2007年10月12日
笠間稲荷神社
金曜日
10月06日の笠間の散歩、北の蕎麦畑を見た後、街の中心にある笠間稲荷神社を訪ねた。
市内を歩いても丁度お昼時のせいか、道行く人は非常に少ない。
幹線道路から神社の駐車場を示す看板を参考に歩いて、神社の角にある大きな石灯籠の所に出た。
なんとなく、正面の鳥居がどこか分からず、横から境内に入り込む。
そこには、社の形の鉄筋コンクリートの建物があり、少々興ざめ。

正しく鳥居のある参道から境内に入ると、ちゃんと時代を感じさせる。
更に奥に、この本殿があった。
手前にある2つのテントは、13日から催される菊祭りの準備に置かれたもの。
テントの中には、もう幾鉢か菊の花が置かれていた。
おみくじを頂いたところ、『吉』。
今度の菊祭りは、開催100回を記念して、14日に市民体育館で小椋桂氏のコンサートがあるそうで、おみくじの横にポスターが置かれチケットが売られていた。
鳥居の前の通りには、蕎麦屋やみやげ物屋さんが並んでいる。
車を停めておいた芸術の森へ戻る途中、笠間小学校の前を通った。
そこは静かな市内とは、うって変わって賑やか。
運動会が行われていた。
小学校の正門の横に、この地に昔『藩校』が在ったと記されている。
さて、芸術の森へ戻ると、焼き物フェアに多くの人が来ていた。
普段はあまり陶芸品に興味のない私も、ついつい見入ってしまう。
茨城県陶芸美術館で、『北大路魯山人と岡本太郎展』を見学。
初めて、魯山人の書や陶芸の作品・岡本太郎の作品まじまじと見た。
魯山人が、岡本太郎の祖父に書家として弟子入りした人だったと、初めて知った。
岡本太郎氏の作品は、黒の使い方が少々怖い。
あの大阪万博のシンボル、太陽の塔の裏側に黒い太陽が描かれていたことも初めて知った。
約2時間見学し、夕方4時頃帰路に着いた。
帰りの道は旧道を走り、石岡の市内を通った。
石岡市内は、古い蔵が立ち並ぶいい雰囲気、石岡もじっくり歩いてみたい。
今日の日常
10月06日の笠間の散歩、北の蕎麦畑を見た後、街の中心にある笠間稲荷神社を訪ねた。
市内を歩いても丁度お昼時のせいか、道行く人は非常に少ない。
幹線道路から神社の駐車場を示す看板を参考に歩いて、神社の角にある大きな石灯籠の所に出た。なんとなく、正面の鳥居がどこか分からず、横から境内に入り込む。
そこには、社の形の鉄筋コンクリートの建物があり、少々興ざめ。
正しく鳥居のある参道から境内に入ると、ちゃんと時代を感じさせる。更に奥に、この本殿があった。
手前にある2つのテントは、13日から催される菊祭りの準備に置かれたもの。
テントの中には、もう幾鉢か菊の花が置かれていた。
おみくじを頂いたところ、『吉』。
今度の菊祭りは、開催100回を記念して、14日に市民体育館で小椋桂氏のコンサートがあるそうで、おみくじの横にポスターが置かれチケットが売られていた。
鳥居の前の通りには、蕎麦屋やみやげ物屋さんが並んでいる。車を停めておいた芸術の森へ戻る途中、笠間小学校の前を通った。
そこは静かな市内とは、うって変わって賑やか。
運動会が行われていた。
小学校の正門の横に、この地に昔『藩校』が在ったと記されている。
さて、芸術の森へ戻ると、焼き物フェアに多くの人が来ていた。
普段はあまり陶芸品に興味のない私も、ついつい見入ってしまう。
茨城県陶芸美術館で、『北大路魯山人と岡本太郎展』を見学。
初めて、魯山人の書や陶芸の作品・岡本太郎の作品まじまじと見た。
魯山人が、岡本太郎の祖父に書家として弟子入りした人だったと、初めて知った。
岡本太郎氏の作品は、黒の使い方が少々怖い。
あの大阪万博のシンボル、太陽の塔の裏側に黒い太陽が描かれていたことも初めて知った。
約2時間見学し、夕方4時頃帰路に着いた。
帰りの道は旧道を走り、石岡の市内を通った。
石岡市内は、古い蔵が立ち並ぶいい雰囲気、石岡もじっくり歩いてみたい。
今日の日常
2007年10月11日
笠間散歩その5
木曜日
10月06日、市内の神社・お寺を巡って、普通のお寺の立派さに感嘆し、次いで市の北の大井神社へ。
この途中、大淵神社へ寄ろうと思っていたが、2万5千分の一地図には無い県道が整備されており、知らず知らずのうちに遥かに北側にずれてしまい、大井神社への道を歩いていた。


遠くからでも、神社の案内看板が見える。実に親切。
小さな堀に架かる石橋を渡り、数段の石段を登ると、そこは見事な杉並木の参道。
中でもひときわ太い2本の杉が目を引き、そこに『親子杉』の石碑が建てられていた。
杉に囲まれた200mはあろうかという長い参道の奥のほっと開けた場所に、大井神社の本殿があった。
静けさが、心地よい。
この後、まだ早かったので、更に北へ歩く。
白い花をつけた蕎麦畑が広り、遠目に綿のように見えた。
こんなに広い蕎麦畑は、初めてみた。
ここから、南の市の中心である日本三大稲荷である、笠間神社へ向かった。
幹線道路は日陰も少なく、秋晴れの太陽に焙られ歩いていて少々汗が出てくる。
今日の日常
10月06日、市内の神社・お寺を巡って、普通のお寺の立派さに感嘆し、次いで市の北の大井神社へ。
この途中、大淵神社へ寄ろうと思っていたが、2万5千分の一地図には無い県道が整備されており、知らず知らずのうちに遥かに北側にずれてしまい、大井神社への道を歩いていた。


遠くからでも、神社の案内看板が見える。実に親切。
小さな堀に架かる石橋を渡り、数段の石段を登ると、そこは見事な杉並木の参道。
中でもひときわ太い2本の杉が目を引き、そこに『親子杉』の石碑が建てられていた。
杉に囲まれた200mはあろうかという長い参道の奥のほっと開けた場所に、大井神社の本殿があった。
静けさが、心地よい。
この後、まだ早かったので、更に北へ歩く。
白い花をつけた蕎麦畑が広り、遠目に綿のように見えた。こんなに広い蕎麦畑は、初めてみた。
ここから、南の市の中心である日本三大稲荷である、笠間神社へ向かった。
幹線道路は日陰も少なく、秋晴れの太陽に焙られ歩いていて少々汗が出てくる。
今日の日常
2007年10月10日
笠間城
水曜日
10月06日、笠間への散歩の目的の一つ、笠間城址へ。
玄勝院から西側へ出て、道路に建てられた道しるべに従って小路を登り、佐白山麓公園に出る。
笠間城址のある佐白山を巡るハイキングコースの案内があり、それに従って笠間城址のある海抜208mの佐白山山頂を目指して歩く。

広々とた公園で、桜や紅葉の季節は綺麗なことと思われる。
そこに建てられている銅像は、なんと忠臣蔵の討ち入りの姿の大石蔵之介。
かつて、笠間はあの浅野氏が藩主を務めた時期もあったそうで、公園の下には大石邸跡も在った。
山道を登ると、山頂の手前に天守跡の石碑があった。
石碑の近くには、笠間小の作った案内板があり、『笠間城は明治になって廃城となり、本丸と共に壊された』と記されていた。
この近くまでは車で登ってこれるが、ここからは急な石段が山頂まで続く。
山頂手前に石垣が残っていて、崩壊の危険があるらしく周囲はロープで規制されている。
その先、傾斜の急な苔むして角が取れすべりがちな石段を登ると、佐白山山頂の佐志能神社がある。
山城である天守の跡に、この神社が建てられている。
神社の周囲は狭く、人一人が歩いてやっと周れるほどしか余地がなく、よくぞこんな所に石を積んで天守閣や神社を建てたものだ。
今日の日常
10月06日、笠間への散歩の目的の一つ、笠間城址へ。
玄勝院から西側へ出て、道路に建てられた道しるべに従って小路を登り、佐白山麓公園に出る。
笠間城址のある佐白山を巡るハイキングコースの案内があり、それに従って笠間城址のある海抜208mの佐白山山頂を目指して歩く。

広々とた公園で、桜や紅葉の季節は綺麗なことと思われる。そこに建てられている銅像は、なんと忠臣蔵の討ち入りの姿の大石蔵之介。
かつて、笠間はあの浅野氏が藩主を務めた時期もあったそうで、公園の下には大石邸跡も在った。
山道を登ると、山頂の手前に天守跡の石碑があった。石碑の近くには、笠間小の作った案内板があり、『笠間城は明治になって廃城となり、本丸と共に壊された』と記されていた。
この近くまでは車で登ってこれるが、ここからは急な石段が山頂まで続く。
山頂手前に石垣が残っていて、崩壊の危険があるらしく周囲はロープで規制されている。
その先、傾斜の急な苔むして角が取れすべりがちな石段を登ると、佐白山山頂の佐志能神社がある。山城である天守の跡に、この神社が建てられている。
神社の周囲は狭く、人一人が歩いてやっと周れるほどしか余地がなく、よくぞこんな所に石を積んで天守閣や神社を建てたものだ。
今日の日常
2007年10月09日
笠間の玄勝院
火曜日
笠間で芸術の森公園からギャラリーロードを歩いてきて、笠間城祉公園へ目指した途中にこの石碑があった。
低いほうの石の柱の上面には、玄勝院の説明が掘られていた。
『江戸時代初期、曹洞宗の総寧寺(市川市)から巨海良達和尚が隠居した。学風と徳を慕って訪れる者多く、和尚のいる所を山居と称した。後にこの地一帯の地名となり、武家屋敷もあった。』
この文に惹かれ、この奥へ足を進めた。


ゆったりとした参道、こじんまりした山門。
いい感じだ。
山門をくぐったら、正面には本堂が再建の為基礎工事中、右手に奥の山にある墓地に続く古い石段があった。
手持ちの2万5千分の一の地図によると、ここを昇れば笠間城跡のある佐白山へ行けるように見えた。
苔むした石段をのぼり、墓地の横の急な坂を上り詰めたが、道は続いていなかった。 残念。
石段を登っている時、墓参をされている檀家の方をお見かけした。
本堂が再建中だったのは残念だったが、多くの檀家に支えられているお寺であると感じ入った。
今日の日常
笠間で芸術の森公園からギャラリーロードを歩いてきて、笠間城祉公園へ目指した途中にこの石碑があった。
低いほうの石の柱の上面には、玄勝院の説明が掘られていた。『江戸時代初期、曹洞宗の総寧寺(市川市)から巨海良達和尚が隠居した。学風と徳を慕って訪れる者多く、和尚のいる所を山居と称した。後にこの地一帯の地名となり、武家屋敷もあった。』
この文に惹かれ、この奥へ足を進めた。


ゆったりとした参道、こじんまりした山門。
いい感じだ。
山門をくぐったら、正面には本堂が再建の為基礎工事中、右手に奥の山にある墓地に続く古い石段があった。
手持ちの2万5千分の一の地図によると、ここを昇れば笠間城跡のある佐白山へ行けるように見えた。
苔むした石段をのぼり、墓地の横の急な坂を上り詰めたが、道は続いていなかった。 残念。
石段を登っている時、墓参をされている檀家の方をお見かけした。
本堂が再建中だったのは残念だったが、多くの檀家に支えられているお寺であると感じ入った。
今日の日常
2007年10月08日
笠間の散歩その2
月曜日
10月6日、芸術の森から笠間の市内を歩き始め、しゃれた外観のお店が多いことに感心した。


左は、豆腐屋さん。隣は、一見しゃれたカフェだと思ったが、アクセサリーか何かの工房で、女性が一所懸命に作業中だった。


玄勝院というお寺の近くにあった左のこれは、一見料亭の入り口かと思ったが、陶芸の窯元。
右は、県道に面したドライブインの隅にあった。
また、普通の商店も、『ちょっとアートしているなぁ』という雰囲気の所が多かった。
この頃は、まだ午前中の10時頃のため、人通りも少なく街の中は極めて静かだった。
ところが、市の北側を歩いて戻ってきた午後も、やはり市内は笠間稲荷の周囲を除くと、変わらずに静かなもの。
さて、これは一体どうしたことか、寂れている?
今日の日常
10月6日、芸術の森から笠間の市内を歩き始め、しゃれた外観のお店が多いことに感心した。


左は、豆腐屋さん。隣は、一見しゃれたカフェだと思ったが、アクセサリーか何かの工房で、女性が一所懸命に作業中だった。


玄勝院というお寺の近くにあった左のこれは、一見料亭の入り口かと思ったが、陶芸の窯元。
右は、県道に面したドライブインの隅にあった。
また、普通の商店も、『ちょっとアートしているなぁ』という雰囲気の所が多かった。
この頃は、まだ午前中の10時頃のため、人通りも少なく街の中は極めて静かだった。
ところが、市の北側を歩いて戻ってきた午後も、やはり市内は笠間稲荷の周囲を除くと、変わらずに静かなもの。
さて、これは一体どうしたことか、寂れている?
今日の日常
2007年10月07日
笠間の散歩その1
日曜日
だけど、昨日の笠間を振り返る。
朝9時半、車で笠間芸術の森公園に到着。
家を7時40分頃出発。ネットで検索したりしていたため、出発時刻が少々遅くなったので。柏から高速道路を利用した。
ここを笠間市の散歩のスタート・ゴール地点にして、午後4時頃までに帰ってくればよい。
公園内をぐるぐる回って公園中央の着いたら、丁度この3連休に『笠間焼フェア』が開催され、その準備作業の真っ最中。
これは好都合、ここをスタート地点に選んだこと俺って、ついている。
陶芸フェアの会場のから、広場をはさんだ向かい側に、茨城県陶芸美術館があった。
なんと、特別展示として『北大路魯山人と岡本太郎展』がある。
これは、まず見て行こうかと思ったが、開館時刻は9時半ともう少しだった。
これは市内を歩き回ってから、あとでのんびりここを見物することにして、2万5千分の1の地図を頼りに歩き始めた。
今日の日常
だけど、昨日の笠間を振り返る。
朝9時半、車で笠間芸術の森公園に到着。家を7時40分頃出発。ネットで検索したりしていたため、出発時刻が少々遅くなったので。柏から高速道路を利用した。
ここを笠間市の散歩のスタート・ゴール地点にして、午後4時頃までに帰ってくればよい。
公園内をぐるぐる回って公園中央の着いたら、丁度この3連休に『笠間焼フェア』が開催され、その準備作業の真っ最中。
これは好都合、ここをスタート地点に選んだこと俺って、ついている。
陶芸フェアの会場のから、広場をはさんだ向かい側に、茨城県陶芸美術館があった。なんと、特別展示として『北大路魯山人と岡本太郎展』がある。
これは、まず見て行こうかと思ったが、開館時刻は9時半ともう少しだった。
これは市内を歩き回ってから、あとでのんびりここを見物することにして、2万5千分の1の地図を頼りに歩き始めた。
今日の日常

