2012年05月25日
京都 ・ 野宮神社の鳥居
野宮神社(京都市右京区嵯峨野宮町)の鳥居は、ユニークである。
添付写真上は、本社の前の鳥居でいわゆる「黒木鳥居」。樹皮が付いたままであるから
伐採してきた原木をそのまま利用する。樹木はクヌギ。鳥居の形態も貫が出ず直線的で
鳥居として最も原初的形態でシンプルである。 元々この黒木鳥居は3年ごとに建て替え
られていたそうだが、現在の鳥居はクヌギの木の減少から防腐処置の後に香川県の某社が
寄進された鳥居である。
余談ながら昨日のBlogに書いたように、 能【野宮】で六条御息所の怨霊が消えたのが
この黒木鳥居の陰である(元素材「源氏物語」)。
添付写真下は、若宮の鳥居。なんと「両部鳥居」である。 このような水と関係ない場所で
両部鳥居に出会うと思っていなかったので、たいへん驚いた。
野宮神社の鳥居は本社・若宮、共にユニークな鳥居であった。
では鳥居の形態の選択とは? 改めて不思議に思えてくる。
今月20日の撮影。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/


添付写真上は、本社の前の鳥居でいわゆる「黒木鳥居」。樹皮が付いたままであるから
伐採してきた原木をそのまま利用する。樹木はクヌギ。鳥居の形態も貫が出ず直線的で
鳥居として最も原初的形態でシンプルである。 元々この黒木鳥居は3年ごとに建て替え
られていたそうだが、現在の鳥居はクヌギの木の減少から防腐処置の後に香川県の某社が
寄進された鳥居である。
余談ながら昨日のBlogに書いたように、 能【野宮】で六条御息所の怨霊が消えたのが
この黒木鳥居の陰である(元素材「源氏物語」)。
添付写真下は、若宮の鳥居。なんと「両部鳥居」である。 このような水と関係ない場所で
両部鳥居に出会うと思っていなかったので、たいへん驚いた。
野宮神社の鳥居は本社・若宮、共にユニークな鳥居であった。
では鳥居の形態の選択とは? 改めて不思議に思えてくる。
今月20日の撮影。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2012年05月15日
写真 掲載誌 の御案内
私が撮影した写真が 一枚 掲載された雑誌が発売になりました。
【ムー】
「神々の記号と 古事記 大予言2012」
学研 ; 平成24(2012)年6月号 No.379 ¥730 (税込)
〜特集の「古事記」にちなんで、『日本の神々事典』という別冊が付き、素晴らしい号です。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

【ムー】
「神々の記号と 古事記 大予言2012」
学研 ; 平成24(2012)年6月号 No.379 ¥730 (税込)
〜特集の「古事記」にちなんで、『日本の神々事典』という別冊が付き、素晴らしい号です。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2012年04月25日
2012年04月03日
春季皇霊祭遥拝
春分の日、宮中での祭祀である「皇霊祭」に合わせて、遥拝が斎行される。
斎館を出られた祭員らは祓所に入り、皇居方面の東を向いて祭典が行われる。
添付写真は 斎館から祓所への参進。
@ 熱田神宮 ; 本年の撮影。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

斎館を出られた祭員らは祓所に入り、皇居方面の東を向いて祭典が行われる。
添付写真は 斎館から祓所への参進。
@ 熱田神宮 ; 本年の撮影。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2012年03月29日
写真掲載本の紹介
私の撮影した写真が一枚 掲載された書籍で、4月10日の初版です。
古事記の内容だけでなく、関連の場所を訪ねる旅や関連事項にも
触れた、豊富な内容の本です。
【古事記がわかる本】 学研
平成24(2012)年4月初版
エソテリカ・ライブラリー
¥1,200+税 ;ISBN 978-4−05-405289-5
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

古事記の内容だけでなく、関連の場所を訪ねる旅や関連事項にも
触れた、豊富な内容の本です。
【古事記がわかる本】 学研
平成24(2012)年4月初版
エソテリカ・ライブラリー
¥1,200+税 ;ISBN 978-4−05-405289-5
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2012年03月15日
講演終了
今夜、市民講座で 近江の祭礼 について講演してきた。(講演タイトルは検索で出るので伏せます)
聴講者の方は約30人で、講演と質疑応答でピッタリ1時間半に収まった。
講演の話を頂いてからが、かなりのプレッシャーとの格闘だった。
撮影しに行ったエピソードだけで一時間半は話せないので、民俗学的な話しにまで突っ込んで話をした。反応がどうかな、と思いながらも、会場の方々の集中して聴いてくださる熱心な視線に感謝しつつお話できた。
準備は最初に講演の構成とストーリーを考え、使用する撮影場所の写真のピックアップと配列。それが済んで、話の内容に沿うように写真の入れ替えと文章の挿入。説明は口頭だけでは解かり難いので、文章も挿入して、読むような形にもした。パワーポイントを使うと、どれだけでも入れ替え可能なので、文書原稿と違って完成したと思っても問題点の変更が出てくる、、、。昨夜遅くまで仕上げて、講演に望んだ。
講演の副産物として、自分自身が再勉強することで、これまで見えてなかった二つの祭礼の底辺に流れる共通項を知しえたと思ったことである。
一時間半の講演時間、原稿無しでヘロへロにならずに話せて安堵したが、安堵感から体力的にヘロヘロになった。 ともあれ、聴講して下さった方々と主催者の方に深謝です。
添付写真は、講演中の拙者 (会場の人に拙コンデジで撮影していただいた)。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

聴講者の方は約30人で、講演と質疑応答でピッタリ1時間半に収まった。
講演の話を頂いてからが、かなりのプレッシャーとの格闘だった。
撮影しに行ったエピソードだけで一時間半は話せないので、民俗学的な話しにまで突っ込んで話をした。反応がどうかな、と思いながらも、会場の方々の集中して聴いてくださる熱心な視線に感謝しつつお話できた。
準備は最初に講演の構成とストーリーを考え、使用する撮影場所の写真のピックアップと配列。それが済んで、話の内容に沿うように写真の入れ替えと文章の挿入。説明は口頭だけでは解かり難いので、文章も挿入して、読むような形にもした。パワーポイントを使うと、どれだけでも入れ替え可能なので、文書原稿と違って完成したと思っても問題点の変更が出てくる、、、。昨夜遅くまで仕上げて、講演に望んだ。
講演の副産物として、自分自身が再勉強することで、これまで見えてなかった二つの祭礼の底辺に流れる共通項を知しえたと思ったことである。
一時間半の講演時間、原稿無しでヘロへロにならずに話せて安堵したが、安堵感から体力的にヘロヘロになった。 ともあれ、聴講して下さった方々と主催者の方に深謝です。
添付写真は、講演中の拙者 (会場の人に拙コンデジで撮影していただいた)。
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2012年01月24日
写真掲載書籍の御案内
神々、神社、神話そして儀礼などを分かりやすく解説した、
写真や図も豊富な素晴らしい書籍です。(全232ページ)
私が撮影した写真が、4枚(カラー&白黒)掲載されています。
【神道がわかる本】 学研 ;平成24(2012)年2月7日初版:
Esoterica Library
¥1,200+税;ISBN978-4-05-405217-8
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

写真や図も豊富な素晴らしい書籍です。(全232ページ)
私が撮影した写真が、4枚(カラー&白黒)掲載されています。
【神道がわかる本】 学研 ;平成24(2012)年2月7日初版:
Esoterica Library
¥1,200+税;ISBN978-4-05-405217-8
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2011年12月28日
おもかる石(パワースポット?)
晴明神社さんの境内の楠に波動を感じられずガッカリしたが、伏見稲荷大社さんには「おもかる石」
という不思議な石が有って、パワースポットだと子供が言う。子供も別段パワースポットファンでは
ないが、友人が行ってきた話しを聞いたという。
「おもかる石」、、、願い事を念じてから石を持ち上げ、軽く感じたら願いが叶うのだという。
面白そうなので晴明神社から南下、伏見稲荷大社へ向かった。
久々の伏見稲荷さんであるが、駐車場が綺麗に整備されており驚いた。
今年の10月に御鎮座1300年本殿還座祭が斎行されたのに合わせて整備されたのだろう。
目指す「おもかる石」は御本殿裏の千本鳥居の参道を歩いて7〜8分の処にある。何回も伏見稲荷さんを
参拝しているのに、そのような占い石は初めて聞く。昨今のパワースポットブームで、一躍脚光を
浴びたのだろう。女性雑誌でもパワースポットを特集する昨今だからだ。
さて目的の「おもかる石」は、石灯籠の宝珠部分が着脱式になっており、その宝珠を持ち上げる
のである。 他の参拝者を見ていたら、ヒョイと軽々と持ち上げる女性が居た。
ぬぁ〜んだ、中身が空洞の玉かと思い、願いを念じてから持ち上げてみた。
げげげっ、重いっ!!! 石の塊だから、当然に重い!
願い事が現実的でなかったか。。。真野恵里菜ちゃんとデートできますよ〜に、って。
妻子も石が重く感じたという。妻子も、しょ〜もない物欲に溢れた願い事だからなぁ〜(笑)。
(今月16日撮影)
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

という不思議な石が有って、パワースポットだと子供が言う。子供も別段パワースポットファンでは
ないが、友人が行ってきた話しを聞いたという。
「おもかる石」、、、願い事を念じてから石を持ち上げ、軽く感じたら願いが叶うのだという。
面白そうなので晴明神社から南下、伏見稲荷大社へ向かった。
久々の伏見稲荷さんであるが、駐車場が綺麗に整備されており驚いた。
今年の10月に御鎮座1300年本殿還座祭が斎行されたのに合わせて整備されたのだろう。
目指す「おもかる石」は御本殿裏の千本鳥居の参道を歩いて7〜8分の処にある。何回も伏見稲荷さんを
参拝しているのに、そのような占い石は初めて聞く。昨今のパワースポットブームで、一躍脚光を
浴びたのだろう。女性雑誌でもパワースポットを特集する昨今だからだ。
さて目的の「おもかる石」は、石灯籠の宝珠部分が着脱式になっており、その宝珠を持ち上げる
のである。 他の参拝者を見ていたら、ヒョイと軽々と持ち上げる女性が居た。
ぬぁ〜んだ、中身が空洞の玉かと思い、願いを念じてから持ち上げてみた。
げげげっ、重いっ!!! 石の塊だから、当然に重い!
願い事が現実的でなかったか。。。真野恵里菜ちゃんとデートできますよ〜に、って。
妻子も石が重く感じたという。妻子も、しょ〜もない物欲に溢れた願い事だからなぁ〜(笑)。
(今月16日撮影)
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2011年12月27日
晴明神社の楠(パワースポット?)
陰陽師の安倍晴明を祀る 京都の晴明神社を妻と参拝したのは、今年の9月18日(日)。
妻が 境内の楠に手を触れた時、あっ!と驚いた表情で、触れてみてよ と云う。言われるままに
私も両手で楠に触れると、ビリビリと波動を感じた。妻も同様に感じたという。騒ぐ我らの
傍らで触れて怪訝な表情をする男性も居たが、確かに何回触れても 何か を感じた。
楠の傍らの看板には、
「御神木 樹齢推定300年の楠はかつて 虫除けの樟脳の原料として樹皮に触れると 独特の
感触があります 両手を当てて大樹の力を感じ取ってください」
とある。我らは、大樹のパワーを感じ取ったのだろうか、、、。
その話を子供にしたら、興味があるという。で今月18日、 舞妓もどき体験 を東山でし終わった後、
晴明神社へ寄った。
期待しつつ触れると、、、あら不思議。なぁ〜〜んにも感じない。
しつこい位に樹皮を撫で回してもダメ(汗)。子供の残念がることしきり。
期待する邪念があって触れてはダメなんだろう とか、今日は楠の体調がすぐれないのだろう
とか 勝手なことを話しながら晴明神社を後にした。。。
でも9月の時は、確かに感じたンだよなぁ〜。虫除けの効果で、駆除されそうになったのかな(苦笑)。
添付写真は 今月18日、京都の晴明神社にて撮影。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

妻が 境内の楠に手を触れた時、あっ!と驚いた表情で、触れてみてよ と云う。言われるままに
私も両手で楠に触れると、ビリビリと波動を感じた。妻も同様に感じたという。騒ぐ我らの
傍らで触れて怪訝な表情をする男性も居たが、確かに何回触れても 何か を感じた。
楠の傍らの看板には、
「御神木 樹齢推定300年の楠はかつて 虫除けの樟脳の原料として樹皮に触れると 独特の
感触があります 両手を当てて大樹の力を感じ取ってください」
とある。我らは、大樹のパワーを感じ取ったのだろうか、、、。
その話を子供にしたら、興味があるという。で今月18日、 舞妓もどき体験 を東山でし終わった後、
晴明神社へ寄った。
期待しつつ触れると、、、あら不思議。なぁ〜〜んにも感じない。
しつこい位に樹皮を撫で回してもダメ(汗)。子供の残念がることしきり。
期待する邪念があって触れてはダメなんだろう とか、今日は楠の体調がすぐれないのだろう
とか 勝手なことを話しながら晴明神社を後にした。。。
でも9月の時は、確かに感じたンだよなぁ〜。虫除けの効果で、駆除されそうになったのかな(苦笑)。
添付写真は 今月18日、京都の晴明神社にて撮影。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2011年08月18日
写真掲載書籍の御案内
私の撮影した写真が 1枚使用された書籍のご案内です。
【神道のちから】
田中恆清著 (神社本庁総長、石清水八幡宮宮司)
学研、平成23年9月6日初版、 ¥1,800+税
ISBN978-4-05-404938-3
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

【神道のちから】
田中恆清著 (神社本庁総長、石清水八幡宮宮司)
学研、平成23年9月6日初版、 ¥1,800+税
ISBN978-4-05-404938-3
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2011年07月12日
自凝島神社
淡路島の南あわじ市に、自凝島神社(おのころじまじんじゃ)というお社がある。
添付写真は、そのお社の巨大鳥居で、高さが21.7mもある明神鳥居である。
この神社、「古事記」由来のお社である。伊邪那岐命と伊邪那美命による国土の修理固成において、両柱は天の浮橋に立ちて天の沼矛を指し降ろしてかき回し、塩をこをろこをろかき鳴らして引き上げた。その矛より垂り落ちる塩が累なり積って島と成る。これが於能基呂島(自凝島;おのごろじま)である。ここに降り立った二柱は、大八島の生成にかかり、最初に生まれた島が淡路之穂之狭別島、つまり淡路島である。
そのような我が国の生成の原点の土地であるのが、ここのお社である。、、、にしては境内は狭かった。ただ、この大鳥居は神戸淡路鳴門自動車道からも見えるほどに巨大である。余談ながらこの鳥居、創建は1982年に国土発祥の地を顕彰して建立されたものである。
今月10日参拝。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

添付写真は、そのお社の巨大鳥居で、高さが21.7mもある明神鳥居である。
この神社、「古事記」由来のお社である。伊邪那岐命と伊邪那美命による国土の修理固成において、両柱は天の浮橋に立ちて天の沼矛を指し降ろしてかき回し、塩をこをろこをろかき鳴らして引き上げた。その矛より垂り落ちる塩が累なり積って島と成る。これが於能基呂島(自凝島;おのごろじま)である。ここに降り立った二柱は、大八島の生成にかかり、最初に生まれた島が淡路之穂之狭別島、つまり淡路島である。
そのような我が国の生成の原点の土地であるのが、ここのお社である。、、、にしては境内は狭かった。ただ、この大鳥居は神戸淡路鳴門自動車道からも見えるほどに巨大である。余談ながらこの鳥居、創建は1982年に国土発祥の地を顕彰して建立されたものである。
今月10日参拝。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2011年05月13日
月刊「ムー」、写真掲載書籍の御案内
私の写真が 3枚使用された雑誌のご案内です。
月刊【ムー】6月号No.367; 学研 、¥670
「神国日本 国難超克の秘儀」 のページに掲載です。
添付写真下の左のページ、神職さんの参進風景などで掲載されてます。
どうぞ書店でお願いします。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/


月刊【ムー】6月号No.367; 学研 、¥670
「神国日本 国難超克の秘儀」 のページに掲載です。
添付写真下の左のページ、神職さんの参進風景などで掲載されてます。
どうぞ書店でお願いします。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2011年05月09日
熱田神宮のGW
熱田神宮の 今月4日「酔笑人神事」、5日「神輿渡御神事」、
下記のURLに UP ↓ 。どうぞ御高覧下さい。
www.photoland-aris.com/myanmar/near/n66/
by HP【舞!組曲】

下記のURLに UP ↓ 。どうぞ御高覧下さい。
www.photoland-aris.com/myanmar/near/n66/
by HP【舞!組曲】
2011年05月04日
王の舞と蘭陵王そして散手
今月1日、福井県(旧)三方郡美浜町の彌美(弥美)神社の祭礼へ行ってきた。
舞楽ファンとして、ここの「王の舞」に以前から興味があったが 例年1日のため、日曜日になる今年を待っていた。
「王の舞」と称する舞は若狭地方で、16箇所の神社で奉納されるほど、地域特性がある。
彌美神社の「王の舞」は、赤い装束に鼻高面に鳳凰の冠、そして長い鉾を持って舞う。16箇所ある「王の舞」には、紋付袴で舞うなど装束にバリエーションがあるようだが、鼻高面という天狗系の面に鉾という共通性は高い。「王の舞」の解説には、“ 元は竜王の舞という舞楽曲が、竜というのが欠けて王の舞となった”という記述もWEBでは見られる。実際、現在も「竜(龍)王の舞」と称する舞楽曲を舞う、地方舞楽がある。隠岐国国分寺蓮華会や林家舞楽では、「龍王」とか「竜王の舞」と云う曲がある。しかしこれらは舞楽の名曲「蘭陵王」の変形である。事実、「蘭陵王」は略称で「陵王」とか「竜王」と云われるのである。呼称が「りょうおう」⇒「りゅうおう」に転訛したか、蘭陵王の面の上に竜の飾りが乗ることから、「竜王」になったのかもしれない。「蘭陵王」は左方舞楽だが、実際には右方舞楽の「納曽利」が竜の舞だったりするから、「竜の舞」と言い始めると ややこしい。
話を戻すと、では若狭方面に伝承する「王の舞」は、「蘭陵王」が原型なのだろうか。そのような説明も散見する。ここで彌美神社の「王の舞」の装束を改めて見ると、なるほど左方舞楽のイメージカラーの赤系である。だが紋付袴の事例も神社では有ることを思えば、彌美神社の赤装束は、舞が始まったはるか後世の近代において風流化した装束か、逆に紋付袴で舞う「王の舞」の装束が左方舞楽の流れである特質を捨てたのか、どちらかであろう。装束については、かようである。しかし赤ら顔の面と鉾を持って舞うのは舞楽で考えると、決して「蘭陵王」ではない(!)。赤ら顔+鉾+赤装束=左方舞楽「散手」しか無いのである。 「王の舞」の名称は 竜王の竜が欠けて王の舞になったのではなく、「散手」からの舞楽の類似であり、「散手」の舞の意味を思えば遥かにこの地にふさわしい。「散手」は神功皇后の三韓征伐の時に率川明神が舟の軸に現れて勝利に導いた謂われの曲であるが、海民である若狭の民に伝承されるにふさわしい内容だと思う。添付写真の左下には、後姿の少年が写っているが、この少年が舞い終えた舞人から鉾を受け取る。まさに「散手」の番子と同様なのに、唖然としてしまった。
このような舞が、いつから始まったのか不明のようである。こんにち各地で伝承されている里神楽の殆どが江戸時代中〜後期に成立したように、「王の舞」もその頃に始まったか、あるいは逆にかなり古いかどちらかだろう。若狭は山越えで南下し琵琶湖を経て、平城京や平安京との交易が盛んであった。海産物や塩などが運ばれるうちに、中央の舞楽曲である「散手」が伝わって「王の舞」として独自の発展を遂げたことは、十分に考えられる。そうであれば「王の舞」は約1,000年の歴史、または里神楽同様に江戸時代の成立なら約250年の歴史、、、かなり時間差があるが、いづれかであろう。
(今月1日撮影 by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/ )

舞楽ファンとして、ここの「王の舞」に以前から興味があったが 例年1日のため、日曜日になる今年を待っていた。
「王の舞」と称する舞は若狭地方で、16箇所の神社で奉納されるほど、地域特性がある。
彌美神社の「王の舞」は、赤い装束に鼻高面に鳳凰の冠、そして長い鉾を持って舞う。16箇所ある「王の舞」には、紋付袴で舞うなど装束にバリエーションがあるようだが、鼻高面という天狗系の面に鉾という共通性は高い。「王の舞」の解説には、“ 元は竜王の舞という舞楽曲が、竜というのが欠けて王の舞となった”という記述もWEBでは見られる。実際、現在も「竜(龍)王の舞」と称する舞楽曲を舞う、地方舞楽がある。隠岐国国分寺蓮華会や林家舞楽では、「龍王」とか「竜王の舞」と云う曲がある。しかしこれらは舞楽の名曲「蘭陵王」の変形である。事実、「蘭陵王」は略称で「陵王」とか「竜王」と云われるのである。呼称が「りょうおう」⇒「りゅうおう」に転訛したか、蘭陵王の面の上に竜の飾りが乗ることから、「竜王」になったのかもしれない。「蘭陵王」は左方舞楽だが、実際には右方舞楽の「納曽利」が竜の舞だったりするから、「竜の舞」と言い始めると ややこしい。
話を戻すと、では若狭方面に伝承する「王の舞」は、「蘭陵王」が原型なのだろうか。そのような説明も散見する。ここで彌美神社の「王の舞」の装束を改めて見ると、なるほど左方舞楽のイメージカラーの赤系である。だが紋付袴の事例も神社では有ることを思えば、彌美神社の赤装束は、舞が始まったはるか後世の近代において風流化した装束か、逆に紋付袴で舞う「王の舞」の装束が左方舞楽の流れである特質を捨てたのか、どちらかであろう。装束については、かようである。しかし赤ら顔の面と鉾を持って舞うのは舞楽で考えると、決して「蘭陵王」ではない(!)。赤ら顔+鉾+赤装束=左方舞楽「散手」しか無いのである。 「王の舞」の名称は 竜王の竜が欠けて王の舞になったのではなく、「散手」からの舞楽の類似であり、「散手」の舞の意味を思えば遥かにこの地にふさわしい。「散手」は神功皇后の三韓征伐の時に率川明神が舟の軸に現れて勝利に導いた謂われの曲であるが、海民である若狭の民に伝承されるにふさわしい内容だと思う。添付写真の左下には、後姿の少年が写っているが、この少年が舞い終えた舞人から鉾を受け取る。まさに「散手」の番子と同様なのに、唖然としてしまった。
このような舞が、いつから始まったのか不明のようである。こんにち各地で伝承されている里神楽の殆どが江戸時代中〜後期に成立したように、「王の舞」もその頃に始まったか、あるいは逆にかなり古いかどちらかだろう。若狭は山越えで南下し琵琶湖を経て、平城京や平安京との交易が盛んであった。海産物や塩などが運ばれるうちに、中央の舞楽曲である「散手」が伝わって「王の舞」として独自の発展を遂げたことは、十分に考えられる。そうであれば「王の舞」は約1,000年の歴史、または里神楽同様に江戸時代の成立なら約250年の歴史、、、かなり時間差があるが、いづれかであろう。
(今月1日撮影 by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/ )
2011年04月27日
書籍「日本の神社」
私が撮影した写真が18枚使用されている 書籍【日本の神社】(※)が今月10日に、第三刷になったということで、編集者の方から謹呈本が送られてきた。
(三刷、、、読者の方に深謝!)
この書籍、北から南へと神社を羅列するのではなく、「古事記」「日本書紀」の展開に沿う形で神社や御祭神について、豊富な写真と図で解説してある秀逸な本である。最初のページから読むのも良し、途中を拾い読みするのも良し。読み物としても資料本としても、役立つ本だ。
(※)【 「古事記」「日本書紀」で読み解く すぐわかる 日本の神社 】井上順孝監修; 東京美術、¥1,800+税
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

(三刷、、、読者の方に深謝!)
この書籍、北から南へと神社を羅列するのではなく、「古事記」「日本書紀」の展開に沿う形で神社や御祭神について、豊富な写真と図で解説してある秀逸な本である。最初のページから読むのも良し、途中を拾い読みするのも良し。読み物としても資料本としても、役立つ本だ。
(※)【 「古事記」「日本書紀」で読み解く すぐわかる 日本の神社 】井上順孝監修; 東京美術、¥1,800+税
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2011年04月26日
上平木町 日吉神社 大祭
滋賀県東近江市 上平木町の 日吉神社大祭 の写真を、18枚の写真でUPしました。
こちらのURLから、どうぞ御高覧下さい ↓ 。
www.photoland-aris.com/myanmar/oumi/34/
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/


こちらのURLから、どうぞ御高覧下さい ↓ 。
www.photoland-aris.com/myanmar/oumi/34/
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2011年04月25日
淳仁天皇 呪術ライン上の二点
京の内裏を核に、北東の鬼門の備えの延暦寺を経て菅浦(滋賀県長浜市西浅井町)までの表鬼門。そして西南の鬼門の備えの石清水八幡宮を経て淡路陵までの裏鬼門。ズバリ一直線上に並ぶ、鬼門の呪術ライン。
今夜の添付写真は、菅浦と石清水八幡宮。
菅浦の須賀神社の御祭神は、都に祟りをなす怨霊の淳仁天皇。その舟型御陵と称する御陵が、須賀神社背後にあるという。菅浦集落の氏子に崇敬が篤く、拝殿・本宮への石段の下で靴を脱ぎ、備え付けのスリッパに履き替えないとならない。参拝後に本宮裏へ周り込むが、背後の御陵と云われる箇所へは道が無く、棘の出た雑草が生い茂っており、スリッパで入り込むのは危険極まりない。やむなく境内から再び靴に履き替えて出て、側面から撮影することにした。本宮の建物の背後に、舟型御陵と云われる部分が見られる。京の都を脅かす怨霊を集約し、鬼の代表として封じ込まれた淳仁天皇の御陵で、京の鬼門である。
一方、京の都の裏鬼門方向には、南あわじ市の淳仁天皇「淡路陵」が存在する。裏鬼門の備えには、表鬼門の延暦寺に双璧となる山上伽藍が必要である。それが石清水八幡宮で、添付写真下である。石清水八幡宮が宇佐八幡宮から還座する云われは、下記の通りである・・・大安寺行教は宇佐宮で昼は大乗教を転読し、夜は真言密教を念誦し六時不断に三所大菩薩を回向し奉った。都に戻ろうとしていた行教の前に大菩薩が示顕し、都の近くに移って国家を鎮護したい、、、そこで移坐すべきところを示現を請うと、石清水男山の峯なり、との託宣があった(※)という。このように神仏習合時代には八幡宮は、仏教色の強い八幡大菩薩をして顕れていた。ただ、国家を鎮護するのが目的ということだが、これはむろん鬼の侵入を塞ぐことを意味していよう。
添付写真上は、今月17日撮影。
添付写真下は、昨年の1月16日撮影。
( ※ 参考書)田中恆清監修 『八幡大神』 戎光祥出版・・・(私の写真が使われている本です)
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/


今夜の添付写真は、菅浦と石清水八幡宮。
菅浦の須賀神社の御祭神は、都に祟りをなす怨霊の淳仁天皇。その舟型御陵と称する御陵が、須賀神社背後にあるという。菅浦集落の氏子に崇敬が篤く、拝殿・本宮への石段の下で靴を脱ぎ、備え付けのスリッパに履き替えないとならない。参拝後に本宮裏へ周り込むが、背後の御陵と云われる箇所へは道が無く、棘の出た雑草が生い茂っており、スリッパで入り込むのは危険極まりない。やむなく境内から再び靴に履き替えて出て、側面から撮影することにした。本宮の建物の背後に、舟型御陵と云われる部分が見られる。京の都を脅かす怨霊を集約し、鬼の代表として封じ込まれた淳仁天皇の御陵で、京の鬼門である。
一方、京の都の裏鬼門方向には、南あわじ市の淳仁天皇「淡路陵」が存在する。裏鬼門の備えには、表鬼門の延暦寺に双璧となる山上伽藍が必要である。それが石清水八幡宮で、添付写真下である。石清水八幡宮が宇佐八幡宮から還座する云われは、下記の通りである・・・大安寺行教は宇佐宮で昼は大乗教を転読し、夜は真言密教を念誦し六時不断に三所大菩薩を回向し奉った。都に戻ろうとしていた行教の前に大菩薩が示顕し、都の近くに移って国家を鎮護したい、、、そこで移坐すべきところを示現を請うと、石清水男山の峯なり、との託宣があった(※)という。このように神仏習合時代には八幡宮は、仏教色の強い八幡大菩薩をして顕れていた。ただ、国家を鎮護するのが目的ということだが、これはむろん鬼の侵入を塞ぐことを意味していよう。
添付写真上は、今月17日撮影。
添付写真下は、昨年の1月16日撮影。
( ※ 参考書)田中恆清監修 『八幡大神』 戎光祥出版・・・(私の写真が使われている本です)
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2011年04月10日
両部鳥居コレクション
両部鳥居コレクション
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↓ 両部鳥居と云えば、超有名な安芸の宮島・厳島神社の海中鳥居。広島県。

↓ シンメトリックに写るように ど真ん中から狙ったので、稚児柱が判り難いが、琵琶湖に立つ両部鳥居。宮島の鳥居と並べてみると、笠木・島木の反りが なだらかだ。
滋賀県高島市の白髭神社。

↓ 両部鳥居の稚児柱は 波に抵抗する補助、という説が当て嵌まらない、地上の両部鳥居。額束が上記2例に比べてシンプルだ。 眼下は 琵琶湖。
滋賀県長浜市西浅井町 菅浦の須賀神社、二の鳥居。

↓ 両部鳥居として、かなり変形だ。メインの部分が明神系鳥居でなく、神明系だ。そして大神神社のように三つ鳥居のようであり、おまけに稚児柱が付く。伊香鳥居という特殊な鳥居。
滋賀県長浜市木之本町 大音の伊香具神社。

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↓ 両部鳥居と云えば、超有名な安芸の宮島・厳島神社の海中鳥居。広島県。
↓ シンメトリックに写るように ど真ん中から狙ったので、稚児柱が判り難いが、琵琶湖に立つ両部鳥居。宮島の鳥居と並べてみると、笠木・島木の反りが なだらかだ。
滋賀県高島市の白髭神社。
↓ 両部鳥居の稚児柱は 波に抵抗する補助、という説が当て嵌まらない、地上の両部鳥居。額束が上記2例に比べてシンプルだ。 眼下は 琵琶湖。
滋賀県長浜市西浅井町 菅浦の須賀神社、二の鳥居。
↓ 両部鳥居として、かなり変形だ。メインの部分が明神系鳥居でなく、神明系だ。そして大神神社のように三つ鳥居のようであり、おまけに稚児柱が付く。伊香鳥居という特殊な鳥居。
滋賀県長浜市木之本町 大音の伊香具神社。
2011年04月07日
菅浦の四足門
菅浦(滋賀県長浜市西浅井町)の集落には、四足門という門が残っている。四足門とは、四脚だからとか かつては四箇所にあったからそのように呼ばれたとか、云われる。西浅井支所(元西浅井役場)方向から入り江に沿って菅浦に着くと、須賀神社の手前に添付写真の西の四足門が見えてくる。集落を突っ切って約400mも行くと、集落の外れに東の四足門が存在する。かつては四箇所に有ったというが、現存はその二箇所である。この門こそ、「惣村」を形成していた菅浦の象徴である。案内看板によると、要害の門とも呼ばれているそうで、一端事が起これば出入りの検察が出来たという。現在は道路には無いから、メインの道路の位置が変わったのか、あるいは四足門が移設されたのだろう。
しかし、、、かつて東西南北の四箇所に有ったという四足門、地形的にも交易の面でも何故四箇所に必要だったかと疑問に思う。なぜなら菅浦の集落の背後は山、東側も山。そして南は琵琶湖である。
ここで私は、また独断の空想の世界に入ってしまう。
現在は須賀神社と明治に合祀されたが、天宝宝宇八年創祀の保良神社の御祭神である、淳仁天皇と四足門の関連を考えるのである。何故、淳仁天皇がこの地で祀られているのだろうか。御陵塚も存在するようだが、御陵は淡路島に存在し、その地で隠れたことはほぼ疑いが無い。しかも重要なのは、淳仁天皇は怨霊となった点である。怨霊である天皇を祀った菅浦集落は、惣村であった。
淳仁天皇の怨霊について、「廃帝は国土を呪い、そのために日照りが多く、大風が吹き、世の中が荒廃して飢え死ぬ人が多かった」と『水鏡』では伝えているという(※)。憤死した後、怨霊となって国土を呪い朝廷に恐れられたのが淳仁天皇である。怨霊を御祭神として祀り上げることで神と化すのが御霊信仰だが、菅原道真のように怨霊が天満宮として全国に広がり、勉学の神様となった例も有ることはある。しかし淳仁天皇は、怨霊のままである。しかし、その怨霊であることが「惣村」の菅浦には大事だったのではないかと想像している。恐い筋の人を味方に付ければ、その恐い筋の人を恐れて誰も近づかなくなるし、恐い筋の人も親しい人になる、、、そんな例で云えようか。
怨霊に守られた集落、菅浦。そのことの外部者からの恐れそこ、「惣村」という独自の形態を守るのに必要だったのではなかろうか。その呪術装置としての四足門である。つまり、淳仁天皇の霊力を集落内に封じ込めておく蓋が四足門だと、私は勝手に考えている。 だいたい菅浦は琵琶湖に面した集落であり、有事に要害の門としたり検察をするには、四足門は具体性に欠ける。海上交易が盛んであったことを思えば、湖から奇襲上陸するのは容易だからだ。そのような物理的な意味での門では意味が無い。呪術的な守りこそ、菅浦の惣を守る要ではなかったかと、想像するのである。
(※)田中聡《妖怪と怨霊の日本史》集英社新書
(添付写真;滋賀県長浜市西浅井町菅浦の東の四足門; 今月3日撮影)
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しかし、、、かつて東西南北の四箇所に有ったという四足門、地形的にも交易の面でも何故四箇所に必要だったかと疑問に思う。なぜなら菅浦の集落の背後は山、東側も山。そして南は琵琶湖である。
ここで私は、また独断の空想の世界に入ってしまう。
現在は須賀神社と明治に合祀されたが、天宝宝宇八年創祀の保良神社の御祭神である、淳仁天皇と四足門の関連を考えるのである。何故、淳仁天皇がこの地で祀られているのだろうか。御陵塚も存在するようだが、御陵は淡路島に存在し、その地で隠れたことはほぼ疑いが無い。しかも重要なのは、淳仁天皇は怨霊となった点である。怨霊である天皇を祀った菅浦集落は、惣村であった。
淳仁天皇の怨霊について、「廃帝は国土を呪い、そのために日照りが多く、大風が吹き、世の中が荒廃して飢え死ぬ人が多かった」と『水鏡』では伝えているという(※)。憤死した後、怨霊となって国土を呪い朝廷に恐れられたのが淳仁天皇である。怨霊を御祭神として祀り上げることで神と化すのが御霊信仰だが、菅原道真のように怨霊が天満宮として全国に広がり、勉学の神様となった例も有ることはある。しかし淳仁天皇は、怨霊のままである。しかし、その怨霊であることが「惣村」の菅浦には大事だったのではないかと想像している。恐い筋の人を味方に付ければ、その恐い筋の人を恐れて誰も近づかなくなるし、恐い筋の人も親しい人になる、、、そんな例で云えようか。
怨霊に守られた集落、菅浦。そのことの外部者からの恐れそこ、「惣村」という独自の形態を守るのに必要だったのではなかろうか。その呪術装置としての四足門である。つまり、淳仁天皇の霊力を集落内に封じ込めておく蓋が四足門だと、私は勝手に考えている。 だいたい菅浦は琵琶湖に面した集落であり、有事に要害の門としたり検察をするには、四足門は具体性に欠ける。海上交易が盛んであったことを思えば、湖から奇襲上陸するのは容易だからだ。そのような物理的な意味での門では意味が無い。呪術的な守りこそ、菅浦の惣を守る要ではなかったかと、想像するのである。
(※)田中聡《妖怪と怨霊の日本史》集英社新書
(添付写真;滋賀県長浜市西浅井町菅浦の東の四足門; 今月3日撮影)
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2011年04月05日
なぜ両部鳥居?(須賀神社)
この添付写真の鳥居をご覧になられた方は、驚かれることと思う。私自身、参道を登っていて この鳥居を見た時には仰天した。なんたって両部鳥居という形態の鳥居だからだ。
両部鳥居で有名なのは、安芸の宮島の厳島神社。そして気比神宮(福井県)、秩父三峰神社(埼玉県)。滋賀県では、高島市の白髭神社にもある。
この両部鳥居、台輪鳥居の両方に控えとして稚児柱がある。厳島神社のように海中に立っている場合、海の波に耐えれるように副柱が補強である、というもっともな説明を聞いたことがある。確かにもっともらしい。しかし宮島の鳥居のように水中にあるのは、上記の神社では、琵琶湖内に立っている白髭神社しかない。三峰神社も、今回UPの須賀神社も山中である。どうやら両部鳥居は、水に抵抗する補強のためのに稚児柱が有る、という説明は当らないようだ。
では御祭神の関連があるかといえば、全く無い。宮島の厳島神社は宗像三神、そして須賀神社は淳仁天皇・大山咋神・大山祇命である。後者の二柱は、山ノ神という性格が強く、海の神というわけではない。強いて云えば、大山祇命に和多志大神という別名で海のとの関連があるくらいだろう。としても、御祭神と両部鳥居の関連は無さそうだ。では両部の名前の由来となった密教と神社の関連はどうか、、、。あるいは可能性が最も高いかもしれないが、不勉強ゆえ結論が出ない。
いづれにせよ、思いがけず出くわした両部鳥居、かなり感動物だった。
(今月3日;滋賀県長浜市西浅井町菅浦、須賀神社で撮影)
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

両部鳥居で有名なのは、安芸の宮島の厳島神社。そして気比神宮(福井県)、秩父三峰神社(埼玉県)。滋賀県では、高島市の白髭神社にもある。
この両部鳥居、台輪鳥居の両方に控えとして稚児柱がある。厳島神社のように海中に立っている場合、海の波に耐えれるように副柱が補強である、というもっともな説明を聞いたことがある。確かにもっともらしい。しかし宮島の鳥居のように水中にあるのは、上記の神社では、琵琶湖内に立っている白髭神社しかない。三峰神社も、今回UPの須賀神社も山中である。どうやら両部鳥居は、水に抵抗する補強のためのに稚児柱が有る、という説明は当らないようだ。
では御祭神の関連があるかといえば、全く無い。宮島の厳島神社は宗像三神、そして須賀神社は淳仁天皇・大山咋神・大山祇命である。後者の二柱は、山ノ神という性格が強く、海の神というわけではない。強いて云えば、大山祇命に和多志大神という別名で海のとの関連があるくらいだろう。としても、御祭神と両部鳥居の関連は無さそうだ。では両部の名前の由来となった密教と神社の関連はどうか、、、。あるいは可能性が最も高いかもしれないが、不勉強ゆえ結論が出ない。
いづれにせよ、思いがけず出くわした両部鳥居、かなり感動物だった。
(今月3日;滋賀県長浜市西浅井町菅浦、須賀神社で撮影)
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

