死を遂げた人を「ネ申」と崇める傾向がある。
この論理の中で必ず出てくるキーワードが「ロバート・キャパ」だろうか。
「ロバート・キャパ」が神かどうかはここで議論する気もないが、非業の死を遂げなければ「ネ申」になれないというのがこの論法の厄介なトコロであり、傍迷惑なトコロでもある。

同朋、それも世界に誇れる「ジャーナリスト」の死を連日報じるテレビによって、この長井さんの過去の取材ビデオも何度か目にしたし、件の「前日のビデオ」もその一部を拝見したが、気になったのは当人に生命の危機が感じられていないというコト。
「前日のビデオ」では、ちょうど僧侶たちが集まって反政府デモが始まりつつある場面に遭遇し、警察当局が発砲しだしたという情報までもたらされ、現地ガイドが身の安全について保証できないと制止するにも関わらず、「自分ひとりでも取材を続ける」と豪語している。
そしてその理由として、「(自分は)イラクにもアフガンにも行っている、(だから)大丈夫」という、根拠にもならないような戯言を口走っているのである。
しかもそのアフガンについて過去に放映された映像では、既に制圧された地域を軍と動向し、「反撃がない」と何度も繰り返しているもの。
つまりは、今のミャンマーよりもシビアな状況であったイラクやアフガンにも行ったことがあるので、自分は大丈夫だ、というなんとも図々しい論理で取材活動をしているのである。

決定的瞬間を捉えた衝撃映像として、何度も放映された銃撃シーンを見ていて真っ先に思ったのが、現場に似つかわしくない彼の服装のこと。
短パンにサンダル履きで、片手にカメラを持ち、あの混乱の街を闊歩している姿。
まるで観光客丸出しの姿で、目の前を逃げ惑う群集を撮影しながら、あたかも自分は別格であるかの様な、日本人、いや、ジャーナリストであるから保護されている、ジャーナリストであるから標的にされることはないと言わんばかりの傲慢な態度だ。
そして後ろから撃たれる。
当然予測されたお約束の展開だ。
このシーンを撮影した映像も、かなり上方から俯瞰で撮影されている。
おそらく、近くの建物の上階に陣取って撮影したものだろう。
少なくともこれくらいの配慮がなければ、撃たれても文句言える筋合いではない。

連日のマスコミ報道に煽られる形で、外務省がミャンマー政府への抗議もしているようだが、このこと(銃撃)と、それから当時長井さんが撮影していたとされる映像の返還などを、外交問題としてはして欲しくないものである。
たしかに、今の政権は選挙の結果に反して軍部が作った軍事政権ではある。
圧政に民衆は不満が募り、民主化への動きも年々高まりつつある。
ただ、ミャンマーが民主化されるかどうかというのはミャンマーの問題であって、ソコに必要以上に入り込む必要なんてないハズだ。
しかも、「人が行かない所にこそ、行く必要がある」という長井さんの姿勢には、売名行為とか、功名を得たいとかいったニオイがしないだろうか。
軍事政権であるのを承知の上で、長年援助を続けてきた日本政府からすれば、軍事政権と言えども友好関係を築くことが、ひいては日本の利益になるという判断によるものだろう。
今回のことで援助を打ち切るのも構わないが、ある意味死に場所を求めていた日本国籍の男一人が非常事態下で射殺されたからといって、関係を悪化させることが日本全体の利益となるのかどうかを、今一度考えてみて欲しい。

ただ仲間が殺されたと騒ぐ前に、その辺についてどう考えているのか述べてから、鳥越俊太郎あたりは「ジャーナリスト」というコトバを口にして欲しいものである。


  
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2007年10月09日

盗っ人やん

【東京】光の「新東京タワー」出現 610mをサーチライトで夜空に.jpgコンビニで万引きした少年を追跡した店員が、刺殺される事件がまたあった。
過去にも万引き犯を追跡した店員や店長が反撃に遭い、けがや時には命まで落とす事件があって、今ではマニュアルで「追跡はしない」としているコンビニフランチャイズ本部が大半だ。
それをいいことに、通常の買い物客同様にかごに欲しい商品を入れて、そのまま店から逃走する「かごダッシュ」なる行為が、ジャリどもの間で横行しているという。
今回の事件でも、コトの発端は「かごダッシュ」らしい。

店の損益に直結する店長ならまだしも、時給1000円ソコソコで雇われている店員が、命を失うほどに職務に忠実というのもどういうものかと思うが、目の前でジャリが未会計商品を持ち逃げとなれば、少々プライドのあるヒトなら「ナメるな」となるのも自然の流れかもしれない。
ただ、店舗の運営においてレジの違算であったり、在庫の減耗であったりとかは、ある程度予算化されたものであり、火災で全焼でもしない限り大抵のことは「想定の範囲内」として織り込み済なのである、なんて聞かされたら、正義感から追跡して返り討ちに遭った店員さんは浮かばれないかもしれない。
がしかし、今回のことで閉鎖され、臨時柵で封鎖された事件店舗を見ると、「だから追うなと言ったろう」という店主の声が、聞こえて来なくもない。

朝からオヅラさんの番組では、これら最近の少年犯罪の傾向を「対人関係の欠如」と結論付けたい向きだったが、果たしてそうだろうか。
「かごダッシュ」や「ひったくり」が増加しているのは、やたらと下手に出る店員、叱らない親、から起因しているのではないだろうか。
接客業では「お客様に不快な思いをさせない」というのを第一に、どんな言いがかりでも揚げ足を取らないように対応することがベストとされていて、これは大手フランチャイズチェーンになればなるほど顕著になっていく。
「いらっしゃいませ〜、こんにちは〜」
から始まるコンビニの接客対応は、その最たるものだろう。
相手が例えコドモであっても、たとえどんなコトを言われても、あくまで笑顔で接客。
缶コーラを温めろと言われ、そのまま電子レンジへ。
温められたコーラはあえなく破裂し、レンジの中は大惨事に。
ソコで追い討ちかけるように、「(破裂したら)持って帰れないから、別のをもらえます?」なんて言われて、それでも笑顔で新しい冷えたコーラを棚から差し出す。
そんなコトをしていたら、ナメられて当たり前なのだ。

こういうジャリをしっぱたくと、決まって出るのが「親にも叱られたことないのに。」
今では、「なんでウチのコに手を出すんですか!?」と怒鳴り込んで来るDQN親がデフォルトだから始末が悪い。
オマエんとこの、犬より躾の悪いアフォなガキを注意して、感謝されこそすれ、文句言われる筋合いはない。
と言って欲しいトコロだが、頼みの店長はお決まりの「よく言って聞かせますんで、何卒今回のことは穏便に・・・」と菓子折りでも出しそうな雰囲気。
これでは少年犯罪を助長しているようなものなのだ。

むかし駄菓子屋で、買いもしないのにお菓子を物色していると、奥からジジイに怒鳴られたものだ。
そういう環境で育てば、「買わないものには触らない」がデフォルトになる。
それが今では、スーパーでクソガキを放し飼いにした挙句、指でつついて潰れてしまったパンですら、シレっと棚に戻す親が大半。
とココで、珍走団が大挙して訪れたガソリンスタンドで、「オマエら一列に並んで500円出せ」と号令し、有無を言わさずレギュラー500円分を給油した伝説の店長「カネやん」のコトを思い出した。
こう言われると、意外に素直に一列に並んで給油を待つ珍走の一団。
これからは、
明らかに目下の相手には命令口調でOK
というのを、接客の基本にしたらどうだろうか。
そうすれば、親から寄越されたカネで偉そうに買い物するボーヤたちも、少しは態度が改まると思うのだが、どうだろうか。

だって、欲しい商品をカゴに入れてそのまま店外へ逃走、なんてまるきり「盗っ人」ではないか。
「かごダッシュという遊び」なんてので済まされる次元ぢゃ、もはやない。

  
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2007年10月07日

「エリカ様」「エリカ様」って五月蠅いよ

晴海にて.JPGコレを話題にすると、釣ったプロモーターの思う壺なので、なるべく避けて来たのだが今日は沢尻エリカのハナシ。

笑っていいともが「友達の輪」でもなんでもなくて、ただ業界関係者のコネで告知をするだけの番組になって久しいが、最近のテレビが映画や舞台の告知に終始するのは、いかがなものだろうか。
映画に出た本を書いたCDを出したコンサートを開く、そういった利害関係なしにテレビに出てくるタレントが、ほぼ皆無という状況。
昔からこんなだっただろうか。

映画の公開を前に、宣伝を兼ねて出演者がインタビューを受ける分かりやすいものなら理解出来るが、最近のトレンドはむしろ「熱愛発覚」「破局」などの一見スクープとして扱われているもので、これらが実はただの話題取りである場合が多いというもの。
中にはミエミエのものも多数あるが、例えば好色の歌舞伎役者のハナシだって、そんな色恋沙汰がなければ歌舞伎自体が話題に上るコトなどないだろうから、知らず知らずのうちに乗せられている場合というのは意外に多いものである。

で、今回のエリカ様だが、よくもまあこんな2時間ドラマみたいなモノを映画として作ったものだと思う。
「○○製作委員会」という事業主体が映画を製作するコトにより、製作側のリスクを最低限に止めるのも今風のやり方だが、映画界の活況にも便乗した安易な映画製作は、日本の映画全体、まあそんなたいそうなコトを言わなくても、ファンの映画離れを引き起こしているとは言えないだろうか。

映画の反応がイマイチだったので、舞台挨拶で「エリカ様」を演じる演出をした。
それに批判が起こり、見事に釣れた局が釈明の弁を放送する。
引退するのか、活動休止かと、話題は未だに続いている。
それで、ブタコケ必至の映画に観客が押し寄せるとは思わないが、少なくとも映画の名前だけは周知のものとなった。

思えば共演者の竹内結子だって、前回主演の映画発表と結婚をぶつけて話題を取ったではないか。
今回は沢尻エリカが、その役目だっただけのハナシ。
そう思った瞬間に、こんなトコロにわざわざ書いて、しかもその是非について議論するなんて、実にバカらしくなってしまうのである。

今はドリカムの吉田美和が、この「エリカ様」に被せて話題を取っているが、この映画だってあまりにドンピシャのタイミングでプロモーションされているコトに変わりはない。
確かに、人一人死んだハナシなので開けっ広げに「ヤラセ」という声は聞こえないが、5年生存率のやたらと低い病気が発覚してから企画された映画、と取れなくもない。
だいたい、ヒトのダンナ寝取っておいて、「悲劇のヒロイン」でもないだろう。
それを悲劇と言うならば、悲劇なのはむしろ職場で10も年上のオバハンに亭主奪われた、元の奥さんの方ではないだろうか。

姑息な話題取りに頼るコトなく、どうせ映画を作るなら内容で勝負出来る映画を。
テレビも、安易なタイアップ事業へのトラフィック誘導ばかりせずに、ちゃんと視聴される番組作りを。
そういう姿勢が、求められているんぢゃないだろうか。

  
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2007年10月06日

小物にこだわる

デュポンのライターと言えば開閉時の独特の金属音が有名だが、タバコに火を点けるだけならこんな数万円もするライターなど無くても、たとえば喫茶店のサービスマッチでも用は足りる。
しかしながら「タバコを吸う」という時間を、そしてタバコを吸う人自身を、さらに上質なものへと演出するアイテムとしてこのライターは存在している。
その昔、上司とブランドショップを冷やかしていた時に、デュポンの売り子さんが言っていたコトバだ。
まぁこのヒトの完全オリジナルというワケでもなく、セールストークとして長年引き継がれて受け継がれたコトバなのだろうけど、かなり含蓄のあるコトバだと思う。

腕時計にも同じコトが言えて、携帯電話がマストアイテムの現代において、わざわざ腕時計を身に付ける必要などはっきり言ってない。
しかしながらアクセサリーを身につける機会が少ない男性にとっては特に、服装に合わせた時計を身に付けることによって、そのヒトの個性を何倍にも引き立たせる効果があると思う。
たとえば、恰幅の良い中年のちょい悪オヤジ風なら、ベタだけど腕にはロレックスが似合うと思うし、これがカシオではハッタリもなにもあったもんでない。
ではカシオがダメだというとそうでもなくて、カシオには「Gショック」という傑作があって、時と場合によってはコチラの方がピッタリはまる場合だってある。

純粋に「現在時刻を知る」という目的で考えるなら、自動巻きとはいえ一日で分単位のズレが生じ、しかも定期的なメンテナンスが必要なロレックスは適当とは言えない。
一秒たりともズレてはならないのであれば電波時計だろうが、ソコまで行かなくても年差数秒程度のクオーツであれば問題はないだろう。
あと、型遅れの腕時計を電池交換に出すのが気恥ずかしくて、ややもすると電池切れが新しい時計購入の契機になってしまいがちなのだが、機構的には申し分ないのに買い換えるというのも勿体無い気がする。
それで、電池にはやっぱり光発電機能を備えたものが好ましいと思う。
それと、これはささやかなこだわりでもあるのだが、腕時計の文字盤は「黒」と決めている。
別にだからどうだというワケでもないのだが。

腕時計繋がりでシチズンと福山雅治とのコラボレーション企画第一弾、フリーマガジン『REAL SCALE』が創刊された。
ほぼ季刊誌としての発行を予定し、シチズン腕時計取扱店の主な時計売り場で配布するというから、見かけた際はどんなもんか是非手にとってみて欲しい。

ちなみにライターは、ティファニー・ビーンズの純銀製を愛用していたが、禁煙を境に仕舞ったままになっている。
あれの為にまたタバコを吸おうかと、時々思うコトがある。

  
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2007年10月05日

この話…

ホテルペニンスラ.JPGベッド数350床、月の外来患者1万5千人の総合病院「東十条病院」が、先月末に全科休診を表明し、今月末には全ての業務を終了するそうだ。
常勤医が確保出来ないことを、理由の一つに挙げている。

知り合いのご老人は、月に一度の整形外科受診の際は、奥方が朝6時半に病院に出向き、番号札を取ってくるという。
これでも、実際の受診は午前中ギリギリ。
10時過ぎからの受け付けでは、午後の受診も危ういという。

乳がんの手術などをする大学病院には、受診待ちの患者は居ないという。
何故なら、医師からの紹介で事前に予約した人だけが、受診できるからだそうだ。

高給取りなんだからもっと仕事しろ
事情を知らなければそんなコトを言いたくなるのだが、実態はほとんどのセンセーが、複数の病院を掛け持ちし、ほとんど休みなく働いているらしい。

何故こんなに世の中から、「医者」というものが少なくなってしまったのだろう。
文部科学省はその答えを「学生の理系離れ」と考えているようだ。
小学校段階からの「実験」の機会の減少などにより、理系を志す学生が少なくなった、と。
たとえ医学部に入学できる学力があったとしても、人の命を預かるような仕事には就きたくないという意見もある。

むかし「医者」と言えば高給取りの代名詞みたいなモノだったが、今は外資系の金融に勤めた方が、才能さえあれば手っ取り早く大きく稼ぐコトが出来る。
「才能」さえあれば。
しかしながら、有名医学部の学生が定員割れしているというハナシも聞かないし、近年医師国家試験の合格者が極端に減ったというハナシも聞こえて来ない。

「ブラックジャックによろしく」は日本の医療と「医局」という存在の問題を描いたマンガだが、この諸悪の根源的な医局の存在を解体すべく厚生労働省が打ち出した施策が、「研修医制度」というものらしい。
これにより、従来の医局の制約に囚われず比較的自由に研修先の病院を選べるようになったが、結果として大都市の有名大病院に研修医が集中する結果となった。
地方、若しくは郊外の病院に「赴任させられる」コトがなくなったということは、必然的にそれらの病院で医師不足が発生する。

医師が不足した病院では勤務がハードになるので、情報伝達の発達した現代では研修医も当然寄付かなくなる。
そんな負の連鎖は東北の片田舎でのハナシと思っていたのだが、東十条病院のハナシを聞けば東京都内、それも23区内にあっても、人事ではないのかも知れない。
病院に掛かるのにも格差社会か、なんて思いつつ、以前の医局による縦社会もどうかと思う。
何事も程よいバランスが求められるのだろうが、それも年数を経て仕組みがキッチリしてしまうと、その仕組みを守ろうとする人達の台頭で難しくなるのかも知れない。
まるで自民党のハナシみたいだ。

北区は23区ぢゃねえよ
なんて声が聞こえて来そうな、救急指定病院の突然の閉鎖のニュースだった。


  
Posted by dubrock at 07:46Comments(0)TrackBack(0)