2009年11月15日

大学受験

 
 
 だいぶ書くのを怠っていた。
 また、少し書き始めよう。
 
 高校三年の話だ。
 
 インドから帰ってきて、当然、勉強などできるような精神状態ではなかった。今だから思う。今なら簡単に自分を客観的に分析できただろう。インド帰りの君には、勉強などできるはずはないよ。ドラッグ、セックス、宗教、どれをとっても強烈な体験で、きみの神経はそうとう昂ぶっている。今更現実の受験生モードに切り替えろなんて言ったって無理な話だ。でも、当時17歳だった自分には、既に社会から大きくドロップアウトしてしまっている自分自身に気づかなかった。否、そうなってしまっていたにもかかわらず、そのようには認識していなかった。別の尺度で自分を認識していたのだ。
 来春の大学受験を控えて、勉強をしなければならないという強迫観念に常に付きまとわれていた。それなのに、たったの一秒も勉強しなかった。受験勉強はおろか、高校の試験の勉強もしない。いや、できない。教科書や参考書を開いてみようという気にすらなれない。勉強をしようとすると、まるで金縛りにあったみたいに自分の意志がそれを頑なに拒絶する。
「僕は絶対に勉強しない。こんな糞学歴社会にまんまと取り込まれるようなまねは絶対にできない。こんな糞社会の家畜になるために、ベルトコンベアーに自ら乗っかるようなまねは金輪際できない」
 そんなことよりも、もっと別の関心事に取り憑かれていたのだ。それはもちろん、”悟り”とか、”真理”、そして”神秘”の世界だ。そんなものがあるのかどうか、なくたって別にいいじゃないか、今の現実が変わるわけでもないし、そんな目に見えない抽象的なことを四六時中考えていたってなんの益にもならない、と大人は言うだろう。大人には”現実”しか見えないのだ。かつては見えていた世界が、だんだん見えなくなって、ついには”現実”という”この狭い狭いう社会”にがんじがらめになって閉じ込められてしまった囚人と同じだ。更にたちが悪いのは、囚人は自らが囚人であるあることに気づいていないことだ。あたかも自分で職業を自由に選択し、自由に金を稼ぎ、自由に金を使って、自由に好きな商品を買い、自由に生きていると思っている。ところが僕から見れば、彼らはこの社会の仕組みにどっぷり浸かったまま、なにが本当の自由かにも気づかないで、自分の行動の動機の全てを、社会常識という既に出来上がった過去の死物に支配されている、ただのプログラミングされたロボットと同じなのだ。そして、大学受験という関門も、そこで課される受験勉強という試練も、この形骸化した社会組織に歯車として組み込むための洗脳なのだ。
 僕は、その洗脳から自らを目覚めさせているために、その手段として、別の思想に洗脳されることを選んだのだ。それが、今で言う”カルト”の”グル”(教祖)による洗脳だ。そうなると、受験勉強というのは、逆の意味での踏み絵になる。宗教を信じているから踏めないのではない。もしここでその踏み絵を踏んでしまったら、僕は既成の社会に組み込まれることを良しとしたことになる。それは、僕が抱いている形而上の”理想”、それは人間が人間として正しく生きたいように生きる生き方ができる社会、その実現に向けての情熱を裏切ったことになる。が、踏まなかったら、当然、この社会では恐らく、生きていくのが困難になるだろう。例えば”高卒”というレッテルを貼られたら、もちろんいい会社にには就職もできないだろうし、親が特別裕福でもないしコネがある訳でもないから、そこそこの職業に就くしかないだろう。つまり、僕がもし受験勉強をしなかったら、本当は頭がいいのかもしれないないのに、この社会ではそうは認められない。学歴がなければ恐らく、この社会で生きていくために、学歴がある者以上に苦労しなければならなくなるだろう。そのようなジレンマが僕をさいなんでいた。
 すべて割り切れて、ドロップ・アウトして、理想のユートピア実現のために革命の一つでも起こそうという若くて一途な意志を持っていたわけではなかった。ただ、甘んじてこの社会の歯車にはなりたくない、そうなるのだったらむしろここから逃げ出すだろう。あえてテロを仕掛けてこの社会に揺さぶりをかけるよりも、キリンがライオンから逃げるようにとりあえずはこの息苦しい日本の社会から逃げ出したい。そんなネガティブな意志しか持っていなかった。
 
 でも、大学はたった一つだけ受験はしてみた。
 宝くじを買うのと同じ”賭け”だ。
 もし、そこに偶然受かったとしたら、それが僕の運命なのだ。親は大喜びするだろうし、受かれば僕だって満更悪い気はしない。
 試しに、W大の文学部を受験してみた。
 共通一次は受けなかったから、私大しか受験できなかった。
 そのようにして、一秒も勉強することなく、受験に臨んだのである。
  
 
 
 
 

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2006年10月14日

Yさんの家が無に帰す

2006年8月17日、ブログの日記に「無。ほんとうになんにもなくなっちゃった。」と書いたのは、Yさんが最後、たった一人で住んでいた立派なお屋敷が全部取り壊されて、文字どおりなんにもなくなって、さら地になってしまったからだ。
生前、Yさんはぼくに言っていた。
「この家は、大工が精魂込めて作った作品のようなものだから、私が死んだら区に寄贈して、集会所か何かに使ってくれればいいと思っている」と。
しかし、ぼくはそのとき、そんな話は非現実的だと思った。第一、ぼくにそんな話をされても、ぼくは身内じゃないし、きっと身内だったら、自分で利用するか売るかして、区にただで寄贈など絶対にしないだろうと思った。
案の定、というか、Yさんがなくなってしばらくすると、お屋敷の周りにはシートが掛けられ、解体工事が始まった。きっと、身内の人が売ったか、それとも、さら地にして、アパートでも建てるのだろうと思った。それにしても、Yさんが言っていたように、こんなお屋敷は、今建てようと思っても建てられるものではない。それこそ腕のいい職人が、立派な材料(木材、壁、棚板、ガラス、襖に至るまで全て)を調達して、心を込めて作らなければ、あのような規格品ではない、すばらしい日本建築は建てられないだろう。しかし、壊すのは一瞬だ。
じつは、ぼくはあの家にとても言葉では言えないような思い出があった。Yさんは、最後は、あの大きなお屋敷にたった一人で暮らしていたが、それまでに何度、あの家にお邪魔しただろう。
「気が向いたらいらっしゃい」と言われてから何十年も、ふらっと伺って一度も嫌な顔をされたことがなかった。
確かに彼女は既に解脱していたのだと思う。常人ではない。感情を既に克服していたのだと思う。たぶん、そこらへんにいる坊主だの、修行したアジャリだの、どこどこの偉い枢機卿だの、グルだのより、よほど高い境地にまで達していたにちがいない。
もし、優秀な弟子がいたら、きっと仏陀やキリストのように、至高の教えが新たに広まったのかもしれない。
彼女の発する言葉は、力があり、論理的で、真理であり、誰も反駁できないばかりか、その響きを聞けば、反駁するどころか逆に誰でも感動してしまうにちがいないようなすばらいい言葉だった。
それほどの人でも、死んでしまえば、何もなくなってしまうし、生前の彼女の無欲な希望も希望のまま、住んでいた家さえもまったくの”無”になってしまった。
そう、じつは、すでに屋根が半分取り壊されていたとき、ぼくは夜、掛けられていたシートをくぐり、Yさんの家に上がり、彼女の部屋に入ってみたのだ。(まさか、まだそこに彼女がいるとは思わなかったものの、そのまま家がなくなってしまうまま、なにもしないではいられなかったのだ。)
すでに畳も外されていた。しかし、押入れには、Yさんのベッドの横にいつも置かれていた信玄餅の空き箱が置いてあった。中には、Yさんの眼鏡が入っていた。(ぼくは暗闇の中、それを掛けてみた。彼女の心境と同じものを、ぼくも感じることができるのではないかと思って。でも、ぼくはぼくのままだった。)
なにかYさんが自筆したメモでもないかと思って捜したが、見つからなかった。
なくなる前に、全て自分で処分したのだ。
自分の写真も全部処分しているのを、ぼくは見た。
「あたしは、まったくなんにも残さないの。死んだら、あとにまったく何も残さないの」と生前Yさんは言っていた。食事もあまりとらなかったようだ。夜、突然ふらっと伺っても、Yさんが食事をしているのを見た事がない。「夕飯時にすみません」と言っても、「私は夜はそんなに食べないの。それの方が死ぬとき楽でしょ。」と言っていたのを思い出す。
そして、何も残さないで、Yさんは行ってしまった。
しかも、お家まで、無くなってしまった。
今、そこを通ると、アパートの棟のコンクリートの基礎が出来上がっている。
生えていた木も、琵琶の木も、何もかも無くなってしまった。


Posted by hoshius at 03:30  |Comments(0)TrackBack(0) | Yさんのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月07日

溶け合う舌

 僕は17才。花子は20才。
 瞑想センターで過激に体を動かす激しい瞑想のあと、僕は汗をかいていた。瞑想センターは普通の民家だった。20畳くらいある畳の居間で瞑想をしていたのだが、瞑想が終わると玄関わきの小さな部屋に行った。夜になっていて、涼しかった。花子があぐらをかいて裁縫をしていた。僕は花子のそばに行った。瞑想のあとで、気分が爽快だった。花子が裁縫する様子を静かに見つめていた。すると花子は僕に気づき、僕の目を見た。そのとき、急に、二人は欲情した。花子の顔が僕の口びるに近づいたと思うと、そのまま、花子は僕の口に吸い付いた。僕は快感を感じた。女の花子を感じた。女の花子の口びると舌を感じた。僕は裁縫していた花子を押し倒し、上から抱きしめた。そして、口の中に舌を入れた。花子も舌を絡ませてきた。
 部屋には瞑想をしにきた他の人たちもいた。みんな二人が倒れあってディープキスをしている姿を見て唖然としていた。花子は今まで裁縫していた針を右手に持ったまま、僕に押し倒されて口びるに舌を入れられたまま不自然な格好で倒れていた。
「ちょっとォ。くるしいよー」
 花子は息が出来ずに押し倒されたままやっとそう言った。(ちょっとやりすぎ、あぶない)
 慌てて僕は我に返り、二人は反発しあうように離れた。
 それを見ていた花子より1,2歳年上の男が僕に言った。
「シターラすごいな」
 彼は大学生だった。サンニャーシンでもないしインドに行ったこともなかった。ただ、いつもこの瞑想センターに通って瞑想している常連だった。
「シターラ、ファースト・ディープ・キスだろ?」
 僕は黙っていた。
「いいなあ。花子とキスできるなんて。オレ、サンニャーシンで一番いいと思ってるのが花子なんだよ。憧れなんだよなー。お前がうらやましいよー」

 いいなーとかうらやましーとか言われても、キスするのはお互い同士惹きつけ合ったからに他ならない。僕がうらやましがられても、花子じゃないんだから、花子が僕にキスしてきたことを、あなたに代ってどうすることもできやしない。そんなことを思いながらも、この男が花子とキスするのを想像すると、僕は嫉妬するに違いないと思った。
 以前、お互いの性エネルギーが発電して、花子の体と反発し合うような電磁気を感じた。今度は、同じ性エネルギーが惹きつけあって、まさに花子と溶け合って合体した。口と口をつけ、舌と舌を絡ませて溶け合った。そして、飽和状態になった途端、急に我に返った。
 花子は、右手に裁縫の針を持ったままだった。
 離れ離れになると再び、なにも言わずに、また裁縫を始めた。


 
 
 
Posted by hoshius at 22:08  |Comments(6)TrackBack(0) | 高校生活(3年生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月24日

性電気

 インドから帰ってきてすぐのころ、瞑想センターに行くと花子がいた。
「わぁーこの子、インドの匂いがする!」
 そう言って、花子が僕の匂いを嗅いだ。
「ゴメンネ。ちょっと嗅がせてね。クンクンクン」
 本当に鼻を近付けて、背中から首、髪の毛までクンクン嗅いだ。
 嗅ぐのがたまらなく楽しいように。僕のにおいを吸い込んで
「いいなあ、この子、プンプン匂うよ」って言うと
「あたしは花子。きみいくつ?」ってニコニコ白い歯を思いっきり輝かせて聞いてきた。
「17」
 初対面の女性に返事をすると
「わー。じゃ、最年少じゃない」って言って、僕に背後から抱きつこうとした。
 花子はそのとき20才。
 
 花子は、ちじれた黒髪を三つ編にして、ふたつの長い縄を広い額の両側に垂らしている。
 透きとおるような真っ白な肌。オレンジ色の綿のローブ一枚を着ているだけ。
 ビョークに似ている。安藤美姫にも似ている。
 とっても明るくて、ニコニコ、ハッピー。
 なんでも思ったことをする、言う。ポジティブ思考。

 突然匂いを嗅がれ、抱きつかれそうになったとき、僕は背中から異様な、電磁波のような、ビリビリ痺れるバリアを突然発していた。それは、電気だった。
「うわー。この子のエナジーすごい!」
 後ろから抱きつこうとした花子は吹き飛ばされたように、抱きつくのを止めた。
 花子は僕に、指一本触れることができなかった。
「やっぱり若い子のエナジーってすごい!」
 そう言って当然のように驚いたが、本当に驚いたのは僕の方だった。なぜなら、そんな“エネルギーのバリア”を発したことなど、今まで一度もないことだったから。
 僕自身は、まったく意識していなかった。花子が抱きつこうとした瞬間、反射的に、僕の意志とは関係なく、エネルギーがスパークした。僕自身、“放電”する感覚を思わず感じてビックリした。花子は、その“電気”を若さのせいにした。しかし、僕はその瞬間、それは違うと思った。男女の電極のプラスとマイナスが接触しようとして突然放電した。静電気でしびれるのと同じように、男女間の“性電気”が突然、閃いたのだ。まるで稲妻の閃光のように。
 そして二人は驚いた。

 花子だって、そのときはまだ20だから、思い切り若かったに違いない。しかし、僕はまだ10代だったから、彼女にしてみれば僕は“若い子”だったのだ。
 いずれにせよ、17と20の男女が純情に“接触”しようとして、文字通り“発電”した体験だった。
 僕は、親兄弟には「インドに行っておかしくなってしまった精神分裂のゾンビ」だったが、花子にしてみれば、「インドの匂いがプンプンするエナジーに溢れた存在」だったのだ。

 花子は立ち上がって、僕より背が小さいのに、僕を見上げて、
「いつでもいいよ。君の筆卸してあげる」
「決心ついたら言ってきてね」
「あたしがしてあげるから」
って堂々と言った。
 
 


Posted by hoshius at 21:43  |Comments(0)TrackBack(0) | 高校生活(3年生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月16日

自分が本当に食べたいもの

 玄関のたたきを上がると、スリッパが一つ、こちら向きに揃えて置いてあった。僕が今日、ここに来ることを知っていたかのように、スリッパが一組だけ用意されていた。それを見ると不思議な気がした。僕は何故ここに来たのか、自分でも分かっていない。ただ、やむにやまれぬ衝動に突き動かされて、Yさんのお宅まで歩いて来ただけだ。事前にここに来ようと計画したわけではなかった。ただ脚が向いたから来ただけだ。Yさんに「脚が向いたらいらっしゃい」と言われたとおりに、僕はただ、なんの理由もなしに来たのだ。しかし、そこに、スリッパがすでに用意されていた。Yさんには、僕が今日ここに来ることがわかっていたのだろうか。
 その当時、僕は十代で、Yさんは五十代だった。なくなる前は、すっかり腰が曲がって、歩くことも出来なくなってしまっていたが、当時は、当然、腰も曲がっていなかったし、当然自分で歩けた。僕が突然訪ねると、よく、割ぽう着を着てゴム手袋をして、家の掃除などをしていた。元気で外出もできた。髪も白髪交じりの黒髪だった。
 僕が玄関からお宅に上がり、用意されていたスリッパを履いて廊下を歩いていると、奥の部屋からYさんが出てきた。
 廊下を歩いて左には、一間ほどの開け放たれた引き戸があり、奥には大きな吹き抜けの応接間が広がっていた。ソファーが置いてある西洋風の板敷きの部屋だ。たいていは、この部屋に通されることが多かった。しかし、廊下を歩いてさらに奥まで行くと、左にもうひとつ一間の襖戸があり、二、三段の階段がついている。段を上がって襖を開けると、応接間に接した六畳間になっていた。天井も段を上った分だけ応接間より低い日本式の畳敷きの部屋で、そこがYさんの部屋だった。仏段があり、両親の遺影が飾ってある。TVもある。冬にはコタツが置かれ、Yさんの寝室でもあった。その部屋に通されたときには、僕はもう既に客人ではなく、身内のように扱われた気がした。
 コタツ布団に入り、Yさんの入れてくれるお茶を飲みながら、僕は、Yさんの言葉を聞いた。夜になると、食事まで作って出してくれた。僕は遠慮なくYさんの作った食事をいただいた。不思議なことに、Yさんは、食事を作っているとき、僕を台所に呼んだ。
「あたしはね、なにも考えていないんだよ。こうやって、食事作っているときも、こうしようとかああしようなんて、なんにも考えないで自然に手を動かしているんだよ。不思議でしょ」
 しかし、見た目にはYさんが自分の意志で、思考しながら、食事を作ってるとしか見えなかった。
「ふつうなら、こうしてああしてって作る順番を考えたり、今日はなに食べようかって考えたりするでしょ。でもあたしは、一切考えない。ただ、こうやってそのときそのときやることをやってるだけ。なんの迷いもない。なにも考えない。それでいて、無駄なことは一切やらない。だから、見ていて関心してしまうのよ。見てごらん、こうやって、調理している私は、なにも考えないでやってるのよ。でも、なにも間違えたことはしてないでしょ。無駄なことも一切してないでしょ。あたしは、既に、行動まで、無になってるの。だから、あたしがやってるんじゃないのよ。」
 僕には彼女の境地を理解することもできなかったし、彼女の行為がごく普通の行動にしか見えなかったから、なんて返答していいのかもわからなかった。
 皿に切った野菜と牡蠣を並べて、奥の部屋に運んだ。コタツの上には卓上のコンロをセットした。
 今から思えば、確かに段取りは完璧だったかもしれない。一つも慌てたり忙しがったりすることもなく、僕は、Yさんの右隣に座って、気がつくと、牡蠣を食べていた。ご飯もお茶も飲んでいた。これが足りないということも一切なかった。今から思えば不思議な気がする。咽喉が渇いてお茶が飲みたかったり、ご飯を食べる箸がなかったり、とにかく、食事をするための段取りというのは、一見、簡単なことのようでいて、結構めんどうなもののように思う。しかも、食事がおいしいとか、口に合うとか合わないとか、栄養が足りているとか足りていないとか、健康にいいとか悪いとか、何をどう食べるかということは、結構大変な選択でもあり、たいへんな行為でもあるような気がする。
 Yさんは、生牡蠣を生卵につけて、その場で鍋で焼いてくれた。醤油で味付けして、さえ箸でとって出してくれた。僕はそれを口に運ぶだけだった。卵が衣のようになって半分火が通っている牡蠣は甘く、ご飯に合ってとてもおいしかった。
「こうやって食べるなんて、あたしが考えたんじゃないのよ。」
 そう言われるととても不思議な気がした。牡蠣は僕の大好物だった。しかし、今まで一度もこんな食べ方をしたことはなかった。卵を衣がわりにして牡蠣を焼くと、とっても甘くて優しい味がした。Yさんの意思で僕に食事を出してくれているわけじゃないと言われても、実際には牡蠣を焼いて小皿に置いてくれるのは、Yさんだった。しかし、自分は無だという彼女の言葉を聞くと、Yさんに気を遣わなくてもいい気がしてくる。逆に、ゆったりとくつろいだ気分にもなれた。しかも、なにもかもが当たり前のように完璧で、僕には何の不服もない。Yさんがその場で作ってくれる牡蠣をほおばりながら、僕は不思議に感じているだけだった。
「Yさんは、食べないのですか」
 当然、僕はそう聞かないではいられなかった。
「あたしはね、味がぜんぜんわからないの。それに、食事もこれが食べたいとかあれが食べたいとか一切ないの。必要な分だけ、必要なときにとるだけ。そうするとね、人間の必要な食事の量って、随分少なくっていいんじゃないかと思うのよ。外で働いている男の人だったら肉とかご飯とか食べないともたないでしょうけど、私なんかは、ほんとうに少なくて済むのよ。今日はね、ナッツとアーモンドをほんの一握り食べて、あと干しぶどう、食べただけ。私がそれを食べたいというんじゃないのよ。今日はそれで充分なんだなってわかるの。随分少なく思うでしょ。でも、あなたは、ちがうよ。だから、食べなさい。ああ、そう言えば、食べなさいって言うのはいけないんだね。食べなさい食べなさいって、お客をもてなすように言うけど、本当はあれって迷惑だよね。食事こそ、自分の食べたいものを食べたいだけ食べる自由がなきゃね。だから、食べなさいなんていわないけど、遠慮はしなくていいのよ。遠慮することはないんだからね。」
 何故か不思議とYさんには遠慮することもなく、僕は、Yさんが目の前で焼いてくれる牡蠣を次から次に食べていた。
「食事する姿見るてると、その人の本質が現われるんだよ。不思議だね。とっても無防備になって、本質が見えるんだよ。」
 そんな不思議なことを、ひとり言のように言われるのを聞いても、僕はまったく躊躇することもなかった。なぜなら、Yさんの目には、まったく人間的な興味本位の視線が感じられなかったからだ。全く、人間的な感情が感じられない。ただ、僕のことを僕以上に理解しているように見えるだけだ。少なくとも僕は、僕がどんな姿で食事しているのか見ることはできない。それに、僕の本質がどんなものであるのか、僕自身にはまったくわからない。僕には僕を外から眺めることはできないのだ。しかし、Yさんにはそれが見えている。しかも、僕の知らない僕の本質まで見えているのかもしれない。僕自身知らない僕の本質。例えば、今日、牡蠣が食べたいと僕は思ったろうか? しかし、もしかしたら、僕の本質は、それを食べたがっていたのかもしれない。そんな気がしてくるほど、Yさんの行為は自然そのものだったのだし、人間的な興味本位の意志が微塵も感じられないほど、不思議に超人的だったのだ。そして、彼女が僕の本質を見ていたのだとしても、それをまったく否定しないで、ただあるがままに受け取ってくれいる。僕が食事を頬張るのを喜ばしく見つめている。見つめているばかりか、食べ物を出してくれている。僕はそのことを直に感じていたからこそ、彼女に何の遠慮も感じることもなく、気兼ねすることもなく、何の過不足も感じず、不快感も快感も感じず、ただ、Yさんが焼いてくれる牡蠣を食べているだけだった。いや、しかし、それだけではなかったのかもしれない。
 僕は、Yさんの愛を受けていた。
 Yさんの超人的な眼光を見つめていた。
 目と目を見つめるということは、普通の人同士だったら、普段は恥ずかしくて出来ないことなのではないだろうか。しかし、Yさんは、不思議なことに、よく僕の目をじっと見つめられた。
 もちろん、綺麗な目だ。眼光が鋭く、なんの迷いもない。まったく人間的な感情もない。超人的な目だ。ただ、その視線の中に含まれる力を、僕に向けて発っしているように、Yさんは僕の目を見た。ときには、眼鏡を外して、僕の目を見た。ごく自然に。
 僕は、Yさんを通じて、超自然的、超人的な何かに見つめられ、食事させられ、栄養をもらっていたのかもしれない。

 Yさんはこんなことを言った。
「あなたが今日来るんじゃないかと、朝から思ってたのよ。でも、私の思いがあなたを動かしたんじゃないと私は思うの。あなたと私以外にもう一つの意志があって、それがあなたを動かしてるんじゃないかと思うの。私もその意志を感じる。だから、今日、あなたが来るってわかるのよ。あなたには、わからないかもしれないけど、もうひとつ別な意志があると思うの。」

「僕にはわかりません。でも、僕はそれを知りたいのです。それをこそ、それだけを知りたいのです。それをはっきり知ることができるでしょうか?」

「あなたには、あなたの知らないもう一人のあなたがいるの。そのもう一人のあなたがその別のものの意志を受け止めているんだと思うの。私は、もう一人の自分をはっきり知っている。私自身がまったくの無だからできるのよ。でも、そんなことをしようとしても、無になるなんて、できっこないの。そんなことしようとしたら、誰だっけ? ニーチェ? 神を知ろうとなんてしたら、彼みたいに気が狂うだけだよ。知るなんて、頭にできると思う? 全体をちっぽけな部分が知るなんて、できると思ってるの? 目に見えない全体の知恵に比べれば、眼に見えるものなんて、こんなちっぽけなものでしかないのよ。」

 脳に自覚できる思考によって、自分の行動の動機を全て認識して、行動を決定している人がいるとしたら、そんなことが人間にできるとしたら、その人は確かに幸せだろう。しかし、それ以上の可能性は彼にはまったくないことになる。まったく自分でも自覚できない衝動。それは、とても危険ではある。しかし、時には、そのような直観にしたがって行動する勇気も必要だ。自分自身にも自覚できない意志。そんな意志によって行動するなんて、もちろん、危険極まりない思想かもしれない。こうした話は両刃の剣であって、勘違いして一つ間違えば、とんでもないことになる。だから、Yさんは、はっきりとした論理的な言葉では一切語らなかった。ただ、僕に食事を与えて、見つめてくれただけだ。もし彼女が、今の僕のように、「直観で行動することも時には大切だ」などと言葉で語ったとしたら、僕はそれを真に受け、実践しようとしてとんでもない間違いを犯していたかもしれない。それに、“直観”なんて言葉で言うが、本当はどんな“感じ”なのか誰にもわかりはしないだろう。直感が自分の恣意的な欲望ではないないなどと、いったい誰が誰に証明できるというのか。だから、言葉の真の意味もわからず、ただ、言葉で思想を語っているだけでは、机上の空論でしかない。実践することなしに、なにも知ることはできない。しかし、この“実践”こそ、もっとも危険なことなのではないのか。しかし、僕は、その後、“実践”したのかもしれない。直観にしたがって、言語化できない意志に身をゆだねて、危険極まりないことをやってみたのかもしれない。だから、誰にも、それをやってみろなどと勧めることはできない。しかし、最近、そんなことをしている人を大勢見かける。アドバイスする人たち。進んで、自慢げに、アドバイスする“経験者”たち。彼らは自分の宣伝をしているに過ぎない。自分の食べたものを人にも食べさせて、おいしいだろと言っているだけの“先達”には、注意が必要だ。自分の食べたいものすら判らなくなって、しまいにはまずいもので腹を壊すのが落ちだろう。そんな先達の言うアドバイスを聞くくらいなら、そいつを殺した方がましだろう。「仏陀を見たら仏陀を殺せ」と禅僧は言ったそうだが、僕はそれをそのように解釈する。アドバイスする者に人は群がる。自慢げにアドバイスする人に、感心して、卑下して、弱い羊が群がってついていく。しかし、そいつは自分自身がどれほどのものか分かっていない裸の王様なのだ。自分では自分をたいそうなものだと思いこんでいるのだろう。しかし、その人間の本質は、いったいどれほどのものなのだろう。彼が行った行為とは、どれほどのものなのだろう。そして、行為だけでその人を判断することもできない。行為には隠された動機があり、その人自身の境遇があり、運命があるはずである。だから、単に若者に経験を促すだけの、「書を捨てよ。街に出よ。」的アドバイスにも、もう辟易気味なのである。「路上へ」的な冒険談も、もう食傷気味なのである。十羽一からげで宣伝され、誰にでも口に合う香料で匂いをつけられた“ファースト・フード”に群がらず、自分の本当に食べたいものを捜し、自らそれを食してみるべきなのかもしれない。それは、ときには、口には苦くても、腹には美味いものかもしれないから。
 しかし、自分の本当に食べたいものが何なのか、すらも、自分自身で分からないのが人間なのかもしれない。




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2006年01月28日

内的な“感じ”

 内的な“感じ”を言葉で表現するのは難しい。不可能と言ってもいいかもしれない。しかし、そのような内的な“感じ”に従って行動する訓練を、僕はその後させられたような気がする。もちろん、Yさんを通してである。
「脚が向いたらいらっしゃい」とYさんは僕に言った。そのときから、既に始まっていた。
“気が向く”という行為には、言語で表現できる何の動機もない。理由もない。しかしそのような時にこそ、私の家にいらっしゃいとYさんに言われたような気がした。禅の公案のようなものである。
 Yさんからそう言われた時から、僕の内面に、一種独特の“感じ”を覚えるようになった。それは“虫の知らせ”とか“えもいわれぬ胸騒ぎ”といった感覚に似ているかもしれない。
 Yさんのお宅に伺う理由は、どこを探しても見つからなかった。しかし、僕は自分の意志とは無関係に、Yさんのお宅に続く道を歩いていた。
 僕は“えもいわれぬ胸騒ぎ”に突き動かされていた。僕の脚は彼女の家に行くことしかできない。しかし、歩いている方向を決定しているのは自分ではない。意思を決定するにはそれなりの動機が必要だろう。しかし、何かに突き動かされている僕は、自分で自分の行動の理由を自覚することもできないのだ。ただ、やむにやまれぬ内的な“感じ”が僕の脚を動かす。そして、Yさんのお宅に向かって歩いている。しかも、当の本人がこう言って自問自答しながら。
「僕は何故、Yさんの家に行こうとしているのだろう。別にYさんと会って話すことなど何もない。それに急に伺ったら迷惑じゃないのか。せめて電話でもしてから行ったほうがいいのではないか。」
 そう思いながらも、気がつくと僕は、僕の身体は、Yさんのお宅の前まで既に来ていた。

 入り口の木戸に手をかけて、そっと横にずらしてみた。Yさんのお宅は、いつでも鍵がかかっていない。指先に力を入れるまでもなく、滑らかなレールの上を木戸が横に滑っていく。そっと中に入り、蹲を歩く。 大きな薄暗い玄関に辿り着く。ガラス戸の建具が2枚。引き戸になっている。玄関に突き当たる。ガラス越しに中を覗く。薄暗い廊下が長く続いている。そっと玄関のガラス戸を開ける。今度は、レールの滑りが悪く、ガラガラと大きな音を立ててガラス板が震える。開いた隙間から中に入る。涼しい土間の匂いがする。広々としていて、何もない。玄関が広いのはいい。ゆったりと開放された気分になる。しかも何もない。
 たたきを上がった先に、更に襖戸があり、いつもそこは開いたままだ。その先に廊下に続く4畳ほどの空間があり、天上が吹き抜けになっている。そこに作り付けの古い戸棚があって、その上に、これまた古くて飴色に変色した木彫の大きなうちでの小槌が置いてある。飾りといったらこれしかない。しかも、もう、とうの昔に置かれたまま放置されたようで、目立ってはいない。すでにこの木造の古いお屋敷に溶け込んでしまっているようだ。
 僕は、玄関の土間に突っ立ったまま、たたきを上がる前で、中の様子を伺いながら、声を出した。
「ごめんください」
 躊躇しながら言ったから、どうやら聞こえないらしい。
「ごめんください」
 今度は、もう少し大きな声で言う。
 更に大きな声で言う。
「ごめんください。」

「紫さん?」
 薄暗い廊下の向こうから、Yさんのはっきりした声が響く。
「はい。」
 咽喉から押し出すように答える。
「どうぞ、上がってらして」
「そこにあるスリッパを履いてきてね」
 遠くからでもはっきり聞こえる完璧な発声。
「はい。おじゃまします。」
 間の抜けたような声。たぶんYさんには聞き取れないだろう。しかし、一応そう言ってことわってから、たたきを上がる。

 僕には、Yさんのように、あんなにはっきりとした発声でものを言うことができない。いつも何か言うとき口ごもり、躊躇する。何かを断定的に言うことなど不可能だ。なにかを言おうとした途端、その逆の発想が浮かんでくる。だから、僕は「かもしれない」といつも思いながら、言葉を言うことしかできない。しかし、Yさんは違っていた。言葉を発するとき、何の迷いもない。すがすがしく潔い。はっきりした発声の中に、言葉のニュアンスが100%表現されている。それを聴くだけで気持ちがいい。しかも、なにかYさんの言葉の響きには他の人とは全く違う独特のものがある。言葉の響きの中に、個人的波長が微塵も感じられないのだ。“個人的”とか“人間的”とかいうものは、醜いものだ。個性とは、余計な波動だ。煩わしい粘着質。“人間的な”、“個人的な”、“個性的な”感情が篭った言葉というのは気持ち悪い。そんな響きは、他人にとってはどうでもいいもの。しかし、Yさんの言葉には、人間的感情が微塵も感じられない。いや、それを越えているのだろう。はるか高みまで。ちっぽけで煩わしい人間の個性を、とうに卒業してしまった後の爽快な言葉。純粋な言葉。躊躇のない言葉。だから、その言葉を発声するとき、その言葉本来のニュアンスが100%表現される。
 愛。
 命。
 Yさんがそうした言葉を言うとき、その言葉の響きを聞いているだけで涙が零れ落ちる。実際、胸に言葉の響きが直に響いてきて、ハートを震わせる。自分でも抑えきれず、思わず感動して、こみ上げてくる。
 あんなに強い言葉を発することが出来るのは、この世のどこを捜しても、Yさんしかいなかったろう。


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2005年06月08日

気が向いたらいらっしゃい

 Yさんと、何を話したのだろう。
 書けばいろいろな言葉になって書けないことはない。
 でも、それらは全部、重要なことじゃない。
 その後、僕にとって一番大切な言葉は
「気が向いたらいらっしゃい」とYさんが言ったことだ。
 
 その後、20年以上、僕は気が向いたらYさんのところに出かけた。最後、なくなる3日前に伺ったときも、「気が向いたから」伺ったのだ。
 何の用事もない、ただ、足が向くまま気が向くまま、どうしても、そう、どうしてもYさんのところに行かなきゃ、と思ったとき、僕はYさんのお宅に伺った。
 
 それから20数年、Yさんが話されたことは、2つの自分があるということだった。
 わら半紙に鉛筆で、Yさんは自動書記を行った。
 言葉が口から溢れてくるように、時には、そのままはっきりと力強く(そのときは、あまりにも力強く、潔く、理路整然としていて、自明で、誰も反駁できないその言葉の響きに胸が震えて、何故かひとりでに涙を流していたこともある)しかし、普段はその“言葉”(それは、真言であり、響きだった)を飲み込むようにして、彼女自身の言葉に翻訳し、丁寧に分かり安く、噛み砕くように話してくれた。
 わら半紙に鉛筆で二つの楕円形を描いて、一つは目に見える自分、もう1つは目に見えない自分、と彼女は説明した。
「私は、2つあるんじゃないかと思うの。それがぴったり重なってて」そう言って両手をぴたりと合わせた。
 もう一人の自分は、普段は意識していない。意識されない。意識できない。
 それは無いと言えば無い。しかし、無ければそもそも自己の存在すら存在し得ない。しかし、それを知ろうとして夢中になったり、それを理解しようとして考えたり、意識しようとして修行だの訓練だのしても絶対に分からない、気が狂うだけだろう。そんなことはできない、とYさんは言った。
 いったいそれは何なのか?
 しかし、Yさんには、それが何なのか、はっきり分かっているようだった。
 しかも、僕以上に、僕の存在が分かっているように感じて、不思議に思ったこともあった。
 自動書記で書かれ、僕に話された“言葉”は、僕以上に僕を知っていた。それは、何故か?
 僕以上に僕を“愛している”存在が僕の半身、僕の本当の姿を知っていたから? それを愛していたから?

「神の定義は何だと思う?」

 僕は答えた。
「全知全能ですか?」

「神は愛なり。愛は神なり。」

 それしか、神の定義はないと言う。
 しかし、後日言われたのは、「“愛”と言っても難しいから、わたしは言わないようにしてるの。“愛”という言葉を聞いて、聞く人によってみんな受け止め方が違うでしょ。なんでも与えればいいと思ったり。なんでも許しますなんて、間違った考えで誤解されかねないから。だから、叡智と言った方がいいね。」
 僕は、その話しを聞いているとき、“愛”と言う言葉を聞くと、すぐに“エロス”を想像してしまった、そして、いたたまれなくなった。僕はいつも、Yさんが“愛”といわれるとき、すぐ勝手に“エロス”を想像してしまっていた。男女の愛、それも肉体の肉欲の愛だ。だから、アガペーの愛など、イマジネーションすらできなかった。しかし、Yさんの言う“愛”は、キリスト教のアガペーではない。

「愛とは何かと聞かれたら、母親が子供の命を助けるために自分の命を顧みないことってあるでしょ。あれが、本当の愛だよ」と言われた。
 子供が危険な目にあった時、自分の命を捨ててまで、子供を助けようとする。そのとき、母親は、自分の命など意識していない。無意識に行動に出る。
 車に轢かれそうになったとき、母親は飛び込んで行って子供を助ける。それが本当の愛だとYさんは言った。
 そのとき、どうしようか、ああしようかなどと考えない。子供を愛しているからだ。
 だから何でも与えます。とか、なんでも許しますなんていうのは、間違っている。
 それが善だと思ったら大間違いだ、という。
 詐欺師に引っかかって、悪を助長するだけだ。
 そんな善人の慈善は愛でもないし、知恵でもない。

「最高の悪は何だと思う?」

 僕は、嘘だとか、殺人だとか、そんなものだろうと思っていた。

「最高の悪は、偽善。」

「外からは善とまったく見分けがつかない。お饅頭が2つあって、両方ともおいしそうに見える。でも一方は毒入り饅頭だったら、どうやって見分ける?」
「こっちのほうがおいしそうですよ、なんて言われてそっちに手を出したら、それが毒饅頭だったということもあるでしょ。中身を割らないで、どっちが毒入りで、どっちがおいしい饅頭か見分けるのは、なかなか難しいね。」

 Yさんはよくリンゴを剥いてくれた。(ミカンもよく剥いてくれて食べさせてくれた。夏みかんのときは、薄皮まで剥いて出してくれた。)
 Yさんはリンゴが一番好きだと言った。
 僕はミカンが一番好きだと言った。
 Yさんがリンゴの皮を剥くとき、いつもそのリンゴの特徴を話した。
「ちょっと、すっぱいけど、水分があってリンゴらしい香りがするね。どうぞ。」
「これはおいしくないかもしれないよ。ぼさぼさで。でも味は甘いわね。どうぞ。」
 その言葉が外れたことは一度もなかった。僕は、そのことが不思議でたまらなかった。リンゴの特徴を言うとき、その言葉の表現の的確さといったら、僕が表現できる比ではない。
 饅頭の中身を見ないで、どっちが毒入りか見分ける。彼女にはそれができたのだろう。
「善人ほど詐欺師に引っかかる」とYさんは言った。
「善人ほど悪に弱いものはない」とも言った。
 そして、最高の悪は、偽善である、という。
「善人は、偽善に太刀打ちできない」という。
 たぶん、饅頭の中身を確信を持って、判断することは、誰にもできないからだろう。特に善人は、偽善者が悪人だと確信をもって断言することができない。
 しかし、饅頭は中身が大切なのだ。
 目に見えない中身を的確に判断できれば、誰も迷わない。しかし、それは難しい。外から見ただけで、その中身を的確に判断することなど、確信をもって断言することなど、普通誰にもできないことだと思う。


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2005年05月06日

Yさんの家

 ところで、光線治療院で、Yさんを囲んで、週に一回みんなで自由に話し合う会を開きましょう。ということになった。
 集まったのは、光線治療院の鈴木先生、Yさん、僕と母、大手お菓子メーカー重役の渡辺さん、どこかの会社の社長夫人、Yさんの知り合いの霊的な清成さん。
 ところが、集まって結局話題になったのは、僕のことだった。
 Yさんは、僕の目を見て、僕にしか語りかけない。
 何回かこの会合があったが、結局、Yさんが語りかけたのは僕だけだった。
 そして、僕はYさんのお宅にお邪魔することになった。

 いつでもいらしゃいと言われたので、出かけた。

 Yさんのお宅は、表の幹線道路から少し入った、とても静かな住宅地にあった。角を回ると、コンクリートの壁に囲まれた一角があり、鬱蒼と木が電線よりも高く生えている。庭の中の建物も見えない。
 近づくと、木造の大きな二階屋の縁側が見えた。大きなガラス戸が開け放たれている。
 門は古びた木製の引き戸で、開けると呼び鈴が揺れてチリンチリンと音を立てた。
 中に入ると、黒い丸石がコンクリートに埋まっている蹲を歩き、古びた広い玄関に突き当たった。ガラス越しに中を覗くと、たたきから長い廊下が、薄暗い奥まで続いていた。

 大きな声で「ごめんください」といい、ガラス戸をガラガラ開けた。涼しげな部屋の空気が凛として、広い玄関は空っぽで、スリッパがこちらを向いて1つだけ置かれていた。
「どうぞ、入っていらして」
 奥から、おおきなハッキリしたYさんの声が聞こえた。
「おじゃまします」
 多分、誰にも聴こえないだろう。小さい声で言いながら、躊躇しながら靴を脱ぎ、廊下に上がった。
「そのスリッパを履いていらしてね」
 僕がそれをためらいがちに履くのをどこかで見ているように、奥から声だけが聞こえてくる。
「汚れるといけないから、・・・掃除もしてなくて、・・・」
 なにかブツブツ独り言を言っているのが聴こえてくる。
「はい。おじゃまします」

 廊下を歩いて行くと、Yさんが出てきた。
 後に付いて行くと、廊下の左側にあったふすまを開けた。奥は、大きな応接間だった。
 板敷きで、古い茶と緑のペルシャ絨毯が敷いてあり、真っ白な漆喰と古くて太い梁が高い天井まで続いている。
 2間ほどある出窓風の大きなガラス戸の下は襖紙の張ってある棚戸になっていて、あめ色に古びた厚い一枚板の棚板が重厚に窓ガラスを乗せていた。その上には、ピンク色の花を咲かせたサボテンの植木鉢が置いてあった。
 壁には、唐三彩の皿がかかっていて、長いソファの前には古い木製のテーブル、それに向かい合った一人がけの大きな肘掛け椅子が2つ。
「そのソファ座りにくいけど」と言いながら、僕が何をするのか見ている様子だったので、僕はそのソファに座った。
「ほんとに座りにくいのよ。ずっと座っていると背中が痛くなるの。大丈夫?」
 別にそんな座りにくくはない。ただ大きすぎて、深くまで腰かけると、ひっくり返りそうなので、慌てて前に出て、背筋を伸ばした。

 Yさんは、手前の一人がけのソファに腰を下ろし、「そう、今日いらっしゃるじゃないかと思ってたところだったのよ」と言う。
「源二さん、よくいらっしゃったね」
 真意でそう言われて、僕は何故か感動した。

 それから、用意してあったテーブルの上のお茶壷からお茶葉を出して、ポットからお湯を注ぎ、しばらく両手で急須を包みながら、出るのを待っている様子だった。Yさんはその間、僕を観察するように見ていた。やがて、お茶碗にお茶を注ぎ、受け皿に入れて、僕に出してくれた。

 お茶を入れる行為そのものが、ひとつも急いだ様子が無い。自分の行為を意識している様子もない。自然に当たり前のように、ひとつの無駄も無くお茶を入れてくれる。その行為を僕は黙って見ていた。
 そう、お茶を急須に入れ、お湯をポットから注いで、ふたを閉め、それをしばらく両手で持ちながら、お茶が出るのを待っている間。僕を見ていた目が普通の人とはぜんぜん違っていた。人間臭いいやらしさが微塵も感じられなかったのだ。
「広いお屋敷ですね」
「父が立てた家でね。満州から引き上げる前にね。当時は、何でも一番いいものを使って建てたらしいけど、今は、古くなってね。でも、あたしは襖も代えないの。当時のまま」
 確かに、襖は、茶色に変色し、破けた紙の中から縦と横の糸がほころんで見えている。しかし、古いものを新しいものに代えないでそのまま使い続けるYさんのポリシーがとても深い哲学のように感じられて、余計に趣があるように見えた。少しも汚い感じがしない。
 床に敷かれたペルシャ絨毯も変色して色がくすんでいるが、全てが自然に古くなったように重みを感じる。
 ピカピカではないが、きちんと掃除が行き届いているのだろう、古くてすすぼけてはいるが清潔に見える。なにも無駄な物が無いせいかもしれない。全てが時間だけを経過して、そのまま古くなったようで、時の重みを感じ、なんだか落ち着く。

 僕はしばらく周りをきょろきょろ見回していた。

 そう言えば、Yさんは、全ては時だ、と言っていた。

 時が来れば自然と何事も決定する。
 決定するのは思考ではない。
 自我意識ではない。
 時なのだ。と。

 思考は何も決定することができないとも言った。
 思考は考えるだけで、行動するのは思考ではない。
 行動は、時によって起こる。

 時が全てを解決する。
 だから、時が来たとき、あれこれ考えて迷っていてはいけない。時を逸するからだ。
 思考は、迷うだけだ。
 決定は迷わない。
 決定には理由はない。
 決定は時が決める。
 しかし、思考は迷う。
 時がきたとき、迷わずに無思考の決定をできるのは、無のときだけだ。
 そして、そのときそれは、決して間違わない。
 自分が無になっていれば、間違わない。
 右か左か迷わない。
 自分自身が無のとき、それは時を得て起きる。
 そのとき、その決定は間違わない。

 彼女は、そのようなことを言われた。

 彼女自身、自分は完全な無だと、言った。
 だから、私は迷いもしなければ、間違うこともないと言った。

 僕は、それを確かめるため、Yさんがなくなるまで、彼女との会話を続けたのかもしれない。

 僕は、その後、試行錯誤しながら生きてきた。
 その決定は間違いだらけだったのかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。
 しかし、生死を彷徨う人生の中で、行くべき道を、右か左か決定することほど難しいものはない。
 僕は、その訓練を、ずっとしてきたのかもしれない。

 Yさんは、そのための先達であったのかもしれない。
 その後の不思議な訓練をどう説明できるだろう?
 それは何のためのものだったのだろう?
 今、まだ、この僕の自我意識には、その意味が分からない。
 でも、いつか、その意味を分かるときがくるのだろうか?
 この死ねば消えてしまう自我意識が、・・・

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2005年03月25日

存在すること、存在しないこと

 
 “私”が存在するのは何故か?
 
 “私”は、いつ、存在し始めたのか?
 
 “私”が、カラスでないのは何故か?
 
 蜘蛛は、何故、蜘蛛なのか?
 
 私は何故、ハエでないのか?
 
 多分、
 
 僕は、人間の遺伝子が結合して、
 
 たった二つの細胞から分裂したのだ。
 
 そして、何兆もの細胞からなる
 
 “人間”になった。
 
 だから“存在する”のだ。
 
 カラスは、
 
 カラスの遺伝子が結合して、
 
 分裂して
 
 カラスになった。
 
 蜘蛛は、
 
 蜘蛛の遺伝子が結合して、
 
 分裂して
 
 蜘蛛になった。
 
 全ては必然なのだ。
 
 僕は僕以外である可能性は皆無だった。
 
「存在していないこと」を“想像”することはできる。
 
 しかし、それは“事実”ではない。
 
「存在しなくなること」を“空想”することはできる。
 
 しかし、それは“現実”ではない。
 
 僕が僕になる以前。
 
 それを想像することはできる。
 
 しかし、そのときそこに
 
 僕は、
 
 いない?
 
 それとも/しかし
  
 “非存在”が“存在する”?
 
 否、
 
 そのとき、僕の
 
 父と母がいた。
 
 それ以前、
 
 僕の祖父と祖母がいた。
 
 その生殖細胞が結合し、
 
 男と女
 
 オスとメスの遺伝子が結合し、
 
 細胞分裂を始めた。
 
 そのとき父は考えただろう。
 
 そのとき母は感じただろう。
 
 自分自身を
 
 そのとき僕は
 
 考えも感じもしなかった。
 
 人間でも蜘蛛でも非存在でもなかった。
 
 そのとき僕はいなかった?
 
 それとも存在していた?
 
 存在していなかった?
 
 “無”だった?
 
 それとも“存在”だった?
 
 宇宙はあった?
 
 宇宙は存在していた?
 
 宇宙は
 
 初めから存在していた?
 
 僕がいないときから?
 
 それとも
 
 すでに僕は存在していた?
 
 宇宙の始まりから
 
 すでに存在の総体は存在していた?
 
 僕を含めた
 
 存在は、
 
 既に存在していた?
 
 そのとき僕はどこにいたのだろう?
 
 自我はなかった。
 
 この僕はなかった。
 
 この脳味噌はなかった。
 
 しかし、
 
 そこに生命はあった?
 
 そこに蜘蛛はいた?
 
 僕ではない蜘蛛が?
 
 僕にならない蜘蛛が?
 
 
 
 僕は、“霊”を信じていなかった。
 
 “転生”を信じていなかった。
 
 遺伝子と、(利己的遺伝子と)
 
 模伝子。
 
 しかし、そこに霊的遺伝子の存在を
 
 僕以外の
 
 もう一人の僕の霊的遺伝子の存在を
 
 僕はまだ、信じていなかった。
 

 
 
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2005年03月14日

無とは何か2

 “無”とは何か?

 老子の道徳経には、“無為を為す” という言葉がある。
 無為とは、自分のエゴで考えた“行動”ではなく、自然に起きる“行為”であるという。
 ラジネーシの『草はひとりでに生える』という本の中で語られていることの全ては、この「無為を為す」ということに尽きる。
 ラジネーシが禅を語ったその本の中で、繰り返し言われているのが、“行動”と“行為”の違いだ。
 “行動”は、脅迫観念に突き動かされている。
 “行為”には、行為する主体がいない。
 例えるなら、春が来て、自然に草が生えるように、命そのままの自然な営み。あるがままの行為。
 ラジネーシは、それを「自分の生を信頼すること」と言っている。
 そして、一生に一度でいいから、何もしないことを試みて欲しいと勧めている。
 朝起きたときから、何も自分では行動を決めないのだ。
 お腹かが空いたら飯を食う。
 歩きたくなったら歩く。
 眠たくなったら眠る。
 そんな“自然”の行動が、既にどれほど難しくなってしまっていることか。
 “条件付け”られた社会生活を長年営んでいる人間にとって、本当に“無為を為す”ことほど、難しいものはない。
 それは、物心ついたときから既に始まっていると、ラジネーシは言う。
 子供が歌を歌っていれば、親が「いい加減に静かにしなさい」と躾ける。
 幼稚園に行けば、みんなで行進することを覚える。
 既に、軍隊の訓練が始まっている。
 無意識に条件付けられ、見せしめに拠らなくても社会秩序が保たれるよに、社会規範が教育されていく。
 行進から外れるものは、国家からも外れる。
 国家から外れるものは、牢獄にぶち込まれる。
 フーコーが言っていることはだいたいそんなことだろうか?
 そして、既に、啓蒙時代から、この公の私、市民としての私、国民としての私と、自然人としての私の間の綱引きで、引き裂かれる人間の構図が語られていた。
 近代国民国家による人間の疎外ということだろう。
 ルソーはエミールの中で、自然人を教育する方法について書いている。
 ニーチェは、(よくわからないが)、「善悪は弱者のねたみだ」と言うほどにニヒルになってしまい、神は死んだと言って、自らがもう既に何の差異も認識しないまでの“神”になった。
 そして、ラジネーシのとった方法は、弟子達に徹底的に自然人になるための、と言うか、むしろ、“社会人”が無意識に培ってきた条件付けをことごとく破壊するための心理的、精神的メソッドを徹底的に実践させることによって、本来の人間性(もしそれが本当にあるのなら)を取り戻させることだった。
 そのためのアシュラムだと言っても過言ではないだろう。
 あらゆる社会的条件付けを否定する。
 そして、本当の自分とは何かと問い続ける。
 そして、行動の動機を問いただす。
 それは、条件付けられたパブロフの犬なのではないか? と。
 そして、自分が全く関与しないで行動する“無為”こそ理想だと語る。
 はたしてそんなことが可能なのだろうか?

 右も左もない。

 上も下もない。

 一切の判断ということをなくして、

 思考せずに行動すること。

 僕が興味を持ったのはこのことだった。

 僕が行動するのではなく、必然的に行動が起こること。

 思考せずに行為すること。

 それができるためには、どうしたらいいのか?

 そのためには、四六時中、自分の行為の動機に意識的にならなければならない。

 四六時中、自分の思考を観察している。

 四六時中、自分の行為の動機を意識している。

 そうなると、どうなるか?!

 もう何も行動できなくなる。

 そう!

 僕は、何も行動できなくなってしまっていた。

 僕の理想は、“無”だった。

 僕は、“無”ではなかった。

 でも、“無”になる訓練のため、

 僕は、何も行動できなくなっていた。

 達磨さんが、手も足も出ずに、何もしないで座っていたように。

 しかし、現代では、9年も座ったままでいることはできない。

 そんな僕を見抜いて、いみじくも、Yさんは言った。

「ダルマさんのように、何もしないで座ったままで7年も8年もいるわけにいかないものね」

「いいえ。ダルマは、9年面壁したといいいます。」

 そして、そんな僕を見抜いて、

 彼女は、僕に言ったのだ。

「無とは、何もしないことではない。

 無とは、空っぽのことではない。

 無とは、お茶碗に溢れるほど、お茶を入れることだ。」

 と。

 それから、Yさんとの対話が始まった。

 それは、Yさんがなくなるまで続いた。
 (http://d.hatena.ne.jp/hoshius/20041118)


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2005年03月05日

無とは何か

 Yさんが光線治療院の、僕が待っている応接間に入って来たとき、その姿を、今でもハッキリと覚えている。

 半軒ほどのカーテンのかかった入り口のすぐ脇の壁には、大きな鏡があった。
 Yさんは、その鏡を見て、部屋の中に入ってきた。

 小柄で痩せていて眼鏡を掛けていた。
 髪の毛は、額の前だけ白髪になっていた。
 色は白く、顔は、どこにでもいるおばさん。
 しかし、世俗的な感じはしない。
 だから、僕には清潔に見えた。

 どんな挨拶をしたのか覚えていない。
 ちゃんと挨拶は、したはずだ。
 そして、インドのラジネーシの話しもした。
 彼が「悟って」いることも話した。
 
 しかし、僕が今でもハッキリ覚えているのは、いきなり、核心を突かれる質問をされたことだ。

「あなたは何になりたいの?」

 僕は答えた。

「無になりたい」

 さて、どうだろう?
 一般の人だったら、僕のこの答えにどんな反応を示すだろうか?
 例えば、あなたが、
 僕のことを「インドに行っておかしくなった子」だから、話を聞いてあげて欲しいと、その子の姉に頼まれて会ったとしたら、
 例えば、
 あなたが、“精神科医”か、あるいは、心理学の知識を持った人だったら、
「無になりたい」という相手になんと答えるだろう?
 あるいは、あなたが、“宗教的な知識”をたくさん持っている人だったら、
 あるいは、あなたが、世間的、社会的経験の豊かな人だったら、
 あるいは、あなたが、哲学の先生だったら、
 あるいは、人生相談の人だったら、
 人生の先輩だったら、
 地位と名誉のある人だったら・・・ 
 
 笑うだろうか?
 笑いはしなくても、心の中では、苦笑するだろう。

 しかし、Yさんは、何一つ驚きもしないで、真剣な表情でこう言った。

「あなた、無ってなんだかわかる?」

 僕は、正直わからなかった。

 すると、彼女は、テーブルの上に置かれていた丸いお茶碗を手にとって
「このお茶碗にお茶がなにも入っていないことを“無”っていうでしょう?」
 と言った。
 僕は、うなずいた。
 しかし、そのお茶碗には、お茶が入っていた。
 治療院の先生が入れてくれたお茶は、もうすっかり冷めていた。
「でも、ほんの少しでもお茶が入っていたら、無とは言わないわね」
 僕は、そうだと納得した。
「いい?
 なんにも入っていないのが“無”じゃないのよ!」
「もし、このお茶碗に、お茶が溢れるほど入って、お茶が上からこぼれるほどだったら」
 Yさんは、そう言いながら、お茶碗の口を手のひらでぎゅっと押さえつけ、
「このお茶碗の中は、誰も見えないよね?」
「このお茶碗は、“無”?
 それともそうでない?」

 わからない。

 中身が見えないお茶碗が無かそうでないか、どうやって判断できるだろう?

「いい?
 もし、このお茶碗にお茶が溢れるほど入っていたら、隙間もないほど全部入っていたら、それは“無”と同じことなのよ」
「あなたにはわかるでしょう?」

 確かにそうだ。
 僕は、無じゃない。
 僕は、まったくの空っぽじゃない。

「あなたは、このお茶碗にお茶を溢れさせなければならないの!」
「空っぽになることが“無”なんて思ったら大間違いよ!」

 僕は、ひどく怒られた気がした。
 気が動転した。

「あなたは、あなたの経験をして、このお茶碗にお茶を入れるの。」
「そして、それが溢れるほどになったとき、初めてあなたは、”無”になれるの。」
「自分をなくすことが“無”なんかじゃないの。」
「何もしないことが“無”なんかじゃないの。」
「あなたは、あなたの経験をしなければならないの。」
「あなたにはわかるでしょう?」

 Yさんの言葉は、的確だった。
 そして、強かった。
 ここで書いた以上に、的確に語った。
 無駄なく語った。
 そして、とても強烈だった。
 だから、その“言葉”が、僕から離れなかった。
 だから、そのあとどうしたのか覚えていない。

 僕は、大木の茂る民家の近くを歩いていたのを覚えている。
 家に帰る途中だったのだろう。
 彼女の“言葉”が強烈に心に残っていた。
 大木の枝が風に揺れる音が、“言葉”のように頭の中で響いていた。
 その“言葉”だけが、熱にうなされる悪夢のように頭にこびりついて離れなかった。


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2005年02月28日

世界を治療する人

「先生は世界を治療するんじゃないですか?」

 光線治療院の鈴木先生は、Yさんに初対面でそう言ったという。
 Yさんは、それに答えてしゃべった。
 信じられないような言葉を。
 それがどんな内容だったかは、鈴木先生しか知らない。
 しかし、その言葉を聞いた以上、もうYさんは、普通の人ではないことがわかった。

 後日、渡辺さんがYさんの家に来たという。

 Yさんは、渡辺さんからお金の入った封筒を渡されたという。

 Yさんは、厳しくそれを断った。


 僕は、姉と母に呼び出された。
 街の喫茶店だった。

 親子、兄弟なのに、なにも喫茶店に呼び出すこともあるまい。
 しかし、わざわざ家からさほど遠くもない駅前の喫茶店に行くと、会って欲しい人がいるという。
 姉がYさんに僕の話をしたらしい。
 Yさんは僕に会いたいと言ったという。

 姉は、僕のことを心配して、Yさんに弟と会ってほしいとお願いしたのだ。
 そのことは、あとから知った。
 Yさんに後から聞かされたのだ。
 そのときは、とにかく、すばらしい人がいるから、是非会うようにと母にも言われた。

 当然、光線治療院の鈴木先生も、母や姉から僕の話を聞いていただろう。
 “インドに行っておかしくなった子”という触れ込みだ。


 昼間だった。
 3時の約束だった。
 僕はひとりで、光線治療院に行った。
 玄関のガラス戸を開けると、段を上がり、広い廊下のすぐ右に待合室があった。
 革張りのソファーと応接セットがあり、絨毯が敷かれていた。
 左の壁には棚があり、ズラリと本が並んでいた。
 それを見ていると、

「いらしゃい」

 治療院の鈴木先生が入って来た。

 初対面なのに、ニコニコして

「ゆっくりしていきなさいよ」

 と言って、僕をソファに座らせた。

「こっちがいいかな」

 僕は、応接室の入り口に背を向ける位置に座った。
 そこには、大きな鏡があった。

「この本、どれでも興味あったら読んでいいからね」

 すこし、なまりがあって暖かいしゃべり方。
 目と目の間に皺を寄せて、ニコニコしている。
 ちょっと、さだまさし、のような感じだ。
 しかし、もっと年だろう。

 しばらくすると、先生自らお茶を持って来てくれた。

「もうすぐ、いらっしゃるよ。
 Yさん。
 もう3時だからね」

 そう言って、

「お茶、ここに置いておこうね」

 僕の分と、Yさんの分もそこに置いた。

 丸くて背の低い、どこにでもある瀬戸のお茶碗。
 下に茶色い受け皿。
 中には、緑色のお茶。

 急須にポットまで運んで、テーブルに置いてくれた。

 僕は、何故か黙ってお茶をすすり、ただYさんを待っていた。

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2005年02月19日

光線治療院

 高校3年のことは、あまり記憶にない。
 それも、たぶん、Yさんとの出会いがあまりにも強烈だったためかもしれない。
 他の記憶は吹き飛んでしまったのかもしれない。
 それほど、Yさんの存在は、大きかった。
 しかし、彼女を語ろうとすると、言葉を失ってしまう。
 どんな言葉でも、表現できないような気がする。

 でも書いてみようか?
 どのように?
 正確に、読者がわかるように?
 否。
 どんなに言葉を尽くして書いても、誤解されるだけだ。
 彼女の“言葉”を聴かなければ、彼女を知ったことにはならない。
 しかし、彼女の生の言葉を、もう、誰も聞くことはできない。
 もう彼女はこの世にいないからだ。

 Yさんは、僕より40歳年上の独身の女性だ。
 初めて彼女と出会ったのは、僕がインドから帰ってきて直後のことだった。
 だから、彼女はまだ50代だったことになる。

 初めての出会いは、“光線治療院”だった。

 姉は、僕がインドから帰ってきて、魂を抜かれたようにボーとしているのを心配していた。
 いや、姉は、僕と一度も話もしなかった。
 しかし、家族で誰よりも、僕を心配してくれていたのかもしれない。

 姉は、地元の“光線治療院”に通っていた。
 どこが悪かったのかは知らない。
 しかし、姉と母は、“光線治療”を受けていた。

 光線治療というのは、カーボンの棒に火をつけるとまばゆいばかりの光を発する。それを体に受けると、だんだんと暖かくなり、気持ちがよくなる。
 それには、いろいろな治癒効果があるようだ。
 詳しいことはよく解らないが、“遠赤外線”ならポピュラーだろう。遠赤外線治療と言えば誰でも知っている。
 しかし“光線”は、赤外線だけでなく、あらゆる光のスペクトルを含んでいる白光であった。

 “白光”と言えば、この“光線治療院”の先生は、大の「宗教好き」らしく、待合室には、本棚にズラリと宗教関係の本が並んでいた。
 今でいう、“精神世界”の本である。
 その中に、“白光会”の五井昌久の本もあった。
 その他に、『ヒマラヤ聖者の生活探求』という本が、確か十数巻ズラリと並んでいたし、“宇宙人の本”もあった。
 勿論、“大本”の本や、そこから派生した新興宗教の本もあった。生長の家や真光など。
 それから、あまりメジャーでない霊界通信の本や小冊子。預言書。予言書。
 スウェーデンボルグの本もずらりと並んでいた。
 勿論、ノストラダムスや1999滅亡本もあったし、奇跡現象に関する本、ポルターガイストや心霊主義の本もあった。
 ということは、その類の本の展示会か古書市が開かれているようなものだ。

 姉は、完璧に理性的な現実的な人間で、“精神世界”などに興味を示すことはあり得なかった。
 しかし、治療院の先生は話し好きで、しかも治療中に患者に語るのは、その手の話しばかりだった。
 自然と、この治療院には、そのような人たちが集まるようになっていたようである。
 人間誰でも、神秘的なことには惹かれるものだ。
 奇跡や超常現象を身近で見たと言われれば、誰だって興味をそそられる。

 治療院の並びにあった大手飴メーカーの会社の重役、渡辺さんも、宗教好きな人だった。彼は、いつも会社からその治療院に通い、光線の先生と話しをしていたようだ。

 治療院は、それほど流行っているわけでもなく、たいてい待合室で、いつものメンバーが顔を合わせ、何時間もお茶を飲みながら、宗教的な話しをしていた。
 宗教といっても、いわゆる新興宗教である。

 どこかの会社の社長夫人で占い好きのKさん、自ら少し霊的な能力のある清成さんもメンバーの一人だった。
 みんなどこかの新興宗教に顔を出したことがあったり、また、教祖本人とも話したことがあるらしかった。

 だいたい想像がつく。
 社長だの重役だのというと、新興宗教に顔を出していてもべったり信仰しているわけではなく、教祖の器を内心で品定めするかのように評価し、そしてあわよくば、自分もビジネスとしての新興宗教を作ろうとしているのだ。
 金持ち連中の暇つぶしというか、そんなことに投資しようとしているのだ。

 しかし、そのような話しは面白い。
 教祖にふさわしい人材がいれば、本気で投資し、新興宗教を作ろうとしていたらしい。
 そして、渡辺さんと光線の先生は、いろいろな宗教家の話をしながら、“教祖探し”をしていたようだ。
 実際、渡辺さんは事業家であり、今の会社にいるのも社長に乞われて経営を見てあげているようだった。
 それ以外にもさまざまな会社で再建策を練ったり、相談役を引き受けたりしているようであった。

 治療院の先生も宗教に詳しい。
 二人で、さまざまな新興宗教について語り合い、また、暇があると出かけていき、あわよくば、自分達でも本物の教祖を探し出して、あっと驚くような新興宗教をつくろうとしていたのだ。
 
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2005年02月13日

バランスをとること

 日本に戻って来ると、もう既に高三の一学期は始まっていた。
 クラス替えで、見たこともない同級生に囲まれて、狭い机と椅子の間に座わることに苦痛を感じた。
 僕は授業数の一番少ない「私立文系組」だった。
 都立進学校の三年生。皆、大学進学を控えてピリピリしていた。
 でも僕は、魂を抜かれたゾンビのようにボーとして、授業もろくに聴いていなかった。

 教科書も持たずに学校に行き、すぐに授業から落ちこぼれた。
 そして、学校に行かなくなった。
 といっても、まったく学校に行かない“引き篭もり”だったわけではない。
 昼ごろになると、学校の近くの行きつけのラーメン屋で昼飯を食い、その後、バンドでドラムの練習をするだけのために、チャリンコを走らせて高校に向かった。

 ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンの激しいビートを、スティックが折れるまで叩く快感。
 そして、味の素が大さじ一杯も入ったメンマ・ラーメンの味。
 僕にとって高校に向かって自転車を走らせる動機は、いくら探してもそれくらいしか見つからなかった。
 しかし、バンドの練習をしていても、メンバーの同級生ともほとんど口をきかなかった。
 たまに授業に出ても、隣の席の友人ともほとんど口をきかなかった。

 いつの間にか席替えで、僕は一番後ろの席になっていた。
 昼過ぎに学校に行っても、もう、ぜんぜん授業など聴いていなかった。
 授業時間の45分間、他にすることもなく退屈でしかたなかったので、僕は、あることに熱中するようになった。
 それは、“バランスをとること”だった。

 4本脚の椅子の後ろ2本だてけで、バランスをとって斜めに座る練習。
 下腿をブラブラさせながら、傾けた椅子を前にも後ろにも着地しないようにバランスをとって静止させるのだ。
 前に重心がいってしまったときは、手で机を突いて後ろに傾かせる。
 後ろに重心がいってしまった場合は、下腿部を上に挙げて前に重心を移す。
 そうやって、後ろ脚2本だけで座ったままバランスをとる。

 ごく稀に、二本脚で斜めに傾いた椅子は、奇跡のように静止したまま、前にも後ろにも倒れなかった。
 そんなときは、空中に浮いているようで、気持ちよかった。
 しかし、後ろに重心が行き過ぎると、当然後ろには手をつくことができないので、そのままバタンとひっくり返る。
 授業中、大きな音を立てて、僕はひとりでよく後ろにひっくり返っていた。
 同級生の誰も、そんな僕の行為を理解できなかったろう。
 先生からも相手にされていなかった。

 中学の頃は、ゲームセンターに通うことを日課とし、ゲームセンターで眼を付けてくる他校の生徒を呼びだしては夜中にケンカするという極上のスリルを快楽としていたような自分にとって、進学校に集まる優等生は退屈だった。
 なぜなら、彼等は、有名大学の少しでも偏差値の高い学部に入ることだけを考えて、受験勉強に励む日常にひたすら耐えている。
 そうした小さな価値観に閉じ込められているだけの器の小さい奴だと判断したから。
 もっとエゴが強い奴はいないのか?
 学歴社会の価値観を無視して、この時期に、何の得にもならないことを平気できるほど、エゴの強い奴はいないのか?
 みんな従順に、受験勉強に励んでいる。
 でも僕は、彼等とはまったく別のことを考えていた。

 インドで体験した、至福の体験。
 ドラッグとセックス。
 そのことだけで、既に僕の感覚は、以前とはまったく違ってしまっていた。
 感情はズタズタになり、神経は麻痺していた。
 そして、深層心理に隠れたトラウマまでも吐き出させるような数々の瞑想や心理療法。 
 それらを体験した僕は、それまで静かに湖の底に沈殿したまま溜まっていたヘドロがひっくり返されたように、心の水は撹拌され、ドロドロに濁り、混沌としていた。
 そして、迫り来る大学受験のプレッシャー。
 当然、この時期は、そのための勉強に全ての時間を費やさなければならない。
 時間だけではない。
 この十代にしかできない体験も、思索も、空想も、恋も、遊びも、将来の進路のために犠牲にして、ひたすらいい点を採るためだけに暗記の勉強をしなければならない。
 さもないと、社会から“落ちこぼれ”だの“馬鹿”だのというレッテルを一生涯貼られたまま、その社会で生きていかなければならないのだ。
 既に十代で、この社会では、自分の進路が“学歴”で決まることに対する反抗を、僕は隠し切れなかった。
 
 こんなくだらない社会は滅亡してしまえ! 
 人間を鋳型にはめ、偏差値や出身校のレッテルを貼り付け、それでランク付けするこの社会の慣習などクソ食らえ!
 
 そんな僕の知りたかったのは、教科書に既に書かれている“知識”ではなく、未だかつて言葉によってもその他どんな方法によってでも表現されたことのない“未知のもの”であり、それを“感覚的”に「体験したい」「知りたい」「感じたい」という“飢餓”に四六時中苛まれていた。
 否、正直に言って、“悟りたい”、“解脱したい”と思っていたのだ。
 ラジネーシは21歳で“解脱”したという。
 僕もラジネーシのように、“解脱”したいと思った。
 だから、僕は、受験勉強よりもさらに過激な瞑想を体験することに没頭した。

 学校が終わると毎日のように二三男と二人で、立川にあったラジネーシ瞑想センターに通った。
 同じ高校の“優秀な”同級生は、「瞑想センタぁ〜? バカじゃねェのコイツ〜」と人を馬鹿にして、えげつなく笑った。
 しかし、別の高校に行った二三男とは、何でも話せる親友だった。
 もちろん、「全国共通模擬テストの結果」など、話し合うはずもない。
 彼とは、ラジネーシの本で言及されていた“禅”や“空”、R・D・レインの『結ぼれ』や『引き裂かれた自己』や『生の事実』、グルジェフやシュタイナーやクリシュナ・ムルティなどについて語り合っていたのだ。
 それから、瞑想体験やドラッグ体験、女の話など・・・。 

 二三男は、別の高校に行った中学時代の同級生だ。
 瞑想の帰り、ゲームセンターに寄り、ピンボールをよくやった。
 100円を入れると3ゲームできる。得点が上がるとボーナスゲームがカウントされる。
 あと何ゲームできるかを表示したカウンタが、一定の得点になると「コキッ」と音を立ててUPする。
 二人で交代で1ボールづつプレーし、台を揺らし過ぎてチルトにならないようにボールを職人のように操りながら、コキコキとボーナスゲームをUPさせていった。
 10ゲーム、15ゲーム。
 100円で充分遊べた。

「シターラ、悟りとは何だ?」
「犬のクソ掻きベラじゃ!」
 “禅語録”や“鈴木大拙”を読んでいた二人は、そんな禅の公案まがいのジョークを言いながら、ピンボールに興じていた。
「二三男、犬に仏性は在るか?」
「女の立ちしょんべんジャー!」
 下らないダジャレ禅問答を口から出まかせで叫びながら、笑い転げていた。
 そして、深夜になると公園で語り合い、朝を向かえたこともあった。

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2005年02月07日

ゴッズ・フライデー

 4月13日金曜日、今日が日本に帰るチケットの日付だった。

 ホテルのすぐそばのいつも行き着けのチャイ屋に行くと、閑散としていて営業していなかった。
 チャイ屋のインド人にどうしてか尋ねると、彼は
「ゴッズ、フライデー」
 と答えた。

 神様の金曜日。
 日本だったら“13日の金曜日”だ。
 インド人の男は、僕に詳しく説明してくれた。
「今日は、神様が十字架に架けられた日だから、それを悲しんで誰も仕事をしないんだ。
 わかるか?」

 でも、僕は今日、日本に帰ることになっている。
 だから、飛行機も飛んでいるはずだ。
 彼にそう言うと。
「そんなはずはない。飛行機なんて、飛んでやしない。
 もし、飛んでいても、お前は絶対それに乗るな」
 と言った。

 彼はそう言っているのに、何故かチャイ屋のレジは開いていて、その前に並べられたインドのお菓子だけは売られているようだった。
 赤やピンクや黄色のしつこいほどの極彩色をした、食べると死ぬほど甘いインドのお菓子。
 僕は一度もそれに手をつけたことがなかったが、今日でインドにいるのも最後だ。
 一番きれいな色をしたお菓子を2、3個選ぶと、彼に手渡した。
「これは売ってるの? ゴッズ・フライデーでも?」

 彼は、首を横に振って
「これは昨日つくったやつだ」と言い、欲しいんなら売ってやるというように、金を請求した。
 ゴッズ・フライデーなんだから、ただでくれよ、と思ったが、そうは問屋が卸さなかった。

 極彩色のインドのお菓子を見ていても、なんだかそれが色あせて見えた。
 僕は日本に帰りたくなかった。
 また、学校に戻って、つまらない世界史の授業を聞くのかと思うとゾッとした。
 死にそうに甘いはずのお菓子をかじっても、何の味もしなかった。
 彼女にも、帰ることを知らせていない。
 あれ以来、一度も彼女と再会できないままだった。

 ホテルに戻り、荷物をまとめて、チェックアウトした。
 ホテルの太った主人も、やせたボーイも、もう他人に見えた。

 ホテルの隣にあったサトウキビのジュース屋。
 こんなに近くにあったのに、今まで一度も飲んだことがなかった。
 一杯注文してみた。
 竹のようなサトウキビを圧搾機のような機械に入れ、ジュースを搾り出して、コップに注いでくれた。
 店には座る所が無い。
 店先の空き地に荷物を置いて、その上に座り、大きなガラスコップに入ったジュースを飲んだ。
 さらっと甘くて、おいしかった。
 泥水のような色をしたジュースを見ながら、こんなにおいしいなら、もっと早く飲んでおくべきだったと思った。

 もう帰るだんになって、彼女と知り合った。
 もう帰ってしまうなんて彼女が知ったなら、きっと僕をただの観光客だと思うだろう。
 そう、2泊3日でインド観光ツアーに来た日本人観光客だ。
 旗を立ててタージマハールを見て回り、香辛料のきついカレーを食べて感動し、みやげ物を買い、慌てて帰りの飛行機に乗り込む。
 僕だって“サンニャーシン”なんかじゃなく、ただの“観光客”だったのだ!

 自分が空しくなった。
 もう、出発しないと、飛行機に乗り遅れてしまう。
 もし、彼女と再会できる運命なら、きっといつかまた再会できるだろう。
 そう自分に言い聞かせた。
「もしそれが運命なら、彼女といつかどこかでまた、再会できる!」
 心の中で、自分自身に祈った。

 ボンベイまで着くと、タクシーを拾って空港まで突っ走った。
 高速道路と普通の道路とどっちにするかと運転手に聞かれ、当然「ハイウエイ」と答えた。

「ハリーアップ! ハリー! ハリー!」
 インド人運転手をけしかけた。
「飛行機に乗り遅れるから、早く、早く、早く、早く行け!」

 インド人は白い歯を見せてニヤニヤ笑いながらアクセルを踏み込んだ。
「お前、スピード好きか?」
 と、インド人は聞くので
「イエス、イエス、ヴェーリィ・マッチ!」
 と答えると
「オレもだ!
 今まで一番早く着いて見せるからまってろ!」
 と言って、メチャクチャに暴走し始めた。

 窓を全開にして、同じ道路を走る車を次々に追い越していった。
 時々、サリーを着た歩行者が道路を横断するのが見えたが、彼はアクセルを緩めるどころか、むしろ踏み込んでクラクションを鳴らした。

 なんて無謀な運転だろう。
 人なんて轢いても構わないと思っているのか? 犬が道路を横断しているのと同じだと思っているのか?
 それにしても、ハイウエイを横断する歩行者も歩行者だ。
 自分を猫かなにかだと勘違いしているのだろうか?
 そんなにリスクを冒してまで、車の迫ってくる道路を急いで横断する必要などないのに。
 いつもはのんびりしているインド人のくせに、何故こんなときだけ、危険を冒してまで急ぐのか?

「どうだ? こんなに早いのはじめてだろ?」
 インド人は得意になって、自慢した。
「アー。グレイト!」

 こいつには、たくさんチップをはずんでやろうと思いながら、全開にした窓から吹き込む突風に長髪をなびかせて、目をすぼめて外を眺めていた。

 この人の良さそうなバカが、空港を間違って素通りし、このままヒマラヤまで突っ走ってくれたらいいのに! と思った。
 それとも、インド人らしくのんびりし過ぎて、飛行機の時間に間に合わなければいいのに、とも思った。
 でも、それだけは不可能だった!

 バックミラーに映った運転手の顔からは、白い歯が光り、僕をチラチラ見て得意になっている。
 スピードを上げて、僕を怖がらせようとしているのだろう。
 でも、僕の心は沈んだままだ。
 どんなにスピードを上げようと、心が動かない。
 無感動、無感覚。
 ただ、このインドから離れたくない。
 日本に帰りたくない。
 それだけだった。

Posted by hoshius at 23:39  |Comments(0)TrackBack(0) | インドにて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月30日

シュリ・タントラ!

 リキシャで彼女のホテルにたどり着き、部屋に入ると、いきなり彼女は僕の唇にキスをした。
 彼女はオレンジ色のローブを脱ぎ始めたので、僕も慌ててローブを脱いだ。
「Calm down」
 僕の目の前で全裸になった彼女の裸体は、大理石の彫刻だった。
 すべてを曝け出した彼女の肌から発するフェロモンの香り。
 突然、暗闇に光が差したように目が眩み、柔らかな豊かな乳房が僕の肌に触れると、アドレナリンとセレトニンとモルヒネが体中に走り回り、言葉を失った。
 僕はシャワールームに駆け込んだ。
 興奮が収まらないず、胸で荒々しく呼吸し、ガタガタと震えていた。
 震える手でシャワーの蛇口をひねると、ちょぼちょぼ落ちてくる水の下で、ペニスを洗った。
 しかし、いくら震える手でペニスをこすっても、勃起しない。
 光りを失った目で自分のペニスを見つめ、水をかけ、必死でしごいていた。
 すると彼女がやって来て、僕の前に膝まづき、いくら水を掛けても勃起しないペニスの前に自分の顔を移動させた。
 宝石のような瞳でじっと見つめている彼女は、いつ笑い出すのだろうか?
 しかし、絹のように白く柔らかい頬を押し当てると、そのまま僕のペニスを彼女の美しい唇で包み込み、清潔な口の中に含んでくれた。
 僕の性エネルギーは突然目覚め、全身に力がみなぎり、ペニスが彼女の口の中で膨らみ大きくなるのを、僕は許すことができた。
 僕の亀頭は、彼女の柔らかく濡れた生き物のような舌に包まれて、清められていった。そして、霧が晴れるような快感につつまれ、僕は自信を取り戻していくのを感じた。
 彼女の芳しい乳香のような唾液が、まんべんなく亀頭に塗り込められると、その天国のような感触が僕の全身に麻薬のように拡がって、緊張していた全身の筋肉が徐々に弛緩して熱くなった。
 そして、彼女は、その魅力的な舌と唇でペニスの隅々のまで拭い去るように舐め回し、彼女の唾液が尿道にまで染み込むまでしゃぶり尽くしてくれた。
 僕のペニスは、彼女の口の中で完全に清められ、癒され、快感に脈打ち始めた。
 僕は天を仰いで無言で叫んだ。

「ハレルヤ!」

 僕にとってこの状況は、ひとつの奇蹟以外の何物でもなく、自分自身がそれを体験していることが信じられなかった。
 シャワーからちょぼちょぼこぼれ落ちる水玉がキラキラ輝き、まるでデビアス・ダイヤモンドのネックレスのように、ウェーブした彼女の黒髪を濡らした。
 僕のペニスを包み込んだ彼女の小さな頭蓋骨に長い髪がワカメのように張り付き、僕は思わず彼女の頭蓋骨を両手でわしづかみにしていた。
 彼女のストイックな額から滴る水に、大きな目玉のエメラルドの宝石が濡れて、長い睫の奥でくるくると動いている。
 僕は彼女の濡れた髪から漂う異文化の香りを嗅ぎ、胸に吸い込み、その濃厚な空気にあえぎながら狂喜し、両手で彼女の頭をつかんだまま、この美しく彫刻されたヴィーナスの頭部に感謝しながら、今にも自分だけ天国の雲の上に上昇してしまうのを必死でこらえていた。
 そして、彼女の全裸の献身的奉仕にいたたまれずにそっと彼女を引き上げると、彼女の閉じられていたまぶたは開き、丸く大きな瞳がこぼれ落ちそうに輝いて、じっと僕を見つめた。
 今やそれは、エメラルドでもなければペリドットでもサファイヤでもなく、みずみずしく生き生きした彼女の瞳は、神の祝福を受けて輝くまさに天上のラウンド・ブリリアント・ダイヤモンドだった。
 しかも、二つの目からは、慈愛に満ちた視線が僕の両目に注がれ、僕の魂をゆさぶり、僕のクンダリーニに火をつけた。
 尻からクネクネ上昇した恋の情熱は、胸のチャクラを真っ黒に焦がした。
「I LOVE YOU」
 素直にそうしゃべっていた。
「I LOVE YOU」
 彼女はとても自然に、色っぽいアクセントで答えた。
「Ah Ha. Me Too」
 僕は、彼女の唇に吸い付いて、貪欲に舌を絡ませた。
 その瞬間、文字どおり身も心も欲望の中に溶けてしまうのを感じた。
 そして抱き合い、絡み合い、まさぐり合った。
 彼女の豊かな胸が僕の肌にはりつき、象牙色をしたきめ細かいマシュマロのような肌が接触すると、そこに男女のオルゴン・ エネルギーが発生し、発電し、発熱し、ふたりは熱くなった裸体と裸体を絡め合いエスカレートしていった。
 僕は彼女のまぶしいばかりの胸に吸い付き、光り輝くまで舐め回した。
 豊かな胸は膨らみ、張り詰めた透明な皮膚が震えているのを見ると、欲情に火が付いた。
 両手に余る乳房を揉みしだき、執拗に舐め回し、コリコリした新鮮なチェリーをつまみ上げ、舌で味わっていると、突然、舐め回していた彼女の乳首が勃起した。
 彼女は熱いため息を漏らしながら身をくねらせ、ピンク色に紅潮した乳輪をいやらしく大きく隆起させ、生々しい裸身を持て余すように身体をのけ反らせた。

 僕は本当ならば今ごろ、大学受験のための英単語を必死で暗記し、気晴しにヌード雑誌でも見ていたはずだった。
 しかし、洋もののヌード・グラビアから抜け出してきたような、否、それ以上に美しくグラマラスな彼女が、セクシーな裸体を曝け出し、熱いため息を洩らし、僕と裸体を絡め合っている。
 彼女の本物の肉体のあらゆる場所をくまなく鑑賞し、リアルな体を自分の指で触り、体温を感じ、舌で味わって、女である彼女を直接自分の肌で感じることができる。
 これこそ本当の異文化体験だと思った。
 僕にとって初めての、リアルな体験だった。
 彼女の全てを感じ、彼女の全てに触れ、彼女の全てを舐め回し、 彼女の全てを自分のものにしたい。
 ペニスを彼女の指の先で愛撫されながら、今にも天国に行きそうな僕の欲望は高まり続けた。
 彼女は壁に両手を突き、後ろ向きになって尻を突き出し、濡れた目で僕に振り向いた。
「カム、カメン、コメン」
 彼女の言葉はよくわからなかったが、その意味を感じた。
 彼女を確かめるように誘われているのだ。
 彼女を試してみるように、そして、彼女は僕を試してみるために、もっと先まで行ってみようとしているのだ。
 
 そう感じた僕は、従順な奴隷のように、彼女のヒップの谷間を広げ、そこに隠されている彼女の恥部を露出させた。
 ピンク色に充血した粘膜を見ていると、僕は、彼女が言った言葉を思い出した。
「全ての人に、私の美徳を与えるの」
「私は、私の命をどうすることもできないの」
 突然、頭の中に、あのイタリア野郎の顔が浮かんだ。
 激しい嫉妬心と欲情に駆られ、僕は彼女の尻の谷間に顔を埋めた。
 彼女が受けたあらゆる悪徳の汚れを清めなければならない。
 そう思い、唇で彼女の濡れた粘膜をまさぐり、犬のように舌を使って何度も何度も舐め上げた。
 鼻先が冷たくなり、彼女の尻のピンク色の蕾に幾度も接触した。
 僕は、ハーシーチョコレートのような香りを吸い込み、彼女の秘密の匂いを吸い込んで陶酔し、ペニスに冷たい快感を感じた。
 色っぽく震える彼女のヒップに挟まれて、ぐしょぐしょに濡れながら、睫までべとべとした目で接触した彼女の恥部を見つめ、粘膜を指先で確かめた。
 そこに指の先を入れてみても、彼女は拒絶しなかったので、僕は人さし指を確かめるように埋めた。
 彼女は羞恥の声を上げて身悶え、彼女のヒップはとろけた吸盤のように熱く僕の指先を包み込んだまま脈打ち、そのまま僕の指を中まで吸い込んでいった。
 いつもは隠されている下半身の欲情した部分が全て露になったので、ピンク色に濡れて柔らかくなった粘膜の内側まで指でまさぐり、どろどろになるまで唾液でなめ回し、指でまさぐった。
 彼女は弓なりになってあえぎ、べとべとになった尻をふって、腰を前後に動かし始めた。
 僕は自分の顔で彼女の冷たい臀部の柔らかな感触を確かめながら、びしょびしょに濡れた愛液の泉から溢れるアムリタの壷に唇を付け、舌を入れて味わい、蜜を飲み込んだ。
 彼女の両股に顔を埋めてその熱い色気に窒息しそうになりながら、ピンク色をしたスリランカ産のスター・ルビーが露に光っているのを発見した。
 その宝石の表面を舌で触わると、彼女は敏感な声を上げて、陶酔した。
 羞恥心を失って惜しげもなく露出しているスター・ルビーを、僕は丁寧に舌先で磨き上げた。
 そして、蜜が溢れ出る桃色の谷間に中指を入れ、蜜壷の内壁をまさぐって、その熱と感触を確かめた。
 彼女は声を殺して呻き、縮れた毛では隠し切れない紅潮した谷間から、甘くてとろけそうな蜜をドロドロ溢れさせて欲情し始めた。
 彼女の震える白い太腿を伝って滴り落ちる濡れた愛液の跡をたどって、彼女の長い脚に舌を這わせると、締まった筋肉は柔らかく弛緩し、むせぶような熱情に肌を熱く匂わせながら、貪欲になった彼女は床に両手を突いて四つん這いになり、獣のように身体を開いた。
 そして、美しい彼女は、ますます大胆に快楽を求めて来たのだった。

 下半身を硬くさせて、開いた体内の奥まで僕の指ですべて塞がれたまま震える彼女の尻に、僕はべとべとに灼熱した神経の肉棒を挿入させた。
 ペニスを入れた瞬間、彼女の腰は前後に自律的なリズムで動きだし、彼女は荒くあえぎながら、低い声を上げて悶えた。
 彼女だけの秘密の花園に熱い炉心を食わえ込んだまま、核分裂の始まってしまった快感は止めようもなく、肉体はメルト・ダウンし始め、どろどろに溶けだし、脈動し、痙攣し、今にも臨界点に達して核爆発を起こしそうに腫れ上がって、二人の性器は新たな欲望を飽くことなく生み出し続けるために、接触し合っていた。
 あまりにも繊細な彼女の裸身は今や大胆に震え、快感の熱いため息が洩れると、彼女のヴァギナは貪欲に僕のペニスを奥へ奥へと誘い込み、堅く握りしめて離さなかった。
 今まで僕が味わった、汚れた記憶の全てが、彼女の記憶と一体になって彼女のあえぎ声の波の中でもまれ、とどまることを知らない欲望の嵐の中で波打ち、鋭い快感とともに全身を痺れさせる電気のスパークとなって、発光しては消滅していった。
 そして、天国の聖なるエンジェルを突くたびに、彼女への恋が増し、憎悪が増し、もう引き返せない恐怖に、禁断の裸体の誘惑を感じながら、彼女の熱く魅力的な声が強く響くたびに、僕は彼女を壊そう、彼女を殺してしまおう思った。
 そして、僕は確信した。
 二人は天国の階段を上昇しているのだと。
 あの世の入り口を突き抜けるのだと。
 しかし、肉体の痙攣とともに二人は全裸のまま、地上に落下したのだった。

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2005年01月28日

最後の望みのユーリア

「私の本名は、ユーリア・ホフマンスタールよ」
 僕は何故だか面食らった。
 彼女が本名を名乗ったとき、今までとはまるで違う、別人のような表情をしたからかもしれない。
 否、僕にはそのとき、彼女の姿が急に変貌したように見えたのだ。
 オレンジ色の簡素な長いローブを纏ってインドにいる彼女。
 見ず知らすの一七才の日本人の少年とお茶を飲んでいる彼女。
 それがまるでとんでもなく不釣り合いなほど、彼女は高貴な女性のように感じたのだ。
 ラジオからはインド映画の音楽が流れていた。しかし、僕の頭の中ではそれが、ショパンの「華麗なる円舞曲の第三番」の調べになって聴こえてきた。
 甘く切なくいメランコリックなメロディーが、高貴なパフュームのように僕の頭の中で回っていた。
 僕は驚いて尋ねた。
「それで・・・? あなたの本名は、どういう意味なの?」
 彼女の名前の中に、彼女の本当の姿が隠されているような気がして、真剣になって彼女に問いかけた。
 彼女の名前の意味を聞くことによって、彼女をもっと理解でき、彼女を僕のものにできるような気がしたのだ。
「そうね」
 彼女は、少し考えてから
「私、大学で東洋の文化を勉強したのよ。だから、漢字の一つ一つに皆意味があるのを知っているわ。名前の漢字からそれぞれ違う意味を読み取れるなんて、とても素敵なことだと思うわ。でも、西洋の文字には意味はないの。音を表しているだけよ。だから日本のように名前の文字から意味を読み取ることはできないわ」
 彼女は、僕にもよく解るようにゆっくり説明してくれた。
 彼女は日本びいきだったのかもしれない。それで僕と話してくれているのかもしれない。
 でも僕は、彼女の説明に満足できなかった。
 彼女に自分の名前の本当の意味を説明してもらいたかった。そうしなければ本当の彼女を理解することができないし、僕は彼女を愛せないような気がしたのだ。
 浮かない表情で、納得できずにいる僕を見て、彼女はドイツ語でぽつりとつぶやいた。
「ユーリア・ホフヌング・シュトラール」
 そして、僕に言うのではなくまるで独り言のように
「ジュリア・ラスト・ホープ。
 最後の望みのジュリア。
 それが私の名前の本当の意味よ」
 と言って、長い睫の目を伏せた。

 最後の望みのジュリアだって!
 彼女の言葉を聞き取った瞬間、僕の背中にゾーと冷たいものが走った。そして、自分でも考えられないほどのはっきりとした直感に襲われた。
 それは僕にとって、今までに一度も体験したことのない経験だった。
 自分でも何故なのか解らないのに、彼女の全てがクリアに見えるような気がしたのだ。
 彼女の声が僕の頭をクラクラさせ、アカシックレコードに繋がる過去の記憶を揺さぶったのだろうか?
「あなたのお姉さんは?」
 僕は、尋ねてみた。
「どうして、姉がいるのを知っているの?」
 その瞬間、二人は目を見開いてお互いを見つめ合った。
「死んだわ!」
 彼女は、きっぱりと答えた。
 やっぱり!
 僕の全身に鳥肌が立った。
「自殺?」
 僕は彼女の気持ちも考えずに思わず口にしていた。
「どうしてそれを?」
 彼女の顔は真剣になり、あの世的な魅力を増したように見えた。
「わかるんだ! 感じるんだよ!」
 僕は、思わず興奮して叫んでいた。
 こんな経験は初めてだった。
 僕の手は氷のように冷たくなり、頭が痺れたように冴え渡っていた。
「私も何度も自殺を試みたわ!」
 彼女は、堰を切ったように話し始めた。
「私は、どうしても死にたくなってしまうのよ!」
 彼女は、祖父やその他の幾人かの親戚も自殺したと言った。
 彼女の言うことがにわかには信じられなかったが、僕に襲った直感は彼女の何かに触れたのだ。
 ユーリア・ホーフマンスタール。
 ジュリア・ラストホープ。
 最後の望みのジュリア。
 僕は、何度も何度も呪文のように、頭の中で彼女の名前を繰り返していた。「シャタティ」と「シュマイ」を彼女と何度も唱え合ったように。
 そして僕は叫んだ。
「きみは死んじゃだめだよ!
 最後の望みのジュリアじやないか!」
 彼女は、びっくりして、僕を見つめた。
 でもすぐに自分を取り戻したかのように
「私は人生を、暗い客席に囲まれた丸いステージのように感じるの。
 そして、私はときどきそのステージから降りたくなるの。
 私の演じている役になり切れなくて、逃げ出したくなるのよ。
 どうして私だけ舞台に立って役を演じ続けなければならないの?」
 と言って、彼女は悔しそうに唇を噛んだ。
「私が死のうとしたとき、まるで自分が催眠術に懸けられた操り人形のように感じたわ。
 でも、もうスポット・ライトを浴びたステージの上で、観客に囲まれて、自分を演じ続けなくて済むの。
 でも、私は死にきれなかったの。
 それからますます死にたいと思うようになったわ」
 あまりにも彼女の言っていることが赤裸々なので、真剣な彼女の言葉を聞いていると、僕は暑いインドの空の下にいながら、寒く凍えてくるのを感じた。
 彼女は、グルの本を読み、師にすべてをゆだねようと思ったのだ。
 インドに来てグルから新しい名前をもらい、それは「自分の美徳を全ての人に分け与える」という意味だった。
「私、タントラ・グループを受けたのよ」
 僕にも理解できる簡単な英語だったのに、突然言われた彼女の言葉は、僕の中を素通りして行った。
 僕が予期していたことと全然違うことを彼女は突然言ったのだ。
 やっとのことでその言葉の意味を理解すると、僕は大きなショックを受けたことに気付いた。
 そして、驚きをできるだけ押し殺して彼女に尋ねた。
「あの有名なタントラ・グループを?」
「Yes,I did」
 彼女は、きっぱりと肯定した。
 まるで、その体験を肯定するかのように・・・。

 過激な心理療法をすることで有名なグル・ラジネーシ・アシュラムの中でも、一番過激だと噂されていたのがタントラ・グループだった。
 それは、チベット密教のタントラからきているのは言うまでもない。
 タントラは、男女のセックスによって得られるエクスタシーを通じて個の意識を超越し、全体としての意識であるアートマンと一体となり、ブラフマンである宇宙との究極のオルガズムであるマハムドラーを達成しようとするチベット密教だと理解されている。
 しかし、タントラの極意は、男性はエクスタシーの瞬間決して射精してはならず、そのエネルギーを昇華させ、とぐろを巻いた蛇に象徴される尾底骨に眠るクンダリーニを目覚めさせ、脊髄にそって頭頂のサハスラーラ・チャクラまで上昇させることにある。
 そのための様々なメソッドが考案され、ハタ・ヨーガでプラーナと呼ばれる気を、男女のセックスの最中、最も効率的に循環させるための無数の体位が考案され、カジュラホの遺跡にはシヴァとヴィシュヌの化身である男女が全裸で肉体を絡め合い、様々な体位で愛し合っている彫像が並んでいる。
 様々な体位は、秘密のヨーガのポーズであり、男女のオルガズムを通じて、肉体の快楽を超越した宇宙との合一、即ちマハムドラーを体験するためのものであり、またその合一の象徴でもある。
 しかし、キリスト教の禁欲的思想を宗教的倫理とみなす西洋では、タントラはとんでもない原始的な異端宗教としてしか認識されないのは当然のことだろう。
 ところがグル・ラジネーシは、このタントラを何よりも愛し、カギュー派のチベット密教のグルであるティロパの「マハムドラーの詩」を題材にしたレクチャーをアシュラムで行ない、その講話録が世界中に出版され、何万という若い男女を魅了した。
 プーナのアシュラムには世界中からこの講和録を読んで弟子に志願する者が磁石に集まる砂鉄のように引き付けられた。
 僕も、勿論その一人だった。
 そして、彼女も。
 しかも、グルは、射精を禁じたファンダメンタルなタントラの奥義を不自然なものだとして、自分の弟子達に自由にセックスすることを許した。
 タントラ・グループは、フリーセックスを泊り込みで実践する集団療法だと言われていた。
 その証拠に、アシュラムで生まれた父親も判らない子供の多くが、タントラ・グループの最中にできた子供だという噂が公然の秘密のようにささやかれていた。そして、ラジネーシ教団は後に世間から“フリーセックス教団”と騒がれ糾弾されるようになった。しかし、当時は、まだそこまで世間に知られていなかったと思う。
 しかし、彼女は僕にそのタントラ・グループを受けたと言ったのだ。しかも、彼女は、グルに名前をもらって早々、いきなりこの過激なループを受けさせられたらしい。
 僕は彼女の言葉をどう受けとめたらいいのか分からなくなった。
「レストランで出会った彼のこと覚えてる?
 彼とはそのグループで一緒だったの」
 彼女の言葉を聞いて、僕は頭を殴られた気がした。
 あのイタリアンの髭面を思い出し、嫉妬に火がついて、突然気が狂いそうになった。
 あのケダモノめ!
 タントラ・グループで奴は、彼女に何をしたんだ!
 奴は、彼女を口説き落としたんだ。
 無神経なくせに、女をこますときは、ジェントル・マンになる。
 奴は、そんなケダモノだ!
 でも、彼女はいったい、僕に何が言いたいんだ!
 彼女は今、僕にどうしろと言うんだ!
 いきなり自分の事を告白して、いったい僕にどうしろと言うんだ?
 あのケダモノを殺せばいいのか?!
 それとも、ノープロブレムって言えばいいのか?!
 僕は彼女になんて言ったらいいんだ!
 僕はただ、あのケダモノを憎んでいるだけだ。

 なんとか平常心を取り戻し
「でも、彼を愛しているの?」
 と、彼女が否定してくれるのを祈りながら僕は尋ねた。
 しかし、彼女は僕から目をそらし、少し赤くなって自嘲的に白い葉を見せて笑いながら、怒ったように言った。
「私は、自分の命をどうすることもできないの!
 私の身体は、私だけのものではないのよ」
 僕は「それは違う!」と否定したかった。でも、タントラ・グループでいったい彼女はどんな体験をしたのか分からなかったので、僕は黙ってしまった。
 僕は知らなかったのだ。
 いったい何人の男と交わったのか?
 そう思うと、嫉妬に胸が締め付けられた。
 すると、彼女はポツリと言った。
「あなたと一緒にタントラ・グループを受けたかった」
 と。
 僕はその言葉を疑った。
 彼女が今言った言葉は、僕が勝手にそう思っただけかもしれない。全然別の言葉だったのかもしれない。僕が勝手に勘違いして思い込んでいるだけかもしれない。いやそうに違いない。ぜんぜんそんなこと彼女は言ってやしないのだ!
 しかし、彼女は、今度は、間違いなく僕にこう言って質問した。
「あなた、あたしのことを愛してるの?」
 さっき、僕は、確かにそう言ったのだ。
 僕は、唇を噛んで答えた。
「僕はあなたが欲しい」
「私もよ」

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2005年01月27日

喜んで与えること

 僕は彼女の名前の意味を尋ねた。
 グルは、過去の自分の名前を捨てて新しく生まれ変われるようにと、弟子になる者にサンスクリット語の名前を付けてくれる。グル・ラジネーシから付けられた名前は、サンニャーシン・ネ ームと呼ばれていた。そして、師との面会であるダルシャンの時に、グルはその人を見て名前を決め、新しい名前の意味を弟子に語って聞かせる。
 サンニャーシン・ネームの最初には「マ」か「スワミ」が付く。「マ」は女性で、男性は「スワミ」だ。セカンド・ ネームには、「愛」を意味する「プレム」か「至福」を意味する「アナンド」が付けられる。
「プレム」をグルから付けられた人は、人を愛すること、人に愛されることを今後の人生で大切にするようにというグルからの暗黙のメッセージが込められている。
「アナンド」は、知恵を大切にするように付けられた名前だ。
 稀に「ボ ーディ」とか「デーヴァ」というセカンド・ネームを貰う者もいた。また、セカンド・ネームがない弟子もいた。彼等は少数派で、たいてい変り者だと言われていた。
 そして、最後に、人それぞれ皆違ったサンスクリット語のサード・ ネームが与えられる。これは、人によって皆ちがっていて、グルは弟子の目を見ながら、とても詩的にその名前の意味を語ってくれるのだ。

「パリマーマナは・・・ 」と彼女は僕に説明しようとしたが、
「どう言えばいいのかしら?」と言って、難しそうに額に皺をよせた。
「そうね。グルに言われたの。美徳を自分だけのものにするのではなく、他人と分かち合うようにと。
 与えるようにと。
 そうすれば自分の美徳は益々輝いてくると。
 そして、至福を体験できると・・。
 全ての人は、その至福の輝きに向かっているのだとグルは言ったわ。
 私の名前は、そのような意味よ。
 あなたに分かるかしら?」
 彼女はそう言って僕の目を見つめた。

 僕は、ずっと後になって「サンスクリット語辞典」を調べ、“パリナーマナ”の意味を知った。それは、日本語で言うと仏教の“供養”とか“喜捨”の意味になるらしい。
 マ・アナンド・パリナーマナ。すなわち、彼女の名前は「至福の喜捨」という意味だ。
 彼女の説明だと、「自分の持っている美徳を、自分のために使うのではなく、他人に喜んで与える至福の女性」という意味になる。
 彼女にぴったりの名前だと僕は直感した。
 そして、よくもグルはこんな名前を彼女に付けたものだと感心した。
 彼女は持っている美徳を自分の中にしまい込まずに、包み隠さず、惜しみなく他人に与える女性なのだろうか?
 そうするようにとラジネーはが彼女に希望したのだろうか?
 一切なにもかも・・・。
 彼女のすべてを喜んで与えるようにと・・・。

 僕は、オレンジ色のローブを纏って正面に座っている彼女を見ながら、想像の中で、ヴェールに包まれていない彼女を見ていた。
「もちろん、わかるよ。
 とっても美しい名前だね。
 でも、誰にでも与えるの?
 あなたの持っている美徳を。
 あなたの悦びを。
 誰にでも与えるの?
 パリナーマナ?」
 僕は真剣になって彼女に尋ねていた。
 彼女は、僕の恋心にどう答えたらいいかわからず躊躇した様子で、筋の通った高い鼻に息を吸い込んでから
「そうよ。誰にでもよ」
 とキッパリ答えた。
 僕の頭に、あのイタリアンの髭面が浮かび、突然、胸に苦々しい痛みを感じた。
 そんなはずはない!
 誰にでも彼女の美徳を与えるはずはない!
 そう自分に言い聞かせながら、僕は彼女に尋ねた。
「あなたの本当の名前は何ていうの?」
 僕は彼女の本当の名前が聞きたかったのだ。
「え? 私のリアル・ネーム?」
 彼女は、ちょっと戸惑った表情をした。
 サンニャーシンは、あえて本当の名前を聞いたりしない。そんなことは意味がない。グルに与えられたサンニャーシン・ ネームでお互いを呼び合い、古い名前は過去と一緒に忘れてしまう。少なくともインドのアシュラムにいる間だけは、そうするのが当たり前のことなのだ。
 でも僕は、どうしても彼女の本当の名前が知りたかった。
「僕のサンニャーシン・ネームは、スワミ・アナンド・シターラ。
 君と同じアナンドだよ。
 輝く至福の星だとグルに言われたよ。
 そして、僕の本名は、紫源二っていうんだ。オリジナルから二番目のパープルっていう意味さ」
「murasaki? とても綺麗な名前ね」
 彼女は、心からそう言ってくれた。
 僕は、直訳の英語のつたない説明に冷や汗をかいたが、彼女が喜んでくれたので、彼女にもう一度尋ねてみた。
「君の本当の名前は何ていうの?」

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2005年01月26日

夜空のジュースバー

 ホテルから少し行った広い通りに、夜になるとバンが数台やって来て、フレッシュ・ジュー スの露天を開く。
 そこめがけて、僕は走っていた。
 砂利だらけの道端に、大きなバンが数台止まり、自家発電の照明が灯っていた。
 テーブルと折り畳み椅が何十個も並んでいて、さながら東洋の屋外カフェだ。
 そこに、オレンジ色のローブを着たサンニャーシンや観光客などが、光りに群がる蛾のように集まってくる。
 ジュース・スタンドに早変わりしたバンのラジオから、インド映画のエキゾチックな歌が流れていた。
 それを聞いていると、僕の頭の中に「Be here now」 というババ・ラムダスの本のタイトルが浮かんだ。
 当時インドをうろつくヒッピー達の間で流行していた本だ。
 旅から旅の放浪生活を既に何年も送って世界中を巡り歩いているサンニャーシンも少なくなく、彼らには決まった日常生活というものは既になくなっているようだった。そして、世界中に散らばったサンニャーシン達は、総本山であるインドのアシュラムに、また世界各地から戻ってくる。
 アシュラムからさほど遠くないこの屋外ジュース・カフェは、そうしたサンニャーシンたちの溜まり場でもあったのだ。
 蛾は、何故光に群がるのだろう?
 僕も露天の光に引き寄せられるように、そこに足を運んでいた。

 フレッシュ・オレンジジュース・ウィズ・アイスクリームでも飲もうと思い、開いている席を探していると、なんと、あの美しい僕のパートナーを発見した!
 内心、期待していなかった訳ではない。でも、彼女を見つけたとき、僕は何故ここに足を運んだのか、自分でもはっきりと自覚した。そして、蛾は、交尾の相手を見つけるために、光りに群がっているのだと確信した。
 彼女もきっとこの近くのホテルに泊まっているのだ! ブラっと夕涼みにやって来たような感じで、丸い小さなテーブルに、一人で座っていた。
 僕は彼女の所に近づき、勇気を出して声を掛けた。
「ハーイ」
 彼女は僕を見るとびっくりして、それから微笑んでくれた。
 そこにインド人のボーイがすかざずやって来て、上機嫌に二人を見ながら
「フィフティ、フィフティ」と言って僕に席を勧めた。
 僕は、それまで彼女一人きりだった丸い小さなテーブルに向かい合って座わり、ボーイにオレンジジュース・ウィズ・アイスクリームを二つ注文した。彼女に奢ろうと思ったのだ。
 彼女は、僕が勝手に二つ注文するのを見て笑った。
 他のどんな女性よりも格段に美しく魅力的に見えた。
「どうして突然行ってしまったの?」
 彼女の問いに、僕は黙って、ただ彼女を見つめていた。
 するとさっきのインド人がアルミの丸いお盆にジュースをいくつも乗せてやって来た。インド人にしては素早い対応だ。
 ボーイは、その中から乳色をしたアイスクリームがこんもりと乗ったオレンジ・ジュースを二つ摘みあげると、また「フィフティ、フィフティ?」と、語尾を上げて、インド人特有の巻き舌でしゃべった。
 こいつはバカの一つ覚えか!と思ったが、よく考えると50と50を足すと100になる。そうか、勘定を別々に払うか一緒に払うか聞いているんだな。同じ文句で色々使えるもんだな。そう思って慌ててポケットから小銭を出し、二つのジュース代にチップも弾んでボーイに手渡した。
 すると彼はお金を受取ながら、首をバネ仕掛けの人形のように横に振って上機嫌に二人を見ながら、また「フィフティ、フィフティ」と言ってニコニコ笑いながら去って行った。

 テーブルの上には二つのジュースが並んでいた。
 それを飲む二人。
 50と50を合わせると100になる。
 100は完全な数字だ。
 彼女と僕も50と50。
 男と女
 プラスとマイナス。
 合わせると完全になる。
 半分と半分がお互いを必要としている。

 すっかりインド人に乗せられて、僕は上機嫌にそんなことを考えていた。
 でも彼女は、果たして僕のことを必要としているのだろうか? と、ふと頭によぎった。
「僕は、これが一番好きなんだ」
 アイスクリームの乗ったオレンジ・ジュースを持ち上げて彼女に示すと、彼女はにっこり笑って、冷たくなって汗をかいているガラスコップを手にとって、ストローをすぼめた唇にくわえた。
「アーハ」
 ジュースを飲み込むと語尾を上げて返事をした彼女の大人っぽい声は、ジュースをストローで吸い込む仕草とは不釣り合いのようで、余計セクシーに感じた。
 僕もアイスクリームの溶けかかった甘酸っぱいジュースをストローですすりながら、中学生レベルの英語で彼女に尋ねた。
「この近くのホテルに泊まってるの?」
 彼女は別にたいしたことじゃないといった素振りで首をふり、
「私の泊まってるホテルのレストランのカレー、とってもおいしいのよ」
 と答えた。
 彼女は、さっきのレストランで食事をしなかったのだろうか?
 僕と同じように出てきてしまったのだろうか?  あの男を置いて・・・。
 だとすると、彼女も僕と同じように腹ペコのはずだ。
「僕も食べてみたいけど、どこにあるの?」
 すると彼女は、「あなたはインドに来て、どの位たつの?」と、はぐらかすように僕の目を見つめた。
「まだ、一カ月にもならないよ。でも、僕はもうすぐ日本に帰らなければならないんだ。僕は高校生で、春休みにここに来たんだ。僕は今、一七才なんだ」
 必死で英単語をつなぎ合わせて彼女に説明した。
 彼女は少し驚いた様子で「あなた、高校生なの?」と言って、それに付け加えて
「本当に?」と目を丸くして微笑んだ。
「春休みは、もうとっくに終わってるから、僕は今、高校三年生だけど・・・。僕は、あなたが好きなんだ」
 僕は馴れない英語で何を言っているのか自分でも分からなくなっていた。年上の彼女は、まるで子供をからかうように笑った。
 僕は英語でしゃべった。
「僕はあなたを愛している。だから、あなたの名前を聞きたいんだ。あなたの名前は何ていうの?」
 必死で英語でしゃべっているせいか、自分でも驚くくらい正直にストレートに思っていることを全部吐き出している自分に気付いた。
 でも僕は、彼女に失礼だと思ったから、彼女の年令も国籍も聞くまいと思った。
「私の名前は、マ・アナンド・パリナーマナよ」
 彼女はグルから与えられたサンスクリット語の名前を教えてくれた。
「それ、どういう意味?」

Posted by hoshius at 23:51  |Comments(0)TrackBack(0) | インドにて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グラス・クラッシャー

 僕はホテルに戻った。
 部屋に辿り着くと、小俣さんがいた。
「シターラ、いい女と出かけたな!」
「え? 見てたの?」

 部屋の奥には、広いコンクリート製のシャワールームがあり、そこにに洗面台があった。
 蛇口を捻ると、冷たい水がチョボチョボ出てきた。
 ガラスコップに水を注ぎ、うがいをしようとして口に運んだ。
 そのとき、うっかり手がすべってコップを床に落としてしまった。

 チャリーン!

「うっワーー!」

 僕は思わず大声を上げた。
 それを聴き付けた小俣さんが向こうから叫んだ。

「大丈夫?!」

 部屋に戻ると、小俣さんはガンジャのジョイントを巻いていた。

「怪我しなかった?」

「うん。大丈夫
 びっくりした?」

「シターラの声にビックリしたよ」

 彼は鼻で笑って、ジョイントに火を付けた。
 前歯の間で息を吸って、煙を肺に入れ、そのまましばらく息を止めてから、ゆっくり煙を吐き出しながら、彼はジョイントを僕の方に差し出した。
 割れたガラスを片付けないと、と思いながらもジョイントを受け取り、煙を肺に入れ、息を止めた。

「グループ、もう終わったんだ?」

 小俣さんはそう言うと、僕の渡したジョイント受け取り、煙を吸い込んで息を止めた。

「いや・・・」

 僕は、また差し出されたジョイント受け取り、煙を吸い込んで息を止め、ゆっくり煙を吐き出しながら言った。

「ちょっと出かけてくる」

 僕は、灰をこぼさないように、小さくなったジョイントを立てて彼に返し、部屋を飛び出した。

Posted by hoshius at 23:37  |Comments(0)TrackBack(0) | インドにて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月23日

山師グルジェフ

 夜の8時が近づいてくると、お腹がすいている二人の足は、自然とレストランを物色していた。
「OK? Finish?」
 僕は、めぼしいレストランの前で、たどたどしい英語で彼女に言った。
 彼女は僕の手をとって、一緒にレストランに入ってくれた。
 必死で人ごみを掻き分け、なんとかテーブルを確保した。
 すると突然、後ろから誰かが声をかけてきた。
「きついワークだったね!」
 英語で語りかけてきた男の大声で、僕の夢は醒めた。

 僕はきついなんて全然思わなかった。
 むしろ彼女となら楽しくて永遠にでも続けていたかったくらいだ。
 でも、腹がへったのは事実だ。
 だから、このレストランに入った。
 でも、オマエなんて知らないよ。
 馴れ馴れしく声掛けるんじゃないよ。

 そんなことを思いながら、振り返って見た。
 そこには、イタリアンっぽい男がオレンジ色の服を着て立っていた。髭をはやし、たくましく日焼けし、肩幅が広く、男は、その声と同じように自信に満ち溢れていた。
 きっと今日のワークも面倒な子供の遊びとしてしか考えていなかったのだろう。それが終わって、ビールでも飲みに来たのだろう。そんな様子だった。
 しかし、男は僕を無視して、なんと、彼女に方に近づいて行ったのだ。
 そして、にこやかに二人は、僕には理解できないヨーロッパ語で会話をし始めた。
 男は、はじめから彼女に声を掛けたのだった!
 そのことを悟った瞬間、僕はそこに呆然と立ち尽くしている自分に気づき、慌てて男に席を譲って、レストランから駆け出した。

「誰も信用するな。自分さえも!」
 グルジェフの有名な格言を思い出した。
「おのが不幸に気付かない者は幸福である」
「ひとりが沈めばひとりは上がる」
「真実は良心を安らかにする」
「我は汝にして 汝は我なり
 彼は我らのものにして
 我らは彼のものなり
 隣人においてもかくあらんことを!」

 僕はグルジェフの格言が好きだった。
 人間が真の自己に目覚め、“私”があってはじめてリアルになる人生を送るためには、“神”さえも欺く狡猾さが必要だとグルジェフは言う。そして彼は、従来の宗教に代わる“第三の道”を提唱した。
 自己留意(self remembrance)によって外的内的な対象に対する“非同化”を訓練する様々な“ワーク”と呼ばれるメソッドを考案し、無自覚な下位のエネルギーを昇華することによって、絶対神から下降する生物学的展開(1nvolution)の流れに逆行して、造物主へ遡る真の進化(evolution)の上昇流に乗ることができると弟子に説いた。
 今日体験した両手をばらばらに動かすムーブメントも、今までやっていたシャタティとシュマイのワークも、グルジェフが考案した初歩的自己留意のメソッドだったのだ。
 グルジェフによれば、「人間は機械である」という。
 その“機械”に“生物学的な”という接頭語を付ければ、「人間は“生物学的”な機械である」ことになる。その方が正確な言い方かもしれない。
 世界認識の手段である感覚器官と、その情報処理の過程で参照するデータベースとしての記憶や概念を、自己保存のために進化の流れにそって獲得してきた“進化する生物学的機械”だ。
 しかし、個人の意識は、物事を認識する過程には無意識であり、いわば生物として無意識に限定された世界を、機械的に認識しているに過ぎない。
 人間という生物の五感は、生まれながらに遺伝的に獲得されている。しかも、視覚は可視光線を赤、青、黄の三原色に分解して認識し、20分の1秒以下の瞬間的映像は認識できないという。
 また、聴覚は20〜2万Hzの周波数を聴き取っているにすぎない。
 しかもそれらの感覚器官は、単細胞生物から徐々に進化する過程で複雑な細胞間の代謝や免疫系を発達させるなかで構築してきた自立神経と中枢神経の発達によって獲得されたものであり、種によってその機能もさまざまに“既に”確定されている。
 人間は生まれながらにして“人間の世界”を認識しているのであって、ハエの目で世界を認識することはできないし、ましてイカの目で世界を見ることもできないのだ。
 しかし、進化の流れに逆行して、そこから流出した“原初の神”へと遡る“真の進化”(Involution)を達成する方法が存在するとグルジェフは言う。

 異性とパートナーになること。夕食はワークが終了するまで一切口にしないこと。車や人がごった返すマーケット・プレイスに行くこと。そして、男女二人が夜、街中に放り出されること。それらはすべて、人間の本能的欲望を刺激するようにあらかじめ設定されていた、ワークのための環境だったのかもしれない!
 一七才の僕は、生物学的本能のうちで一番性欲が勝っていたのだろうか? 食欲や闘争本態などは、美しい異性を前にしては後退し、彼女に向かうエネルギーは僕の中に自己保存本能の幻想を生みだしていたのだろうか?
 グルジェフの仕掛けた網のうちで、たまたま美女とパートナーになった僕は、性欲の網に見事にからまった無自覚で哀れな魚同然だったのだ!

 知性のセンターが働かない人間を、グルジェフは御者のいない馬車に例えている。
 “知性(高次のセンター)の象徴としての御者”のいない馬車は、“下位のセンターである馬”の本能的要求に引っぱられて、ただ闇雲に突き進んで行く。そして、そのような馬車に乗ってしまった乗客は、行き先も告げることができずに、ただ“運命”に身を任せて何処に行くのかも判らない馬車に乗っていることしかできない。結局、御者のいない馬車の行き着く先は、十中八、九、海に突き出た断崖絶壁と相場が決まっている。偶然にでも、極楽浄土には連れて行ってはもらえない。崖っぷちから転落する馬車から「こんなはずじやなかった! どおしてくれるんだ!」と叫んでみたところで後の祭り。そもそも文句を言う御者さえいない馬車に乗り込んだのだから・・・というわけだ。
 恐るべし! 山師グルジェフ!
 “機械としての人間”の、あらゆる行動パターンを見通して、彼はワークを考案したというのか?
 そして、まんまとこの僕も、下位のセンターに突き動かされる“本能人間”、否、“リビドー人間”として、彼の分類した範疇に属する行動パターンを演じ、まんまと網に引っかかった魚同然、漁夫の利をあのヒゲづらのイタリアンに奪われた。
 だとするなら、僕に必要だったのは、やはり“self remembrance”だったのだろうか?
 それとも「彼は我らのものにして我らは彼のものなり。隣人においてもかくあらんことを!」と言って済ますことなのか?
 否、絶対そんなことは認められない!
 そんな問題じゃないんだ!
 彼女の存在は、
 そんなワークのためのダシ以上の存在だったのだ!
 僕にとってワークよりも、セルフ・リメンバランスよりも、彼女のほうが大切だった。

 グルジェフ糞食らえ!
 山師グルジェフ!
 それにあのイタ公
 スケコマシ野郎!
 いつか目にモノ見せてやる!
 覚悟しておけよ!

Posted by hoshius at 00:52  |Comments(0)TrackBack(0) | インドにて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月22日

シャタティ

 二人は、街のメインストリートでリキシャを降りた。
 僕は、名前もまだ聞いていない彼女を前にして、ドギマギしていた。
 やはり真面目に、さっき説明されたワークを彼女とやらなければならないのだろうか?
 でも、こんなワークを真剣にするなんて、馬鹿げているようにも思う。
 ブツブツとおかしな言葉をつぶやきながら街を歩いていたら、日本だったら通行人が白い目で見るに違いない。でも、ここインドでは、そんな事を気にする人は誰もいない。手のない人、脚のない人が道端に座り、バクシーシ(おめぐみ)を求めてきても、誰も見向きもしないで傍らを平気な顔をして通り過ぎる。人目を気にして着飾り、人格武装して、いちいち擦れ違う人をチェックしながら歩いている日本人とは大違いだ。
 それにしても、常に呪文を唱え、しかもその回数を数えながら街中を歩くのは、危険なのではないか? 頭の中は呪文の回数で一杯になって、周りを気にする余裕もない。その上インドに来てまだ一カ月も経たない僕は、いったいどこに向かって歩いて行けばいいのか?
 そんなことをあれこれ悩みながら、彼女に一言も話しかけられないまま、僕は焦っていた。
 頭が一杯になりながらも、彼女と二人でしばらく歩いた。
 一緒に歩いていると意外なことに気づいた。
 二人で向かい合って座っていたときには、彼女の美しい骨格も筋肉もしっかりしたグラーマーな女性に見えたのに、立って歩いていると僕よりも背が低く、華奢な感じがしたのだ。
 すると突然、彼女が天使のような声で「You say シャタティ」と、僕に話しかけてきたのだった!
 何の心の準備もできていないのに、僕は慌てて口を開いた。
「シャタティ」
 間抜けな声で、僕は言った。
 もう始まってしまったのだ!
 これから8時まで、この呪文を繰り返さなければならないのだ!
 始めてみると呪文を唱えるのは思ったより簡単だった。頭が混乱するまでもない。
 まるで子供の遊びのようで下らない気もする。
 でも、僕が冗談めかして呪文を唱えても、彼女はすかさず正確な数の返事を真面目に返してきた。
「シュマイ、シュマイ、シュマイ、シュマイ、シュマイ、シュマイ」
 彼女の「シュマイ」の発音は独特で、唇をとがらせ、回数を指で数えている彼女の姿は、滑稽にすら感じた。
 もうこんなワークはやめにして、二人でチャイニーズ・レストランにでも行こうよ。そして、スプリング・ロールでも食べようよ。そう彼女に言いたいのだけれど、英語もろくにしゃべれない僕は、しかたなく条件反射のようにこう言うしかなかった。
「シャタティ、シャタティ」
 呪文を唱えながら街を歩いていると、進む方向もまったくの行き当たりばったりで、夢遊病者になったようだ。
 二人は街を歩き回った。
 普段歩いているときは、頭は思考でいっぱいだった。前から来る通行人の目を見て相手を評価したり、店先の商品を見て何を買う訳でもないのに選んでいたり、自分が誰かに見られていることを意識したり。
 しかし、彼女と呪文を唱えながら歩いていると、頭は呪文の数を数えることに集中して、つまらない想いはよぎらなくなくなる。
 普段は、怒りでいっぱいになって街を歩いていた一七才の僕は、もし誰かが肩に触れでもしたら、怒りに火がついて、そいつの襟首をつかんでいただろう。そのような殺意を必死で抑えて、僕は町を歩いていた。
 怒りは恐怖の裏返しだ。常に危険を予測し、アドレナリンが何時でも分泌できるように準備している。何も悪いことはしてないのに、警察を見ると目をそらし、権力ヘの憎悪が沸き上がって来るのも、武装した警官を見て、逃げるか攻撃を仕掛けるか、ふたつにひとつの動物的闘争本能がかき立てられるからだろう。僕は動物的本能の警戒状態で今まで歩いていたのだ。
 しかし今は怒りや恐怖を感じる余裕がなく、アドレナリンの自家中毒もなくなり、なんだかいつもより身体が軽くなったような気がした。
 身も心も軽やかで、ユーモアを感じる余裕さえある。
 僕は、思った。
 ただ、ずっとこのまま、この女性と歩いていたい。
 何処に行く訳でもない。
 目的も行くあてもなく、ただただ歩き続けていたい。
 彼女が誰なのか、名前も年も知らないまま
 抱き合う事もなく、会話を交わすこともなく
 彼女といつまでも歩いていたい。
 彼女を見ていると、何故かとても小さく見える。
 一人ぼっちに見える。
 インドの雑踏の中、彼女はとても無防備に見える。
 僕は彼女を守ってやりたい。
 本当は、人間は、いつもひとりぼっちなのだ。
 雑踏の中にいても、人間は孤独なのだ。
 いつもは、何かに気が紛れ、そのことを忘れている。
 しかし、呪文を唱えて歩いていると、忘れていたことを思い出す。
 いかに外に気を取られて、エネルギーを浪費していたか。
 ショー・ウインドーを眺め
 何を買おうか迷ったり
 何を食べようか迷ったり
 何を着ようか迷ったり
 擦れ違う人を眺め
 自分と比較したり
 友人と比較したり
 親と比較したり
 そんなことばかり
 エネルギーを浪費して
 今まで僕は歩いていたんだ。
 このワークは成功だな。
 どうせ子供の遊びのようなものだろうと嵩を括っていたけれど
 単純なわりには奥が深い。
 それに、これ以上のパートナーを見つけようったって見つからない。
 こんな美女とパートナーになった。
 その上、ワークが終了したら、今日のグループは解散
 あとは二人で何をしようと自由だなんて!
 まるで、このグループは
 ふたりでセックスするように仕向けているみたいだ。
 僕は彼女とこのあと、何をすればいいのだろう?
 彼女は、僕のことをどう思っているのだろう?
 ワークが終わったら即 「Good night! See you!」
 じゃ、つまらないし
 それじゃ、もともこもないし
 第一そんなこと絶対言えないし
 彼女になんて言えばいいのだろう?

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2005年01月14日

ドイツ人女性との出会い

 次に受けたグループも、グループリーダーは女性だった。彼女の指示に従い、三日間泊り込みで参加している多国籍のメンバー同士、ゲーム感覚で様々な心理療法を体験する。
 最終日の三日目のことだった。
 その日のことは忘れられない記憶となった。
 グループのリーダーに、誰か異性とペアになるように言われ、相手を探していたときのこと。彼女は、深紅の軸無しローブを纏っていた。ドイツ人だと思った。すごい美人だった。だから僕は彼女を見ていた。本当は、このグループセラピーの初日からずっと、彼女のことばかり見ていたのだ。でもあまりに美しく、日本人の僕にはかけ離れた存在のように感じられたので、今まで一度も、彼女に近づくことさえできなかったのだ。しかし、彼女の方から、きらきらした目で、僕に微笑んできてくれたのだった!
 グループリーダーは、相手を見つけたら向き合って、蓮華座に座るように皆に指示した。
 僕が先に座り、彼女は後からゆっくりと白い大理石の床に座った。そのとき、象牙色をした彼女の柔らかい太腿が、ローブの裾から大胆に丸見えになった。
 彼女は平然と裾を直した。それが僕にどんなにショックを与えたか、ぜんぜん自覚していないらしい。東洋人のように両手を太腿の上に置き、豊かな胸に息を吸い込んで、僕の目を見つめた。
 ウェーブした黒い髪、どことなくジャクリーン・ビゼット似の均整のとれた白い顔、つんと高い鼻と肉付きのいい二つに割れた顎。
 どこをとっても魅力的で美しく、いや、あまりにも魅力的すぎるので、僕は彼女の目の前に座っている自分が恥ずかしくなるほどだった。
 二十五、六かそれ以上だろう。十七才の僕は彼女の色気に圧倒され、異国の大人の異性が僕と向かい合って座っていることに驚愕した。
 グループリーダーからお互いにアイコンタクトをするように言われ、僕は彼女の目を見つめなければならなかった。
 美しいグリーン色のとても大きな目。その魅力的な目が僕を見つめている。
 彼女は落ち着いていて、ゆったり微笑んでいた。
 僕は彼女が好きになりそうで、とても落ち着いてゆったりできる気分ではなかった。彼女はそんな僕の気持ちを察して微笑んでいたのかもしれない。しかし、彼女の気持ちを直接言葉で確かめることはできない。無言で見つめ続ける彼女の瞳の中に、彼女の気持ちを読み取り、想像するしかなかった。
 しばらくアイコンタクトを続けていた。十分か十五分も過ぎただろうか。そのうちに、お互い目の表情だけで、相手の目に映っている自分がどう見られているのかを知ることができるような、不思議な感覚を覚えるようになった。
 グループリーダーがお互いに両手を前に出して、手の平を合わせるように言った。
 僕は彼女と接触するのだと思うと心臓が高鳴りだした。そして、震える手を差し出して、お互いに目と目を見つめ合ったまま、ゆっくりと両手を挙げた。
 彼女も自分の両腕をゆっくり上げながら、手の平を僕の手の平にそっと押し当てた。
 僕の指に絡まった彼女の細く柔らかい指は、繊細そのもので、指だけ触れ合っているだけなのに、彼女の身体全体に触れているような気がした。
 長く美しい彼女の腕がノースリーブの袖から伸びて、ギリシャ彫刻のような白い肩から脇の下まで見えた。優雅でほのかな香りが、そこから漂ってくる。
 グループリーダーは、お互いに手の平を合わせたまま、片方の手で四角形を描き、片方の手で8の字を描くように指示した。
 それぞれの手で別々の図形を同時に描くというのは、なかなか難しい。相手と呼吸をぴったり合わせなければうまくできない。
 彼女は僕を見つめたまま、手の平を合わせた腕をゆっくりと動かし始めたが、こんなややこしいことをするのはどうやら苦手のようだった。
 彼女の唇からきれいに並んだ白い歯がこぼれた。
「難しいわね」と言っているみたいに笑いながら、(しかし、グループの最中は、私語を慎まなければならない決まりだったので)彼女の声を聞くこともできず、僕は、ただ、彼女の声を、そして、言葉を想像していた。
 右脳と左脳を別々に働かせるのは、どうやら分裂している僕の方が、彼女よりもうまいらしい。バンドでドラムをやっていて、レッド・ツェッペリンやキング・クリムゾンなどの変拍子をコピーしていたから、左手と右手を別々に動かすのは、他の人よりも得意だったのかもしれない。
 僕は、彼女をリードしてあげようと思い、彼女の手が合わせられている自分の手を、片方は四角形に片方は8の字にゆっくりと動かし始めた。すると彼女は、僕の目をじっと見つめて、素直に僕の動きに従った。
 やがて、今度は手を代えて、四角形と8の字を別方向に同時に描くように指示された。
 今や彼女は、僕の手に自分の手を合わせただけだ。すっかり腕の力を抜いて、僕の動きに任せている。僕にサレンダーしているみたいに・・・。
 しかし、だんだんとグループリーダーが要求する分裂行動は度を越して難しくなり、二人はうまく呼吸とリズムを合わせなければ、このムーブメントを遂行できない状況になってきた。
 冷や汗をかきながら、僕は必死で彼女をリードした。自分を信頼してくれている彼女を失望させたくない。
 お互いにじっと目と目を見つめ合ったまま両手を合わせ、うなずき合って確認し合いながら・・・。二人で一つの動きを・・・。リズムを合わせて・・・。
 複雑な動きでも、一度コツがつかめれば、リズムをマスターできるものだ。あとはパートナーと呼吸を合わせて、ドラムの練習のように、一定のリズムを刻めばいいのだ。しかし、ドラムの練習と一つ違うのは、相手と一体になって、ひとつのリズムを刻むことだ。まるで、メイク・ラブをしているみたいに・・・。
 沈黙したまま目と目を見つめ合い、まるで魔術師が魔法を懸ける動作のように、両腕をゆっくりしたリズムで動かしていると、いつの間にか時間が止まったように感じられ、催眠術に懸けられたような不思議な気分になってきた。しかも、相手がどうしようもなく好きになってしまいそうで、手の平だけでなく彼女の全てと合体したいという衝動が突き上げてきた。
 優雅な彼女が欲しくてたまらない。苦痛を覚えるほどに・・・。
 十七才の僕は、彼女にどう映っているのだろう? 僕を坊やのように感じているのだろうか?
 もし、彼女に愛を告白したら、彼女はなんて言うだろうか?
 いやいや、だれか男がいるに違いない。いないわけがない。
 彼女は、その男にとても愛されているだろう。でも、僕は、彼女の魅力に夢中になりそうだ。
 彼女は笑うだろう。「この東洋人の坊やが私に恋していると言うのよ」と言って。それも僕の知らないドイツ語で彼女の男に言うのだろう。二人は僕を見て、声を上げて笑うだろう。
「そうか、幸運を祈るよ」と男はジョークを言うかもしれない。しかし、ドイツ語も話せない僕は、ちんぷんかんぷんで立ち尽くし、バカみたいに人のよさそうな笑いを浮かべて、その姿がまた滑稽で二人は大笑いするだろう。
 英語もろくに話せない僕は、彼女にどんな言葉をかけたらいいのだろう?
「アイ・ラブ・ユー」なんて言ったら、僕はただの単純バカだと思われるだけだ。
 でも、これが最後のチャンスだ。
 このセッションが終わったら、僕は彼女に絶対に何か言わなければならない。例えば?
「楽しかったね」とか?
「名前はなんていうの?」とか?
 そんなことを考えているうちに、やがてグループリーダーが大きな声で終りを告げた。
「Take deep breath・・・・これで、このセッションは、おしまいです」
 会場にため息が漏れた。
 彼女は、僕の目を見つめたまま、満足そうに笑い、肩で息をした。
 これで、三日間に渡るグループ・セラピーも終りだ。そう思うと、僕は、がっかりした。そして、目の前にいる彼女に抱きつきたい衝動を覚えた。
 しかし、そのとき
「今日の夜、今あなたの目の前にいるパートナーと一緒にやってもらうワークを説明します」と、グループリーダーが言った。
 僕は我に帰った。
「まだ、彼女と何かできるんだ!」
 気を取り直し、グループリーダーの説明に耳を澄ませた。
「夜、七時になったら、今のパートナーとアシュラムのゲートを出発します。ふたりでどこへ行ってもかまいません。ただし、できるだけ人込みの多いマーケット・プレイスへ行くようにしてください。  街に出たらワークを始めます。
 ワークが終わるまで食べ物は一切口にしないように!
 それでは、そのやりかたを今から説明します」
 僕は、わくわくする興奮を押さえることが出来なくなった。
 美しい彼女とまた夜一緒になれるなんて、僕はなんて幸運な男なんだ! そして、偶然彼女とパートナーを組んだのも、何かの運命に違いないとさえ思い始めた。
「ワークを始めたら、私語は一切してはなりません。
 まず、一人が「シャタティ」と1回言う。
 もう一人は「シュマイ」と6回言い返す。
 次に、一人が「シャタティ」と2回言う。
 もう一人は「シュマイ」と5回言い返す。
 次に、一人が「シャタティ」と3回言う。
 もう一人は「シュマイ」と4回言い返す。
 次に、一人が「シャタティ」と4回言う。
 もう一人は「シュマイ」と3回言い返す。
 次に、一人 が「シャタティ」と5回言う。
 もう一人は「シュマイ」と2回言い返す。
 次に、一人が「シャタティ」と6回言う。
 もう一人は「シュマイ」と1回言い返す。
 OK? アンダースタンド?
 1セット6回呪文を唱え合うんですよ。
 そして・・・
 今度は 「シャタティ」と「シュマイ」を入れ替えて、また最初から始めるのです。
 ユー・アンダースタンド?
 これを永遠に繰り返すのです。
 間違えたら、また「シャタティ」1回から始める。
 OK?」
 みんなから笑い声やら溜め息やら、どよめきが起こった。
「夜8時になったら終了してそれぞれ解散してください。
 それまで、夕食は一切食べてはいけませんよ。
 OK?
 簡単でしょ?
 それでは、気を付けて!
 Good Luck!
 これで、このグループはお終いです。
 みなさん、ありがとう。
 Good Luck! 」
 えっ! なっだって? これから彼女と二人で夜の街に出て、それから、呪文を唱えて街を歩き、そして、終ったらそのまま解散!? あとは何をしても構わないだって!
 ずいぶん開放的なんだな。というか、自由奔放というか。まるで、彼女と一緒に夜を過ごせと言っているようなもんじゃないか?!

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2005年01月10日

私は誰か?

 アシュラムでは、様々なグループ・セラピーが行われていた。
 グル・ラジネーシのダルシャンを受けると、どのグループを受けるか指示される。
 それは、言ってみれば、スポーツ選手が監督からトレーニング・メニューを与えられるようなものだろう。しかし、グループ・セラピーのメニューは、肉体を鍛えるためのものではない。“精神を改造する”ためのものだ。そして、当時開発され始めていた様々な心理療法が、ラジネーシ・アシュラムではいち早く取り入れられ、アレンジされ、実践されていた。
 80年代に入るとヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントが流行し、一般にグループ・セラピーが泊り込みで行われるようになった、が、ラジネーシ・アシュラムは、その先駆けの実験場のような存在だったのかもしれない。しかも、1つのセラピーが終了すると、また次のグループを受けるのである。
 インドに滞在している間は、このグループをいくつも消化し、さらに朝夕の過激な瞑想も行う。もちろん強制はされない。ただ、メニューが提示されるだけだ。もちろん、人によって皆違うメニューがグルから与えられる。
 その中に、“インテンシブ・エンライトメント”というグループがあった。3日間アシュラムに泊り込み、ひたすら「私は誰か?」という問いを問い続けるのだ。
 ラマナ・マハリシという聖者がいる。彼は生涯「私は誰か?」と、問い続けたという。
 また、仏教の空論では、全ては生々流転し、存在するものには実体がないとする。もちろん我もない。“無我”である。
「私は誰か?」と問い続けるのは、一つのテクニックだとされる。この問いを自らに問うことによって、今まで身に着けてきた様々な自己のアイデンティティーを一枚一枚剥ぎ取っていく。そして、何物にも捕らえられない真の自己を発見する。真の自己、それは、“無”である。ちょうど車輪の中心が“無”であるように、車輪の有用性は、この“無”にある。しかし、私達は、その外周こそ車輪なのだと認識している。しかし、果たしてそうなのだろうか? はたして私は肉体だろうか? 私は、男だろうか? 私は高校生だろうか? 私は日本人だろうか? ・・・・・
 と、延々とやっていく。
 このグループでは、必ず、二人が一組になる。そして、お互いが向かい合って座り、目と目を見つめ合って(アイコンタクトして)、相手に向かって「私は誰か」を話し続ける。もう一人は、その話しに対して一切反応をしてはいけないことになっている。答えたり、口を挟んだり、頷いたり、笑ったり、顔をしかめたり、一切反応してはいけない。ただ、じっと相手の目を見て、「私は誰か」を話すのを聴いている。そして、グループ・リーダーの指示で、話し役と聞き役を交代する。また、時間がきたら、リーダーの指示によって、ペアを組む相手を代える。私的な会話は、一切してはいけないことになっている。
 このグループでは、様々な人とペアを組んで、3日間、これを延々とやり続けるのだ。
 英語もろくに話せない僕は、当然、日本語で外国人に語る。慣れてくると、ブロークンの英語を使ってしゃべったりもした。どうせメチャクチャでも相手は何も反応しない。わかっていようといまいと構わなかった。また、相手が、英語でしゃべってくれれば、いくらかは理解することができた。でも、英語だけとは限らない。何を言っているのかさっぱりわからない言葉で話されることもある。でも、どおせ何も反応してはいけないのだから同じことだ。
 だんだんと、飽きてきた。耐えられなくなってきた。無意味に思えてきた。だんだん、「私は誰か」とはまったく関係の無いことを一方的にしゃべっている。相手も、ぜんぜん違うことをしゃべっている。「今日、朝でた、スイカはおいしかった」とか、「お昼は何が出るのだろう」とか、泊り込みで、食事も出され、その量も少ないので、3日目にもなると、だんだん食べ物の話ばかりになって、「私は誰か」どころではないような気もしてくる。
 ついには、「バカみたいだ」と思えてきた。
「私もバカだし、あなたもバカ。 みんな低脳。どうしようもない」
 そして、僕は黙り込んだ。
 黙り込んだらいけないのだ。
 でも、ついに黙り込んでしまった。
 黙り込んでいることに何のフラストレーションも感じなかった。
 だから僕は黙り込み続けた。
 すると、グループリーダー(女性)が、僕を別室に呼んだ。
 何故黙っているのか?
 僕は黙ったままだった。
 言葉で説明できない。
 まして、英語で説明できない。
 すると、彼女は、僕を罵倒しはじめた。
 僕は黙っていた。
 しかし、こう言った。
「僕は静かなんだ」
 彼女は、僕をバカにして、何もわかっていないと言った。
 あなたは、ぜんぜん何もわかっていない。もう一度戻って、ちゃんとしゃべりなさい、と言った。
 でも僕は「わかっている」と答えた。
「ぜんぶ、全て、なにかもわかっている」と言った。
「僕は、落ち着いていて、とても静かなのだ」と言った。
「僕は、もうこれ以上やる必要はない。 静かで、満ち足りている」と
 すると、彼女は、「出て行け!」と命令した。
「今すぐ! 早く! 荷物をまとめて、出てけ!」

 僕は、荷物を置いてある部屋に戻り、自分の荷物を担ぐと、みんながまだ延々とやっている部屋を横切って、出口にむかった。
「シー!」
 その「シー!」のほうがよっぽど暴力的でうるさいほど大きな声で、物音を立てずに部屋を横切れと言って、グループのアシスタントが唇に人差し指を当てて僕を威嚇した。
 僕は、その命令に従わなかった。ドタドタと音が出るのは自然なことだ。なにもこっそり出て行く必要はない。出てけと言われたから出て行くまでのことだ。何故、そんなにコイツに気を使う必要があるのか?
 ドタドタと、部屋を横切り続けていると、グループのアシスタント(彼は男で、デカイ、金髪の長髪で、とにかくやたらに背がデカイ)が、「シー! シー! シー!」と更に、唇に一本指をあて、顔を突き出して、僕を威嚇した。
「少しは、ガマンしろよ!」「今、出てくからさ!」「そんな興奮するなよ!」「君だって、ブッディズムを知ってるだろ!」「これだから、西欧人はきらいなんだよ!」「東洋人をバカにしてんじゃないのか!」「コノヤロウ!」
と思いつつ、僕はドタドタ部屋を横切り続けた。
 すると、あのバカが、今度は、こぶしを挙げやがって、追いかけてきた。
「バカヤロウ。そんなに興奮するなよ。今、出てくからさ。ハイハイ出ていきますよ。出ていきますとも」

 デカイバカケトウに追い立てられて、僕は3日目、あともう少しで終わり、というところで、このグループを後にした。
 バカバカしい、と感じた。
 あほうドモ! 3日の「私は誰か?」で悟れるのかよ!
 単純バカ野郎めが! オレは黙っていたいんだよ! 私は誰か?なんてクソ食らえだ!
 バカヤロウ! オレは、貴様らのようなアーリア民族じゃないぞ! 東洋人だぞ!
 仏陀の国から来たんだ! 貴様らのような“サイコセラピー”の国から来たんじゃない!
 仏陀の瞑想の国から来たんだぞ! バカヤロウ! 静かに黙ってて何が悪いんだ!
 沈黙こそ美徳じゃないか! 沈黙にこそ、あらゆる言葉が含まれているんじゃないか!
 貴様ら左脳の、デカルトだのナチの国から来たんじゃないぞ!
 ここはどこだと思ってるんだ! インドは東洋だぞ! オレの髪を見ろ!
 金髪野郎めが! 黒髪をバカにするんじゃないよ! 貴様ら黒い髪をバカにした日には、とんでもないことになるぞ!
 いいか、“サイコセラピスト”よ! 覚えておけ! こんなくだらない“左脳ダマシ”のテクニックじゃ、なにもわかりゃしないってことよ!
 わかってないのはお前らのほうだ!
 半身、日本刀でぶった切って、貴様の左脳に見せ付けてやるからそう思え!

 憤慨してアシュラムを出た。
 平和そうに抱き合ってキスしてる西欧人のオメデタイ男女を、睨みつけながら。
 オイ! ここはリゾートか? それともここはハーレムか? それともここは貴様らの“ユートピア”か?! 聞いてあきれるぜ! 西洋人さんよ! ここは“メンタル・ヘルス場”かよ! “集団集中セックス場”かよ! もっとストイックにいこうぜ! ここが新しい“仏陀フィールド”だって言うんならよ!

 ホテルに戻ると、小俣さんがいたので、事情を説明すると、彼は笑って言った。
「オレもあのグループ受けたけど、楽しかったぜ。そんなにカッカすんなよ。いい女いただろ? もう、彼女と面と向かい合ってお話ができると思っただけで、興奮したぜ! シターラもいい女、みつけろよ! オレに言ってくれれば話つけてやってもいいぜ! 童貞なんだろ?!」

Posted by hoshius at 23:21  |Comments(0)TrackBack(0) | インドにて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハッシ・イーター

 夜になると、泊まっていたホテル・リッツの4人部屋に、どこからともなく日本人サンニャーシンが、4、5人、亡霊のように集まってくるようになった。
 髪の毛が尻まで長く伸びた古株らしいサンニャーシンの男が、いつの間にかガンジャの葉っぱを紙に巻いて、みんなに回していた。
 ホテル・リッツで一番大きく天井が高いその部屋は、香ばしい煙で白く霞み、スカイブルーの漆喰の壁、天井で回る扇風機が、ゆっくりと空の雲のように煙を空中に漂わせる。
 どこから来たのか、目がとろんとしたサドゥーのようなサンニャーシンが、棒のように突っ立ったまま、無言で回ってきたガンジャを吸っている。まるで“寒山拾得図”の禅僧のような、薄汚れた長い髪を頭の上で団子状に丸めた背のやたらに高いサンニャーシンも、回されたガンジャを当然のように受け取ってふかしている。オレンジ色のローブを貧乏くさく纏ったもう一人のサンニャーシンは、いつの間にか、そこにあったラジカセに“マジカル・マコ”だか“マジカル・ケメ”だか(名前は忘れた)のカセットをセットして、自分に回ってきたガンジャを受け取り、ヴォリュームを調整している。他にも、幾人か、他人の部屋のソファーにすっかりくつろいで、回ってきたガンジャをふかしている。
 この亡霊のような“訪問者”に、最初に適応したのは、小俣さんだった。
 ビニール袋に入ったガンジャの葉っぱを当然のように受け取り、テーブルの前に座って、紙巻タバコの紙に器用にまるめて、のりを舐め、小奇麗なジョイントを手際よく作った。
「小俣さん、巻くのうまいね」
 千葉大の伊藤さんがからかうように言うと、彼は鼻で笑って
「ハワイでやってたからね」
と言って、次々にガンジャを巻き、ジョイントを作って回し始めた。

 17才の未成年の僕は、そのとき、タバコすら吸ったことがなかった。
「え? タバコも吸ったことがないの?」
 同じ高校のOBがそう言って驚いた。
「僕は、いらないよ」
 みんながだんだん“ストーン”してくる中で、僕だけは、ただ、雲のように漂う煙を見つめていた。
 泉さんは、「うわー、バッドトリップだ!」と言って、ベッドに潜り込んでしまった。
 亡霊たちは、黙ったまま、小俣さんの巻いたジョイントを当然のように受け取り、“マジカル・マコ”の音楽に浸っていた。

「シターラ、いい方法があるよ」
そう言って伊藤さんは、ちょっとこっちに来い、息を全部吐いてから、ゆっくり吸ってみろ、と僕を誘導した。
 僕が彼の前に座って、言われたとおり息をゆっくり吸い始めると、彼はジョイントを思い切りふかして煙を口の中に溜め、僕の鼻腔に向けて吐き出した。
「どうだ? 入ったか?」
 それを見ていた、小俣さんは、
「シターラ、いい先輩がいてよかったな」
と鼻で笑った。
「誤解するなよ。口移しで煙りを吸わせたからって、俺はそういう趣味はないからな」
と先輩の伊藤さんは笑った。
「シターラ大丈夫だよ、吸わなくてもここにいるだけで効いてくるから」
と言いつつ、小俣さんは真っ白に煙った部屋を見上げた。
 すると、今まで黙っていた髪が尻まで長い古株のサンニャーシンが、下げていた袋から何かを出して、口を開いた。
「最高のがあるよ。 ハッシッシ。 これ、やらしてやるよ」
小さなチロルを子袋から取り出すと、そこに樹脂をつめて、今度は、それも回し始めた。
僕は、しかたなく吸ってみたが、むせただけだった。
 それを見ていた彼は、袋に入った樹脂を手でちぎると僕に渡して、「食べてみな」と言った。
 手渡された親指の先ほどのハッシッシ樹脂は、ベトベトしていてお香のような匂いがした。
伊藤さんはどうしても後輩に“ストーン”を体験させてやりたいらしく、「よかったな、そんなにもらって」と言いながら、僕がそれを食べるのを心待ちにして見守っていた。
 口に入れて、ニチャニチャ噛むと辛い味がした。
「どう? 効いたか?」
 伊藤さんは、目を輝かせて僕に尋ねた。
「いいや。なんにも」と僕は答えた。
 サーファーの小俣さんは、
「そんな早く効きやしないよ。じわじわ効いてくるんだよ。葉っぱをオムレツにして食うとうまいぞ」
と言って、ジョイントとハッシッシを交互にふかした。

 何も変わったことは感じられなかった。
 しかし、夜、ベッドに入ると、真っ暗闇の中、音が妙に聞こえるような気がした。今までとは違う“音の聞こえ方”だった。誰かが何かをベッドの金属にぶつけたのだろう。かん高い金属音が響いたとき、やたらにカン高く響くように感じた。
 そのまま、眠りについた。
 すると突然、僕はベッド上に、噴水のようなエネルギーに吹き上げられて舞い上がった!
 とてつもない“至福のエネルギーの噴水”に、体から抜け出して吹き上げられ、僕は肉体の上空、3mの所にいた。そして、この上も無い幸福感に満たされていた。
 あと、一滴でもこれ以上の至福の噴水に吹き上げられ、これ以上の幸福を感じたら、それは罪ですらあると感じるくらいの多幸感に満たさされたまま、僕はまたゆっくりと体に戻り、眠ってしまった。

 その翌日、ひどい腹痛に襲われた。水のような下痢をして何も口にできないまま、1日ベッドから起き上がれなかった。心配したサンニャーシン(名前は忘れてしまった)がホテルに来て、僕をアシュラムの病院に連れて行ってくれた。ドイツ人のサンニャーシン医師に彼は、(多分)“ドルヒフォール”だとドイツ語で説明してくれ、薬をもらった。しかし、病院を出ると、彼は、「インドの薬はとっても強くて副作用もあるらしいから、絶対にもらった薬は飲むなよ!」と訳の分からない忠告をしてくれた。
 僕は、ひどい下痢に悩まされながらも、薬は一切飲まずに過ごした。初めて“食べた”ハッシッシが効いていたのだろう。ひどい腹痛にもかかわらず、僕は朦朧としていた。何もやる気が起きなかった。2,3日、そんな苦しい状態が続いた。
 ベッドに寝そべったまま、日本から持ってきたノートに鉛筆で絵を描いた。
 すらすらとイメージが湧き、自然に鉛筆を動かしていた。
 そして、絵が完成したとき、今まで見たことも無いような自分自身の心象風景が、そこに描かれていた。
 僕は高校の選択科目で美術を専攻していたが、絵を描くことにさほど興味を持ってはいなかった。でも、その絵を描いて以降、絵を描くことが自分のアイデンティティーとも呼べるようなものにすらなってしまったような気がする。
 夜、例によって集まってくる亡霊たちに、僕の描いた鉛筆の絵を見せた。
 背がやたらに高い、髪の毛を頭の上に巻いたサンニャーシンは、その紙きれを手に持つと、じっと見つめて、爬虫類のように動かなくなった。
 しばらくして、その絵を返してくれたときに、彼はボソッとつぶやいた。
「いいね。 この作品」
 あとで聞いたのだが、彼は多摩美の学生だった。インドでの彼の姿は、まるで学生には見えなかった。乞食行者か、サドゥーのようだった。しかも、行ってしまった“無言の行”のサドゥー。彼と仲良くなり、チャイハナでチャイを飲んだが、彼は終始無言だった。

 “ハッシッシ・イート体験”は、僕にとって、一種の通過儀礼だったのだろう。それ以降、僕は“煙り”を吸うこともできるようになっていた。そして、心象風景を絵にすることもできるようになっていた。
 そのとき描いた絵を、今でも持っている。鉛筆で描いたので、こすれて見えにくくなっているが(フィクサチーフもかけなかったので)、スキャンしてブログ「オットー・マルスのネイキッド作品集」http://hoshius.exblog.jp/に掲載した。興味のある方はご覧あれ。

Posted by hoshius at 01:11  |Comments(0)TrackBack(0) | インドにて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月31日

ホテル・リッツ

“ホテル・リッツ”。
 この町では3つ星くらいのランクになるのだろうか? インドの旅行者が泊まる安ホテルではなかったが、ホテルのハデな看板がかえってわびしさを感じさせる。
 鉄柵の門を入ると、乾いた黄色い土埃の小さな庭がある。そこを通るとすぐにホテルのエントランスだ。
 ロビーと呼ぶには薄暗過ぎるカウンターには、いつも当然のように誰もいない。
 裕福そうに見える小太りの主人は、2階の階段の踊り場にある窓際の2人掛けの椅子にくつろいでいる。白い服を着て。のんびりと。昼間でも。
 階段は広く、白い手すりがついていて、途中で折り返している踊り場にはインドの木漏れ日が眩しい。
 2階の冷たい大理石の床は、そのまま広いレストランにまで広がっていて、電気の消えたホールは薄暗く、丸テーブルと椅子が幾つか並んでいる。
 高い天井には羽の扇風機がゆっくりと回っている。
 階段を上がり、白い服を着た小太りの主人に首を振って挨拶し、薄暗いレストランの端を通って角を回ると、大きなスカイブルーの木製の扉がある。
 銀色の大きなノブは固くずっしりしていて、一苦労してノブを回しても、重い扉はなかなか開かない。
 中に入ると、天井の高い広い4人部屋が広がっている。
 そこが僕の泊まっていた部屋だった。

 僕のベッドは、窓際の一番端だった。
 そこからベッドが3つ平行に並んでいて、4つめのベッドは、並んだ3つのベッドと垂直に窓際に置かれていた。
 僕の隣は、サーファーの小俣さんのベッドだった。
 彼はパーマをかけ日焼けしていて、僕よりも背が低いが太ももが太く、いつもポロシャツを着て短パンを穿いていた。軽い軟派師といった感じだった。
 サーファーになる前は、オートバイに乗っていたという。
「“雷族”って知ってるか?」と聞かれたが、僕は知らないと答えた。
 暴走族なんて、雷族に比べたら、腰抜けらしい。
 雷族はビート世代の、つまり50年代の流行で、オートバイに乗って暴走する走りだった。
 いわゆる“ビート族”は、仲間と“つるむ”ことはしない。最も破滅的で、刹那的で、エゴイストな連中だ。仲間と“群がって”強がっている“暴走族”とは、そこが違う。自分のポリシーを持って、自分以外の誰とも一切妥協しない。逆に、徹底的エゴイストだから、他人の行動に一切干渉しない。
 “ビート”と呼ばれる世代は50年代に始まる。メジャーな名前では、ギンズバーグやバロウズ、ケルアックなどのビート詩人がいる。また、「亀の島」を書いたゲイリー・スナイダーは、西海岸のビートだ。
 東海岸のビートは、ドラッグの強烈な洗礼を受け、精神の錯乱したカオス状態に故意に没入する。まるで、ドラッグによってどこまで人間の精神を破壊できるか自ら実験しているかのように・・・。自己の正常な精神、それがあたかも社会的倫理的条件付けによって成立している偽者の自己であるかのように・・・。野生の、いわば大脳旧皮質を剥き出しにすることが真の自由であり、神であると信じているかのように・・・。彼らは、“破滅”に快感を覚える。
 一方、西海岸のビートは、東洋の、特に“禅”の哲学に接近しているように思える。家を持たず、社会を持たず、神を持たず、自分だけが信じるものの全てだ。
 彼らの“放浪”は、あちらこちら世界を見て回るといったような積極的目的があるわけでもなく、まるで、自分のいる場所がないかのように“転げまわって”いる。はじめから安住の地など信じていない。乾いた自然の砂利道をあてどなく転げ回って、傷つき血を流す皮膚の痛みを、まるで生きていることの証のように確認することしか、生存の意味を見出せないかのように・・・。要するに、ビートは、絶望している。絶望していて、希望があることすら信じようとしない。
 だから、刹那的であり、快楽的に見える。
 しかし、そんな彼らの哲学とは裏腹に、他人に対してはものすごく優しい。
 以上が“ビート”に対する僕の定義だ。
 僕が今までに出会った人の中で、“ビート”と呼べる人は3人しかいない。
 小俣さんは、そのうちのひとりだ。
 彼は、外苑前の、今で言う“キラー通り”にあるブティックで働いているという。
「社長に1ヶ月休暇をもらったけど、帰ってもまた雇ってもらえるか解らない」と彼は言っていた。
 何故インドに来たのか? ラジネーシの思想のどこに惹かれたのか?
 僕たちは一切そんな話はしなかった。
 それでも、相部屋で一番仲良くなったのが彼だった。
 僕は17才。彼は20代後半くらいだったのだろうか?
 恐れを知らない若い僕は、最初、彼のことを軟弱な軟派男だと決め付けて“スケコマシ”呼ばわりしていた。
 しかし、彼は、そんな17才の僕の態度が可笑しいらしく、かえって僕を気に入ったようだった。
 彼の顔は、木造の一休のように見えた。もちろん、はるかに若いのだが。
「一休に似てるね」と言うと、彼は
「そんなこと言ったのは君が初めてだよ」と言って鼻で笑った。

 その隣のベッドにいたのが、泉さんだった。
 漫画を描いていて、人当たりがよく、とても優しい人だった。
 若い僕に一番親切にしてくれた。
 まるで弟のように僕を好いてくれ、彼が一人で外出するときは、
「シターラ、行ってくるよ!」と、必ず僕に声を掛けてくれた。
 でも僕は、そんな彼の態度に冷たく応じていた。
 彼には、どこだか知らないが地方のなまりがあり、僕は彼のことを“田舎者”だと思って少しバカにしていたのかもしれない。
 若い僕は、どんな態度をとろうと大目に見られていた。
 ところがある日、彼がラジネーシのイラストをサインペンで描いて見せてくれたとき、僕はその上手さに心底驚き、彼を見直した。
 僕の見ている前でサラサラと、ものの数秒で描き上げられたイラストはラジネーシそっくりで、しかも微笑んだ表情は、彼の性格まで見事に表現されていた。
 線は、少しの乱れもなく美しかった。
 二人組みでマンガを描いていると言っていたが、後に、泉昌之というペンネームでマンガの単行本が何冊も出版された。その中の一冊『かっこいいヤキトリ』は、ばかばかしいギャグマンガだったが、無意味なギャグの中に独特の哲学が感じられた。
 後に、雑誌にも『だんどり君』などの漫画が連載され、インドで一緒だった彼のことをとても懐かしく思い出した。
 きっとギャグの無意味さの中に独特の思想の深みが感じられるのは、二人組でも、彼の発想に違いないと僕は思った。何故なら、当時インドに旅行に来る若者はそんなに多くはなかったからだ。初めて“地球の歩き方”が“インド編”で出版された頃だ。思想的に何か一物持っている人でなければ、インドに行こうとする旅行者は誰もいなかったに違いない。しかし、その後、TVなどによく出演するようになったのは、彼ではなくもう一人のほうだった。僕と一緒の部屋だった泉さんは、シャイで目立ちたがり屋ではなかったのかもしれない。
 エラの張った細い目の彼は、わざわざ日本から持ってきた鋏で、ホテルの部屋で、自分で散髪をしていた。
 髪の毛を長く伸ばしたラジネーシのワイルドなヒッピーファッションのサンニャーシンたちの中にあって、小俣さんは小奇麗にパーマをかけローブは着ないでオレンジ色のポロシャツを着ていたし、泉さんは髪を短く散髪していたから、かえって目立っていた。
 しかし、逆に言えば、周りに染まらない彼ら独自のポリシーがあったということだろう。

 最後の一人、同居していた4人目は、千葉大の学生だった伊藤さんだ。
 偶然にも彼は、僕の通っていた高校の3年上のOBだった。
 僕は、高校2年生。春休みを利用してインドに来ていた。受験を控えた高校2年の最後の休み。でも“受験”なんてどうでもいいと思っていた。それに比べて先輩の伊藤さんは千葉大に入学し、大学生生活を送っていた。
 本来ならば大学進学を終えて、学生の自由の身になってインドに来ている彼を、受験生の僕はうらやましく思うのが当然なのだろう。しかし、インドに来ている彼を見て、僕は「なんで彼は大学に行ったのだろう?」という疑問を持った。そして、彼にぶしつけにもそんなおかしな疑問を口に出して質問してみた。
 彼は、気にもとめないかのように笑って言った。
「大学には初めから何も期待していないよ。東大や京大ならともかく、千葉大は自分にとってちょうどいいレベルなんだ。変に大学の名前で肩を張らなくてすむからね」
 東大や京大を受験しなかったのだから、彼は、それほどガリ勉はしなかったのだろう。当たり前のようにすんなり入れる大学に行き、やりたいことをやっている。
 両親はとても裕福で、家やマンションをいくつも持っていて、車も外車も含めて何台も乗り回しているらしかった。
 学生という自由な身分を利用してインドに来ている彼の中には、僕の持っているような頑なな反社会的、反抗的思想は微塵も感じられなかった。
 そんな先輩に対して、自分が高校に在学中であることを棚に上げて、僕は密かに思った。
「彼は大学を中退してインドに来るべきだった。学生の身分でサンニャーシンになって、ラジネーシの思想の何が解るというのだろう? 学生という保障付きで世捨て人になるつもりなのか?」と。
 僕が母校の高校生だと知って初めは彼も驚いていたが、日本の社会に属する母校の話は、ここインドにいては遠く色あせて、白けて感じられ、お互いあえて話題にもしなかった。

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2004年12月29日

貧しい裸足の少女

 インドには、日本とは違う独特の臭気漂う熱い空気が充満してた。
 4月の空は乾燥していた。
 街には独特の町の騒音が唸っていて、その中に小鳥の囀り、爽やかな風の音など、自然の音が混ざり合い、ウパニシャッドの太古から続くインドの悠久の時間がそのなかに溶解しているようにも感じられた。
 白い目だけがやたらに大きいインド人たちは、日本人のように他人の目を気にしない。無頓着で無関心に見えた。
 壁にもたれて、貧しい痩せこけたインド人があちこちらに座っていた。
 野宿をする貧民にとっても、この熱い空気の中でなら、明け方の夜露も冷たくはないのだろう。
 地べたに座り込んでいるインド人も、リキシャ乗り場でたむろしているインド人も、この独特の熱い空気に溶け込んでいる風景の一部のようだった。
 そのとき、茫洋とした額縁の中の風景画から、一人の幼い女の子が、僕のところに駆け寄って来た。
 4つか5つくらいだろうか?僕の腰の高さほどにも届かない小さな痩せた女の子だった。
 見ると、縮れた巻き毛は汗とほこりで真っ黒で、ボロボロの破けた茶色の布は垢だらけ。破けた服の間から、真っ黒な肌が見えている。土まみれの裸足で、僕の前に立っている。
 目ヤニで潤んだ大きな幼い目が僕を見つめ、小さな手のひらを差し出している。
 僕は、生まれて初めての経験に面食らった。
 咄嗟に、今何が起きているのかさえ理解できなかった。
 こんな幼い女の子がこんなに惨めな格好をしていることにショックを受けて、今にも涙が零れ落ちそうになったのだ。
 幼い目は僕を見つめ、何か言っている。
「バクシーシ、バクシーシ」
 彼女の訴える言葉を、突然僕は理解した。
 彼女は、お金を無心していたのだ。
「彼女にいったい幾らあげればいいのだろう?」
「1ルピー、10ルピー?」
「10パイサなら、少なすぎるだろうか?」
 そんなことを考えているうちに、まごついている僕を見捨てて彼女は走り去った。
 僕は取り残され、我に帰った。
 彼女に同情して今にも泣き出しそうだったのに、僕は何もできずに、無一文の彼女は潔く立ち去ってしまった。
 彼女を助けてあげられなかった無力感がこみ上げてきて、恵まれた日本からきた自分のひ弱さを思い知った。
 あんなに幼い子が、生きるために見ず知らずの大人にこんな朝早くからお金を無心しているのに、あの子のたくましさに比べてこの僕は、何も知らないこの土地で、いったい何をしているのだろう? 
 暗たんたる気持ちで立ち尽くしたまま、僕は自分自身に、そして、あの幼く貧しい哀れな女の子にささやいていた。
「よしんば、君が50パイサを手に入れたとして、君は、喜び、コインを小さな手に握りしめて小躍りして走り去ったとしたら、そんなものこそ、嘘っぱちではないのか?
 彼女は、相変わらずうす汚いぼろきれを纏い、路上で物乞いを続けるだろうし、僕は傲慢な旅行者として、インドの貧民を当然のように見下すだろう。
 彼女は、その場しのぎの50パイサを永遠に求め続けていくだろう。
 それとも、そんな境遇から逃れることを求めるだろうか?
 僕は、彼女にその場しのぎのはした金を与えたいのだろうか?
 それとも、彼女が本当の自由を得ること望んでいるのだろうか?
 もし君が、汚い身なりを侮辱され、それでも物乞いをしなければならず、お金をくれない大人に腹をたてるのなら、君が本当に望むべきなのはお金ではなく革命であり、君が本当に腹を立てるべきなのは金をくれない旅行者ではなく現在の社会体制ではないのか?
 5つか6つの子供には理解できないだろう。何故、自分が物乞いをしているのか。
 だから、あの子に代わって、この僕が革命をしてやる。
 あの子がお風呂に入り、物乞いなどしなくてもおいしいご飯が充分食べられるように。
 当たり前の生活ができるように。
誰にも蔑まれず、身分差別のない社会を実現できるように。」
 僕は、何もしてやれなかった彼女に弁解するかのように心の中で約束した。
 
 ごちゃごちゃした人ごみの街を離れ、リキシャに乗ると、落ち着いた川べりに出た。
 茶色く濁った水だったが、子供たちが楽しそうに水遊びをしていた。
 僕は、ヘッセの本のなかの、ゴータマシッダルタが沐浴している場面を思い出した。
 こんな川で、ブッダも沐浴したのだろうか?
 人気のない乾いた高原に、緑に覆われた川が流れている。
 十字架から復活したイエスが、晩年インドに渡り、生涯をまっとうしたという伝説も以前なにかの本で読んだことがある。そして、シャンカラが「アートマンとブラフマンは一体である」と言い、深遠なベーダンタ哲学が花開いた大地。
 そのような崇高な宗教的哲学的精神が、物乞いをしているインド人と、どう結びつくのだろう?
 わずか数十パイサ、日本円で数円にしかならないお金もなく、路上に寝そべっているインド人。
 聞いた話では、バラモンのカースト制で、インドでは生まれながらに職業が決まっているらしい。
 ゴータマシッダルータは、王族の子に生まれ、シャンカラはバラモン階級に生まれた。
 江戸時代の士農工商のような身分制度がいまだに残っていて、シュードラの身分のもの、不可触箋民のものは、職業の自由も人並みの生活を送る権利も無いという。
 高尚なインド哲学も、いわば貴族の気晴らしのようなものに過ぎないのだろうか?
 貧民や路上にいるインド人の生活とは、無関係なものなのだろうか?
 なぜ路上に溢れる失業者は、物乞いをする代わりに団結して政府に抗議しないのだろうか? 身分差別を糾弾して、人権を侵害する習慣を改めようとはしないのだろうか?
 宗教的豊かさとは裏腹に、インドの政治は貧困なのだろうか?
 ところが、この大国は、核兵器まで所有してる。
 混乱した頭の中で、日本の常識が少しずつ風に吹かれて風化していくのを僕は感じていた。
 あらゆる矛盾を超越して、インドの大地は果てしもなく続いているように思われた。
 自分がどこに向かっているのかもわからない僕は、突然、インドでは時間が止まっているのではないかという思いに取り付かれた。
 ここインドでは、例えば“政治的な改革”などという西洋の合理主義的考えでは解決し得ない、もっと雄大な、そして混沌とした伝統を引きずったまま、西洋の近代化の歴史という進化論的ベクトルとは無関係に、はるかウパニシャッドの古代から時間が止まっているのではないか?
 受験生という、つまらない小さな価値観を、それが反抗という裏返しの形であれ引きずっていた僕は、それとはまったく無縁のあらゆる矛盾を飲み込んだ大きなインドの、止まった時間に包まれて、なにかに追いたてられているような脅迫感、何かをしなければならないと思う焦燥感、誰かに見られているという自意識、それら狭い日本の価値観から、不思議と開放されていくのを感じていた。
 いつも時計を見ては腹を立てていた自分がいつの間にかいなくなっていることに気づき、不思議とイラつくこともなく、これから何をするかも決まっていない一種の自由に、密かに喜びすら感じ始めているのだった。

Posted by hoshius at 16:38  |Comments(0)TrackBack(0) | インドにて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月01日

シャワー・セラピー?

 アシュラムには、激しい瞑想の後で汗を流すためのシャワールームがあった。
 4,50人は入れる大きさで、男女共用だった。
 中に入ると、一面の湯気の中、色々な国籍の男女が全裸でシャワーを浴びていた。男女の仕切もなく、オトコとオンナがマッパダカで混浴している光景を見たとき、僕は少し面喰らった。しかし、なにも卑猥なことはない、これが本当に健康的でありのままの人間の姿なのだと、自分自身に言い聞かせていた。
 17才だった僕はそこで初めて、真っ白い肌の異国の女性の肉体を見た。
 僕の目は、全裸の彼女たちの中から、一番美しい人を見つけ出していた。
 自分が裸であることの羞恥心と戦いながらも、僕は彼女のほうに近づいて、あまりにも美しいプロポーションの裸体を惜し気もなく曝してシャワーを浴びている異性の肉体のかたわらに立った。
 彼女の下半身を見ると、陰毛が薄く、性器が膨らんでいる。しかし彼女は、見られていることを恥じらいもせず、そこを隠そうともしない。僕の目を見て、微笑んでいた。
 シャワーの水と石鹸の泡に濡れる開放された自分自身の肉体を、彼女自身、快く感じているのだろう。そして、人種の違う異性に見られていることに不快を感じず、かえって快感を感じているようだった。しかし、東洋人で日本人の僕の体は、そこらにいる西洋の男の筋肉たくましい肉体に比べて、恥ずかしいくらい痩せて貧相に思えた。しかも、僕は勃起しそうになり、いたたまれずに、慌ててシャワールームから飛び出した。
 まだ高校2年生だった僕にとって、そのときの光景は、初めて海外に出て、インドの街角に立ったときのカルチャー・ショック以上に、新鮮な驚きであり、恐れであり、歓びだった。
 男女共用のシャワールームでは、世間で植え付けられたセックスに対する数々のタブーや先入観を一枚一枚脱ぎ捨てて文字通り丸裸になり、自分の肉体に対する劣等感や精神的隠し事をすべて曝け出すことを要求される。そして、己れの羞恥心を乗り越えることで、小さなエゴから開放されるための場として、この男女共用のシャワールームがあるのかもしれない。アシュラムにある以上、この男女共同浴場は、性に対する様々な慣習、先入観、トラウマを再考し、再体験し、自然本来の姿に立ち戻るために、いわば“シャワー・セラピー”とも言うべき集団心理療法の場として意識的に設けられた場所なのかもしれない。そんなことを思いながら、しかし、そこで自分の肉体に劣等感も抱かず、裸のまま異性を前にして欲情もせずに、淡々とシャワーを浴びることは僕にはできなかったと、自分を悔やみながら、オレンジ色のローブを一枚着て外に出た。
 アシュラム内の緑に覆われた小路には、オレンジ色の衣装を纏ったサンニャーシンたちが、いつものようにゆったりとたむろしていた。着衣の男女は、あそこで裸でシャワーを浴びたにちがいない。そう思うと、彼女ら彼らが、以前よりも近しい存在のように感じ、自分自身、少し大人になったような気がした。
 服を脱ぐと、肉体は開放され、男女は生まれたままの姿であることを歓び、裸の肉体を再認識する。そして、己れの内に沸き上がる歓喜であり欲望でもある性エネルギーを、ありのままに肯定することができれば、男女は初めてトータルに愛し合うことができる。
「全てを肯定しなさい。それが例え怒りであっても・・・欲情であっても・・・」グルは常にそう言っていた。そして、実際、このアシュラムでは、あらゆる場所であらゆることが可能だった。
 男女がいきなりキスし合うことも、抱き合うことも。セックスすることも・・・。
 社会の常識に反発していた若い僕にとって、グル・ラジネーシの説く愛と自由のアナーキーな開放の哲学は、砂漠のオアシスのように感じらた。そして、砂漠に沸き上がる貴重な水に、どっぷりと浸かってしまいたいと思った。そのためにはまず、僕自身が裸にならなければならない。怒りも、憎しみも、喜びも、欲情も、羞恥心すらも、僕が感じたとおりに表現すればいいのだ。僕が感じたありのままを、自分で何もコントロールすることなしに・・・。そう。ここではありのままの自分を表現できるのだ。ここではそれが許されている。喧嘩することも、愛し合うことも。
 そして確かに、ラジネーシの弟子であるサンニャーシンは、皆それぞれ個性的に見えた。新参サンニャーシンの僕は、まだ世間の常識や習慣のしがらみを引きずっている。いきなり気に入った女の子に抱きつくことはできない。平手打ちを食らうかもしれない。しかし今は、それを道徳的倫理感や、社会的罪悪感から躊躇しているのではない。僕は獣ではないのだ。僕は僕自身でいるだけだ。
 5,6才のいたずらっぽい男の子が、僕の前に来て、英語で話しかけてきた。何を言っているのかわからない。すると彼は僕にちょっかいを出し、僕は彼を追いかけた。アシュラムの門をくぐり、外まで出て、遊んだ。
 僕がリキシャに乗ろうとすると、ついて来ようとしたので、「GO!GO!GO AWAY!」と言って追い払おうとした。彼は寂しそうな顔をしたので、僕は笑ってあきらめ、また彼を追いかけた。また遊びが始まった。
 そのまま、息切れしながらも走り続け、アシュラムの門をくぐった。
 お母さんが英語で彼をしかった。僕らは笑って目を見合い、手を振って別れた。
 自立した、たくましい悪がきだった。

Posted by hoshius at 22:04  |Comments(0)TrackBack(0) | インドにて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月23日

過激な「ラジネーシ瞑想法」

 シュリ・ラジネーシ・アシュラムでは、古今東西を問わず世界各地の様々な宗教( 仏教、チベット密教、ヒンズー教、ゾロアスター教、マニ教、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、道教など )で行なわれてきた、ありとあらゆる瞑想を実践していた。
 そのような数ある瞑想の中で、一番基本的で重要なのが「呼吸を見つめる瞑想」だと、あらゆる宗教で言われている。

 ヴィパサナという瞑想。
 じっと蓮華座で座って自分の呼吸を見つめる。
 雑念が沸き上がってきても、それと戦ってはいけない。
 心という空に、思考という雲が、様々に形を変え、流れていくのを、ただ“鑑賞者”として見つめている。
 思考に囚われ、それと一体化しないように見張っていなければならない。
 そのうちに、心は落ち着いてくる。水面に立ったさざ波が静まり、鏡のような潮の水面が深い森の景色を映し出すように、本来の自分自身の姿が、突然明らかになってくる。
 それは、様々な雑念のノイズに汚されて、見えなくなっていた“本来の心の深層(真相)”でもある。
 裏庭の閉め忘れた木戸が、人知れず風に押されて開け放たれるように、呼吸は自然と鼻孔から出入りしている。
 私は、ただの観賞者になった。今、行為する者は、誰もいない。
 ただ、吸う息と吐く息だけが、永遠の太古から続く潮の満ち引きのように、寄せては返す海の波のように繰り返されている。
 私はただ、静かに座ってそれを見つめている・・・。

 このような穏やかな瞑想の他に、自分のエゴを消滅するために行なわれる、もっとアグレッシブな瞑想がラジネーシによって考案され、インドのアシュラムで毎日朝夕行なわれていた。

 早朝6時、ブッダ・ホールに「ダイナミック・メディテーション」の始まりを告げる銅鑼の音が鳴り響く。
 もうすでにブッダ・ホールには、世界各地から集まったオレンジ色のサンニャーシンたちが準備万端勢ぞろいしている。グル・ラジネーシが考案した最も激しい瞑想「ダイナミック・メディテーション」を毎日するのは、優秀なサンニャーシン(?)の証だった。
 銅鑼の音が鳴り止むと同時に、激しいビートの音楽がホール全体に鳴り響く。
 皆一斉に立ったまま、そのリズミカルな音楽に合わせて、身体を上下に揺らし、鼻で激しく呼吸を始める。

 野外ホールには上半身裸で、濃い胸毛むき出しの西洋人の筋肉男、長い上品なローブを着た物静かな修行僧のようなインド人、ノーブラでオレンジ色の袖無しローブを一枚纏っただけの白人の女性などに混ざって、日本人で17才の僕も、パンツも履かずにオレンジ色の木綿のローブを一枚だけ着て、裸足で冷たい大理石の上に立っていた。そして、恥も外聞もなく、モンキーダンスを踊るように頭を振っていた。

 ダイナミック・メディテーションの第1ステージは、鼻から息を出来るだけ強く一気に全部吐き出し、吐き出したと同時に鼻から一気に息を吸い込まなければならない。できるだけ速く強く鼻で呼吸し続けるためには、全身を上下に揺さぶり、頭を激しく振らなければできない呼吸法だ。
「シュッ、シュッ」という音がホール全体に鳴り響き、世界各国から来た男女が、早朝から、まるで込み合ったクラブさながら、激しいビートの音楽に合わせて過激に全身を揺らし、一心に鼻で呼吸をし続けている。
 そのうちに、鼻孔はちぎれそうになり、身体は熱くなり、汗が吹き出してくる。頭は鼻から息を吐き出すのに専念するあまり、何も考えることができなくなる。ついには頭は生理的物理的に麻痺し、視界が真っ白く輝いて見えてくる。
 鼻水や涙が流れてきても、誰も気にする人はいない。頭が痛くなったり、吐き気をもよおしたり、気を失って倒れそうになっても、途中で息を元に戻してはならないのだ。

 15分経つと銅鑼が鳴って第2ステージに入る。
 再び更に激しい音楽が流れ、それに合わせて皆、両手を上げて一斉に高くジャンプし始める。ジャンプしたと同時に「ハッ」と声を出して一気に息を吐き出す。
 誰よりも若い僕は、マサイ族のように、誰よりも高くジャンプしていた。
 長いスカート状のローブの裾から、朝でも熱いインドの空気が入って来て、とても気持ちがいい。
 しかし、15分間、両手を上げ、息を吐きながらジャンプし続けるのはとても体力のいる全身運動だ。身体はくたくたになり、着ているローブは汗でビショビショになって身体に張り付く。思考も欲望もすべて発散してしまい、そうなると無意識の抑制が外れ、ますます過激にジャンプしたくなる。

 そのうちにまた銅鑼の音が鳴り響き、別の軽快な音楽が流れ出す。いよいよ第3ステージが始まったのだ。
 ひたすら更に15分間、思うがままに踊り狂う。

 インドのアシュラムでは、世界中から集まってきた男女が狂ったように踊りまくり、叫ぶ者もいれば、うめく者、笑う者、泣きわめく者もいた。
 思う存分狂っていいのだ。
 肉体を激しく動かし、頭を振り回し、できるだけ過激に抑圧されたストレスやトラウマをすべて発散させるのだ。
 ホールは揺れ、アシュラムは狂気の沙汰と化す。
 白人のカタルシス状態での自己表現は凄まじい。
 肉食で作られた肉体が派手に暴れ回る。
 長髪を振り乱し、笑い、泣き叫び、汗を撒き散らせながら、筋肉を揺さぶって踊る姿は、さながら野獣のようだ。
 しかし、その中に美しい金髪の女性がいて、僕のすぐそばにまで来て、ダンスに陶酔し、旋回し、跳躍して、天を仰ぐ。その恍惚とした姿を見ると、へたなモダン・ダンスなどへのように思えてくる。それほど、彼女は美しく、開放された感情が彼女の肉体を自由に動かし、どんな振り付け家が振り付けたダンスよりも独創的な動きを見せる。
 それに比べて僕は、まるで、ださいディスコダンスを踊っているようだ。
 突然、僕は、彼女を意識して、過激なことを思いついた。
「よーし、ひとつダーヴィッシュ旋回でもやってやろう!」
 そう思って、ぐるぐると独楽のように旋回し始めた。
 これならどんなダンスより過激だ。
 これこそが白人も真っ青な東洋の自己否定の美学だ。
 などと勝手に得意になって、捨て身で旋回を続け、彼女に日本人の凄さを見せつけてやろうなどと調子に乗っていた。
 そのうちに目眩がし、吐き気をもよおしてきた。しかし、死にそうになりながらも、ぐるぐると旋回のスピードを増し、よろけながらも僕は、気を失うまで回りつづけてやろうと決心した。
「僕のエゴが吐き気をもよおしているのだ。僕のセンターは、車輪の軸のように三次元的には存在しない。空だ。無だ。有るのはエゴの目眩と自己嫌悪の嘔吐感だけだ。ブレーキをかけているのは本当の僕ではない。”私、私”と言っているエゴが、この旋回をコントロールしようとしているのだ。自分が消滅してしまうのを恐れて。しかし、中心である無は、消滅しようがない。なぜならそれは初めから存在しない。ゼロであり、不動であり、中心なのだ。だから、この無こそ、本当の自由に違いない。僕は周辺のエゴと戦って旋回を強いている。そして、エゴが消滅するまで、僕は戦ってやろうと思っている。回り続けてやろうと思っている。しかし、そう思っている僕もまたエゴだ。あー。どうしたら僕は消滅できるのだろう。中心になりたい。何もない中心に。そして僕は消えてしまいたい。今にも、目眩を起こして気を失いそうだ! 気を失え! 僕は僕自身から解放されたいのだ! そして、この吐き気から早く逃れたい!」

 ドーン!

 突然、銅鑼が鳴り、第3ステージが終了する。
 激しいステージは、これで終了。
 第4ステージは、座っていても、立っていても、寝ていてもかまわない。
 最後は、静止し、沈黙したままの15分間。ひたすら静寂を味わい続ける。
 本来の“瞑想”がここから始まる。

 銅鑼の音とともに大理石の冷たい床に座り込んだ僕の周りで、今度は世界の方がぐるぐると回わっている。風車のようにぐるぐる回わり続けている。そして、だんだんと回転が遅くなり、やがてゆっくりと回転木馬が止まると、軽い目眩と伴にインドの暖かい風が気持ち良く僕の体を吹き抜けるのを感じた。
 日本では、もう高3の新学期が始まっているはずだった。
 本当ならば、僕は今頃、始業のベルに滑り込み、教室の窮屈な椅子に座るために、チャリを走らせているはずだった。そして、迫り来る大学受験の脅迫観念に駆られ、真面目で優秀な同級生達に囲まれて授業を受けているいるはずだった・・・。
 でも、僕は今インドにいて、アシュラムのブッダ・ホールと呼ばれている大きな野外ホールの冷たい大理石の床に座っている。
 そして、早朝の小鳥のさえずりを聴いている。暖かい風に吹かれている。
 その時僕は、日本の社会から逃避して、はるばるこんなインドまで来て、思考を無くす瞑想をしている自分に気づき、一瞬、訝しく思った。僕は僕自身から自由になりたかったのだ。
 しかし、僕は消えてはいなかった。
 ただそのとき、僕は、高校生の価値観から完全にドロップ・アウトした、もしくは、してしまった自分がそこにいることを、はっきりと自覚した。
 もうあとには引き返せない迷宮に、それとも王宮に、それとも監獄に、それとも脱走窟に、着実に入り込んでしまっていたのだ。

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2004年11月14日

サマーディ・タンク

 グル・ラジネーシのダルシャン(面接)を受けると、彼から、この瞑想とグループを行なうようにと指示される。
 グループとは、1970年代当時、次々に開発され実験的に行なわれるようになった最先端の心理療法を集団で行なうもので、一般的には「グループ・セラピー」とか「ワーク」と呼ばれていた。その中には、「エンカウンター・グループ」、「ゲシュタルト・セラピー」、「ロルフィング」なども含まれていた。
 その他にも、アシュラムで独自に開発された様々なグループがあり、中でも一番過激なのが「タントラ・グループ」と呼ばれている集団心理療法だった。
 噂では、何日間も男女が裸で泊り込み、手当たり次第セックスをやりまくるらしい。僕は、そのグループを受けたことがないので本当のことは判らなかったが、ラジネーシからそのグループを受けるように言われなかったのを、少し残念に思った。
 僕もいくつかのグループを受けたが、その中のひとつがジョン・C・リリー博士が考案した 「アイソレーション・タンク」だった。
 ジョン・C・リリー博士は、猿の脳に600個もの電極を埋め込み、1950年代に世界で初めて「快感と苦痛の中枢」を突き止めた脳科学者である。
 彼は、猿という高等な哺乳類を使って、「勃起」、「射精」、「オルガズム」の系が、個別に存在することを発見した。
 ちなみに、1日24時間3分ごとに自分自身の脳を刺激することができる機械を与えられると、猿は自分を刺激し、16時間の間、3分毎にオルガズムを得つづけたという。
 その後、彼は、人間の感覚と意識状態を、脳の科学的研究によって解明しようとした。そして、そのための被験者として「自分」を選んだ。
 彼の研究以前は、人間が完全な無感覚の状態に置かれると、意識は外界から何も刺激を受けることがないので、意識を失なって眠ってしまうというのが学会の定説であったという。そこで彼はその真偽を確かめるため、実際に自分で感覚を遮断する実験を始めた。そのために考案されたのが「アイソレーション・タンク」だった。
 タンクの中は、完全な闇と無音が保たれている。そして、海水よりも濃い塩水が張られ、人間の身体は、無重力状態に近いかたちでその中に浮かぶことができる。もちろん、タンク内の温度は暑さも寒さも感じない快適な気温に保たれ、密封されたタンク内に十分な酸素も供給される。
 このタンクに入ることによって、実験者は聴覚、視覚、皮膚感覚、人体の重量感覚のすべてを失うことになる。
 医者でもあったリリー博士は、自らにLSDやビタミンKと呼ばれる一種の麻酔薬を大量に注射してこのタンクに入ったことも忘れてはならない。
 完全に感覚を遮断すると人間の意識は眠り込んでしまうと言われていた。しかし、実際は、そうはならなかった。それどころか、予期しなかった事がつぎつぎと起こり始めた。
 彼の守護霊ともいえる存在や宇宙人ともいえる地球外意識とコンタクトするようになり、博士は、人間の意識構造を独自の斬新な理論で体系化していった。
 今で言うチャネリングをリリー博士は世界でたった一人、その時代にやっていたのだ。
 また、地球の重力を感じることなく水中に生息しているクジラやイルカなどの水棲哺乳類は、宇宙生活が可能になった時、無重力の宇宙空間でやがて開放されるであろう人間の意識状態を先取りしていると主張し、人間よりも進化した上位の意識階層にクジラやシャチを位置付け、彼らを「地球上で最高の知性を有する生物」だと主張した。
 アイソレーション・タンクの実験は後に「アルタード・ステイツ」として映画化され、「オルカ」などの映画は、リリー博士のイルカやシャチの研究を題材にして作られたという。
 僕が小学生の頃、21世紀になると人類はイルカと話ができるようになるだろうという未来論を聞き、早く21世紀にならないものかと思ったものだが、今にして思えばそれはジョン・C・リリー博士が言ったことだったのだ。

 インドのアシュラムでは、アイソレーション・タンクを独自に開発して「サマーディ・タンク」(覚醒タンク)と呼んでいた。1979年当時、アイソレーション・タンクを一般人が体験できるのは、カリフォルニアとインドのこのアシュラムだけくらいだったようだ。

 夕方、僕はオレンジ色のローブを一枚だけまとい、安ホテルからオート・リキシャに乗って、長髪を風になびかせながらアシュラムに向かった。
 アシュラムの広大な敷地には、毎朝ラジネーシが世界各地から集まった弟子に講話を行なう「ブッダ・ホール」と呼ばれている大きな屋根付きの野外ホールの他に、グループのための宿泊用の大小の建物、「ラオツー・ハウス」と呼ばれているラジネーシの住まい、明るくて清潔な食堂、オレンジ色のローブや手作りの無臭石鹸や本が売られているお店などが、インドの青青とした熱帯の植物に囲まれて点在していた。
 熱帯のマングローブのような繁みに覆われたアシュラムの一角に、サマーディ・タンクが二基格納されている小屋がひっそりと建っていた。
 小屋の入口には、日焼けした上半身裸の男がニコニコ笑って、藤椅子に座っていた。
 僕は、予定の時間をだいぶ遅れてきてしまった事を詫びたが、男はなんでもないといった身振りでニコニコ笑いながら、僕を薄暗い小屋の中に案内した。
 中にはシャワーがあり、着ているものを全部(といってもオレンジ色のローブ一枚だが)脱いでシャワーを浴びるように言われた。
 浴室に入ると、漆喰の壁にガラスの鏡があった。
 僕は、なぜかその鏡に魅かれた。
 水銀が剥がれ、ガラスも微妙に曲がっていて薄汚ない鏡なのに、繁みの葉の間からこぼれる黄金色の太陽光をクリスタルのようにキラキラと反射させて、まるで生き物のように光っていた。
 僕は目をこすって自分の顔を覗き込んだ。
 するとそこには、今まで一度も見たことのない自分が映っていた。
 古いガラスに映った僕の長髪は、インドの強い日差しで茶色く変色していた。頬が痩せ、目玉が以前より大きくなっている。そして、何故だかとてもリラックスしていて、自分をゆったりと見つめている。
 まるで別人を見ているように感じた。
 シャワーを浴びるとそのままサマーディ・タンクに誘導された。
 もう一つのタンクからは、30位のグラマラスな白人女性が、全身を濡らしたまま、たった今、出てきたばかりだった。
 その姿は、エロティックというより、洗礼を受けた聖女のように神聖に見えた。
 僕は、我を忘れて彼女の裸体を見つめていたが、男に促され、ハッチの開いた、僕の入るタンクに歩み寄った。
 人が一人やっと入れるだけの狭い入り口からタンク中に入ると、全ての感覚を遮断するハッチが閉じられた。

 中は当然真っ暗で、何も見えない。もちろん一切、音もしない。
 予想していたことだが、自力では閉められたハッチは、中からは開けられないことに気付くと、一抹の不安がよぎる。
 はじめは、水中に浮かんだままの状態では、顔を出してうまく横たわることができずに、塩水が目の中に入ってとても痛かった。ベッドに入っても眠ることができずにゴロゴロと体の位置を変えて寝返りばかり打っているのと同じで、まったくリラックスできない。それどころか、早くここから出たいと思いはじめる。自分が閉所恐怖症でなかったことが、せめてもの救いだと思った。
 ただ自分の呼吸の音と、キュルキュルと自分の身体の中を流れるリンパ液の音だけが聞こえる。
 そのうちに、うまく顔だけ出して仰向けに塩水に浮かぶことができるようになり、だんだんと眠るように、自分の呼吸に集中していった。
 まったくの静寂の中にいると、それがどんなに微かな音でも、自分の呼吸音が、耳障りなほどうるさく聞こえてくる。
 吐く息と吸う息が永遠に繰り返されている。まるで逃れられない宿命のようだ。そして、こればかりは自分で止めることができない。止まってしまった時、僕は死ぬのだ。
 吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、吸って、吐く・・・
 永遠の繰り返しを聞いていると、自分でも嫌になってきた。
 何故生命は、こんな面倒臭い備執狂的永遠の繰り返しの上に成り立っているのだろう?
 できれば、この永遠の繰り返しから「私」は逃れたい。
 この息を止めてしまえば、この繰り返しから開放されるのだろう。
 しかし、自然の摂理に逆らうことはできない。
 僕が無理やり呼吸を止めれば・・・。
 しかし、やはり苦しくて、また始まる。
 永遠の呼吸が・・・
 僕は生命の一部であり、呼吸は生命だ。
 生きているかぎり、呼吸し続けるしかない。
 呼吸は自然現象であって、僕の意志とは無関係に、いわばかってに無意識に自律的に行なわれている。
 しかし、自分の意志によってコントロールすることもできる。
 ”私”が吸うとき、息が吸い込まれる。
 ”私”が吐くとき、息が吐き出される。
 ”私”が息をしている!
 しかし、”私”が息をすると、自然本来の息は疎外されてしまう。
 否、”私”がいるとき、呼吸が苦しく感じられるのだ!
 でも、僕は”私”を忘れることが出来ない。
 いったい”私”は生かされて、呼吸をさせられているのだろうか?
 それとも”私”は、生きて、呼吸をしていることについては、不要の存在なのだろうか?
 どちらでもあって、どちらでもない。
 ただ呼吸だけが、それが生命の証のように繰り返されている。
 そして、呼吸は僕の思考そのものであり、
 僕の感情であり、
 気分であり、
 意識なのだ。
 僕そのものなのだ!

 僕は、自分の呼吸を見つめ、呼吸がどのように意識によって変化するのかを見つめ続けた。
 思考の波が静まると、呼吸は浅くなり、やがて吐くことも吸うこともなくなってしまう。呼吸に集中すると、だんだんと呼吸は止まり、ついには静寂が訪れる。
 しかし、それに気付くと僕は慌てて息を吸い込む。やがて呼吸が戻ってきて、とりとめのない思考が浮かび、その波に飲み込まれ、巻き込まれていく。

 何時間、その中に入っていたのだろうか?タンクから出ると、外は夕方になっていた。
 オート・リキシャに乗ってホテルに帰る途中、僕は今までに見たこともないほど美しいインドの夕日を見た。
 あまりにも奇麗だったので、浮かんでいるオレンジ色の火の玉をもっとよく見るために、川に掛かっている橋の上でリキシャを降りた。
 インドの時間はあまりにもゆっくりとリラックスしていて、川岸に放牧されている牛の群れは、オレンジ色の夕日を浴びてゆっくり草を食んでいた。
 牛追いの老人が無抵抗の牛に大声で何事かを叫びながら石を投げつけている。その姿もオレンジ色の風景の一部に溶け込んでしまっている。
 やがて太陽が沈み、牛や老人にとっては、いつもと変らぬ一日が昨日と同じように終わるのだと思うと、インドに来てそれまで外国人としてしか過ごしてこなかった自分が、まるでインドにずっと暮らしていたようにも感じられ、なんだか妙になつかしい気がした。
 かけがえのない一日が、今まさに終わろうとしている。
 僕は夕日が沈むのを、いつまでも眺めていた。

Posted by hoshius at 01:04  |Comments(0)TrackBack(0) | インドにて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする