2012年01月31日
今日終わる・たつ年睦月・早過ぎぬ!
次のたつ年まで12年、私が生きていれば満80歳(かさじゅ)を迎えることになります。無理なことなのかもしれません。1年1年1日1日を生きていくことの積み重ねです。
<再会で・元気貰うぞ・今年また!>
今年は、元日にグリコの洋子さんから、「お節」のプレゼントを頂いたことから再会のスタートが始まりました。“感謝!感激!”の出来事でした。
翌2日には、長女夫婦が3人の孫と共に、1年半振り来てくれました。姪っ子が巫女をしている近所の「衣羽神社」で賑やかな初詣ができました。私の健康をいつも気にしてくれている姪っ子は、「おき兄ちゃん、ほんと楽しそうだったね。」と後日話してくれました。(神社の石段乗降に、えらく息切れしたのを覚えています。その時長女が仕事や体調で悩んでいることなど、まったく気付きませんでした。教え子たちにもそうなのかもしれないな、と改めて思いました。)
<成人の・祝いが出来た・懐かしく!>
2001年の4月、私が「頸椎症」で入院・手術した時に担任した4年生(10歳になる)の子どもたちがこの1月には成人式を迎えました。
年賀状を兼ねて「祝・成人」の文字を入れ、合わせて“食べてしゃべって、また元気!”「お祝いの食事会デスヨ!」と案内をしました。この子が来てくれると予測できる子は、残念ながら一人もいません。この11年間はそれほどのご無沙汰でした。(本来なら、小・中学校の卒業式に顔を出していたのですが。)
1月15日(日)13時、舟入の焼き肉屋集合でした。男子で一人、女子で一人の子の名前が分かりませんでした。5人ずつの10人が集まってくれました。(詢、慎平、義法、峻介、翼と真理奈、彩華、知恵、真魅、結子)32人の学級で既に住所不明が7人も居ることを考えれば、よく集まってくれたと思いました。
2月に再会することを約束して、焼き肉屋の一次会、カラオケの二次会を終えたのは20時過ぎでした。(この時も、胸苦しさを感じて、私が散会を言いました。)
<少数で・楽しく喋り・新年会!>
1月28日(土)江波の焼き肉屋に集合した石ころ学級。インフルエンザの流行、仕事などで集まりは少なくなりました。それでも、ミーコさん親子、グリコの秀弘くん、一切飲めないのに呉からの英二くん、何年振りかの幸伸くん、修司くん、娘が発熱のガミさんたちが集まりました。(今回は参加の有無は尋ねていません。)
私が心ゆったりと話し付き合える友達仲間です。50代半ばに近付く教え子たちです。去年の7月からスタートした「お喋り昼食会」の新年版でした。
この25日(水)に退院したばかりの私を気遣ってくれる友だちです。2月26日の昼食会での再会を約しながら、早めに終わりました。
男性5名で、江波の有名な「陽気ラーメン」を食べに行きました。私は何十年振りでしたかね。店のおかみさんに「江崎です。ご無沙汰です。」とあいさつしました。「お母さんはお元気?」と聞かれ、母の逝去を知らせていなかったんだ、と時の流れを思いました。
このほかにも、元同僚との食事会などの予定がありましたが、前号の日記に書いたように、私の緊急入院・手術があり、参加できませんでした。職場が同じだった友人二人が見舞いに来てくれました。
わずか6日間の入院でしたが、ここでも、いくつかの再会がありました。
<再会で・元気貰うぞ・今年また!>
今年は、元日にグリコの洋子さんから、「お節」のプレゼントを頂いたことから再会のスタートが始まりました。“感謝!感激!”の出来事でした。
翌2日には、長女夫婦が3人の孫と共に、1年半振り来てくれました。姪っ子が巫女をしている近所の「衣羽神社」で賑やかな初詣ができました。私の健康をいつも気にしてくれている姪っ子は、「おき兄ちゃん、ほんと楽しそうだったね。」と後日話してくれました。(神社の石段乗降に、えらく息切れしたのを覚えています。その時長女が仕事や体調で悩んでいることなど、まったく気付きませんでした。教え子たちにもそうなのかもしれないな、と改めて思いました。)
<成人の・祝いが出来た・懐かしく!>
2001年の4月、私が「頸椎症」で入院・手術した時に担任した4年生(10歳になる)の子どもたちがこの1月には成人式を迎えました。
年賀状を兼ねて「祝・成人」の文字を入れ、合わせて“食べてしゃべって、また元気!”「お祝いの食事会デスヨ!」と案内をしました。この子が来てくれると予測できる子は、残念ながら一人もいません。この11年間はそれほどのご無沙汰でした。(本来なら、小・中学校の卒業式に顔を出していたのですが。)
1月15日(日)13時、舟入の焼き肉屋集合でした。男子で一人、女子で一人の子の名前が分かりませんでした。5人ずつの10人が集まってくれました。(詢、慎平、義法、峻介、翼と真理奈、彩華、知恵、真魅、結子)32人の学級で既に住所不明が7人も居ることを考えれば、よく集まってくれたと思いました。
2月に再会することを約束して、焼き肉屋の一次会、カラオケの二次会を終えたのは20時過ぎでした。(この時も、胸苦しさを感じて、私が散会を言いました。)
<少数で・楽しく喋り・新年会!>
1月28日(土)江波の焼き肉屋に集合した石ころ学級。インフルエンザの流行、仕事などで集まりは少なくなりました。それでも、ミーコさん親子、グリコの秀弘くん、一切飲めないのに呉からの英二くん、何年振りかの幸伸くん、修司くん、娘が発熱のガミさんたちが集まりました。(今回は参加の有無は尋ねていません。)
私が心ゆったりと話し付き合える友達仲間です。50代半ばに近付く教え子たちです。去年の7月からスタートした「お喋り昼食会」の新年版でした。
この25日(水)に退院したばかりの私を気遣ってくれる友だちです。2月26日の昼食会での再会を約しながら、早めに終わりました。
男性5名で、江波の有名な「陽気ラーメン」を食べに行きました。私は何十年振りでしたかね。店のおかみさんに「江崎です。ご無沙汰です。」とあいさつしました。「お母さんはお元気?」と聞かれ、母の逝去を知らせていなかったんだ、と時の流れを思いました。
このほかにも、元同僚との食事会などの予定がありましたが、前号の日記に書いたように、私の緊急入院・手術があり、参加できませんでした。職場が同じだった友人二人が見舞いに来てくれました。
わずか6日間の入院でしたが、ここでも、いくつかの再会がありました。
2012年01月26日
携帯の・便利味わう・即手術!
<即手術・言われて気持ち・困窮し!>
今月20日(金)の出来事です。心臓血管の検査・診察の日です。いつものように、採血・心電図検査をして、2時間、3時間待たされて、診断を受けました。終了間際に、
「そうそう、先生、胸の圧迫感と歩くのがしんどい痛さを、15日・16日に感じたんですよ。」と話しました。すると先生は、
「今から検査に入るけれど、時間は大丈夫ですよね。」
ということで、改めて血圧、心臓周りのエコー検査、そして負荷心電図(歩行板で歩きながら、スピードを速めたりダウンしたりしながらの心電図検査)の検査でした。短時間で終了したので、あれ?と思ったのですが。このことが、この日の大変さを作り出しました。
「このまま入院、手術だね。ベッドのまま1階救命室まで降りましょう。担当の先生はダレ?M先生に直ぐ連絡して。手術に入れるように。」と検査医師と検査技師が話しています。
私は誰のことを言ってるんだろうの気持ちでした。
「私のことでしょうか?今日は検査・診断に来ただけですよ。入院や手術を断ったりはしませんよ。でも、とにかくいったんは帰宅らせてくださいよ。」と訴える私でした。
「いや、帰すわけにはいかないですね。帰宅して心筋梗塞で倒れられて、救急車で運ばれてくるなんてことは、こちらも認められないですよ。」と検査医師。
グチャグチャ、ガチャガチャの台所や寝室、家の中の様子が浮かんできます。
「一人暮らしなんで、家で倒れたらそのまんまですよ。孤老死扱いですよ。それに今日は入院・手術のつもりで来ているわけでもないので、一度帰してくださいよ。」と再度懇願する私でした。
「だめ、だめ。ベッドから動かないで。1階で担当の先生と相談してね。」
M先生と相談するなかで、手術承諾者(身内の立会人)や着替えなどを準備してもらえる人が必要になりました。これまでの入院・手術でお世話を掛けてきた65歳の弟や77歳の姉の娘(私からは姪っ子)にまたまた迷惑を掛けなきゃいけなくなりました。
どうやって連絡したらいいのだろう?とまた悩みました。(そうか、こんな時こそ携帯なんだ、と改めて思いました。)もう昼の2時過ぎでした。空腹を強く感じました。私の傍にいる看護師さんは昼休憩されたのだろうか。M先生は多くの患者との面談が続いていたはずなのに。つい、
「私の緊急な出来事で、昼休みも取られなくてごめんなさいね。」と口にしました。二人とも、笑いながら
「気にしないでください。これが私たちの仕事ですからね。」柔らかく言ってくれました。
3時半過ぎに姪が来てくれました。牛乳とメロンパンを頼んでいたので、食べながらグチャ、ガチャの家のことを話し、準備物を依頼しました。すると、気持ちが少し落ち着いたのか、会議のことなどを思い出しました。友人たちへの連絡に携帯をしっかりと利用しました。(充電装置が必要なことにも気付きました。)
弟が到着して、署名捺印後、4時前に手術室に入りました。手首に麻酔を打ち、動脈に造影剤を使いながらまずはカテーテル検査です。
血管を膨らませることで済みそうだと分かりました。画面に映り出された冠動脈血管は想像以上に細くなっていました。これが切れるか詰まることで動脈破裂か心筋梗塞になるのだそうです。緊急入院・手術に少しずつ納得せざるを得なくなりました。
去年2月の時とは少し違って、血管をバルーンで膨らませるだけでした。(去年は、この後ステント挿入。)1時間足らずで5時前には済みました。今から8時間、手首の止血装置の痛さに耐えなければなりません。左腕の点滴は10時間必要です。でもトイレ利用は可能なので気持ちが少しは楽です。
そして6日間(去年は2週間)、温かい病室で食事に気を使うこともなく過ごしました。贅沢な個室ですから、一番ゆったりできる日々でもあります。教え子たちとの再会を楽しみにしながら。ごくごく一部にしか知らせていません。携帯を大いに活用しました。
寒い寒い25日(水)の午後、小雪がチラつくなかを、原付で帰宅しました。
今月20日(金)の出来事です。心臓血管の検査・診察の日です。いつものように、採血・心電図検査をして、2時間、3時間待たされて、診断を受けました。終了間際に、
「そうそう、先生、胸の圧迫感と歩くのがしんどい痛さを、15日・16日に感じたんですよ。」と話しました。すると先生は、
「今から検査に入るけれど、時間は大丈夫ですよね。」
ということで、改めて血圧、心臓周りのエコー検査、そして負荷心電図(歩行板で歩きながら、スピードを速めたりダウンしたりしながらの心電図検査)の検査でした。短時間で終了したので、あれ?と思ったのですが。このことが、この日の大変さを作り出しました。
「このまま入院、手術だね。ベッドのまま1階救命室まで降りましょう。担当の先生はダレ?M先生に直ぐ連絡して。手術に入れるように。」と検査医師と検査技師が話しています。
私は誰のことを言ってるんだろうの気持ちでした。
「私のことでしょうか?今日は検査・診断に来ただけですよ。入院や手術を断ったりはしませんよ。でも、とにかくいったんは帰宅らせてくださいよ。」と訴える私でした。
「いや、帰すわけにはいかないですね。帰宅して心筋梗塞で倒れられて、救急車で運ばれてくるなんてことは、こちらも認められないですよ。」と検査医師。
グチャグチャ、ガチャガチャの台所や寝室、家の中の様子が浮かんできます。
「一人暮らしなんで、家で倒れたらそのまんまですよ。孤老死扱いですよ。それに今日は入院・手術のつもりで来ているわけでもないので、一度帰してくださいよ。」と再度懇願する私でした。
「だめ、だめ。ベッドから動かないで。1階で担当の先生と相談してね。」
M先生と相談するなかで、手術承諾者(身内の立会人)や着替えなどを準備してもらえる人が必要になりました。これまでの入院・手術でお世話を掛けてきた65歳の弟や77歳の姉の娘(私からは姪っ子)にまたまた迷惑を掛けなきゃいけなくなりました。
どうやって連絡したらいいのだろう?とまた悩みました。(そうか、こんな時こそ携帯なんだ、と改めて思いました。)もう昼の2時過ぎでした。空腹を強く感じました。私の傍にいる看護師さんは昼休憩されたのだろうか。M先生は多くの患者との面談が続いていたはずなのに。つい、
「私の緊急な出来事で、昼休みも取られなくてごめんなさいね。」と口にしました。二人とも、笑いながら
「気にしないでください。これが私たちの仕事ですからね。」柔らかく言ってくれました。
3時半過ぎに姪が来てくれました。牛乳とメロンパンを頼んでいたので、食べながらグチャ、ガチャの家のことを話し、準備物を依頼しました。すると、気持ちが少し落ち着いたのか、会議のことなどを思い出しました。友人たちへの連絡に携帯をしっかりと利用しました。(充電装置が必要なことにも気付きました。)
弟が到着して、署名捺印後、4時前に手術室に入りました。手首に麻酔を打ち、動脈に造影剤を使いながらまずはカテーテル検査です。
血管を膨らませることで済みそうだと分かりました。画面に映り出された冠動脈血管は想像以上に細くなっていました。これが切れるか詰まることで動脈破裂か心筋梗塞になるのだそうです。緊急入院・手術に少しずつ納得せざるを得なくなりました。
去年2月の時とは少し違って、血管をバルーンで膨らませるだけでした。(去年は、この後ステント挿入。)1時間足らずで5時前には済みました。今から8時間、手首の止血装置の痛さに耐えなければなりません。左腕の点滴は10時間必要です。でもトイレ利用は可能なので気持ちが少しは楽です。
そして6日間(去年は2週間)、温かい病室で食事に気を使うこともなく過ごしました。贅沢な個室ですから、一番ゆったりできる日々でもあります。教え子たちとの再会を楽しみにしながら。ごくごく一部にしか知らせていません。携帯を大いに活用しました。
寒い寒い25日(水)の午後、小雪がチラつくなかを、原付で帰宅しました。
2012年01月06日
体調の・回復目指す・この一年!
<この歳で・クリ、プレ貰い・年玉も!>
晦日の25日、いわゆるクリスマスですが、嬉しいことがありました。私は江波の町のどちらかといえば東側に住んでいます。西側に住む40年前の教え子のお母さん(70代半ばかな。)が、自転車でお餅(餡餅、草餅、白餅)を届けてくれました。(まさにクリスマスプレゼントです。)
新年を迎えた元日、腰痛で寝ていた朝早く、45年前の最初の教え子・洋子さんから電話が入りました。「先生、赤飯届けたいんじゃけど、家が分からんのんよ。車で行くけれど、、、。」ということでした。今は西区の高台に住んでいる教え子。元々江波育ちなので、家を説明するのは簡単でした。
小1時間過ぎた頃、「今、港の横に着いたところ、、、。」の電話です。
元日に教え子からの差し入れとは、お年玉を貰った気持ちになり、“こいつは春から縁起がいいわい。”と啖呵の一つも切りたくなりました。お赤飯とお節の二段重ねでした。(重ね重ねの喜び、、、第1発目のダジャレ?)
<教え子と・再会何より・励ましに!>
昨年は、通院先の増加と薬服用、入院手術にリハビリなど、体調崩しの1年間でした。これらの病に向き合えるようになったのは、年の瀬に入ってからでした。
昨年7月から始まった毎月の「石ころ学級お喋り昼食会」が、病を受け入れ向き合いそして回復を願う気力をもたらしてくれたように思います。毎月定期的に会うための元気が必要だと、思い始めたのでした。
教員仲間、組合仲間そして研究会仲間など定期的に会議などに参加してきたことも気力継続になっていましたが、教え子との毎月再会は、抱く気持ちに何か違いがあるんです。
母さんになっている教え子は、知的障がいの娘さんと一緒に毎回参加してくれているし、その教え子がこのお喋り会を大事にしてくれているんです。(このことが、私を突き動かしている感じ?)
私の気力の変化は、まず散歩の様子に表れています。それまでには思いもしなかった「1万歩100分散歩」が目当てになっていました。
前回の日記にも書きましたが、9月10月には5回7回の「1万歩」を記録しました。すると、11月12月には、なんと12回も記録していたのです。カレンダーに50分未満なら△、50分〜100分未満なら〇、1万歩100分越えには◎を記すようになっていました。もちろん、腰痛を伴うので楽ではありません。でも、太陽の日差しを感じると、さあ歩こうの気持ちになれるのです。
3年前に20分のトロトロ散歩で始めたことを思うと、スタスタ歩きまではいきませんが、テクテク歩きには進んだと感じています。
それが、平和公園往復歩きに繋がったし、途中で「スローランニング入れてみたい」の高まりを感じるようにもなっています。
今月も新年にふさわしく、いろいろな再会がありそうです。
夏の「第3回合同クラス会」も考えなくては、2年毎に実施しているのだから。一昨年はアリンコ学級伸之くんの店を利用できたのですが、閉業したのでお店探しをしなくては。「30人3時間3千円」の店が見付かるかな、と思っています。
晦日の25日、いわゆるクリスマスですが、嬉しいことがありました。私は江波の町のどちらかといえば東側に住んでいます。西側に住む40年前の教え子のお母さん(70代半ばかな。)が、自転車でお餅(餡餅、草餅、白餅)を届けてくれました。(まさにクリスマスプレゼントです。)
新年を迎えた元日、腰痛で寝ていた朝早く、45年前の最初の教え子・洋子さんから電話が入りました。「先生、赤飯届けたいんじゃけど、家が分からんのんよ。車で行くけれど、、、。」ということでした。今は西区の高台に住んでいる教え子。元々江波育ちなので、家を説明するのは簡単でした。
小1時間過ぎた頃、「今、港の横に着いたところ、、、。」の電話です。
元日に教え子からの差し入れとは、お年玉を貰った気持ちになり、“こいつは春から縁起がいいわい。”と啖呵の一つも切りたくなりました。お赤飯とお節の二段重ねでした。(重ね重ねの喜び、、、第1発目のダジャレ?)
<教え子と・再会何より・励ましに!>
昨年は、通院先の増加と薬服用、入院手術にリハビリなど、体調崩しの1年間でした。これらの病に向き合えるようになったのは、年の瀬に入ってからでした。
昨年7月から始まった毎月の「石ころ学級お喋り昼食会」が、病を受け入れ向き合いそして回復を願う気力をもたらしてくれたように思います。毎月定期的に会うための元気が必要だと、思い始めたのでした。
教員仲間、組合仲間そして研究会仲間など定期的に会議などに参加してきたことも気力継続になっていましたが、教え子との毎月再会は、抱く気持ちに何か違いがあるんです。
母さんになっている教え子は、知的障がいの娘さんと一緒に毎回参加してくれているし、その教え子がこのお喋り会を大事にしてくれているんです。(このことが、私を突き動かしている感じ?)
私の気力の変化は、まず散歩の様子に表れています。それまでには思いもしなかった「1万歩100分散歩」が目当てになっていました。
前回の日記にも書きましたが、9月10月には5回7回の「1万歩」を記録しました。すると、11月12月には、なんと12回も記録していたのです。カレンダーに50分未満なら△、50分〜100分未満なら〇、1万歩100分越えには◎を記すようになっていました。もちろん、腰痛を伴うので楽ではありません。でも、太陽の日差しを感じると、さあ歩こうの気持ちになれるのです。
3年前に20分のトロトロ散歩で始めたことを思うと、スタスタ歩きまではいきませんが、テクテク歩きには進んだと感じています。
それが、平和公園往復歩きに繋がったし、途中で「スローランニング入れてみたい」の高まりを感じるようにもなっています。
今月も新年にふさわしく、いろいろな再会がありそうです。
夏の「第3回合同クラス会」も考えなくては、2年毎に実施しているのだから。一昨年はアリンコ学級伸之くんの店を利用できたのですが、閉業したのでお店探しをしなくては。「30人3時間3千円」の店が見付かるかな、と思っています。
2011年12月08日
師走早や・過ぎ去りにけり・1週間!
「早や師走、、」の題で考えていました。この1週間もあっという間でした。12月に入ったことよりも過ぎ去りが早すぎる感じです。
そして今日(8日)は太平洋戦争(第二次世界大戦)開戦70周年の日です。NHK朝ドラでも、主人公の夫が、赤紙を貰い召集に旅立つ場面がありました。
全国各地が空襲・大空襲に遭い、日本で唯一戦場になった沖縄と原爆被害の広島・長崎から66年。今年は3.11大地震・巨大津波・福島第一原発事故から立ち直るスタートの2011年です。(私が生きている間の復興はないのでしょうね。)
<年賀状・3年振りに・書き上げるぞ!>
この1週間の早さ実感の理由には、3日(土)に「グリコ学級冬のクラス会」があったことです。集まりの輪を広げたいことと同じ学校の石ころ学級仲間にも会いたい思いが、私の中に湧いてきました。共に50歳代になります。それで、案内はがき60枚を発送しました。宛名は手書きなので、途中で疲れて嫌になるかな、の不安もありました。思いのほか集中できました。
石ころ仲間では福岡の幸ちゃん、三次の哲くん、東広島の直美さん、近場の俊夫くんや操さん、参加してくれた英二くんなどからメールがありました。
グリコ仲間では葉書を見た康弘くんが今年もとお米を届けに来てくれました。千葉のみどりさんや鳥取の真美さんとは博子さん、由美子さんを通して元気を確認できました。
残念だったのは、一つ目はまりさんからの電話でした。「先生、ごめんなさいね。私はもう江波とは一切関係ないから、連絡しないで。」の絶縁でした。(小・中時代に何かあったのかな?)
二つ目はあて先不明で、戻ってきたのが3通あったことです。
ともあれ、書く気力があれば、、、と改めて気付きました。(年賀状、頑張るぞ!)
<霜月に・1万歩越え・12回!!>
11月の終わりに書きたかったのですが、、、。散歩で1万歩を意識したのは9月でした。そして9,10月と5回ずつを達成し、自分を褒めたのでした。
ところが、11月に暖かい日が続いたので、ついついその気が出ました。なんとなんと、12回もの1万歩越えの日を記録したのです。散歩を初めて3年目ですが、(2009年10月3日スタート〜。)腰痛や体調不良に悩みながらも続いたのです。始めた理由は、「歩けなくなるという恐怖心の払拭」でした。この重い重い理由では続かないんですね。1年目の10月には20分散歩でした。
今、1万歩を歩くには、90分から100分が必要なんです。トロトロ歩きノロノロ歩きですからね。早くスタスタ歩きになりたいな、と思っています。長時間の継続歩きは無理なので、2回に分けて50分ずつを目安に歩きます。
さらにところが、、、、です。
<散歩での・平和公園・目途が立つ!!>
昨日12月7日、午前中3ヶ月振り(夏用の丸刈りをしたので。)で散髪に行きました。いつものように、石ころ俊夫くんのお父さんの店です。私より8歳年上のお父さんですが、毎朝5時起きのウオーキングを夏も冬も続けています。カラオケ大好きのお母さん(やはり私より上。)は、グランドゴルフをも始めたということでした。
お母さんは「先生、25日は餅つきじゃけ、届けるけえね。」と嬉しいお話でした。去年も一昨年もお餅を頂きました。(お返しはどうしたらええんじゃろ?誰か教えて!)
元気の出るお喋りをしたことが、たぶん影響したんだと思います。帰宅して昼食を済ませると、太陽が出始めたんです。暖かくなるぞ、と感じました。
よし、歩こう!今年最後の暖かさかもしれないぞ、と思いました。すると、思いもしない考えが浮かんできました。散歩で今年出来ていないことがある。
よし、歩けるところまで歩いて、バテたら、電車で戻ればいいじゃん。と平和公園を目指すことにして、電車通りをテクテクと歩き始めました。案の定、腰痛が始まりました。いつもと違う散歩道で緊張したのかな?こんなに早く痛くなるとは。
平和公園の原爆慰霊碑前に立ったのは、歩き始めて52分29秒でした。(信号待ちでは、ストップウヲッチを止めます。)だから、正味の時間です。30分ほど、公園内をダラダラ散歩。水上バス発着桟橋に寄って、時刻表を貰いました。来年への夢を描いていました。(はてさて、何でしょうね?)
帰りは本川沿いをノンビリと歩きました。帰宅まで53分30秒でした。もちろん、1万歩越えです。しかも休憩なしですよ。さすが疲れました。でも凄いです!!
こんなに元気に歩く気力を創り出してくれているものに、7月から始めた「石ころ学級お喋り昼食会」があります。毎月定期に再会することの大きな意義を実感しています。この会の詳報は別の機会に譲りますね。
今日の、タラタラ日記はここまで。
そして今日(8日)は太平洋戦争(第二次世界大戦)開戦70周年の日です。NHK朝ドラでも、主人公の夫が、赤紙を貰い召集に旅立つ場面がありました。
全国各地が空襲・大空襲に遭い、日本で唯一戦場になった沖縄と原爆被害の広島・長崎から66年。今年は3.11大地震・巨大津波・福島第一原発事故から立ち直るスタートの2011年です。(私が生きている間の復興はないのでしょうね。)
<年賀状・3年振りに・書き上げるぞ!>
この1週間の早さ実感の理由には、3日(土)に「グリコ学級冬のクラス会」があったことです。集まりの輪を広げたいことと同じ学校の石ころ学級仲間にも会いたい思いが、私の中に湧いてきました。共に50歳代になります。それで、案内はがき60枚を発送しました。宛名は手書きなので、途中で疲れて嫌になるかな、の不安もありました。思いのほか集中できました。
石ころ仲間では福岡の幸ちゃん、三次の哲くん、東広島の直美さん、近場の俊夫くんや操さん、参加してくれた英二くんなどからメールがありました。
グリコ仲間では葉書を見た康弘くんが今年もとお米を届けに来てくれました。千葉のみどりさんや鳥取の真美さんとは博子さん、由美子さんを通して元気を確認できました。
残念だったのは、一つ目はまりさんからの電話でした。「先生、ごめんなさいね。私はもう江波とは一切関係ないから、連絡しないで。」の絶縁でした。(小・中時代に何かあったのかな?)
二つ目はあて先不明で、戻ってきたのが3通あったことです。
ともあれ、書く気力があれば、、、と改めて気付きました。(年賀状、頑張るぞ!)
<霜月に・1万歩越え・12回!!>
11月の終わりに書きたかったのですが、、、。散歩で1万歩を意識したのは9月でした。そして9,10月と5回ずつを達成し、自分を褒めたのでした。
ところが、11月に暖かい日が続いたので、ついついその気が出ました。なんとなんと、12回もの1万歩越えの日を記録したのです。散歩を初めて3年目ですが、(2009年10月3日スタート〜。)腰痛や体調不良に悩みながらも続いたのです。始めた理由は、「歩けなくなるという恐怖心の払拭」でした。この重い重い理由では続かないんですね。1年目の10月には20分散歩でした。
今、1万歩を歩くには、90分から100分が必要なんです。トロトロ歩きノロノロ歩きですからね。早くスタスタ歩きになりたいな、と思っています。長時間の継続歩きは無理なので、2回に分けて50分ずつを目安に歩きます。
さらにところが、、、、です。
<散歩での・平和公園・目途が立つ!!>
昨日12月7日、午前中3ヶ月振り(夏用の丸刈りをしたので。)で散髪に行きました。いつものように、石ころ俊夫くんのお父さんの店です。私より8歳年上のお父さんですが、毎朝5時起きのウオーキングを夏も冬も続けています。カラオケ大好きのお母さん(やはり私より上。)は、グランドゴルフをも始めたということでした。
お母さんは「先生、25日は餅つきじゃけ、届けるけえね。」と嬉しいお話でした。去年も一昨年もお餅を頂きました。(お返しはどうしたらええんじゃろ?誰か教えて!)
元気の出るお喋りをしたことが、たぶん影響したんだと思います。帰宅して昼食を済ませると、太陽が出始めたんです。暖かくなるぞ、と感じました。
よし、歩こう!今年最後の暖かさかもしれないぞ、と思いました。すると、思いもしない考えが浮かんできました。散歩で今年出来ていないことがある。
よし、歩けるところまで歩いて、バテたら、電車で戻ればいいじゃん。と平和公園を目指すことにして、電車通りをテクテクと歩き始めました。案の定、腰痛が始まりました。いつもと違う散歩道で緊張したのかな?こんなに早く痛くなるとは。
平和公園の原爆慰霊碑前に立ったのは、歩き始めて52分29秒でした。(信号待ちでは、ストップウヲッチを止めます。)だから、正味の時間です。30分ほど、公園内をダラダラ散歩。水上バス発着桟橋に寄って、時刻表を貰いました。来年への夢を描いていました。(はてさて、何でしょうね?)
帰りは本川沿いをノンビリと歩きました。帰宅まで53分30秒でした。もちろん、1万歩越えです。しかも休憩なしですよ。さすが疲れました。でも凄いです!!
こんなに元気に歩く気力を創り出してくれているものに、7月から始めた「石ころ学級お喋り昼食会」があります。毎月定期に再会することの大きな意義を実感しています。この会の詳報は別の機会に譲りますね。
今日の、タラタラ日記はここまで。
2011年11月16日
霜月と・思えぬほどの・暖かさ!
<夜八時・橙色の・デカイ月!>
一昨日(14日)の夜、散歩に出て江波の港の傍で、大きな大きなお月様に気付きました。思わず「うわあ〜、でかっ!」と声を出していました。上の方が欠けていましたが、それでも東の空の低い位置に出ている月の大きくてきれいな色に感激しました。いつもの川沿いを歩くのが、いつもより軽やかな気持ちでした。風も無くて、寒くも暑くもなくて、大きなお月様との楽しい散歩でした。
<月半ば・一万歩越え・早や7回!>
1日に一万歩の散歩を気にしたのが、この9月でした。一辺にというのでなく、2回でも3回にでも分けて歩いてもいいじゃないか、と気付いてからです。9月を振り返ると5回でした。10月も同じ5回でした。それでも、自分に(すごいじゃない!)と声掛けていました。
今月に入って、検査入院(結果は後で書きます。)から退院したのが、3日でした。午後帰宅すると、陽光と暖かさに導かれるように、着替えて散歩に出ていました。本川沿いの江波・吉島の川土手を48分・5100歩の散歩でした。11月なのに、汗をかきました。
翌4日には、2回に分けて一万歩を歩きました。カレンダーに「1」と記入すると、2,3,、、が楽しみになりました。昨日15日で、早くも7回を数えたのです。
嬉しくなって、日記に書き留めました。
<川面往く・水上バスに・かもめ群(と)ぶ!>
世界遺産の原爆ドーム(平和公園)と厳島神社(宮島)を結ぶ小さな客船が本川を行き来します。客船の後部にお客が立って、手を伸ばすとカモメが群がります。(エサを与えているのかもしれません。)不思議なことに、川下(瀬戸内海側)から群がったカモメは、船が吉島橋の下に来ると、そこで離れます。橋の下を船と一緒にくぐるわけでもないし、橋を飛び越えることもしません。
この風情は、冬にしか見られません。散歩を始めたからこそ気付いたことでもあります。本当は、デジカメ写真を載せたいのですが、操作が分からなくて、残念に思っています。
<入院の・検査結果を・書いておく>
2月に冠動脈のカテーテル手術をして、梗塞部分にステントを挿入しました。手術結果は順調で、一つ目は血圧が正常値になりました。(2種類服用の抗血圧剤を1種に。)二つ目は不整脈の強さ・回数が普通に近づきました。(薬は服用中)あれから8ヶ月、10月下旬に入院前検査をしました。
この時、嬉しいことがありました。ベルトを動かして、歩行や駆け足の訓練をする器械があります。血圧や脈拍測定の装置を付けて、歩く検査があります。ベルトがだんだん速くなって、速足歩きをしなければなりません。5分間位なのですが、2月の手術前には、足腰もついていけませんでした。検査不成立でした。
ところが今回、入院前の検査では、成立したのです。医師も「よくがんばったね。」と褒めてくれました。2月の手術と散歩の成果では、と内心、喜びました。
11月1日入院、2日にカテーテル挿入・造影剤を入れて、血管・冠動脈の検査をしました。左冠動脈の一部に梗塞が見付かりました。血管の4分の1以下で小さいので、「経過観察」になりました。
大変だったのは、その後でした。2月には、右手首の動脈からカテーテル挿入でしたが、今回は右ひじ内側の動脈を使いました。
その止血が上手くいかなかったのです。止血装具が外される時間がきたのですが、右腕が腫れて、内出血がひどいのです。医師が呼ばれて、止血のやり直しでした。
3日に退院したのですが、約2週間の今も、内出血と少しの腫れ、痛みが続いています。
一昨日(14日)の夜、散歩に出て江波の港の傍で、大きな大きなお月様に気付きました。思わず「うわあ〜、でかっ!」と声を出していました。上の方が欠けていましたが、それでも東の空の低い位置に出ている月の大きくてきれいな色に感激しました。いつもの川沿いを歩くのが、いつもより軽やかな気持ちでした。風も無くて、寒くも暑くもなくて、大きなお月様との楽しい散歩でした。
<月半ば・一万歩越え・早や7回!>
1日に一万歩の散歩を気にしたのが、この9月でした。一辺にというのでなく、2回でも3回にでも分けて歩いてもいいじゃないか、と気付いてからです。9月を振り返ると5回でした。10月も同じ5回でした。それでも、自分に(すごいじゃない!)と声掛けていました。
今月に入って、検査入院(結果は後で書きます。)から退院したのが、3日でした。午後帰宅すると、陽光と暖かさに導かれるように、着替えて散歩に出ていました。本川沿いの江波・吉島の川土手を48分・5100歩の散歩でした。11月なのに、汗をかきました。
翌4日には、2回に分けて一万歩を歩きました。カレンダーに「1」と記入すると、2,3,、、が楽しみになりました。昨日15日で、早くも7回を数えたのです。
嬉しくなって、日記に書き留めました。
<川面往く・水上バスに・かもめ群(と)ぶ!>
世界遺産の原爆ドーム(平和公園)と厳島神社(宮島)を結ぶ小さな客船が本川を行き来します。客船の後部にお客が立って、手を伸ばすとカモメが群がります。(エサを与えているのかもしれません。)不思議なことに、川下(瀬戸内海側)から群がったカモメは、船が吉島橋の下に来ると、そこで離れます。橋の下を船と一緒にくぐるわけでもないし、橋を飛び越えることもしません。
この風情は、冬にしか見られません。散歩を始めたからこそ気付いたことでもあります。本当は、デジカメ写真を載せたいのですが、操作が分からなくて、残念に思っています。
<入院の・検査結果を・書いておく>
2月に冠動脈のカテーテル手術をして、梗塞部分にステントを挿入しました。手術結果は順調で、一つ目は血圧が正常値になりました。(2種類服用の抗血圧剤を1種に。)二つ目は不整脈の強さ・回数が普通に近づきました。(薬は服用中)あれから8ヶ月、10月下旬に入院前検査をしました。
この時、嬉しいことがありました。ベルトを動かして、歩行や駆け足の訓練をする器械があります。血圧や脈拍測定の装置を付けて、歩く検査があります。ベルトがだんだん速くなって、速足歩きをしなければなりません。5分間位なのですが、2月の手術前には、足腰もついていけませんでした。検査不成立でした。
ところが今回、入院前の検査では、成立したのです。医師も「よくがんばったね。」と褒めてくれました。2月の手術と散歩の成果では、と内心、喜びました。
11月1日入院、2日にカテーテル挿入・造影剤を入れて、血管・冠動脈の検査をしました。左冠動脈の一部に梗塞が見付かりました。血管の4分の1以下で小さいので、「経過観察」になりました。
大変だったのは、その後でした。2月には、右手首の動脈からカテーテル挿入でしたが、今回は右ひじ内側の動脈を使いました。
その止血が上手くいかなかったのです。止血装具が外される時間がきたのですが、右腕が腫れて、内出血がひどいのです。医師が呼ばれて、止血のやり直しでした。
3日に退院したのですが、約2週間の今も、内出血と少しの腫れ、痛みが続いています。
2011年11月01日
年の瀬を・元気に迎えたい・あと2月!
今年も残り2か月になりました。何とか元気で年の瀬を過ごしたいと思います。
私事では、2月に「狭心症」で入院しました。冠動脈の血管をカテーテルの使用で、広げた状態を保つために「ステント」を挿入しました。
3月にはあの東日本大震災と大津波、福島第1原発事故を被爆地ヒロシマから見聞きすることになりました。被災地のみなさんの起ちあがり、日本国民、世界の多くの人たちの様々な支援は人間としての結びつきを創り出しています。それに比べて、日本政治や大企業東電の対応のお粗末さには、腹立たしさを感じています。
被爆66年の不安を抱き続けている私ですが、それでも被災地のみなさんのご健康を祈りたいと思います。
<十月は・体調二つの・喜びが!>
一つ目は、9月に続き「一万歩超の散歩」を5日間記録できたことです。(でも腰痛は月末になるほどひどくなりました。)
二つ目は、高血圧から脳外科に10年近く通院していますが、24日にMRI撮影と診断を受けました。初めて医師から褒められました。「脳血管が若返っているよ。たいしたもんだ。」と。
これは嬉しかったですよ。
2月のカテーテル手術とたばこを止めたことが大きな要因かもしれませんね。医師も「たばこはおおきかったね。」と話していました。
血圧を下げる薬を2種類服用していましたが、1種類になりました。
<今日から・検査入院・異常なしで!>
2月のカテーテル手術後の容体検査のために、今日(1日)入院します。明日、カテーテル造影検査です。異常なければ、3日には退院します。
そのまましばらく気楽な入院生活を送りたいです。食事のことを考え悩む必要がないのは、すごい安心感ですよ。(中性脂肪がなかなか下がらないので、リュウマチの医師・心臓の医師には叱られ続けています。)
この3日間は、天気も良く温かそうなので、検査で「異常なし」を期待したいです。
私事では、2月に「狭心症」で入院しました。冠動脈の血管をカテーテルの使用で、広げた状態を保つために「ステント」を挿入しました。
3月にはあの東日本大震災と大津波、福島第1原発事故を被爆地ヒロシマから見聞きすることになりました。被災地のみなさんの起ちあがり、日本国民、世界の多くの人たちの様々な支援は人間としての結びつきを創り出しています。それに比べて、日本政治や大企業東電の対応のお粗末さには、腹立たしさを感じています。
被爆66年の不安を抱き続けている私ですが、それでも被災地のみなさんのご健康を祈りたいと思います。
<十月は・体調二つの・喜びが!>
一つ目は、9月に続き「一万歩超の散歩」を5日間記録できたことです。(でも腰痛は月末になるほどひどくなりました。)
二つ目は、高血圧から脳外科に10年近く通院していますが、24日にMRI撮影と診断を受けました。初めて医師から褒められました。「脳血管が若返っているよ。たいしたもんだ。」と。
これは嬉しかったですよ。
2月のカテーテル手術とたばこを止めたことが大きな要因かもしれませんね。医師も「たばこはおおきかったね。」と話していました。
血圧を下げる薬を2種類服用していましたが、1種類になりました。
<今日から・検査入院・異常なしで!>
2月のカテーテル手術後の容体検査のために、今日(1日)入院します。明日、カテーテル造影検査です。異常なければ、3日には退院します。
そのまましばらく気楽な入院生活を送りたいです。食事のことを考え悩む必要がないのは、すごい安心感ですよ。(中性脂肪がなかなか下がらないので、リュウマチの医師・心臓の医師には叱られ続けています。)
この3日間は、天気も良く温かそうなので、検査で「異常なし」を期待したいです。
2011年10月14日
木犀の・香り漂う・散歩道!
たばこの匂いよりは、はるかに気持ちを癒してくれる金木犀の香りです。
どこから漂ってくるのかな、と思います。川沿いの散歩道ではないので、どこかの庭に植えられているのでしょうね。秋の季節と進行を感じさせてくれます。
<親父逝き・祥月命日・20年>
昨日13日は、親父の祥月命日でした。1906年(明治39年)生まれですから、生きていれば105歳になります。(1991年10月13日の85歳で没)
お寺さんの読経を76歳の姉と二人で聞きました。
聞きながら、時の流れを感じ、出来事を思っていました。
この20年間はやはり、私個人にもいろいろの出来事がありました。
最も大きな出来事は、「離婚」です。
お袋は私の離婚を知らないまま、1990年4月に逝去でした。
5月から親父との二人暮らしを考えて、家を借りた4月下旬(29日)に、親父は「脳梗塞」で倒れ、そのまま1年半の入院でした。
身体が動かせず、喋りもできず、寝たきり状態です。学校以外の活動は一切止めて、勤務終了後は毎日の病院通いでした。親父との会話が無くて、反応も無いことが辛い経験でした。
そして、出来事としては、組合の委員長を10年間も頑張り、38年間の教職で定年退職を迎えたことです。(教え子仲間が催してくれた「退職を祝う会」、今も2005年4月30日の新聞記事を「名刺代わり」に持ち歩いています。体調を崩す中で、私の支えの出来事です。)
散歩の途中で眺めている吉島・江波・観音を結ぶ橋桁ですが、南道路の完成は、江波の町をどのように変えるのか、それまでは何とか元気で生きていたいです。
来年も再来年も「木犀の香」を感じられますように。
どこから漂ってくるのかな、と思います。川沿いの散歩道ではないので、どこかの庭に植えられているのでしょうね。秋の季節と進行を感じさせてくれます。
<親父逝き・祥月命日・20年>
昨日13日は、親父の祥月命日でした。1906年(明治39年)生まれですから、生きていれば105歳になります。(1991年10月13日の85歳で没)
お寺さんの読経を76歳の姉と二人で聞きました。
聞きながら、時の流れを感じ、出来事を思っていました。
この20年間はやはり、私個人にもいろいろの出来事がありました。
最も大きな出来事は、「離婚」です。
お袋は私の離婚を知らないまま、1990年4月に逝去でした。
5月から親父との二人暮らしを考えて、家を借りた4月下旬(29日)に、親父は「脳梗塞」で倒れ、そのまま1年半の入院でした。
身体が動かせず、喋りもできず、寝たきり状態です。学校以外の活動は一切止めて、勤務終了後は毎日の病院通いでした。親父との会話が無くて、反応も無いことが辛い経験でした。
そして、出来事としては、組合の委員長を10年間も頑張り、38年間の教職で定年退職を迎えたことです。(教え子仲間が催してくれた「退職を祝う会」、今も2005年4月30日の新聞記事を「名刺代わり」に持ち歩いています。体調を崩す中で、私の支えの出来事です。)
散歩の途中で眺めている吉島・江波・観音を結ぶ橋桁ですが、南道路の完成は、江波の町をどのように変えるのか、それまでは何とか元気で生きていたいです。
来年も再来年も「木犀の香」を感じられますように。
2011年09月30日
卯の年も・四分の三が・過ぎにけり!
<散歩道・十五夜さんに・照らされて!>
今月の散歩では二つのことを書いておきます。
一つは、中秋の名月に照らされながら、いつもの通りにのんびりゆったりと歩きました。
リウマチ病院の医師には、「速足で歩くように。」と指示されました。折角の運動が体調づくりに役立ちにくいのだそうです。「腰痛が出て無理なんですよ。」と言い訳しました。
のんびりゆったりだから、散歩が続いているのだと、自分では思っています。
関係して二つ目です。一万歩越えがなかなかできないのです。六千歩、七千歩までは頑張れるのですが。二回に分けてもいいということなのですが、二回の気力は出てきません。
ところが今月は、一日二回で一万歩越えの日が、4回の4日を記録したのです。来月で散歩を始めて3年目になりますが、こんな月はありませんでした。
<丸一年・経過したけど・まだ欲しい!>
今月17日で、禁煙丸一年を経過しました。“散歩の途中、ベンチで一服”“湯上りに一服”“日記途中に一服”などまだまだ吸いたくなります。特に散歩途中にふわ〜と流れてくる匂いには、「何で吸えなくなっちゃったんだ。」と自分を責めたくなることもあります。食後の一服を感じることはないですね。
「閉塞性肺疾患」を告げられて、酸素ボンベを引きながら歩く姿を想像して、禁煙を決意したことに戻ります。
書くことはまだまだありますが、急遽、出掛けなくてはいけなくなりました。
次回は十月です。
今月の散歩では二つのことを書いておきます。
一つは、中秋の名月に照らされながら、いつもの通りにのんびりゆったりと歩きました。
リウマチ病院の医師には、「速足で歩くように。」と指示されました。折角の運動が体調づくりに役立ちにくいのだそうです。「腰痛が出て無理なんですよ。」と言い訳しました。
のんびりゆったりだから、散歩が続いているのだと、自分では思っています。
関係して二つ目です。一万歩越えがなかなかできないのです。六千歩、七千歩までは頑張れるのですが。二回に分けてもいいということなのですが、二回の気力は出てきません。
ところが今月は、一日二回で一万歩越えの日が、4回の4日を記録したのです。来月で散歩を始めて3年目になりますが、こんな月はありませんでした。
<丸一年・経過したけど・まだ欲しい!>
今月17日で、禁煙丸一年を経過しました。“散歩の途中、ベンチで一服”“湯上りに一服”“日記途中に一服”などまだまだ吸いたくなります。特に散歩途中にふわ〜と流れてくる匂いには、「何で吸えなくなっちゃったんだ。」と自分を責めたくなることもあります。食後の一服を感じることはないですね。
「閉塞性肺疾患」を告げられて、酸素ボンベを引きながら歩く姿を想像して、禁煙を決意したことに戻ります。
書くことはまだまだありますが、急遽、出掛けなくてはいけなくなりました。
次回は十月です。
2011年09月01日
今年また・三分の二年 今年また・三分の二が・過ぎ去りし!
今日から9月、東日本大震災からもう直ぐ半年になります。福島原発事故による放射能汚染の収束はいつになるのか、先の見えない不安は半永久的なものになるのかもしれません。地球から「戦争と原発」をなくさない限り、人類の安心は得られないのでしょう。
それでも私たちは、「一日一歩」を生きていくことになります。“老人に安心を若者に希望を!”そのような社会になることを願っています。
<再会で・元気を貰い・厳夏越え!>
この8月も、いろいろな再会劇がありました。
一つ目は8月4日の平和行進。(前の日記で書き込み。)
二つ目は8月13日(土)の「くいしんぼう学級」クラス会。江波山上り口の小さな集会所を借りての「焼き肉お喋り会」でした。大阪からの真衣さんや島根からの上ちゃん、夏ちゃん・まっつん・ゆうしくんと少人数でしたが、気楽で気さくな24歳の若者たちです。二次会は舟入のカラオケでした。上ちゃんとゆうしくんは、私の家に泊まってくれたのに、朝食も出さずに別れました。
三つ目は8月17日(水)の元同職場・同僚のお喋り会でした。私以外は今も現職です。保健室のM教諭、音楽専科のA教諭、臨時教師のY教諭、障害児学級のT教諭、この春ご主人ご逝去のN教諭の6人の集まりでした。それぞれ職場はバラバラですが、大変さは共通でした。未来の主人公である子どもたちを育てる場が、息が詰まるような環境でいいのかな、と強く思いました。
四つ目は8月20日(土)の「グリコ学級」夏のクラス会。この日記に何度も登場しているクラスです。ヒデヒロさんの呼び掛けで、元厚生年金の室内ビアガーデンでありました。44年間の付き合いです。ユミコさん、ヤスコさん、ヨウコさん、ヒロコさん、シゲルさん、二次会からヤスヒロさんも来てくれました。二次会はユミコさんのお友達のお店でした。(40分も歩きました。)
冬のクラス会を12月にすることになりました。
五つ目は8月27日(土)の「石ころ学級」昼食お喋り会。江波在住のガミさん親子とミーコさん親子と一緒に、ファミレスでお喋りしました。9月には、食べて歌って昼食会の予定です。
暑い8月でしたが、毎週のように再会劇に参加して、元気を貰い、過ごすことができました。
体調を整えて、“笑顔のエザゴリ先生”を取り戻したいな、と改めて思いました。
それでも私たちは、「一日一歩」を生きていくことになります。“老人に安心を若者に希望を!”そのような社会になることを願っています。
<再会で・元気を貰い・厳夏越え!>
この8月も、いろいろな再会劇がありました。
一つ目は8月4日の平和行進。(前の日記で書き込み。)
二つ目は8月13日(土)の「くいしんぼう学級」クラス会。江波山上り口の小さな集会所を借りての「焼き肉お喋り会」でした。大阪からの真衣さんや島根からの上ちゃん、夏ちゃん・まっつん・ゆうしくんと少人数でしたが、気楽で気さくな24歳の若者たちです。二次会は舟入のカラオケでした。上ちゃんとゆうしくんは、私の家に泊まってくれたのに、朝食も出さずに別れました。
三つ目は8月17日(水)の元同職場・同僚のお喋り会でした。私以外は今も現職です。保健室のM教諭、音楽専科のA教諭、臨時教師のY教諭、障害児学級のT教諭、この春ご主人ご逝去のN教諭の6人の集まりでした。それぞれ職場はバラバラですが、大変さは共通でした。未来の主人公である子どもたちを育てる場が、息が詰まるような環境でいいのかな、と強く思いました。
四つ目は8月20日(土)の「グリコ学級」夏のクラス会。この日記に何度も登場しているクラスです。ヒデヒロさんの呼び掛けで、元厚生年金の室内ビアガーデンでありました。44年間の付き合いです。ユミコさん、ヤスコさん、ヨウコさん、ヒロコさん、シゲルさん、二次会からヤスヒロさんも来てくれました。二次会はユミコさんのお友達のお店でした。(40分も歩きました。)
冬のクラス会を12月にすることになりました。
五つ目は8月27日(土)の「石ころ学級」昼食お喋り会。江波在住のガミさん親子とミーコさん親子と一緒に、ファミレスでお喋りしました。9月には、食べて歌って昼食会の予定です。
暑い8月でしたが、毎週のように再会劇に参加して、元気を貰い、過ごすことができました。
体調を整えて、“笑顔のエザゴリ先生”を取り戻したいな、と改めて思いました。
2011年08月07日
三十度・毎日越えても・早や立秋!
<暦では・今日節分で・明日立秋!>
今日(7日)、大好きな高校野球を見ていると、グリコ学級のヒデヒロくんから電話が入りました。「毎日暑いねえ。先生、元気なんかいね。13日にいつものようにクラス会するよ。」
「ごめん。13日は若者のクラス会じゃ。それで、また電気プレート貸して。」
「遅かったか。また連絡するけえ。プレートは持って行ったげるけえ。」
この日記で何回も書いているグリコ学級は、今から44年前、私が教員のスタートした時、4年生の1年間を担任した大切な学級です。(4年生は10歳ですから、今年は54歳にも。)
結局、グリコ学級は20日に決まりました。(毎年、ほんとに、有難いことです。遠くからの帰省する友には会えないのだけれど。)
<今年また・平和行進・継続に!>
前回の日記で書いたように、今年は、「平和行進の案内」ができませんでした。十数年来継続してきた教え子と歩くことは、途絶えると思っていました。
ところが、今年もまた、グリコ学級のヤスコさんが親子で参加してくれました。息子さんは24歳だそうです。感謝!感謝!感謝で感激!!
太陽光アレルギーの再発を気にしながらの行進でしたが、3日経過の今日ですが、発症していません。明日の皮膚科通院で、医師に報告できます。
<66年・私の被爆は・明後日!>
去年の9月、禁煙の契機になったのは「甲状腺の異常」でした。体調の変化が気になり、検査結果で「閉塞性肺疾患」診断を受けました。一人での禁煙は無理だったので、医師・看護師の援助を受けました。後10日間で「禁煙11ヶ月」になります。それでも、今夜、夕食後の散歩では、一人の寂しさもあり“ああ、たばこが吸いたいなあ!”と思いました。
それにしても、この1年間の極端な体調異常は、ただ、年を取った=老化現象なのでしょうか。昨年末には「リュウマチ」診断、高血圧に中性脂肪増、狭心症は「カテーテル手術」、腰痛にひどい咳と病院通いだけでも「大いなるストレス」状況に陥っています。
被爆者のための「健康管理手当」(「被爆者医療特別手当」ではなく。)を申請したいと思いましたが、どの病院の医師も、「被爆との関係が判らないから。」と取り上げてくれません。
広島市の新しい市長が言うように、「医療費免除の援助にも、感謝を。」と思うべきなのかな、と考えてしまいます。
<見付けたぞ・夾竹桃の・花の色!>
夾竹桃は、たしか広島市の花ではなかったかしら。原爆投下後の荒れ果てた街に、咲かせた花が夾竹桃だったと聞いたことがあります。
私は、つい先日まで、「赤と白」の2色だとばかり思っていました。散歩の時、気付いたのです。
「紅・赤・桃・白」の4色が基本なのでは、と思いました。そしてひとかたまりの中に、それぞれが混じっているのです。ビロードのように光る紅色、淡いピンクの可憐な花びら、などなど眺めていると、不思議な気持ちになりました。(花言葉は何だろうな?)
今日(7日)、大好きな高校野球を見ていると、グリコ学級のヒデヒロくんから電話が入りました。「毎日暑いねえ。先生、元気なんかいね。13日にいつものようにクラス会するよ。」
「ごめん。13日は若者のクラス会じゃ。それで、また電気プレート貸して。」
「遅かったか。また連絡するけえ。プレートは持って行ったげるけえ。」
この日記で何回も書いているグリコ学級は、今から44年前、私が教員のスタートした時、4年生の1年間を担任した大切な学級です。(4年生は10歳ですから、今年は54歳にも。)
結局、グリコ学級は20日に決まりました。(毎年、ほんとに、有難いことです。遠くからの帰省する友には会えないのだけれど。)
<今年また・平和行進・継続に!>
前回の日記で書いたように、今年は、「平和行進の案内」ができませんでした。十数年来継続してきた教え子と歩くことは、途絶えると思っていました。
ところが、今年もまた、グリコ学級のヤスコさんが親子で参加してくれました。息子さんは24歳だそうです。感謝!感謝!感謝で感激!!
太陽光アレルギーの再発を気にしながらの行進でしたが、3日経過の今日ですが、発症していません。明日の皮膚科通院で、医師に報告できます。
<66年・私の被爆は・明後日!>
去年の9月、禁煙の契機になったのは「甲状腺の異常」でした。体調の変化が気になり、検査結果で「閉塞性肺疾患」診断を受けました。一人での禁煙は無理だったので、医師・看護師の援助を受けました。後10日間で「禁煙11ヶ月」になります。それでも、今夜、夕食後の散歩では、一人の寂しさもあり“ああ、たばこが吸いたいなあ!”と思いました。
それにしても、この1年間の極端な体調異常は、ただ、年を取った=老化現象なのでしょうか。昨年末には「リュウマチ」診断、高血圧に中性脂肪増、狭心症は「カテーテル手術」、腰痛にひどい咳と病院通いだけでも「大いなるストレス」状況に陥っています。
被爆者のための「健康管理手当」(「被爆者医療特別手当」ではなく。)を申請したいと思いましたが、どの病院の医師も、「被爆との関係が判らないから。」と取り上げてくれません。
広島市の新しい市長が言うように、「医療費免除の援助にも、感謝を。」と思うべきなのかな、と考えてしまいます。
<見付けたぞ・夾竹桃の・花の色!>
夾竹桃は、たしか広島市の花ではなかったかしら。原爆投下後の荒れ果てた街に、咲かせた花が夾竹桃だったと聞いたことがあります。
私は、つい先日まで、「赤と白」の2色だとばかり思っていました。散歩の時、気付いたのです。
「紅・赤・桃・白」の4色が基本なのでは、と思いました。そしてひとかたまりの中に、それぞれが混じっているのです。ビロードのように光る紅色、淡いピンクの可憐な花びら、などなど眺めていると、不思議な気持ちになりました。(花言葉は何だろうな?)
2011年07月22日
今年また・平和行進・あるけれど?
<教え子と・歩き始めて・十数年!>
5月6日に東京をスタートした国民平和大行進、この3か月間に北海道や沖縄、四国も含めて、全国を網の目のように其々の地域で取り組まれてきました。今年で54回目です。私が教員になる10年も前から始まっていたんですね。“ノーモアヒロシマ!ノーモアナガサキ!ノーモアヒバクシャ!!”をスローガンに。今年は「フクシマ」が加わることでしょう。
教員になって何年目からか、夏の行事として参加するようになりました。右翼の街宣車に妨害されたり脅されたりしたこともありました。
教え子に参加を呼び掛けて10数年です。10歳から50歳代まで、親子参加、友人との参加、ご夫婦での参加と様々です。何年振りいや何十年振りの再会もありました。去年の行進は、グリコ学級(初めての担任クラスで当時4年生10歳。今は50代半ばかな。)の好太郎夫妻と康子さんが一緒でした。「教え子と共に歩く」ことを繋いでくれたと大感激でした。
通信を出さなくなって何年なのかな。去年、康子さんや好太郎くんは行進の日時をどうやって知ったのかな?
今年も通信を出せていません。例年通り8月4日(今年は木曜日)9:30に西区新庄橋北詰をスタートします。11:30に3コースからの集結集会を平和公園噴水前で行います。
体調には不安もありますが、なんとしても、歩きたいです。
<太陽光・アレルギーにて・昼出れず!>
6月24日の夕方、第26回網の目平和行進(26年前、私の呼び掛けで始めた活動。)に参加したことで、今年も手足にアレルギーが出ました。皮膚科の診断を受け今は、薬服用と塗り薬でずいぶん治まりました。散歩も今は夜です。(夜十時頃は涼しいです。)台風6号接近時には、朝方と夕方長袖長ズボンで歩きました。
2月の「狭心症・カテーテル手術」後は、夜の会議、会合などへの参加はしていません。くいしんぼう学級の裕史くんから、6月に食事会の誘いを受けました。教え子の誘いを断ったのは初めてでした。夜、動くことには不安を感じています。
平和行進もありますし、ひょっとしたらクラス会の案内があるかも、と思い、夜の散歩で体を慣らしている感じです。
<案の定・掲示板にて・励ましが!>
掲示板に書き込みをなかなかしてくれない裕史くんとまっつんが、「先生、閉じ篭もっていないで、食事しよう。」と書き込みをしてくれました。
きっと近いうちに、夜の食事会にも参加できる元気が取り戻せることを、自分で願っています。横川の飲み屋さんにもずいぶんと顔を出していないからね。
5月6日に東京をスタートした国民平和大行進、この3か月間に北海道や沖縄、四国も含めて、全国を網の目のように其々の地域で取り組まれてきました。今年で54回目です。私が教員になる10年も前から始まっていたんですね。“ノーモアヒロシマ!ノーモアナガサキ!ノーモアヒバクシャ!!”をスローガンに。今年は「フクシマ」が加わることでしょう。
教員になって何年目からか、夏の行事として参加するようになりました。右翼の街宣車に妨害されたり脅されたりしたこともありました。
教え子に参加を呼び掛けて10数年です。10歳から50歳代まで、親子参加、友人との参加、ご夫婦での参加と様々です。何年振りいや何十年振りの再会もありました。去年の行進は、グリコ学級(初めての担任クラスで当時4年生10歳。今は50代半ばかな。)の好太郎夫妻と康子さんが一緒でした。「教え子と共に歩く」ことを繋いでくれたと大感激でした。
通信を出さなくなって何年なのかな。去年、康子さんや好太郎くんは行進の日時をどうやって知ったのかな?
今年も通信を出せていません。例年通り8月4日(今年は木曜日)9:30に西区新庄橋北詰をスタートします。11:30に3コースからの集結集会を平和公園噴水前で行います。
体調には不安もありますが、なんとしても、歩きたいです。
<太陽光・アレルギーにて・昼出れず!>
6月24日の夕方、第26回網の目平和行進(26年前、私の呼び掛けで始めた活動。)に参加したことで、今年も手足にアレルギーが出ました。皮膚科の診断を受け今は、薬服用と塗り薬でずいぶん治まりました。散歩も今は夜です。(夜十時頃は涼しいです。)台風6号接近時には、朝方と夕方長袖長ズボンで歩きました。
2月の「狭心症・カテーテル手術」後は、夜の会議、会合などへの参加はしていません。くいしんぼう学級の裕史くんから、6月に食事会の誘いを受けました。教え子の誘いを断ったのは初めてでした。夜、動くことには不安を感じています。
平和行進もありますし、ひょっとしたらクラス会の案内があるかも、と思い、夜の散歩で体を慣らしている感じです。
<案の定・掲示板にて・励ましが!>
掲示板に書き込みをなかなかしてくれない裕史くんとまっつんが、「先生、閉じ篭もっていないで、食事しよう。」と書き込みをしてくれました。
きっと近いうちに、夜の食事会にも参加できる元気が取り戻せることを、自分で願っています。横川の飲み屋さんにもずいぶんと顔を出していないからね。
2011年06月30日
今年早や・二分の一が・過ぎにけり!
<体調の・よくなることは・無いみたい!>
出だしたら、止まることなく激しい席になります。昨年秋から通院している呼吸器内科での診察は「リュウマチ肺炎」かもということでした。昨年暮れから通院を始めたリュウマチ内科でレントゲン検査を受けてみました。半年前の写真と比べても、変化なしということでした。
改めて咳について相談しました。「肺のCT」検査ということで、放射線科を紹介されました。肺のCT撮影は初めてのことです。5分程で終わりました。(脳の時は20分かかりました。)
診断では、禁煙のきっかけにもなった「閉塞性肺疾患」(COPD)を改めて言われました。もう少し悪化すれば「肺気腫そして肺がん」だそうです。がんの腫瘍は見当たらず、ぶどう状の肺胞が機能不全(つぶれている。)に陥っているということです。元に戻ることはなくて、進行をストップさせることが治療だそうです。その意味では、禁煙はギリギリの選択だったと言えるそうです。
咳の原因については、ここでも分からないままです。呼吸器内科に戻されました。
<どうしても・書いておかなきゃ・結婚式!>
先月5月22日、くいしんぼう学級ふくちゃんの結婚式・披露宴に招待されました。事前に、祝辞の一言の案内は貰っていました。が、「新郎側代表の上司」に対峙する「新婦側代表の恩師」としての祝辞でした。披露宴途中の盛り上げくらいに思っていましたから、ちょっと驚きでしたよ。(卒業学年担任だったわけでもないし、小学校中学年での出会いだっただけですから。)
結局、一番大事なことを言い忘れました。(メモの準備もしていなくて、想定外でしたから。)
“人はその字の形から、支え合って生きていきます。人間として支え合いながら人の間で生きていきます。出会いとつながりを大事に大事にしてください!!”(ここに残しておきます。)
“ふくちゃん、おめでとう!そしてありがとう!”
<思い出す・悩んだあの日・悲しい日!>
1991年10月13日のことです。(私は47歳になっていました。)
教員としてスタートしたE小学校、8年目で3年生を担任しました。(30歳かな。)年度末の不意の転勤で、1年間の担任になりました。
この不意転に対し、親御さんたちはすごく怒ったそうです。学級のたくさんの親御さんが、市の教育長室に押しかけて「転勤撤回」を要求されたというエピソードがあります。私は知らなかったのですが、職場仲間から聞きました。
この時担任した一人にK子さんがいました。
私はE小からF小、K小そしてM小と転勤しました。M小転勤は45歳でした。(1990年4月)
K子さんとの15,6年振りの再会は、F小のありんこ学級O子さんとのつながりからだったと思います。(中学校で同級になり、私のことが話題になったとか。)
そのK子さんに依頼されたのが、新婦側代表の祝辞でした。E小で3年生というわずか1年間の担任だったのに、すごく光栄に思い、感謝したものでした。何を話そうかと学級通信やK子さんのことを思い出す資料を探しました。たまたま1枚の作文が見付かりました。準備をしてその日を楽しみに待ちました。その日が10月13日でした。
当時、私の母が逝去した後、父は脳梗塞で倒れ、寝たままの状態になり話すこともできず入院していました。入院して1年半、私は勤務終了後、毎日の病院通いでした。(せめてもの親不孝の罪滅ぼしの気持ち。)12日の夜半から、容態が悪化しました。そして13日の朝、静かにこの世を去りました。
K子さんとの約束の日です。私は悩みました。親不孝してきたことと長男の自覚から、K子さんに「ごめんなさい。」の電話をしました。悲しい気持ちで、めでたい結婚・披露宴への出席を私は、認めることができませんでした。
この判断について、ずっと、間違っていたのではと今でも後悔しています。
ふくちゃんの結婚式・披露宴に招かれ、祝辞依頼を受けてからも、K子さんのことと、きちんとお詫びもできなかったこととが、改めて悔やまれています。
その後、K子さんとは疎遠になってしまいました。大事な友を自分で見失ってしまったのです。
出だしたら、止まることなく激しい席になります。昨年秋から通院している呼吸器内科での診察は「リュウマチ肺炎」かもということでした。昨年暮れから通院を始めたリュウマチ内科でレントゲン検査を受けてみました。半年前の写真と比べても、変化なしということでした。
改めて咳について相談しました。「肺のCT」検査ということで、放射線科を紹介されました。肺のCT撮影は初めてのことです。5分程で終わりました。(脳の時は20分かかりました。)
診断では、禁煙のきっかけにもなった「閉塞性肺疾患」(COPD)を改めて言われました。もう少し悪化すれば「肺気腫そして肺がん」だそうです。がんの腫瘍は見当たらず、ぶどう状の肺胞が機能不全(つぶれている。)に陥っているということです。元に戻ることはなくて、進行をストップさせることが治療だそうです。その意味では、禁煙はギリギリの選択だったと言えるそうです。
咳の原因については、ここでも分からないままです。呼吸器内科に戻されました。
<どうしても・書いておかなきゃ・結婚式!>
先月5月22日、くいしんぼう学級ふくちゃんの結婚式・披露宴に招待されました。事前に、祝辞の一言の案内は貰っていました。が、「新郎側代表の上司」に対峙する「新婦側代表の恩師」としての祝辞でした。披露宴途中の盛り上げくらいに思っていましたから、ちょっと驚きでしたよ。(卒業学年担任だったわけでもないし、小学校中学年での出会いだっただけですから。)
結局、一番大事なことを言い忘れました。(メモの準備もしていなくて、想定外でしたから。)
“人はその字の形から、支え合って生きていきます。人間として支え合いながら人の間で生きていきます。出会いとつながりを大事に大事にしてください!!”(ここに残しておきます。)
“ふくちゃん、おめでとう!そしてありがとう!”
<思い出す・悩んだあの日・悲しい日!>
1991年10月13日のことです。(私は47歳になっていました。)
教員としてスタートしたE小学校、8年目で3年生を担任しました。(30歳かな。)年度末の不意の転勤で、1年間の担任になりました。
この不意転に対し、親御さんたちはすごく怒ったそうです。学級のたくさんの親御さんが、市の教育長室に押しかけて「転勤撤回」を要求されたというエピソードがあります。私は知らなかったのですが、職場仲間から聞きました。
この時担任した一人にK子さんがいました。
私はE小からF小、K小そしてM小と転勤しました。M小転勤は45歳でした。(1990年4月)
K子さんとの15,6年振りの再会は、F小のありんこ学級O子さんとのつながりからだったと思います。(中学校で同級になり、私のことが話題になったとか。)
そのK子さんに依頼されたのが、新婦側代表の祝辞でした。E小で3年生というわずか1年間の担任だったのに、すごく光栄に思い、感謝したものでした。何を話そうかと学級通信やK子さんのことを思い出す資料を探しました。たまたま1枚の作文が見付かりました。準備をしてその日を楽しみに待ちました。その日が10月13日でした。
当時、私の母が逝去した後、父は脳梗塞で倒れ、寝たままの状態になり話すこともできず入院していました。入院して1年半、私は勤務終了後、毎日の病院通いでした。(せめてもの親不孝の罪滅ぼしの気持ち。)12日の夜半から、容態が悪化しました。そして13日の朝、静かにこの世を去りました。
K子さんとの約束の日です。私は悩みました。親不孝してきたことと長男の自覚から、K子さんに「ごめんなさい。」の電話をしました。悲しい気持ちで、めでたい結婚・披露宴への出席を私は、認めることができませんでした。
この判断について、ずっと、間違っていたのではと今でも後悔しています。
ふくちゃんの結婚式・披露宴に招かれ、祝辞依頼を受けてからも、K子さんのことと、きちんとお詫びもできなかったこととが、改めて悔やまれています。
その後、K子さんとは疎遠になってしまいました。大事な友を自分で見失ってしまったのです。
2011年05月01日
4月過ぎ・今年も三分の・一経過!
今年は、年賀状も出せないままスタートしました。昨日の4月末で、改めて思いました。(今年も三分の一を生きてきたんだ。)と。
私が利用しているカレンダーは、3カ月ごとに区切ってあります。或る印刷会社のカレンダーですが、活動を計画するうえでは、とても便利です。
半年前までは、3カ月先までの予定がびっしり書き込んでありました。体調を崩して、諸活動から身を引いたことで、空白日が目立ちます。
一番、目に付くのは、通院予定日の書き込みです。心臓・リュウマチ・呼吸器・脳外科は4週に一度の予約通院です。リハビリが主の整形外科は可能な日に行きます。この通院生活は、結構疲れます。
最近は歯の痛みもひどいですし、頻尿も気になっていますが、病院通いは「もう、いや!」の気持ちです。
<腰痛と・咳き込みひどく・気も重し>
腰痛については、日記でも度々書いてきました。体を動かすのも嫌になります。
その上に、このところは、咳き込みがひどく激しくなってきました。どんな時に咳が出るのか、かなり気にしているのですが、突然、ノドのもやもやを感じたら、出始めます。
出始めたら、吐くのでは・呼吸が止まるのでは・頭に血が上る・クラクラして倒れるのでは、、、と腹が痛くなるほど激しく咳き込みます。短時間なのですが、ものすごくエネルギーを消費した感じで、超疲れます。一日に何十回もの咳き込みなのです。
出掛けるのも、おっくうです。(咳き込んだら、どうしよう。と心配になります。)
<今月は・結婚式での・再会が!>
2月に聞いていた、フクちゃんの結婚式が、今月22日、元宇品のホテルで挙行されます。
私には案内が届かないので、半分あきらめていました。私の住所が分からなくなっていたということでした。祝辞の依頼もありました。「一言お言葉を賜りますように」との依頼ですが、プログラムのどこで、何分くらいを考えたらいいのでしょう。(どなたか、教えてください。)
それにしても、教え子の結婚式は、何十年振りの顔出しになるのかな。
今月の再会で、一番の楽しみができました。(咳き込んだらどうしょう?)
私が利用しているカレンダーは、3カ月ごとに区切ってあります。或る印刷会社のカレンダーですが、活動を計画するうえでは、とても便利です。
半年前までは、3カ月先までの予定がびっしり書き込んでありました。体調を崩して、諸活動から身を引いたことで、空白日が目立ちます。
一番、目に付くのは、通院予定日の書き込みです。心臓・リュウマチ・呼吸器・脳外科は4週に一度の予約通院です。リハビリが主の整形外科は可能な日に行きます。この通院生活は、結構疲れます。
最近は歯の痛みもひどいですし、頻尿も気になっていますが、病院通いは「もう、いや!」の気持ちです。
<腰痛と・咳き込みひどく・気も重し>
腰痛については、日記でも度々書いてきました。体を動かすのも嫌になります。
その上に、このところは、咳き込みがひどく激しくなってきました。どんな時に咳が出るのか、かなり気にしているのですが、突然、ノドのもやもやを感じたら、出始めます。
出始めたら、吐くのでは・呼吸が止まるのでは・頭に血が上る・クラクラして倒れるのでは、、、と腹が痛くなるほど激しく咳き込みます。短時間なのですが、ものすごくエネルギーを消費した感じで、超疲れます。一日に何十回もの咳き込みなのです。
出掛けるのも、おっくうです。(咳き込んだら、どうしよう。と心配になります。)
<今月は・結婚式での・再会が!>
2月に聞いていた、フクちゃんの結婚式が、今月22日、元宇品のホテルで挙行されます。
私には案内が届かないので、半分あきらめていました。私の住所が分からなくなっていたということでした。祝辞の依頼もありました。「一言お言葉を賜りますように」との依頼ですが、プログラムのどこで、何分くらいを考えたらいいのでしょう。(どなたか、教えてください。)
それにしても、教え子の結婚式は、何十年振りの顔出しになるのかな。
今月の再会で、一番の楽しみができました。(咳き込んだらどうしょう?)
2011年04月27日
今月も・再会楽し・野球場!
写真はりつけテスト
遅ればせながら、26日(火)の野球観戦を書いておきます。
歯車学級のトモキくんは阪神フアンです。午後3時、広島駅前で待ち合わせしました。
去年の11月以来の再会です。ズーム球場までゆっくりのんびり歩きました。曇りの
予定だったのに、太陽が顔を出す温かさでした。
トモキくんの希望で、「砂かぶり席」を購入しました。もちろん、三塁側です。選手と
グランドがすぐ目の前です。
内野から外野、1階席から3階席まで、球場内をこれまたのんびり・ぶらぶら歩きました。
トモキくんは、たばこを止めていないので、喫煙所にも付き合いました。
<試合では・カープの勝利・すんません!>
ズーム球場の阪神戦は初めてでした。旧市民球場では、トモキくんといろんなメンバーを
誘って、阪神戦を観戦しました。私の次女親子と一緒だったこともあります。(懐かしい
思い出です。)
私のズーム球場観戦は、去年の夏以来二度目です。(グリコのヒデヒロさんにチケットを
貰って、一人で行きました。試合結果は覚えていません。)
この阪神戦は、7回裏、広瀬の逆転スリーランでカープの勝利でした。前健が2勝目をプレ
ゼントしてもらった感じでした。阪神フアンのトモキくんには、申し訳ないです。
掲載のヒーローインタビューは、広瀬と前健です。トモキくんが私のデジカメで撮影してく
れました。
私は、ブログへの写真掲載の方法を知りません。トモキくんが載せてくれました。
この日記文も合わせて、掲載できるといいのですが。
うまく掲載できたら、「トモキくん、ありがとうね!」です。
2011年04月14日
三月の・再会やはり・書いておく!
4月も半ばになりました。3月の日記を書いていないことが気になります。
<それぞれの・巣立ち旅立ち・祈念して!>
一つ目は、3月2日(水)、「くいしんぼう学級」との再会です。24,5歳の学級ですが、この数年間では度々の再会をしています。
マイさんが、結婚と就活のため広島を離れるということで、励ましの会をもつことになりました。それだけではありませんでした。
フクちゃんが近々結婚することも分かりました。さらにナッちゃんが、自立へ向けて家を出ることも分かりました。
2年振り再会のミエさんの正社員採用の祝いも兼ねて、ゆうしくん、まっつん、よしくんたちの参加もあり、楽しいお喋りの会をもつことができました。ナッちゃんのお世話で、横川の「鶴一」というお店でした。
(私は退院明けでもあり、体調のしんどさ感じて、一次会で別れました。)
二つ目は、3月14日(月)に「お手紙学級」との再会がありました。22,3歳の学級です。「月」曜日実施を聞いた時には、ちょっと驚きでした。お世話役のアッちゃんの話では、バイトや仕事の関係から、この日が集まり易いということでした。
彼女、彼らの多くが、この3月で学生を終えて、4月から新たなスタートということでした。
12年振りでアユミさん、リサさん、タカシくんにも再会できました。アズサさん、ヒロコさん、クミコさん、それにタカノリくん、ユウタくんと私を含めて10人の集いでした。
それぞれが、いろいろな仕事に就き、広島を離れる子もいます。
(この学級のこの集まりは、二度と無いだろうな、なぜかふと、そんな気がしました。)
三つ目は、14日の続きみたいな感じです。ユウタくんが、3月20日(日)にユウタくんの彼女(ヒカリさん)との食事会をもってくれました。これは、嬉しかったですね。アズサさんのバイト先でした。“しゃぶしゃぶ”が美味しかったし、二重三重の喜びでした。
3月30日(水)には、「最後で最初の同志の会」と称して、元教員仲間10名で集まりました。友人のタケオ氏が、孫・子の居る大阪に転居するということで、声を掛けました。
親友のヒロシ氏と私の二人は生涯平教員を貫き、あとの8名は校長・教頭・大学人で、広島の教育を支えてきた仲間なのかな、と思っています。山口県のミチオ氏とは、約40年振りの再会で感激でした。
<それぞれの・巣立ち旅立ち・祈念して!>
一つ目は、3月2日(水)、「くいしんぼう学級」との再会です。24,5歳の学級ですが、この数年間では度々の再会をしています。
マイさんが、結婚と就活のため広島を離れるということで、励ましの会をもつことになりました。それだけではありませんでした。
フクちゃんが近々結婚することも分かりました。さらにナッちゃんが、自立へ向けて家を出ることも分かりました。
2年振り再会のミエさんの正社員採用の祝いも兼ねて、ゆうしくん、まっつん、よしくんたちの参加もあり、楽しいお喋りの会をもつことができました。ナッちゃんのお世話で、横川の「鶴一」というお店でした。
(私は退院明けでもあり、体調のしんどさ感じて、一次会で別れました。)
二つ目は、3月14日(月)に「お手紙学級」との再会がありました。22,3歳の学級です。「月」曜日実施を聞いた時には、ちょっと驚きでした。お世話役のアッちゃんの話では、バイトや仕事の関係から、この日が集まり易いということでした。
彼女、彼らの多くが、この3月で学生を終えて、4月から新たなスタートということでした。
12年振りでアユミさん、リサさん、タカシくんにも再会できました。アズサさん、ヒロコさん、クミコさん、それにタカノリくん、ユウタくんと私を含めて10人の集いでした。
それぞれが、いろいろな仕事に就き、広島を離れる子もいます。
(この学級のこの集まりは、二度と無いだろうな、なぜかふと、そんな気がしました。)
三つ目は、14日の続きみたいな感じです。ユウタくんが、3月20日(日)にユウタくんの彼女(ヒカリさん)との食事会をもってくれました。これは、嬉しかったですね。アズサさんのバイト先でした。“しゃぶしゃぶ”が美味しかったし、二重三重の喜びでした。
3月30日(水)には、「最後で最初の同志の会」と称して、元教員仲間10名で集まりました。友人のタケオ氏が、孫・子の居る大阪に転居するということで、声を掛けました。
親友のヒロシ氏と私の二人は生涯平教員を貫き、あとの8名は校長・教頭・大学人で、広島の教育を支えてきた仲間なのかな、と思っています。山口県のミチオ氏とは、約40年振りの再会で感激でした。
2011年04月12日
日記にも・気持ちが乗らず・大震災!
2月の退院時に書き込んだ後、3.11を見聞きして、落ち込む毎日です。
やっと一か月経過と思ったら、「余震・余震・余震、、、」の報道です。東北・関東在住者、被災者のみなさんの心境は如何ばかりかと、不安になります。(ノイローゼ自殺が増えませんように!)
私の一番大きな不安は、「福島第一原発の事故」です。放射能汚染は、空気・土地・水そして海へと確実に拡大しています。目に見えない、肌で感じられないなど五感で受け止めることができないだけに、その不安は大きくなります。
東電社長は「廃炉せざるをえない。」とコメントしたけれど、「廃炉」の作業に取り掛かるまででも、何年も何十年もの経過になる状況です。(私の存命中には見られない、気の遠くなる時間。)
事故を起こした「原子炉」と直接に向き合い、作業に従事している労働者は、何百人居るのでしょうか。(被曝した3名の労働者のその後は知らされていません。)
季節の移り変わりとともに、蒸し暑い梅雨そして真夏の暑さがやってきます。防護服で身を固めての作業は、どんな困難を生み出すのでしょう?
世界の英知を今こそ、日本に結集させる動きを作り出す役割は、だれにあるのでしょうか?
やっと一か月経過と思ったら、「余震・余震・余震、、、」の報道です。東北・関東在住者、被災者のみなさんの心境は如何ばかりかと、不安になります。(ノイローゼ自殺が増えませんように!)
私の一番大きな不安は、「福島第一原発の事故」です。放射能汚染は、空気・土地・水そして海へと確実に拡大しています。目に見えない、肌で感じられないなど五感で受け止めることができないだけに、その不安は大きくなります。
東電社長は「廃炉せざるをえない。」とコメントしたけれど、「廃炉」の作業に取り掛かるまででも、何年も何十年もの経過になる状況です。(私の存命中には見られない、気の遠くなる時間。)
事故を起こした「原子炉」と直接に向き合い、作業に従事している労働者は、何百人居るのでしょうか。(被曝した3名の労働者のその後は知らされていません。)
季節の移り変わりとともに、蒸し暑い梅雨そして真夏の暑さがやってきます。防護服で身を固めての作業は、どんな困難を生み出すのでしょう?
世界の英知を今こそ、日本に結集させる動きを作り出す役割は、だれにあるのでしょうか?
2011年02月22日
退院を・祝うが如く・春日和!
昨日(2月21日・月)退院しました。入院日が雨でしたから、温かい気持ちで退院できました。
<吉報は・カテーテル手術で・済んだこと>
入院二日目の15日午後2時前、63歳の弟に見送られながら、手術室に入りました。
左腕には、造影剤を排出するための点滴を1時間前に取り付けていました。(何故か、左肘内側ではなく、左手首上側の静脈でした。)
検査のためにカテーテルを右手首の動脈から挿入するために、部分麻酔・痛み止めを打ちました。効きが弱いので、他の患者より量を増やしたそうです。
造影剤を何度も流し込みながら、検査を進めていきます。心臓左側の血管はきれいだそうで、右側の冠動脈が映し出されました。きゅっと萎んでいる部分が見えました。私には2ケ所と見えましたが、診断は1ケ所でした。
医師は、「このまま続けて、カテーテル手術に入るが。」と話しかけてきました。私に確認した後、弟にも了解を得に行ったということでした。
萎んだところを一度風船のようなもので膨らませて、萎むのを防ぐネットのようなものを入れ込むのだそうです。(事前に説明を受けていました。)
血管が膨らむ(元に戻る。)という歴史的な場面(瞬間)をぜひ見たいと思いました。
ところが、ずっと気になっていた脈拍音の乱れが一層激しくなりました。(リラックスして、と何度も言われました。)
目を閉じて、気持ちを落ち着けるように頑張りました。でも、脈拍音の乱れ打ちが余計に、手術室に響き渡ります。(落ち着け、落ち着け。)
「不整脈」のひどい表れだったそうです。
結局はその瞬間を見ることができませんでした。(口惜しい、残念!)約2時間掛かりました。
右手首の動脈をきつく抑え込む器具を固定しました。
右手は動かせず、点滴の左手を使い、トイレにも行きました。
術後、不整脈検査の器具を心臓を中心に3ケ所取り付けました。(この器具は、4日間も付けました。)
ともあれ、狭心症・心筋梗塞で倒れる前に、カテーテル手術で済んだことを「吉報」と考えたいです。そして、入院中の血圧が術後は正常値になりました。薬服用の効果を初めて感じました。(正常値の維持には、食事管理だと言われました。)
「不整脈」と「高脂血症」の診断が改めて増えました。入院中も腰痛がひどく、気が重くなるばかりでした。
タイトルから離れた文末になりましたね。
<吉報は・カテーテル手術で・済んだこと>
入院二日目の15日午後2時前、63歳の弟に見送られながら、手術室に入りました。
左腕には、造影剤を排出するための点滴を1時間前に取り付けていました。(何故か、左肘内側ではなく、左手首上側の静脈でした。)
検査のためにカテーテルを右手首の動脈から挿入するために、部分麻酔・痛み止めを打ちました。効きが弱いので、他の患者より量を増やしたそうです。
造影剤を何度も流し込みながら、検査を進めていきます。心臓左側の血管はきれいだそうで、右側の冠動脈が映し出されました。きゅっと萎んでいる部分が見えました。私には2ケ所と見えましたが、診断は1ケ所でした。
医師は、「このまま続けて、カテーテル手術に入るが。」と話しかけてきました。私に確認した後、弟にも了解を得に行ったということでした。
萎んだところを一度風船のようなもので膨らませて、萎むのを防ぐネットのようなものを入れ込むのだそうです。(事前に説明を受けていました。)
血管が膨らむ(元に戻る。)という歴史的な場面(瞬間)をぜひ見たいと思いました。
ところが、ずっと気になっていた脈拍音の乱れが一層激しくなりました。(リラックスして、と何度も言われました。)
目を閉じて、気持ちを落ち着けるように頑張りました。でも、脈拍音の乱れ打ちが余計に、手術室に響き渡ります。(落ち着け、落ち着け。)
「不整脈」のひどい表れだったそうです。
結局はその瞬間を見ることができませんでした。(口惜しい、残念!)約2時間掛かりました。
右手首の動脈をきつく抑え込む器具を固定しました。
右手は動かせず、点滴の左手を使い、トイレにも行きました。
術後、不整脈検査の器具を心臓を中心に3ケ所取り付けました。(この器具は、4日間も付けました。)
ともあれ、狭心症・心筋梗塞で倒れる前に、カテーテル手術で済んだことを「吉報」と考えたいです。そして、入院中の血圧が術後は正常値になりました。薬服用の効果を初めて感じました。(正常値の維持には、食事管理だと言われました。)
「不整脈」と「高脂血症」の診断が改めて増えました。入院中も腰痛がひどく、気が重くなるばかりでした。
タイトルから離れた文末になりましたね。
2011年02月08日
最大の・原因これか・狭心症?
<心身の・疲れを感じ・やる気出ず>
この2年間、体調不調を感じ続けてきました。
息切れ、動悸、むくみ、不眠症、などなどが出てきました。65歳の若さにも関わらず、何事にもやる気が出てこないのです。
今年は、初めて、年賀状を1枚も書けませんでした。机上に400枚の年賀はがきを去年の11月から置きっ放しです。教え子・友人仲間に、申し訳なく思っています。日記も書くことができませんでした。
22歳・54歳の教え子から、心配のメールが届きました。
<原因を・心臓検査で・見つけ出し!>
禁煙21週が過ぎました。来週16日で丸5ケ月の頑張りになります。時を同じくして、甲状腺異常で健康センターへ、閉塞性肺疾患で呼吸器内科へ、むくみ・関節痛でリウマチ内科へと病院通いが増えました。通院にもすごくエネルギーが要ります。(通院疲れをほんとうに感じました。)
息切れ・動悸を強く感じるようになりました。1月半ばから、心臓検査が続きました。
そして今日(2月8日)、診断を受けました。「狭心症」と診断されました。エコー画像で、何本かの血管の一部が細く細く写っていました。
14日(月)入院・15日再検査そして手術ということになりました。
悪い体調の一番の原因が、心臓だったのかもしれないと私は思いました。
それだけに、手術成功後の体調状況が楽しみになりました。
<教え子と・続くぞ今年も・再会が!>
年賀状を1枚も出せなかった2011年・卯年のスタートでした。
それでも、1月20日(木)には「石ころ学級」(今年51歳かな。)の男性2人と食事&飲み会を三次会まで。22日(土)には「くいしんぼう学級」(24歳かな。)の男子2人と食事&飲み会でした。さらに、2月6日(日)には、「くいしんぼう学級」の女子3人と夕方にお茶しました。
3月3日に男女で集まることになりそうです。
次の日記は、退院後になります。吉報を楽しみにしてくださいね。
この2年間、体調不調を感じ続けてきました。
息切れ、動悸、むくみ、不眠症、などなどが出てきました。65歳の若さにも関わらず、何事にもやる気が出てこないのです。
今年は、初めて、年賀状を1枚も書けませんでした。机上に400枚の年賀はがきを去年の11月から置きっ放しです。教え子・友人仲間に、申し訳なく思っています。日記も書くことができませんでした。
22歳・54歳の教え子から、心配のメールが届きました。
<原因を・心臓検査で・見つけ出し!>
禁煙21週が過ぎました。来週16日で丸5ケ月の頑張りになります。時を同じくして、甲状腺異常で健康センターへ、閉塞性肺疾患で呼吸器内科へ、むくみ・関節痛でリウマチ内科へと病院通いが増えました。通院にもすごくエネルギーが要ります。(通院疲れをほんとうに感じました。)
息切れ・動悸を強く感じるようになりました。1月半ばから、心臓検査が続きました。
そして今日(2月8日)、診断を受けました。「狭心症」と診断されました。エコー画像で、何本かの血管の一部が細く細く写っていました。
14日(月)入院・15日再検査そして手術ということになりました。
悪い体調の一番の原因が、心臓だったのかもしれないと私は思いました。
それだけに、手術成功後の体調状況が楽しみになりました。
<教え子と・続くぞ今年も・再会が!>
年賀状を1枚も出せなかった2011年・卯年のスタートでした。
それでも、1月20日(木)には「石ころ学級」(今年51歳かな。)の男性2人と食事&飲み会を三次会まで。22日(土)には「くいしんぼう学級」(24歳かな。)の男子2人と食事&飲み会でした。さらに、2月6日(日)には、「くいしんぼう学級」の女子3人と夕方にお茶しました。
3月3日に男女で集まることになりそうです。
次の日記は、退院後になります。吉報を楽しみにしてくださいね。
2010年12月04日
禁煙の・努力褒められ・卒煙式!
<会いたい見たいはいつでもできる?>
先月、29日(水)に禁煙外来に行きました。
完全禁煙10週を超えたということで、医師に頼る期間が過ぎます。
「頑張れそうですか?」
「今でも、吸いたい吸いたいという気持ちです。」
「そうかもしれないですね。でも何のために禁煙に挑戦したのか、よく考えてくださいね。」
医師と話している間に、私の支援者役の看護師さんをはじめ5人もの看護師さんが並んでいました。
「江崎さんの10週間の頑張りとこれからも禁煙を続けられることを期待して、卒煙式を行います。江崎さん、立ってください。」
私は何事かと思いました。この時、「卒煙式」の漢字が浮かびました。
医師が額入りの「認定証」を読み上げました。そして記念のボールペンとセットで受け取りました。
5人の看護師さんや隣の診断室から、なんと大きな拍手を貰えました。
なんだか面映ゆい気持ちでしたが、嬉しかったです。
(本当のところは、10週を過ぎると、禁煙外来の保険が効かなくなるので、「けじめ」の式なんですが。)
肺や心臓の機能の負担軽減のための禁煙です。これからも「吸いたい、会いたい」たばことの関係を「絶縁」していかねばなりません。
みなさんの応援と励ましをお願いします。
<前号に・も一つ加え・クラス会>
前号の日記を書き終わったあと、くいしんぼう学級(23歳かな24歳かな)から、「ミニクラス会」実施の連絡がありました。
体調としては、しんどい今年でした。いろいろな世代の教え子たちとの再会に、元気な年の瀬になりそうです。
先月、29日(水)に禁煙外来に行きました。
完全禁煙10週を超えたということで、医師に頼る期間が過ぎます。
「頑張れそうですか?」
「今でも、吸いたい吸いたいという気持ちです。」
「そうかもしれないですね。でも何のために禁煙に挑戦したのか、よく考えてくださいね。」
医師と話している間に、私の支援者役の看護師さんをはじめ5人もの看護師さんが並んでいました。
「江崎さんの10週間の頑張りとこれからも禁煙を続けられることを期待して、卒煙式を行います。江崎さん、立ってください。」
私は何事かと思いました。この時、「卒煙式」の漢字が浮かびました。
医師が額入りの「認定証」を読み上げました。そして記念のボールペンとセットで受け取りました。
5人の看護師さんや隣の診断室から、なんと大きな拍手を貰えました。
なんだか面映ゆい気持ちでしたが、嬉しかったです。
(本当のところは、10週を過ぎると、禁煙外来の保険が効かなくなるので、「けじめ」の式なんですが。)
肺や心臓の機能の負担軽減のための禁煙です。これからも「吸いたい、会いたい」たばことの関係を「絶縁」していかねばなりません。
みなさんの応援と励ましをお願いします。
<前号に・も一つ加え・クラス会>
前号の日記を書き終わったあと、くいしんぼう学級(23歳かな24歳かな)から、「ミニクラス会」実施の連絡がありました。
体調としては、しんどい今年でした。いろいろな世代の教え子たちとの再会に、元気な年の瀬になりそうです。
2010年11月30日
カレンダー・あと一枚で・寅終わる!
<近場でも・お喋りできる・楽しさが!>
11月20日(土)には、石ころ学級(50歳・51歳かな)「近場お喋り会」がありました。親子参加が二組、近場といいながらも、呉市や五日市からも。
総勢11人も集まり、焼き肉屋さんを喜ばせました。呉市からのえいじくんは、アルコールが一切だめなのに、“再会を大切にしたい”と参加してくれました。(感謝!感謝!今年3回も再会)
ガミさんは、二人の娘さんと参加してくれました。娘さんは“なんで小学校なの?”と不思議だったそうです。温かい雰囲気に“なるほど”と話していました。
<早や師走・でも楽しみは・まだ続く!>
12月4日(土)には、アリンコ学級(44歳かな45歳かな)「近場お喋り会」があります。人数に関係なく、お喋りを楽しめそうです。
25日(土)には、「冬のグリコ会」が入りました。グリコ学級(53歳かな54歳かな)の夏・冬の会は何年続いているのでしょう。クリスマスに実施できる年代なのでしょうね。
23日(祝日)には、私を教員に育ててくれた「研究サークル」の学習会・望年会があります。教え子仲間とは異なる雰囲気ですが、最年長の私を大事にして貰えます。
悩んでいるのは、退職後の私を育ててくれた市民運動「ひろしまの子どもを守る実行委員会」の望年会への参加についてです。
(昨年までは私が音頭を取り、30人近くの母さん・父さんたちの参加でした。)
役員を辞退して運動から離れたのだから、、、。
11月20日(土)には、石ころ学級(50歳・51歳かな)「近場お喋り会」がありました。親子参加が二組、近場といいながらも、呉市や五日市からも。
総勢11人も集まり、焼き肉屋さんを喜ばせました。呉市からのえいじくんは、アルコールが一切だめなのに、“再会を大切にしたい”と参加してくれました。(感謝!感謝!今年3回も再会)
ガミさんは、二人の娘さんと参加してくれました。娘さんは“なんで小学校なの?”と不思議だったそうです。温かい雰囲気に“なるほど”と話していました。
<早や師走・でも楽しみは・まだ続く!>
12月4日(土)には、アリンコ学級(44歳かな45歳かな)「近場お喋り会」があります。人数に関係なく、お喋りを楽しめそうです。
25日(土)には、「冬のグリコ会」が入りました。グリコ学級(53歳かな54歳かな)の夏・冬の会は何年続いているのでしょう。クリスマスに実施できる年代なのでしょうね。
23日(祝日)には、私を教員に育ててくれた「研究サークル」の学習会・望年会があります。教え子仲間とは異なる雰囲気ですが、最年長の私を大事にして貰えます。
悩んでいるのは、退職後の私を育ててくれた市民運動「ひろしまの子どもを守る実行委員会」の望年会への参加についてです。
(昨年までは私が音頭を取り、30人近くの母さん・父さんたちの参加でした。)
役員を辞退して運動から離れたのだから、、、。

