2011年08月06日
今日の一曲(8)
『Requiem zu 5 Stimmen(Introitus、Kyrie、Graduale)』
Orlandus Lassus (Pro Cantione Antiqua)
http://youtu.be/rtyBTH3Gqaw
Orlandus Lassus (Pro Cantione Antiqua)
http://youtu.be/rtyBTH3Gqaw
2011年01月02日
あけましておめでとうございます
2010年12月16日
ヨーカドーのアワップ菓子
年末年始に向けて、大手スーパーが新作スイーツを発売!! ではなく、、、、
『一つ目小僧』
十二月八日を民俗学では「コト(事)八日」と呼んでいる。地方によってはヨウカまつり・ヨウカゾウ・ヨウカドウと呼んでいるところが多い。相模原ではヨウカドウと呼んでおり、こどもたちも「きょうはヨウカドウだナ」などとこの日を話題にした。しかし、子どもは一般にこの日を一つ目小僧の日と呼びなれていた。それは、おじいさんやおばあさんから「ヨウカドウの晩には一つ目小僧がやって来る」という話を聞いていたからであり、またその日の夕方には、一つ目小僧にちなむ行事が行われるからである。
夕方になるとどこの農家でも、一つ目小僧の入来を防ぐため、トンボグチ(玄関口)か軒先に、イモフリメエケ(目籠)や目の細かいざるをつるす。また、この日に下駄を出しっぱなしにしておくと、一つ目小僧に判を押されるといって、子どもたちに下駄を全部しまわせたりする。村や部落によってはグミの枝をとってきて、庭で焚くところもある。
この夜はそばを作るほか、ヨウカドウのアワップカシといって、もち粟の赤飯を作って、神棚に供えたり、またクダケ(砕け米)だんごを作って食べるところもある。
戸締まりを早めにして家族はみな家にこもり、だれも外に出ない。しかし子どもたちは本当に一つ目小僧がやって来るのだろうかと、こわごわながら縁側の端に立ち、戸の隙間から、そっと外をのぞいたりする。
というわけでアワップカシは、“粟蒸かし”のことのようですね。
『一つ目小僧』
十二月八日を民俗学では「コト(事)八日」と呼んでいる。地方によってはヨウカまつり・ヨウカゾウ・ヨウカドウと呼んでいるところが多い。相模原ではヨウカドウと呼んでおり、こどもたちも「きょうはヨウカドウだナ」などとこの日を話題にした。しかし、子どもは一般にこの日を一つ目小僧の日と呼びなれていた。それは、おじいさんやおばあさんから「ヨウカドウの晩には一つ目小僧がやって来る」という話を聞いていたからであり、またその日の夕方には、一つ目小僧にちなむ行事が行われるからである。
夕方になるとどこの農家でも、一つ目小僧の入来を防ぐため、トンボグチ(玄関口)か軒先に、イモフリメエケ(目籠)や目の細かいざるをつるす。また、この日に下駄を出しっぱなしにしておくと、一つ目小僧に判を押されるといって、子どもたちに下駄を全部しまわせたりする。村や部落によってはグミの枝をとってきて、庭で焚くところもある。
この夜はそばを作るほか、ヨウカドウのアワップカシといって、もち粟の赤飯を作って、神棚に供えたり、またクダケ(砕け米)だんごを作って食べるところもある。
戸締まりを早めにして家族はみな家にこもり、だれも外に出ない。しかし子どもたちは本当に一つ目小僧がやって来るのだろうかと、こわごわながら縁側の端に立ち、戸の隙間から、そっと外をのぞいたりする。
(『相模原民俗誌』鈴木眞一)
というわけでアワップカシは、“粟蒸かし”のことのようですね。
2010年10月30日
マルベルト
洗濯機の上に据え置くタイプの、かなり年季の入った衣類乾燥機が始動後ほどなく、「フィルターお掃除」ランプが点灯して停止するようになって、フィルターを掃除したり、新品のフィルターに交換したりしたものの状況は好転せず、誰かに車を出してもらって粗大ゴミ集積場に持ち込むか、市に要請して引き取りに来てもらうか悩んでいる間、洗濯物の乾燥が必要なときは、近所のコインランドリーを利用しながら、かれこれ一年以上経ちました。
先日ふと何気なく、衣類乾燥機、フィルター、交換、停止、など適当な言葉で検索してみると、似たような症状の衣類乾燥機が、丸ベルトの交換で再び使えるようになる、という記事が見つかりました。
排気ファンを駆動する樹脂製のベルトが切れて、排気ができずに、機械がフィルターの目詰まりと判断して停止してしまうようです。

そこでさっそく背面パネルをはずしてみると、やはり丸ベルトが切れていました。
乾燥機は古いものなので、メーカーに部品の在庫があるものなのか判らず、またあったとしても割高になるようなので、オークションサイトで探して、専用の溶着機で円環に接合加工している、という出品者から丸ベルトを購入しました。送料込みで数百円。
取り付けて、問題なく動作しています。
もっと早くに対処すればよかった。
こちらには、機種ごとの丸ベルトの規格一覧があります。
先日ふと何気なく、衣類乾燥機、フィルター、交換、停止、など適当な言葉で検索してみると、似たような症状の衣類乾燥機が、丸ベルトの交換で再び使えるようになる、という記事が見つかりました。
排気ファンを駆動する樹脂製のベルトが切れて、排気ができずに、機械がフィルターの目詰まりと判断して停止してしまうようです。

そこでさっそく背面パネルをはずしてみると、やはり丸ベルトが切れていました。
乾燥機は古いものなので、メーカーに部品の在庫があるものなのか判らず、またあったとしても割高になるようなので、オークションサイトで探して、専用の溶着機で円環に接合加工している、という出品者から丸ベルトを購入しました。送料込みで数百円。
取り付けて、問題なく動作しています。
もっと早くに対処すればよかった。
こちらには、機種ごとの丸ベルトの規格一覧があります。
2010年10月14日
カヌー行
ずいぶん前の記事 Taima templeで、相模川をカヌーで下ったマグレガーという人物が出て来ましたが、先日墓参のついでに、すこし足を伸ばして横浜開港資料館の閲覧室に行って調べてみました。
「幕末明治在日外国人・機関名鑑」(ゆまに書房)に、横浜で発行されていた英字新聞「The Japan Gazette」誌が編纂した名鑑「Hong List and Directory 1875」が掲載されていて、Yokohama の項に
J.H.MacGregor
Boiler-maker, Black-smith, and Machinist
という人物の記載がありました。
ボイラー工、鉄工(鍛冶屋)、機械工ということでしょうか。
1875年というと、カヌー行の4年後で、この人物が1871年にすでに滞日していたのか定かではありません。またカヌーで下ったマグレガーは居留民ではなく短期滞在しただけの旅行者かもしれません。
ところが、「THE FAR EAST」の復刻本から、カヌー旅行記事の部分をコピーして、帰宅してからよくよく読んでみると、どうもマグレガーがカヌーで相模川下りをしたという事ではないような気がして来ました。
そこであらためて検索してみると、冒頭部分の訳文が
↓こちらに
http://www.canoejapan.com/index_hist.html
ありました。
2.カヌーの記録 の 4) です。
The Far East掲載のカヌーの写真はやや不鮮明なので、少し見やすく加工してみました。
↓

(クリックで拡大)
キャプションには、“TAKING TO THE CANOE”
とあります。
で、どうやら、The Far East記事中のマグレガー氏とは、近代スポーツカヌーの祖とされるJohn MacGregorのことと思われますが、彼が訪日したという記述はネット上を見る限りみつかりません。
さらに文面からすると、“マグレガー氏の功績により、本国ではカヌー旅行が一般にも広く親しまれるようになった” という、カヌー旅行記事の前置きのような気がします。
ちなみに、John MacGregorの伝記がこちらにありますが、500ページ余の英文です。
The Far Eastのカヌー下りの記事に署名はありませんので、The Far East の記者か居留外国人の誰かがカヌー旅行記を執筆したということになりそうです。
(カヌーや備品を本国から取り寄せたと言っているので、旅行者とは考えにくいような気がします。)
一応、カヌー記事冒頭部分を↓
The following account of a trip taken by two gentleman in their canoes, on the 18th and 19th June will be perused with interest by many of our readers. The long holiday trips of Mr. McGregor over many of the European waters first imparted a taste for this kind of travelling; and the Canoeing club which was got up by Mr. Mcgegor and his friends, have familiarized the home public with such trips. That described bellow is the first ever undertaken in Japan. The Canoe of the writer, is one recently imported from home, with all the latest improvements in sails, paddles cooking apparatus, &c. Our two friends sent their canoes overland, by coolies, to Tana on the slope of the hills about twenty four miles from this, and there commenced their journey.
「幕末明治在日外国人・機関名鑑」(ゆまに書房)に、横浜で発行されていた英字新聞「The Japan Gazette」誌が編纂した名鑑「Hong List and Directory 1875」が掲載されていて、Yokohama の項に
J.H.MacGregor
Boiler-maker, Black-smith, and Machinist
という人物の記載がありました。
ボイラー工、鉄工(鍛冶屋)、機械工ということでしょうか。
1875年というと、カヌー行の4年後で、この人物が1871年にすでに滞日していたのか定かではありません。またカヌーで下ったマグレガーは居留民ではなく短期滞在しただけの旅行者かもしれません。
ところが、「THE FAR EAST」の復刻本から、カヌー旅行記事の部分をコピーして、帰宅してからよくよく読んでみると、どうもマグレガーがカヌーで相模川下りをしたという事ではないような気がして来ました。
そこであらためて検索してみると、冒頭部分の訳文が
↓こちらに
http://www.canoejapan.com/index_hist.html
ありました。
2.カヌーの記録 の 4) です。
The Far East掲載のカヌーの写真はやや不鮮明なので、少し見やすく加工してみました。
↓

(クリックで拡大)
キャプションには、“TAKING TO THE CANOE”
とあります。
で、どうやら、The Far East記事中のマグレガー氏とは、近代スポーツカヌーの祖とされるJohn MacGregorのことと思われますが、彼が訪日したという記述はネット上を見る限りみつかりません。
さらに文面からすると、“マグレガー氏の功績により、本国ではカヌー旅行が一般にも広く親しまれるようになった” という、カヌー旅行記事の前置きのような気がします。
ちなみに、John MacGregorの伝記がこちらにありますが、500ページ余の英文です。
The Far Eastのカヌー下りの記事に署名はありませんので、The Far East の記者か居留外国人の誰かがカヌー旅行記を執筆したということになりそうです。
(カヌーや備品を本国から取り寄せたと言っているので、旅行者とは考えにくいような気がします。)
一応、カヌー記事冒頭部分を↓
The following account of a trip taken by two gentleman in their canoes, on the 18th and 19th June will be perused with interest by many of our readers. The long holiday trips of Mr. McGregor over many of the European waters first imparted a taste for this kind of travelling; and the Canoeing club which was got up by Mr. Mcgegor and his friends, have familiarized the home public with such trips. That described bellow is the first ever undertaken in Japan. The Canoe of the writer, is one recently imported from home, with all the latest improvements in sails, paddles cooking apparatus, &c. Our two friends sent their canoes overland, by coolies, to Tana on the slope of the hills about twenty four miles from this, and there commenced their journey.
2010年10月09日
カップリング
ノーベル化学賞の話題で、ここ何日か、聞き慣れない言葉をちょくちょく耳にするので、わかり易く解説してあるページはないかと探していましたが、
こちらの「鈴木カップリング(1)」と(2)
で、一応少しは理解できたような気がします。
元ページの
『有機化学美術館』
は充実していて、有機化学の豊富な話題と鮮やかな図版が魅力で、すこしずつ読み進めています。
一番上の、フラーレンやカーボンナノチューブの記事も興味深いものですが、
☆生活を支える・身の回りの分子たち の
おいしい化合物
や、一連の糖についての記事など、身近な話題で親しみが湧きますし、
香りの化合物(1)(2)
など読むと、香料、香水の歴史が化学の発展と密接に関係していることに、あらためて気付かされます。
このところ道を歩いていると、金木犀が盛んに香っていますが、匂いの主な成分は、β-イオノン、リナロールなどテルペン類の化合物のようです。
紅葉の化学なども季節柄、気になります。
ナノ世界の小人たち も面白いですよ。
こちらの「鈴木カップリング(1)」と(2)
で、一応少しは理解できたような気がします。
元ページの
『有機化学美術館』
は充実していて、有機化学の豊富な話題と鮮やかな図版が魅力で、すこしずつ読み進めています。
一番上の、フラーレンやカーボンナノチューブの記事も興味深いものですが、
☆生活を支える・身の回りの分子たち の
おいしい化合物
や、一連の糖についての記事など、身近な話題で親しみが湧きますし、
香りの化合物(1)(2)
など読むと、香料、香水の歴史が化学の発展と密接に関係していることに、あらためて気付かされます。
このところ道を歩いていると、金木犀が盛んに香っていますが、匂いの主な成分は、β-イオノン、リナロールなどテルペン類の化合物のようです。
紅葉の化学なども季節柄、気になります。
ナノ世界の小人たち も面白いですよ。
2010年10月04日
ストリートビュー
えのすいのTwitterで知ったのですが、Googleのストリートビューに
南極の映像
が加わったようです。
こちらにも詳しく紹介されています。
アルゼンチンの南、ハーフムーン島のメインストリートといったところでしょうか。
ヒゲペンギンの繁殖地になっているようです。
南極の映像
が加わったようです。
こちらにも詳しく紹介されています。
アルゼンチンの南、ハーフムーン島のメインストリートといったところでしょうか。
ヒゲペンギンの繁殖地になっているようです。
2010年10月01日
夜啼貝〜補遺2
(9/25記事のつづき)
東海道の北側、江戸から相模国を貫き箱根足柄峠を抜けて遠州沼津あたりまでを結ぶ矢倉沢往還は、東海道の脇街道として、そして何より大山への参詣道として、江戸時代にもずいぶん往来は盛んだったようです。
現在の国道246号は、そのかつての矢倉沢往還をなぞるように続いていますが、東京―沼津間のほぼ真ん中あたり、伊勢原中心街の西端から北へ逸れると大山の登山口、阿夫利神社へと続くだらだらの登り坂。
二十分ほど汗して自転車を漕ぐと、道沿いにある子易明神比々多神社の鳥居が見えて来ます。
こぢんまりとした佇まいですが、社殿はなかなか立派な造りで、社殿横の広場には遊具がいくつか据えられています。

子宝・安産祈願のために削り取られたという左右の向拝柱は、中ほどまで赤い鉄枠で囲われています。右が男子、左が女子だそうです。
『新編相模国風土記稿』に二本あると書かれていた御神木は、宮司さんによるといずれもけやきで、一本は関東大震災の折に、崩れた地盤とともに倒れたそうです。

震災を免れた方のけやきは幹の内側が大きな洞になっていて、宮司さんが子どものころ(昭和のはじめ)には貝(キセルガイ)が居て、子どもたち七-八人が手をつないで囲むほどの、幹周りのりっぱな老樹でしたが、昭和四十年代の道路拡張に際して樹身の半分が削られて、いまでは貝の姿も見えなくなったとのことでした。

道路側に廻り込んでみると、半身になった洞には小さな祠が納まり、幹の裂け目からはとかげが顔をのぞかせて、淡く揺れる木漏れ陽のなかで鈍く光っていました。
御神木の下でいろいろお話を伺っていると、ハーフパンツ姿の宮司さんの膝小僧に、蝉がちょこんと止まりました。
「ご神木と間違えて、止まったんですね」などと笑い合っている間に、宮司さんが蝉をそっと掌に収めて、指で羽根を伸ばすように撫でてから、かるく抛り上げると、蝉はまっすぐけやきの枝へと飛んで行きました。
傍らを、ちいさな鈴の音をさせながら小学生が通り過ぎます。道からいったんはずれて、わざわざ神社の境内を抜けて、またもとの道に戻って行くふたりです。
けやきについた貝を持ち帰る習俗についてお尋ねしましたが、そのような風習をしていた記憶は無いとのことでした。
現在は境内に自生している梛(なぎ)の木の葉を、肌守りに入れて配られているそうです。
子易明神の祭神木花咲耶姫は大山が祀る大山祇命の娘。大山参りに際しては子易明神にも参詣するのが習わしで、かつて門前には何件も宿屋が並び、関東一円からの信仰も篤く、本殿裏手には常陸国と刻まれた灯籠なども残されていて、拝殿の軒下に並ぶ奉納札には江戸の町名が目立ちます。
この辺りはまた、東大寺開山、良弁上人生誕の地ともいわれる土地で、上人は子易明神を勧進した染屋太郎時忠夫妻の子とも言われているそうです。
宮司さんは、たいへん詳しくお話をしてくださり、今回の記事はそのお話を元に起こしました。
子易明神のあたりは以前の住所を上糟屋郡字子易といったようで、余談ですが、こちらの記事にある福岡の宇美八幡の住所も偶然“糟屋郡”でした。
大山参りについてはこちら↓
http://kkubota.cool.ne.jp/ooyamamairi.html
浮世絵などからも当時の賑わいが偲ばれます。
東海道の北側、江戸から相模国を貫き箱根足柄峠を抜けて遠州沼津あたりまでを結ぶ矢倉沢往還は、東海道の脇街道として、そして何より大山への参詣道として、江戸時代にもずいぶん往来は盛んだったようです。
現在の国道246号は、そのかつての矢倉沢往還をなぞるように続いていますが、東京―沼津間のほぼ真ん中あたり、伊勢原中心街の西端から北へ逸れると大山の登山口、阿夫利神社へと続くだらだらの登り坂。
二十分ほど汗して自転車を漕ぐと、道沿いにある子易明神比々多神社の鳥居が見えて来ます。
こぢんまりとした佇まいですが、社殿はなかなか立派な造りで、社殿横の広場には遊具がいくつか据えられています。

子宝・安産祈願のために削り取られたという左右の向拝柱は、中ほどまで赤い鉄枠で囲われています。右が男子、左が女子だそうです。
『新編相模国風土記稿』に二本あると書かれていた御神木は、宮司さんによるといずれもけやきで、一本は関東大震災の折に、崩れた地盤とともに倒れたそうです。

震災を免れた方のけやきは幹の内側が大きな洞になっていて、宮司さんが子どものころ(昭和のはじめ)には貝(キセルガイ)が居て、子どもたち七-八人が手をつないで囲むほどの、幹周りのりっぱな老樹でしたが、昭和四十年代の道路拡張に際して樹身の半分が削られて、いまでは貝の姿も見えなくなったとのことでした。

道路側に廻り込んでみると、半身になった洞には小さな祠が納まり、幹の裂け目からはとかげが顔をのぞかせて、淡く揺れる木漏れ陽のなかで鈍く光っていました。
御神木の下でいろいろお話を伺っていると、ハーフパンツ姿の宮司さんの膝小僧に、蝉がちょこんと止まりました。
「ご神木と間違えて、止まったんですね」などと笑い合っている間に、宮司さんが蝉をそっと掌に収めて、指で羽根を伸ばすように撫でてから、かるく抛り上げると、蝉はまっすぐけやきの枝へと飛んで行きました。
傍らを、ちいさな鈴の音をさせながら小学生が通り過ぎます。道からいったんはずれて、わざわざ神社の境内を抜けて、またもとの道に戻って行くふたりです。
けやきについた貝を持ち帰る習俗についてお尋ねしましたが、そのような風習をしていた記憶は無いとのことでした。
現在は境内に自生している梛(なぎ)の木の葉を、肌守りに入れて配られているそうです。
子易明神の祭神木花咲耶姫は大山が祀る大山祇命の娘。大山参りに際しては子易明神にも参詣するのが習わしで、かつて門前には何件も宿屋が並び、関東一円からの信仰も篤く、本殿裏手には常陸国と刻まれた灯籠なども残されていて、拝殿の軒下に並ぶ奉納札には江戸の町名が目立ちます。
この辺りはまた、東大寺開山、良弁上人生誕の地ともいわれる土地で、上人は子易明神を勧進した染屋太郎時忠夫妻の子とも言われているそうです。
宮司さんは、たいへん詳しくお話をしてくださり、今回の記事はそのお話を元に起こしました。
子易明神のあたりは以前の住所を上糟屋郡字子易といったようで、余談ですが、こちらの記事にある福岡の宇美八幡の住所も偶然“糟屋郡”でした。
大山参りについてはこちら↓
http://kkubota.cool.ne.jp/ooyamamairi.html
浮世絵などからも当時の賑わいが偲ばれます。
2010年09月25日
夜啼貝〜補遺-1
夜啼貝(よなきがい)について、以前いくつか記事を書きましたが、その中に、子どもの夜泣き封じのために、神社の境内の木に棲息しているキセルガイを持ち帰る、という習俗がありました。
このあいだ、江戸時代末に編纂された『新編相模国風土記稿』の索引をたまたま眺めていて、“子安貝”という文字があったので該当箇所を見てみると、
大住郡 巻之三に
○子易明神社
とあって、天平年間に、国主 染屋太郎時忠の妻が夫の遺志を継いで社頭を造営した、と経緯を述べた少しあとに、
“神木二株(以下小字で)一株は囲一丈六尺余、一株は殊に老樹、囲一丈三尺にして、幹より小貝を出す、子安貝と称し、安産の符として望む者に与ふ”
とあります。
幹周りが一丈三尺(約4.85m)のご神木に貝が棲みついていて、安産のお守りとして配っていたということのようです。

(『新編相模国風土記稿』第二巻 雄山閣)
クリックで拡大(画像サイズが少々大きいです)
大住郡は、かつて神奈川県中部の西寄りにあった郡部で、子易明神の場所は現在の伊勢原市にあたるようです。
http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/txt0/kn1khh1.htm
自転車で二-三時間という場所なので、先日行ってみました。
(つづく)
このあいだ、江戸時代末に編纂された『新編相模国風土記稿』の索引をたまたま眺めていて、“子安貝”という文字があったので該当箇所を見てみると、
大住郡 巻之三に
○子易明神社
とあって、天平年間に、国主 染屋太郎時忠の妻が夫の遺志を継いで社頭を造営した、と経緯を述べた少しあとに、
“神木二株(以下小字で)一株は囲一丈六尺余、一株は殊に老樹、囲一丈三尺にして、幹より小貝を出す、子安貝と称し、安産の符として望む者に与ふ”
とあります。
幹周りが一丈三尺(約4.85m)のご神木に貝が棲みついていて、安産のお守りとして配っていたということのようです。

(『新編相模国風土記稿』第二巻 雄山閣)
クリックで拡大(画像サイズが少々大きいです)
大住郡は、かつて神奈川県中部の西寄りにあった郡部で、子易明神の場所は現在の伊勢原市にあたるようです。
http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/txt0/kn1khh1.htm
自転車で二-三時間という場所なので、先日行ってみました。
(つづく)
2010年09月22日
月見の芒

もうすでに陽もとっくに落ちた頃、月見のすすきを探して近在をあちこちしたのですが、住宅街周辺の目ぼしいポイントは、すっかり穂を摘み尽くされていて、頼みにしていた駅と駅の真ん中あたりの線路際も、最近草刈りをされて坊主になっており、郊外の用水路跡に設けられた遊歩道にも少し足を伸ばして、街灯のない細い道すがら、時折まとわりつく蜘蛛の糸や直前を過る猫にすこし驚きながら、月明かりを頼りに目を凝らしてみても、すすきのシルエットは見つけられずに、一時間以上うろうろして帰宅する頃になると、出がけには煌々と冴えていた月明かりも、雲の中にわずかに滲むばかりで、ぽつりと顔に当たるものがある空模様。
仕方が無いので、帰り着いてからIllustratorで月見のすすき。
(団子は無しです。^_^)
2010年09月18日
蟻植物
昨日の記事のハネフクベについて検索していて、こちらのページにたどり着いたのですが、すり鉢状の葉に腐葉と水を蓄えるシダや、一番下、袋状になっている葉の中には根があり、たまった水や営巣している蟻がもたらす養分を吸収しているという植物も面白いですね。
後者のように蟻と共生している植物を、Ant Plant(アリ植物)と呼ぶようです。
http://plaza.rakuten.co.jp/anipla/13000
↓こちらに、より詳しく。(↑の親ページ)
http://yofukukan.com/Ant-Plant-Collection/contents.html
後者のように蟻と共生している植物を、Ant Plant(アリ植物)と呼ぶようです。
http://plaza.rakuten.co.jp/anipla/13000
↓こちらに、より詳しく。(↑の親ページ)
http://yofukukan.com/Ant-Plant-Collection/contents.html
2010年09月17日
種翼
航空草創期の飛行機で “エトリッヒ・タウベ” というのがあって、その姿かたちからタウベ(ドイツ語で鳩)と呼ばれたとのことですが、てっきり鳩が開発のヒントになったのだと思っていたところ、実際は植物の種子が原型になったものだそうです。
http://aquiya.skr.jp/zukan/Alsomitra_macrocarpa.html
タウベ前段階のグライダーなどは、こちらに
アルソミトラ・マクロカルパの果実の様子
こちらには、いろいろ詳しく載っています。
種子の滑空する様子など、BBCのページで見ることが出来ます。
記事冒頭の動画は、クリックすると最初15秒ほどCMが流れます。
追記:
上の、ハネフクベを詳しく説明したページを含む、
『世界の植物、植物名の由来』サイト
http://www.geocities.jp/plants_name/frame-botany.html
は、画像が豊富でたいへん充実しています。
http://aquiya.skr.jp/zukan/Alsomitra_macrocarpa.html
タウベ前段階のグライダーなどは、こちらに
アルソミトラ・マクロカルパの果実の様子
こちらには、いろいろ詳しく載っています。
種子の滑空する様子など、BBCのページで見ることが出来ます。
記事冒頭の動画は、クリックすると最初15秒ほどCMが流れます。
追記:
上の、ハネフクベを詳しく説明したページを含む、
『世界の植物、植物名の由来』サイト
http://www.geocities.jp/plants_name/frame-botany.html
は、画像が豊富でたいへん充実しています。
2010年09月07日
夏の田舎の
昨日いただいたコメントのなかの、縁側の座り心地、蚊帳の感触、という件りで、子どもの頃のひと夏を思い出しました。
夏休みには家族で、ある時などは在京している母の兄妹一家もいっしょに、母の郷里へ帰るのですが、南国の実家は障子や襖が皆取払われていて、着いた早々、子どもたちは部屋から部屋を駆け回って、追いかけっこをしたものでした。
畳の上で思いっきり転んで、熱くてもがくのが、必ずひとりはいます。
スイカは湧き水を引いた池で冷やしてから、半分に切って縁側で、子どもたち皆でスプーンでつついて食べました。種を庭に吹き散らしながら。
真っ赤な真っ赤な大きな大きなスイカでした。
親戚一同で鯉料理を食べに、自動車を数台連ねて行くことになったのですが、総勢では定員オーバーになるので、それぞれに分乗した子どもは荷物ということにして、「おまわりさんが居たら隠れなさい」と、毛布やシートを被る算段にして出掛けます。
しばらくして、「あ、パトカーだ!」の声に、慌てて一斉に毛布を被って大人の足下に丸まっていると、「あ、タクシーだった」「もぉー」「なぁ〜〜んだぁ」。
などとわいわいやりながらドライブしていると、やがてすっかり山道になり、谷底の料理屋へと下る辺りに差し掛かると、深い轍の重なった、七曲がりのたいへんな悪路で、ステーションワゴン組の子どもたちは、後ろの荷台で転がったり、天井に頭をぶつけたりして大騒ぎです。
その様子を見て後続車で大笑いになっているのが分かると、子どもたちは皆、わざと大げさに転がったり飛び跳ねたりして、頭をぶつけ合ったり、舌を噛みそうになったり。
生け簀の上に大きな床が設えられた、川床風情の料理屋はずいぶん賑わっていて、料理の残飯を生け簀に投げ入れると、すぐ下で鯉が水しぶきを上げながら争って貪ります。
(鯉の上で、鯉の洗いや鯉こくを食べていたのですねぇ。俎の上の鯉ならぬ、床下の鯉)
そうして、時々また荷物になったりして帰り着いて、ふと見上げると空は満天の星で、天の川が際立っていて、あんぐり口を開けて、しばし見とれていました。
それから、布団の上に拡げられた蚊帳の上で、ひとしきり転げ回ってふざけ合ってから、蚊帳越しの星空を眺めながら、皆で雑魚寝をしたのでした。
(それにしても、子どもはどうして、蚊帳の海で泳ぎたくなるのでしょうか)
夏休みには家族で、ある時などは在京している母の兄妹一家もいっしょに、母の郷里へ帰るのですが、南国の実家は障子や襖が皆取払われていて、着いた早々、子どもたちは部屋から部屋を駆け回って、追いかけっこをしたものでした。
畳の上で思いっきり転んで、熱くてもがくのが、必ずひとりはいます。
スイカは湧き水を引いた池で冷やしてから、半分に切って縁側で、子どもたち皆でスプーンでつついて食べました。種を庭に吹き散らしながら。
真っ赤な真っ赤な大きな大きなスイカでした。
親戚一同で鯉料理を食べに、自動車を数台連ねて行くことになったのですが、総勢では定員オーバーになるので、それぞれに分乗した子どもは荷物ということにして、「おまわりさんが居たら隠れなさい」と、毛布やシートを被る算段にして出掛けます。
しばらくして、「あ、パトカーだ!」の声に、慌てて一斉に毛布を被って大人の足下に丸まっていると、「あ、タクシーだった」「もぉー」「なぁ〜〜んだぁ」。
などとわいわいやりながらドライブしていると、やがてすっかり山道になり、谷底の料理屋へと下る辺りに差し掛かると、深い轍の重なった、七曲がりのたいへんな悪路で、ステーションワゴン組の子どもたちは、後ろの荷台で転がったり、天井に頭をぶつけたりして大騒ぎです。
その様子を見て後続車で大笑いになっているのが分かると、子どもたちは皆、わざと大げさに転がったり飛び跳ねたりして、頭をぶつけ合ったり、舌を噛みそうになったり。
生け簀の上に大きな床が設えられた、川床風情の料理屋はずいぶん賑わっていて、料理の残飯を生け簀に投げ入れると、すぐ下で鯉が水しぶきを上げながら争って貪ります。
(鯉の上で、鯉の洗いや鯉こくを食べていたのですねぇ。俎の上の鯉ならぬ、床下の鯉)
そうして、時々また荷物になったりして帰り着いて、ふと見上げると空は満天の星で、天の川が際立っていて、あんぐり口を開けて、しばし見とれていました。
それから、布団の上に拡げられた蚊帳の上で、ひとしきり転げ回ってふざけ合ってから、蚊帳越しの星空を眺めながら、皆で雑魚寝をしたのでした。
(それにしても、子どもはどうして、蚊帳の海で泳ぎたくなるのでしょうか)
2010年09月04日
塩麦茶
この時期、自転車でうろうろするときには、ペットボトルに麦茶を入れて持って行くのですが、すこし足を伸ばして、やや遠くまで行ってしまい、持参の麦茶がなくなると、コンビニでスポーツドリンクを買って飲むのです。
塩分補給のためにもスポーツドリンクが良いと思うのですが、やはり甘みが口に残ってベタベタします。
持参する麦茶には、いつも小さじ半分ほど塩を入れているのですが、塩麦茶という商品が売っていれば良いのに、と、このところの暑さの中、信号待ちで汗を拭いながら、口の中のベタベタを持て余しつつ、ふと思いました。
麦茶というと、子どもの頃は、よく砂糖を入れて飲んでいたような記憶があったので、先日久しぶりに麦茶に砂糖をいれてみましたが、パック入りの水出し麦茶では、(一応、煮出してはいるのですが)風味がいまひとつで物足りなく感じます。
たっぷりの炒り麦を煮出し過ぎて、すこし苦みの出た麦茶に、砂糖を多めに入れて、充分冷やしたものに氷を浮かべ、
コップを伝う水滴や、風鈴の音や、氷の音、豆腐屋のラッパ、
と、夏の風情をちょっと思い出してみたりします。
煮出した後の麦をやかんから掻き出すのが面倒で、今年も相変わらず、パック入り水出し麦茶なのですが。。。
^_^;
麦茶を冷やして飲むようになったのは、冷蔵庫が普及してからだそうで、江戸時代には熱い麦湯がよく飲まれていたようですね。
昔は、暑気払いには熱い飲み物が好まれていたとのことで、そう言えば“甘酒”も夏の季語でした。
端正に冷えてをりたる麦茶かな 後藤立夫
甘酒を煮つゝ雷聞こゆなり 矢田挿雲
塩分補給のためにもスポーツドリンクが良いと思うのですが、やはり甘みが口に残ってベタベタします。
持参する麦茶には、いつも小さじ半分ほど塩を入れているのですが、塩麦茶という商品が売っていれば良いのに、と、このところの暑さの中、信号待ちで汗を拭いながら、口の中のベタベタを持て余しつつ、ふと思いました。
麦茶というと、子どもの頃は、よく砂糖を入れて飲んでいたような記憶があったので、先日久しぶりに麦茶に砂糖をいれてみましたが、パック入りの水出し麦茶では、(一応、煮出してはいるのですが)風味がいまひとつで物足りなく感じます。
たっぷりの炒り麦を煮出し過ぎて、すこし苦みの出た麦茶に、砂糖を多めに入れて、充分冷やしたものに氷を浮かべ、
コップを伝う水滴や、風鈴の音や、氷の音、豆腐屋のラッパ、
と、夏の風情をちょっと思い出してみたりします。
煮出した後の麦をやかんから掻き出すのが面倒で、今年も相変わらず、パック入り水出し麦茶なのですが。。。
^_^;
麦茶を冷やして飲むようになったのは、冷蔵庫が普及してからだそうで、江戸時代には熱い麦湯がよく飲まれていたようですね。
昔は、暑気払いには熱い飲み物が好まれていたとのことで、そう言えば“甘酒”も夏の季語でした。
端正に冷えてをりたる麦茶かな 後藤立夫
甘酒を煮つゝ雷聞こゆなり 矢田挿雲



