2007年06月17日

雑記/私の詩歌ノート、晶子の歌の思い出、私が本や詩歌を紹介する訳

本を読んで、好きな詩歌があると書きとめておくノートがあります。

学生の頃のノートは、人生の大移動(結婚、育児、引越し等)のドタバタに紛れてなくしてしまったので、今使っているものは、ごく最近のもの。

それでも、いちばん初めに書き止めたものは、今でも憶えています。

忘れもしない「栴檀の花の薄紫 ほのかなる夕べに匂い」という一節で始まる、三木露風の「栴檀」という詩でした。

それまで岩波の児童書ばかり読んでいた子供でしたので、中学にあがって国語の授業で触れた明治の詩歌、藤村や与謝野晶子に傾倒していた時期だったからでしょう。

特に晶子の歌は大好きで、そのノートにもいっぱい書き止めてありました。別に本を持っているんだから、わざわざノートに写す必要なんてないような気もするんですが、お気に入りだけ抜書きしては、ひとり悦に入ってたんですね。

その晶子の歌で、忘れられない思い出があります。

高校生の頃でした。
通学のために乗っていた井の頭線の車内でのことです。
空いていたので、シートにゆったり腰掛けられた私は、かばんからあの詩歌ノートを取り出して、眺めていたんですね。
その時、私の隣には、ちょっと軽そうな(ごめんなさい)カップルが座っていました。
髪の毛も赤く染めていて、じゃらじゃらした服を着ていて、ガムかなんかくちゃくちゃしててみたいな、典型的な感じの。

「あ、ちょっと苦手だな」なんて、その時は思ってました。

そのカップルの女の人のほうが、私のひろげていたノートを横から見ていたらしいんですね。
そして、突然、話しかけてきたんです。

「ね、ね、ちょっと、ちょっと、この歌、何てヒトがつくったのっ?!」

あまり唐突に話しかけられたので、私はビックリして
「あの、その、えっと」と口ごもりました。

隣では、彼氏が「オイ、何やってンだよ、はずかしいじゃんか、やめろよ」なんて言ってます。

すると女の人は「いいじゃン、ほっといてよ。アタシは、この歌に感動したんだからねっ。」と彼氏に言ったのです。
そして、また私に向かって、「ね、教えてよ、その歌の作者の名前」と尋ねてきました。

「あ、よ、与謝野晶子です。」
「え、ちょっと待って、メモるから漢字も教えてよ」

女の人は、可愛い手帳をバッグから引っ張り出して、綺麗にマニキュアを塗った指で、私が教えるとおり「与謝野晶子」と書きこむと、赤い唇でにっこり笑って「サンキュ。アタシ、このひとの本、買ってみるわ」と言い、渋谷の雑踏に吸い込まれて行きました。

その時の歌が、晶子の有名な歌
いとせめて燃ゆるがままに燃えしめよ斯くぞ覚ゆる暮れて行く春

です。

晶子の歌は、やっぱりこんなに凄いんだ。
歌には、ひとを感動させる力があるんだ。

そう心から思った出来事でした。

そしてまた、若さゆえの潔癖で、どうしても外見で人を判断しがちだった傲慢な自分を深く反省したのもこの時でした。

着ているものや髪型で、そのひとの内面を決め付けるのはやめよう。
そう思うようになったのは、この事があってからでした。

そしてまた、「こんな詩歌が好きです」「こんな本が好きです」なんて薦めたがる、お節介なブックトーク性癖も、この時の出来事が心に残っている事も理由のひとつにあるのかもしれないと、最近思うのです。

「この本いいよね」
「この詩素敵だね」

ひとつの詩歌や本をめぐって、色んなひとと感動を分け合うとき、ちょっぴりだけどその方たちと近づけたような気がして、嬉しくなるのです。

あの時の女の人は、どうしているかしら。
晶子の歌を憶えていてくれているといいな。
 

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この記事へのコメント
私もそういう方々は苦手ですが、その髪染めの
オネエサンは私なんかよりよほど、感受性が
豊かな方だったんですね。
かくいう私は、短歌、俳句はまったくもって苦手で、
恐らくみどりさんと出会わなければ、この先ずっと
読まずにいたと思ってます。
(みどりさんとお付き合いさせていただいて少しは
苦手から脱出できるかな。)

だっこしていた子どもがぐずっていた時
後ろであやしてくれたのが、服装がくずれた
カップルだったり、信号の無い横断歩道で
どの車も止まってくれない中、止まって
横断させてくれたのがギラギラビカビカの
怖そうなトラック野郎だったり・・・・。
見かけと人の情ってのは別ものなんだな〜っと
思ったことがありますわ。
Posted by えすぺらんさ at 2007年06月17日 22:48
えすぺらんささん
こんにちは♪
短歌や俳句って、やっぱり結社とか同人とかあって凄く閉鎖的なのです。どうしても中のひとたちだけで創って、読んで、わかりあって、買って、みたいな閉ざされたムラみたいなところがあるんです。ですからどんなに感受性が豊かな方でも、ちょっと「引く」のが普通だと思います。でも、ほんとうは、色んなひとにもっと身近に楽しんでもらえたらいいのになと思うのです。えすぺらんささんがご興味を持ってくださって嬉しいな♪

そう言えば、中学のときも、ものすごいツッパリの男の子が、おばあさんに席を譲ったりしていましたっけ。ホントに、ひとがどんな素晴らしい内面を持ってるかなんて外からはわかんないんですよね。
Posted by みどり at 2007年06月18日 12:27
みどりさん、いいお話ですね!
みどりさんも、この女の子も好きです♪
そういえば、私もそんなノートを高校時代に作っていました
万年筆のブルーのインクで丁寧に書きとめていました
いまも探せばそのノートはあると思うのですけど
今はそういうことを全くしなくなってしまって・・・
駄目ですね(^^;
みどりさんのそういうところ、本当に素敵だと思います♪
Posted by マロニエのこみち・・・。 at 2007年06月19日 10:21
私も実は「あ、長いこと放逐してたー」ってあわてることが多いです。それからあわてて「べんきょー、べんきょー」と再開したりして・・・。若き日のように真面目にこつこつ続けなきゃいけないですね(^_^;)
Posted by みどり at 2007年06月19日 14:23


 
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