2005年07月20日

外国に嫁いだ皇族・華族

日本の皇族、華族の中には、外国の皇族、王族と婚姻した方がいます。
その事例をいくつかご紹介致します。

・梨本宮方子女王殿下(李方子)
 出身:梨本宮守正王殿下の第一姫宮
 相手:王世子李垠殿下(大韓帝国皇位継承者、王族)

・嵯峨浩(愛新覚羅浩)
 出身:嵯峨実勝侯爵の第一女子
 相手:愛新覚羅溥傑殿下(満州国皇帝愛新覚羅溥儀の弟、満州国皇族)

・松平誠子(李誠子)
 出身:広橋真光伯爵の一族である松平胖の第一女子
 相手:李鍵公殿下(元大韓帝国皇族、公族)

梨本宮方子女王殿下と嵯峨浩については、テレビドラマ「流転の王妃」等で
取り上げられてご存知の方も多いのではないでしょうか?

あと、実現はしなかったけど以下の縁談があったそうです。

・山階宮定麿親王殿下(後の東伏見宮依仁親王)
 出身:皇族
 相手:カイウラニ王女(ハワイ国王カラカウアの姪、ハワイ王国王位継承者)

アメリカ合衆国からの併合の圧力を受けていたハワイ国王カラカウアは、日本
を訪問した際に明治天皇に上記縁談の提案をしたそうですが、

「外国王族との婚儀は前例がない」

との理由から、この縁談は辞退されたそうです。なお、その後ハワイ王国は
カラカウア王の妹であるリリウオカラニ女王の時代に、アメリカ合衆国に強引
に併合されてしまいました。もしこの縁談が成立していれば、ハワイ王国は
アメリカ合衆国に併合されず、もっと日本と近い関係になったかもしれません。

<公爵の独り言>
皇族・華族の外国王室・貴族との婚姻事例をご存知でしたら教えて下さい。
宜しくお願いいたします。
 

 

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この記事へのコメント
公爵さま。
徳寿宮李太王殿下の第三女子徳恵が宗武志伯爵と結婚されています。
また、青木周蔵子爵の夫人エリザベートの父はプロイセン貴族へルマン・カール・アルベルト・フォン・ラーデ、母はブランデンブルク家出身のクレメンティヌ・ヘンリエッテだそうです。また娘のハナは、アレキサンドル・マリーア・ヘルマン・メルヒオール・ハッツフェルト伯爵と結婚し、そのまたひとり娘のヒサ・エリザべートはエルウィン・フォン・ナイペルク伯爵と結婚したそうです。
華族の国際結婚はそれなりにありますが、外国貴族との婚姻例はかなり少ないのではないでしょうか?
Posted by 西京子 at 2005年07月20日 20:43
西京子様
ありがとうございます。
>徳寿宮李太王殿下の第三女子徳恵
この方は朝鮮の李王家の方ですね。李王家、李公家と皇族・華族の婚姻例は結構ありますね。
Posted by 公爵 at 2005年07月23日 13:08
曖昧とした記憶でなんですが、黒田侯爵(公爵?)家の娘と、エチオピアか何か、アフリカの皇太子か王子だかと話があったことがなかったでしたか?結局周りの反対で流れたようではありますが。
Posted by repo at 2005年07月23日 22:45
repo様
お久しぶりです。コメントありがとうございます。
ちょっと調べてみましたらありました。この件ですね。

◇雅子とアベベの物語
 昭和6年、黒田子爵の次女雅子(19)と、エチオピア皇族アラヤ・アベベ殿下の結婚が決まった。殿下は外交使節として来日した際、日本女性との結婚を希望し縁談が進んだ。この慶事に友好ムードが盛り上がるが、生臭い国際政治が急に立ちはだかる。
 当時イタリアはエチオピアに領土的野心があり、日本がエチオピアの友好国になることは阻止したかった。そこでイタリアのムッソリーニは日本の満州における軍事行動黙認の密約を提示し、結局破談にしてしまった。1936年エチオピアはイタリアに植民地化される。
 エチオピア皇室は世界でも最古の王家だったが、1974年の社会主義革命で帝制は廃止された。

未成立も含めて、結構いろいろな婚姻事例があるものですね。
Posted by 公爵 at 2005年07月23日 22:52
 初めまして。非常に興味深い内容ですね。
 嵯峨浩さんと結婚した溥傑氏についてですが、厳密に言うと満州国の皇族ではありません。
 満州国の「帝族」(日本の皇族と区別するためにこう呼ばれました)は、「初代皇帝の溥儀を始祖とする一族」と規定されており、これによると溥儀の子孫以外は帝族ではなくなります。溥傑氏を帝族にするためには兄弟の父親である醇親王を始祖にしなければならず、中国とは違う新しい国造りを目指す日本側とは考えが相容れなくなるわけです。そのため、溥傑氏を一軍人としか見ていない関東軍と、貴族意識を持つ浩夫人との間で諍いもあったようですが…(このあたりの事情は入江曜子著『貴妃は毒殺されたか』という本に詳しいです)。
 肩書きとしては「元清朝皇族」ということになると思います。
 長々と失礼しました。
Posted by 伏見朝霞 at 2005年12月11日 01:39
伏見朝霞様
初めまして。我が公国へようこそ。歓迎致します。
コメントありがとうございます。大変勉強になりました。
お気づきの点がございましたら、これからも是非ご指摘下さい。
宜しくお願い致します。
Posted by 公爵 at 2005年12月11日 03:16
今、プリンセスカイウラニのことを調べていてこちらのサイトにはいらせていただきました。プリンセスのことを調べているうちに日本の皇族へのお嫁入りの話があったことはわわかったのですが、恐れいいりますが、このお相手「山階宮定麿親王殿下」の読みかたを教えていただけませんか?
Posted by NONO at 2005年12月17日 13:39
NONO様
初めまして。我が公国へようこそ。歓迎致します。
「山階宮定麿親王殿下」の読み方ですが、「やましなのみやさだまろしんのうでんか」と読むと思われます。宜しくお願い致します。
Posted by 公爵 at 2005年12月17日 13:56
公爵さま、NONOさま。
横レス失礼します。
山階宮定麿「王」殿下です。
定麿王殿下の親王宣下は、小松宮継嗣となった後のことです。
Posted by 西京子 at 2005年12月17日 14:05
西京子様
コメントありがとうございます。助かりました。
Posted by 公爵 at 2005年12月17日 14:24
公爵様、西京子様。ありがとうございました。
Posted by NONO at 2005年12月18日 14:23
宗武志さんは黒田子爵家の出身で黒田雅子さんの父親広志さんの弟らしいのですが年齢的に怪しいので誰か確かめてください。
Posted by あああ at 2006年10月23日 12:53
あああ様

黒田広志子爵と宗武志伯爵はご兄弟であってます。
Posted by 西京子 at 2006年10月24日 19:07
あああ様、西京子様
お構いできず申し訳ありませんでした。また西京子様、ご回答ありがとうございました。
Posted by 公爵 at 2006年11月17日 23:03
西京子様
遅くなりましたがありがとうございます。黒田広志子爵と宗武志伯爵は同母兄弟なんでしょうか?また正確には何歳離れているのですか?
Posted by あああ at 2006年12月19日 19:01
あああ様

こんにちは。
黒田子爵が明治十三年生まれ、宗伯爵が明治四十一年生まれなので、約二十八歳差です。
(ということは、宗伯爵と雅子さんは、叔父・姪で四歳違いに)
「同母兄弟」、ちょっとわかりませんでした。
Posted by 西京子 at 2006年12月22日 14:40