2005年04月09日

水上の音楽

ヘンデルの代表的管弦楽曲と言われる「水上の音楽」。
大変美しく、華麗な音楽で、私も大好きです。

この音楽には有名なエピソードがあります。

ヘンデルは元々ドイツの出身で、ハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒの
宮廷楽長を務めておりました。ヘンデルは非常に活動的な作曲家で、ハノーファー
のみならず、イタリアやイギリスへも足を伸ばし、作曲や演奏を行なっていました。

ヘンデルは特にイギリスが気に入ったようで、主君であるハノーファー選帝侯の
帰国命令を無視してイギリスに居着いてしまったそうです。ハノーファー選帝侯は
激怒しますが、ヘンデルは遠い外国に高飛び状態(笑)。

当時のイギリス(グレートブリテン王国)はスチュワート家の女王アン1世が統治して
おり、ヘンデルもその庇護を受けていました。ところが、その女王アン1世が死去し、
次のイギリス国王となったのが、ハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒ。
彼は、イギリス国王ジョージ1世として即位し、ロンドンにやって来たのです。
ハノーファーを勝手に離れてイギリスに居着いていたヘンデルにとっては、マズイ
ことになりました。

ある日、ジョージ1世がテムズ川で舟遊びを催した時、非常に美しい音楽が流れて
きました。この音楽こそ、ジョージ1世の怒りを解いてもらうためにヘンデルが作曲
した「水上の音楽」でした。この音楽の美しさにジョージ1世も怒りを解き、ヘンデル
との関係を修復したと言われております。

なお、ヘンデルの名前はドイツ語では「ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル」、
英語では「ジョージ・フレデリック・ヘンデル」と呼ばれます。

<補足情報>
ハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒがイギリス国王ジョージ1世として即位
した1714年から、イギリス国王ウィリアム4世が死去する1837年まで、イギリスと
ハノーファーは同一の君主を戴く同君連合となっていました。
ジョージ1世、ジョージ2世、ジョージ3世、ジョージ4世、ウィリアム4世はイギリス王
であり、ハノーファー王でした。また、この間に両国の国名も微妙に変わっており、

・イギリス
 グレートブリテン王国→グレートブリテン及びアイルランド連合王国

・ハノーファー
 ハノーファー選帝侯国→ハノーファー公国→ハノーファー王国

と変遷しております。

なお、ジョージ1世から始まるイギリスの王朝は、ハノーヴァー朝と呼ばれています。
(英語:ハノーヴァー ドイツ語:ハノーファー)

<追記>
ハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒ(以下ジョージ1世)がイギリス王位を
継承することになったのは、ジョージ1世の母がイギリス国王ジェームズ1世の孫娘
であったためです。

<公爵の独り言>
このエピソードは出来すぎで、フィクションではないかという説もありますね。
 

 

この記事へのトラックバックURL

http://blogs.dion.ne.jp/duke/tb.cgi/891560
この記事へのトラックバック
先日モナコ公レーニエ三世殿下がお隠れになりましたが、故レーニエ三世の長女カロリーン公女の夫君である、ハノーファー王子エルンスト・アウグスト殿下??HRH Ernst August of Hanover..
ハノーファー王家当主エルンスト・アウグスト殿下昏睡状態か?【Ineffabilis!】at 2005年04月09日 13:50
 一日雨でした。朝は鎌倉腰越で様子を見て、午後は大桟橋、あとは本社でじっとガマン。  憂鬱な雨だよ。明日は晴れてほしい。  横浜はG30、会社ではゴミの出し方で大騒ぎ。でも、将来の自分たちのためだ..
ヘンデル作曲、「水上の音楽」【yurikamomeが言いたい放題にしゃべるブログ】at 2005年04月20日 21:51
この記事へのコメント
カーレンベルク流のブラウンシュヴァイク-リューネブルク家がハノーファーにやってきたのが1636年、選帝侯となったのが1692年です。
俗にハノーファー公と称するのは、1636年以来ハノーファーに落ち着いたB-L公のことですから、順番的に謂うと逆になるように思います。
#現在の当主についての記事を昨日書いたとこなのでついでにトラックバックもさせていただきます。
Posted by dzlfox at 2005年04月09日 13:49
dzlfox様
コメント&トラックバックありがとうございます。

今日は何故か「ハノーファー」についての記事が書きたくなってのですが、きっと昨日、dzlfox様の記事を読んだからですね。

それはさておき、ハノーファーの国名変遷の参考にしたのは、

世界帝王事典 称号保持者リスト ハノーファー
http://nekhet.ddo.jp/ruler/hanover.html

なのですが、これを見ると、選帝侯ゲオルク3世は1804年から1814年までハノーファー公となり、その後はハノーファー王となっています。

もしかして、ここで言っているハノーファー公とは、神聖ローマ帝国の崩壊により選帝侯が廃止されたあと成立したブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国のことを指しているのですかね?その後ウィーン会議にてハノーファー王国になったということですかね・・・?
Posted by 公爵 at 2005年04月09日 14:11
ということで、イギリスと同君連合だったハノーファーの国名変遷は、

ハノーファー選帝侯国
   ↓
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国
   ↓
ハノーファー王国

ということになるという理解でよいのですか?
Posted by 公爵 at 2005年04月09日 14:30
公爵殿下

ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国と
ハノーファー王国は別の国家ですので
ハノーファーの国名変遷には関わらないと思われます。

神聖ローマ帝国が1806年に滅亡していますので
1806年以降でしたら、ハノーファー選帝侯国が公国に
変わるのは分かるのですが、実際はどうなのでしょう?
(他のドイツ諸侯と異なり、ハノーファーの王号は
ナポレオンによるものではありませんし?)
Posted by AMU at 2005年04月09日 20:12
Sir AMU, KOT様
>ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国とハノーファー王国は
>別の国家
ええ?!そうなんですか?調べ直します・・・。
Posted by 公爵 at 2005年04月10日 00:04
ちょっとややこしいのですが:
ハノーファーのブラウンシュヴァイク家のカーレンベルク分家であるPrince of Calenberg-Göttingen(彼をDuke of Brunswick-Calenbergとかいろいろな言い方をする)がハノーファーにすんで俗にDuke of Hanoverともよばれることにもなり、その家が選帝侯となったのでElector of Hannoverと呼ばれるなりました。
このElector of Hannoverというのは、ハノーファーを根拠地にしているからそう呼ばれているだけで、あくまで俗称です。
ですから、正式にはDuke of Brunswick-Luneburg(中略)Prince-Elector of the HREです。国の名前はElectorate of Brunswick-Luneburgとなります。
が、これは1813年に成立したDuchy of Brunswick(統治者の称号はDuke of Brunswick and Luneburg)とは別系統です。←こっちの方が長系。
Posted by dzlfox at 2005年04月10日 00:20
要するに上での問題は:
*Duke of Hanoverは俗称である。
*Elector of hanoverも俗称であって、その間もDuke of B-Lであることにはかわりがない。
*ドイツ流分割相続のせいでややこしい
Posted by dzlfox at 2005年04月10日 00:22
ナポレオン戦争の結果、ハノーファー選帝侯国の領域はフランス・プロイセンに占領併合を繰り返され、1910年にはウェストファリア王国に編入されます。
で、1914年のウィーン会議でハノーファー王国になります。

その間当然この公国なり選帝侯国なりは現実問題としては存在しません。
ナポレオン没落からウィーン会議での昇格決定までの1813年11月から1814年10月までの間、ゲオルク三世は以前と同じ称号でもって統治しています。おそらく実質的に統治権を失った1810年3月以降も同じ称号(Duke of B-L, PE of HRE)でしょう。

選帝侯というくらいがHREの崩壊によって実質的意味が無くなっても存在していたのは、ヘッセン家の例もあります。
Posted by dzlfox at 2005年04月10日 00:36
訂正。

>実質的に統治権を失った1810年3月以降

実質的に統治権を失った1803年6月以降
Posted by dzlfox at 2005年04月10日 00:47
dzlfox様
詳しい解説ありがとうございます。感謝致します。

>*Duke of Hanoverは俗称である。
>*Elector of hanoverも俗称であって、その間もDuke of B-Lである

俗称とは驚きました。

>これは1813年に成立したDuchy of Brunswick(統治者の称号はDuke
>of Brunswick and Luneburg)とは別系統です。

うーん、本当に紛らわしい・・・。

ということは、イギリスと同君連合を組んでいた国家としては、

ハノーファー選帝侯国(ブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯国)
   ↓
ハノーファー王国

ということですね。
Posted by 公爵 at 2005年04月10日 10:44
dzlfox様

フォローをありがとうございます。
ハノーファーも選帝侯国時代は
正式にはブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯であったのですね。

ややこしいとに長系のブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国が
ハノーファー王家(元王家)に継承されていて
もうグチャグチャです(^^;。
(詳しくは不明ですが、かなり揉めて本当は1884年に継承するところを
実際には1913年に妥協が成立して認められたようです)

公爵殿下

ややこしくて申し訳ないのですが
イギリスの王朝名のハノーヴァー朝も俗称で
正式にはブラウンシュヴァイク=リューネブルク家だったそうです。
(英王室として用いる場合は英語にするのでしょうが)

Posted by AMU at 2005年04月10日 16:24
Sir AMU, KOT様
>長系のブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国が
>ハノーファー王家(元王家)に継承
あああ、こりゃ系図を引かないと訳が分らなくなりそうですね。

>イギリスの王朝名のハノーヴァー朝も俗称で
>正式にはブラウンシュヴァイク=リューネブルク家だったそうです。
この議論の過程をみるとそうなりますね。

ドイツ系が絡むとややこしいですね・・・。でも今回はいい勉強になりました。

dzlfox様、AMU様、どうもありがとうございます。
Posted by 公爵 at 2005年04月10日 18:33
The Prince of Walesの祝福の儀式で水上の音楽の抜粋が演奏されたようですね。
Posted by dzlfox at 2005年04月11日 16:58
dzlfox様
おおー!そうですか!実にタイムリーですね。
Posted by 公爵 at 2005年04月12日 00:42