2012年05月24日
明日成田を発ちます
快晴の昨日、朝から大宮市にある大宮公園のテニスコートへ出かけました。「関東オープン」が行われています。後輩の山下君、原口君が出場しています。山下君は55歳以上クラス、原口君は50歳以上クラスのベテランの部です。
原口君は男子シングルス3回戦、相手選手が欠場で不戦勝。山下君はクラブで知り合った選手と組んでのダブルス、6−1,6−0とストレートであっさり快勝。4人の中での山下君のプレーは一人抜きん出ています。往復2時間かけて行ったワリには応援のし甲斐の無いはありませんでした。
世間で50歳と言うとオッサンですが、公式試合に出るレベルとなると流石に若々しい動きが健在です。どう見ても40歳代、場合によっては30歳代に見えます。仕事ではまだみんな現役世代です。普通のサラリーマンでは平日に何日も休みは取れません。どうやり繰りしながら試合に出ているのか不思議です。
ベテランの部には更に60歳以上、65歳以上・・・と続き、80歳以上までありますから、僕にも出るチャンスはあります。刺激を受けました、練馬区内で何かトーナメントがあれば出てみようかと思います。それにはもう一度身体を鍛えなおす必要があります。勿論きっちり練習もしないといけません。それにも増して弛みきった精神を鍛えなおす事が先決です。
夕方時は「七隈っ隊」のメンバー、T君とM君とお寿司屋さんに集まりました。今後の「七隈っ隊」の進め方について色んな話をしました。昨年の10月の発足以来、成り行きで僕が殆どの物事を決めたり進めたりして来ましたが、組織も大きくなり、僕独りではそろそろ限界です。ボランティアの都度「反省会&報告会」を開いてはいますが、もう少ししっかりとした規律は必要です。隊員の誰かに実行委員をお願いしたり、会計での面倒も見て貰う必要があります。そろそろ転換期に来ました。
お寿司屋さんが終わってラーメン屋さんの寄りました。飲んだ後のラーメンは格別に美味しく感じられますが、夜の10時近い時間帯ではいささかメタボが気になります。この辺り若いT君とM君には理解の範囲を超えているようです。今朝の体重、64.2キロでした。約1キロオーバーです。
ところで明日の朝、成田を発ちます。「中欧」に出掛けます。6月1日に帰ってきますがそれまで暫くブログはお休みさせていただきます。
原口君は男子シングルス3回戦、相手選手が欠場で不戦勝。山下君はクラブで知り合った選手と組んでのダブルス、6−1,6−0とストレートであっさり快勝。4人の中での山下君のプレーは一人抜きん出ています。往復2時間かけて行ったワリには応援のし甲斐の無いはありませんでした。
世間で50歳と言うとオッサンですが、公式試合に出るレベルとなると流石に若々しい動きが健在です。どう見ても40歳代、場合によっては30歳代に見えます。仕事ではまだみんな現役世代です。普通のサラリーマンでは平日に何日も休みは取れません。どうやり繰りしながら試合に出ているのか不思議です。
ベテランの部には更に60歳以上、65歳以上・・・と続き、80歳以上までありますから、僕にも出るチャンスはあります。刺激を受けました、練馬区内で何かトーナメントがあれば出てみようかと思います。それにはもう一度身体を鍛えなおす必要があります。勿論きっちり練習もしないといけません。それにも増して弛みきった精神を鍛えなおす事が先決です。
夕方時は「七隈っ隊」のメンバー、T君とM君とお寿司屋さんに集まりました。今後の「七隈っ隊」の進め方について色んな話をしました。昨年の10月の発足以来、成り行きで僕が殆どの物事を決めたり進めたりして来ましたが、組織も大きくなり、僕独りではそろそろ限界です。ボランティアの都度「反省会&報告会」を開いてはいますが、もう少ししっかりとした規律は必要です。隊員の誰かに実行委員をお願いしたり、会計での面倒も見て貰う必要があります。そろそろ転換期に来ました。
お寿司屋さんが終わってラーメン屋さんの寄りました。飲んだ後のラーメンは格別に美味しく感じられますが、夜の10時近い時間帯ではいささかメタボが気になります。この辺り若いT君とM君には理解の範囲を超えているようです。今朝の体重、64.2キロでした。約1キロオーバーです。
ところで明日の朝、成田を発ちます。「中欧」に出掛けます。6月1日に帰ってきますがそれまで暫くブログはお休みさせていただきます。
【日記の最新記事】
2012年05月22日
「金環日食」に人生の未練を感じます
「金環日食」を見ることが出来ました。曇っていたお陰で見事な「金環」も肉眼で見ることが出来ました。写真も撮りました、レンズの前に観察用の490円のメガネのフィルターを被せてシャッターを切ったのですが、期待した「金環」は撮れませんでした。

フィルターを被せて撮りました

フィルター無しです、曇っていたお陰で何とか撮れました
次の「金環日食」はいつなのか知りませんが、その時には僕はもうこの世にいない事だけは確かです。そんな事を考えると「これが見納め」とばかりに未練がましく頑張ってしまいます。子供たちは別にして、その点、若い人達は「金環日食」に対する思い入れは今ひとつなようです。やはりこれからの長い人生、色々なチャンスがあるという確信があるからだと思います。初老の我々とは決定的に違う人生観です。
最近、色んな所に旅した時、「ここにはもう二度と来ないだろうな・・・」と思うことが良くあります。希に「この人とはもう二度と会わないだろうな・・・」といった別れもあります。人生の黄昏を感じます。
今振り返ってみると、若い頃人生は無限に長く感じられました。そのせいで若い頃には随分と日々を無為に過ごしてきました。今までの人生「悔いあり」です。せめてあと残された時間をまともに悔いなく過ごせたらと、いささか焦りの気持ちの中で過ごしております。人生をマラソンに例えると、ゴール間近のスタジアムに入って、始めて一生懸命走っているようなものかもしれません。
人生のゴールがいつなのか分かりません。しかし、近いことだけは確かです。このまま穏やかに余生を過ごすことも選択肢の一つではありますが、僕の場合はどうも無理なようです。「悔いなく死ぬ」為にはやはり野に出て走り回るしかないようです。幸運にも健康体を取り戻す事ができました。感謝しつつもう暫くバタバタと走り回ります。
フィルターを被せて撮りました
フィルター無しです、曇っていたお陰で何とか撮れました
次の「金環日食」はいつなのか知りませんが、その時には僕はもうこの世にいない事だけは確かです。そんな事を考えると「これが見納め」とばかりに未練がましく頑張ってしまいます。子供たちは別にして、その点、若い人達は「金環日食」に対する思い入れは今ひとつなようです。やはりこれからの長い人生、色々なチャンスがあるという確信があるからだと思います。初老の我々とは決定的に違う人生観です。
最近、色んな所に旅した時、「ここにはもう二度と来ないだろうな・・・」と思うことが良くあります。希に「この人とはもう二度と会わないだろうな・・・」といった別れもあります。人生の黄昏を感じます。
今振り返ってみると、若い頃人生は無限に長く感じられました。そのせいで若い頃には随分と日々を無為に過ごしてきました。今までの人生「悔いあり」です。せめてあと残された時間をまともに悔いなく過ごせたらと、いささか焦りの気持ちの中で過ごしております。人生をマラソンに例えると、ゴール間近のスタジアムに入って、始めて一生懸命走っているようなものかもしれません。
人生のゴールがいつなのか分かりません。しかし、近いことだけは確かです。このまま穏やかに余生を過ごすことも選択肢の一つではありますが、僕の場合はどうも無理なようです。「悔いなく死ぬ」為にはやはり野に出て走り回るしかないようです。幸運にも健康体を取り戻す事ができました。感謝しつつもう暫くバタバタと走り回ります。
2012年05月20日
音符の読めない僕ですが
昨夜は久しぶりに山口葵さんのライブを聴きに行きました。先月NYへ3週間の勉強に行ってきたそうです。向こうでは70、80を超えるジャズボーカリストがワンさといます。ジャズは若者のものと言う固定観念はすでに遠くのものになりつつあります。葵さん、少し歌質が変わったように思います。声にどっしり感が加わりました。NYでの3週間の成果なのでしょうか?成長を続ける中での一つの節目なのかも知れません。努力家の彼女のことです、いくつかの節目を経て、美しさを保ちつつ70、80まで歌い続けるのではないでしょうか?
ベーシストの山村隆一さん、同じく九州の出身です。もう東京に居を構えて数十年、都内のライブハウスやホテルを中心に大きなコントラバスを抱えて走り回っています。博多の従兄からの紹介で知遇を得ました。一言でいえば「丁寧」な演奏です。選曲にもよりますが、しっとりとした演奏に味があります。ライブの次の日、必ずお礼のメールが送られてきます。人柄も「丁寧」な人です。
物心ついてからの僕は運動系一本出来ました。鞍馬天狗のチャンバラから始まって、野球、バスケ、テニス、ゴルフの歴史です。学問系はおろか芸術系からも遠く離れた生活を送ってきました。しかしここにきて運動系以外の人との交わりが増えてきました。しかし、ジャズ談義などが始まっても蚊帳の外に居ます。知らないミュージシャンの名前がいっぱい出てきますが、皆目わかりません。テニスの世界にロッド・レーバーやローズウォールの歴史があるように、ジャズの世界にも歴史があります。そんな歴史を語り合う彼らの目は輝いています。その流れを汲む、あるいは伝承を受け継いでいると言う誇りのようなものがあるのかも知れません。
自然科学が発展する裏にはニュートンやアインシュタインなどの「理論」があります。先人が立てた「理論」の上にさらに新しい発見があり、進歩が重ねられてきました。どうやら芸術の分野においても、同じように先人の「功績」があってこその今なのではないかと思います。しかし、科学的な進歩と言うような俗物的なものではありません。芸術が人の歴史に果たしてきた役割は、それらを超越しなナニカです。「伝統」と言う言葉だけでひとくくりにするには余りにも軽い感じがします。食べる事、生殖することなどの本能とは違う次元の世界だからでしょうか?芸術を糧とする人々に共通するのは暖かさのようなものです。あるいは心のリッチさのようなものかも知れません。
音符も読めない僕ですが、違った世界の人たちの話を聴くのは好きです。いい人達に出会うことが出来ました。
ベーシストの山村隆一さん、同じく九州の出身です。もう東京に居を構えて数十年、都内のライブハウスやホテルを中心に大きなコントラバスを抱えて走り回っています。博多の従兄からの紹介で知遇を得ました。一言でいえば「丁寧」な演奏です。選曲にもよりますが、しっとりとした演奏に味があります。ライブの次の日、必ずお礼のメールが送られてきます。人柄も「丁寧」な人です。
物心ついてからの僕は運動系一本出来ました。鞍馬天狗のチャンバラから始まって、野球、バスケ、テニス、ゴルフの歴史です。学問系はおろか芸術系からも遠く離れた生活を送ってきました。しかしここにきて運動系以外の人との交わりが増えてきました。しかし、ジャズ談義などが始まっても蚊帳の外に居ます。知らないミュージシャンの名前がいっぱい出てきますが、皆目わかりません。テニスの世界にロッド・レーバーやローズウォールの歴史があるように、ジャズの世界にも歴史があります。そんな歴史を語り合う彼らの目は輝いています。その流れを汲む、あるいは伝承を受け継いでいると言う誇りのようなものがあるのかも知れません。
自然科学が発展する裏にはニュートンやアインシュタインなどの「理論」があります。先人が立てた「理論」の上にさらに新しい発見があり、進歩が重ねられてきました。どうやら芸術の分野においても、同じように先人の「功績」があってこその今なのではないかと思います。しかし、科学的な進歩と言うような俗物的なものではありません。芸術が人の歴史に果たしてきた役割は、それらを超越しなナニカです。「伝統」と言う言葉だけでひとくくりにするには余りにも軽い感じがします。食べる事、生殖することなどの本能とは違う次元の世界だからでしょうか?芸術を糧とする人々に共通するのは暖かさのようなものです。あるいは心のリッチさのようなものかも知れません。
音符も読めない僕ですが、違った世界の人たちの話を聴くのは好きです。いい人達に出会うことが出来ました。
2012年05月19日
奥日光へ旅しました
毎月第3金曜日は「ローカル線の旅」に出かけます。美味しいバイト、NHKの野外講座の随行です。簡単に言えば30名弱の生徒さん(9割が中年のオバサマたちです)のお供、NHKカルチャーセンターと書かれた旗を振りながら、「バスに長く乗ります、トイレに行っておいてくださいね」、「そっちは行ったらいけません、熊が出マース」、「そっちは男子トイレです、入ったらいけません」、「クルマに轢かれても知りませんよ」、などと喚いていれば済む仕事です。案内する講師はチャンといますので、一緒について行ってちゃっかり講義を聴くことも出来ます。
昨日は栃木県の那須塩原から鬼怒川へ出かけました。光が丘から大型の貸し切りバスで塩原温泉まで行きます。途中「上三依水上植物園」を見学、ローカル線「野岩(やがん)鉄道会津鬼怒川線」に30分ほど乗ります。風情のある良い鉄道です。鬼怒川温泉からは又バスに乗って帰ってきます。お昼は2100円の豪華パスタランチ、勿論「皆様のNHK」の経費です。朝8時半の出発、帰り着いたのは夜の8時、約12時間の長丁場ですが、文字通りの美味しいお気楽なお仕事です。「仕事に貴賎は無い」と言われますが、ラッキー、アンラッキーはあります。
講師とも生徒とも4〜5年のお付き合いになりますので、お友達感覚です。それなりに経済的にも恵まれ、時間的な余裕があるオバサマたちですから、明るく陽気です。言う事もよく聞いてくれますし、マナーの悪い人はいません、随行者としては多いに助かっています。
講師のM先生はもう80歳を超えてるかも知れません。太極拳の講師も勤めておられますので足腰はカクシャクたるものです。「センセー!もっとゆっくり歩いてー!」と生徒から声が上がるほどです。元は「NHK博物館」の館長も勤めておられたそうです。NHKを辞めてカルチャーセンターの講師を殆ど毎日こなしておられます。「光が丘がイチバン住みやすい」と光が丘を終の棲家と決めておられます。このあたりの考えは僕と一緒です。それにしても元気なおじいちゃんです。僕の理想とする生き方です。

東武鉄道と乗り入れています、浅草から会津若松まで1本でいけます

道端に野仏を見つけました

塩原温泉を流れる箒川、ダムの貯水湖です
昨日は栃木県の那須塩原から鬼怒川へ出かけました。光が丘から大型の貸し切りバスで塩原温泉まで行きます。途中「上三依水上植物園」を見学、ローカル線「野岩(やがん)鉄道会津鬼怒川線」に30分ほど乗ります。風情のある良い鉄道です。鬼怒川温泉からは又バスに乗って帰ってきます。お昼は2100円の豪華パスタランチ、勿論「皆様のNHK」の経費です。朝8時半の出発、帰り着いたのは夜の8時、約12時間の長丁場ですが、文字通りの美味しいお気楽なお仕事です。「仕事に貴賎は無い」と言われますが、ラッキー、アンラッキーはあります。
講師とも生徒とも4〜5年のお付き合いになりますので、お友達感覚です。それなりに経済的にも恵まれ、時間的な余裕があるオバサマたちですから、明るく陽気です。言う事もよく聞いてくれますし、マナーの悪い人はいません、随行者としては多いに助かっています。
講師のM先生はもう80歳を超えてるかも知れません。太極拳の講師も勤めておられますので足腰はカクシャクたるものです。「センセー!もっとゆっくり歩いてー!」と生徒から声が上がるほどです。元は「NHK博物館」の館長も勤めておられたそうです。NHKを辞めてカルチャーセンターの講師を殆ど毎日こなしておられます。「光が丘がイチバン住みやすい」と光が丘を終の棲家と決めておられます。このあたりの考えは僕と一緒です。それにしても元気なおじいちゃんです。僕の理想とする生き方です。
東武鉄道と乗り入れています、浅草から会津若松まで1本でいけます
道端に野仏を見つけました
塩原温泉を流れる箒川、ダムの貯水湖です
2012年05月18日
「原発」のこと
昨日、大学の先輩でもあるN氏と話しする機会がありました。彼は日刊工業の記者を永く勤め、専門は「原子力」でした。日刊工業が潰れる時期と同じく同社を退社しましたが、今も「原子力白書」の編纂に携わっています。
「夏にテニスの合宿をやろうと思いますが・・・」と声を掛けましたが、「今年の夏も『原発』で振り回されそうで、とてもテニスどころではない」そうです。「政府の方針がいまだにハッキリしない」からだそうです。勿論「再稼動」をするかしないか?についてです。
政府としては「再稼動」が基本方針なのでしょうが、ここに来て津波だけでなく活断層の危険性も考えざるを得なくなりました。更には使用済み核燃料の処理も宙に浮いたままです。六ヶ所村の最終処分も失敗続きですし、中間処分につても引き受け先がありません。東日本大震災で発生した瓦礫の受入にも難色を示した国民です。放射能廃棄物とわかって受け入れるようなお人よしな自治体はありません。
原発の稼動を全て止めたとしても処分の問題は残ります。もし「再稼動」にGOサインが出たとしたら行き場の無い廃棄物が益々増える事になります。
エネルギー資源の少ない国の宿命、地震が多い国が持つ宿命です。残る道は代替エネルギーへのシフトしかありません。何年かかるかは分かりません。10年なのか、20年なのか? それまでの間は「原発」に頼るしかありません。廃棄物は国民が平等に引き受けるしかありません。国としては国民に明確なビジョンを示し、「我慢」を求めるしかありません。我々も高い高い代償を払わされたと覚悟を決めるしかありません。50年後、100年後の人たちの為です。
必要なのは「覚悟」です。
「夏にテニスの合宿をやろうと思いますが・・・」と声を掛けましたが、「今年の夏も『原発』で振り回されそうで、とてもテニスどころではない」そうです。「政府の方針がいまだにハッキリしない」からだそうです。勿論「再稼動」をするかしないか?についてです。
政府としては「再稼動」が基本方針なのでしょうが、ここに来て津波だけでなく活断層の危険性も考えざるを得なくなりました。更には使用済み核燃料の処理も宙に浮いたままです。六ヶ所村の最終処分も失敗続きですし、中間処分につても引き受け先がありません。東日本大震災で発生した瓦礫の受入にも難色を示した国民です。放射能廃棄物とわかって受け入れるようなお人よしな自治体はありません。
原発の稼動を全て止めたとしても処分の問題は残ります。もし「再稼動」にGOサインが出たとしたら行き場の無い廃棄物が益々増える事になります。
エネルギー資源の少ない国の宿命、地震が多い国が持つ宿命です。残る道は代替エネルギーへのシフトしかありません。何年かかるかは分かりません。10年なのか、20年なのか? それまでの間は「原発」に頼るしかありません。廃棄物は国民が平等に引き受けるしかありません。国としては国民に明確なビジョンを示し、「我慢」を求めるしかありません。我々も高い高い代償を払わされたと覚悟を決めるしかありません。50年後、100年後の人たちの為です。
必要なのは「覚悟」です。
2012年05月17日
「幸福」への「回り」道
6月1日に前回のボランティア(第4回)の反省会を予定しています。反省会といっても親睦会の意味合いが8割方ありますが・・・。それでも「活動」に問題が無いかどうかはいつも頭の中にあります。被災地の方々の思いに沿った「活動」になっているかどうか?自問自答の繰り返しです。
昨夜ののTV,お気に入りの「プライムニュース」(BSフジ、20:〜22:00)、久し振りの石原慎太郎の登場です。あのハシモトと組んで国政に再登場か?と騒がれている渦中の身ですが、話の中心は「尖閣列島の買い取り」を発端とした「国のあり方」について、です。
彼のもっとも得意とするジャンルです。「『自分の国は自分達で守る』という最も基本的なことがなされていない、このことが日本という国をおかしくしている」、ぶれない彼の持論です。
日本にはいろんな問題があります。僕は中でも最も大きな問題は「国民が日本という国に誇りが持てない」ことだと思っています。とんでもない借金を抱えた国家財政、GDPは中国に抜かれました。ドンドン進む少子高齢化社会、破綻しそうなネンキン、増える老人の孤独死、貧弱な教育システムや低レベルの政治、将来に希望が持てない若者達、加えてアメリカにオンブニダッコの国の守り、これで「誇り」を持てというほうがおかしいと思います。わずかに「なでしこジャパン」だけが唯一つの誇りです。
誰でもが自分の国には誇りを持ちたいと思っています、いや「持つべき」です。同じ事は家族についても言えます。親兄弟を誇りに思える家庭は素晴らしいと思います。友人もそうです、誇りに思える友人を持つことは素晴らしい人生を約束してくれます。学校にも言えます、卒業した学校に誇りが持てるとしたら、社会に出てからも良い仕事が出来るでしょう。属するコミュニティーも含め自分の「回り」全部が「誇り」に思えるとしたらこんなに素晴らしい事はありません。「国家」はその基盤です。
しかし、自分を取り巻く社会を誇りに思えるかどうかは「自身の問題」でもあります。もし自分の家庭に誇りが持てなかったら、誇りを持てる友人がいなかったら、自ら進んで打開するしかありません。思いやりや愛情、助け合いなど、努力しないと誇りの持てる「回り」を築く事はできません。これこそが自業自得なのです。「回り」のために何が出来るか?これこそが「幸福」になる秘けつかもしれません。
昨夜ののTV,お気に入りの「プライムニュース」(BSフジ、20:〜22:00)、久し振りの石原慎太郎の登場です。あのハシモトと組んで国政に再登場か?と騒がれている渦中の身ですが、話の中心は「尖閣列島の買い取り」を発端とした「国のあり方」について、です。
彼のもっとも得意とするジャンルです。「『自分の国は自分達で守る』という最も基本的なことがなされていない、このことが日本という国をおかしくしている」、ぶれない彼の持論です。
日本にはいろんな問題があります。僕は中でも最も大きな問題は「国民が日本という国に誇りが持てない」ことだと思っています。とんでもない借金を抱えた国家財政、GDPは中国に抜かれました。ドンドン進む少子高齢化社会、破綻しそうなネンキン、増える老人の孤独死、貧弱な教育システムや低レベルの政治、将来に希望が持てない若者達、加えてアメリカにオンブニダッコの国の守り、これで「誇り」を持てというほうがおかしいと思います。わずかに「なでしこジャパン」だけが唯一つの誇りです。
誰でもが自分の国には誇りを持ちたいと思っています、いや「持つべき」です。同じ事は家族についても言えます。親兄弟を誇りに思える家庭は素晴らしいと思います。友人もそうです、誇りに思える友人を持つことは素晴らしい人生を約束してくれます。学校にも言えます、卒業した学校に誇りが持てるとしたら、社会に出てからも良い仕事が出来るでしょう。属するコミュニティーも含め自分の「回り」全部が「誇り」に思えるとしたらこんなに素晴らしい事はありません。「国家」はその基盤です。
しかし、自分を取り巻く社会を誇りに思えるかどうかは「自身の問題」でもあります。もし自分の家庭に誇りが持てなかったら、誇りを持てる友人がいなかったら、自ら進んで打開するしかありません。思いやりや愛情、助け合いなど、努力しないと誇りの持てる「回り」を築く事はできません。これこそが自業自得なのです。「回り」のために何が出来るか?これこそが「幸福」になる秘けつかもしれません。
2012年05月16日
ギリシャ悲劇
ギリシャが再選挙となるらしい、国民に厳しい財政政策を強いるのか?或いはゆるやかな財政政策を続けるのか?このようなケース、一般に野党は景気回復の名の元に「緩和策」を訴えます。(政権を奪う為には「大衆迎合的」な政策をとらないといけないからです)。しかし、与党は責任政党ですから国家財政を破綻させる訳には行きません。「緊縮策」を維持する必要があります。そしてどちらを選ぶかは国民の資質の問題です。この構図は洋の東西を問わず同じです。わが日本に置いても殆ど同じ構図を見て取れます。
日本の政治が良くならないのは何故でしょうか?政治のレベルが高い低いは国民の資質の表れと言われます。シンタローの言葉を借りれば「民度」です。したがって日本の政治のレベルが低い原因を我々国民に求める事は大切だと思います。
一番大きな原因は「政治に関心を持たない」ことでは無いでしょうか?特に若者の関心が低いようです。これは別に今の若者に限った事ではありません。昔からそうでした、我々が若者だった頃、40年以上前になりますが、家族や友人との間で「政治の話」は皆無でした。若者にとって「政治の話」はダサイのです。それよりもファッションやゲームの話に花が咲きます。或いは「仕事」に振り回されて政治に関心向ける心の余裕がありません。大人になれない若者なのです。
余談ですが、かっての全共闘時代、多くの学生が政治に関心を持ちました。しかしあれは例外はあるにしても、その時代の多くの学生がインテリを気どるファッションの一つであったと言えないこともありません。
もう一つの理由、それは自分の目先の事しか考えない選挙民が多いからです。いわゆる衆愚政治と呼ばれる「大衆に迎合する」立候補者に1票を入れるという習慣が根強く残っているからです。多くの支持を集めて当選することに何ら問題はありませんが、新幹線をひっぱてきます、道路を作ります、的な公約に流される「空気」は政治の貧困を招く大きな原因です。これらの票は案定票ですので返って始末が悪いと言えます。
最後に浮動票と言われる奴です、特に支持政党がない人たちは新聞やTVが流す情報に左右される傾向があります。かっての民主党ブーム等がそうです。ハトヤマ、カン、オザワは圧倒的な支持を受けたにも拘らず、今やマスコミに袋叩きにあってます。そして我々は喝采を持ってその情報を甘受しています。今でしたらハシモトでしょうか?ダァーッと流されてしまうのは国民性なのでしょうか?これも始末が悪いと言えます。
いずれにしても、政治のレベルを落としている原因の多くはワレワレにも大きな責任があると考えるべきです。
「ギリシャ悲劇」が「ニッポン悲劇」にならないように祈るだけです。
日本の政治が良くならないのは何故でしょうか?政治のレベルが高い低いは国民の資質の表れと言われます。シンタローの言葉を借りれば「民度」です。したがって日本の政治のレベルが低い原因を我々国民に求める事は大切だと思います。
一番大きな原因は「政治に関心を持たない」ことでは無いでしょうか?特に若者の関心が低いようです。これは別に今の若者に限った事ではありません。昔からそうでした、我々が若者だった頃、40年以上前になりますが、家族や友人との間で「政治の話」は皆無でした。若者にとって「政治の話」はダサイのです。それよりもファッションやゲームの話に花が咲きます。或いは「仕事」に振り回されて政治に関心向ける心の余裕がありません。大人になれない若者なのです。
余談ですが、かっての全共闘時代、多くの学生が政治に関心を持ちました。しかしあれは例外はあるにしても、その時代の多くの学生がインテリを気どるファッションの一つであったと言えないこともありません。
もう一つの理由、それは自分の目先の事しか考えない選挙民が多いからです。いわゆる衆愚政治と呼ばれる「大衆に迎合する」立候補者に1票を入れるという習慣が根強く残っているからです。多くの支持を集めて当選することに何ら問題はありませんが、新幹線をひっぱてきます、道路を作ります、的な公約に流される「空気」は政治の貧困を招く大きな原因です。これらの票は案定票ですので返って始末が悪いと言えます。
最後に浮動票と言われる奴です、特に支持政党がない人たちは新聞やTVが流す情報に左右される傾向があります。かっての民主党ブーム等がそうです。ハトヤマ、カン、オザワは圧倒的な支持を受けたにも拘らず、今やマスコミに袋叩きにあってます。そして我々は喝采を持ってその情報を甘受しています。今でしたらハシモトでしょうか?ダァーッと流されてしまうのは国民性なのでしょうか?これも始末が悪いと言えます。
いずれにしても、政治のレベルを落としている原因の多くはワレワレにも大きな責任があると考えるべきです。
「ギリシャ悲劇」が「ニッポン悲劇」にならないように祈るだけです。
2012年05月15日
会議は踊るのか?
早朝、光が丘公園を散歩してみました。散歩は思索するのにとっても良いと聞きました。あの寺田寅彦もよく散歩の途中でヒラメキを得たそうです。試してみましたがやっと朝ごはんのメニューを浮かべるのが精一杯でした。それでも1年ぶりにナンジャモンジャの樹の花に対面できました。

これが噂?のナンジャモンジャの樹です。都内では神宮外苑の聖徳記念絵画館前にもあります

わけのわからない樹のことをナンジャモンジャと呼んだそうですが、正式には「ヒトツバタゴ」です
現役から遠ざかっていますので、「会議」に出る機会は殆ど亡くなりました。「会議」は余り好きではありませんでした。意味のない「会議」が結構多かったからです。本来「会議」では「あるテーマに基づいて色んな意見を出し合ってコンセンサスを得て、全員がその目標に向って物事を進める」モノですが、そんな「会議」はめったにありません。殆どが既に目標が決められており「この目標に向って仕事せよ!」的な意味合いの「会議」が殆どだったからです。フラットな組織の場合はそれなりの質問や意見が出るのですが、「オレについて来い」型のトップが招集した会議では、諾々と従うしかありません。
こんなスタイルが一つの企業(組織)風土を生みます。最近のオリンパスや大王製紙などの事例はこんな「会議」が生んだ犯罪と言えるのでは無いでしょうか?「質問は?」と訊かれて誰も質問がないと「異議なし」と見做され、「満場一致」として決定されてしまうプロセスが多いのです。「沈黙はカネにあらず」なのです。自分の意見を押し隠し、黙って会議の進行を見守る会議参加者は、実は問題のある意思決定に加担していると言う訳なのです。
もう一つの問題は「目標」を数値化しないことです。「売り上げを伸ばしましょう」、「参加者を増やしましょう」程度の目標しかない場合が多いのです。それは一つには「責任の明確化」を避けたがる体質にもよりますが、「目標数値」を達成する為の具体案を持てないという理由が大半なのです。実はこのところが一番重要なのであって、具体的なアクションプランを持たない「目標」は単なる「希望」に過ぎないのです。
以上の2点は日本の企業の体質とも言えると思います。「会議」が組織運営の「ガス抜き」になっています。どこの会社や組織にも見られる風景です。
これが噂?のナンジャモンジャの樹です。都内では神宮外苑の聖徳記念絵画館前にもあります
わけのわからない樹のことをナンジャモンジャと呼んだそうですが、正式には「ヒトツバタゴ」です
現役から遠ざかっていますので、「会議」に出る機会は殆ど亡くなりました。「会議」は余り好きではありませんでした。意味のない「会議」が結構多かったからです。本来「会議」では「あるテーマに基づいて色んな意見を出し合ってコンセンサスを得て、全員がその目標に向って物事を進める」モノですが、そんな「会議」はめったにありません。殆どが既に目標が決められており「この目標に向って仕事せよ!」的な意味合いの「会議」が殆どだったからです。フラットな組織の場合はそれなりの質問や意見が出るのですが、「オレについて来い」型のトップが招集した会議では、諾々と従うしかありません。
こんなスタイルが一つの企業(組織)風土を生みます。最近のオリンパスや大王製紙などの事例はこんな「会議」が生んだ犯罪と言えるのでは無いでしょうか?「質問は?」と訊かれて誰も質問がないと「異議なし」と見做され、「満場一致」として決定されてしまうプロセスが多いのです。「沈黙はカネにあらず」なのです。自分の意見を押し隠し、黙って会議の進行を見守る会議参加者は、実は問題のある意思決定に加担していると言う訳なのです。
もう一つの問題は「目標」を数値化しないことです。「売り上げを伸ばしましょう」、「参加者を増やしましょう」程度の目標しかない場合が多いのです。それは一つには「責任の明確化」を避けたがる体質にもよりますが、「目標数値」を達成する為の具体案を持てないという理由が大半なのです。実はこのところが一番重要なのであって、具体的なアクションプランを持たない「目標」は単なる「希望」に過ぎないのです。
以上の2点は日本の企業の体質とも言えると思います。「会議」が組織運営の「ガス抜き」になっています。どこの会社や組織にも見られる風景です。
2012年05月14日
楽しくプレーできました
ちょっとブログが開いてしまいました。
6ヶ月検診では「糖尿病に要注意」と出ましたので、心して自制するつもりでおりましたが、はや初日にして自壊してしまいました。大阪に居た頃の上司のM氏と同期のO君が上京、「邂逅」を言い訳に暴飲暴食の2日間でした。
O君は高千穂交易の同期入社、名門「岸和田高校」の野球部の出身の肉体派スポーツマン、しかし、奇しくも彼も2年前に僕と同じような癌を患い、13時間に及ぶ手術の末、無事に生還しました。土曜日、彼を入れて武蔵カントリーのメンバーであるS君と3人でプレーを楽しみました。「奇跡の生還?」を成し遂げた二人がこうしてゴルフを楽しめること自体が又「奇跡」みたいです。
大学を卒業し、同期入社の3人が、今やそれぞれの人生を歩み、人生の黄昏に入りつつあります。まさしく「邂逅」の中にいます。
このコース、距離がある上にグリーンがムチャクチャに難しく、前回はなんと121も叩きました、今回はリベンジとばかり100を切るべく頑張りましたが、今回も110のスコア、敢え無く返り討ちにあいました。しかし最高に楽しめましたのでヨシとします。
スコアに拘る年でもないのですが、そこはまだまだ人間が出来ておりません、やはり拘っております。しかし、スコアで「勝った」「負けた」と拘りすぎると嫌なゴルフになります。つい誘惑に負けて姑息な事を考えます。僕の場合はスコアがわからなくなりことが時々あります。例えばパー4のミドルホール、6打だったか7打だったか勘定が出来ない時が必ず2ホールか3ホールあります。そんな時は「7打」と申告するようにします。「6打」と申告しても良いのですが、「ひょっとするとやはり7打だったかも・・・」次のホールへ行ってもひきずる事があるからです。場合によっては1週間ぐらい引きずる事もあります。
ゴルフには「人間性」が出るといいます。いくら上手くても「スコアだけに拘る」人とは一緒にプレーしたくありません。以前も書きましたが、良いプレーヤーの本質は「又あいつと一緒にプレーがしたい」と思わせるような人のことです。
そこまでにはなかなか成れそうもありませんが、引き続き努力はします。
6ヶ月検診では「糖尿病に要注意」と出ましたので、心して自制するつもりでおりましたが、はや初日にして自壊してしまいました。大阪に居た頃の上司のM氏と同期のO君が上京、「邂逅」を言い訳に暴飲暴食の2日間でした。
O君は高千穂交易の同期入社、名門「岸和田高校」の野球部の出身の肉体派スポーツマン、しかし、奇しくも彼も2年前に僕と同じような癌を患い、13時間に及ぶ手術の末、無事に生還しました。土曜日、彼を入れて武蔵カントリーのメンバーであるS君と3人でプレーを楽しみました。「奇跡の生還?」を成し遂げた二人がこうしてゴルフを楽しめること自体が又「奇跡」みたいです。
大学を卒業し、同期入社の3人が、今やそれぞれの人生を歩み、人生の黄昏に入りつつあります。まさしく「邂逅」の中にいます。
このコース、距離がある上にグリーンがムチャクチャに難しく、前回はなんと121も叩きました、今回はリベンジとばかり100を切るべく頑張りましたが、今回も110のスコア、敢え無く返り討ちにあいました。しかし最高に楽しめましたのでヨシとします。
スコアに拘る年でもないのですが、そこはまだまだ人間が出来ておりません、やはり拘っております。しかし、スコアで「勝った」「負けた」と拘りすぎると嫌なゴルフになります。つい誘惑に負けて姑息な事を考えます。僕の場合はスコアがわからなくなりことが時々あります。例えばパー4のミドルホール、6打だったか7打だったか勘定が出来ない時が必ず2ホールか3ホールあります。そんな時は「7打」と申告するようにします。「6打」と申告しても良いのですが、「ひょっとするとやはり7打だったかも・・・」次のホールへ行ってもひきずる事があるからです。場合によっては1週間ぐらい引きずる事もあります。
ゴルフには「人間性」が出るといいます。いくら上手くても「スコアだけに拘る」人とは一緒にプレーしたくありません。以前も書きましたが、良いプレーヤーの本質は「又あいつと一緒にプレーがしたい」と思わせるような人のことです。
そこまでにはなかなか成れそうもありませんが、引き続き努力はします。
2012年05月11日
6ヶ月検診でした
有明にある「癌研」に「6ヶ月検診」に行って来ました。朝9時の受付ですので家を7時半に出ることにしました。ラッシュの時間帯に電車に乗るのは久し振りです。ラッシュで混む電車の中、乗り降りをする乗客とは身体がぶつかります。エスカレーターはみんな必至の形相で歩いて登ってます。ぼんやりとしていられません。凄いストレスを感じます。よくぞ40年近く毎日こんな生活を送ってきたものだと自分を褒めてやりたくなります。
採尿、採血は順調に終わりました、CT検査は造影剤がどうも馴染めません。あれを入れらると身体が急激にカーッと熱くなります。あの身体がどうにかなってしまう感覚が嫌いです。次は担当の斉浦医師の診断です。いつものように最近の体重とか便通とかの体調を書いたメモを出します。「順調なようですね」、血液検査のデータとCTの画像を見ながら「転移はありません、大丈夫です」とのご宣託を頂きました。自分では「大丈夫!」と思っていても、やはりこの声を聞くまではちょっと心配です。日頃余り節制しているとは言い難いからです。毎晩のビールを欠かしたことがありません、時には集まりの中でワインや日本酒を(かなり)飲ります。食べ物も相変わらず肉系に油系に揚げ物系です。やはり、「少し糖尿の心配がありますね、食事に気をつけてください、運動も心がけてください」、と注意を受けました。
インシュリンを分泌する膵臓はきちんと働いているそうです。膵臓は手術の際に3分の1か5分の1かを取ったと聞きました。「機能低下」が懸念されましたが、その心配は余りなさそうです。となると当たり前の事ですが、食事療法と運動です。ビールを飲むと食欲が出ます、から揚げとか焼肉なんかが合います。いずれもカロリーが多そうです。日本酒にはお刺身とか酢の物など比較的低ロリーのものが合いますが、日本酒そのものが高カロリーです。
客観的に見ても、また誰が贔屓目に見ても「意志強固」ではありません。「多動性障害」のある子供のようです。「興味のあることには集中するが、興味のないことやキライな事に対しては長続きせず、落ち着きがなくなる」と言う性質です。よく考えると小学校の1年1学期の時の「通信簿」に表れています。60年経った今も替わっていません。「三つ子の魂・・・」です。
薬の服用もきちんと守っていません、3回に1回の割合でサボっています。「今日はビールをやめよう」と決心しても夕方になると、「良い天気だからベランダでのビールは美味いだろう」と固い決心はどっかへ飛んで言ってしまいます。今は、今日は「餃子は食べないでおこう」、「冷蔵庫のベーコンは棄ててしまおう」、「豚バラ肉のブロックを買うのは止めよう」と決意していますが、余り自信はありません。
きちんと「食事療法」が出来るか?「運動」も欠かさずにやれるか?僕の場合は先ずこの「多動性障害」から治すことが先決なようです。
ともあれ手術からちょうど2年が経ちました。お陰で人並みな生活が送れています。この先、願わくは迷惑は掛けないように生きて行きたいと願っていますが、これだけは難しい問題です。「孤独死」で3ヶ月経って発見されるのも迷惑を掛けます。いつなんどき脳梗塞で倒れ、ヒト様に下の世話をお願いするか分かりません。痴呆症にならないとも限りません。どうやら「色ボケ」は少しずつ始まっているようです。楽しく人生を送っていますが、最大の難関は「どう死ぬか?」です。
採尿、採血は順調に終わりました、CT検査は造影剤がどうも馴染めません。あれを入れらると身体が急激にカーッと熱くなります。あの身体がどうにかなってしまう感覚が嫌いです。次は担当の斉浦医師の診断です。いつものように最近の体重とか便通とかの体調を書いたメモを出します。「順調なようですね」、血液検査のデータとCTの画像を見ながら「転移はありません、大丈夫です」とのご宣託を頂きました。自分では「大丈夫!」と思っていても、やはりこの声を聞くまではちょっと心配です。日頃余り節制しているとは言い難いからです。毎晩のビールを欠かしたことがありません、時には集まりの中でワインや日本酒を(かなり)飲ります。食べ物も相変わらず肉系に油系に揚げ物系です。やはり、「少し糖尿の心配がありますね、食事に気をつけてください、運動も心がけてください」、と注意を受けました。
インシュリンを分泌する膵臓はきちんと働いているそうです。膵臓は手術の際に3分の1か5分の1かを取ったと聞きました。「機能低下」が懸念されましたが、その心配は余りなさそうです。となると当たり前の事ですが、食事療法と運動です。ビールを飲むと食欲が出ます、から揚げとか焼肉なんかが合います。いずれもカロリーが多そうです。日本酒にはお刺身とか酢の物など比較的低ロリーのものが合いますが、日本酒そのものが高カロリーです。
客観的に見ても、また誰が贔屓目に見ても「意志強固」ではありません。「多動性障害」のある子供のようです。「興味のあることには集中するが、興味のないことやキライな事に対しては長続きせず、落ち着きがなくなる」と言う性質です。よく考えると小学校の1年1学期の時の「通信簿」に表れています。60年経った今も替わっていません。「三つ子の魂・・・」です。
薬の服用もきちんと守っていません、3回に1回の割合でサボっています。「今日はビールをやめよう」と決心しても夕方になると、「良い天気だからベランダでのビールは美味いだろう」と固い決心はどっかへ飛んで言ってしまいます。今は、今日は「餃子は食べないでおこう」、「冷蔵庫のベーコンは棄ててしまおう」、「豚バラ肉のブロックを買うのは止めよう」と決意していますが、余り自信はありません。
きちんと「食事療法」が出来るか?「運動」も欠かさずにやれるか?僕の場合は先ずこの「多動性障害」から治すことが先決なようです。
ともあれ手術からちょうど2年が経ちました。お陰で人並みな生活が送れています。この先、願わくは迷惑は掛けないように生きて行きたいと願っていますが、これだけは難しい問題です。「孤独死」で3ヶ月経って発見されるのも迷惑を掛けます。いつなんどき脳梗塞で倒れ、ヒト様に下の世話をお願いするか分かりません。痴呆症にならないとも限りません。どうやら「色ボケ」は少しずつ始まっているようです。楽しく人生を送っていますが、最大の難関は「どう死ぬか?」です。
2012年05月09日
「中欧」に出かけます。
今月25日から中欧へ出かけます。海外旅行は3年前の秋の台湾へ旅行して以来、実に2年半ぶりのことになります。中欧は勿論初めてです。ドイツ、オーストリア、ハンガリー、チェコと欲張り旅行です。目下にわか仕込みで猛勉強?中です。一般の日本人から見るとあのあたりはどの国もなじみが薄く同じように見えます。しかし、国や民族には歴然とした違いがあり、歩んできた歴史もそれぞれです。これはお互い様で、欧米から見ると日本も韓国も中国も同じように見え、区別がつかない人がいっぱいいます。
「広い視野」で見る事の重要性はよく言われることです。この「広い視野」とはイッタイ何なのでしょうか?普通「広い」というと地域的なものを指しますが、この「広い視野」となるとある専門知識に偏らず、という意味になります。「学者バカ」と言う言葉がありますが、「視野が狭い」学者の事を揶揄した言葉です。専門知識を身に着ける事は大切ですが、もっと他にも目を向けなさいという意味です。
「広い視野」と言ってもそこにはおのずと限界があります。多分に自分が置かれた環境に左右されます。いわゆる「井の中の蛙」と言う奴です。それでも自分が置かれた環境を客観的に見ることが必要です。多くのヒトは自分が住んでいる環境(「世界」と言い換えても良いかもしれません)を理解しているつもりです。地域、家族、知人・友人、職場などについてです。しかしこれが「おかしい『環境』かどうか?」と言う問題となると、途端に?が付きます。
海外に住むと「日本の異常さ」が良く分かるそうです。海外に住む友人は「最近の日本はおかしいよ!」とか、「やっぱり日本がイチバンだね!」とかメールをくれます。別に中欧に8日間ばかり旅行して「視野が広がる」とは思いませんが、かの地に実際立ってみて、そこに住む人々の顔を見るだけでも「世界の広さ」は実感できるのでは無いかと思います。
「広い視野」で見る事の重要性はよく言われることです。この「広い視野」とはイッタイ何なのでしょうか?普通「広い」というと地域的なものを指しますが、この「広い視野」となるとある専門知識に偏らず、という意味になります。「学者バカ」と言う言葉がありますが、「視野が狭い」学者の事を揶揄した言葉です。専門知識を身に着ける事は大切ですが、もっと他にも目を向けなさいという意味です。
「広い視野」と言ってもそこにはおのずと限界があります。多分に自分が置かれた環境に左右されます。いわゆる「井の中の蛙」と言う奴です。それでも自分が置かれた環境を客観的に見ることが必要です。多くのヒトは自分が住んでいる環境(「世界」と言い換えても良いかもしれません)を理解しているつもりです。地域、家族、知人・友人、職場などについてです。しかしこれが「おかしい『環境』かどうか?」と言う問題となると、途端に?が付きます。
海外に住むと「日本の異常さ」が良く分かるそうです。海外に住む友人は「最近の日本はおかしいよ!」とか、「やっぱり日本がイチバンだね!」とかメールをくれます。別に中欧に8日間ばかり旅行して「視野が広がる」とは思いませんが、かの地に実際立ってみて、そこに住む人々の顔を見るだけでも「世界の広さ」は実感できるのでは無いかと思います。
2012年05月08日
勘違い
テニスの仲間から「七隈っ隊」へご寄付を頂きました。「夜の1杯のビールを我慢して(旦那の健康の為にも)そのビール代を貯めたお金と、GWに予定していた北海道旅行へ行けなくなったので、その往復の飛行機運賃を合わせたものです」と言う尊くもあり難いお志です。夜の1杯が止められない僕としては更に身が縮まる思いです。
大学受験の弊害がもう何十年も叫ばれていてますが、一向に改善の兆しが見えません。中でも受験科目から数学を外す大学生のレベルの低下が著しいそうです。そんな彼らは「論理的思考」が苦手だそうです。そういえば僕も「論理的思考」は苦手です。いつも「非論理的」な考え方ばかりしています。英語嫌いもたくさんいますが、数学嫌いも多いと思います。数学は一度でも途中で壁にぶつかるともう前に進めません。途中乗車は出来ません。又元に戻って始めるしかありません。「分数が出来ない大学生」が生まれるのはそんな理由からです。
「教育」の重要性は誰でもが認めるところです。しかし工業立国ニッポンであるにも拘らず、わが国の「教育レベル」は低いといわれています。僕はその理由の一つは教育に関する考え方に「勘違い」があるのでは無いかと思います。
3つあります、一つ目は「ゆとり教育への批判」です。国際比較(PISA)で中国とか韓国に大きく差をつけられたのが判明、関係者は大慌てで「これは『ゆとり教育』に原因がある」と断じ、見直すことになりました。この「ゆとり」という言葉、なにも授業時間を減らせば「ゆとり」が生まれるものでは無いと思います。先ずしっかりとした勉強をすることによって、家の手伝いとかに廻せる時間がホントウの「ゆとり」という事です。しかし、センセイ達は「先ず遊ぶ時間を作っておいてから勉強するモノと勘違いしていたのではないでしょうか。失敗したのは当たり前です。そしてその反動が「詰め込み教育」への回帰です。それは「詰め込み教育」の弊害をしっかり検証した後でなされるべきであり、短絡的に進めることに何らの進歩はありません。
二つ目は「義務教育」です。この「義務教育」に使われる「義務」とは誰の義務なのでしょうか?大方の生徒(父兄も含めてです)が「中学を卒業するまでは学校に行かせなければならない」という義務を負ってるものと勘違いしているのでは無いでしょうか?槍が降ろうが雨が降ろうが、熱があろうが何が何でも学校に行かせるのが親の「義務」であるかのような「勘違い」があります。僕はまるで反対だと思っています。これは国が「子供を育てる義務」を負っているものだと解釈します。全ての子供達に対し「中学卒業レベル」までの学力をつけさせるという義務を負っている国なのです。掛け算の九九が出来ない高校生がいると聞きます。これも国の責任です。教える事ができるプロを先生にしていないからです。
最後の勘違いはは「コミュニケーション能力」です。往々にして「コミュニケーション力=会話力」と取られがちですが、「口先だけ」がコミュニケーション力ではありません。「人の立場を理解する力」がコミュニケーション力だといえます。そして「自分の立場をわきまえる」事も大切な要素です。一時はやった言葉「KY」、「空気が読めない」に通じます。ケータイゲームに嵌ってしまってはコミュニケーション力はつきません。「櫂から始めよ」です、先ず大人たちがゲーム機を棄てるべきではないでしょうか?
いずれにしても日本の教育システムは「子供本位」ではありません。センセイ本位であり、学校本位であり、教育委員会本位であり、文科省本位であります。そうです、イチバン出来が悪いのは「大人たち」なのです。
大学受験の弊害がもう何十年も叫ばれていてますが、一向に改善の兆しが見えません。中でも受験科目から数学を外す大学生のレベルの低下が著しいそうです。そんな彼らは「論理的思考」が苦手だそうです。そういえば僕も「論理的思考」は苦手です。いつも「非論理的」な考え方ばかりしています。英語嫌いもたくさんいますが、数学嫌いも多いと思います。数学は一度でも途中で壁にぶつかるともう前に進めません。途中乗車は出来ません。又元に戻って始めるしかありません。「分数が出来ない大学生」が生まれるのはそんな理由からです。
「教育」の重要性は誰でもが認めるところです。しかし工業立国ニッポンであるにも拘らず、わが国の「教育レベル」は低いといわれています。僕はその理由の一つは教育に関する考え方に「勘違い」があるのでは無いかと思います。
3つあります、一つ目は「ゆとり教育への批判」です。国際比較(PISA)で中国とか韓国に大きく差をつけられたのが判明、関係者は大慌てで「これは『ゆとり教育』に原因がある」と断じ、見直すことになりました。この「ゆとり」という言葉、なにも授業時間を減らせば「ゆとり」が生まれるものでは無いと思います。先ずしっかりとした勉強をすることによって、家の手伝いとかに廻せる時間がホントウの「ゆとり」という事です。しかし、センセイ達は「先ず遊ぶ時間を作っておいてから勉強するモノと勘違いしていたのではないでしょうか。失敗したのは当たり前です。そしてその反動が「詰め込み教育」への回帰です。それは「詰め込み教育」の弊害をしっかり検証した後でなされるべきであり、短絡的に進めることに何らの進歩はありません。
二つ目は「義務教育」です。この「義務教育」に使われる「義務」とは誰の義務なのでしょうか?大方の生徒(父兄も含めてです)が「中学を卒業するまでは学校に行かせなければならない」という義務を負ってるものと勘違いしているのでは無いでしょうか?槍が降ろうが雨が降ろうが、熱があろうが何が何でも学校に行かせるのが親の「義務」であるかのような「勘違い」があります。僕はまるで反対だと思っています。これは国が「子供を育てる義務」を負っているものだと解釈します。全ての子供達に対し「中学卒業レベル」までの学力をつけさせるという義務を負っている国なのです。掛け算の九九が出来ない高校生がいると聞きます。これも国の責任です。教える事ができるプロを先生にしていないからです。
最後の勘違いはは「コミュニケーション能力」です。往々にして「コミュニケーション力=会話力」と取られがちですが、「口先だけ」がコミュニケーション力ではありません。「人の立場を理解する力」がコミュニケーション力だといえます。そして「自分の立場をわきまえる」事も大切な要素です。一時はやった言葉「KY」、「空気が読めない」に通じます。ケータイゲームに嵌ってしまってはコミュニケーション力はつきません。「櫂から始めよ」です、先ず大人たちがゲーム機を棄てるべきではないでしょうか?
いずれにしても日本の教育システムは「子供本位」ではありません。センセイ本位であり、学校本位であり、教育委員会本位であり、文科省本位であります。そうです、イチバン出来が悪いのは「大人たち」なのです。
2012年05月07日
「大人」になりきれていません
昨日でGWは終わりました。しかしリタイア後のオキラクな生活は毎日がGWのようなモンです。
僕の「権威」嫌いは治りそうにありません。やたらと威張りたがるヒト、ウエカラ目線でヒトを見下すヒト、極端な上昇志向でヒトを押しのけてでも上に行きたがるヒト、肩書でモノを言うヒト、有名人と知り合いになりたがるヒト、などです。人生70年に近くなるとちょっとした付き合いでおおよその見当がつきます。しかしながら往々にしてこんなタイプが結構組織の上にはよく居ます。
どうも地方から都会に出てきた輩に多く見受けられるようです。コンプレックスの裏返しでしょうか?「都会人には負けたくない」という強固な意志の表れでしょうか?こんな輩が組織のトップに立つとロクなことがありません。本人にとっては居心地が良いですからできるだけ長くそのポジションに居続けようとします。言い換えればしがみつこうとします。その為には自分の意見に唯々諾々と従う人たちで周りを固めます。本人はどこまで意識しているかどうか定かではありませんが、時間が経つにつれて考え方が「独善的」になります。
「独裁者」は決して自分を「独裁者」だとは思いません。「独裁者」かどうかは周りが感じるモノだからです。本人はひょっとしたら自分を「優れた治世者」だと思っているのかも知れません。
この10年ばかり、日本の首相はクルクルと変わっています。そのせいでしょうか「リーダー論」が盛んに言われています。「誰がリーダーにふさわしいか?」、目下大阪のハシモトが一番人気です。彼も抜け目無く坂本龍馬を気取って「船中八策」などを掲げています。坂本龍馬は日本人に人気があるからです(この点、司馬遼太郎は罪な本を書きました)。この類の政治家はオシャベリです。そして気の効いたフレーズを作ることに長けています。マスコミはこの手の「ひと言」を利用しますから、自然彼は人気者になります。これが一番人気の一つの理由です。きわめて危うい現象と言わざるをえません。
日本民族の心情から言って「お上任せ」の所があります、いやありました。それはまだ国民が教育程度が低く、情報が行き届かなかった時代の事です。「知らしむべからず、依らしむべし」」が為政者の基本戦略であった時代です。しかし今はインターネットの時代です、誰でもが情報に接する事ができます。なかなか「知らしむべからず」が通用しなくなってきています。となると一般庶民は「良質」な情報を発しするヒトにシンパシーを感じる事になります。
一方我々は争い事を基本的には好まない民族でもあります。物事を出来るだけ穏便に済ませてしまいたいという心情が強くもあります。物事を荒立てないように配慮する事が「大人」でもあります。その点まだ僕は「大人」になりきれていないようです。
僕の「権威」嫌いは治りそうにありません。やたらと威張りたがるヒト、ウエカラ目線でヒトを見下すヒト、極端な上昇志向でヒトを押しのけてでも上に行きたがるヒト、肩書でモノを言うヒト、有名人と知り合いになりたがるヒト、などです。人生70年に近くなるとちょっとした付き合いでおおよその見当がつきます。しかしながら往々にしてこんなタイプが結構組織の上にはよく居ます。
どうも地方から都会に出てきた輩に多く見受けられるようです。コンプレックスの裏返しでしょうか?「都会人には負けたくない」という強固な意志の表れでしょうか?こんな輩が組織のトップに立つとロクなことがありません。本人にとっては居心地が良いですからできるだけ長くそのポジションに居続けようとします。言い換えればしがみつこうとします。その為には自分の意見に唯々諾々と従う人たちで周りを固めます。本人はどこまで意識しているかどうか定かではありませんが、時間が経つにつれて考え方が「独善的」になります。
「独裁者」は決して自分を「独裁者」だとは思いません。「独裁者」かどうかは周りが感じるモノだからです。本人はひょっとしたら自分を「優れた治世者」だと思っているのかも知れません。
この10年ばかり、日本の首相はクルクルと変わっています。そのせいでしょうか「リーダー論」が盛んに言われています。「誰がリーダーにふさわしいか?」、目下大阪のハシモトが一番人気です。彼も抜け目無く坂本龍馬を気取って「船中八策」などを掲げています。坂本龍馬は日本人に人気があるからです(この点、司馬遼太郎は罪な本を書きました)。この類の政治家はオシャベリです。そして気の効いたフレーズを作ることに長けています。マスコミはこの手の「ひと言」を利用しますから、自然彼は人気者になります。これが一番人気の一つの理由です。きわめて危うい現象と言わざるをえません。
日本民族の心情から言って「お上任せ」の所があります、いやありました。それはまだ国民が教育程度が低く、情報が行き届かなかった時代の事です。「知らしむべからず、依らしむべし」」が為政者の基本戦略であった時代です。しかし今はインターネットの時代です、誰でもが情報に接する事ができます。なかなか「知らしむべからず」が通用しなくなってきています。となると一般庶民は「良質」な情報を発しするヒトにシンパシーを感じる事になります。
一方我々は争い事を基本的には好まない民族でもあります。物事を出来るだけ穏便に済ませてしまいたいという心情が強くもあります。物事を荒立てないように配慮する事が「大人」でもあります。その点まだ僕は「大人」になりきれていないようです。
2012年05月05日
秩父に遊びました
この国が抱えている問題、余りにも多すぎて手の付けようが無いと言った感じです。なぜか?それは「哲学的な考察」が成されていないからでは無いでしょうか?例えば原発の問題は「科学技術(安全)」、「資源エネルギー」、「経済成長」、「環境汚染」など問題が多岐に渡っています。「科学技術」だけを捉えれば一応のカタは着くでしょうが、他の問題をも含めて考えるとなると、複雑で答えがなかなか出てきません。しかしこれらをひっくるめて考えるのが「哲学」と言う基盤では無いでしょうか?若干の誤差はあるにしても、「哲学」は倫理を基にした学問です。我々は残念ながらこの「哲学的思考」を鍛えると言う訓練を受けていません。
連休も中盤です。昨日、天気は今ひとつでしたが、秩父へ出かけました。「芝桜」が綺麗だと聞いたからです。西武電車に乗って約1時間半かかります、西武秩父駅からは徒歩で20分程度でしょうか?小雨混じりにも拘らず多くの行楽客は来ています。少し盛りは過ぎていたようですが、それでもパッチワークのような芝桜は見事でした。3時半ごろ西武秩父駅に戻りましたが、7時25分まで特急はありません。仕方なく(時間潰しに)秩父神社まで行くことにしました。徒歩10分程度ですが途中の町並みにある建物が観ていて楽しいのです。大正から昭和にかけての建造物がここかしこに10数件はあるでしょうか?「有形文化財」に指定されています。全くのレトロの世界です。民家であったり、医院であったり、雑貨屋さんであったり、煙草屋さんであったり、レストランであったりと種種雑多ですが、それもどの建物も「現役」として使われています。
秩父には見所が他にもいっぱいありますが、僕のオススメはこのレトロな建物たちです。何故この町にこのような建物が残っているのかは知りません。とにかく楽しく過ごせた時間潰しでした。

芝桜と武甲山

ちょっと盛りを過ぎていましたが・・・でも綺麗です

片山医院

ワシントン靴店、銀座ワシントンではありません

煙草屋さん

レストラン、パリー

パリーの入り口です、入る勇気はありませんでした

番外、途中のお寺に見たボタンの大輪です
連休も中盤です。昨日、天気は今ひとつでしたが、秩父へ出かけました。「芝桜」が綺麗だと聞いたからです。西武電車に乗って約1時間半かかります、西武秩父駅からは徒歩で20分程度でしょうか?小雨混じりにも拘らず多くの行楽客は来ています。少し盛りは過ぎていたようですが、それでもパッチワークのような芝桜は見事でした。3時半ごろ西武秩父駅に戻りましたが、7時25分まで特急はありません。仕方なく(時間潰しに)秩父神社まで行くことにしました。徒歩10分程度ですが途中の町並みにある建物が観ていて楽しいのです。大正から昭和にかけての建造物がここかしこに10数件はあるでしょうか?「有形文化財」に指定されています。全くのレトロの世界です。民家であったり、医院であったり、雑貨屋さんであったり、煙草屋さんであったり、レストランであったりと種種雑多ですが、それもどの建物も「現役」として使われています。
秩父には見所が他にもいっぱいありますが、僕のオススメはこのレトロな建物たちです。何故この町にこのような建物が残っているのかは知りません。とにかく楽しく過ごせた時間潰しでした。
芝桜と武甲山
ちょっと盛りを過ぎていましたが・・・でも綺麗です
片山医院
ワシントン靴店、銀座ワシントンではありません
煙草屋さん
レストラン、パリー
パリーの入り口です、入る勇気はありませんでした
番外、途中のお寺に見たボタンの大輪です
2012年05月02日
「七隈っ隊」ボランティアに行ってきました
3泊4日の「『七隈っ隊』東北ボランティア」から昨夜無事に帰ることが出来ました。今回で「第4回」になります。今までの3回はいずれも土〜日に掛けての1泊2日でしたが、今回初めてG・Wを利用しての長期?遠征です。
昨年12月の「お餅つきボランティア」以来、東松島の「仮設住宅」でボランティアをさせていただいております。以来、今回まで仮設の自治会長の宮澤氏に我々の活動のアレンジをしていただいています。仮設に住んでおられる被災者の方々への根回しは勿論、地元の区長さんはじめ多くの方々に対して「七隈っ隊」の活動をPRしていただいております。また市の担当者との根回しなどもお願いしております。ボランティア経験の浅い我々と、「仮設」を預かる責任者ですから初めから意思の疎通はうまくいくはずがありません。お互いに試行錯誤しながらやっと最近は「あ・うん」の呼吸で物事が進められるようになりました。宮澤氏の存在なくしてはこのボランティは成り立ちません。
今回のメンバーは「七隈っ隊」からは7名です。今回初めて福岡に住むI君が飛行機で駆けつけてくれました。懇意にしている福山のボランティアグループ「てごうし隊」からは5名の参加、そして「つくば」を本拠地とする「情報ボランティア」から4名が応援に駆けつけてくれました。中でもメンバーのS氏はJAXAの宇宙飛行士の訓練を受けているというとんでもない人物です。総勢16名、初対面のメンバーもいますが「同じ志」の仲間ですのであった瞬間からもう旧知のごとく一緒にボランティアに頑張ってくれます。
28日の初日は午後から初参加のメンバーに被災地の跡を見てもらうことにしました。何回も訪れた事のある僕が被災地ツアーガイド」を務めました。仮設から車で10分ほどの野蒜地区です。江戸時代の昔は「塩田」だったところです。近年は海水浴場として仙台からも多くの人々が海水浴を楽しんだところです。宮澤氏も海が好きで20代の頃にこの地に移り住んだそうです。見るも無残な光景が広がっています。海岸の10メートルを越そうかと言う松の木の上を津波が超えたそうです。
ボランティア活動とは直接的に関係はありませんが、被災地に実際に立ってみて津波の恐ろしさを肌で感じることは大切です。大きな衝撃を受けることになりますが、恐ろしさ、つらさを被災地の人々と少しでも共有することができるからです。また東京や福岡に帰って家族や周りの人々に恐ろしい惨状を伝えることも大事な役目の一つと考えます。
翌29日は「炊き出し」です。地元産のワカメを主体とした料理を作ることにしました。、被災直後であれば「炊き出し」は何よりの意義ある支援でしたが、震災から1年が経って、ある程度の「衣食住」が整った今は「炊き出し」の持つ意味も変化してきました。単に食事を提供する、言い換えると「施す」段階からは卒業しています。仮設の人々と一緒に料理を楽しみながら、いろんなお話を聞かせていただくことが主眼となります。何人かの主婦の方がお手伝いに来れれましたが、もっと多くの人達にに参加して欲しかったというのが本音のところです。仮設の駐車場を利用してテーブルを並べましたが、来られた方は10名前後だったでしょうか。そこでメンバーの一人が機転を効かせて出前宜しく各戸を廻って「注文」を取って歩きました。そのせいかワカメのおにぎり以外はほとんど完売です。そろそろ「炊き出し」も転機を迎えたようです。何かのイベントの中でやるべきかもしれません。
3日目、前日「ワカメ採りに行きませんか?」とワカメ漁師の尾形夫人が声をかけて呉れました。「面白い体験ができますよ」との声につられて僕を含め4名が朝5時に起きて参加することにしました。もうほとんど漁の季節は終わりです、今回が今年最後の漁だそうです。8人乗りの船に乗せてもらいました。場所は「奥松島」、あの日本三景の「松島」の外海になります。乗船して10分程度ですが猛スピードですのでかなり波のあるところまで出ました。「これが普通の波」だそうですが、甲板に立つには何かに掴らないと無理です。漁は海中のロープ、100メートルぐらいあるでしょうか、約2メーター間隔に仕掛けてあったワカメを引き上げて根元の部分(芽株)から切り落とします。揺れる船の中での作業ですから、しっかり立たないとひっくり返ります。またワカメは重いので引っ張り上げるにかコツも要りますが結構な力仕事です。正味30分かぐらいだったかもしれませんが永遠に長く感じられました。メンバーのN君は疲労と恐怖で茫然自失の状態です。陸に上がってごちそうになったおにぎりとコーヒーの美味しかったこと。ワカメ漁の最盛期は1月から3月です。この最も寒い時期のこの漁は想像するだけで過酷な労働だと容易に想像できます。ご主人はこの時期、毎朝2時起きだそうです。恐らく奥様と二人の漁作業だろうと思います。危険な船の上での過酷な重労働、そして真冬の海です。「面白い体験ですよ」の意味が理解できました。半端な仕事ではありません、今回一番の貴重な経験をすることが出来ました。
8時前にいったん仮説に戻り、農作業グループと牡蠣の種付けグループに別れて再び出発です。農作業は区長さんをはじめ地元の方々の好意で提供された500坪程の畑を耕すというものです。仮設から徒歩5分、国道45号線に面してはいますが、陽当たりのいい絶好のロケーションです。ビニールハウスも2棟あります。我々は草取りから始まって、肥料撒きです。石灰を撒き、堆肥を撒き、籾殻を撒きます。堆肥は近くの方からの無料提供です。1輪車(別名ネコ)に積んで運びますが、バランスよく進むのは結構コツが必要ですが、どうしても上半身に力を入れ過ぎ、結構な重労働となります。今回もN君は疲労困憊の態です。その後、手押しのエンジン付き耕耘機を運転してみました。難しい運転ですし、危険でもあります。腕に力を込めてしまいますので、スイスイとはいきませんし、疲れ方も何倍かです。地元の若者が見本を見せてくれました。片手でスイスイです。
一方、牡蠣の種付けは楽しい作業だったそうです。牡蠣の漁師さん、高橋さんは仮設に住んでおられます。高橋さん一家との共同作業です。ロープに種が付いホタテガイを結わえる作業です。話では手を休める間もなく黙々と作業に没頭したそうです。立ったままの作業ですので、女性も子供もできる仕事です。全員達成感にあふれた顔で仮設に帰ってきました。この8月にもまた種付け作業があるそうです。また行くつもりです。
ボランティア最後の夜、高橋さんが大ぶりの殻つきの牡蠣をイッパイ持ってきてくれました。大きな鍋にお酒を直接ふりかけての酒蒸しです。何とも贅沢な食べ方です。薬味も調味料もいりません。ただ殻を開けてひたすら食べるのみです。僕も10個は食べたでしょうか?この牡蠣は2年ものだそうです、と言う事は津波を経験した牡蠣だと言う事です、「よく乗り越えたね!」と声を掛けながら口に入れるという不思議な感情にとらわれました。
夜はまたワカメの尾形さんが「天然ワカメよ」と言ってお土産にいっぱいワカメを持ってきてくれました。
最終日、1日はお世話になった部屋の後片付けをしていると、漁師さんが「スズキが獲れた」と言って80センチばかりの大きなスズキを3匹持ってきてくれました。そのうちの1匹をお土産に持って帰ることにしましたが、誰も引き取り手がありません。当たり前の話です、都会には捌ける人がいません。それに殆んどが2〜3人の核家族です。考えた挙句、谷中の妹の家に持って帰ることにしました。一応捌ける腕がありますし、ひと声かければいっぱい人が集まってきます(案の定、メールでKOが来ました、「明日はスズキパーティよ」と言う事で1件落着です)。仮設を10時過ぎに出発しました。
ワカメの尾形さんからはワカメのお土産をイッパイいただきました。牡蠣の高橋さんからは食べきれないほどの美味しい牡蠣をいただきました。市会議員でもある漁師さんはデッカイスズキを持ってきてくれました。区長の浅野さんからは以前お米を5キロお土産にいただいたことがあります。誰もかれもが善意の塊です。都会では考えられない事です。東松島へボランティアに行くとき、クーラーボックスは必携です。
昨年12月の「お餅つきボランティア」以来、東松島の「仮設住宅」でボランティアをさせていただいております。以来、今回まで仮設の自治会長の宮澤氏に我々の活動のアレンジをしていただいています。仮設に住んでおられる被災者の方々への根回しは勿論、地元の区長さんはじめ多くの方々に対して「七隈っ隊」の活動をPRしていただいております。また市の担当者との根回しなどもお願いしております。ボランティア経験の浅い我々と、「仮設」を預かる責任者ですから初めから意思の疎通はうまくいくはずがありません。お互いに試行錯誤しながらやっと最近は「あ・うん」の呼吸で物事が進められるようになりました。宮澤氏の存在なくしてはこのボランティは成り立ちません。
今回のメンバーは「七隈っ隊」からは7名です。今回初めて福岡に住むI君が飛行機で駆けつけてくれました。懇意にしている福山のボランティアグループ「てごうし隊」からは5名の参加、そして「つくば」を本拠地とする「情報ボランティア」から4名が応援に駆けつけてくれました。中でもメンバーのS氏はJAXAの宇宙飛行士の訓練を受けているというとんでもない人物です。総勢16名、初対面のメンバーもいますが「同じ志」の仲間ですのであった瞬間からもう旧知のごとく一緒にボランティアに頑張ってくれます。
28日の初日は午後から初参加のメンバーに被災地の跡を見てもらうことにしました。何回も訪れた事のある僕が被災地ツアーガイド」を務めました。仮設から車で10分ほどの野蒜地区です。江戸時代の昔は「塩田」だったところです。近年は海水浴場として仙台からも多くの人々が海水浴を楽しんだところです。宮澤氏も海が好きで20代の頃にこの地に移り住んだそうです。見るも無残な光景が広がっています。海岸の10メートルを越そうかと言う松の木の上を津波が超えたそうです。
ボランティア活動とは直接的に関係はありませんが、被災地に実際に立ってみて津波の恐ろしさを肌で感じることは大切です。大きな衝撃を受けることになりますが、恐ろしさ、つらさを被災地の人々と少しでも共有することができるからです。また東京や福岡に帰って家族や周りの人々に恐ろしい惨状を伝えることも大事な役目の一つと考えます。
翌29日は「炊き出し」です。地元産のワカメを主体とした料理を作ることにしました。、被災直後であれば「炊き出し」は何よりの意義ある支援でしたが、震災から1年が経って、ある程度の「衣食住」が整った今は「炊き出し」の持つ意味も変化してきました。単に食事を提供する、言い換えると「施す」段階からは卒業しています。仮設の人々と一緒に料理を楽しみながら、いろんなお話を聞かせていただくことが主眼となります。何人かの主婦の方がお手伝いに来れれましたが、もっと多くの人達にに参加して欲しかったというのが本音のところです。仮設の駐車場を利用してテーブルを並べましたが、来られた方は10名前後だったでしょうか。そこでメンバーの一人が機転を効かせて出前宜しく各戸を廻って「注文」を取って歩きました。そのせいかワカメのおにぎり以外はほとんど完売です。そろそろ「炊き出し」も転機を迎えたようです。何かのイベントの中でやるべきかもしれません。
3日目、前日「ワカメ採りに行きませんか?」とワカメ漁師の尾形夫人が声をかけて呉れました。「面白い体験ができますよ」との声につられて僕を含め4名が朝5時に起きて参加することにしました。もうほとんど漁の季節は終わりです、今回が今年最後の漁だそうです。8人乗りの船に乗せてもらいました。場所は「奥松島」、あの日本三景の「松島」の外海になります。乗船して10分程度ですが猛スピードですのでかなり波のあるところまで出ました。「これが普通の波」だそうですが、甲板に立つには何かに掴らないと無理です。漁は海中のロープ、100メートルぐらいあるでしょうか、約2メーター間隔に仕掛けてあったワカメを引き上げて根元の部分(芽株)から切り落とします。揺れる船の中での作業ですから、しっかり立たないとひっくり返ります。またワカメは重いので引っ張り上げるにかコツも要りますが結構な力仕事です。正味30分かぐらいだったかもしれませんが永遠に長く感じられました。メンバーのN君は疲労と恐怖で茫然自失の状態です。陸に上がってごちそうになったおにぎりとコーヒーの美味しかったこと。ワカメ漁の最盛期は1月から3月です。この最も寒い時期のこの漁は想像するだけで過酷な労働だと容易に想像できます。ご主人はこの時期、毎朝2時起きだそうです。恐らく奥様と二人の漁作業だろうと思います。危険な船の上での過酷な重労働、そして真冬の海です。「面白い体験ですよ」の意味が理解できました。半端な仕事ではありません、今回一番の貴重な経験をすることが出来ました。
8時前にいったん仮説に戻り、農作業グループと牡蠣の種付けグループに別れて再び出発です。農作業は区長さんをはじめ地元の方々の好意で提供された500坪程の畑を耕すというものです。仮設から徒歩5分、国道45号線に面してはいますが、陽当たりのいい絶好のロケーションです。ビニールハウスも2棟あります。我々は草取りから始まって、肥料撒きです。石灰を撒き、堆肥を撒き、籾殻を撒きます。堆肥は近くの方からの無料提供です。1輪車(別名ネコ)に積んで運びますが、バランスよく進むのは結構コツが必要ですが、どうしても上半身に力を入れ過ぎ、結構な重労働となります。今回もN君は疲労困憊の態です。その後、手押しのエンジン付き耕耘機を運転してみました。難しい運転ですし、危険でもあります。腕に力を込めてしまいますので、スイスイとはいきませんし、疲れ方も何倍かです。地元の若者が見本を見せてくれました。片手でスイスイです。
一方、牡蠣の種付けは楽しい作業だったそうです。牡蠣の漁師さん、高橋さんは仮設に住んでおられます。高橋さん一家との共同作業です。ロープに種が付いホタテガイを結わえる作業です。話では手を休める間もなく黙々と作業に没頭したそうです。立ったままの作業ですので、女性も子供もできる仕事です。全員達成感にあふれた顔で仮設に帰ってきました。この8月にもまた種付け作業があるそうです。また行くつもりです。
ボランティア最後の夜、高橋さんが大ぶりの殻つきの牡蠣をイッパイ持ってきてくれました。大きな鍋にお酒を直接ふりかけての酒蒸しです。何とも贅沢な食べ方です。薬味も調味料もいりません。ただ殻を開けてひたすら食べるのみです。僕も10個は食べたでしょうか?この牡蠣は2年ものだそうです、と言う事は津波を経験した牡蠣だと言う事です、「よく乗り越えたね!」と声を掛けながら口に入れるという不思議な感情にとらわれました。
夜はまたワカメの尾形さんが「天然ワカメよ」と言ってお土産にいっぱいワカメを持ってきてくれました。
最終日、1日はお世話になった部屋の後片付けをしていると、漁師さんが「スズキが獲れた」と言って80センチばかりの大きなスズキを3匹持ってきてくれました。そのうちの1匹をお土産に持って帰ることにしましたが、誰も引き取り手がありません。当たり前の話です、都会には捌ける人がいません。それに殆んどが2〜3人の核家族です。考えた挙句、谷中の妹の家に持って帰ることにしました。一応捌ける腕がありますし、ひと声かければいっぱい人が集まってきます(案の定、メールでKOが来ました、「明日はスズキパーティよ」と言う事で1件落着です)。仮設を10時過ぎに出発しました。
ワカメの尾形さんからはワカメのお土産をイッパイいただきました。牡蠣の高橋さんからは食べきれないほどの美味しい牡蠣をいただきました。市会議員でもある漁師さんはデッカイスズキを持ってきてくれました。区長の浅野さんからは以前お米を5キロお土産にいただいたことがあります。誰もかれもが善意の塊です。都会では考えられない事です。東松島へボランティアに行くとき、クーラーボックスは必携です。
2012年04月27日
The long goodbye
今晩から「七隈っ隊」は宮城県に出かけます。今回は5月の連休を利用して3泊2日の長い?ボランティアとなります。深夜に東北自動車道を走ります。
オザワ裁判、「無罪」の判決が出ましたが、大多数の日本人としては納得できないのでは無いでしょうか?勿論我々はマスコミが作り上げた「虚像」に踊らされた部分もありますが、政治家としての力量はともかく、ヒトとしては尊敬に値しないと思っております。
法的には「無罪」の判決が下されましたが、収支報告書に於いて巨額な資金の簿外処理を認める「政治資金規正法」と言うザル法の下での「無罪」です。「晴れて・・・」などと胸を張るようなことではありません。型どおり、「このたびは世間をお騒がせして・・・」とコメントするでしょうが、我々の胸に響かない魂の無いコメントです。
古来、我々日本人は「仁」や「徳」を重んじ社会秩序を形成してきた歴史があります。いくらお金持ちであろうと、勉強が出来ようと、「人徳」が無い人間を評価してきませんでした。このことによってヒトの「和」が保たれ、秩序ある社会が営まれてきました。日本のリーダーとして最も重んじられるべき「人徳」を持たないオザワさんにはもう表舞台に立って欲しくありません。それでもまだ岩手県の人たちは彼を支持するのでしょうか?これがイチバン理解できません。
それに彼ごときでモタツイている暇はありません、「日本再生」は時間との勝負です。もっと重要な課題が山積しています。だからと言って短絡的にハシモトに流れてしまうのも怖い気がします。ここは「政治生命をかける」というノダさんに頑張って貰うしかないと思います。
So long OZAWA-san!
オザワ裁判、「無罪」の判決が出ましたが、大多数の日本人としては納得できないのでは無いでしょうか?勿論我々はマスコミが作り上げた「虚像」に踊らされた部分もありますが、政治家としての力量はともかく、ヒトとしては尊敬に値しないと思っております。
法的には「無罪」の判決が下されましたが、収支報告書に於いて巨額な資金の簿外処理を認める「政治資金規正法」と言うザル法の下での「無罪」です。「晴れて・・・」などと胸を張るようなことではありません。型どおり、「このたびは世間をお騒がせして・・・」とコメントするでしょうが、我々の胸に響かない魂の無いコメントです。
古来、我々日本人は「仁」や「徳」を重んじ社会秩序を形成してきた歴史があります。いくらお金持ちであろうと、勉強が出来ようと、「人徳」が無い人間を評価してきませんでした。このことによってヒトの「和」が保たれ、秩序ある社会が営まれてきました。日本のリーダーとして最も重んじられるべき「人徳」を持たないオザワさんにはもう表舞台に立って欲しくありません。それでもまだ岩手県の人たちは彼を支持するのでしょうか?これがイチバン理解できません。
それに彼ごときでモタツイている暇はありません、「日本再生」は時間との勝負です。もっと重要な課題が山積しています。だからと言って短絡的にハシモトに流れてしまうのも怖い気がします。ここは「政治生命をかける」というノダさんに頑張って貰うしかないと思います。
So long OZAWA-san!
2012年04月26日
不思議の国、アメリカ
学生の頃、福岡の街で「ベン・ハー」の映画を観ました。テーマ音楽と共にチャールトン・へ7トンが気にってました。LPまで買った記憶があります(思えば、結構贅沢なことをしていました)。その彼は今「全米ライフル教会」(NRA)の会長の地位にあります。アメリカの銃社会のシンボルです。
アメリカと言う国は最もニホンジンにとって親しみやすい国です。戦後は彼らの占領政策が奏功したのか、「日本人が好きな国」のいつもトップに挙げられています。しかしながら理解しがたい国でもあります。その一つに「銃による殺人」が飛びぬけて多いと言う事です。あのマイケル・ムーア監督のドキュメンタリーを観ました。「銃規制」を訴える内容です。
ある年、銃によって殺されるヒトの数は日本では39人でした、以下ドイツ381人、フランス256人、カナダ165人、イギリス68人、オーストラリア65人と続きます。そしてアメリカはなんと11,127人でした。ダントツのトップです。同じく「銃規制」の無いカナダと較べても圧倒的に多い数字です(因みにカナダの人口は約3千万人です)。
何故アメリカだけが突出しているのでしょうか?映画の中でマイケル・ムーアがチャールトン・ヘストンにインタビューしています。「何故アメリカは他の国に較べて銃による殺人が多いのでしょうか?」と。答えは「それはアメリカは特別な歴史を持っているからだ」と言う答えです。血なまぐさい歴史を持っているのは何もアメリカだけではありません。ドイツもイギリスも、スペインも、そして日本も似たような歴史を抱えています。「多様な民族を抱えているからでしょうか?」、これに対するC・ヘストンの答えは「それには答えたくありません」というものでした。
やはり根本には「人種差別」があるようです。昔、メイフラワー号に乗って大陸に移住して来た清教徒達は、原住民を殺す事で土地を奪ってきたという歴史があります。また大量の黒人をアフリカから連れて来て奴隷として働かせたという歴史があります。いずれも白人系アメリカ人にとっては「触れて欲しくない歴史」です。そのやましさが彼らを原住民や黒人からの復讐に怯えさせているのです。いつか彼らに襲われるのではないか?と。「護身用」というのは白人ではない他の人種に対してなのです。
その構図はワールドワイドに広げてみても当てはまるようです。世界一の軍事力をキープする根底には、アメリカの「銃社会」と通じる所があります。アラブ諸国に軍隊を派遣するのはインデアンから土地を奪った構図とよく似ています。やましさが同居しているからです。また日米安保を謳いながら、日本が安全保障理事国に加盟する事には「反対」していますし、日本が核兵器を持つことに対してもホンネのところでは「反対」です。やはり彼らには原爆を落としたと言うやましさがあるからでは無いでしょうか?彼らは日本人の復讐を恐れているのかも知れません。
民族の違いを元にした闘争の経験が浅い日本人には理解しがたい「論理」ですが、グローバライゼーションとはこれらの「論理」を理解すると言う事でもあります。
アメリカと言う国は最もニホンジンにとって親しみやすい国です。戦後は彼らの占領政策が奏功したのか、「日本人が好きな国」のいつもトップに挙げられています。しかしながら理解しがたい国でもあります。その一つに「銃による殺人」が飛びぬけて多いと言う事です。あのマイケル・ムーア監督のドキュメンタリーを観ました。「銃規制」を訴える内容です。
ある年、銃によって殺されるヒトの数は日本では39人でした、以下ドイツ381人、フランス256人、カナダ165人、イギリス68人、オーストラリア65人と続きます。そしてアメリカはなんと11,127人でした。ダントツのトップです。同じく「銃規制」の無いカナダと較べても圧倒的に多い数字です(因みにカナダの人口は約3千万人です)。
何故アメリカだけが突出しているのでしょうか?映画の中でマイケル・ムーアがチャールトン・ヘストンにインタビューしています。「何故アメリカは他の国に較べて銃による殺人が多いのでしょうか?」と。答えは「それはアメリカは特別な歴史を持っているからだ」と言う答えです。血なまぐさい歴史を持っているのは何もアメリカだけではありません。ドイツもイギリスも、スペインも、そして日本も似たような歴史を抱えています。「多様な民族を抱えているからでしょうか?」、これに対するC・ヘストンの答えは「それには答えたくありません」というものでした。
やはり根本には「人種差別」があるようです。昔、メイフラワー号に乗って大陸に移住して来た清教徒達は、原住民を殺す事で土地を奪ってきたという歴史があります。また大量の黒人をアフリカから連れて来て奴隷として働かせたという歴史があります。いずれも白人系アメリカ人にとっては「触れて欲しくない歴史」です。そのやましさが彼らを原住民や黒人からの復讐に怯えさせているのです。いつか彼らに襲われるのではないか?と。「護身用」というのは白人ではない他の人種に対してなのです。
その構図はワールドワイドに広げてみても当てはまるようです。世界一の軍事力をキープする根底には、アメリカの「銃社会」と通じる所があります。アラブ諸国に軍隊を派遣するのはインデアンから土地を奪った構図とよく似ています。やましさが同居しているからです。また日米安保を謳いながら、日本が安全保障理事国に加盟する事には「反対」していますし、日本が核兵器を持つことに対してもホンネのところでは「反対」です。やはり彼らには原爆を落としたと言うやましさがあるからでは無いでしょうか?彼らは日本人の復讐を恐れているのかも知れません。
民族の違いを元にした闘争の経験が浅い日本人には理解しがたい「論理」ですが、グローバライゼーションとはこれらの「論理」を理解すると言う事でもあります。
2012年04月25日
「農業」は成長産業です
昨年の夏から東松島のワカメ養殖を手掛けるO氏との交流が続いています。今年の3月、東松島の仮設住宅でお話をする機会がありました。元々は牡蠣の養殖が本業でしたが、あの津波によって養殖の為の筏が全て流されてしまいました。牡蠣の養殖を立ち上げるには数千万円の資金が必要です。今はその資金を貯める為にワカメの養殖を手掛けておられると言う次第です。
どんな支援が出来るのか?分からないままに、横浜で行われた「防災技術展」でPRしたり、東北大で行われた「3.11記念イベント」でワカメのシャブシャブの試食会等を行ってきました。更にはテニスの仲間や知人にお願いしてO氏に注文も出して貰いました。しかし残念ながら微々たる支援の範囲だろうと思います。本格的な「復旧」に到達する為にはより多くの資金が必要です、いずれ牡蠣の養殖への復活、或いは「第6次産業」への展開にまで支援して行きたいと思います。
TPPへの参加を巡って政府はまだ態度を明確にしておりません、いや正確には参加する事はは既に既定の路線としてで進んでいますが、農業団体を中心とする反対するグループとどこに落としどころを見つけるか?水面下のやり取りが続いています。いつものパターンです、敢えて旧主派と呼びますが、農業団体のトップはメンツに拘っているだけです。「TPP参加によって蒙るダメージに対してどれだけ補償金を引き出せるか?」この1点しか彼らの眼目はありません。彼らが使ういつものパターンです。
政治ポピュリズムの典型として、永年自民党が「農民票」を得るべく行ってきた愚作とも言うべき農業政策の「原罪」が未だに尾を引きずっていると言えます。この「原罪」を克服しない事には日本の本当の再生はありえません。
ハッキリ言って「農業」は毎年2兆円に近い税金が使われているにも拘らず、「衰退産業」として見做されています。従事する人達の平均年齢は66歳だそうです、そして後継者がいません。このままではいずれ日本の農業は消滅するかも知れないのです。
一方、全国の耕作放棄地面積はと言うと東京ドームを9万個に匹敵します。土地は余っていると言えます。わが国の農業技術は世界のトップクラスです。そして、大学生が無駄なシュウカツに苦しんでいます。ヒトも余っているのです。これを考えると、農業を「衰退産業」と位置づける意味が解りません。考え方によっては「成長産業」と言えます。
思い切った緩和政策が必要です、「農業」を中心とする第1次産業をどう復興させるか?TPPを千載一遇のチャンスと捉えるべきではないでしょうか?今、TPPへ参入したとして、農業に影響が出るのは10年先です。たっぷり時間はあります。だからと言ってこの「改革」も先送りは許されません。
大学生諸君も「背広」を着るだけが「仕事」ではありません。幸いに幾つかの企業が農業に参入してきています。長靴に軍手も結構楽しい仕事ですよ。女の子にもてるかどうかは保障(補償)しませんが・・・。「農業」に理解のないような女の子はたいした女の子ではありません、そんな子はこっちに廻してください。
どんな支援が出来るのか?分からないままに、横浜で行われた「防災技術展」でPRしたり、東北大で行われた「3.11記念イベント」でワカメのシャブシャブの試食会等を行ってきました。更にはテニスの仲間や知人にお願いしてO氏に注文も出して貰いました。しかし残念ながら微々たる支援の範囲だろうと思います。本格的な「復旧」に到達する為にはより多くの資金が必要です、いずれ牡蠣の養殖への復活、或いは「第6次産業」への展開にまで支援して行きたいと思います。
TPPへの参加を巡って政府はまだ態度を明確にしておりません、いや正確には参加する事はは既に既定の路線としてで進んでいますが、農業団体を中心とする反対するグループとどこに落としどころを見つけるか?水面下のやり取りが続いています。いつものパターンです、敢えて旧主派と呼びますが、農業団体のトップはメンツに拘っているだけです。「TPP参加によって蒙るダメージに対してどれだけ補償金を引き出せるか?」この1点しか彼らの眼目はありません。彼らが使ういつものパターンです。
政治ポピュリズムの典型として、永年自民党が「農民票」を得るべく行ってきた愚作とも言うべき農業政策の「原罪」が未だに尾を引きずっていると言えます。この「原罪」を克服しない事には日本の本当の再生はありえません。
ハッキリ言って「農業」は毎年2兆円に近い税金が使われているにも拘らず、「衰退産業」として見做されています。従事する人達の平均年齢は66歳だそうです、そして後継者がいません。このままではいずれ日本の農業は消滅するかも知れないのです。
一方、全国の耕作放棄地面積はと言うと東京ドームを9万個に匹敵します。土地は余っていると言えます。わが国の農業技術は世界のトップクラスです。そして、大学生が無駄なシュウカツに苦しんでいます。ヒトも余っているのです。これを考えると、農業を「衰退産業」と位置づける意味が解りません。考え方によっては「成長産業」と言えます。
思い切った緩和政策が必要です、「農業」を中心とする第1次産業をどう復興させるか?TPPを千載一遇のチャンスと捉えるべきではないでしょうか?今、TPPへ参入したとして、農業に影響が出るのは10年先です。たっぷり時間はあります。だからと言ってこの「改革」も先送りは許されません。
大学生諸君も「背広」を着るだけが「仕事」ではありません。幸いに幾つかの企業が農業に参入してきています。長靴に軍手も結構楽しい仕事ですよ。女の子にもてるかどうかは保障(補償)しませんが・・・。「農業」に理解のないような女の子はたいした女の子ではありません、そんな子はこっちに廻してください。
2012年04月24日
「お先に・・・」逝きます
久し振りに気持ちの良いの朝です。鮮やかな日の出です。少し体がなまってますので洗濯をし、朝ごはんを済ませたらゴルフの打ちっぱなしでも行って来るつもりです。
昨夜NHKのバイトの帰りに職場の女子社員と前からの約束、「ビールでも飲みましょう」を果たすべく近くの餃子屋さんに寄りました。冷えたビールは寒い夜にイマイチでしたが、話はホットな内容でした。
彼女は先週結婚式を挙げたばかりです、来月には退職します。ダンナはJRに勤務ですがいわゆるキャリア組です。スタンフォード大学への留学が決まっています。彼女も当然付いて行きます。7月からは向こうで新生活のスタートを切ります。いっぱい夢を語ってくれました、と同時に「恵まれた人生を歩んでいる」事を充分わきまえています。この辺りが彼女の素晴らしい点です。「人生何が起こるかわからないですね、今を大切にしたいと思います」。
僕とは文字通り世代が違う年の差です。傍から見たら仲の良い父親と娘に見えてもおかしくありません。話は我々世代と彼女たち世代とのギャップについてです。特にネンキンについてです。「今の団塊の世代の人達には年金を返して欲しいと思います」、「だって私達は20万そこそこの薄給の上、社会保険料をたっぷり取られていて、彼らは40万、50万もの年金で贅沢な暮らしをしているではないですか?」、「学生運動でもっともらしい事を言いながら、結局今の体制に埋没し満足しきっているではないですか?あの運動は単なるファッションでしかなかったと思いますよ」。彼女の世代の目線です。世に言われる「老年と若者たちとの対立」の構図です。こうして生の声を聞く事はめったにありません。「皆さんはぎりぎりセーフでラッキーな世代ですよね、高度成長期を過ごし、バブルの恩恵にも預かって・・・」、「結局いつの時代に生まれるかによってラッキー、アンラッキーがありますね」。ここまで諦観されるとどうするスベもありません。
彼女達に我々は多くの「負の遺産」を遺して逝きます。多額の借金を残し、地球を汚しまくって「お先に・・・」します。食べ散らかしてお金も払わずにトイレに行くようなフリをして帰ってしまうようなものです。誠に卑怯な世代と言えます。我々の世代、生きていること自体が『邪魔』な存在なのです。ネンキンを貰ってダラダラと役立たずの暮らしをしている事は現代社会に於いて「罪」なのです。外国と較べるとまだまだ豊かな国です、しかし「老人が生きていけない」世にも不思議な社会になってしまっています。現代社会の「不条理」と言えます。
昨夜NHKのバイトの帰りに職場の女子社員と前からの約束、「ビールでも飲みましょう」を果たすべく近くの餃子屋さんに寄りました。冷えたビールは寒い夜にイマイチでしたが、話はホットな内容でした。
彼女は先週結婚式を挙げたばかりです、来月には退職します。ダンナはJRに勤務ですがいわゆるキャリア組です。スタンフォード大学への留学が決まっています。彼女も当然付いて行きます。7月からは向こうで新生活のスタートを切ります。いっぱい夢を語ってくれました、と同時に「恵まれた人生を歩んでいる」事を充分わきまえています。この辺りが彼女の素晴らしい点です。「人生何が起こるかわからないですね、今を大切にしたいと思います」。
僕とは文字通り世代が違う年の差です。傍から見たら仲の良い父親と娘に見えてもおかしくありません。話は我々世代と彼女たち世代とのギャップについてです。特にネンキンについてです。「今の団塊の世代の人達には年金を返して欲しいと思います」、「だって私達は20万そこそこの薄給の上、社会保険料をたっぷり取られていて、彼らは40万、50万もの年金で贅沢な暮らしをしているではないですか?」、「学生運動でもっともらしい事を言いながら、結局今の体制に埋没し満足しきっているではないですか?あの運動は単なるファッションでしかなかったと思いますよ」。彼女の世代の目線です。世に言われる「老年と若者たちとの対立」の構図です。こうして生の声を聞く事はめったにありません。「皆さんはぎりぎりセーフでラッキーな世代ですよね、高度成長期を過ごし、バブルの恩恵にも預かって・・・」、「結局いつの時代に生まれるかによってラッキー、アンラッキーがありますね」。ここまで諦観されるとどうするスベもありません。
彼女達に我々は多くの「負の遺産」を遺して逝きます。多額の借金を残し、地球を汚しまくって「お先に・・・」します。食べ散らかしてお金も払わずにトイレに行くようなフリをして帰ってしまうようなものです。誠に卑怯な世代と言えます。我々の世代、生きていること自体が『邪魔』な存在なのです。ネンキンを貰ってダラダラと役立たずの暮らしをしている事は現代社会に於いて「罪」なのです。外国と較べるとまだまだ豊かな国です、しかし「老人が生きていけない」世にも不思議な社会になってしまっています。現代社会の「不条理」と言えます。
2012年04月23日
馬鹿の高上り、かも?
「タワーブーム」だそうです。言わずと知れたあのスカイツリーが火付け役です。スカイツリーは来月22日オープンです。450メートルまで昇るのに3000円もかかりますが既に予約で満員です。
ニホンのタワーと言えばやはり東京タワーが象徴的です。1958年(昭和36年)に戦後復興のシンボルとなりました。しかし、僕にとってのタワーはなんと言っても名古屋市の中心に立ったテレビ塔です。建ったのが1953年ですから東京タワーより5年も早く、僕がまだ10歳、小学校に通っていた頃です。その頃僕は名古屋市の港区に住んでいましたから、親に連れられてかよく記憶していませんが、何回か昇ったことがあります。一度などは下から階段で上ったこともあります。アホな話ですがその頃は「名古屋が日本の真ん中」と信じていたくらいです。何となくですがニホンがこれから豊かになる予感がしました。そしてTV時代の幕開けでした。

ベランダから東の方角にスカイツリーを見ることが出来ます
これは去年の12月の写真です、今朝は生憎雨で曇って見る事ができません
大阪にいた頃は通天閣にも昇りました、大阪城の天守閣はタワーではありませんが、天下を治めた秀吉の気持ちが少し理解できたように感じました。ニューヨークのエンパイアステートビルディングにも昇りました。アメリカにも御のぼりさんがいることを始めて知りました。台北の101にも昇りました、料金は450台湾$(1300円弱)でした。残念ながらエッフェル塔には上ったことがありませんが、風格はイチバンです。どうも僕は「高いところが好き」なタイプかも知れません。挙句の果ていまは27階の部屋に住んでいます。
眺めはバツグンです。、地上を睥睨すると言うような趣味は持ちませんが、東の空から昇ってくる太陽にはパワーがもらえるような気がします。新宿の夜景からは「又夜遊びにどうぞ来て下さい」と言われている様な気がします。そして何より、ベランダでのディナーは最高です。「贅沢」を定義するとしたら、このことではないかと思うくらいです。490円のCarlo Rossiと手作りのベーコンがあれば至福のひと時を過ごすことができます。
高いところに登るのは人間の本能のようなものかもしれません。太古の昔、まだ我々がサルだった頃、樹の上だけが安心できる所ではなかったからでは無いでしょうか?その名残りかも知れません。しかし、サルも木から落ちます。今の我々サル族は直下型地震に備えなければいけません。
ニホンのタワーと言えばやはり東京タワーが象徴的です。1958年(昭和36年)に戦後復興のシンボルとなりました。しかし、僕にとってのタワーはなんと言っても名古屋市の中心に立ったテレビ塔です。建ったのが1953年ですから東京タワーより5年も早く、僕がまだ10歳、小学校に通っていた頃です。その頃僕は名古屋市の港区に住んでいましたから、親に連れられてかよく記憶していませんが、何回か昇ったことがあります。一度などは下から階段で上ったこともあります。アホな話ですがその頃は「名古屋が日本の真ん中」と信じていたくらいです。何となくですがニホンがこれから豊かになる予感がしました。そしてTV時代の幕開けでした。
ベランダから東の方角にスカイツリーを見ることが出来ます
これは去年の12月の写真です、今朝は生憎雨で曇って見る事ができません
大阪にいた頃は通天閣にも昇りました、大阪城の天守閣はタワーではありませんが、天下を治めた秀吉の気持ちが少し理解できたように感じました。ニューヨークのエンパイアステートビルディングにも昇りました。アメリカにも御のぼりさんがいることを始めて知りました。台北の101にも昇りました、料金は450台湾$(1300円弱)でした。残念ながらエッフェル塔には上ったことがありませんが、風格はイチバンです。どうも僕は「高いところが好き」なタイプかも知れません。挙句の果ていまは27階の部屋に住んでいます。
眺めはバツグンです。、地上を睥睨すると言うような趣味は持ちませんが、東の空から昇ってくる太陽にはパワーがもらえるような気がします。新宿の夜景からは「又夜遊びにどうぞ来て下さい」と言われている様な気がします。そして何より、ベランダでのディナーは最高です。「贅沢」を定義するとしたら、このことではないかと思うくらいです。490円のCarlo Rossiと手作りのベーコンがあれば至福のひと時を過ごすことができます。
高いところに登るのは人間の本能のようなものかもしれません。太古の昔、まだ我々がサルだった頃、樹の上だけが安心できる所ではなかったからでは無いでしょうか?その名残りかも知れません。しかし、サルも木から落ちます。今の我々サル族は直下型地震に備えなければいけません。

