2007年12月22日
軍需工場跡、あるいは酒蔵跡
この酒蔵なのは一目瞭然なのだがどうにも酒蔵らしからぬ建物は何かというと、江井ヶ浜酒造大分醸造所の跡地なのである。もっと遡ると第12海軍航空廠高城発動機工場第6工場なのであり、つまりれっきとしたな戦跡系の遺構ということになる。たまたま崖を背にしたいかにも地下水の沸きそうな地形に位置しており、コンクリートの冷たさと相まって酒造に向いたらしい。
で、ここで仕込まれた麦焼酎「福寿天泉」というものがあるそうで、つまり廃墟仕込みの焼酎と言うことに(*仕込まれた当時は現役の酒蔵なんだからまだ廃墟じゃありません>俺)。まだ買えるかなあ買えるなら買ってみるかなあ。でも俺酒弱いしなあ買っても飲みきれないわなあ。
江井ヶ浜酒造の撤退に伴いこの遺構は既に解体され、現存しない。戦跡ということで一部には保存の動きもあったようだが、実らなかった。解体業者の機転によりかろうじて鉄扉が保管されている。
……まあこの写真撮った当時の俺はそんなことはつゆほども知らず「なんかこの遺構すげえ!」程度の感覚で脊髄反射的にシャッター切ってたわけだが。
2007年12月08日
[遡及日記]有明坑公開
というわけでやっぱり行きました有明坑。例によってflickrにあげてあります。
「私有地内にあり近寄れない」ことで廃墟方面では著名なこの遺構、破壊の危機が伝えられる中、地元の方々のご尽力によりかろうじて今回公開されたもの。もう遺構の大半は壊されており、かろうじて竪坑櫓ほか数点の構築物が(おそらくは解体コストの都合により)残存しているという状況。海岸の護岸はよく往事の面影を残している。入島に関する警告があったり(今でこそ九州本土と地続きであるが、その昔有明坑は人工島であったという)ね。
直接の情報源となった庵田氏と偶然遭遇。いや本当に偶然なんだが、『来ると思ってましたよ。たぶん心当たりのあるうち十番目ぐらいに』とか言われてしまったり、産業遺産/廃墟とは直接関係のない与太話をしたり。
既に破壊されたものはともかく、竪坑櫓二基についてはまだ保存が間に合いそうな風情。微力ながら保存署名に賛同しておいた。
公表来客数約450人ということであった。最初のうち(午後1時半〜2時頃)は確かにかなり人数が多かったのだが、竪坑櫓を見ればそれで結構とされた方が多かったようで、公開終了間近になった3時過ぎにはほとんど人が残っていない状態であった(今回の写真で「人間」が写り込んでいない分は、これ幸いと人がいなくなった公開終了間際に撮影したものであったりする)。要するに滞留時間が短いのだ。保存された暁に観光資源として活用するには、櫓の公開のみに留まらず近隣の三池炭鉱遺産群との連携などの工夫が求められることになろう。
それにしても、なんだ。有明海沿岸道路のインターチェンジが、有明坑跡地近辺の農地に突然姿を現すのはつまりそういうことですか?
2007年08月30日
40Dが手の届くところまで!
某店から電話が入る。
『歩弥丸様、ご予約のEOS 40Dが本日入荷いたしました』
「そうか! よし、買u」
『但し今日は発売日ではないのでお渡しできないので明日お越しください!』
( ま さ に 外 道 ! )
某店店長が赤様にしか見えなくなった瞬間であった。まあ、ここで売ったらフライングなので当たり前なんだけどね。
2007年08月21日
40D! 40D!
DigicIII! ノイズリダクション! ライブビュー(AF可)! 1000万画素(そこは別にいらねー)! フォーカシングスクリーン! あと申し訳程度の防滴性能強化(微妙な言い回し)とこれ1台でたぶんKissDXレンズキットくらい買える超豪華トランスミッター。
今こそ立てよCanon臣民! そして本山大分工場にお布施するがよいよいよい(残響音含む
というノリで即日ポチってしまいました。某キタムラで少し前の30Dボディ単品程度の値段で予約かけてましたので。
まず無いと思うが、この1週間余りの間に試写で悪材料が出るのが一番困る。
それにしても10Dからこのかた「いずれはフルサイズも睨んで」な方向でレンズを揃えてきたのだけど、やっぱりフルサイズはもう少したたないとアマチュアが普通に使える値段には降りてこない風情であり。5D markII的なものは今回出ないみたいであるし。
2007年08月15日
護国神社に行く
いつぞやと違い地元なので写真とかは載せない。
人はまだら。左翼街宣車も右翼街宣車もおらず、ただ静かに参拝するひとが居るだけである。基本的に老齢者が多いか。
社務所に「神式の葬礼を挙げて初盆……ああいや盆とは言わないんだが……なんだけど、お祀りしてもらえるんでしょうか……」という相談に見えられた方がいて、「いや、うちは基本的に戦死者と公務殉職者しか奉祭してないんですが」とすごく困惑したような返答がなされていた。そこは単に「うちは神葬祭はやってませんので葬礼を出したお社に問い合わせてください」で済む話なのにー。
いつぞやにも少しふれたが、俺のスタンスとしては「俺は行きたいから行った」「特にそこに霊魂がいるとまでは信仰していないがそこに帰ると信じた人への礼節のために詣でる」のであり、特に行きたくない・信じない人には強要しないんだ。
ただ、靖国神社も大切かもしれんが、地方からわざわざ靖国に詣でるくらいならもう少し地元の護国神社も顧みてくれてもいいと思うんだ。
2007年08月03日
すべての物は壊れて消える、消えたところに物が出来る
かつて恩師聴衆に問うて曰く、「何で考古学上の遺跡は現在も人口のそれなりにある場所に偏るか分かるかね?」と。恩師的正解は「人が今そこにいるからだ」であった。
人がいるということは、土木工事なり新たな開発なり開墾なりに伴い地面が掘り返される機会が増えるということだ。通常、考古遺構は地中に埋もれていることが多い。埋もれた遺構は掘り返されなければ見つからない。従って、人のいない場所では——よほど優れた知見と勘と熱情を兼ね備えた考古学者が「ここにあるに違いないから掘ろう」と言わない限り——滅多なことでは遺構は出てこないのだ、と。
さて、通常発掘てのはそれ自体「既に埋もれている」という遺構の現況を破壊する行為ではある。だからこそ考古学者は慎重を期して発掘するのであるが、遺構が保存されるケースというのは実のところ(発掘の総件数に比べれば)非常に少ない。発掘に失敗したとかカビが生えたとかそういう話ではなくて、そもそもの発掘のきっかけが「開発や工事等に伴うもの」である以上、発掘した後一通りの報告書を作成したら後は元の開発事業地に戻されてしまう=遺構破壊確定というケースの方が圧倒的に多いのだ(史上希少なものにも関わらず破壊コースに乗ってしまった著名な例としては長屋王邸とか、豊後国某評評衙とか)。
考古遺構に限らず、人が生きていれば今の生活域を確保するために、既存の何かを壊す。問われるのは、(いずれ)壊される(であろう)物への態度だ。
たとえば近代産業遺産であるとか建築遺産とか言われる部類のものは、とりわけ現有の都市に残っているものであり、現在の人間の生活域と空間的に被っているから、再開発の対象になりやすい。壊されやすい。既に用途が無く放棄されていれば尚更だ。
そこで何とか保全しよう、保存/補完しようという態度で臨むならば、遺産保護・研究の立場を取ることとなろう。失われることを所与の前提として、哀悼として臨むならば、どちらかというと廃墟趣味に近い立場になるのかもしれない。もちろん、情も何もなく現在の生活域の確保を優先する立場だってあるだろうし、むしろ情によってその遺産を破棄したいという立場だってありうる。
いずれが正しいとも私には言い切れない。ただ、これらはx項対立で済むものではなく、保全か哀悼かの間で揺れ動きながら、何を残し何を捨てるかを選ばざるを得ないのだろうという諦念だけがある。
2007年07月21日
xfy Blog Editor 動作追試
xfy フォーラムで報告があがっていたので試したところ、実際にこうやって編集ができた。むろんジャンルや過去エントリーの取得もできる。
typepad系でしか動作しないものかと思ってたらちゃんと動いてびっくりだ。
# というか1年以上ぶりの日記がこれというのもいかがなものか>自分
このページは xfy Blog Editor を利用して作成されました。
2007年06月10日
[遡及日記]諫早湾干拓地2007
2007年06月09日
[遡及日記]旧・長崎刑務所、最終公開
取り壊し前の最終公開を見損ねて、後悔していたところ、HJK様にて「急遽もう1回だけ本当の最終公開するんじゃよ」という趣旨の地元ニュースを知り(マジthanks)、取る物取り敢えず高速道路を駆け抜け参加した次第。最初に「自己責任で」という誓約書に住所氏名を書くのだが、「まあ、○○県からはるばる」と受付のボランティアの方に驚かれたり。もっとも、駐車場にあった車を見る限りもっと遠方から来ている人もいた。
というわけでflickrにup。正直レンズ付け替える余裕がなかった(館内で付け替えられる状況でもないしな!)ので単焦点35mm縛りなのだが、今度ばかりは広角〜標準ズームレンズ持ってこなかったことを激しく後悔した。とにかく入らんのよ、35mm(×1.6≒50mm)の画角だけでは。よそ様のズームレンズがこれほど羨ましかったことはない。あああと、廃墟を一人で見に来るおにゃのこ萌え(しかも複数人いた)。
とにかく色々な意味で圧倒的。確かに明治期の面影を残す重厚で希少な遺産ではあるのだけど、一方でシロアリ被害が尋常でない状態に至っていて(周辺へのシロアリの拡散すら危惧される状況であったという)、保存するには最早手遅れとしか言いようのない状態であったのも事実。
今後は解体の上、周辺の区画整理事業にあわせて再開発されるという。「どのような再開発を望むか」というアンケートが行われていたけど、正直地元民でもないので語る口を持ち得なかった次第。周辺は基本的に住宅地であるようなので、せめて地元の方々の日常生活に資する形での開発となればいいのだけど。
夢中になりすぎ、家に帰る体力を失い一泊。





