EU誕生ねぇ... 日記
つれづれ なるままに


2005年09月12日

「もともと特別なOnly one」などいない

一昨年のNHK紅白歌合戦のトリを努めたSMAPは、『世界に一つだけの花』を歌った。その歌には、「No.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」という歌詞がある。僕はそれに対して「No.1よりOnly oneになる方がめちゃめちゃ難しいって分かっとるんかいな」と突っ込んだ。確かに生物学上は、他人と同一の人間など一人として存在しない。けれどもそれは「個体」レベルの話であって、「個人」のレベルの話ではない。つまり、「もともと特別なOnly one」である人間などほとんどいない。「特別なOnly one」は努力によって到達されるべきものであるし、誤解を恐れずに言うと、「特別なOnly one」となるべき特別な能力が全ての人にあるわけではない。誰もがイチローやゴジラや愛ちゃんのような特別な能力を持っているはずがない。だから、ないものを要求するのは暴力以外の何物でもない。

民営化を柱とする「聖域なき構造改革」は、そのような暴力で成り立っている。個人の能力を最大限に引き出せることができるような小さな政府を目指すんだと「カレラ」は主張している。でも、ほとんどの人々にはその発揮するべき特別な能力がないわけで、「カレラ」の言う「小さな政府」では必然的に切り捨ての対象となる。自助努力を怠っている者、すなわち「怠け者」というレッテルを貼られてね。神戸女学院大学の内田樹教授が、今回の衆議院議員選挙の結果を受け、自身のブログで次のように書いてはる。
小泉首相の美意識は「弱者は醜い」ということにある。
これを私はつよく感じた。
全くもって同感。自らの「聖域なき構造改革」によって「弱者」が構造的に生み出されるにもかかわらず、「カレラ」は「弱者」の「怠惰」を非難する。「カレラ」は1980年代におけるサッチャリズムとレーガニズムを忠実に再現している。サッチャリズムとレーガニズムに代表されるネオ・リベラリズムの考えは、「弱者は怠惰」であり「弱者であるのは自業自得」だというもの。本来であれば「弱者」を生み出す社会構造にメスを入れなければならんのやが、「カレラ」はそのようなことは一切せず、「セキュリティ」をことさら重視して「弱者」による異議申し立てを「犯罪」とみなし、国家権力による厳格な権力の行使を指向する。ネオ・コンサーバティブはこのような考え方を国内だけではなく、国外にも適用しようとする。「対テロ戦争」というのはその典型例。

「聖域なき構造改革」によって生み出される日本の「弱者」は、しかしながら抵抗の手段すら奪われていると言えるかもしれない。「ホームレス」の人々は投票所など行けない。住所のない者は、事実上投票することなどできない。「知的障害者」は定義上投票することができない。「寝たきり老人」は代筆が禁止されているため、事実上投票することができない。だから「カレラ」は、そういった人々の存在を無視することができる。いや、おそらく嗤笑しているに違いない。なんせ「カレラ」にとって「弱者は醜い」ものなんやから。
 

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