2010年05月04日

だらだらとキッズステーションでるろ剣見てから河上彦斎のこととか考えてみる

と言っても人斬りやってた当時の話じゃなくて、人斬りとしては一線退いたあと、つうか晩年の彦斎の話。

彦斎は元々尊皇の志士で、しかも(後の神風連に通じる)肥後勤皇党の中でも過激な部類に属する。で、有名な「象山暗殺」の後、いろいろあって「肥後を長州方につくよう説得する!」つうて肥後に戻ったら「お前脱藩者だし」てことで投獄。投獄中に幕末のあれこれは全部終了、志士たちとのパイプを失った肥後藩は丸ごと時流のバスに乗り遅れることとなった。

肥後藩は慌てて彦斎釈放するのだが、さて出獄してみたら尊皇攘夷の「攘夷」はかつての長州志士たち=できたてほやほや明治政府の間でもチャラにされてて、そこで彦斎激怒ですよ。説得しようとしたり「攘夷を言う者であればこの際旧幕方でも可!」とか言ってたりするが、結局肥後から「おまえやっぱ左遷(汗」と呼び戻される。肥後藩としては志士たちとのパイプがほしかったのであって、今更攘夷運動をしてほしかったわけではないのだ。

さて、彦斎の左遷先が豊後国鶴崎(今の大分市鶴崎)という港町で、肥後の飛び地に当たる(肥後藩は参勤交代するのに阿蘇山超えて陸路で大分まで行き鶴崎から船に乗っていたので、大分県内にも肥後の飛び地が細々とあった)。「おまえ鶴崎で現地部隊の指揮しろ」というのが左遷の辞令で、「だったら現地部隊自前で増強するぞ」つって「有終館」という兵学校を起こす。なんか現地の尊皇家であるところの毛利空桑ってじいさんと意気投合してたらしい。

そこに大楽源太郎というのが長州奇兵隊から脱走して逃げてきた。これを彦斎が保護した。 さてこの後、「大楽は奇兵隊反乱そのほか未遂既遂の不平士族反乱を計った咎で追われる身であった。彦斎は大楽を匿った罪で肥後本国に召還された後、東京に移送。この際攘夷過激派として知られる彦斎も消しとけ、ってことで*冤罪を着せられて*処刑された」て続くのが通説的理解。

通説的、と断るからには異論もあるわけで、「彦斎はむしろ積極的・本気で反乱をもくろんでいて、有終館はそのための基地だったんだよ!」っていう学者も居る。たとえば渡辺京二「神風連とその時代」に(主題は神風連なのであくまで脇道だが)言及あり。何でも敬神党(勤皇党の後身、後の神風連)が「彦斎捕縛」にあたって反乱を検討したような史料があるとか。

この本に出てくる「攘夷マキャベリスト」としての彦斎像が通説的な「人斬りに倦み疲れて人格者になった彦斎」像とは別の、なまめかしい魅力を持つ。攘夷であればそれ以外の立場・地位を問わず勢力を糾合し、やがて明治政府への反乱を主導しようとする彦斎像。当否はさておき、「幕末明治のIFを扱う小説やゲームで扱うなら」面白そうなネタだと思いませんか。こう、「逆襲の彦斎」みたいな。

ん? 反乱を起こす人斬り? ……あれ? それって志々雄さん? というオチがついてるろ剣に繋がるんだがな。彦斎の「よくわからん居合いを駆使する凄腕の剣士」分と「陰謀を厭わぬ過激派だが走狗煮らる」分を分け合ったのが剣心と志々雄なのかなーと。

どうでもいいが志々雄「まみ」ちゃんと読むとオニャノコみたいだ、というどうでもいいネタでこのお話を終える。


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2006年02月25日

はあちゅうコピペ、ってやつ

Artifact@ハテナ系経由で知ったはあちゅう氏の文面があまりに改変コピペ向きすぎるのでつい手出し。

あくまで改変ネタですから本気にしないように(そもそもネタだから雑記側に書かないんであって)。大体、滞納者片っ端から捕まえてたらそれこそ財政破綻するっつーの。

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Posted by edgeofworld at 13:56  |Comments(0)TrackBack(0) | ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする