2004年09月16日

爵位の成り立ち

爵位の成り立ちを辿ると、カロリング朝フランク王国にまで遡ります。
フランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ大帝)が拡大した領土を支配する際に
領土をいくつかの州に分割し、各州を支配する役職(州伯)をおいたのが始まりと言わ
れております。その後、この州伯は世襲の伯(Graf)となり、これを中心に爵位が構成
されたと言われております。フランク王国における主な爵位は以下の通りです。

●公(Helzog)→後の公爵(Duke)
 古ゲルマンの軍事統率者に由来するそうです。

●辺境伯(Markgraf)→後の侯爵(Marquis)
 異民族と国境を接し、独自の軍を擁する役職であったそうです。

●伯(Graf)→後の伯爵(Count、英国ではEarl)
 フランク王国での爵位の中心。これを中心に上下の爵位が構成された。
 伯を意味する英語Countは、後に行政単位となる国、郡、州を意味する
 Countryの語源です。

●王料地伯(Pfalzgraf、宮中伯、王領伯、帝領伯)
 国王の直轄地において国王の代わりに司法権を行使する役職であったそうです。

●副伯→後の子爵(Viscount)
 伯(英語でのCount)に次ぐもの(Vis)という意味で、伯の補佐をする役職だそうです。
 後に、伯の子が爵位を継承するまでの間、名乗るようになります。

また、フランク王国分裂後の神聖ローマ帝国においては、以下のような爵位も存在
しました。

●方伯(Landgraf)
 主に神聖ローマ帝国南西部において帝国資産を管理する職に就いていた伯爵に
 付いた称号。伯から方伯に昇格しても、帝国侯爵の地位に昇格することは稀だった
 そうです。
 
●城伯(Burggraf)
 後に都市に発展する大きなブルク(Burg)で法律執行の職に就いていた伯爵に
 付いた称号。帝国のブルクとその周辺地域の管理を担い、ブルク支配者、都市
 支配者となったそうです。
 

 

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