2006年07月26日

ハイパーアマチュアと、プチクリと、マイドリーム : その10

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前回:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3828435.html
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■プロデビューにかかるコスト(補足)

 ……夢のない話かもしれませんが、やっぱり正直に言います。プロデビューにおいて絶大な影響力を与えるものって、最終的にはコネの有無です。

 例えば日本文学ではずっと「文士」という人がいました。師匠となる作家先生のもとに住み込みで創作を学びつつ、たまにその師匠のツテで原稿を書かせてもらう。そうやって腕を磨きながら、顔を広げてゆく、と言うような人たちですね。
 田山花袋の『蒲団』に登場する芳子などは、例としてわかりやすいでしょう(……酷い例ではありますが)。

 実際今でも。
 大学のゼミでお世話になっている教授に紹介されて原稿を書くとか、サークルの先輩が紹介してくれて原稿依頼を受けるとか、と言った事例は少なくないでしょう。
 あと最近なら。アニメか何かのシナリオライターをやっていて小説を書いてみないかと紹介されるとか、作ったゲームの人気が出たので小説を書いてみないかと声をかけられるとか。色んな場合が考えられます。
 とにかく何らかのコネがない限り、仕事の紹介はやってきません。
 ただし、その「紹介」されて書いた原稿が認められるかどうか。更には、次の原稿依頼に結びつくかどうかは、本人次第なんですがね。

 とにかく自ら営業をかけるなり、誰かに紹介されるなり、仕事をしないとプロとしてやって行けない。そう考えるとやっぱり、プロとしてやってゆくには、顔の広さとかコネの有無って、大きいです。

 これは単なる憶測ですが。
 アマチュアのうちから創作活動を続け、横のつながりを広げていった。そのうちに有名になり、会社から声をかけられて仕事を受注するようになった。と言う、こんな経緯によるプロデビューって、意外に多いはずです。下手をすると、新人賞を通過してプロになった人より多いくらいに。

 プロクリエイターとは自らの腕に誇りを持つ者である、とは限りません。創作で商売をしている人こそがプロなのです。
 ゆえに「プロとしてやってゆく努力」がイコール、「作る努力」とであるとは限らない。
 「プロとしての努力」とはすなわち、商品を売り込むための、営業努力なのです。実力は営業をかける時に使う資料の、一項目に過ぎません。

 だから本気でプロデビューしたいのなら、新人賞なんて狭き門にこだわらない方が良いかもしれません。だって新人賞って、飛び抜けた実力者がひしめき合った中で、ひとりかふたりにしか栄光が輝かない。あげくに、新人賞を獲得したからって、別に即デビューってわけでもありませんからね。

 確実にプロになりたければ、業界人の知り合いでも作るか、金持ちの家にでも生まれた方が早いです。絶対。
 ああ、夢のない話だ。




(以下、追記)
 ただし以上の事情はインターネットの登場や資本主義経済の飽和により、流通システム、在庫管理方法、ブローカーの存在意義、作り手と受け手の距離、ターゲットとなるニーズ、マーケティングなど。すべてが劇的に変化しつつあります。何でも世界経済の根幹を支える貨幣価値すら将来的には意味合いが変わりつつあるらしいです。
 ただクリエイターに限って具体的には、コネ主義は限りなく縮小し、実力主義に移行すると思って良いでしょう。
 これはまた後で説明させてもらいます。

2006年07月25日

ハイパーアマチュアと、プチクリと、マイドリーム : その09

目次:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3795034.html
前回:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3788601.html
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■プロデビューにかかるコスト(2)

 どんな良い商品を作ったとしても、売れなければ、カネにならなければ、それは単なる趣味に終わってしまいます。創作活動をビジネスとして成立させることが出来なければ、プロとは言えません。

 ではそのためには何が必要か。自分が作った商品を流通に載せてくれる、ブローカー[仲買人]が自分にいるかどうか。これが、プロであるかどうかを分ける境界線です。
 別の言い方をするならば。ブローカーにビジネスパートナーとして認めて貰えた人間こそが、プロであるとも言えるでしょう。だから、実力を持ってなくてもプロクリエイターを名乗れている人は大勢いるのです。

 ならば、ブローカーはもっと多くのクリエイターと組んで、デビューさせれば良い、と言うことになります。前にも言いましたが、デビューできる新人は多い方が、ジャンルの裾野も広がりますから。
 が、実はそんなわけにもいかないのが現実です。

 まず新人賞など新人登竜門の設定にも、コストがかかります。選考委員への謝礼、下読みへの賃金、新人賞の宣伝告知、タダでそんなことが出来るわけがない。
 しかも一番の問題は。そんな金をかけて新人を選考したところで、そのデビューさせた新人が本当に「使える」かどうかはブローカーにとって、賭け[ギャンブル]になってしまうと言うことです。

 ある新人作家が、一作だけなら面白いものを書けたので、新人賞を獲ることが出来たとする。だがそれでプロデビューさせたとして、二作目、三作目にどのような作品が上がってくるのか、わかりません。
 もしかして次回作は、デビュー作を遙かに超える傑作かもしれない。それとも、到底流通に乗せるには耐えられない失敗作かもしれない。挙げ句の果てには、色んなプレッシャーに負けて、逃げてしまうかもしれない。
 それではビジネスとしてやって行けません。

 ただ商品を流通に乗せるだけでも、膨大なコストがかかります。作家が原稿を執筆し、編集し、製本し、出版し、問屋から小売店へ商品を運送する。売れ残った在庫を保管するために倉庫代も必要でしょう。
 ひとつの作品がコケただけで、多くの人が迷惑をし、生活に困ることになるかもしれない。
 ビジネスにとって最も重要なのは、儲けられると言う保証です。

 だから、そんな大成功するか大失敗するかもわからない新人に仕事を依頼するくらいなら、納期までに凡作を確実に仕上げてくれる人の方が、ビジネスとしては確実と言えます。凡作でもラインナップが揃えば、収支は出ますから。
 例えばライトノベルの初期なら、アニメのシナリオライターが書いた作品が多く目立ちます。これらの作品群、本職の小説家が書いたものではありませんから、さしてクオリティは高くありません。恐らく推測するに、初期ライトノベルには、新人賞という未来への投資を行う余裕がなかったのでしょう。
 才能ある新人を発掘する余裕がなかったから、既に活躍しているライター業の方。それも確実に締め切りまでに、そこそこのクオリティの作品を生産してくれる人に、仕事を依頼した方が良い。たとえ本職の小説家でなかったとしても。

 ……まぁ、そんな確実性のみに頼ったビジネスをしていると、将来的に展望がなくなって売れ行きが落ちてしまい、自分で自分の首を絞めるハメに陥るのですが。
 ちなみに余談ですけど。1990年代のライトノベル暗黒期は、以上のような経緯のもとに、起こるべくして起こったと考えて良いでしょう。

 プロデビューとは、流通という既得権益を利用させてもらうための、通過儀礼です。その通過儀礼を果たした者こそが、プロと言われるようになる。
 通過儀礼の達成に必要な条件は、自分というクリエイターが、ビジネスに成功をもたらしてくれると言う保証。その保証を与えてくれるモノ、ヒトと言うことになります。
 すなわちコネ。
 新人賞の獲得も結局は、ゼロから出版社とのコネを、実力だけで作り上げてゆく作業だと言うことになるでしょう。

 ゆえに、大した実力を持ってもないのに、プロとしてクリエイターを続けている人は大勢います。と同時に、実力だけでのし上がって来た人間も大勢います。
 コネが大事だからと、ブローカーと仲良くなることだけを考え、自分の実力を磨くことを忘れたようなクリエイターは、今度は顧客から無視されるようになるのです。
 実力はビジネスとしての保証のひとつに過ぎないかもしれません。でも保証としては最も大きなものであることも、確かなのです。

 コネ、カネ、実力。いずれかを持たない人間は、どこからも相手にされない。
 冷酷に思えるでしょうが、ビジネスなんて全世界そんなものです。

2006年07月20日

2006年07月19日

ハイパーアマチュアと、プチクリと、マイドリーム : その08

その01:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3540465.html
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その04:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3575660.html
その05:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3600682.html
その06:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3608799.html
その07:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3732791.html
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■プロデビューにかかるコスト(1)

 クリエイター活動のみで生活している、専業のプロに限って話を進めさせてもらいます。

 プロのクリエイターとして選ばれ、デビューするには必要なものとは何でしょうか。すぐに思いつく辺りでは、新人賞の受賞くらいでしょう。しかし「新人賞の獲得=即プロデビュー」とは限らないことくらい、少し考えれば理解できます。
 と言うわけで、結論から先に言わせてもらいます。プロクリエイターとしてデビューするために必要なもの。それは、コネです。

 クリエイターと言う仕事は、農家や職人の仕事に似ています。
 自分の手でモノを作る。作ったモノを売る。売って収入を得る。何か作らない限り、収入を得ることもない。ただしこれが農家の方なら、自分で作ったモノを売らなくても最悪、自給自足で食べてゆくことができます。その意味でクリエイターの仕事とは、本質的に職人と同じ内容だと言えるでしょう。

 ところで職人は、自分が作った商品を直接、消費者[ユーザー]に手渡すわけではありません。職人は「つくるひと」に過ぎません。「売る」ことまで上手にできるとは限りません。
 また、職人が個人で出来ることにも限界があります。職人が大量に商品を作って売りたいとしたらどうでしょう。でも、たったひとりで全国を廻るわけにもいかない。
 だから商品を売るのは、自分より「売る」のが上手な人。ひとりでも多くのユーザーに商品を流通させることのできる手段[インフラ]を持っている人。つまりは仲買人[ブローカー]に商品を買ってもらうことになります。
 職人としてのモノ作りと、流通のためのインフラ整備とはまた、別の仕事なのです。

 職人が作った商品は、まず仲買人に買ってもらうことになる。その仲買人に商品を買ってもらわなければ、お金が貰えない、生活できない。
 ゆえに職人は、仲買人のためにモノを作ることになります。

 現代のようにインターネットで、例えば自分の作品を読んでくれた読者の感想が、直接聞けるようになったと言うのは。実はクリエイターにとって物凄く画期的なことなんですよね。

2006年07月10日

ハイパーアマチュアと、プチクリと、マイドリーム : その07

その01:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3540465.html
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その04:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3575660.html
その05:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3600682.html
その06:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3608799.html
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■プロとアマの差は何?

 プロとアマチュアには差があるのでしょうか? 中には「確実に差は存在している」と主張する方もいらっしゃるかもしれません。それとも、新人賞を獲得してプロデビューされた人こそが、プロなのでしょうか。
 考えてみましょう。

 プロの小説家になるとして。どんなライフスタイルが理想形と言えるでしょうか?
 例えば、若くして新人賞を獲得。何作か書いているうちに人気が出始める。それで一生、小説だけを書き続けて生活してゆく、と。
 うん、でもね。プロデビューできたとしても、その仕事だけで死ぬまで生活できる人なんて、そうそういやしないんですよね。
 いろいろ想定して考えてみましょう。

 新人賞を獲得して、一冊は本を出版できたとする。だけど、その一冊だけで他には出版できませんでした。さぁ、この人はプロと言えるでしょうか?

 では、何冊かは本を出せました。でも生活できるほどではないとしたら。

 今まではプロとして生活し続けてきたのに、ある瞬間から仕事を干されてしまいました。本人は仕事の受注が来るのを待っているだけ、のつもりです。でも実際にはこの人に出版依頼が一生やってくることはないとしたら。

 昔はプロとしてバンバン本を書いていました。でもそれは過去の話。ある時から自分は流行に乗り遅れたのか、食うことすら苦しい経済状態になっていた。そこで田舎に帰り、今では別の仕事をして幸福に暮らしているとしたら。

 さぁ、この人はプロと言えるでしょうか?

 きっと中には。
 本業はきちんと持っています。でも兼業としてライターもやっています。その兼業として出した本が何冊もベストセラーになったこともあり、今では本業より収入があるかもしれません。でも自分ではライターを兼業としてしか思っていません。
 なんて人もいるでしょう。そんじょそこらのプロ以上と言っても良い。でも、きっとこの人は自分で自分はプロではないと答えるでしょう。
 じゃあ、この人は果たしてプロなのか。

 結論から言いましょう。
 プロとアマチュアとの差とは何か。新人賞を獲得した経験ではありません。腕の優劣でもありません。仕事の有無ですらありません。
 自分の履歴書へ勝手に「自分はプロだ」と書き込んだ人間こそがプロなのです。

 だから究極的な話。
「デビュー作を出したことはありません。仕事を受注したこともありません。当然、クリエイターとして金を貰ったこともないので、生活もできません。そもそも興味すらないので、何かを作ろうと言う気も、修行しようと言う気もありません。でも自分はプロクリエイターです」
 と自称してしまうことすら、いちおうは可能なのです。

 そもそもね。クリエイターなんて不安定な仕事で、一生を食える人間なんて、一握りしかいないのです。
 正確なデータを持たない、ボクの憶測で申し訳ありませんが。まぁ、クリエイターとしてデビューして五年も続けられれば、御の字でしょう。
 これがミュージシャンなら、もっと短くて二年。小説家ならもうちょっと長くなって、運が良ければ十年。お笑い芸人なら一年でブームが終了。

 どのみち一生と比べれば、ほんの短い期間であるのには違いありません。
 ただ、それだけの期間があれば、会社はデビューさせたクリエイターの才能を絞り尽くすことができる。才能を絞り、作品さえ残しておいてくれれば、会社としては収益が出ます。あと売れなくなったクリエイターなんて、交換がききますし。プロデビューしたいと夢を抱く若者なんて、掃いて捨てるほどいます。
 中には何十年もプロとしてやって行ける方もいるでしょう。しかし、それは一握りのトッププロのみ。トッププロとなるには、ずば抜けた才能と、流行に乗れるだけの幸運が必要です。でも才能なら努力で何とか補えるでしょうが、この運だけは人の身にどうしようもありません。
 全てのクリエイターがプロとして一生を送れるわけではないのです。

 でもね。
 あとの、プロになれなかった人間、プロを断念した人間は、それ以外の手段で生活してゆかなくてはなりません。生きているのだから。
 しかし。しかし、です。いわゆる「プロ以外」の人間とは、全て駄目な存在なのでしょうか。腕が劣っていたから、「プロ以外」なのでしょうか。プロのみが成功者なのでしょうか。

 ボクは、そんなことはないと思うのです。

2006年06月20日

ハイパーアマチュアと、プチクリと、マイドリーム : その06

前回:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3600682.html
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■ぼくらのホーリーランド

 アマチュアが作品を発表できる場が存在するかどうか。このことは、ひとつのメディアが将来的に発展するかと言う、鍵を握っています。
 そしてアマチュアがプロとして認められるための場。いわゆる新人賞などの登竜門は、アマチュアの作品発表のために、格好の場と言えるでしょう。

 例えば、小説の新人賞。
 日本の近代文学史において、アマチュア小説の発表の場は長らく、雑誌への投稿だけしかありませんでした。もちろん地方同人も昔から存在はしていましたが、役目としては「プロになるための訓練の場」としての性質の方が大きかったようです。

 そうして作った同人誌を、出版社や時の文豪に送りつけて、認めて貰う。もしくは新人賞を幾つか獲得し、晴れて出版社からお声をかけて貰う。(ちなみに地方の新人賞レベルだと複数は獲得しないと、プロとして認められるには厳しいようです)
 それで晴れて小説家プロデビュー。《プロデビュー》とは、自分が優れた創作能力を持っていると言うことをアピールするための、資格や免許みたいなものだったのです。このシステムは今でも大して変わっていないようですが。

 ただし、アマチュアには二種類います。
 ひとつは、プロを目指すアマチュア。プロ未満の存在です。
 もうひとつは、創作活動そのものが楽しくて創作を続けているのであって、別にプロを目指しているわけではないアマチュアです。

 アマチュアが存在するには、どのみち発表の場が必要となります。
 いわゆる素人演劇や、自主映画、インディーズ音楽の発表には、小劇場という発表の場が昔からありました。地方の公民館や、市民ホールも、アマチュア創作活動の発表に一役買っています。
 かつて漫画を発表するには、雑誌へ投稿するしか手段がありませんでした。しかしコミックマーケット、同人誌即売会と言う場が登場。以来、アマチュア漫画家はコミケに移行することになります。
 小劇場もコミケも、アマチュアリズムの象徴と言っても良いでしょう。

 と言うように映画・演劇・音楽・漫画では、アマチュアが作品を発表する場には事欠かなかった。以上のジャンルに、アマチュアのプロ越えが珍しくなかったのは、こうした背景があってのことではないでしょうか。
 プロを目指して、今はアマチュアとして切磋琢磨するも良し。ずっとアマチュアの場でやることに満足するのも良し。そうして噂が広まり、やっぱりプロとして認められるも良し。
 選択の幅の広さとはすなわち、多様な人間を受け入れる、間口の広さでもあります。

 ところで私見ですが。小説だけは未だに
「新人賞獲得してプロデューした人 = 創作能力に優れている = それ以外は能力的に劣っている」
と言う固定観念を多くの人が抱いているように感じます。それも特に、ライトノベルの世界において、この傾向は強いのではないでしょうか。

 新しい文学ジャンルであるはずのライトノベルがいつまでも、「投稿だけが自分の認められる唯一の場」だなんて、日本近代小説が持っていた伝統を維持している、と言うのは面白い現象だと言えるでしょう。

2006年06月19日

ハイパーアマチュアと、プチクリと、マイドリーム : その05

前回:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3575660.html
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■メディアのアンチエイジング

 メディアには流行り廃りがあります。
 例えば日本映画。最近は頑張っているとか言っても、既にテレビや洋画に負けてしまっているのは確かだと思います。でも邦画にだって、エンターテイメントのトップだった時代は、やはりあったんですよね。
 でも気が付くとスタッフ上層部は、年功序列で年寄りばかりになって、センスは古くなる。新しいことにチャレンジしようと思っても、スポンサーに大資本がついているから逆らえない。
 で、邦画は衰えてしまったわけですが。

 あるメディアが生まれた黎明期には、チャレンジ精神に溢れた若者が集まります。ただ、どんな可能性を秘めているのか、まだわからない。なので、新規メディアはどうしても「うさんくさいもの」と世間から見られてしまいます。
 まあ実際に、大半がクズ作品だったり、犯罪スレスレの行為がまかり通っていたり。黎明期のメディアが「うさんくさい」と見られるのには、やはりそれなりの理由があるのですが。

 今なら、インターネットが「それ」に当たりますね。WinnyのようなP2P技術も本当なら、すごい可能性を秘めているのでしょう。でもそれは、新しいものに対して拒否反応を示してしまう、旧い世代によって押さえつけられてしまいます。可能性を追求する前に、ただ「うさんくさい」と言う理由だけで。
 それも当然で。旧いメディアによってお金儲けをしていた人にとっては、新しいメディアなんて、自分たちの食い扶持を荒らし回る、ならず者でしかありません。

 今ではテレビドラマが映画化するのは珍しくありません。でもテレビ黎明期。邦画関係者にとってテレビは、質の劣る下らない存在に思えていたようです。それが、情熱に溢れる当時のテレビマンによって、逆に邦画を駆逐してしまったのですが。

 そうやって老いて、新しいことにチャレンジできなくなったメディアは、新しいメディアに代替わりをします。どんな世界でも年功序列だけは、大きな影響力を持っています。チャレンジ精神に溢れた若者として、新しいメディアに参加した人も、気が付けば昔の自慢ばかりしている老人になってしまいます。メディアの老化は防げません。
 でも流通基盤と言うインフラだけは整備されてしまっている。すると旧いメディアは《伝統芸能》と化します。例えば、歌舞伎や能のように。従来のシステムを伝えること自体が、メディアの目的になってしまうのですね。今なら、テレビ番組が「そう」なりつつあるんじゃないのか、と言うのはボク個人の考えです。

 ではメディアが老化しないためには、どうするのか。
 ひとつには、新しいことにチャレンジする。しかし、そもそも新しいことにチャレンジすることが出来ないようになったからこそ、メディアは老化するのです。そんなこと、言われたって困ります。
 と言うわけで、旧メディアが生き延びるために採る方法、それは、異なるメディアの特性を取り入れることです。それも出来れば、自分たちより立場の弱い、下位メディアを狙って。

 例えば、さっき説明したテレビと邦画の関係。邦画に才能ある若者が来なくなった。ならば、テレビで活躍している才能を連れてきて、映画を撮らせれば良いじゃないか。と言うことになります。
 最近なら、日本純文学がライトノベルの血を受け入れることで、延命を図ろうとしていますね。ちょっと前までは、さんざん見下していたのに。
 ライトノベルや漫画をアニメ化する、と言うのも同じ理由です。
 映画、小説、漫画、アニメ、ゲーム。このことは、あらゆるメディアで行われています。これだけで、メディア史に関する研究書が一冊書けてしまうくらいです。

 憶えておいてください。
 旧来の上位メディアは、新規参入してきた下位メディアの血を受け入れることで、システムの更新を行うのです。

 と言うことは、です。
 ひとつのメディアの衰亡期間には、底辺の広さが重要なファクターとなって関わってくる。すなわち、アマチュア活動の元気なメディアでないと、すぐにも滅びると言うことです。才能ある若者が新しく大量に、参入してくれませんから。

 では、大量のアマチュア獲得には、何が必要なのか。おおよそ、ふたつの要素が考えられます。
 ひとつは、大勢の人々が憧れ「自分(たち)もこんな作品を作ってみたい」と思えるような、モデルケースが存在していること。
 もうひとつは、アマチュア作品を発表できる《場》が存在していることです。

2006年06月15日

ハイパーアマチュアと、プチクリと、マイドリーム : その04

前回:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3558297.html
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■文章でハイパーな人

 ここまで説明したのは、映像においてハイパーアマチュアと呼ばれている人たちについてでした。では文章、特に小説の世界にはハイパーアマチュアと呼ばれている人はいないのでしょうか? いいえ、そんなことはありません。
 やはり代表的な方としては、『ひぐらしのなく頃に』の竜騎士07さんと、『月姫』や『Fate/stay night』の奈須きのこさんが挙げられるでしょう。

 竜騎士07さんは、ゲームと関係のない普通の仕事をしていました。しかし、ゲームを作りたいという欲求が、ずっと捨てられなかった。そこで作ったのが、あの『ひぐらしのなく頃に』だったそうです。だからあの『ひぐらしのなく頃に』は、お仕事をしながら制作したとか。
 そして今も竜騎士07さんは、そのお仕事を辞めることなく、ゲームの制作活動と、生活を両立させています。
 確かに『ひぐらしのなく頃に』は有名になりました。漫画化もされました。アニメ化までされました。今度はコンシューマ化もされるそうです。でもそうやって有名になったことも素晴らしいですが。それ以上に、仕事と創作を両立させながら、良い作品を作り上げた。
 これは、尊敬に値すると思います。

 その一方、奈須きのこさんは全てを捨てて、夢の実現に飛び込んできた方と言うことになるでしょうか。
 ゲーム会社に入社してはみたものの、好きなことが出来ないと言うことで退社。ならばと言うことで作り上げたのが、同人ゲーム『月姫』だったと言うことです。
 ただし『月姫』完成までの道程は、とても困難だったようです。確か、丸一年だったかな。その間、ずっと家に籠もってゲームのシナリオを書いていた。その、ゲームの制作期間中。生活などはずっと、理解ある友人がたに助けられていたそうです。
 ……でもこれって考えてみたら、一歩間違えれば迷惑な話なんですよね。プーでヒキコモリが、生活費をパラサイトしながら同人ゲームを作っていた。なんて表現してしまうと、すごく身も蓋もありません。
 成功するなんて保証はどこにもない。あるとすれば、自らの「腕前」に対する信頼のみ。とても勇気が必要だったと思います。
 これで失敗したら目も当てられないことになっていたでしょう。だが、奈須きのこさんは成功を手にした。『月姫』はその年において、他の美少女ゲームを遙かにしのぐ売り上げを果たしました。

 このおふたりの成功にも、パソコンの存在が大いに関わっています。
 文章を書くのにパソコンなんて役に立たない、ワープロくらいしか使わないじゃないか、と思われる方もいるかもしれません。確かに映像と違い、文章を書く際にパソコンを使ったからと言って、特に何が変わると言うわけではないでしょう。
 ただ、文章による表現媒体が、パソコンの発達により大いに拡大していたのです。

 まずはインターネット。奈須きのこさんも、もともと小説系ホームページを持っています。
 そして『ひぐらしのなく頃に』は体験版をvectorでダウンロードできるようになっている。まずはこの体験版が口コミで話題になったのが、『ひぐらしのなく頃に』人気に火がついたキッカケだったように、ボクは憶えています。

 それからDTPにより、かなり凝ったレイアウトの同人誌だろうが、誰でも簡単に作れるようになりました。やはり同人誌であっても、文章を読むのは活字の方が良い。手書き文字だと読みにくいですからね。

 そして、パソコンにおける文章表現に、最大の影響を与えたもの。それがノベルゲームです。
 文章だけでなく音楽や絵が加わって、相乗化された感動を与えられる、新たなる物語ジャンル。優れたフリーウェアにより、素人でも簡単にゲームが作れてしまう。むしろプロでも、そのフリーウェアを使っている場合すらある。少人数での制作が可能ゆえに、やる気のある者なら小資本で、誰でも参入が可能でした。
 結果、90年代において狭き門だったライトノベルから美少女ゲームに、優れた文才を持った人材が集中します。そして数々の天才が、美少女ゲーム界から誕生する。奈須きのこも、その中のひとりと言って良いでしょう。
 今のライトノベル・ブームと言われている現象の正体は、その美少女ゲーム界から生まれた才能が、また再度ライトノベルに逆流してくれたおかげ、と言うのが実際のところでしょう。

 

2006年06月12日

ハイパーアマチュアと、プチクリと、マイドリーム : その03

前回:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3554619.html
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■ハイパーな人がいた

 ところで、ハイパーアマチュアと言う存在は、最近になって出てきたわけではありません。

 1980年代のことです。
 みなさんは『SF大会』と言うイベントをご存じでしょうか。毎年行われている、SFファンのための集まりです。そこで、大会のために自主アニメや自主映画を撮影していた、関西の大学生を中心とするアマチュアグループがありました。名を『DAICON FILM』と言います。
 彼らの作った映像は、特撮もアニメも、どれもハイクオリティなものでした。アニメや特撮を作るためには資本力が必要であり、プロにしか不可能である、と言う固定観念が今よりも強かった当時のこと。プロ顔負けのクオリティの映像を、アマチュア集団が作ったと言うのは、相当の衝撃だったようです。しかもその内容と言えば、SFファンのために作られたものですから、とてもパロディ色が強かった。つまり、SFファンが求めていながら、プロの作る商業作品としてはありえない映像を作ってくれた。DAICON FILMとは、SFファンである当時の人々の、まさに求めていた声を代弁する存在だったわけです。

 ちなみにこのDAICON FILMが作った、SF大会のオープニングアニメ。最近になって、TVドラマ『電車男』のオープニングでパロディされています。
 でも、どうやら当時を知る古いマニアにしてみれば、「やっぱり、DAICON FILMの方が良い」と言う意見の方が多いようですがね。

 そして、このアマチュア集団DAICON FILMのメンバー。のちにGAINAXと言うアニメ会社を設立しています。そう、あの庵野秀明監督がいらっしゃる『エヴァンゲリオン』を作った会社です。ちなみに、庵野秀明監督自身も、当時大学生。DAICON FILMに参加なさっていました。……特撮監督とか、ウルトラマンの役で。

 このDAICON FILM。チャンスがあれば、皆さんも、一度は見た方が良いかもしれません。とてもじゃありませんが、大学生が作ったものとは思えませんから。すごく手間がかかっています。撮影機材、セット、火薬での爆発。一体どこから資金を捻出してきたのか。すごく疑問です。
 そもそも、これだけの映像を何本も作るのに、どれだけの労力がかかったのか。想像しただけで、気が遠くなってきます。

 その意味で、映像クリエイターを目指す人たちにとって現在は幸福な時代なのかもしれません。高性能で安価なパソコンが、今ではありますから。高価な撮影機材も、編集機器も必要ない。大がかりなセットも、特殊効果も、CGを作る手間さえ惜しまなければ、誰にでも撮影可能。そもそも、大勢の協力を求めなくても良い。個人でも活動しやすくなっている。
 これって実は、すごいことなんですよね。
 

2006年06月11日

ハイパーアマチュアと、プチクリと、マイドリーム : その02

前回:http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/3540465.html
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■ハイパーな人がいる

 最近になって《ハイパーアマチュア》と言う存在、呼称が気になっています。
 ハイパーなアマチュア。すごい素人。プロ並、もしくはプロ以上の腕前を持った素人。つまりはそう言った人を指した意味の言葉です。そんな人、本当にいるの? と言う意見もあるかもしれません。いや、実際にいるのです。
 と言うわけで、現代のハイパーアマチュアと呼ばれている、もっとも有名な人を挙げるなら。それはやはり、『ほしのこえ』の新海誠さんと、『惑星大怪獣ネガドン』の粟津順さんでしょう。

 アニメ『ほしのこえ』の新海誠さんは、ほぼ独力でハイクオリティのCGアニメを作ってしまった人です。
 そして粟津順さんが、やはりこれも独力で作り上げてしまった『惑星大怪獣ネガドン』。これは、全編CGで撮られた怪獣映画です。実写は一切使用されていません。

 この有名なハイパーアマチュアのおふたりに共通していることがあります。
 まず、作品がハイクオリティであること。まあ、これは当然でしょう。素晴らしい作品でなければ、話題になることもありません。ですが、ハイクオリティなだけでは、話題にならない。良質なアニメや映画なら、大手映画会社やアニメ会社で、いくらでも作られています。

 と言うわけで、ふたつめの共通点。それは両者とも、プロにも負けないようなクオリティの作品を、独力で作り上げていることです。このことは、プロにとって脅威となりえました。独力であると言うことは、人件費もかからなければ、製作費用も安くなければならない。つまり、大手プロがいくら何億円もつぎ込んだ映画を撮影しても、ほぼコストゼロで作られた映画に負けては、採算が合わなくなる。そのような時代が確実にやってきたことを、この両者の作品は示唆していたからです。

 そして、独力でのアニメや映画撮影を可能にしたのが、CGの存在です。90年代後半からはじまる、パソコンの普及と高性能化の波がなければ、これらの作品は撮影不可能だったでしょう。

 ところで、最後に挙げる両者の共通点として。おふたりとも独力ゆえの悲しさですね。完成にまで、かなりの時間がかかっています。
 そして時間がかかると言うことは、完成まで収入の当てがないと言うことです。ですから、おふたりとも会社勤めをしながらの映像作成をなさっています。だから余計に完成までの時間がかかってしまうのですが。
 『ネガドン』なら完成まで、2年。『ほしのこえ』なら
2000年の初夏に会社勤めのかたわら制作をはじめ、その間まあいろいろとありまして滞り気味だったのですが、2001年の初夏に会社を退職してフリーになるに伴い本格的に制作に専念をはじめました。(2002年1月に完成)
とのことです。
 ただこの、独力では完成まで時間がかかると言うデメリット。パソコンの普及により、個人でも映画撮影が可能になったように、いつの日か技術的な解決方法が見出されるのではないか、とボクは考えています。

 

2006年06月09日

ハイパーアマチュアと、プチクリと、マイドリーム : その01

■反刈りのすごい人がいた話

 ある人とメッセンジャーでお話をしていた時のことです。ボクはその人に質問をされました。
「はまさんの文章書きとしての目標って何?」
 そう訊かれて、ようやく気が付いたことがあります。ボクってば、文章を書くこと自体、チャレンジそのものが楽しくて。文章を書くことにより何かを目指したり手に入れようとする、と言うことを全く考えていませんでした。

 このことは、ボクとしてもショックでした。確かに小説修行を始めた頃はボクも、ラノベ作家になって左うちわの生活をしてみた〜い、なんて夢見ていたハズだったのが。どうやら気が付いたら、そのことをスッカリ忘れてしまっていたようです。
 ただなぜ自分がそのことでショックを受けてしまったのか。このときは、まだ自分でも良くわかっていませんでした。

 その認識が変わるきっかけは、新聞でとある記事を偶然読んでからです。

 榎忠[えのきちゅう]と言うアーティストをご存じでしょうか。
 代表的なパフォーマンスに『半刈りでハンガリーへ行く』と言うものがあります。どのようなことをしたのかと言うと。まず全身のあらゆる体毛を、左右のどちらかは忘れましたが、とにかく片側だけ剃って、外国のハンガリーへ行ったのです。ダジャレです。ちなみに翌年には、生えそろったもう片側の体毛を剃って、またハンガリーへ行っています。
 ちなみにこの方。日本のアートシーンからは、全く評価されませんでした。でも今の若いアーティストの中では、カリスマ扱いです。日本が誇る世界的アーティストと言っても良いでしょう。

 ボクも名前と、やったことの内容だけは知っていました。すごい人である、と言うことも理解していました。
 でも最近になってボクは知りました。実は、この榎忠と言う大アーティストが、芸術だけでは生活できなかったから普通に会社員をしていた、と言うことを。驚きです。
 ちなみに『反刈り』の時には、そのヘアスタイルで通勤していたそうです。すごい根性だ。

 ここでようやくボクは、自分が受けたショックの正体を理解できました。どうやらボクは「評価される=プロになる」と言う固定観念を持っていたようです。本当はそんなこと、信じちゃいなかったくせに。でも良く考えてみれば、わかることでした。
 評価されるだけのモノを持った人が全て、プロとして生活できるとは限らない。
 そして、プロだからと言って、《プロではない人々》より優れているとは限らない、と言うことに。