「ブログ」を書くこともまた、野蛮なことではないのだろうか。
いいお天気、いい青空になる。
太陽の強い光線に、どうしても「あの時」のことを想像してしまう。
暑さ、厳しい一日。
水が欲しくて、たまりませんでした。
11日に開かれる、長崎県立長崎西高校40回生の同窓会について、同じ放送部の友人「A氏」からメールがある。
放送部の女性陣は、外村倫子さんはじめ、全員参加するとのことだ。
一方、男性陣は?
(「A氏」は欠席。RKBのアナウンサーで、当時の部長坂田周大も欠席。そして、僕も欠席…)
古いアルバイト仲間から電話がある。
ドラマのシナリオに関して、少し助言する。
お昼過ぎに外出し、京都シネマで『魔笛』を観る。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
で、ここで追記。
前回の記事で、『魔笛』の物語の「とんでもなさ」について記したが、これは何も、ケネス・ブラナーがそうした「とんでもなさ」をそのままでよいと考えている、と言いたかった訳ではない。
それどころか、ブラナーは、物語の持つ「とんでもなさ」を、なんとか面白いものにしようと奮闘していたと思う。
(奮闘しすぎて、かえってより辻褄のあわなくなった部分もあったとはいえ)
僕が言いたかったのは、欧米では、『魔笛』のストーリーが「わけわからんちん」の「とんでもない」「突っ込みどころ満載」のものであるということは、すでにこの映画の観客のたぶん多数にとって「前提」となっているということ、言い換えれば、この映画を観て、「なんやねん、このあほな物語は」と根本的なストーリーをくさすこと自体、「あほなこと」だという「共通認識」があるということだったのだ。
そして、モーツァルトの歌芝居を知らずにこの映画を観る人が存在するという点から考えれば、それはどこかしら「傲慢」さにつながることかもしれない、ということである。
(って、ややこしい?)
余談だけど、ケネス・ブラナーの『から騒ぎ』より、トレヴァー・ナンの『十二夜』のほうが、僕は好きだな。
前の上映の回に、大好きな柄本明が来ていて、ついつい彼の表情・様子を観察してしまった。
その挙動不審なこと!
これだけでも、今日『魔笛』を観に行って大正解だった。
ブラナー監督の『魔笛』の感想をじっくり聴いてみたい人。
柄本さん。林光さん。本多優之さん。那須田務さん。嶋田邦雄さん。野田秀樹。佐藤亜紀。許光俊。
そして、藤本隆志さんにぱらさん。
NHK・FMのベスト・オブ・クラシック、ズデニェク・マカール指揮チェコ・フィルの『わが祖国』は「モルダウ」までで途中下車し(理由は言うまい)、大木正夫の交響曲第5番「ヒロシマ」のCDを聴く。
『世界最高のクラシック』を読み進める。
『笑犬楼の逆襲』を読み進める。
安倍総理って、本当に「心のない」人間だなあ。
今日は、敷島パンの三角マロンケーキを食す。
甘いものを食べることのできる幸せを深く噛み締める。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。