「障害者自立支援法で自立できなくなる」と障害者ら約1万1000人がデモとのコトですが、そのまま読めばいかにも”障害者の為”と思えるこの法律で、なんでこういうコトになるのでしょうか。
この法律の
概要は、
障害者の地域生活と就労を進め、自立を支援する観点から、これまで障害種別ごとに異なる法律に基づいて自立支援の観点から提供されてきた福祉サービス、公費負担医療等について、共通の制度の下で一元的に提供する仕組みを創設することとし、自立支援給付の対象者、内容、手続き等、地域生活支援事業、サービスの整備のための計画の作成、費用の負担等を定めるとともに、精神保健福祉法等の関係法律について所要の改正を行う。
とのコトですので、”
就労支援”がアメ、”
利用料1割負担”がムチといったトコロでしょうか。
民主党の朝日俊弘参院議員が「所得保障をまず考えるべきで、一方的に当事者に負担を押しつけるのは賛成できない」と指摘。共産党の小池晃参院議員も「障害の重い人ほど負担が重くなるのはおかしい。自立支援ではなく、自立破壊になる」と批判した。
とありますが、賛成できないなら対案なり所得補償策を提示すべきでしょうし、批判するだけならワタシにもできます。
本来”議員”とはただ批判するだけではなく、”ではどうすればいいのか”を出して初めて仕事だと思うのですが、そういう”
義務”を果たさない議員センセーばかりというのもいかがなものでしょうか。
そんな議員センセーの批判は次回というコトで、今日はその”
デモ”に参加した”
障害者ら”の
主張「現在の自立支援法案のままでは自立できない」など、就労支援などを通じた所得保障を確立しないまま1割負担を導入しないよう求める声が挙がった。また、「一人暮らしの重度障害者を想定した24時間介護保障を可能にしてほしい」「精神通院公費医療を継続してほしい」などの緊急アピールを採択した。
を読んでの感想などひとつ。
たしかに、障害者であっても”自立した生活がしたい”と思われるのは最もなことなのですが、施設などにおいて介護などのサービスを行う場合と比較すれば、個別に行う場合の方がより多くの費用がかかるのは自明のことであり、そこまでの費用を公費で負担するというのは財政的に苦しい云々以前の問題として”
行き過ぎ”なのではないでしょうか。
「
費用負担を強いるのであれば、負担できるだけの収入を保証すべく職場を提供しろ。」というのも随分と尊大な物言いに聞こえます。
確かに、”障害を持っている”というコトで就労機会が狭まり、なかなか定職に就くコトが出来ない(というか”面接すら受けられない”)のも事実なのでしょうが、”職場を提供してもらわなければ費用負担できない”というのはあまりに”
障害者ゆえに享受する権利がある”と聞こえてしまうのです。
いえ、権利を主張されるのは大いに結構なのですが、ならば当然のコトとして”
義務”を果たして頂きたいと、ソレがスジではないかと思うのです。
「五体不満足」の著者乙武広匡さんは、イマ自立した生活を送っておられるそうですが、その生活を送るために彼が費やした費用は計り知れないものなのです。
というと、「
彼は本が当たったから」と思われるかもしれませんが、彼の本が売れたのは彼が障害者だったからこそのものではないのでしょうか。
享受する権利があるのは”
最低限”のレベルでのコトであって、それ以上を望むのであれば当然応分の費用を負担する義務があるのは健常者でも同じコト。
自身が障害をもっているからといって、24時間在宅介護までを当然の権利として主張するというのはいかがなものでしょうか。
インターネットなど、障害を持っているコトがあまりハンデにならないフィールドは数多くあります。
そういうフィールドで障害を持っているからこその視点での働きというのは、決して不可能ではないハズなのです。(すくなくとも”デモ”に参加できるのであれば)
そしてその場合、ワタシの様な者がこんな長文書くよりも、いかに注目を集めることか。
そう考えると、障害を持っているコトがむしろ個性になる。
そんな気がするのです。
この記事を扱っているのは毎日さん、赤旗さん、京都新聞さんくらいなのと、皆さん揃いもそろって”
障害者排除の悪法”みたいな論調に疑問を感じたのはワタシだけではないと思うのですが。
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